2024年6月15日第261回「今月の言葉」≪≪「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」とは何か?⑧(袴田巌さんの事件について)
(1)5月19日に臨時ニュースとして、下記を掲載しました。
≪≪昨日の東京新聞(2024年5月19日)で、袴田巌さんの事件が22日に「結審」の見通しで、無罪を願う高杉晋吾氏(高杉氏の詳細は最後)や、「袴田巌さんが獄中でつづった『無実』」などの特集の記事が掲載されました。 私(藤森)は「袴田巌さんは『完全に無実』」だと、かなり以前から思い込んでいました。 もちろん、私は、正確な情報を、一切、持っている訳ではありません。しかし、私の専門分野である「深層心理」の立場・観点からの推測(判断)から、袴田巌さんの事件を考えると、袴田さんは「無罪」であることは決まっています。 しかし、詳しく書いている時間が無いために、本日、臨時ニュースとして、初めて、臨時に情報をお伝えしたいと思っています。 私が何故、袴田巌さんを「無罪」だと考えるかということを、一言、簡単に申し上げて、「臨時ニュース」とさせていただきます。 「臨時ニュース」として、結論を申し上げます。 「袴田巌さんのお姉さんの『ひで子』さんが、半世紀」もの長期に渡り、弟である巌さんの『無罪』」を主張してこられた事が『無罪』を証明しています。 また、お姉さんに、それだけ無限大の負担、苦労を掛けて、心より深く感謝していらっしゃることは「容易」に想像できますが、そのお姉さんの「ご苦労」に甘えて来られたのも、ご本人が「無罪」だからであることは、百パーセント間違いありません(私・藤森の「深層心理」の専門家としての立場から判断すれば、お二人のこの問題に対しての「深層心理」は、テーマである「五蘊皆空!!!」であることは間違いありません)。 これほど「過酷」で「困難」で「最大級の課題」にお姉さんが生涯、取り組み、それに甘えられたのは、事実が「無罪」であること以外に「説明」できません。それが「深層心理が『空』」の証明です。 5月22日「結審」の見通しなために、詳細は抜きにして、以上の簡単な説明だけとさせていただき、私・藤森の意見とさせていただきます。 ≪≪高杉晋吾氏・・・本名は石川晋吾。1933年、秋田市生まれ。戦時中は満州(現・中国東北部)の鞍山市で過ごし、米軍の爆撃で母と姉を亡くす。早稲田大卒業後、「社会新報」記者を経てフリーに。冤罪のほか部落問題や産業廃棄物、精神医療などをテーマに取材。1981年の著書「地獄のゴングが鳴った 無実のプロボクサー袴田巌」は、2014年に「袴田巌事件・冤罪の構造 死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った」として復刊された。≫≫(東京新聞、5月19日)≫≫ 5月19日に、「臨時ニュース」として、以上を紹介しました。そして、22日に「結審」しました。 これ以後は東京新聞の5月19日と23日に掲載された記事を、少し多いですが、「袴田巌さんと、巌さんのお姉さん」を心の底から応援したい気持ちがたくさんありますので、東京新聞の報道を沢山紹介させていただきます。 タイトルの「人生脚本」は正に、検察側の皆さんの心理に潜んでいる、私が主張している「日本的朱子学」に猛烈に影響されている「人間性の大問題」であり、袴田巌さんとお姉さんは、この問題に対しては、正に「五蘊皆空(ごうん・かいくう)」であることは間違いありません。「五蘊皆空」であるから、これほどの「過酷」な中を生き抜くことができたことは、私の専門の分野から考えれば「百パーセント」間違いありません。 それでは「日本的朱子学」とは何か?です。「日本的朱子学」とは、私・藤森が創案した言葉で、拙著の247ページ「『朱子学』『過干渉日本』と『五蘊皆空』」で詳しく説明してありますが、簡単に説明しますと、中国の「朱子学」を日本的に工夫して、徳川家康が江戸時代に活用したものです。 