2022年12月15日第242回「今月の言葉」「『私説・日本的朱子学』『朱子学』について(補足)」

(1)拙著≪≪「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」≫≫p247<【第Ⅸ章】「朱子学」「過干渉日本」と「照見五蘊皆空」>の中のp283<「朱子学」の恐ろしさをじっくりとご覧ください。>の一部を、次に紹介します。

 そう考えると、増改築を重ねて迷宮状態になった古い温泉旅館のような現行システムをさらに拡張する(大前研一先生)日本の「科挙官僚」の気持ちがよく理解できるのではないでしょうか。

 そして日本の「科挙官僚」になるには「(旧一種の)国家公務員総合職に合格することです。

<<儒教は、生きた思想としての活力と引き替えに、不死の権威を獲得したのであった。

「朱子学」が登場するはるか以前、儒教は「経書」を研究する「訓詁学(くんこがく)」として、国家の保護のもと、仰々しく祭り上げられ、そして埃をかぶったまま、誰の心にも響かない御用学問と化していたのだ。(藤森・「経書」とは、孔子など中国の聖賢の著述した書。儒学の経典。四書、五経、九経、十三経の類。「訓詁学」とは、古語を説く意。経典の訓詁注釈を主とする学。)

<略>

 経書という具体的で客観的な書物群の存在が、儒教を権力の側と結びつけ、その生命を長からしめたのである。しかし同時に、そのことが、孔子にとってははなはだ心外と言わざるを得ない儒教の形骸化を導いたのであった。

 同様のことは、朱子学の御用学問化にも言える。朱熹の生きた時代、朱熹の学派は過激な理想主義・原理主義として、むしろ時の権力者からは煙たがられていた。過激な理想主義・原理主義は、腐敗した現実にとっては往々革新的な脅威となりうるということだが・・・<略>

 にもかかわらず、朱熹の死後、朱子学は中国だけにとどまらず、朝鮮や日本でも御用学問となり、体制を支えるイデオロギーになった。

 ここにおいても、経書・・・朱子学の場合は経書の注釈書(藤森・日本の科挙官僚は「倉庫の資料(経書)」の解釈変更)・・・の存在が果たした役割が大きい。>>(「朱子学入門」)

<<朱子学が科挙と結びつくことによって「体制教学」としての地位を揺るがないものにしたことと、儒者には社会の中の確固たる地位が与えられた。つまり、科挙の存在は、儒者に、社会の指導的立場として生きる場所を保証した。

 これに対し、徳川政権は、朱子学を公認しつつも、科挙を行わなかった。それは、当時の日本の支配層が武士であったから。>>(「朱子学入門」)

 しかし、逆に言えば、支配層である「武士」に公認したのは、家康が徳川政権を盤石にするために「朱子学」を導入したと言われていますから、「科挙」と同等、あるいは、それ以上に格式が高いという見方ができなくはないのではないでしょうか。

 さて、井沢元彦先生の<朱子(8)(9)(10)>をジックリご覧ください。その途中の(4)に現在の日本の似ているような面白い記事を挿入しましたので、一緒にお楽しみください。

(2)「絶対に民主化しない“中国の歴史”」(井沢元彦先生、夕刊フジ、2022年6月30日)

 <朱子(8)>

 <「商売は人間のクズのやることか?」> 

 さてここで思想史における朱子がいかに高く評価されてきたか述べるべきなのだが、前回のところで読者から「なぜ朱子学は商売を人間のクズがやることだと考えたのですか?」という質問があった。私としては前回の連載(「お金の日本史」)で詳しく述べたところで、単行本にもなっているのだから、読んでくださいとお願いしたいところだ。

 しかし、そんなヒマはないのに、その部分が気になって先に進めない人もいるかもしれないので、繰り返しになってしまうが簡単に説明する。確かに、いずれこの問題は大きく取り上げなければならないので、既に理解している読者は復習の意味で読んだいただきたい。

 人類は前にも述べたように農耕民族となってから初めて文明が発達した。定住できるようになったからだ。国家も基本的に農民から税の形で米や麦を徴収し運営するという形ができ、国家にとっては農民こそ「良民」であるとの考え方が生まれた。

 ところが商人とは定住せず、或る地方で仕入れた物資を別の地方で仕入れ値より高く売る。それは当然で彼らもボランティアでは無いから、生活費が必要だし物資を輸送するには経費もかかる。それは当然織り込んでいいと現在の経済学は教える。

