2022年8月15日第238回「今月の言葉」「【脚本分析】と【投影】について②(プーチン大統領)

(1)ロシアのウクライナ侵攻は、絶対に許されないことです。これを大前提にした上で、プーチン大統領の「脚本の分析」「深層心理の分析」をしてみたいと思っています。

 いろいろな情報を集めていると、プーチン大統領の「脚本」が見えてきましたが、それを裏付ける「具体的な事実」が分かりませんでした。しかし、「週刊ポスト」「脚本」を意味する重要かつ具体的な「裏づけ」を発見することができました。

 いまから、いろいろな情報をお伝えしながら、最後に、週刊ポストの情報をご覧になると、どなたでも自然、かつ、簡単に理解できるようになります。一つ一つ、ジックリとご覧ください。その上で、プーチン大統領が「脚本の底の底」に取り入れたことが<<百パーセント間違いないであろう「週刊ポスト」の記事>>の内容をジックリとご覧ください。

 プーチン大統領がウクライナを「ネオナチ」と言う気持ちが、私・藤森にはよく理解できます。

 

「鈴木棟一の風雲永田町『悲惨な戦争責任は米国にも』」(夕刊フジ、2022年4月12日)

 ロシアが侵攻したウクライナの惨状を招いた責任は、誰にあるのか。たしかに、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の「戦争犯罪」的な暴挙は否定できないが、ここにきて、ジョー・バイデン米大統領の責任を問う声も出ている。

 シカゴ大学の国際政治学者、ジョン・ミアシャイマー教授が問題提起した。

 「米国とNATO(北大西洋条約機構)に責任がある。ロシアは『ウクライナのNATO入りは絶対に許さない』と明確に警告を発してきたにも関わらず、西側諸国がこれを無視したことが、今回の戦争の要因になったのではないか」

 これを月刊誌「文芸春秋」5月号で紹介したフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏は、こうも書いている。

 「私も彼と同じ考えで、欧州を“戦場”にした米国に怒りを覚えている」

 こうした見方を、日本国内で主張してきたのが中国分析の第一人者、遠道誉女史だ。

 「ウクライナはバイデン米大統領に利用され、捨てられたのだ」

 その説明を聞こう。

 <遠藤誉氏「NATO入りを強く推進」>

 「もともとウクライナは『中立』志向だった。2008年ごろのある調査では、50%のウクライナ国民がNATO加盟には反対だった。09年にバイデン副大統領(当時)がウクライナで演説し、『NATOに加盟するなら、米国は強く支持する』と語った。これにロシアのプーチン氏が強く反発した。東欧のポーランドや、バルト3国などが雪崩を打つようにNATOに加盟していた。ロシアにとり、ウクライナは『最後の緩衝地帯』だった」

 19年、バイデン氏はウクライナの憲法に「NATO加盟を努力義務とする」といった条項を盛り込ませた。

 極めつけは、昨年12月、バイデン氏がプーチン氏との電話会談で「ウクライナが戦場になっても米国は介入しない」と表明したことだった。

 これが今回のロシア軍の侵攻の引き金になったというのが、大方の見方のようである。遠藤氏は、こう言った。

 「この戦争はバイデン氏には都合がいい。アフガン撤退でNATOから失った信用を、回復できる。それに、米国産の液化天然ガス(LNG)に兵器などを大量に売りさばくこともできるためだ。米国の軍人には死傷者が出ず、まさに『高みの見物』といったところではないだろうか」

 前出のトッド氏も書いている。

 「ウクライナ人は『米国や英国が自分たちを守ってくれる』と思っていたのに、そこまでではなかったことに驚いているはずだ。米国はウクライナ人を“人間の盾”にしてロシアと戦っている」(鈴木棟一氏・政治評論家)

 

「イラク戦争の暴走と酷似する歴史の皮肉」(日刊ゲンダイ、3月14日)

 <略>今回の戦争は冷戦終結から30年、一貫して米国が主導し、米国の世界戦略に基づいてきた「国際秩序」に対するプーチンの挑戦だ。ウクライナ市民の惨状は、プーチンの歴史観では当然の帰結という認識なのだろう。

 軍事同盟の視点で欧州を見渡せば、旧ソ連側のワルシャワ条約機構は1991年に解体したが、欧米側のNATOは残ったまま。ベルリンの壁が崩壊し、90年に当時のベーカー米国務長官は「NATOの東方拡大はしない」と旧ソ連に明確な保証を与えたが、約束は反故。ポーランドやハンガリーなどが次々にNATOに加盟した。 

 以降も米国主導で旧ソ連を構成したバルト3国さえ引き入れ、NATOは東方拡大。その上、隣国のウクライナまでNATOに加われば、プーチンにとっては喉元に匕首(あいくち)を突きつけられたようなものだ。

