2024年2月15日第256回「今月の言葉」≪≪「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」とは何か?③(自民党国会議員)≫≫
(1)リクルート事件や東京佐川急便事件や統一教会の問題等々。何故、色々な問題が発生しながら、自民党は逞しく生き延びているのだろうか。
自民党の国会議員が逞しいから、何度も、何度も、崖から這い上がってこられるのでしょうか? このホームページをご覧くださっている皆様は、自民党国会議員の皆さんの逞しさをどのように思われますか? 最近のトラブルの一部を下記に掲載しましたが、もうウンザリするほどのゴタゴタではないでしょうか?それなのに何故、自民党国会議員は、逞しく・・・・・多分、今回もまた逞しく生き延びるのではないかと私・藤森は推測していますが、少なくとも、今までは、何故、逞しく生き延びてこられたのだろうか、と思いませんか? それは自民党の有力国会議員の多くが「二世、三世、四世」だから、国会議員になった瞬間に、もう、すでに「有力な国会議員の卵」であるからだと私は推測しています。 しかし、そこに、もう一つの「有力な意味合い」があると私は思っています。そのもう一つの「有力な意味合い」は、最後の(5)で、私の結論を申し上げます。 |
(2)「『政治とカネ』国会 岸田首相は乗り切れるのか」(日刊ゲンダイ、2024年1月29日)
<裏金の解明をはぐらかす幹部追及のバカ騒ぎ> <略> 「自民党は派閥の連合体で、派閥解消のたび復活を繰り返してきた歴史がある。リクルート事件を受け、1989年に策定した党の『政治改革大綱』には、派閥解消の決意や党幹部・閣僚に就いた際の派閥離脱を明記。それよりも中間とりまとめは大きく後退し、『ほとぼりが冷めるまで待てばいい』との開き直りがにじみ出ています。この35年間での党の劣化を物語り、カネとポストを求める以上、実態は変わりません。今度もまた派閥の『偽装解散』で終わるのは歴然です」(立正大学名誉教授・金子勝氏=憲法)
☆「茂木幹事長『ポスト岸田』から消えた」(日刊ゲンダイ、2024年1月29日) <小渕優子が号砲> 裏金事件の対応をめぐり、内ゲバ状態に陥っている自民党で派閥解散の動きが広がっている。総裁派閥かつ第4派閥の岸田派(宏池会)、最大派閥の安倍派(清和会)、第5派閥の二階派(志帥会)、最小派閥の森山派(近未来政治研究会)に続いてきのう(26日)、谷垣グループ(有隣会)も解散を決定。残った塊は第2派閥の麻生派(志公会)と第3派閥の茂木派(平成研)だけとなったが、プリンセスの退会が号砲となり、幹事長派閥から離脱者が続出。茂木幹事長が隙あらば狙う「ポスト岸田」の目はついえた。 通常国会が招集されたきのう、小渕優子選対委員長は茂木派に退会届を提出。平成の政治改革で自民党がまとめた「政治改革大綱」を持ち出し、「党幹部は在任中、派閥を離脱することが掲げられている」ことを理由に挙げた。 「小渕さんが抜けたことで、党4役で派閥に所属しているのは茂木幹事長ただひとり。渡海政調会長はもともと無派閥ですし、森山総務会長は自派を解散した。茂木派を離脱するのか、幹事長を辞任するのか。茂木幹事長は進退を迫られた格好です。相変わらず人望がなく、参院側と折り合いが悪い茂木幹事長が派閥を離れたら総裁選に向けた足場を失う。カネとポストを差配できる立場を手放したら見向きもされない。究極の二択です」(平成研関係者) <後略> |
(3)「『不明』だらけの政治資金収支報告書」(日刊ゲンダイ、2024年2月9日)
<安倍派8億円脱税疑惑> <略> 「こんな『不明、不明、不明』の収支報告書の訂正は、脱税の疑いのあるマネーロンダリングじゃないですか」 きのう(7日)の衆院予算委員会で立憲民主党の後藤祐一議員は、裏金議員による収支報告書のずさんさを取り上げ、岸田首相にそう迫った。 問題となったのは、自民党派閥の中で最も裏金をこさえていた安倍派の「5人衆」だった萩生田前政調会長の収支報告書だ。 萩生田が代表を務める「自民党東京都第24選挙区」は2日、2020~22年分の収支報告書について、安倍派からの寄付計1952万円を追加して訂正。ところが、いずれの年でも「収入総額」「支出総額」「翌年への繰越額」のすべてを不明と記載し、お茶を濁そうとしていた。一体、いつ、いくら、どこで使ったのか、サッパリ分からないのだ。<後略> |
(4)「安倍洋子さん死去」(東京新聞、2024年2月5日)
<95歳 元首相・晋三氏の母> 安倍晋三元首相の母で、岸信介元首相の長女の安倍洋子(あべ・ようこ)さんが4日、死去した。95歳。東京都出身。 1928年、岸元首相の長女として東京都で生まれた。51年に毎日新聞政治記者だった故安倍晋太郎元外相と結婚。晋太郎氏が衆院議員に初当選して以来、選挙に積極的に関わった。 91年に晋太郎氏が死去。後を継いだ次男の晋三氏の政治活動を支えた。三男は岸家に養子に入り、防衛相を務めた岸信夫元自民党衆院議員。
☆故・安倍晋三元首相は、安倍家の次男で、弟の三男・信夫氏は岸家に養子に出て、やがて防衛相になる。 母の洋子さんの父は次男の故・岸信介元首相、弟の三男は佐藤栄作元首相。 |
(5)「自民党 派閥解散」(東京新聞、2024年2月5日、夕刊、白井 聡・しらい・さとし、京都精華大准教授。1977年東京都生まれ。一橋大大学院で博士号(社会学)。専門は政治学、社会思想。著書は「長期腐敗体制」など。)
