2021年2月15日第220回「今月の言葉」「ウィーケスト・リンクとは何か?㉑(日本的朱子学⑤-③)」(weakest link)

(1)この連載のタイトル「ウィーケスト・リンク」の本来の意味は、実に深い意味があります。「見えるもの」「見えないもののあらわれ(深層心理)を教えてくれる、大変貴重な言葉です。

 この「ウィーケスト・リンク」の本来の意味は<2003年11月15日、第15回「今月の言葉」>で詳しく説明してありますので、併せて、ご覧ください。

 次回は、「朱子学」をちょっと外れて、「ウィーケスト・リンク」の典型的な実例、中国、習近平国家主席の驚きの実例を紹介します。

 さて、下記の(2)と(3)は、日本人の「深層心理」に潜り込んでいる「日本的な朱子学」の問題だと私・藤森は考えています。

 それを沢山の資料を駆使して証明しようとしたのが、拙著の≪≪「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」(しょうけん・ごうん・かいくう)≫≫の中のp247≪≪「朱子学」「過干渉日本」と「五蘊皆空」≫≫です。

 日本で問題になる多くの物事は、「日本的な朱子学」の精神によるものだと言っても過言ではないと、私は考えています。そこには必ず、「日本的な朱子学」の特徴が潜んでいます。

(2)<<インド人富豪が日本企業を毛嫌いする理由(野瀬 大樹・2019/06/07 )>>

 ゼロ成長の続く日本と異なり、毎年6~7%台の経済成長を続けるインド。進出をもくろむ日本企業は多いが、インド人経営者から取引を拒まれるケースが増えているという。インドでコンサルティング会社を経営する野瀬大樹氏は「ほかの国に比べて、日本企業は判断や動きがひどく遅く、毛嫌いされている」という――。

<<本稿は、野瀬大樹『お金儲けは「インド式」に学べ!』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。>>

 <インド在住の公認会計士が目撃した、現地の残念な日本企業>

 私がインドで会社を立ち上げて、ビジネスをしていると日本人に言うと、たいていこんな感じで返される。

「え、インド! 大変ですね! 暑いんですよね? 水とか大丈夫ですか? たしか牛肉は食べられないんですよね?」

 実は、このような生活面においては、特に何の問題もない。水はミネラルウォーターならどこでも手に入れられるし、1年中真夏日というわけでもない(ただし、あのマクドナルドでもビーフが食べられないのは事実だが……)。

 では、インドで生きていくうえで一体、何が大変なのか。実際のところ一番キツイのは、社内外での「インド人とのやり取り」だ。彼らのマインド、仕事の進め方は、当たり前といえば当たり前だが、日本人とはまるっきり違う。そういった個人個人間のギャップに、いちいち対応しなければならないのが、とても大変なのだ。

 <ここ3、4年、風向きが変わってきた>

 インド人ビジネスマンに対する皆さんのイメージは、どのようなものだろうか。おそらく、よくいえば非常にアグレッシブ、悪くいえば「前のめり」「ガツガツ、オラオラ」な人が多いというものだろう。

 で、事実そのとおり。日本企業との合弁事業を提案として持っていくと、目を輝かせて「やろう、やろう!」と、その場で即答されることが多い。当然、そこから出資比率や役員数など重要なことを詰めていく。

 そして、どんなときでも彼らが口にする言葉は、「いいね!」

 皆、満面の笑みで外国企業と取引できることを大喜びし、ビジネスが成立するのだ。ところが、ここ3、4年、このような風向きが少し変わってきたように感じる。

 <現地企業の経営者=富裕層は「日本企業とは取引したくない」理由>

 4年ほど前、日系企業がインドでジョイントベンチャーを一緒に立ち上げるインド企業を探していたので、何社か現地の企業をピックアップしてコンタクトをとってみた。

 最初に会うことになったのは、地元の州ではそこそこの規模を誇っている企業だ。もちろん、経営者たちはインドでは確実に「富裕層」に該当する。

 当然、ノリノリのハイテンションで話に乗ってくると思いきや、

 「日本企業とは取引したくない」

 と、非常にローテンションなトーンで言われてしまったのだ。しかも、このようなケースが目立ち始めている。

 これは、現地の不動産ブローカーと交渉する際も同じ。

 インドで製造業を立ち上げる際、当然、まずは工場用地を探さなければならない。しかし、日本のようにインフラが整備されているわけではないインドで、工場に適した土地を探すのは一苦労だ。

