2023年4月15日第246回「今月の言葉」「『般若心経』の神髄『無』『空』とは何か?①」

(1)今回のテーマは、人生にとって極めて重要な「課題」であり、そして、多分、誰でも名前だけはご存知の「般若心経「真髄」ですが、正しく、しっかりと「理解」したり、「実践」されることが、ほとんど全く無いという不思議な「人生、最大級に重要な課題」、それが「無」であり、「空」だと、私・藤森は思っています。

 本気になって理解しようと取り組めば、余りにも「簡単な課題」ですが、しかし、人生において「最大級に重要な課題」でありながら、本当の本気になって、この課題に取り組んだり、少しでも「実践」しようとする方々があまりにも少ないことに驚いています。

 多分、現代は、人間として生きる上で、人類史上「空前」に恵まれているために、「無」「空」ではなくて、「有」や、昨年の第232回で強調した「上」のみを追及したくなるという「恵まれた人生」「有」が溢れている社会になったために、それらと真逆な「無や空」に向き合う「人間性」「枯渇」してしまっているのではないかと推測しています?!?!

 さて、2022年2月15日第232回「今月の言葉」「(前編)目指すものは『上』にあるのか?!『下』にあるのか!?③ー①」・・・・・これは「般若心経」の「無と空」を説明する上で、極めて重要ですので、下記に再録しながら、(3)で追加しました。今回、追加したところは、≪≪グリーン色の文字≫≫で表記しました。

 下記は、昨年、第232回の再録です。ご覧ください。

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(1)前回≪≪1月15日第231回「今月の言葉」「”交流分析”の“脚本”とは何か?(映画”ONODA”の補充②ー②)≫≫の次の部分を転載します。

≪≪私・藤森の負け惜しみで申し上げると、私は、社会的な種々様々のことで「恵まれなかった」ことが本当に良かったと思っています。もちろん、負け惜しみですが、何もかも、恵まれなかったことで、私自身の内面に「本気」で取り組まざるを得ない・・・という「幸運」に恵まれました。≫≫

 さて、世の中で評価される全ての物事は≪≪上≫≫にあることをご存知でしょうか。「学問」にしても、「スポーツ」にしても、ピアノやギター・絵画などの「芸術」にしても、「会社などの経営」にしても、職人の「技術」にしても、物事のすべてが「高く評価」されるものは≪≪上≫≫にあります。

(2)さて、先日、社会的業績として、ある一流の活躍をしている方から、あることに関して、私に対して、貴重なアドバイスをくださいました。

≪≪○○様の貴重なご意見のお陰で、色々な気づきが深まり、そして貴重な資料に気付くこともできて、長年の私の考えを整理することができましたことを心より深く感謝申し上げています。
 その「認識」を理論化してみましたので、お読み賜れば幸いです。≫≫

 こういう流れの中から、私が長年、認識しながら「言語化」することができなかった「私の考え」を整理することができました。それが≪≪上≫≫≪≪下≫≫の問題です。

 大袈裟に言えば、人生「最大級」に重要な「課題」だと私は思っていますので、じっくりとご覧賜れば幸いです。

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 さて、世の中で評価される全ての物事は≪≪上≫≫にあります。

「学問」「資格」にしても、「スポーツ」にしても、ピアノやギターや絵画などの「芸術」にしても、会社などの「経営能力」にしても、職人の「技術」にしても、物事のすべて・・・種々様々な「業績」「功績」「高く評価」されるのは、自分の立ち位置の≪≪上≫≫にあります。

 しかし、「悟り」「自己回復」「無」「空」を目指す方向は、自分の立ち位置の≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫にあります。

 私は、「学歴(明治大学夜間部中退)は低いし、「資格」はゼロ、「社会的業績」もゼロ、「経済力」もゼロで、≪≪上≫≫を目指す「要素=人間性」の全てがゼロの人間です。

 そういう意味で、私は「存在価値が低い人間」です。

 その「存在価値が低い」私が、何とか人生をより良くしたいとジタバタした結果、唯一の「取り組むべき価値」を見いだしたのが、≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫でした。

 

(3)その幸運に恵まれた私が「目標」としてきた≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫を下記に列挙します。

≪≪下記の日本の代表的な「道元禅師」「空海」「一休禅師」などの、超一流の素晴らしい言葉は、超一流に簡単な事なのです。しかし、多くの方は、ほんとんど全く、実践されていないし、難問奇問(大変な課題)だとおっしゃるある指導者もいらっしゃるほど、正しく理解されていない現状は驚くべきことです。

 何故か?それは私・藤森流に言う「下」にあることだからです。世の中のほとんど全ては、「上」にあるものが人生の目標であり、そのように説明され、ほとんど全ての人が実践されていることだから、「下」にある極めて簡単なことが実践されずに、そして、最高級に重大な課題だと言われながら、ほとんど全く「実践」されていません。

 解説を入れてありますので、ジックリとご覧ください。≫≫

道元禅師(どうげん・ぜんじ、鎌倉初期の禅僧。日本の「曹洞宗」の開祖は言います。「仏道をならふとは、自己をならふなり」。

 これを私流に言うと、自分の「深層心理(下)」を理解することです。

≪≪「仏道」を習う人、学者も指導者も誰も彼も、「仏道」に詳しい人は沢山いますが、「自己をならふ」人は、本当に、本当に少ないか、とっても「浅いレベル」です。≫≫

聞くままに また心なき身にしあれば 

            おのれなりけり 軒の玉水  <道元禅師>

≪≪「おのれなりけり」が極めて大事なことです。世の中のほとんど全ては、「おのれなりけり」のことを「相手のこと」だと錯覚しています。これを「深層心理」では、「投影」と言います。世の中のほとんど全ては、「自分のこと(深層心理)」を「投影」して、「相手のこと」だと錯覚し、「不愉快に感じられる物事」に対しては、相手を「批判」しています。

 ウクライナを攻撃しているプーチン大統領も、習近平国家主席にしても、そして、さんざん自民党を攻撃してきた野党、特に今回の立憲民主党「小西洋之参院議員の『サル・蛮族』発言」などに対しての拙い対応なども、多くは、見たり、聞いたり、感じたりする対象の問題と、「自分の深層心理」との関係性が、多分、ほとんど全く理解されていない可能性を、私は感じています。

 自民党国会議員の「世襲問題(岸信夫前防衛大臣の長男・信千世氏や、岸田首相の長男・翔太郎氏の『主席秘書官』とも言われる「政務秘書官」のロンドン、パリ、公用車で観光三昧疑惑)」、小池都知事の「神宮外苑再開発」「新築の戸建て住宅などへの太陽光パネル設置の義務づけ」などの問題や、「福岡『レジオネラ菌』で、週1回以上必要な湯の取り換えを年2回しか行わなかった福岡の老舗旅館」なども巨大な「軒の玉水」だと私・藤森は思っています。

 「政・官・財スキャンダル」(2023年4月12日、日刊ゲンダイ、構成=竜孝裕氏・ジャーナリスト

<財界通>いや、驚いた。7日夕に首相官邸で初会合があった。「こども未来戦略会議」(議長・岸田首相)は、顔ぶれの選び方も運営の仕方もお粗末だったな。

<政界通>同感だ。閣僚が首相以下10人、有識者らが19人。こんなに大勢では議論のしようもない。しかも、年間に数兆円は必要だという子育て支援の財源をどうするかという宿題に、的確な答えを出せるプロが少ない。<略>

<政界通>しかも、有識者に割り当てた発言時間は1人1分半だけ。出席者が「そんな短時間に言うべきことを言えというのは『瞬間芸』を見せろというのと同じで、内容が深まらない」と怒っていた。<後略>≫≫

私(藤森)が提唱していること、「自己回復」するということは、「深層心理」に植え込まれた自分の「見たことも、感じたことも無い(?)自分自身」の「『脚本』を改善すること」です。