 だが、実はこうした考え、つまり「商業利益とは正当なものである」という考え方が成立するには東洋でも西洋でも極めて長い時間を必要とした。それどころか、商人とは自分では何も生産しないのに、たとえば100円で仕入れたモノを120円で売り「不当な利益」をあげる「悪人」とみなされた。したがって農業が主体の国家であればあるほど商人は差別された。

 ちなみに、中国史上最大の暴君とされる紂王(ちゅうおう)の国「殷(いん)」は「周」に滅ぼされるのだが、その後の研究で周に倒された王朝は殷という名ではなかったことが判明した。そう呼んだのは周なのだ。では彼等自身は自分たちのことを何と呼んでいたのか。実は「商」なのである。そして彼等は国が滅ぼされた後も民としては生き続けたので生業を必要とした。しかし、田畑は奪われたのでやむを得ず交易や流通業に活路を見出した。そこから「商人」あるいは「商業」という言葉が生まれたとされる。最近はこれを俗説として否定する向きもあるが、私はこれでいいと思っている。なぜなら、これは人類史の法則にそっているからだ。西洋でもローマ帝国に国を滅ぼされたユダヤ民族は農業と決別して交易や流通に活路を見いだし、それによって「良民」とは区別され差別(キリスト教も原因だったが)された。

 ただし、孔子は商人を差別はしていない。不正な金儲けには否定的だが金儲け自体を否定はしていない。それを「商業は人間のクズがやることだ」と極端に誇張したのが朱子学だ。だからこそ澁澤栄一は「孔子はそんなこと言ってないよ」と告発したのである。

 ここもキーポイントで朱子学とは、儒教が持っていた偏見や差別を極端に誇張したものだと定義できる。たとえば儒教にも異民族に対する差別はあったが、それを「異民族など野蛮の極致だから殺してもいい」と叫んだのが朱子学だ。一事が万事この調子で、私には朱子学の主張は極めてヒステリックに聞こえる。では肝心の朱子の著作はそういう叫びにあふれているのか?

 実は、驚くべきことにそんなヒステリックさは微塵もないのである。

(3)「絶対に民主化しない“中国の歴史”」(井沢元彦先生、夕刊フジ、2022年7月1日)

 <朱子(9)>

 <学問しない人間はクズ?> 

 この項目の2回目で百科事典に載っている朱子の哲学者としての評価を紹介した。再録すれば「儒学において空前といわれる思弁哲学と実践倫理を築き上げた」というもので、「空前」というからには極めて画期的で、儒学(儒教)の歴史においては高く評価されているということだ。また西洋では朱子からの儒教を「新儒教」と呼び、それまでの儒教と区別していることも既に述べた。

 どこがそれまでの儒教と違うのかといえば、新たな宇宙論を展開し、それを儒教の伝統的な人間観と結びつけたからだろう。朱子の思想の入門書でもあり集大成でもある「近思録」にはその思想が述べられているが、入門書でありながら極めて難解ではある。思い切りかいつまんで説明しよう。

 まず朱子はこの世界のものすべてが「理と気」によって出来上がっていると述べる。「理」とは何かといえば現代語で一番近いのは「法則」だろう。「ニュートンの万有引力の法則」の「法則」だ。ただし物理学の法則はすべて自然を観察することによって発見されたものだが、朱子の言う「理」はまったく違う。身も蓋もない言い方をすれば、朱子の頭の中で作り出されたものである。

 その「理」によって動かされる物質(人間も含む)が「気」だ。つまり「理」と「気」は別々にあるものではなく対立しているのでもない。常に一体化している。

 だから人間も「理」と「気」でできているわけだが、その人間の構成要素を朱子学では「性」「情」だとする。「性」は男女のことではなく「人間の性質」という意味で「情」は「感情」だ。そして、朱子学では「性」は「理」と一致する(性即理)と考える。つまり人間は生まれながらにして宇宙の法則、それも天が定めた徳(孝や義など)を持っている存在なのだ。性善説、つまり生まれつきの悪人はいないということだ。しかし実際には世の中に悪人はいる。なぜそうなるかと言えば「理」を正しく理解していないからだ。だから「情」が悪い方向に働くことになる。ではそれをどうやって防ぐか?学問をするのである。もちろん学問とは朱子が定めた新しい儒教、つまり朱子学を学ぶことだ。朱子学さえ学べば誰もが聖人(理想的な人間)になることができる。