<理念なき権力への執着> 自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受け、最大派閥の清和政策研究会(安倍派)、宏池会(岸田派)、志帥会(二階派)の解散が決まった(その後、近未来政治研究会=森山派も解散を決定)。特に清和会と宏池会は、自民党の中でも長い歴史を持つ屈指の名門派閥だ。そうした意味で今次の出来事は「大事件」である。しかし、その発生事情は無残なものでしかない。 管見(藤森注・かんけん・見識が狭いこと。また、視野の狭い見解。明鏡国語辞典)の限り、次のような分析が有力だ。パーティー裏金事件では東京地検特捜部による追及が不徹底に終わったものの、岸田内閣と自民党の支持率の下落は止まらない。 こうした中、政権を支えてきた麻生太郎党副総裁は岸田文雄首相に今春の訪米後の退任を迫り、茂木敏充幹事長への交代を画策している。清和会、宏池会、志帥会を立件する一方、志公会(麻生派)と平成研究会(茂木派)は立件しなかった特捜部の捜査は、この流れを後押しするものだ。 首相を辞めたくない岸田が、形勢を一気に逆転しようと打った大ばくちが、出身派閥の宏池会を率先して解散、そこに清和会と志帥会を同調させ、さらにはかねて派閥に対して批判的であった菅義偉前首相とも手を組んで、「派閥解散=政治改革」のイメージを打ち出すことであった。 つまり岸田は、政権の支柱である麻生と茂木から離れ、裏金事件で大打撃を受けた清和会、主流派から非主流派に転落していた志帥会、退陣の経緯から岸田に強い遺恨を抱えているはずの管へと、政権の主柱を切り替えようとしているのだ。 思うに、ここにあるのは途轍もないまでの権力への執着だ。というより純粋にそれでしかない。 <国民不在 存在意義とうになく> しかし、岸田が派閥解散を決断する以前に、派閥の存在意義は権力闘争の手段であること以外になくなっていた。「55年体制」が長らく持続した一因は、政策の志向性やイデオロギーにおいて差異のある自民党の派閥間で権力が交代することで、疑似政権交代が行われていたところにある。 だが、30年前の「平成の政治改革」により衆院の選挙制度が、中選挙区制から小選挙区(比例代表並立)制へ改められたことで、選挙を勝ち抜くために派閥に所属する意味が薄れ、政策志向や政治理念における派閥間の差異も希薄化が進んだ。 この傾向は、2012年12月の自民党の政権復帰以降は顕著になる。安倍から菅、岸田へと首班が入れ替わったところで政策は変わらず、成果の上がらない安倍政権のものが継続されるだけだった。しかも後継者たちは安倍への空虚な「お追従」を口にし、統治の崩壊は止まらなかった。 唯一の見るべき違いは、菅が再生可能なエネルギー重視の姿勢を示したのに対し、岸田は大々的な原発回帰へと踏み込んだ点にある。その岸田が今度は菅と組もうというのであれば、政策も理念もあったものではない。「政策集団」としての派閥の、「権力追求・猟官集団」への鈍化はここに完成することになる。 解散を決めた派閥の議員は「無派閥」になる。一方で菅は党内に以前からある「無派閥グループ」に影響力を持つ。そもそも、自民党国会議員は3桁の人数にのぼる人間集団であり、ここにグループが形成されるのは不可避だ。ゆえに派閥は必ず復活する。 だが国民にとり派閥の存在意義は今や皆無だ。それは自民党自体の存在意義がゼロになっていることの反映に他ならない。
☆さて、私・藤森の結論。 二世、三世、四世の自民党国会議員が何故、有力な議員になるのか、です。 それは「士・農・工・商」の「日本的朱子学」(拙著のp247【第Ⅸ章】「朱子学」「過干渉日本」と「五蘊皆空」)が最大級の影響を与えていると、私は考えています。 日本は選挙をやっているので、「投票」でいくらでも左右させることができますが、その簡単な方法で変えることができないのは、≪≪「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」とは何か?④ー③(自民党国会議員)≫≫の今回のテーマです。 つまり、多くの日本人の「人生脚本」の中に、私が考案した「日本的朱子学」がズッシリと宿っているからだと思っています。 つまり、私たちの多くが「理性や理屈」では色々な価値観を持っていますが、「深層心理」、つまり「人生脚本の根本」には、徳川家康が創案した「日本的朱子学」がこびりついていると、私は考えています。 その「日本的朱子学」が表向き、崩壊したのが「明治維新」ですが、明治という時代になっても、日本人の「深層心理=人生脚本」には、私が「創案」した「日本的朱子学」がハビコッテいて、少なくとも、戦後の自民党国会議員を支えてきていると、私は考えています。 特に、自民党国会議員の二世、三世、四世を選挙で支え続ける選挙民の根底には「日本的朱子学の価値観」が植え込まれている、あるいは、芽生えていると推測しています。 特に、二世、三世、四世の「国会議員」は、「士・農・工・商の“士”」のように思われる「農・工・商」的な選挙民が支えているのではないかと、私は「邪推」しています。だから、自民党国会議員のハチャメチャな対応が可能になってしまっていると推測しています。 |
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