 「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的惨事」と訴え、旧ソ連の影響圏を復活させる野望を抱くプーチンにすれば、これ以上の欧米側の裏切り行為は許せなかったはずだ。<後略>

 

「歴史から新年号の今を見る『日本史縦横無尽』」(保阪正康氏・日刊ゲンダイ、7月27日)

 <日本を戦争に向かわせたヒトラーのからくり>

 <略>アメリカは日米交渉に乗り気でなくなった。戦争は不可避であり、そのことはいつ交渉が破裂するかの見極めが大切な分岐点になることを意味していた。こうした状況はナチスドイツがソ連との不可侵条約を破り、独ソ戦を進めていったことに端を発していた。それはヒトラーが直接にはスターリンを裏切って始めた戦争であり、間接には日本を世界の動乱に引き込むヒトラーの巧みな誘導作戦であった。<略>

<ほさか・まさやす氏・・・1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。>

 

「バイデン政権を支えているのは軍需産業」(日刊ゲンダイ、3月5日)

 <略>第2次大戦以降、ベトナムやアフガン、イラクなど世界各地で紛争の「火種」をつくっては軍事介入してきた米国。振り返れば、今回、ロシアが軍事侵攻する「火種」といわれる「ウクライナのNATO加盟議論」だって、きっかけをつくったのは米国だ。

 2008年のNATO首脳会議で、ブッシュ大統領(当時)はウクライナとジョージアのNATO加盟を促進する具体策を提案。

 この時はドイツ、フランスが「ロシアを無意味に刺激するな」として強く反対したため実現しなかったが、ロシアを刺激したのは間違いないだろう。<略>

 

鈴木棟一の風雲永田町<遠藤誉氏新著『中国の対ロシア戦略』>」(夕刊フジ、4月21日)

 <狂気のプーチン、笑う習近平>

 <略>ジョー・バイデン米大統領の「悪賢さ」についても言及した。

 「ウクライナは『中立志向』だった。それを崩したのが、副大統領時代のバイデン氏だった。09年ごろからウクライナに入り浸るようになった。『NATOに加盟すれば、米国は強く支持する』と甘いわなを仕掛けた。そしてついに、暴君のプーチン氏がウクライナに軍事攻撃する方向に踏み切らせることに、“成功”した」

 そして、次のような怒りの言葉。

 「昨年12月にバイデン氏はプーチン氏側に電話会談を持ち掛け、『ウクライナで戦争が起きても、米国が参戦するつもりはない』とのシグナルを送った。いざ、『計算通り』に軍事侵攻が始まると、『ウクライナはNATOの一員ではないので、米国に防衛義務はない』『ロシアは核を持っている。米国が参戦すれば、第3次世界大戦が起きる危険性がある』などと詭弁を弄し、ウクライナ国民を塗炭の苦しみの中に追いやった」

 さらに、こう鋭く指摘する。

 「バイデン氏は外交経験で鍛えた『舌先三寸』で欧州を混乱させ、米国の国民が一滴の血も流さず、『利益』だけをいただくことに成功したのである」

 巨視的な観点から、こうも語る。 

 「第2次大戦後、米国は絶え間なく米本土以外の地で戦争を起こし、金もうけをしてきた。その間に失われた人の命などを、将棋の駒のようにしか思っていない。まさに、ビジネスで戦争をしているのだ

 著者の遠藤女史が19日、語った。

 「中国はウクライナでの戦争を『自国をより強大化することに役立つ』とみている。中国はロシアやインド、中東諸国を含めた『アジア・ユーラシア経済圏』を作り、経済面で各国を絡めとろうとしている」(鈴木棟一氏・政治評論家)

(2)「『ビジネス新大陸』の歩き方」(大前研一先生、週刊ポスト、4月1日、第771回)

 <“アメリカ脳”ではわからない・ウクライナ軍事侵攻の背景を“ロシア脳”で読み解く>

 本稿執筆時点(3月11日)では、ロシアのウクライナ侵攻が長期化・泥沼化の様相を呈し、犠牲者や避難民が増え続けている。

 アメリカやEU(欧州連合)はロシアへの経済制裁を強化しているが、それに対し、ロシアのプーチン大統領は「ウクライナが抵抗をやめてロシア側の要求を満たした場合のみ、軍事作戦を停止する」と述べ、一歩も引かない構えである。

 言うまでもなく、ロシアが主権国家のウクライナを侵略することは許されない。私は、自分が主宰している経営者の勉強会「向研会」の視察などでウクライナを何度も訪問し、同国の人々に親愛の情を抱いている。ロシアの軍事侵攻は極めて遺憾であり、速やかな戦争終結・和平を祈るしかない。

 一方、日本のマスコミ報道を見ていると、なぜプーチン大統領が国際社会から非難を浴びることが明らかなウクライナ侵攻に踏み切ったのか、さっぱりわからない。単純にプーチン大統領を横暴で残忍非情な独裁者と批判し、米欧を正義と位置付けているだけである。

