2022年11月15日第241回「今月の言葉」「『私説・日本的朱子学』と『朱子学』について③ー③」

(1)「拙著」の中で、いかに「朱子学」がおかしいか、しかも、どうも日本的な特殊性があると思い、歴史に素人ながら、「深層心理」を専門にする私・藤森は、勇気を持って「日本的朱子学」と独自に命名してみました。

 すると、歴史の天才で、私が尊敬している井沢元彦先生が「日本的朱子学」という言葉をお使いになられたので、文字通り、びっくり仰天しました。

 ということは、私・藤森のド素人の「日本的朱子学」という言葉は間違っていなかったのだということが分り、ホッと一安心しています。

 拙著の部分は、前号で掲載した下記の部分を再度、ご覧ください。

 その上で、井沢元彦先生の素晴らしい「朱子」の異常性や「朱子学」の異常性、そして「水戸学」が混入してできた「日本的朱子学」の異常性をタップリとお味わいください。

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 7月15日の第237回、「今月の言葉」の最初の部分、拙著の「日本的朱子学」を紹介したものの内、終わりの一部(拙著のp281~283)を再度、ご紹介します。

<<<<現代日本には「科挙」に代わるものとして現在は、「国家公務員上級職試験」として、(旧一種の)「国家公務員総合職」が「科挙」に相当するものと、私は考えています。

≪≪公務員の中でキャリアと呼ばれ、各省庁の幹部候補生として、事務次官まで昇進する可能性があり、超難関、エリート官僚のイメージが強い。
 人事院は2019年6月25日、国家公務員採用総合職試験の合格者を発表し、「東京大学」が307人で、合格者を100人以上出した大学は東京大学と京都大学の2校。
 2019年度 国家公務員採用総合職試験・出身大学別合格者数(上位10位)。1位「東京大学」307人、2位「京都大学」126人、3位「早稲田大学」97人、4位「北海道大学」81人、5位「東北大学」「慶應義塾大学」各75人、7位「九州大学」66人、8位「中央大学」59人、9位「大阪大学」58人、10位「岡山大学」55人。
 国家公務員試験は、日本を代表する難関試験で、有名大学出身者がひしめき合うなか、合格率は5~6%にすぎない。
 日本三大試験は、司法試験、公認会計士試験と、この国家公務員試験一種試験と言われている。≫≫(参考・ウイキペディア)

 大前研一先生や古賀茂明氏が上記でおっしゃっている内容を読むと、「科挙」や科挙に匹敵する試験をパスして高級官僚になる人たち(主として、東大卒)は、中国における科挙を合格した官僚である「科挙官僚(かきょ・かんりょう)」にそっくりだと、私は思っています。

 私はこれを英語の文法用語を使って、「科挙官僚=過去完了」だと思っています。

≪≪「消えた年金」を修正する作業にも、使い物にならない住基ネットとマイナンバー制度の構築と維持のために、すでに数兆円もの税金が消えている。これ以上、途方もない無駄遣いを繰り返さないためにも、今度こそゼロベースで世界標準の国民データベースを構築すべきなのである。≫≫(大前研一先生)

 「科挙官僚=過去完了」であるにもかかわらず、「現在完了進行形」であることが問題ですから、現在完了進行形の「科挙官僚」を、「過去完了形」にすることが日本の改革に絶対に必要だと思っています。

 そして日本の「科挙官僚」にとっての「経書」とは、先ほどの古賀茂明氏のおっしゃることを参考にすると、<日本の「経書」=倉庫にある大量の「資料」>で、<日本の「訓詁学」=倉庫にある大量の「資料」を、現在の仕事に如何に活用するかの「工夫」>であると、私は考えています。

 そう考えると、<増改築を重ねて迷宮状態になった古い温泉旅館のような現行システムをさらに拡張する(大前研一先生)日本の「科挙官僚」の気持ちがよく理解できるのではないでしょうか。>>>>

 

***何故これほどめちゃくなのか、それが私・藤森が「深層心理」を働かせて「考案」した「日本的朱子学」なのです。特にそれが想像を絶する形で現われているのが、島津久光という、斉彬という名君の異母弟の想像を絶する存在です。以下をご覧ください。

(2)「絶対に民主化しない“中国の歴史”」(井沢元彦先生、夕刊フジ、2022年6月25日)

 <朱子(5)>

 <「鎧兜」を捨てられなかった幕府方の武士> 

 状況を整理しよう。幕末つまり19世紀末の世界は欧米列強がアジアやアフリカを植民地化しようと、全世界に軍隊を派遣していた時期である。日本が常にライバル視してきた中国(当時は清)も欧米の進歩した兵器の前にあっけなく敗れ去った。 

 アヘン戦争はイギリスの侵略だった。悪が栄えたのである。このような状況の中で欧米列強の魔の手は日本にも及んできた。当然、やるべき事はただ一つ、欧米列強の侵略に対抗可能なように、特に兵器の近代化をすることだ。いちはやくそれを実行したのが薩摩藩の名君、島津斉彬で、そのため薩摩は国産で西洋式ライフル銃を製造できるほどの技術力を身に付けた。まだ軍艦は建造できなかったので外国から買ったが、とにかく薩摩はこの時点で近代化に成功していた。