 そのためには、いいロケーションの土地をインド人ブローカーから紹介してもらわなければならない。ところが、私が紹介しようとしているクライアントが日本企業だと知ったとたん、急にやる気をなくす事例がぽつぽつ出てきている。

「何ごとも遅いから、待っていられないんだよ」

 一体、「日本企業が敬遠される」理由は何なのだろうか。私は知人のインド人ビジネスマンにその理由を聞いてみたところ、返ってきた答えはきわめてシンプルなものだった。

「とにかく日本企業は何ごとも遅いから、待っていられないんだよ」

「ジョイントベンチャーで新しい会社を共同で立ち上げよう!」という話が盛り上がっても、当然すぐに「OK!」とはならない。まず、合弁計画を本社で何カ月も協議。そして、予算を組み取締役会を通すことになる。

 もちろん、この段階で「GO!」とはならない。すべての役員間での調整が済んで初めて、ようやく実際の条件交渉に突入。そこで話がまとまったとしても、まだまだ終わりではないから、インド人にはたまらない。

 条件交渉が妥結したらしたで、今度は契約書ドラフトのレビューとなり、本社法務部での気が遠くなるほど長い回覧作業が待ち受けているのだ……。

 さんざん待たせた上に「今回はやっぱりやめにしときます」

 しかも、それでビジネスがスタートするのなら、まだマシかもしれない。

 何度も何度もミーティングを重ねて、インド側企業は質問を受けて、調査もさんざん受けたにもかかわらず、最後に、

「いやー、今回はやっぱりやめにしときます」

 などというケースも実際に多々ある。もちろん、そうなった際の「前のめり」なインド人実業家のガッカリ感たるや相当なものであることなど、いうまでもない。

 <インド進出したい企業は世界中にヤマほどある>

 ゼロ成長が続く日本と異なり、毎年6~7%台の経済成長を続けるインドに進出したい企業は世界中にヤマほどある。たとえるならインドは、「オレとつき合ってくれ!」と言い寄る男性があとを絶たない、何ともいいようのない魅力を持つ女性のようなもの(このたとえ、もちろん男女逆でもかまわない)。

 で、そんなライバルが大勢狙っている異性を前にしているのに、

「いやぁ、ちょっと待って。まずは姓名判断をして、あとはうちの両親に相談をしないと。あ、ボクはおばあちゃん子だから、おばあちゃんの了解もほしいな」

 と言っていたらどうなるだろうか。当然、選択肢がたくさんあるその魅力的な女性は、すぐに別のイケてる男性のもとに走ってしまうに決まっている。

 とにかく、インド側の富裕層やビジネスパーソンの間では「日本企業は動きが遅い」、言い換えると「メンドくさい」という見解が広がりつつあるということだ。

<<野瀬 大樹(のせ・ひろき・公認会計士・税理士・・・大学卒業後、監査法人にて法定監査業務に従事。2009年に退職し独立。その後2011年、インド・ニューデリーにコンサルティング会社を設立する。現地では珍しい独立系会計士として、日本企業のインド進出支援、インド企業の日本進出をサポートしている。ベストセラーとなった『20代、お金と仕事について今こそ真剣に考えないとヤバイですよ!』のほか、『家計簿が続かない人の貯金革命』(以上、クロスメディア・パブリッシング)、『「結婚」で人生を黒字化する!』(祥伝社)、『自分でできる個人事業主のための青色申告と節税がわかる本』(ソーテック社)など著書多数。>>