 だが、そういうレッテル貼りは、無意識のうちに“アメリカ脳”で世界を見ているからにほかならない。その逆に、ロシアとプーチン大統領の側に立って“ロシア脳”で見てみると、ウクライナ問題には別の一面があることがわかる。

 つまり、“アメリカ脳”だと、ロシアの軍事侵攻は「武力による一方的な現状変更」や「独立国の主権侵害」であり絶対に許されない、となる。だが、そのアメリカもこれまで同じことを繰り返してきたことを忘れてはならない。

 たとえば、イラク戦争。イラクはれっきとした主権国家である。ところがアメリカは、イラクが大量破壊兵器を開発しているとして開戦し、サダム・フセイン大統領を逮捕した。しかし、その後、イラクは大量破壊兵器を開発していなかったことが明らかになった。

 アフガニスタン戦争も同様だ。アメリカは主権国家のアフガニスタンに軍事侵攻し、20年間・1兆ドル(約115兆円)超を費やしながら、結局は逃げるように撤退し、タリバン政権が復活して元の木阿弥になった。

 その前は中南米諸国の主権を蹂躙し続けた。ドミニカ、ニカラグア、グアテマラ、グレナダを武力で侵攻し、1989年にはパナマに軍事侵攻してノリエガ将軍を拘束した。いずれも主権国家である。それらの時に日本はアメリカを非難するどころか、支持した。そうなったのは大半の日本人が無条件に「アメリカは正しい」と考えているからであり、それはすなわち“アメリカ脳”に侵されているということだ。

 むろん、私は親露でも反米でもない。だが、あえて“ロシア脳”で考えれば、プーチン大統領がウクライナ侵攻に踏み切った理由が見えてくる。歴史的な視点からすると、“アメリカ脳”“ロシア脳”の両方を併せ持っていなければ、国際問題に対して的確は判断はできないと思う。

 <勢力圏を削られる屈辱と危機感>

 19世紀以降のロシア(ソ連)は、侵略するよりは侵略されたことのほうが多い国である。1812年にはナポレオンが攻め込み、1918年~1922年には日本を含む第一次世界大戦の連合国がロシア革命に干渉してシベリアに共同出兵した。第二次世界大戦ではナチス・ドイツが侵攻した。

 今回、フランスのマクロン大統領はプーチン大統領との仲介役を買って出た。ドイツのシュルツ首相もプーチン大統領と電話会談を行った。しかし、“ロシア脳”から見れば「フランスよ、胸に手を当てて考えてみよ。ナポレオンは何をしたか?」「ドイツよ、ナチスの侵攻を忘れたのか?」となる。かつて侵略した国が説得しようとしても、聞く耳を持つはずがないだろう。

 そして1991年12月25日、ロシアはソ連崩壊という市場最大の屈辱を味わった。その後、ソ連を構成していた共和国が次々に独立し、バルト3国や東欧諸国は米欧の軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)に飲み込まれた。

 プーチン大統領は、冷戦終結後の1990年代初めに西側は「NATOは1インチたりとも東方に拡大しないと約束した」と主張している。“アメリカ脳”だと「それは正式な外交文書になっていない」と反論するが、“ロシア脳”からすれば約束は約束であり、その後のNATOの東方拡大は「騙された!」となる。

 さらに、友好関係にあるはずの中国もまた、近年はウクライナとの関係を深める一方で、巨大経済圏構想「一帯一路」によってカザフスタンなど中央アジア諸国や黒海沿岸の利権を浸食してきている。ロシアには、周囲の勢力圏をどんどん削り取られているという危機感があるはずだ。

 ただし、プーチン大統領が本心からNATOを恐れているかというと、全く恐れていないと思う。たとえば、今もしNATO軍が動いたら、瞬時にロシア軍が猛反撃して壊滅状態に追い込む自信はあるだろう。

 それよりもプーチン大統領が危惧しているのは、ウクライナ東部ドンバス地域(ドネツク州とルガンスク州)のロシア系住民に対する抑圧だ。同地域は人口の約30%がロシア系で、なかでも親露派分離勢力が実効支配する「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」では70%に及び、ロシアが2014年に併合したクリミア半島と同じような状況にある。プーチン大統領は両「共和国」の希望者にロシア国籍を与え、ロシアのパスポートも発給している。

 そして今回プーチン大統領はそれらを独立国家として承認し、しかも両「共和国」の領土がそれぞれの州全体であると認めるようウクライナに要求している。

 その背景にあるのは、バルト3国におけるロシア系住民への迫害だ。とりわけラトビアは人口の24.4%をロシア系が占めているが、その多くは公務員や正規雇用の仕事に就けず、パスポートも与えられていない。これはロシア国民の多くにとって許せないことであり、ドンバス地域のロシア系住民が同様の境遇になるのを防がねばならないのだ。