しかし、その後も、日本人の「根本的な人間性」にドップリと浸かっていて、種々様々な不思議な問題を起こしています。その典型的な例が「自民党の有力な国会議員」の人間性です。二世、三世、四世と呼ばれる国会議員の多くに潜んでいて、そして、そういう摩訶不思議な国会議員を、有権者が選んでいます。 その驚くべき(日本的朱子学的な)検察官を相手に半世紀も闘ってきた「袴田さんのお姉さんと弟さん」、そして、「高杉晋吾氏」の素晴らしさに、私は、遅ればせながら、とても感動しています。 私は、何もできない情けない人間ですが、わずかでも応援の気持ちを込めて、東京新聞の記事を沢山ご紹介したい気持ちでいっぱいになり、そして、1億分の1でも応援したい気持ちでいっぱいになりました。 そして、絶対に「無罪」であるはずだと思う私の判断が正しいことを証明できる情報がありました!!!! 下記の(4)に無罪を証明!!!!できることが書いてありました。 ≪≪再審公判は「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」が認められた場合に開かれ、袴田さんも無罪の公算が大きい。戦後、死刑確定後に再審公判が開かれた4事件ではいずれも検察側が死刑を求刑し、全て無罪となっている。≫≫ |
(2)「高杉晋吾氏(たかすぎ・しんご・氏)」の紹介(藤森)
たかすぎ・しんご 本名は石川晋吾。1933年、秋田市生まれ。戦時中は満州(現・中国東北部)の鞍山市で過ごし、米軍の爆撃で母と姉を亡くす。早稲田大卒業後、「社会新報」記者を経てフリーに。冤罪のほか部落問題や産業廃棄物、精神医療などをテーマに取材。1981年の著書「地獄のゴングが鳴った 無実のプロボクサー袴田巌」は、2014年に「袴田事件・冤罪の構造 死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った」として復刊された。≪≪東京新聞、2024年5月19日≫≫ <事件当日の行動 手紙に克明に> 袴田さんは高杉氏への手紙に、「アリバイがない」とされた事件当日の6月30日の行動も記載。出火した被害者宅の消火に加わった様子などを説明していた。 <サイレンと、火事だ、近いぞというような声で起こされました。同僚2人が慌てて寮の階段を降りていったようでした。私も跳ね起きて彼等に続きました> <裏口に駆けより扉を探しました。(中略)断片的には、同僚が私に消化品、消化品といっていたこと。ホオスを誰かと共に出し、それに三、四人たかって引張り伸ばしたこと。線路の下の石を取り、ホオスをそこに通したこと> <(土蔵の物干し場に立った)男は土蔵を指差し、この中に人が居るといいました。そして、よしバールを持ってくるといって降りていきました。その男は赤シャツを着ていた>(いずれも79年12月25日、同僚は実名表記) 捜査官の調書にはこれらの内容は記されず、確定判決では「鎮火に近いころ、被告人が火災現場に姿を見せるまでの間、被告人の姿を何処かで見たという者も認められない」と袴田さんの訴えは退けられた。十川さんは「手紙には当日の状況が詳細に描写され、現場にいた人の服装や行動も詳しく書かれている。十分、反証になり得る内容だ」と強調する。 高杉氏はさらに、その後の4日間の行動も細かく尋ねていた。 <できれば午前・午後。さらに詳しくは、午前何時ごろは誰々とこう云うしごとを、どう云う場所でやったのかを困難ですが想い出して下さい(中略)これが確定して行けば、(5点の衣類を)味噌タンクに仕込む時間が成立しなくなる(79年12月12日)> 静岡県警が最初に袴田さんを任意聴取したのは、7月4日。この日の早朝、寮の袴田さんの部屋を家宅捜索し、新聞各紙はこぞって「有力容疑者」と報じた。以降逮捕される8月18日まで、常に警察やマスコミの監視下に置かれていた。 5点の衣類がタンクに入れられた時期について、二審の東京高裁は「事件直後」と認定。