2002年 第1回 今月の言葉

「脚本」

「交流分析」という心理学の用語の中の、最も重要な用語の一つです。
基本的には、お芝居などの「脚本」と同じ意味です。
お芝居の「脚本」は、例えば、Aという役割ならば「A」について書かれた台本の通りに、役者は演じます。
つまり、その役者が表面的には、Aの役割を自由に演じているように観客には見えますが、実際は、台本に書かれているように演じているに過ぎません。それは、お芝居がスタートした時点ですでに、結末がハッキリしています。味気ない言い方をすると、初めから結末に向かって、分かりきった筋道を通っていることになります。「交流分析」という心理学でいう「脚本」も、これとほぼ全く同じ意味です。
では、お芝居でいう「台本」に当たる「脚本」とは一体なんでしょうか。「精神分析」では、人間の基礎工事は6才までになされるといいます。
この乳幼児期における生活環境、主として両親の生活態度、夫婦の関係が醸し出す雰囲気によって「感覚されたもの」が、その子の一生に大きな影響を与えるという考え方です。例えば、映画の「海辺の家」

(第2回「今月の映画」ご参照)のように、毎日、夫婦喧嘩が絶えなかったり、或いは、父親の母親への暴力的な行為であったり、家庭を全く顧みない父親と、毎晩寂しそうに一人でいる母親、さらには浮気をして他のところへ行っている父親との関係など、など。そういう環境の中で、その子はどんな「心理状態」であったであろうか。
その子がそこで感じたものは、その後の両親の生きる姿によって、さらに具体的に強化されていきます。

そこで強化された感覚や方向性、例えば何度も何度も商売に失敗するとか、人にだまされるとか、恋愛に失敗するとか、他人のために尽くして、自分はやがて病魔に襲われるとか・・・・・・・・・。

そういう「条件付けられた人生」は、特別のことが無い限り一生続きます。
私たちは自分の人生を、自分の思うように「自由」に生きていると思っていますが、実は、私たちが「乳幼児期」に感覚された両親の「生き様」に影響された「人生」を生きているものです。役者が「台本」に沿って演技しているように。
本当に不思議なことですが、これは臨床的に正しい概念(考えかた)です。

私たちは成人した後は、自分が乳幼児期にどんな「生い立ち」だったかの記憶がほとんど失われているものです。

もし、自分が「どうも損な人生だ」「変な人生だ」「こんな人生はイヤだ」と思われたならば、自分の「脚本(生い立ち)」を調べて見て、様々な嫌な場面が浮かんだならば、その問題と取り組むことで、「運命」のように思われていた自分の人生・・・・・「マイナスの脚本」を書き換えることが可能です。
これを「交流分析」では、

「リプログラミング(脳の再編成)」といいます。「リプログラミング」をして、人生をより良く生きられるご自分にすることが可能です。

(文責:藤森弘司)

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