 にもかかわらず斉彬が死んでしまうと、その父斉興と子(斉彬の異母弟)の島津久光は軍艦も最新鋭のライフルも残らず廃棄処分にしてしまった。なぜそんなバカなことをするかといえば、理由はただ一つ、兵器が「野蛮人の技術」によって作られたものだったからである。欧米人という「野蛮人」には文化は無いし技術も無い。まともな国家の人間がそんな怪しげなものを保持してはならず、一刻も早く廃棄すべきなのである。

 そんなこと言ったって、西洋式ライフルの方がはるかに破壊力があって火縄銃じゃ勝てないじゃないか、と読者の皆さんは言うだろう。その通り、それは子供でも分かる話だ。しかし、朱子学に骨の髄まで毒された彼らにはそれが分からない、いや分かろうとしない。「野蛮人に優れた文化などあるはずがない」からだ。彼らは「現実を見ようとしない」のである。

 ライフルが出現してから武士の鎧兜(よろいかぶと)はまさに「百害あって一利無し」になってしまった。言い過ぎではなく事実だ。日本の鎧兜は戦国時代の火縄銃に対応したもので、ライフルの銃弾は防げず銃弾は必ず鎧兜を貫通する。問題は貫通時に鎧の一部分を肉に食い込ませてしまいケガがひどくなることだ。だから「百姓身分」から念願の武士になった新撰組の土方歳三も、鎧兜は捨ててフランス式の軍服にした。鎧兜は重量があり身動きも鈍くなるからライフルの標的になりやすい。だから官軍はそんなものは捨ててしまったのに、幕府方の武士の多くは鎧兜で武装していた。彼らは「鎧兜」という「朱子学」を捨てられなかったわけだ。

 それに朱子学の世界では「火縄銃をライフルに替えられない」、もう一つの大きな理由がある。「祖法(そほう)を変えてはならない」という信念だ。祖法とは「先祖の決めた法(ルール)」という意味で、なぜ変えられないかと言えば、儒教そして朱子学の最大の徳目である「孝」に反するからである。

 といっても、意味が分からない人がほとんどだろう。つまり、こうだ。先祖とは「親の親」である。その親が決めたことを子孫がみだりに変えるのは、「子の分際で親が間違っていると指摘するのと同じ」ことになる。だから「孝」に反し絶対に許されないのだ。それゆえ久光は断髪令に従わず、息子忠義にも「ちょんまげを切るな、西洋医にかかるな」と遺言し、息子は明治になってもそれを守り続けて死んだ。

 それだけではない。そもそも幕府が鎖国を続けようとしたのも「祖法に反してはならぬ」と考えたからなのである。

(3)「絶対に民主化しない“中国の歴史”」(井沢元彦先生、夕刊フジ、2022年6月28日)

 <朱子(6)>

 <先祖の決めたルール決変えられない> 

 日本の歴史学は宗教や思想を無視して事件だけを記録している。お疑いなら高校時代に使った歴史教科書で、日本の江戸幕府が鎖国にこだわった理由を見てください。たとえば「幕府は世界情勢の認識にとぼしかった」などと書いてある。大ウソである。当時の友好国のオランダ国王は日本の幕府に対して開国勧告してくれた(1844)。このままでは大変なことになると忠告してくれたのだ。その時点で幕府はすべてを知っていた。では。なぜ、その好意あふれる勧告を謝絶したといえば「祖法」に反するからなのだ。祖法とは前回述べた通り「先祖の決めたルール」で、それが絶対に変えられないので開国できない、ということなのである。このオランダ国王への幕府からの返答はA4半分ぐらいに入る短いもので、全文を教科書に載せるのは造作もないことなのに、こんな大事な史料を日本の教科書は載せていない。

 全文載せていない理由はお分かりだろう。載せたら、次に来る質問は「なぜ祖法は変えられないのか?」になるからだ。日本の歴史学界は、これに答えられない。日頃から宗教や思想を無視して歴史を「研究」しているからだ。

 皆さんはもう答えられるだろう。それは朱子学のせいだ、と。逆にどうしても私の見解が信じられないというなら「コミック版 逆説の日本史 江戸大改革編」(小学館刊)の最終コラムを見ていただきたい。そこにオランダ国王への返書が全文引用してある。それを読めば私の言うことが正しいか、それとも歴史学界の態度が正しいか一目瞭然で理解できるだろう。

 実は江戸時時代の日本は朱子学が支配した時代なのである。なぜそうなったかといえば、それ以前の日本はルールの無い世界だったからだ。典型的なのが本能寺の変で、明智光秀は自分を大名にしてくれた大恩人、織田信長を殺し、同じくその家来だった豊臣秀吉も大恩ある織田家の天下を奪ってしまった。それを横目で見ていた「信長の弟分」徳川家康は、これではいけないと思い、日本にモラルを確立するために朱子学を導入し、武士の基本教養としたのだ。

 だからこそ江戸時代は朱子学を知らないと理解できない。しかし皆さんは疑問に思わないだろうか。徳川家康はイギリス人ウィリアム・アダムズを貿易顧問にするなど開国路線の支持者であった。にもかかわらず幕末の日本人は「鎖国は祖法」だと信じていた。つまり日本人は自分の国の歴史を知らなかった。なぜ、こうなるのか?

