2023年9月15日第251回「今月の言葉」「『般若心経』の神髄『無』『空』とは何か?⑤」

(1)私・藤森がアメリカに行っていた二十代の時のことです。

 あるお母さんが自宅に招待してくださったことがありました。私が家の中に入ると、応接室とでもいいましょうか、ある部屋の壁に、ご家族全員が載っている写真が貼ってありました。

 私がその写真を見ていると、お母さんが「この子は主人の連れ子です。この子は私の連れ子です。そして、この子は、主人と私の子供です」と説明してくださいました。

 それをお聞きした瞬間、私は「おっ!オッ!!おっ!!!と思いました。

 日本ならば、まず絶対にあり得ないことだと思いました。何故でしょうか?それは、私が主張している「日本的朱子学」(拙著のp247ご参照)が蔓延しているからです。

 逆に言えば、この「日本的朱子学」的な人間性から外れていれば、我が子全て(ご主人の連れ子、ご自身の連れ子、ご主人との子供)が変わらず「大切な子供」ですから、なんの拘りもなく、愛する我が子として、同等に、紹介できる訳です。

 つまり、この場合に限れば、「日本的朱子学」的な人間性が無ければ、全ての子供が同等なのです。これが「『般若心経』の神髄『無』『空』とは何か?⑤」です。

 さて、今回は、田中角栄元首相の1年半前の素晴らしい資料を発見しましたので、その資料の前半をご紹介したいと思います。田中角栄元首相の素晴らしい人間性をご堪能下さい。

(2)「田中角栄国難脱出大構想あらば・・・(1)」(小林吉弥氏、夕刊フジ、2022年5月17日

 <50年前に「自主的な資源外交」チャレンジ

 ロシアのウクライナ侵攻への制裁措置として、岸田文雄首相はG7(先進7カ国)首脳のオンライン会合で、ロシア産石油を「原則禁輸」とする方針を表明せざるを得なくなった。

 日本が調達する石油は、ほぼすべてが海外産で、中東産が9割を占める。ロシア産は4%にとどまっているが、今後、G7などが新たな調達先の確保に動けば、当然、原油価格の上昇に直結する。伴って、日本国内の物価高にさらなる拍車がかかることは言うまでもない。

 先行きの見えぬコロナ禍に加え、こうした経済の迷走は、日本が「大きな国難」に直面したと言っても過言ではない。筆者はこの情景を、これまでの統治者の対米一辺倒の追随外交、官僚主導外交のツケが、いよいよ回ってきたと解釈している。

 一方、1972(昭和47)年7月、首相に就任した田中角栄は、日中国交正常化に踏み込みながら、対米一辺倒の外交から「自主的な資源外交」にチャレンジした。旧ソ連(現ロシア)以外にも、フランス、カナダといった具合である。結果、米国石油メジャー資本の反発を買い、これがロッキード事件で足をすくわれる原因になったともいわれる。「米国の虎の尾を踏んだことによる」との見方が支配的ということにある。

 そうした田中による資源外交の展開から、今年でほぼ半世紀がたっている。すでに田中は50年前にして、今のような国際情勢の転変による、わが国の資源エネルギーの枯渇、それによる経済の混乱を読み切っていたということになる。田中の統治者としての先見力、眼力、責任の強さが浮かび上がる。

 平成から30余年、この国は中央集権統治システムがむしろ強化されただけで、構造的な改革はまったく停滞したままになっている。ために、賃金を含めた経済格差1つ取っても、解消からほど遠いのが現実だ。政治家の無責任さ、発想の乏しさによるものとみている。

 いま、この国は20年、30年先の新たな「国家像」が急がれている。田中なら「国難脱出」に、どんな政策、構想を持っていたか、国民に寄り添った統治分析を行ったか。以下、経済・財政の立て直し策を含めて、そのあたりを検証してみることにする。(敬称略)

<<こばやし・きちや氏・・・1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。永田町取材50年余のベテラン政治評論家。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『新 田中角栄名語録』(プレジデント社)、『田中角栄 上司の心得』(幻冬舎)など多数。>>

(3)「田中角栄国難脱出大構想あらば・・・(2)」(小林吉弥氏、夕刊フジ、2022年5月18日)

 <超大型補正予算でコロナ禍対応>

 「全責任はこのこの田中が負う。心配はいらない。政府、国民一緒になって、一刻も早い平常の生活、国の再建を図ろうではないか」

 新型コロナウイルスが猛威を振るい始めたとき、田中角栄が首相なら国民に向けた“第一声”は、おそらくこうだったと思われる。

 国民に寄り添う政治を旨とし、1967年の「羽越豪雨」に迅速に対応するなど、「災害など危機に強い政治家」として定評のあった田中は常にスピード感が身上だった。支援、補填(ほてん)で被災者の損害を最小限にとどめ、国民に安堵(あんど)を与えることに神髄があった。

 コロナ対応でも、次のような対応を取ったことが想起できる。

 拡大予兆が出るや、まず立ち上げたのは強力な「対策戦略本部」だろう。田中自身が本部長となり、当時の政権なら危機管理に精通する後藤田正晴が官僚機構を束ね、竹下登が与野党対策に回り、厚労行政の実績ピカイチの橋本龍太郎が医療関係を仕切る。

 さらに、地球規模で広がりかねないコロナ禍の中、国内経済の安定をにらんで通商政策にも先手を打ち、「盟友」の大平正芳あたりを外交担当とし、それぞれに全権を委ねたと思われる。

 そのうえで、国民一人一人に「一律10万円給付」「マスク配布」、あるいは緊急経済対策に一次補正予算の後、また二次補正を組むなどという手法は取らない。一気に、戦略に基づいた超大型補正で立ち向かうことになるだろう。

 その大型財政出動の論拠は、次のように若手議員などに語った田中の言葉が支えることになる。

 「カネというものはチマチマ使うより、ここというとき、一気に使うべきだ。その方が、効果は何倍も大きい。そして、腹が決まったら、すぐ実行に移すというのが、ワシの流儀だ」

 「いいか。人の痛みが分からんヤツ、目の前に困っている人がいても助けようとしないヤツは選挙に出るな。明日食えない、仕事を失い命を絶たなければならない人に、まず素早く支援するのが当然だろう」

 ために、「一律10万円」などやらない。食えるヤツはちょっと我慢をということである。

 一方で、超大型補正の財源はというと、田中には“回収案”がすでにある。赤字国債の発行はやむを得ず、これに後に受益者負担のほか、あらゆる財源を拾い出して穴埋めできるという知恵である。

 田中は言っていた。

 「政治というものは、突き詰めれば『税』『税制』とどう向き合うかに尽きる。知恵があれば、何とかなるものだ」(敬称略)<<・・・次回に続く>>

≪≪こばやし・きちや氏・・・1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。永田町取材50年以上のベテラン政治評論家。的確な政局分析、独自の指導者論・組織論に定評がある。著書に『田中角栄名言集 仕事と人生の極意』(幻冬舎新書)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『宰相と快妻・猛妻・女傑の戦後史 政治の裏に女の力あり』(大和書房)など多数≫≫