2023年12月15日第254回「今月の言葉」≪≪「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」とは何か?①≫≫
私・藤森の人生に「不思議」なことがありました。
拙著の≪≪『交流分析』の『人生脚本』と『照見五蘊皆空』≫≫は、応援をしてくださる親しい方々がいらっしゃって、僅かな発行部数でしたが、売り切れになりました。 ・・・・・・・・・・・・・ さて、今回の「今月の言葉」です。 (1)拙著の≪≪「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」≫≫とは一体全体、どんな意味だと思われますか? 「交流分析」の一番重要なことは「人生脚本」、つまり「自分自身の脚本を理解・体得」することです。 つまり自分の「深層心理を体得すること」なのですが、残念ながら、「交流分析」を学ぶ多くの人たちが、一般の理論としての「脚本の意味」は理解しても、自分自身の「脚本(深層心理)」に本気で取り組み、しっかり分析して「深層心理」を正しく、正確に理解・把握する人は本当に少ないです。 何故だと思われますか? 「今月の言葉」第232回「目指すものは『上』にあるのか?!『下』にあるのか!?③ー①」、233回「③ー②」、234回「③-③」で解説したように、我々の人生は、少しでも「上」を目指しますので、「下」、つまり自分の「未熟で恥ずかしい分野」をしっかり見つめることは極めて困難を伴うものです≪≪音楽にしても、スポーツにして、学問にしても、各種の趣味にしても、皆、目指すものは「上」にあり、少しでもアップすれば、必ず、周囲が褒めてくれるものです≫≫。 ですから、人間は誰でも「上」を目指します。「上」を目指して、少しでも社会的に「立派」になったり、「社会的評価」を少しでも高めたいと強く欲望します。それが「深層心理」を模索することの難しさであり、自分自身の「下=深層心理」にある醜さを、しっかり、確実に「把握」することが難しいのです。 人間には強い「虚栄心」が誰にでもタップリあり、その上に、見たり聞いたりしたことが無い上に、「自分自身の深層心理」を掘り下げるための「優れた道具」が無いために、「下」を掘り下げることがとても難しいのです。 その人間全体、まさに人類全体の問題であり、そして、人間(人類)全体にとって「最大級に重要な自分の『深層心理=脚本』」を理解することこそが、本来の「自己成長」にとって「最大級に重要」なことであるにも関わらず、このことを理解していただくことそのものが、文字通り、人生で最大級に困難なことであることを、最近、つくづくと「実感」せざるを得ない気持ちでいっぱいになっています。 <<自分の「深層心理」に潜む「人生脚本」を理解・体得すること>> |
(2)上記のように、最大級に重要であり、最大級に困難なことが、一体、何故?未熟極まりない私・藤森が「我が人生脚本」をそれなりに「体得」出来たのだと思われますか?
上記の(1)で述べました≪≪「今月の言葉」第232回「目指すものは『上』にあるのか?!『下』にあるのか!?③ー①」、「③ー②」、「③-③」で解説したように、我々の人生は、少しでも「上」を目指しますので、「下」、つまり自分の「未熟で恥ずかしい分野」をしっかり見つめることは極めて困難を伴うものです≪≪音楽にしても、スポーツにして、学問にしても、各種の趣味にしても、皆、目指すものは「上」にあり、少しでもアップすれば、必ず、周囲から褒めてもらえるものです≫≫。 ですから、人間は誰でも「上」を目指します。≫≫ そうであるにもかかわらず、私のように「未熟な人間」が、何故、この「幸運」に恵まれたのであろうか?理由は2つあります。 一つは、驚くほど不思議なことですが、私は、余りにも素晴らしい「指導者」に全て恵まれたことです。ほとんど全ての指導者が、その道の「第一人者」ばかりなのです。 しかし私は、そういうことを全く知らずに、ただ、無我夢中で生きてきただけの人間でしたが、今回、本を出版するために、指導していただいた先生方の一覧表を作成して初めて「全ての先生方が一流、超一流の先生方ばかり」であることを理解し、私は文字通り、ビックリ仰天しました。 私の人生、最初にご指導いただいた方・・・曹洞宗のあるお寺に偶然にお願いして、私が二十代の若き頃に、最初にお会いできた「監院(かんにん)様」は、その後、「大本山永平寺の管長」、曹洞宗のトップになられた「丹羽廉芳先生」です。 「吉本式内観法」を学んだのは、創始者の「吉本伊信先生」で、このお二人の先生が私のためにお書きくださった「色紙」が2枚あります。 