(3)<<失政続きでも政権のしたい放題、まるで敗戦前の日本>>
(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎) 2020/06/08 
  

 新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が解除されて、これから本格的な夏を迎えようというのに、いわゆる“アベノマスク”は、いまだに全国の配布が完了していない。厚生労働省によると、6月1日現在の配布状況は約53%と、やっと半分になった。 しかも、配布がはじまった当初は不良品が相次いで見つかり、検品に8億円をかけているという報道に接して、15年前の夏に聞いたある話を思い出した。

  当時、私は東南アジアを巡っていた。太平洋戦争が終結しても、自らの意思で日本へ帰還することを拒み、現地に留まって生きた残留日本兵を訪ねて話を聞いた。その夏は戦後60年の節目にあたり、東南アジアに生きていた元日本兵は14人だった(詳細は拙著『帰還せず-残留日本兵戦後60年目の証言』にて)。いまではもう誰も生きてはいないが、そのうちの1人がこんなことを語っていた。

 南方に送られるにあたって、夏用の軍服を与えられたが、そこに穴が空いていたり、縫製がしっかりしていなかったりで、最初にもらった軍服と比べても、明らかに質が落ちていた。がっかりした。これは戦争に負けると思った――。

 敗戦に向かう日本の追いつめられた状況を物語るエピソードだが、いまの国内情勢もどこか、戦争末期の様相に重なって見える。

 以前に、安倍晋三首相が3月からの全国一斉休校を唐突に要請した教育現場の混乱を、インパール作戦と同じではないか、と書いた*1。兵站を無視したこの作戦は、悲惨な末路をたどり、後年「史上最悪の作戦」と称されるようになった。私が会った残留日本兵からも、その体験を耳にしている。

*1突然の一斉休校、重なる大戦時の「インパール作戦」
 この最も無謀と評される作戦を立案、指揮したのが第15軍の司令官だった牟田口廉也中将だった。同軍の幕僚はこの作戦に反対するが、それに牟田口は烈火の如く怒り、精神論で押し通し、参謀長を解任までしている。

 上部組織のビルマ方面軍、南方軍も補給の重要性を説いて反対するが、聞く耳を持たない。しかも、上官の河辺正三ビルマ方面軍司令官も「何とかして牟田口の意見を通してやりたい」と語って、止めようともしなかった。

 河辺と牟田口は日中戦争の引き金となった盧溝橋事件の旅団長と部下の間柄で、独断で出撃命令を出したのが牟田口ならば、これを追認したのが河辺だった。もはや私情がこの作戦を動かし、上官の意向を忖度した幕僚たちはなにも言わなくなった。

 相次ぐ失政、それを“本気で”批判する気概も政界にはなし

 安倍政権が、それまでの国家公務員法の解釈を変更して、黒川弘務東京高検検事長の定年を延長したのは、今年1月末のことだった。その理由も「余人をもって代え難い」というばかりではっきりせず、黒川を検事総長にするためではないか、との憶測を呼んだ。

 次に検察官の定年を法務大臣や内閣の判断で延長できるとした検察庁法改正案が国会で審議入りすると、SNS上でも反対の声が広がり、今国会での成立が見送られた。

 挙げ句、黒川が自粛期間中に新聞記者と賭けマージャンをしていたことが発覚して辞職すると、この時の訓告処分もどこが下したのかで迷走する。しかも、賭けマージャンは明らかな賭博罪なのに、起訴にも結びつかない。「私情」の臭いが漂う。

 全国一斉の休校要請も、アベノマスクの配布も、安倍首相の意向が反映した唐突なものだった。結果、休校要請での現場の混乱、いまも配布が終わっていないアベノマスクに、堅実な計画性があったのだろうか。いまでは不足していた使い捨ての不織布マスクも、店頭に戻りはじめている。まわりも忖度してなにも言わない。上官のご意向に従う。

