2023年8月15日第250回「今月の言葉」「『般若心経』の神髄『無』や『空』とは何か?④」
(1)今回は、少し違った角度からの「無」や「空」を述べてみたいと思います。
日本はかなり(私・藤森の創案である)「日本的朱子学」が横行しています。ということは「日本的朱子学」の「価値観」から外れることが「無」や「空」に近づくことだと思っています。 逆に言いますと、「無」や「空」が理解しにくい一つの大きな原因は、「日本的朱子学」の価値観に強く染まっているからだと言えるのではないかと私は思っています。 田中角栄元首相について書かれた著名な政治評論家・小林吉弥氏の下記の貴重な資料をご覧下さい。少なくとも、現代の、特に自民党の二世、三世、四世の有力国会議員の皆さんと比較してみて下さい。いかに田中角栄元首相が素晴らしい政治家だったかが証明されています。 田中角栄元首相が素晴らしい政治家だったことは勿論ですが、もう一つは、戦争に負けたことで、それまでの日本的種々様々な価値観がぶっ壊れたために、戦後の日本をしっかり立て直したいという「より純粋な政治家」が、今の「平和ボケ」で「二世、三世、四世」が幅を利かせるような時代の政治家よりも、本当に優れた政治家が、より多く誕生したのではないかと思っています。 その中の代表が田中角栄元首相ではないかと、私・藤森は思っています。私が知る、狭い中の知識ですが、どうも、「ロッキード事件」は、アメリカが絡んだ胡散臭い事件だと思っていますが、今はもう、資料も無くなり、記憶も曖昧になりましたので、これ以上は言えませんが、案外、アメリカが絡んだ、つまり、中国に接近し過ぎたことが原因だったような、そして、巷間言われているような胡散臭い事件ではなかったように記憶しています。 田中角栄元首相は、下記の貴重な資料のように、本当に優れた政治家であり、首相であったことは間違いないと私は記憶しています。どうぞジックリとご覧下さい。 また、2009年に厚生労働省局長だった村木厚子氏(66)が、文書偽造事件で逮捕されましたが、翌年、無罪判決が出ました。が、この事件も、私は「日本的朱子学」的な酷い事件だったと思っています。「日本的朱子学」の本質が深く、深く、本当に理解されると、本当に恐ろしいものですよ。 この「アホらしい日本的朱子学」が日本を牛耳っている馬鹿バカしさを、少しでも、本当に理解される方が、一人でも増えることを祈っています。 |
(2)「低迷永田町 田中角栄の檄(1)」(小林吉弥氏、夕刊フジ、2023年2月21日)
<高ぶる仕事ができなくてナニが政治> <ダイナミズム欠けた今の永田町> 「選挙でよく、『オレは総理になる』なんて言っているヤツがいるが、一体、てめえに何ができるというんだ。そんなヒマがあるなら、選挙区をとことん歩け。歩いて初めて、政治家として困っている選挙区のために、自分がいま一番何をやらなければならないかが分かる。徹底的に勉強してみることだ。気持ちが高ぶる仕事ができなくて、ナニが政治、代議士かッ」 絶大な権力を保持する一方で、国民的人気の高かった田中角栄元首相は、よく若い田中派議員をこう一喝していたものだった。 翻って、昨今の永田町政治はダイナミズムが欠け、低迷振りは目を覆うばかりである。 例えば、岸田文雄政権が看板としている「次元の異なる少子化対策」でも、岸田首相は自民党執行部にその目玉として、児童手当の所得制限撤廃の検討を指示した。 自民党は、旧民主党政権が所得制限撤廃を推進しようとした際、「愚か者」「バラマキ」と痛烈批判をしていた。ここに来て、一転、茂木敏充幹事長が1月末の代表質問で、所得制限撤廃を唐突に打ち出したものだった。 財源論もあいまいなうえ、制度設計への理念もうかがえない。推測すれば、今春の統一地方選挙勝利に向けて、「撤廃」で足並みをそろえた野党の手前、これでは勝利はおぼつかないという焦りだけが先行する党利党略が透けて見える。 稚拙な政権運営と、緻密な議論の欠けたその場しのぎの野党戦略、ともに田中の言葉にあるように「気持ちが高ぶる仕事ができなくて、ナニが政治、代議士かッ」の叱責を受けて当然だろう。 そのうえで、田中は先の若手議員に、こうも言葉をついでいる。 「いいか。誰にも多少の野心、思惑というものはある。お前には、それがもろに言動に出ている。そんなことで、有権者、先輩議員から、かわいがってもらえると思っているのか。問題は、その野心、思惑を表に出さず、どうコントロールできるかだ。それができて、初めて一人前ということになる」 コントロールのできぬ議員が、永田町を徘徊している。国会議員は「4000万円プレイヤー」と言われている。この国はいま、あちこちで財源不足となっている。私は、国会議員は半減させてもいいとさえ思っている。人口が倍の米国に比べても多すぎるということである。 浮いた数十億円で、子供を産み育てられない低所得者の課題を、少しでも補填、払拭した方がマシということになる。 