大本山永平寺の管長になられた丹羽廉芳先生には、3ヶ月くらい修行をさせていただいた最後の日、先生のお部屋にご挨拶にお伺いしたときに、ある日の「禅問答」のハッキリしないことを申し上げたところ、その場で、筆と硯を取り出して、私の目の前で書いてくださった半世紀以上も前の色紙が、今も、自宅にあります。 不辨他非 上記の10年後くらいに取り組んだ「吉本式内観法」は、創始者の吉本先生の道場がある奈良県に行きました(1週間の修行を2回、また、ある禅寺での修行を2回、体験しました)。 相も変わらぬ未熟な私・藤森でしたが、その後、同じく、奈良県の「吉本式内観法」に修行にいかれた、私の人生最大のご指導を賜わりました「飛鳥井雅之先生」が、どのような経緯があったのかは不明ですが、吉本伊信先生直筆の「内観」と書かれた色紙を、私のためにご持参賜わりました。 そして誠に不思議なことに、日本最大の指導者でいらっしゃる「丹羽廉芳先生」の≪≪不辨他非・辨自非≫≫と、「吉本式内観法」の創始者「吉本伊信先生」の≪≪内観≫≫が、ある日、私にとって全く同じ意味であることに気付き、本当に驚きました。 そして、「内観」の色紙を奈良県からご持参くださった「飛鳥井雅之先生」は、東洋身心医学総合研究所の主幹をされていらっしゃる先生で、この分野で日本最高の指導者で、私が最も長期に渡りご指導いただいた先生です。 「牧野恭仁雄先生」は、日本で唯一の命名の専門家で、象形文字にまで遡って漢字を解読できる日本の第一人者。世界で唯一の象形文字の解読と、漢字の成り立ちに関しての「世紀の大発見」があります。・・・この牧野先生から長いご指導を受けて、そこからさらに「藤森式」の名前が意味する「深層心理」の解読に、一部、成功しました。 「山下勇先生」は、剣道の二刀流の名人で、シニアクラスの全国優勝が数回おありで、私は三段を合格するまでご指導いただきました。 その他、ご指導をいただいた先生方の全てが、その道の第一人者ばかりだという幸運に私・藤森は恵まれました<拙著のp316~319>。 |
(3)「幸運」に恵まれた理由の2つ目は、私が「上」を目指す才能に全く恵まれていなかった「未熟でアホな人間」だったことです。
「未熟でアホな人間」であった私が、一流、超一流の先生方に恵まれた幸運が、私の「深層心理」を刺激してくださり、極めて重要なことに取り組むための「条件」・・・「幸運」に恵まれました。 「今月の言葉」第249回「『般若心経』の神髄『無』や『空』とは何か?③」で書いた言葉の一部を下記に転載します。
*道元禅師(どうげん・ぜんじ、鎌倉初期の禅僧。日本の「曹洞宗」の開祖)は言います。「仏道をならふとは、自己をならふなり」。 *聞くままに また心なき身にしあれば おのれなりけり 軒の玉水 <道元禅師> *私(藤森)が提唱していること、「自己回復」するということは、「深層心理」に植え込まれた自分の「見たことも、感じたことも無い(?)自分自身」の「『脚本(深層心理)』を改善すること」です≪≪「自己回復」の代わりに、専門家を含めて、世の中のほとんど全てで言われているのが「自己実現」です。この両者の違いは、このHPの表紙に書かれています。≫≫。 *「般若心経」の極致「無」や「空」を悟るのも「脚本」に植え込まれた「思い込み」、これを私は「虚(虚像)」と言っていますが、この「虚(虚像)」を作り上げている「思い込み」を「解放」して「虚(虚像)」を「実像化」することが「無」や「空」を悟ることだと定義しています。 ***しかし、世の中のほとんど全てのエリートは、己の「脚本(深層心理)」に植え込まれた「思い込み」、これを私は「虚(虚像)」と言っていますが、この「虚(虚像)」を作り上げている自己の思い込みを全く理解しておらず、その「思い込み」を、私のような「未熟でアホな人間」に投影して、蔑んだり、高尚なアドバイスを送ってきたりします。 「仏道をならふとは、自己をならふなり」(道元禅師) 「脚本分析するとは、自己をならふなり」(交流分析) 「自己成長・自己回復するとは、自己をならふなり」(藤森弘司) |
(4)*禅の公案(こうあん)に「如何是仏(いかなるか、これ、ほとけ)」があります。