「般若心経」の極致「無」「空」を悟るのも「脚本」に植え込まれた「思い込み」、これを私は「虚(虚像)」と言っていますが、この「虚(虚像)」を作り上げている「思い込み」を「解放」して「虚(虚像)」を「実像化」することが「無」「空」を悟ることだと定義しています。

≪≪まさに、今回の「課題」を、1年前にどんぴしゃりに書いてありました。多くの方には、これだけでは理解しにくいと思われますので、さらに詳しく説明を続けます。≫≫

禅の公案(こうあん)に「如何是仏(いかなるか、これ、ほとけ)」があります。

 雲門(うんもん)云く「乾シケツ(かんしけつ・・糞かきべら)」・・・落とし紙、今で言うトイレット・ペーパーの無い時代は、篦(へら)で以て用便のあとを拭ったと言われています。使い方が荒ければ肛門が傷みますし、早きに失すれば便が残ります。ちょっと油断すれば指先を汚します。親切にしかも沈着を以て、緩急よろしく、一心をこめて篦になり切る。雑念妄想を一切許さず、一所に懸命、全身全霊を打ち込むところ、これこそ仏心と申せましょう。
・・・万に一つの望みもないような僥倖を外部に求める心の弱さが、案外に、インテリと自認している人達に多くあるのは、全く不思議です。       <「白隠禅師 坐禅和讃法話」春見文勝先生著、春秋社>

≪≪「僥倖を外部」に求めず、「仏心」を活用したいですね!!!ここでいう「仏心」とは、私流に言いますと、「深層心理」に取り組んで、「自己回復した自分」だと解釈しています。「自己回復」については、このHPの表紙をご覧ください。【☆☆☆「自己回復」とは?】ご参照≫≫

仏法遥(はるか)に非ず。心中にして則ち近し    <空海>

≪≪「仏法」「心中」にあるのですから、いかに近いところにあるかです。1日24時間、1年365日、常に、我が身と一緒に存在しながら、それが全く分からずに、私たちは遠くに求める「致命的な欠陥(投影)」があります。≫≫

言って行ぜざれば 信修(しんしゅ)とするに足らず  <空海>

≪≪「立派なことを言うこと」が素晴らしいことだと思い込まれています。とくに天下泰平な世の中ほど、この傾向が顕著です。昭和の時代は、戦争という凄まじい体験をした人がほとんど全てでした。しかし、その後の泰平な世の中は、本当に素晴らしい社会です。それ故、「立派なことを言うことだけ」の社会になってしまったように、私・藤森には感じられます。

 私自身の人生の特徴は、「戦後の昭和」を「戦中」のように生きてきた、生きざるを得なかったからではないかと思っています。

 「田中角栄の檄」(夕刊フジ、2023年2月21日、小林吉弥氏)

 「選挙でよく、『オレは総理になる』なんて言っているヤツがいるが、一体、てめえに何ができるというんだ。そんなヒマがあるなら、選挙区をとことん歩け。歩いて初めて、政治家として困っている選挙区のために、自分がいま一番何をやらなければならないかが分かる。徹底的に勉強してみることだ。気持ちが高ぶる仕事ができなくて、ナニが政治、代議士か

 絶大な権力を保持する一方で、国民的人気の高かった田中角栄元首相は、よく若い田中派議員をこう一喝していたものだった。

 翻って、昨今の永田町政治のダイナミズムが欠け、低迷ぶりは目を覆うばかりである。<後略>(小林吉弥氏・早稲田大学卒業。永田町取材50年以上のベテラン政治評論家)≫≫

大智は愚なるが若(ごと)し            <空海>

≪≪まさに、1年前の「上」「下」論の極致がこれです。「大智」は「上」にあり、「空海」が言いたいであろうと推測する「賢」は、私の言うところの「下」にあると思っています。≫≫

十界(じっかい)の有る所、これ我が心なり       <空海>

 地獄(瞋恚しんい・怒り)餓鬼(貧欲・とんよく)畜生(愚かさ)修羅(争い事が好き)人間(四苦八苦)天上(有頂天の人の不幸を知らぬ)声聞(しょうもん・道理の法に耳を傾ける)縁覚(えんがく・自然の道理を身につける)菩薩(自分をギセイにしても、縁のある人を助ける)如来(仏・この世のものに全く執着がない世界)