「平等主義」が政治の根底にあった田中の言葉、思いも、そのあたりを指摘しているのではないかと思われる。 ちなみに、ビジネスマンとて同様、時には損得度外視、会社のために“高ぶる仕事”ができなくてどうするということになりそうである。 ≪≪こばやし・きちや氏・・・1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。永田町取材50年以上のベテラン政治評論家。的確な政局分析、独自の指導者論・組織論に定評がある。著書に『田中角栄名言集 仕事と人生の極意』(幻冬舎新書)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『宰相と快妻・猛妻・女傑の戦後史 政治の裏に女の力あり』(大和書房)など多数≫≫ |
(3)「低迷永田町 田中角栄の檄(2)」(小林吉弥氏、夕刊フジ、2023年2月22日)
<真の費用対効果が分かっておらんな> 会計検査院は、国家予算の無駄遣いを指摘する。いかに、政府、政党、政治家が「費用対効果」にいい加減であるかが分かる。 例えば、東日本大震災の復興予算が2020年度までの10年間で、実に7兆6000億余円も使われていなかった。会計検査院は、未使用分の中身を精査して予算を有効活用するよう、国に求めたといった具合だ。 対して、田中角栄元首相は積極財政論者ではあったが、無駄遣いには厳しい目を持っていた。つまり、田中独特の発想の転換による「費用対効果」でカネを有効に使ったということであった。こんな例がある。 田中氏の選挙区(旧衆院新潟3区)の小千谷市塩谷地区に雨乞山(あまごいやま)がある。 戦後しばらくは、この地の小学生などは、どんな雨でも、険しい山道を超えなくては学校に行けなかった。妊婦は病院に行くために大八車で山を越える途中、思うように進めずに時間を要し、結果、流産を余儀なくされるといった具合だった。 やがて、住民たちは、この不便を解消するため、自らツルハシを振るって隧道(トンネル)を掘った。だが、その最中、落盤に見舞われ、働き盛りの若い衆に犠牲も出た。 時に、田中氏はこの塩谷地区が戸数も少なく、票にならぬことを承知の上で、選挙のたびにこの地に入り、住民の苦労に頭を痛めた。手掘りの隧道補修のため予算を取り付けたりと、何くれとなく汗をかいたものであった。田中氏の初当選時、この塩谷地区から出た票は、たったの3票だった。 その後、1972(昭和47)年7月、田中氏は首相の座に就くと、手掘り隧道の隣に、コンクリート造りの「新塩谷トンネル」の建設を着手させた。戸数わずか60戸の“辺境の地”に、あえて調査費、事業費を合わせて約12億円の予算を付けた。それから、10年間をかけてトンネルを完成させた。 その予算付けの際、建設省から「費用対効果」の面から過剰投資ではの声が出たが、田中氏はこう言って押し切ったのだった。 「バカを言うなッ。命をつなぐ道に、人の数で差がつくか。親、子、孫たちも、このトンネルを通る。そうしたなかで、皆が故郷を愛するようになる。それをつくるのが政治家の仕事、政治の役目だ。法律、予算とは、そのためにあるものではないか。真の費用対効果が分かっておらんな」 20世紀のドイツの社会学者、マックス・ウェーバーは「政治とは結局、情熱である」と言い切った。ここでの「情熱」とは、「経国済民」の困っている人々に手を差し伸べる思いを指している。田中流政治には、血が通っていたということである。 |
(4)「低迷永田町 田中角栄の檄(3)」(小林吉弥氏、夕刊フジ、2023年2月23日)
<丸テーブルの気遣い> <私情49%、公51%> 例えば、最近の自民党非主流派の政権との向き合い方を見ていると、「芸」がない。牽制(けんせい)して足を引っ張るか、上手に立ち回って有利なポストを獲得しよう程度の思惑だけがミエミエである。 政治とは、政治家のロマン追求の場である一方、権力闘争の場でもあることから、ある程度は容認できても、いかにも寂しい。ましてや、おなじ党である。建設的姿勢も望まれる。 そこへいくと、田中角栄元首相は多彩な「芸」の持ち主でだった。敵対した相手にも徹底的に気遣いをし、結果として相手を“虜(とりこ)”にしてしまうのが常であった。 こんな話があった。読者諸賢ご案内のように、1972年(昭和47)年、田中氏とのちに首相になる福田赳夫氏は、「角福戦争」という熾烈(しれつ)を極めた自民党総裁選を演じた。結果は、田中氏が勝利した。となると、表向きはともかく、両者はいささかの遺恨を残して当然である。ここで、田中一流の「芸」が出たのである。 正式に首相に就任した直後、田中氏は自ら直接、福田氏に連絡を入れ、官邸に招いたのである。もとより、総裁選での対立を引きずらないための配慮であった。