 簡単にまとめてしまえば朱子学とはこういうものだ。さらに言えば、この独特の宇宙論は風水とも関連付けられた。風水とは「気の流れを制御して幸運を呼ぶ技術」のことだが、基本は中国独特の占いである「易(えき)」に基づくもので、紀元前からあるが科学的な根拠は無い。だが朱子はそれを「理気論」と関連づけた。都をどこに定めるのが正しいか、先祖の墓をどこにするのが良いかなども風水で決めることができ、その理論も朱子学に含まれている。そういう意味で朱子学は「学」とは言うものの、やはり儒教という宗教の一派であることは間違いない。

 このように、朱子学の教えの中には明らかにヒステリックな部分は見当たらない。しかし結果として見るなら朱子学は、東アジアに巨大な害毒をもたらしたことも事実である。なぜそんなことになったのか?私は朱子が儒教を「学問さえすれば聖人への道は誰でも開けている」としたところに大きな「罠」があると考えている。これを裏返しに言えば「学問しない人間はクズだ」ということになるからである。

 

(4大変面白い記事を入手しました。ご覧ください。

 「永田町の裏を読む」<連載486>(ジャーナリスト・高野孟氏、日刊ゲンダイ、2022年12月1日)

 <東大卒がやたらと多い岸田内閣の閣僚に見る法匪性>(藤森注・ほうひせい)

 岸田内閣として3人目の閣僚辞任となった寺田稔=前総務相の国会での答弁ぶりを見ていて、「法匪」という古くさい言葉が頭に浮かんだ。辞書で引くと「法律を絶対視して人を損なう役人や法律家をののしっていう語」「法律を詭弁的に解釈して、自分に都合のいい結果を得ようとする者を指す一種の蔑称」とある。

 若い頃にせっかく勉強して豊かな法律的知識を身につけておきながら、それを天下国家、世のため人のために活用するのでなく、役人や政治家としての自己保身や、もっと悪い場合は、逆に法の裏をかいて人をだまして儲けるなどの悪事を働くのに転用するという、情けない元エリートの姿である。

 寺田の場合は、東大法学部を1980年に出て大蔵省に入り、その2年後には米ハーバード大ケネディスクールに留学し、帰国後は主計局畑を中心に順調に進んで、2004年に政界に転じた。そのような申し分のない経歴を持つ彼のどこが法匪的なのかと言うと、例えば「その件は法律で報告を義務付けられていないので、ここでは答弁を控えさせていただきます」といった語り口である。つまり彼は質問者に対して、私はあなたと違って法律の専門家であって、どこからどこまで報告義務があるのかをきちんとわきまえて答えているのだと言うことによって、威圧感を与えて黙らせようとしている。

 しかし、この人が分かっていないのは、政治家が問われるのは合法性だけではなしに倫理性であり、そればかりか、選挙民との関係では説得姓や共感性こそがむしろ積極的に問われるのだということである。

 人を学歴で差別してはならないことを百も承知で言うのが、寺田だけでなく、その前に辞めた葉梨康弘=前法務相も東大法卒。寺田の後任に当てられた松本剛明総務相も含め、20人の閣僚中に東大法卒が6人も7人もいる。

 それはそれで別に構わないのだが、私の説では、東大法学部の本質は明治の昔から「法匪育成学部」であり、そこで学ぼうとする者は、よほど気をつけて身を処さない限りその悪しき伝染病に染まってしまう。

 だから、いい意味でも悪い意味でも、学歴だけで人は判断できないということである。

<たかの・はじめ氏・・・1944年生まれ。週刊メルマガ「ザ・ジャーナル」(http:bit.ly/vmdxub)主幹。著書に「沖縄に海兵隊はいらない!」など。>

 

**もう一つ、大変面白い記事を入手しました。

 「『日本』の解き方」(高橋洋一先生・元内閣参事官・嘉悦大教授、夕刊フジ、2022年12月10日)

 (上記から一部を拾い書きします。)

≪≪NHKの次期会長に元日銀理事でリコー経済社会研究所参与の稲葉延雄氏が就任することが決まった。~~

 以前は内部からの登用だったが、2008年以降の5人は外部から登用してきた。~~外部の5人は民間人だったのに対し、元日銀は、ある意味で元官僚ともいえる。岸田文雄政権になってから明らかに流れが変わったという印象だ。~~いくら形式的にはNHK経営委員会がNHK会長を指名するとしても、官邸との間で相当程度のすり合わせがないはずがない。~~新総裁の下で長期的に換骨奪胎が行われる可能性もなくはない。≫≫

 