 しかし、ゼレンスキー大統領はドンバス地域への“挑発”を続け、この問題を深刻化させていた。どんな理由であれ軍事侵攻は絶対に容認できないが、ロシア側からすれば、ゼレンスキー大統領のやり方が無視できない“暴挙”と映っていたことは想像に難くない。

 今後プーチン大統領はどこへ向かうのか?ゼレンスキー大統領にどんな打ち手があるのか?次号でも“ロシア脳”から考察する。

<おおまえ・けんいち先生・・・1943年生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、本社ディレクター等を経て、94年退社。現在、ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長、ビジネス・ブレークスルー大学学長などを務める。最新刊『日本の論点2022~23』(プレジデント社)など著書多数。HPはhttp://www.kohmae.com>

(3)「プロファイリング 集中連載①プーチンとは何者か」(時事通信社・前モスクワ特派員・平岩貴比古氏、日刊ゲンダイ、2022年4月12日)

 <廃墟から生まれた男はなぜ自ら「ジェノサイド」に手を染めた>

 「市民60万人以上が死亡」・・・。われわれは未来の新聞を読んでいるのではない。これは第2次大戦中に史上最悪の地上戦が展開された独ソ戦で、ナチス・ドイツに900日近く包囲されたレニングラードの民間人の犠牲者だ。大半は餓死ともいわれ、ジェノサイド(集団殺害)と見なされることもある。

 このソ連第2の都市で戦後の1952年10月、一人の男の子が生まれた。

 ウラジーミル・ウラジーミロビッチ・プーチン。誕生から約70年後の2022年、隣国ウクライナを蹂躙し、国際社会を翻弄することになるロシア大統領だ。ミドルネームは「ウラジーミルの子」を意味する。

 <父は独ソ戦の傷痍軍人>

 同名の父ウラジーミルは独ソ戦の初期に傷痍軍人となったことで、逆に一命を取り留めた。母マリアは工場勤務。プーチンは、2人の兄がいたものの戦前・戦中に亡くなっている。父母が40歳を過ぎてもうけた三男で、ある意味「一人っ子」として育った。両親が過酷なレニングラード包囲戦を生き延びなければ、彼はこの世に生まれていない。

 レニングラードは文字通り、革命家レーニンの「グラード」(ロシア語で都市)。帝政ロシア時代とソ連崩壊後はサンクトペテルブルクと呼ばれている。

 新型コロナウイルス禍前は、華々しい「帝都」として欧州や日本の観光客を引き付けた。ペテルブルクっ子はやや控えめな気質ながら、首都モスクワっ子とは毛色が違う。

 大国ロシアのかつての中心、そして包囲戦で犠牲と廃墟を経験してから復興したというプライドがあるのだろう。

 ちなみにプーチン本人いわく、父方の祖父スピリドンはモスクワ郊外で、レーニンや独裁者スターリンの料理人を務めた。

 <繰り返す歴史>

 プーチンが「ウクライナという国はなかった」と言い放ち、2月24日に開始した隣国への侵攻。おびただしい数の難民・国内避難民や犠牲者を生み、ロシア軍の若き徴集兵も戦火に散っている。欧米が参戦せずともゼレンスキー政権を軍事支援する中、「第3次世界大戦」という言葉も現実味を帯びた。 

 死者の9割が銃殺によるという首都キーウ近郊ブチャでの「戦争犯罪」が取り沙汰される一方、南東部マリウポリでは、かつてのヒトラーに代わり、プーチン政権が激しい包囲戦を仕掛けた。ロシア軍がこの港湾都市を占領してしまえば、犠牲者数は闇の中だ。ウクライナ人は「移動式の火葬場」で消されることにおびえる。

 なぜ歴史は繰り返してしまうのか。(つづく)

 

(4「プーチンと習近平・世界でもっとも危険なふたり」(峯村健司氏・ジャーナリスト、数々の国際的スクープで知られるジャーナリスト。朝日新聞から独立後初となる本格的レポート!!週刊ポスト、2022年7月29日)

 <第4回 プーチンをウクライナ侵攻へ駆り立てた父のトラウマ>

 習近平が父親に対して抱いた複雑な想いが今日の彼に影響を与えたように、プーチンもまた、父親の影を引きずっていた・・・朝日新聞と袂を分かったジャーナリストによる連載第4回。

 <もっとも尊敬する人>

 2019年1月22日、モスクワのクレムリン(大統領府)。ロシア大統領のウラジーミル・プーチンは執務室に日本の首相、安倍晋三を招待した。プーチンはあいさつもそこそこに、執務室の奥にある小部屋に安倍を招き入れた。「私の休憩室です。どうぞ入って下さい」

 安倍が通された部屋は、プーチンが仮眠をとったり本を読んだりする時に使うプライベートな空間だった。側近にすら入室を許したことはほとんどなく、外国首脳を招客したのは、極めて異例だった。