袴田さんの犯行着衣とすれば、本人が怪しまれずにタンクに隠せるのは7月4日までしかあり得ないと、高杉氏は検証を試みた。袴田さんは同僚の氏名や具体的な時刻を交えながら、どのような仕事をしたか、約70キロ離れた実家にいつ帰省したかなどを返答。高杉氏は「常識で考えて隠せるわけがない」との思いを強くした。 その後の支援者の検証実験が奏功し、5点の衣類は有罪証拠でなく、無罪証拠に変化しつつある。静岡地裁は2014年、衣類を「犯行着衣でも袴田さんのものでもない」と指摘し、約48年ぶりに釈放。あらためて再審開始を決定した東京高裁は昨年3月、袴田さんが衣類をタンクに入れることは「事実上不可能」と認定。第三者がタンクに隠した疑いに触れ「捜査機関の可能性が高い」と言及した。 袴田さんの死刑確定後、高杉氏は「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌を救う会」を立ち上げ、袴田さんの拘禁症状が悪化する1989年ごろまで文通と面会を続けていた。高杉氏のもとに届いた手紙は280通を超える。90年代以降は直接の支援から離れた。 数年前に脳梗塞を患い、会話が不自由になっている。今月中旬「こちら特報部」の取材に応じ、「(袴田さんへの思いは)これまでに書いてきた通りだ」と短く語った。再審開始決定が一時取り消された6年前を思い出した様子で、「再審無罪の結果がひっくり返ってしまわないか、心配だ」と話し、涙ぐんで、こう繰り返した。 22日、再審公判結審 無罪願う高杉さん「彼はなぁ、本当に正しいんだよ」 ≪≪デスクメモ・・・・・袴田さん捜査の矛盾とボクサーの日々を描いた高杉さんは今91歳、袴田さんは88歳、姉ひで子さんは91歳だ。1月に死去した西島勝彦弁護士は82歳。対する検察や警察は、担当者が交代して争い続ける。後任に引き継げば、歳月の痛みは感じないのか。組織も人間らしく対応すべきだ。(本)2024・5・19≫≫≪≪東京新聞、2024年5月19日≫≫ |
(3)「袴田巌さんが獄中でつづった『無実』」≪≪5月19日、東京新聞≫≫
1966年の静岡一家4人強盗殺人事件の犯人とされ、長く死刑囚の身に置かれてきた袴田巌さん(88)。第三者で最初に冤罪を訴えたのが、今は病床にあるルポライター高杉晋吾氏(91)だ。未公開の往復書簡に目を通すと、強要・誘導された疑いが濃い供述調書、捜査機関の証拠偽造の可能性に着目し、無実の証明に奔走する様子がうかがえる。22日の再審公判結審を前に2人のやりとりを振り返る。(西田直晃) ルポライター 高杉晋吾さんとの往復書簡 <「虚偽を虚偽として確認すること」訴え> <多くの無実を叫ぶ人々の場合、有罪の判決が出たところで、その有罪の根拠となった証拠そのものが、自白、物証、証言等々、あらゆる偽造が無人の野を行くがごとく、まかり通っている(中略)近いうちに面会に行きます。> 79年8月1日。一、二審で死刑判決を受けて上告し、東京拘置所にいた袴田さんに、高杉氏が初めて送った手紙だ。この直後、雑誌「現代の眼」(廃刊)9月号に「袴田事件 元ボクサーの落ちた陥穽(かんせい)」と題した記事が掲載された。 この記事ですでに、高杉氏はいくつかの不審点に触れている。犯行着衣が起訴時のパジャマから、袴田さんの勤務先のみそタンク内で事件の1年2カ月後に見つかった「5点の衣類」に変更されたこと。控訴審での装着実験の際、そのズボンを袴田さんがはけなかったこと。捜査段階の45通の自白調書のうち、1通の検察官調書を除く44通が証拠から排除されたこと・・・。最高裁で死刑が確定する1年4カ月前のことだ。 袴田さんはこう返信し、両者の交流が始まった。 <権力の魔手に徹頭徹尾かけられた、いわゆるイケニエにある弱い衆人達の筆舌に尽くせない心底からの憤怒の念を、やがて一掃してくれる>(同年8月4日) <先(ま)づ、第一にやらなければならないことは、いっさいの虚偽を虚偽として確認することだと思います>(同年8月20日) 袴田さんの再審弁護団が訴える「捏造(ねつぞう)」という文言こそ見当たらないが、証拠のでっち上げが存在したという認識で両者は一致していた。