 1944年3月にインパール作戦は発動されたものの、3週間で成功して終わるはずが(だから兵士には3週間分の食料しか持たせなかった)、戦況は悪化の一途をたどる。6月中旬には河辺が牟田口を訪ねるが、どちらも作戦の中止を口にしなかった。これより先に5月の下旬には大本営にも作戦の中止を促す動きがあったが、東條英機首相兼陸相が反対する。全体の戦況が悪化する中で、戦争指導の継続と政権の維持をインパール作戦の成功に賭けていた。

 結局、作戦の中止命令が出たのが7月になってからだ。

 新型コロナウイルスの発生源で感染が蔓延していた中国からの入国制限が遅れたのは、習近平国家主席の訪日が4月に予定されていたことが大きい。ようやく制限措置がとられたのは、習主席の訪日延期が発表された3月5日になってからだ。両国とも、訪日にこだわって延期を言い出せずにいた。

 東京オリンピックの延期が決まった3月24日の直後から、都内の感染者数が急激に増えはじめた。数値になって表れるのは2週間前の感染だから、オリンピックの開催にこだわって対策が遅れたと言える。

 感染者数も減り、緊急事態宣言も解除されたのはいいが、なにが功を奏したのか、よくわからないところがある。外出自粛と営業自粛の要請という、国民に我慢を求める精神論的対策に終始した。政府の専門家会議は、人との接触を8割減らすように呼びかけた。そうしないと、感染爆発が起こり、医療崩壊が起きるとする“脅し”が効いたのかも知れない。ところが、人との接触が問題だったはずが、メディアでは主要駅の“人出”の数がその指標に置き換わっている。個人の接触が本当に8割減ったのか、検証もできない。

 東京都では、6月から休業要請の解除行程を3段階で示すロードマップの「ステップ2」に移行した。その一方で、専門家会議は感染拡大の第2波がやってくることに警鐘を鳴らす。ここへきて国民は二分している。以前のようにマスクを着けずに夜遊びに出て平気な人たちと、第2波を警戒する人たち。その相反する方向性が交錯するところで、感染が防げるとも思えない。ステップ2に移行して、都内の感染者が増えはじめると、今度は「東京アラート」なるものを発動した。だが、その示すところも漠然として、なにをどうしていいのかわからない。むしろ緩和と警告という矛盾する政策をとっていることになる。

 インパール作戦に限らず、日本軍の相次ぐ作戦の失敗は、作戦の目標や意図が具体性に欠けたり、現場まで明確に伝わらなかったことが、戦後の研究で指摘されている。作戦指導者の定見と見通しの欠如もある。合理性と効率性を優先した強固な官僚組織だった軍隊が、その内側から崩壊して敗戦に突き進んだように、新しいウイルスとの戦いに臨む今日、同じ過ちを繰り返すことにはならないだろうか。

 日本はこれから戦後75年の夏を迎える。

(4)12月22日に出版された私・藤森弘司・人生初の著書、
<『交流分析』の『人生脚本』と『照見五蘊皆空』>(「文芸社」880円)
<照見(しょうけん)五蘊(ごうん)皆空(かいくう)>
  

 この本の≪≪「第Ⅷ章」「日本語の諺」「英語の諺」に学ぶ(p247)≫≫の≪≪(2)「英語の諺」に学ぶ≫≫(p242)で書いた諺。

A chain is no stronger than its weakest link.
(鎖の強さは、最も弱い環によって決まる)

 世の中の種々様々なおかしな出来事を見ていると、まさに「最も弱い環」が切れていることがハッキリ見えてきます。当たり前過ぎることですが、「見えない」「分からない」ために、不思議な出来事のように思われるだけのことで、「深層心理」が分かれば、実は、簡単なこと、健康問題も、全く同じです。

 アマゾンで<藤森弘司の本>と入力して下されば、表紙が出ます。