 そのおよそ2ヶ月前のシンガポールであった首脳会談で、歯舞群島と色丹島の2島を引き渡すことが明記された1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速させることで合意した安倍を厚遇したようだ。

 安倍が休憩室に入ると、男性の肖像画が目に入った。その人物について安倍が尋ねると、プーチンは目を細めて説明を始めた。

 「これは私の父の肖像画です。もっとも尊敬している人物の一人です」

 27回の首脳会談をした安倍は、プーチンと父との関係についてこう振り返る。

 「雑談の中で父親との思い出話をよくしていました。『優秀な潜水艦乗りだった』と誇らしげに話していたのが印象に残っています。『私が信頼を置く人物は、自分の父親を尊敬している人です』とも言っていました」

 プーチンの父親とは、どのような人物なのだろうか。

 ロシア大統領府のホームページには、「父のウラジーミル・スピリドーノヴィチ・プーチンは、第2次世界大戦でレニングラード(現サンクトペテルブルク)の防衛に参加し、傷痍軍人となった」とだけ書かれている。

 公開情報はほとんどないが、プーチンが自らのインタビューをまとめて2000年に出版した『第一人者』(邦訳=『プーチン、自らを語る』扶桑社)の中で、出自について詳しく説明している。

 プーチンの祖父は料理人だった。ソ連を樹立したウラジーミル・レーニンと、その後任のヨシフ・スターリンの別荘で働いている。2代のソ連の指導者に料理人として使えたことから、忠実な共産党員だったことがうかがえる。

 父、ウラジーミル・スピリドーノヴィチ・プーチンは、海軍の潜水艦乗組員として兵役についた。復員後はソ連第2の都市レニングラードの車両製造工場で勤務した。1941年、ナチス・ドイツがソ連に侵攻すると、志願兵として前線に出征した。諜報活動をする内務人民委員部の部隊に所属し、ドイツ軍の背後で鉄道やインフラを破壊する特殊任務に携わった。後にプーチンが、ソ連の秘密警察、国家保安委員会(KGB)の諜報員になったのも、父の影響があったのだろう。

 <レニングラードのトラウマ>

 プーチンの父はその後、ドイツ軍がレニングラードを包囲した際にも参戦した。ドイツ軍は都市を封鎖することで陥落を狙った。900日に及ぶ兵糧攻めによって、多くの市民餓死や病死した。当時1歳だったプーチンの兄も病死した。内務人民委員部の資料によると、飢えの余り人肉を食べる市民も出たほどだった。

 プーチンの父は、レニングラード郊外のネフスキー・ピャタチョークと呼ばれる激戦地での戦闘にも参加し、片足が動かなくなるほどの重傷を負っている。この戦闘がきっかけとなり、1943年1月のドイツ軍による封鎖突破につながった。

 ソ連は連合国として勝利したにもかかわらず、犠牲者は2700万人に上る。当時の人口の1割以上を失ったことになる。中でもレニングラード包囲戦の犠牲は甚大で、死者は100万人を超えた。 

 プーチンが生まれたのは終戦から7年後の1952年。だが、独ソ戦は、プーチンの人格形成に影響を与えたようだ。≪≪藤森注:決定的!!!≫≫ 

 「父親は戦場でかなりの重傷を負った。何とか生きて帰ってきたが、何ヶ月も入院していた。母親は餓死する寸前だった。空腹の余り気を失って、他の死体と並べられたこともあった。母が生き延びたのは奇跡だと思う。私が生まれてきたことを神に感謝する

 プーチンは大戦中の両親の惨状について、こう振り返っている。

 ロシアで勤務したことがある米政府関係者からプーチンにまつわるエピソードを聞いたことがある。筆者がワシントン特派員をしていた2018年のことだ。プーチンが、面会する要人らに語る父との思い出話があるという。

 「父がレニングラード包囲戦で負傷して動けなくなっていた時、救助してくれた人がいたが、礼を言えないままだった。ある日偶然、『レニングラード市内のスーパーでその恩人と出会えた』と興奮して嬉しそうに家に帰ってきた父の姿を今でも鮮明に覚えている

 プーチンにとっては、父が負傷した戦いには、特別な思い入れがあるようだ≪≪藤森注:決定的!!!≫≫。実際、プーチンはネフスキー・ピャタチョークに、戦争を記念する博物館を2018年につくっている。「だからこそ」と、前出の米政府関係者は強調する。「レニングラード包囲戦を通じて、プーチンは戦争の悲惨さを身に染みて感じています。そのため、プーチンは全面戦争をできるだけ避け、犠牲が少ないやり方を選ぶ傾向にあると分析しています。2014年のウクライナのクリミア半島侵攻の際に激しい戦闘を避けて『ハイブリッド戦争』を選択したのも、『レニングラードのトラウマ』があったからでしょう」(ハイブリッド戦争・軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にした戦い方。国籍を隠した部隊を用いた作戦、サイバー攻撃による通信・重要インフラの妨害、インターネットやメディアを通じた偽情報の流布などがある)