さらにもう一つ、大変面白い記事を入手しました。

 <岸田増税、与党・閣内からも批判続々>、高市早苗経済安全保障担当相や西村康稔経産相。「ヒゲの隊長」こと自民党の佐藤正久元外務副大臣。

 上武大学の田中秀臣教授は「国民に約束した経済成長を否定するに等しい」(夕刊フジ、12月13日)

 私・藤森流に言えば、岸田首相はかなり「日本的朱子学」的な人間性だと言わざるを得ないことを強く感じます。

(5)「絶対に民主化しない“中国の歴史”」(井沢元彦先生、夕刊フジ、2022年7月2日)

 <朱子(10)>

 <埋め込まれた「憎悪と偏見の種子」> 

 絵画であれ音楽であれ小説であれ、人間の作ったものである限り作者のその時の気分や環境が作品に大きく影響する。影響を受けないのは数学の公式くらいだろう。しかし朱子学は哲学であり宗教である。当然作者の個人的状況を考えなければいけない。

 私が何を言いたいかおわかりだろう。「靖康の変(1126年)」だ、この歴史上「中国人の受けた最大の屈辱」が朱子の精神に何も影響を与えていない、などということがあり得るだろうか?

 ≪≪藤森注・・・拙著のp274の7行目~p277の4行目迄をご参考≫≫

 朱子学とは、それまでの宋学、つまり北宋時代の儒学者の思想を、朱子が集大成したものとされる。朱子に最も強い影響を与えたのは北宋の程頤(ていい、1033~1107年)というのが定説だが、程頤と朱子には決定的な違いがある。程頤は靖康の変以前に死んだ、屈辱を味わずに済んだのである。しかし朱子の心には金という異民族国家から受けた大きなトラウマがあったはずだ。

 実は哲学や思想史の研究者はこういう見方をほとんどしない。それこそ、まるで数学の公式を見るように哲学自体を「客観的作品」として見て、作者のトラウマなど重視しない。だからこそどの百科事典でも朱子を「新儒教」の大成者として高く評価している。しかし私は歴史家として、歴史上の人物として朱子を見る。あの時代のすべての南宋人には靖康の変が頭にあったはずだ。南宋という国はそれによって生まれたのだから。

 それにしても朱子の著作にはトラウマに基づくような過激な主張は一切無い、との反論があるかもしれない。そこで思い出していただきたいのが中国人の性格である。そのプライドの高さは異常なほどで、武則天の方が日本のマネをしたのは明らかなのだが誰もそれを言わない。異民族(=野蛮人)ごときに、影響されたことは死んでも認めたくないというのが彼らの心情だ。だからこそヒステリックな表現は無い。

 しかし朱子の主張をまとめると、学問(=朱子学)をやらない人間は決して真理にたどり着けない。つまり野蛮人は絶対に聖人になれないし当然彼等には文化など無い、ということになる。だからこそ、それを深く学んだ島津久光のような人間は、外国文化の優位性を認めてそれに沿う改革をするのを拒否した。また最後の中国ともいうべき「清国」では政治に携わるものは「オール久光」であったからこそ、清国はとうとう西洋近代化が出来ず滅びた。

 それゆえ、そもそも朱子学には、異民族を徹底的に野蛮視する、朱子の「憎悪と偏見の種子」が埋め込まれていたと考える方が、論理的ではないかと私は思う。ちなみに「朱子学入門」(ミネルヴァ書房刊)の著者の垣内景子早稲田大学教授は、朱子の友人からの手紙を引用し、朱子は個人としては「短気で怒りっぽく、怒ると相手を痛烈に批判し、しかもそれが執拗なまでにしつこかった」「困ったヤツ」であったと述べている。私に言わせればそれも靖康の変のトラウマがもたらしたものだ。

 ところで「水滸伝」をご存じだろうか。乱れた世の中を正すために108人の英雄が突然出現し、国を立て直そうとする物語だ。実はあそこに登場する皇帝こそ他ならぬ、中国史上最低最悪の皇帝徽宗なのだ。

 つまり朱子学も水滸伝もそういう意味では漢民族の「あのとき野蛮人に勝ちたかった」という「見果てぬ夢」が生んだものと言えるのではないか。

≪≪いざわ・もとひこ氏・・・1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局入社。80年、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞受賞。独自の歴史観からの作品が人気。夕刊フジの好評連載単行本化『天皇の日本史』『お金の日本史』(KADOKAWA)、『コミック版 逆説の日本史』(小学館)など著書多数。You Tube≫で『井沢元彦の逆説チャンネル』開設中。