≪≪私・藤森が推測するに、「地獄・餓鬼・畜生・修羅」辺りが「深層心理に振り回されている私たち(下・下級)」、「人間・天上・声聞」辺りが「一般に認識する私たちの人間性(中・中級)」、「縁覚・菩薩・如来」が「悟りを開いた僧侶(上・上級)」・・・このように推察していますがいかがでしょうか?≫≫

よもすがら ほとけの道を たづぬれば

        わが心にぞ たづねいりける    <一休禅師>

≪≪よもすがら ほとけの道を たづぬれば 我が“深層心理”にぞ たづねいりける(藤森)。「空海」の「十界の意味」に近いですね。≫≫

白隠禅師「坐禅和讃」

   衆生本来仏なり 水と氷の如くにて

   水を離れて氷りなく 衆生の外に仏なし

   衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ

   譬えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり

     <略> 

≪≪私たち人類は、まさに、「渇」を叫んで、人生をジタバタしながら、生きているのではないでしょうか。ウクライナのようにしなくても、「水」はいくらでもあるにもかかわらず、プーチン大統領は「渇」を叫んでいます。≫≫

上善は水の若(ごと)し。水は善く万物を利して争わず。

  衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(近)し。<老子>

【【最善のあり方は、水のようなもの。水はあらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく、みな厭だと思う低い所に落ちつく】】

≪≪「水」は、本当に素晴らしいですね!!!私たちは、1歩でも2歩でも、「上」に行きたがる人間性が「深層心理」にこびりついています。「深層心理」という「深い」ところに「不快な人間性(脚本)」が潜んでいるために、少しでも「上」に行きたがる「欲望」が、多分、人類共通の「感覚」ではないかと、私は邪推しています。≫≫

私・藤森の日々の目標(禅語)

<脚下照顧(きゃっか・しょうこ)>・・・「履物をそろえよ」の意から、足もとに注意せよ。真理を外にではなく、自己自身の内に求めよ、の意。

 ですから、私のように「学歴」は低いし、社会的「資格」は無いし、社会的な「業績」がゼロで、経済的にも全く恵まれない人間にとって、唯一、最大の、そして一番取り組みやすい「分野」、最も恵まれた「分野」・・・それが「脚下照顧」です。

 何故ならば、≪≪上≫≫の才能に恵まれていて、社会的立場が恵まれている世の中のほとんど全ての人たちは、人間として本来、最も重要かつ大切な≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫の分野・・・「悟り」や「自己回復」や「無」や「空」などを下に求める「能力・才能」のエネルギーをほとんど全く「所有」していません。

 上に使い切った方が、下に才能を伸ばす「余力」や、「方向性」「人間性」を有しているわけがありません。

 しかし、もし、そういう立派なことを論じることができる場合は、「知的理解=知性や理性」、つまり、頭の良さで考えるだけの「学問」で、実体験の無い「ハウツーもの」だけです。

≪≪私は「負け惜しみ」で言います。若い時は、散々、苦しみましたが、「老境」に達した今は、半分「負け惜しみ」ではありますが、今になって思うと、私は「上」の才能が無くて、本当に良かったと我が身を労っています。毎日が、穏やか平和なのです。「脚下照顧」≫≫

それは「禅宗の宗旨(仏法のおおもと)」で厳しく説いている「不立文字」(ふりゅう・もんじ)ですが、≪≪上≫≫の世界は、「立文字(りゅう・もんじ・学問や知性)」が全てです。

①不立文字(ふりゅう・もんじ・・・真理は文字では表せない)

②教化別伝きょうげ・べつでん・・・経典の文句を離れて、体験によってのみ心から心へと伝えられうるものだ)

③直指人心じきし・にんしん・・・直に自己の心をむずとつかめ、そうすれば)