その後の手紙のやりとりは主に、高杉氏の質問に袴田さんが回答する形で進む。証拠採用された66年9月9日付けの検察官調書については、こうだ。 <本件調書内容のような型で押し付けられたら万事休すの筈です(中略)検察官は前以(も)って、九月九日付調書の如く、その内容のストーリーを自らの大学ノートに書き込んでいたと思われます。その理由は九月九日の取り調べの際、大学ノートを書記官に手渡し、何のことはない丸ごと写させたのです。それ故に、文字通り、矛盾の大集成たる調書が存在する>(79年9月1日、検察官は実名表記) 往復書簡は現在、高杉氏と親交が深い「袴田巌さんの再審を求める会」の十川正さん(71)=東京都小平市=が中身を精査している。「回答を足掛かりに無実を証明するため、さまざまな質問を袴田さんにぶつけていた。再審支援の井戸を掘った人。他の取材でも同じだが、弱い立場にある袴田さんの目線で動いてきた」と回想。「死刑確定直前の手紙には特に、切迫感に満ち、鬼気迫る袴田さんの思いが伝わってくる」と話している。 |
(4)「袴田さん姉 集会で『長い闘いだった』」≪≪東京新聞、5月19日≫≫
<22日結審の見通し> 1966年の静岡県一家4人殺害事件で死刑が確定し、再審公判中の袴田巌さん(88)の姉ひで子さん(91)が18日、地元の浜松市で開かれた集会に参加した。公判が22日に結審する見通しとなっていることを踏まえ「本当に長い闘いだった。裁判が終わると思うとほっとする」と胸の内を語った。 集会では、弁護団のメンバーが公判の内容などを報告。主任弁護人の小川秀世氏は「巌さんの無罪が一日でも早く確定してほしい」と話した。 犯行着衣とされる「5点の衣類」について説明した笹森学弁護士は「犯行態様と矛盾させないために血痕を付着させた。衣類の損傷もつくったものだ」とし、証拠捏造(ねつぞう)を訴えた。
☆「袴田さん再審公判 結審へ」≪≪東京新聞、5月22日の夕刊≫≫ <「平常心」姉・ひで子さん陳述へ心境> 1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で起きた一家4人強盗殺人事件で、死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審第15回公判が22日、静岡地裁(国井恒志裁判長)で開かれる。検察側の論告求刑や弁護側の最終弁論などがあり、昨年10月に始まった公判が結審する見通し。検察側が改めて死刑を求刑するかが焦点となる。(安達優人) 袴田さんは半世紀近く拘束された影響で地裁が「心神喪失状態」と認定し、出廷を免除。再審公判は姉のひで子さん(91)が代わりに出廷しており、22日も最終意見陳述する。 ひで子さんは同日朝、浜松市の自宅前で報道陣の取材に「平常心。巌の裁判ですので、巌に代わって、巌の言いたいことを申し上げる。巌の書いたものを読もうと思う」と話した。袴田さんが獄中から家族にあてた無実を訴える手紙などを読むとみられる。 午前中、被害者遺族による書面での意見陳述と論告、午後は論告の続きと最終弁論、ひで子さんの最終意見陳述がある。 東京高裁は昨年3月、袴田さんの犯行時の着衣とされた、5点の衣類の血痕の色の不自然さから再審開始を決定。捜査機関による証拠捏造の疑いを指摘した。再審公判で検察側は、金品目的での袴田さんの犯行として改めて有罪を主張。弁護側は、数々の証拠が捜査機関に捏造された冤罪だと無罪を訴えている。 再審公判は「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」が認められた場合に開かれ、袴田さんも無罪の公算が大きい。戦後、死刑確定後に再審公判が開かれた4事件ではいずれも検察側が死刑を求刑し、全て無罪となっている。 |
(5)「袴田さん姉『人間らしく過ごさせて』」≪≪東京新聞、5月23日≫≫