「角福戦争」を前にしても、田中氏は事あるたびに、「(福田氏とは)仲良くしとかにゃいかん」と、田中派議員によく口にしていたことは知られている。福田赳夫という政治家への敬意があった。 福田氏が、官邸に来る時間が迫ってきた。時の二階堂進官房長官の秘書官だった藤井裕久氏(=元財務相、昨年7月死去)が、田中氏にこう言った。 「丸テーブルにしましょうか」 それに、田中氏は即応、こう言ったのだった。 「そうだ。角のあるテーブルでは、対決感が出てしまうな。急いで、丸テーブルに変えろ」 結果、現われた福田氏がまず「おめでとう」と口にし、手を差し伸べると、田中氏はそれを力強く握り返したのだった。 こうした「丸テーブル」の気遣いもあって、その後の両人は、福田氏の田中政権の経済財政政策への批判はあったが、少なくとも背を向け合う関係にはならなかった。 のちに、田中政権の経済政策が行き詰まったとき、田中氏は蔵相に福田氏を指名し、これを福田氏が快諾したのも、田中氏の気遣いが功を奏したとも言えたのだった。 田中氏の名言がある。 「政治家は、たとえ敵対する相手と向き合っても、私情はギリギリのところで49%に抑えるべき。51%は、公に尽くすことを忘れてはならない。特に、トップリーダーの要諦だ」 田中角栄という政治家が、駆け引き優先の政治家を嫌ったゆえんである。安っぽい駆け引きが横行する、昨今の永田町への警鐘でもある。 |
(5)「低迷永田町 田中角栄の檄(4)」(小林吉弥氏、夕刊フジ、2023年2月24日)
<「政治の貧困」の現在“新たな救世主は現われるか”> 最近の永田町のリーダーたちは、「泥をかぶる」を避けるようになっている傾向がある。自分の不祥事は逃げの一手で、その不祥事が派閥の部下ならばクビを切って自分は生き延びるというケースが少なくない。 これでは一朝事あり、いかに軍扇を掲げようとも部下は一致団結して動いてくれない。すなわち、政治権力を掌握し、自らの目指す政治などはできるわけがないということである。 対して、田中角栄元首相は、首相になる前から「泥をかぶる」ことを厭(いと)わず、それはとりわけ首相への手形を確実にした感のあった自民党幹事長時代に白眉であった。 所属した政権派閥、佐藤(栄作)派の“台所”を、いささか危うい橋を渡りながらも最高幹部として、ほぼ一人で面倒を見た。佐藤政権最大のピンチと言われた、閣僚を含めて不祥事が複数続いた「黒い霧事件」では、自らその責任をかぶるかたちで幹事長辞任を余儀なくなれたといった具合だ。 こうしたことが、部下はもとより、派閥議員の信頼を集めるかたちとなり、やがて「ポスト佐藤」での天下取りに結びついたということであった。 田中派の人心掌握術について、かつて筆者は後藤田正晴元副総理から、こんな話を聞いたことがある。 「田中さんは、部下に花を持たせる達人だった。私も官僚時代に予算獲得の陳情を何回かしたことがあるが、一を言えばすぐ十を理解するのみ込みの早さには驚いた。そのうえ、『分かった』と言ったことは100%実行してくれた。すごいのはこの先だ。陳情成果が自分の力だったことは、一切見せつけることがなかった。『まあ、君の熱意にちょっと手助けしただけだ。うまくいって良かったな』という感じで、実にサラリとしていた。皆に、花を持たせてやる。このあたりが、田中さんがやがて官僚社会を席巻した“原点”でもあった」 田中氏には、気に入らぬ相手、部下にも、全力で向き合う勇気があった。ために、「下3日にして上を知る」という言葉の通り、部下たちはこぞって田中氏になびいたということでもあった。下から上は、よく見えるのである。 田中氏は首相になるはるか前から、遠からずこの国の借金が1000兆円を超すことを明言していた。当時、誰も指摘していなかったが、今、その通りになっている。政治的能力の高さも飛び抜けていた。 作家の松本清張氏は、田中氏をこう評したことがある。 「田中角栄は、50年に一度あるかなしかの政界の“天才”である。金権政治という単純なパターンで彼を裁ききることはできない」 その田中氏が首相の座に就いてから、ちょうど50年が経過した。「政治の貧困」が語られるいま、この国は新たな“救世主”が現われるか否かが、問われているようにみえるのである。=おわり ≪≪こばやし・きちや氏・・・1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。永田町取材50年以上のベテラン政治評論家。的確な政局分析、独自の指導者論・組織論に定評がある。著書に『田中角栄名言集 仕事と人生の極意』(幻冬舎新書)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『宰相と快妻・猛妻・女傑の戦後史 政治の裏に女の力あり』(大和書房)など多数≫≫ |
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