 それも朱子学である。朱子学は商業を人間のクズのやる卑しい行為と考える。だから子孫たちは神君家康公がそんなバカをしたはずがないと考えるようになった。朱子学の害毒は現実を直視しないことだ。だからこそ、こうなるのである。

 朱子学のもたらす害毒をまとめておこう、主要なものは3つである。

 第1に祖法に縛られるため新たな改革が不可能になること。

 第2に現実から目を背けるので歴史をゆがめてしまうこと。

 第3に商売は人間のクズのやることだという偏見が、貿易立国などあたりまえの国家運営の障害になること。

 つまり朱子学が「蔓延(まんえん)」した国家あるいは民族は、必ずこのような症状に悩まされるわけだから、朱子学というものは薬ではなく一種の毒物である、と歴史家として評価せざるを得ない。

 では朱子を新たな哲学の完成者とし高く評価する哲学史や思想史の立場はどうなるのか?

 

(4「絶対に民主化しない“中国の歴史”」(井沢元彦先生、夕刊フジ、2022年6月29日)

 <朱子(7)>

 <「朱子学中毒患者」は島津久光だけ> 

 歴史家の立場から見れば、朱子学とは歴史の進歩を妨げる極めて有害な「毒」であるとの判断が先に立つ。「百害あって一利無し」とまでは言わない。というのは特に日本においては前にも述べた通り、朱子学が明治維新を促進した部分も確かにあったからだ。

 しかし「朱子学の毒」は実に甚大な被害をもたらす。日本においては本当に意味の「朱子学中毒患者」は島津久光だけだったといってもいい。だから、久光は廃藩置県にも反対し断髪令にも従わず、息子の忠義には「髷(まげ)を切るな、西洋医にかかるな」と固く遺言した。忠義は明治の宮中晩さん会にも首から下は洋服、頭はチョンマゲで出席していたのである。「二十四孝」に選ばれるような話ではないか(笑)。

 いや、決して笑い話ではない。日本は「朱子学中毒患者」ではない勝海舟や坂本龍馬や福澤諭吉がいたから西洋近代化ができた。しかし、当時の「中国」である清国や朝鮮国では近代化が極めて困難だった。なぜかといえば話は簡単で、清国や朝鮮国は政治にかかわる人間は「オール久光」だったからだ。科挙(高級官僚登用試験)で官僚を選ぶからだ。その科目はもちろん朱子学である。科挙合格者でなければ基本的に「士」になれない。そして「士」以外の「農工商」は政治への口出しを一切認められていない。それも朱子学である。

 つまり日本において島津久光はあくまで「例外」であったが清国や朝鮮国ではそれが「スタンダード」だったのだ。当然、坂本龍馬や澁澤栄一がいたとしても彼らの国では出番がない。その澁澤栄一が日本に資本主義を確立するためにいかに苦労したかは、前回の本紙連載「お金の日本史」(HADOKAWA刊)で詳しく述べたところだが、要点だけ繰り返せば日本資本主義の確立は極めて困難だった。日本の江戸時代は朱子学の時代で、武士という武士は「商売は人間のクズのやることだ」という朱子学に基づく偏見をもっていたからだ。

 そこで大天才、澁澤栄一が取った手段が「儒教の開祖の孔子はそんなことは言っていない」という歴史的事実を強調するだった。澁澤はそのものズバリ「朱子学の罪」と題する講和の中で、「この孔子の教旨を世に誤り伝えたものは、宋朝の朱子であった。孔子は貨殖富貴を卑しんだもののように解釈を下し、富貴を得る者をついに不義者にしてしまった。」(「渋沢百訓」(角川ソフィア文庫より一部抜粋)と告発したのである。

 清国や朝鮮国には澁澤栄一はいなかった。もし、いたとしても活躍できる子土壌は全くなかった。だからこそこの資本主義確立という意味でもこれらの国は大変苦労した。清国を倒した孫文は民主主義と資本主義という2本の柱で中華民国を発展させようとしたが失敗した。民主主義がどのように妨害されたかはいずれこの連載で述べることになるが、資本主義の方はもうお分かりだろう。「商売は人間のクズがやること」という固い信念がある国では、健全な資本主義など育つはずもない。むしろ大衆は「資本家も商人の一員であるから悪だ」という中国共産党の言葉に耳を傾けようになる。その結果、今の中国、つまり本土の支配者は共産党になった。

 しかし、これだけ害毒をもたらした朱子学の完成者朱子は、哲学史では高く評価されているのである。一体これはどういうことなのか?

≪≪いざわ・もとひこ氏・・・1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局入社。80年、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞受賞。独自の歴史観からの作品が人気。夕刊フジの好評連載単行本化『天皇の日本史』『お金の日本史』(KADOKAWA)、『コミック版 逆説の日本史』(小学館)など著書多数。You Tube≫で『井沢元彦の逆説チャンネル』開設中。