<再審結審 9月26日判決><無罪公算、検察は死刑求刑> (静岡地裁) 1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で起きた一家4人強盗殺人事件で死刑が確定した袴田巌(はかまた いわお)さん(88)の裁判をやり直す再審公判が22日、静岡地裁(国井恒志裁判長)で結審した。検察側は、事件現場近くで見つかった「5点の衣類」は袴田さんの犯行時の着衣と認められるなどとして死刑を求刑。弁護側は、捜査機関が証拠を捏造したと主張し、無罪を訴えた。判決は9月26日。 長期間拘束された影響による拘禁症状が残る袴田さんに代わって出廷した姉ひで子さん(91)は最終意見陳述で、「巌を人間らしく過ごさせてくださいますよう、お願い申し上げます」と訴えた。 刑事訴訟法は再審公判について、「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」が認められた場合に開かれると規定。袴田さんも無罪の公算が大きい。 検察側は論告で、金品を得るための袴田さんの犯行と指摘。最大の争点となった5点の衣類に付着した血痕を巡っては「赤みは残りうる」と弁護側に反論した。証拠を捏造した、との指摘には「非現実的で実行不可能な空論」と否定した。その上で「強固な殺意に基づく極めて冷酷で残忍な犯行」と述べた。検察側は論告に先立ち、「事実を精査し、真実を明らかにしてほしい」との被害者遺族の意見陳述書を読み上げた。 弁護側は最終弁論で、東京高裁による再審開始決定などを引き合いに「検察側の証拠はすでに否定されているか、ほとんど価値がないものだ」と主張。5点の衣類について「袴田さんを犯人に仕立てあげるために捜査機関が捏造した証拠」と改めて訴えた。 5点の衣類は事件発生から1年2カ月後、袴田さんの勤務先のみそタンク内で見つかった。確定判決は袴田さんの犯行時の着衣と認定。再審請求審では、長期間みそ漬けにされた血痕に赤みが残っていたことは不自然かが争われ、東京高裁は昨年3月、弁護側の主張を認めて赤みは残らないと判断。捜査機関による証拠捏造の可能性を指摘し、再審開始を認めた。(足達優人、佐々木勇輝)
☆☆☆「闘い58年 最後の訴え」≪≪東京新聞、5月23日≫≫ 「死刑を求刑します」。被告不在の法廷に、検事の声が響いた。1966年の事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の22日の再審公判で、検察側は半世紀以上前に開かれた確定前の一審と同様、極刑が相当と主張。長期収容による拘禁反応が残る袴田さんに代わって出廷した姉ひで子さん(91)は、動じた様子を身せず、静かに検事を見つめていた。 <袴田さん再審結審> 静岡地裁では26席の傍聴券を求め、支援者ら224人が列を作り、法廷の傍聴席は満席に。裁判官の後ろには、長い審理で積み上がった裁判資料の分厚いファイルが何冊も並んだ。 「強固な殺意」「極めて冷酷で残忍」。論告を担当した男性検事は早口で非難の言葉を重ねた。2時間ほどの読み上げの最後、声色を変えず「死刑を」と求めた。傍聴席から「おかしいでしょ」と女性の鋭い声が上がった。 弁護団は最終弁論で、捜査段階の証拠捏造の可能性を改めて訴え、検察について「何人かは切腹しなければならない」と言及。検事が「侮辱だ」と色をなして抗議する場面もあった。閉廷後、記者会見した弁護団の角替清美弁護士は、有罪立証を最後まで維持し、死刑を求刑した検察に対して「汚点を残した」と強い憤りをあらわにした。 ≪≪袴田さん再審での双方の主張≫≫ ≪5点の衣類≫ 「検察側」犯行着衣で、捏造は非現実的 「弁護側」捜査機関が捏造し、発見直前に隠した ≪衣類の血痕の赤み≫「検察側」残りうる 「弁護側」残らない ≪犯人性≫「検察側」金品を得るために犯行に及んだ 「弁護側」怨恨(えんこん)による複数人の犯行で袴田さんは犯人ではない ≪結論≫「検察側」4人の将来を一瞬にして奪った結果は極めて重大 「弁護側」国家の重大な犯罪行為 「検察側は『死刑求刑』」 「弁護側は『無罪を主張』」