④見性成仏けんしょう・じょうぶつ・・・自己自身が仏であることが分り、そのまま仏となるのだ)「白隠禅師 坐禅和讃法話」春見文勝先生著、春秋社>

 そして、それは全ての物事に言えることですが、社会的業績が一流の人たちは、≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫さえも、自分の巨大な成功経験に照らし合わせて、「知的理解=知性や理性」を活用して、安易・安直な≪≪上≫≫から目線の「ハウツーもの」の「論理・論法」を構築して、それが絶対なものだと「自負」しています。

 しかし、それは上からの「学問」的な「理屈」や「解釈」を基に、少し下を見ただけの「チャラチャラ」した浅いもので、社会的業績が高いほど下に「実感」するような目が向くわけがありません。むしろ、≪≪下≫≫を犠牲にして≪≪上≫≫を一流にしています。

≪≪例え話をしますと、東京タワーのトップから東京全体を眺めて、「あそこは緑が少ないから公園を作ったほうがよい。あそこは人家が密集しているから、消防車が通れる太い道を作った方が良い。あそこは・・・ここは・・・」と、東京23区を改善するために立派なことを、チャラチャラと言うことは誰でもできることですが、下に降りたら、足元の2~3丁目だけでも「改善」することに一生が必用なほど困難な問題です。≫≫

 私たち人間は全て「未熟」です。世の中の全ての人間は、社会的な分野での活躍が高く評価されていますが、「交流分析」「脚本」は、そういう物事には全く影響されません。

 ですから、私が知る限りでも、一流、超一流の方々、長嶋茂雄氏、夏目漱石、芥川竜之介、太宰治、20年前の事件(東大の英文学の教授・権威と、その教授の息子も教授・権威になりましたが、孫が祖父の権威者を殺害した事件)、日産のカルロス・ゴーン氏、日大のドンの問題(日大の助成金90億円がゼロに)、日本の体操界のスーパーヒーロー内村航平選手の「異常な私生活・モラハラ」と「離婚トラブル」(週刊文春)、卓球の名人・愛ちゃんの離婚トラブル、神田沙也加さん(松田聖子の娘)の自殺、国会議員の不正や逮捕事件、学校の先生達の多くの問題行動・・・切りがありません。

 しかも、「人間性」の全く違う相手(夫婦)と、主として20代の若さでの育児や家庭生活を、毎日「本物の円満」な生活ができたり、穏やかな育児をしたりすることは不可能です。

≪≪もちろん、私・藤森自身が、恥ずかしながら、不可能でした。そういう未熟で、恥ずかしい人間だった私が、本気・本音で、我が人生を「反省」できる今を「幸運」だと我が身を労っています。≫≫

 必ず、不満があったり、言い争いをしたり、我慢をしたり、子どもに過剰な要求をしたり・・・学問やスポーツや芸術や躾などの種々様々な物事で、口うるさく指導したり、過干渉をしたりしています。

≪≪もちろん、これらのほとんど全ては、「親の愛情」です。しかし、これらを「子供の側が“心地良く”」受け止められなければ(受信できなければ)、親の愛情を「愛」として受け止められないのです(「深層心理」が「愛」として受け止められなければ、仮に「上」が一流になっても、「深層心理」は歪まざるを得ません)。

 しかし、それらを「成人」してから、種々様々な事柄から、親の一生懸命の「愛だったと理解」できたり、教えられたりして、「愛」というものを「知的」に理解できても、「深層心理」まで届かないと、問題が色々な形で現われてきてしまいます。「深層心理」を専門にしている私・藤森の理解では、それが3つの形のいずれかに現われてきてしまいます。

 それが拙著のp92の「人間関係を中心にした『森羅万象』と『五蘊』『脚本』」にありますように、「①身体的症状化」「②心理的症状化」「③行動的症状化」の3つの形のどれかに現われてきます。プーチン大統領や習近平国家主席(の「脚本分析」は、最後をご参照)や自民党などの多くの国会議員は、「③の行動的症状化」に現われていると私は判断しています。