雲門(うんもん)云く「乾シケツ(かんしけつ・・糞かきべら)」・・・落とし紙、今で言うトイレット・ペーパーの無い時代は、篦(へら)で以て用便のあとを拭ったと言われています。使い方が荒ければ肛門が傷みますし、早きに失すれば便が残ります。ちょっと油断すれば指先を汚します。親切にしかも沈着を以て、緩急よろしく、一心をこめて篦になり切る。雑念妄想を一切許さず、一所に懸命、全身全霊を打ち込むところ、これこそ仏心と申せましょう。 *仏法遥(はるか)に非ず。心中にして則ち近し <空海> *言って行ぜざれば 信修(しんしゅ)とするに足らず <空海> *大智は愚なるが若(ごと)し <空海>大智は優秀なるが若(ごと)し<???藤森> *十界(じっかい)の有る所、これ我が心なり <空海> 地獄(瞋恚・しんい・怒り)・餓鬼(貧欲・とんよく)・畜生(愚かさ)・修羅(争い事が好き)・人間(四苦八苦)・天上(有頂天の人の不幸を知らぬ)・声聞(しょうもん・道理の法に耳を傾ける)・縁覚(えんがく・自然の道理を身につける)・菩薩(自分をギセイにしても、縁のある人を助ける)・如来(仏・この世のものに全く執着がない世界) *よもすがら ほとけの道を たづぬれば わが心にぞ たづねいりける <一休禅師> *それは「禅宗の宗旨(仏法のおおもと)」で厳しく説いている「不立文字」(ふりゅう・もんじ)ですが、≪≪上≫≫の世界は、「立文字(りゅう・もんじ・学問や知性)」が全てです。 ①不立文字(ふりゅう・もんじ・・・真理は文字では表せない) ②教化別伝(きょうげ・べつでん・・・経典の文句を離れて、体験によってのみ心から心へと伝えられうるものだ) ③直指人心(じきし・にんしん・・・直に自己の心をむずとつかめ、そうすれば) ④見性成仏(けんしょう・じょうぶつ・・・自己自身が仏であることが分り、そのまま仏となるのだ)<「白隠禅師 坐禅和讃法話」春見文勝先生著、春秋社> ***今回の答え・・・「職人さんの技術」は、色々な資料や統計なども参考にするでしょうが、結局は、「自分固有の技術」を向上させることだと思っています・・・これにこだわりがありすぎた未熟でアホな私・藤森は、自分を何とかしたいとさらにこだわり続けたアホの「極致」ではあります。 しかし、多くの「一流の先生方」は、「色々な資料や統計」などを、我がもの顔に活用している「理論家」ではないかと私は推測しています。 |
(5)≪≪追 伸≫≫
*「福原愛さん米(アメリカ)なら『逮捕案件』」(夕刊フジ、令和4年7月31日) 卓球の元五輪メダリストの福原愛さん(33)とタレントのあびる優(36)に、前夫と子供をめぐる問題が浮上した。 「福原さんは台湾にいる子供ひとりを日本に連れて帰ったそうで、そのことを前夫が『連絡も取れない』と批判しています。同じことをアメリカですると福原さんは誘拐で逮捕される案件」と民放報道局記者は指摘する。(後略) **「妻は33キロに激ヤセ内村航平モラハラ離婚トラブル」(週刊文春、令和4年1月27日) <略>1月14日、品川の「東京マリオットホテル」で盛大な引退会見に臨んだ内村航平(33)。五輪では個人総合二連覇を含む金メダル三個、銀メダル四個を獲得し、“体操界のキング”の名をほしいままにしてきた。 七年には復興相の委嘱で復興応援大使に就任するなど、公的な活動も重ねている。 「美しい体操」で世界一を守り続け、「人間性」の大切さを訴えた内村。最も傍らに居たはずの、妻と娘を守ることはできなかった。 ***「三枝成彰の中高年革命(連載230)」(日刊ゲンダイ、令和4年5月28日) <新しいものを生み出すのは破壊する力だ> <略>先進国で今、音楽家を目指す人はまれだ。4歳から24歳まで毎日8時間の練習を20年間続けなければ、プロにはなれない。<略> かつての日本にはソニーの盛田昭夫さんやホンダの本田宗一郎さんら、常識にとらわれない発想をする人がたくさんいた。だから元気があったのだ。 今の日本の停滞感や閉塞感は、常識を破る人が出てこないことからきている。伝統や道徳は壊すためにあるものだ。忖度は必要ない。「空気」も読まなくていい。無作法でもかまわない。そう考える若者を、親が、学校が、育てなければいけないのだ。<略> ****「山崎元 経済快説」(夕刊フジ、令和5年6月8日) <藤井ブームに沸く将棋界の課題> <略> 「世界」にも関連するのだが、藤井七冠の活躍は幼少の頃から天才を鍛えて育てるシステムの重要性を問いかけている。学問でも、芸事でも、ビジネスでも、これからのわが国は、突出した天才の成果の有無に大きく左右されるだろう。 藤井七冠を見て分かる通り、天才を伸ばすために必要なのは幼少の頃からの徹底的なトレーニングだ。小学校の「飛び級」さえ難しい教育制度に未来はない。(経済評論家) *****「大谷翔平選手」は、いかがでしょうか?次回に、超一流、超人気者、超評判が良い大谷翔平選手について、少し、述べたいと思っています。 |
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