<「真実明らかに」被害者遺族陳述・検察官が代読> 再審公判では、事件で殺害されたみそ製造会社専務の孫が書面で意見陳述した。書面は検察官が自席で代読。冒頭で「尊い4人の命が奪われたことを忘れないで」と訴え、「事実を精査し、真実を明らかにして」と願いを伝えた。袴田さんに言及することはなかった。 孫は、自身の母である専務の長女が、事件で家族を失ったことで「計り知れないほどの悲しみと恐怖を感じ、重度のうつ病にかかった」と述べた。2014年に静岡地裁が再審開始を決定する直前に亡くなったという。 読み上げられた書面では、事件で生き残ったことなどを理由に長女がネット上で犯人視されてきたことや、「自殺した」とうわさされたことを明かし、「根拠のない話」と強調。再審公判で、事件の真相が解明されることを望んだ。(佐々木勇輝)
☆☆☆<「お母さん、真実を立証して帰りますからね」弟の手紙朗読>≪≪5月23日、東京新聞≫≫ <ひで子さん最終意見陳述全文> 袴田巌さんの姉ひで子さんの最終意見陳述全文は次の通り。 ひとたび狙われて、投獄されれば、肉体深く食い込む虐待、あの虚偽、虚構の、覆われた部屋、あの果てしなく、底知れぬめまい、もはや正義はない、立ち上がって、めくらむ、火花、壁に飛び散る赤い血、昔の悲鳴のように、びくりとし、立ち上がっても、投獄されれば、もはや帰れない、もはや正義はない。十三夜のお月さんが、南東に昇った7時の獄である。 息子よ、おまえはまだ小さい、分かってくれるか、チャンの気持ちを、もちろん分りはしないだろう、分からないと知りつつ声の限りに叫びたい衝動に駆られて成らない、そして、胸いっぱいになった、真の怒りをぶちまけたい。チャンが悪い警察官に狙われて逮捕された、昭和41年8月18日その時刻は、夜明けであった。おまえはおばあさんに見守られて眠っていたはずだ。 今朝方、母さんの夢を見ました、元気でした、夢のように元気でおられたらうれしいですが、お母さん、遠からず真実を立証して帰りますからね。 弟巌の手紙です。そして、47年7カ月、投獄されておりました。 獄中にいる時は、つらいとか悲しいとか一切口にしませんでした。 釈放されて、10年たちますが、いまだ拘禁症の後遺症といいますか、妄想の世界におり、特に男性への警戒心が強く、男性の訪問には動揺します。玄関の鍵、小窓の鍵など知らないうちにかけてあります。就寝時には電気をつけたままでないと寝られません。釈放後、多少は回復していると思いますが、心は癒えておりません。 私も一時期夜も眠れなかった時がありました。夜中に目が覚めて巌のことばかり考えて眠れないので、翌日の仕事に差し支えがあるために、お酒を飲むようになり、アルコール依存症のようになりました。今はというより、随分前に回復しております。 今日の最終意見陳述の機会をお与えくださいまして、ありがとうございます。 長き裁判で裁判長さまはじめ皆さまには大変お世話になりました。 58年闘ってまいりました。私も91歳でございます、巌は88歳でございます。 余命いくばくもない人生かと思いますが、弟巌を人間らしく過ごさせてくださいますようお願い申し上げます。 袴田ひで子
<袴田さんと支援者 日課のドライブへ> 袴田さんはこの日、支援者の車で日課のドライブに出かけるなどして浜松市内で過ごした。支援者によると、再審公判を報じるニュース番組を袴田さんが見ないようにするため、いつもより遅い時間帯まで外出した。 ひで子さんによると、この日朝、静岡地裁に向かう際に「静岡に行くのは今日でおしまいだでね、夕方帰ってくるでね」と声をかけると、袴田さんは「あ、そう」と答えた。自宅で飼う猫を見つめて優しくほほ笑むなど、明るい表情も浮かべていたという。 |
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