 <父親と兄の復讐>

 ところがこの4年後、この米政府関係者の分析と予測は完全に外れることになった。

 プーチンは今年2月24日、「特別軍事作戦」と称して、ウクライナ侵攻を始めた。多くの民間人を殺害し、ウクライナ南東部のマリウポリでは、ロシア軍が地域全体を包囲して、補給路を断ち、餓死による犠牲もでている。さながらレニングラード包囲戦のようだ。

 ソ連側の一員として同じくナチス・ドイツと戦ったウクライナ大統領のウォロディミル・ゼレンスキーは5月8日のビデオ演説で、ロシア側を厳しく批判した。

 「悪が戻ってきた。別の軍服を着て、別のスローガンのもとに。だが目的は同じだ。ナチスと同じことをしている」

 前出の米政府関係者はロシアに人脈を持っており、長年分析に携わっている。にもかかわらずなぜ、プーチンの思考と行動の分析を誤ったのだろうか。今年3月に改めて見解を尋ねた。

 全面侵攻は完全に予想外でした。クリミア侵攻のやり方とは大きく異なり、同じ人物による戦争とは思えないほどです。父親や兄の復讐をするかのように、ウクライナに対してあえて残虐な行為をしているようにすら感じます

 プーチンは開戦以来、ウクライナ側を「ネオナチ」と執拗に呼称して、攻撃を続けている。さらに、独ソ戦の犠牲者を現在のロシア・ウクライナ戦争と関連づけるような言動を始めた。

 77年前にナチス・ドイツが降伏した「対独戦勝記念日」である5月9日。プーチンはモスクワの「赤の広場」で、父の遺影を持って現われた。軍服を着た若いころの白黒写真で、彫りが深い鋭い眼光は、プーチンと瓜二つだ。

 第2次大戦に従軍した兵士らをたたえ、その遺族や家族が写真を掲げて行進する「不滅の連隊」と呼ばれる行事だ。2012年に不戦と和解を願って、市民団体が始めた小さなイベントだった。

 ところが2015年にプーチンが初参加したことで様変わりする。政府がイベントを直接管理するようになり、政治色が強まった。ロシア全土で1000万人以上が参加する国威発揚のイベントへと変わった。

 <プーチン演説がはらむ矛盾>

 新型コロナの影響で3年ぶりの開催となった今年のイベントは、例年とは趣が異なった。プーチンの演説に如実に表われていた。

 「征服を許さなかった勇敢な戦勝者の世代を誇りに思い、彼らの後継者であることを誇りに思う。われわれの責務は、ナチズムを倒すことだ」

 プーチンの演説は、第2次世界大戦の犠牲者の追悼から、ウクライナ侵攻に携わっているロシア兵へのメッセージへと変わる。」

 「あなた方は祖国のために、未来のために、そして第2次世界大戦の教訓を誰も忘れることがないように戦っているのだこの世界から、迫害する者、懲罰を与える者、そしてナチスの居場所をなくすために」

 第2次世界大戦でロシアが戦ったナチス・ドイツと重ね合わせるように、ウクライナ側を「ネオナチ」と強引に結びつけている。

 そのうえで、プーチンは演説をこう締めくくった。

 「ロシアが行ったのは、侵略に備えた先制的な対応だ。それは不可欠で唯一の正しい判断だった。ロシアのために!ウラー!(万歳!)」

 ロシア兵も「ウラー!」と三唱し、プーチンの演説に応じた。 

 これまでのプーチンの演説の最後は、「勝利の日、おめでとう!」と呼びかけていた。だが今年は、プーチンは国民に団結を訴え、ウクライナへの侵略を正当化したのだ。

 だが、このプーチン演説はいくつかの矛盾をはらんでいる。

 そもそも第2次世界大戦のソ連側の犠牲者2700万人の中には、ウクライナ人も含まれている。戦勝記念日は、世界最大の犠牲者を出したソ連が、犠牲者を悼み、平和を訴えるために開かれてきた。

 一方、今年の式典では、ウクライナ侵攻によって、「ロシアの勝利」ばかりが前面に打ち出された。プーチンの思う通りに戦況が進んでいない焦りが背景にあるのだろう。「プーチンの戦争」を美化するために、父親も含めた第2次大戦の犠牲者をプロパガンダのために利用したといってもいいだろう。

 プーチンの第2次大戦の勝利と愛国主義を融合する動きは、大統領就任の直後から色濃く出ていた。

 当時ナチス・ドイツと戦ったソ連国民の心を支えたのが、ソ連の国歌だった。

 「自由な共和国の揺るぎなき連邦を偉大なるルーシ(ロシアの古名)が永遠に固める」

 勇ましい旋律で愛国主義を鼓舞している。歌詞に手を入れて完成させたのは、プーチンの祖父が料理人として仕えたスターリンで、自身を賛美する歌詞となった。しかし、スターリンの没後、歌詞が批判されて、演奏しか許されなかった時期が続いた。その後、ソ連崩壊とともに破棄された。