 何故ならば、天下国家や国民のために働くことは、それを「職業」とする以上、それらに取り組むことは、通常、それほど難しいことではないと私は推測しています。それを「困難」にしているのは、「打算」「自己利益」を含めてしまう「深層心理」が猛烈に働いているからです。

 次の驚くべき新聞記事をご覧ください。

**2023年4月6日、日刊ゲンダイ「永田町の裏を読む」(ジャーナリスト・高野孟氏・1944年生まれ。週刊メルマガ「ザ・ジャーナル」<http://bit.ly/vmdxub>主幹。著書に「沖縄に海兵隊はいらない!」など。)

 <「戦闘的リベラル」の気風を持っていた鈴木邦男さんとの思い出>

 日曜日に「鈴木邦男さんを忍び語る会」が開かれ、私も発起人のひとりとして出席した。言わずと知れた新右翼団体「一水会」の初代代表で、極右から極左までの幅広い交友を背景に独特の反権力論調を繰り出して多くの人々を魅了したが、この2年ほど体調を崩し、去る1月に亡くなった。

 <略>

 これは言論に携わる者にとっては一番大事な戒めで、自分が取り扱っているのは凶器であるという強い意識を持って自らを制御することをしないと、論敵に意図しないほど深手を負わせて立ち直れなくしてしまったり、また正面の論争相手でも何でもない周りの人たちに無用の淺手を多数与えているのに気づかないでいたりする。

 言論は、自分自身の言説を含めて、怖くて危ない。だから自分が常に正しいとする思い上がりを避けて他人の多様な意見や主張や自分への批判を可能な限り尊重する。そうすると「あの人は優しい」とよく言われる。いや違う。「他人に優しく」することではなくて「自分に厳しく」することが本当の美徳なんですね。そんなことを鈴木と語り合ったことが懐かしく思い起こされる。

 <藤森注・ほとんど全く「親子関係」を論じていることと同じです。親子関係は、親は絶対に正しくて、完全に乳幼児期から青年に達するまで、上記の鈴木邦男氏のおっしゃっているような間違いが「正しい」と思われています。それが「人類の不幸です!!!>≫≫

 ○○様は、文字通りの夫婦円満な人生で、そして、素晴らしい「育児」をされた自信がおありでしょうか?

 私・藤森は今、恥ずかしいほど反省だらけの毎日です。そのため、今からでも対応できる可能な限りのことを、私自身の「反省(罪の償い)」のために、「万分の一」のわずかなことですが、子ども達のプラスになることをやらせていただいています。

 そしてこれを「リ・ペアレンティング=再育児療法」と名づけました(本来は、「心理学用語」です)。これは子ども達のためでなく、私の育児の反省、残されたわずかな「この世の私の人生」のために「対応」させていただいています(拙著のp149~150)

 そういう種々様々な体験の中で、それら≪≪上≫≫の「技能」が卓越した素晴らしい成長をしても、その反面である「本質的な人間性=脚本≪≪下≫≫」が豊かで、心地よく成長している人間は「ゼロ(限りなくゼロ)」だというのが、私の人間の本質を見る「視点=脚本=自己回復(総研)」です。

 ≪≪これが、私・藤森が最も声を大にして申し上げたいこと≫≫です。この場を借りて、本音を「文章化」する機会をいただいたことに、○○様には、心より深く感謝申し上げています。

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 さて、これから極めて重要なことを、失礼を承知の上で、本音で申し上げます。≪≪次回に続きます。≫≫

≪≪「習近平国家主席の深層心理」は、2021年4月15日第222回「今月の言葉」「ウイーケスト・リンクとは何か?㉓『池江璃花子さん』『習近平国家主席③ー②』(weakest link)」の中の(4)「鈴木棟一の風雲永田町」の「習主席『深圳への思い入れ』」≫≫

≪≪「プーチン大統領の深層心理」は、2022年8月15日第238回「今月の言葉」「【脚本分析】と【投影】について②(プーチン大統領)」の中の(4)「プーチンと習近平・世界でもっとも危険なふたり」の<レニングラードのトラウマ>をご参照ください。≫≫