 プーチンが2000年に大統領になると、ソ連国家のメロディを復活させ、ロシアを讃える歌詞をつけてロシア国家を制定した。

 <独ソ戦での勝利へのこだわり>

 そのプーチンが始めたウクライナ侵攻は、収束のめどがたっていない。ロシア軍は攻勢を強める一方、ウクライナ軍も抵抗しており、泥沼化している。

 ここで一つの疑問が湧く。プーチンの「レニングラードのトラウマ」はなぜ、戦争の抑止につながらなかったのだろうか。前出の米政府関係者に尋ねた。

 「多大の犠牲を払ったからこそ独ソ戦での勝利へのこだわりが人一倍強いのでしょう。しかもプーチン本人は戦争を体験していない。父から聞いた英雄的な美談だけが記憶に残っているようです。プーチンの『トラウマ』は愛国心に昇華されたのでしょう」

 プーチン自身も、トラウマや危険を恐れず、逆に第三者に対して攻撃的な対応をする性格であることを認めている。『第一人者』の中には次のような文言がある。

 「恐怖とは、痛みに似ていて、感情の目安となる。危機的状況でうまく対応するには、熱狂的にならなければならない。こちらがビクビクすれば、相手は自分たちのほうが強いと思うようになる。そんな時に有効なのはただ1つ、攻めることだ。先手を打って、相手が立ち上がれないほどの打撃を与えねばならない。」

 欧米や日本が、ロシアに対して経済制裁を科しており、経済状況は急速に悪化している。世界銀行はロシアの今年の国内総生産(GDP)の成長率をマイナス11・2%と見込んでいる。だが、プーチンは追い込まれるほど、かえって強硬に出る可能性がある。

 プーチンはどのような出口戦略を描いているのだろうか。この米政府関係者は続ける。

 「独ソ戦は4年間にわたりました。プーチンは長期戦を覚悟しており、どれだけ犠牲を払っても戦争に勝利しなければならないと考えているはずです」

 プーチンがウクライナへの侵攻を続けられるかどうかのカギを握るのが中国の存在だろう。経済制裁によってロシアが孤立する中、中国への依存は高まっている。仮にロシアが停戦をする場合でも仲介者としての中国の役割は欠かせないからだ。

 今のところ盟友、習近平はプーチンを支える姿勢を崩していない。だが、足元の中国政府内では、習のプーチン寄りの姿勢に対して、不満の声がくすぶり始めている。(文中敬称略)

≪≪みねむら・けんじ氏・・・1974年長野県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、朝日新聞入社。北京・ワシントン特派員を計9年間務める。「LINE個人情報管理問題のスクープ」で2021年度新聞協会賞受賞。中国軍の空母建造計画のスクープで「ボーン・上田記念国際記者賞」(2010年度)受賞。2022年4月に退社後は青山学院大学客員教授、北海道大学公共政策学研究センター上席研究員などに就任。著書に『十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』(小学館)など。≫≫

 

(5)≪≪2022年4月15日第234回「今月の言葉」「(後編)目指すものは『上』にあるのか?!『下』にあるのか!?③ー③」≫≫

≪≪(2)さて、話は少し横道にそれますが、プーチン大統領は、もしかしたら、以上のような状況に陥っているのかもしれません?プーチン大統領の「深層心理」を十分に見せてくれる記事がありましたので、下記の東京新聞を紹介します。

 下記の新聞記事だけでなく、小柄な体を思い切り鍛えて、自慢の上半身裸を写真に撮らせたり、「ウィキペディア」によると、柔道サンボの達人であり、愛犬家で、秋田県から贈られた秋田犬に「夢」という名前を付けたりしています。

 オレグ・ブロツキーによる伝記『ウラジーミル・プーチン・人生の歴史』には、彼が7歳のころ、近所の子供たちとケンカをしてボコボコにやられたことから、教訓を得たことが書かれている(夕刊フジ、4月13日)

 さらには、発達障害の一つ「アスペルガー症候群」や、「パーキンソン病」を疑われたり、スターリンを尊敬したりしています。下記の≪≪2021年3月15日第221回「今月の言葉」「ウィーケスト・リンクとは何か?㉒(習近平国家主席③-①)」(weakest link)≫≫で紹介しているスターリンに似ていませんか?

(東京新聞2022年4月7日)<略>自然の摂理に阻まれるロシア軍に、ウェブ雑誌に載った「プーチン大統領の愛読書」を思った。<略>ロシアの詩人・児童文学作家サムイル・マルシャーク『十二月』(邦題『森は生きている』岩波書店)も気になる。

 ロシア版シンデレラともいえる作品で、主人公は継母や義姉にいびられて暮らす心の美しい少女あるときわがままな女王が、真冬なのに4月に咲くマツユキソウを欲しがり、持ってくれば莫大な褒美を与えると言う。継母に命じられ、主人公はこの花を探しに厳冬の森へ。そこで十二の月の精霊たちに遭遇し、不思議な力を貸してもらう。

 最後に継母達はひどい目に遭うのだが、自然の摂理を無視して権力を行使し欲しい物を得ようとした女王へのしっぺ返しは、それに比べ軽く見える。

 プーチン氏はこの作品がお気に入りで孫に読み聞かせているとのことだが、この物語から何の教訓を学んだのだろう。結局苦しむのは庶民だけ、でないことを祈る。(雪解け)(東京新聞)≫≫

≪≪2021年3月15日第221回「今月の言葉」「ウィーケスト・リンクとは何か?㉒(習近平国家主席③-①)」(weakest link)より。

<略>さて、独裁者という人間には、必ず、共通項があります。以下をご覧ください。

 「スターリンによる大粛正」

(前略)ソ連は、独裁者となったスターリンによる「大粛正」を1930年代に経験します。対象となったのは、「資本主義」であるとみなされた人や、革命前の支配階級に属していた人、そしてスターリンが疑いをかけた人々などで、ほとんどが無実の罪で監獄やシベリアの収容所に送られました。逮捕者数百万人、銃殺者十数万人から百万人にも上るといわれ、全体像はいまだ不明です。

 そして、軍事関係者も1937年から38年にかけて、3万4301人の将校が逮捕されたりシベリアへと送られました。「独ソ戦」(岩波新書)の著者で現代史家の大木毅氏によれば、軍の最高幹部101人中91人が逮捕され、その中の80人が銃殺されたといいます。

 他者を信じず、猜疑心とコンプレックスの塊のような性格であったスターリンは、権力維持のためにソ連社会の中核を自ら破壊してしまったのです。(後略)(日刊ゲンダイ、3年3月10日、「大人の基礎ノート・5分で分かる世界史編」「ずさんな作戦で泥沼化した独ソ戦」、津野田興一先生・都立日比谷高校)≫≫

 「見えるものは、見えないもののあらわれ」であることは間違いありません。プーチン大統領のやっていることは絶対に許されないことを前提にすれば、プーチン大統領の行動は手に取るように分かる、見えるのではないでしょうか?

 レニングラード包囲戦の犠牲は甚大で、死者は100万人を超えた。 

 プーチン大統領が生まれたのは終戦から7年後の1952年。だが、独ソ戦は、プーチンの人格形成に巨大な影響を与えたようだ。

 900日に及ぶ兵糧攻めによって、多くの市民が餓死や病死した。当時1歳だったプーチンの兄も病死した。内務人民委員部の資料によると、飢えの余り人肉を食べる市民も出たほどで、死者が100万人お父さんは動けないほどの傷痍軍人になり、お母さんは餓死寸前で死体と一緒に並べられた。次兄も亡くなり、その5年後にプーチン氏が生まれた。

 プーチン氏は誕生後に、これらの話をどれだけ聞かされたであろうか。ついこの間まで、人肉を食べるほどの餓死寸前に追い込まれた市民。900日封鎖されての兵糧攻めで100万人が亡くなったということは、生き延びた市民の皆さんがどれだけ「想像を絶する悲惨な恐怖」を味わったであろうか。

 それらが「深層心理」に強烈に植え込まれているプーチン大統領にとって、NATOは東方拡大はしないと言っている端からどんどんロシアに迫ってきたら、ヒットラーのレニングラード包囲の恐怖が高まってくることは当然のことです。

 しかも、長い国境線を跨いだ全くの隣のウクライナがNATOに入るということは、(絶対に許されないことですが)ロシア脳で考える(そして、レニングラードで900日間包囲されて100万人もの市民が餓死したり戦死した悲惨な経験がある両親の話を聞いて育ったであろう)プーチン大統領(プーチン脳)にとっては「ネオナチ」と言いたくなるのは・・・ではないでしょうか。

 プーチン大統領が絶対に悪いが、東方拡大はしないと言っていた欧米の政治家。ましてやドアの隣までNATO加盟を進めるとは、レニングラード包囲作戦を連想させるのではありませんか?

 そうやって追い詰められたプーチン大統領の「深層心理」はどうであっただろうか?もし、仮に、日本の「四国」が敵の国に乗っ取られたら、我々は、どんな恐怖を味わうのだろうか?

 プーチン大統領と故・安倍晋三元首相とはかなり親しかったようですが、2人の「脚本・深層心理」が似ているように、私は思っています。2人の内容は全く違いますが、そこで味わう気持ち、根本的な感覚が似ているために、ウマが合ったのではないかと私・藤森は推測しています(故・安倍晋三氏の「脚本」はほぼ分かっています。そして奥様との関係性も)。