★★★2020年11月15日第217回「今月の言葉」「ウィーケスト・リンクとは何か?⑱(故・伝説のボディービルダー)」(weakest link)

(1)私たちは、「長所」を伸ばすことは得意であり、そして、長所を伸ばすことには人生をかけて「全力」で取り組みますが、「短所」に目配りをするということはほどんど全くありません。

 何故でしょうか?それは、目先、「短所」に取り組んでもメリットは、全く無いからですが、「長所」を伸ばすと、それに応じて「メリット」があるからです。

 「短所」をカバーするということは、現状、個人的にも、社会的にも「利益」は全くありませんが、「長所」を伸ばすと、メリットは溢れていますし、優越感にも浸れます。

 最近、「般若心経」を少し読み込み、深く感じることがありました。結局、(多分)宗教というものは、人間の「ウィーケスト・リンク」のことを説いているのではないかと思いました。

 特に「仏教」では、人間の(少し乱暴な言い方をすると)「ウィーケスト・リンク」に関わることを説いているのではないかと思われます。

 つまり、私たちは、避けて通りたい「ウィーケスト・リンク(弱点)」というものを、いかにして「自我」に取り組むか、それが、私たち一般の凡人にとって、穏やかに、そして平和に過ごせるかの分岐点ではないかと思っています。

 世の中の「長所=ストロンゲスト・リンク」を理想的に鍛えている実情をご覧ください。

(2)「伝説のボディービルダー」(東京新聞、2020年10月1日)

 過酷な筋トレと減量を繰り返すボディービル界で、今年で没後20年を迎えながらも「伝説のボディービルダー」と語り継がれる人がいる。練馬区出身のマッスル北村さん=享年(39)だ。マシンを破壊する高重量トレ、死の引き金になった極限の食事制限、東大に合格するほどの頭脳・・・。数々の伝説は、夢に向かって突き進む北村さんの生き様そのものだった。

 <貫く極限>

 冷凍ささみを加熱せずにミキサーにかけて作ったシェイクを一気に飲み干し、「最高」とほほ笑む。ジムでは、マシンの重量では足りず、ロープで数十キロのダンベルをくくりつけ、筋肉を追い込む。死の数日前まで撮影した映像には、過酷な日々を笑顔で過ごす姿が残されている。

 巨大な筋肉を身にまとった北村さんだが、幼少期は内気でおとなしかった。妹の善美さんによると、小学生のころは手芸が得意で、同級生の破れたズボンを縫ったりしていた。

 そんな少年が体を鍛えることに目覚めたのは小学6年のころで、中学に入るとその熱は周囲の理解を超えていく。中二の時には、自宅から河口湖までの往復300キロのサイクリングに挑戦。16時間ペダルをこぎ続け、帰りの奥多摩湖付近で意識を失った。後にこの経験から「肉体、精神の限界を極めたいと心に決めた」と振り返る。

 その後、進学校の東京学芸大付属高校に入学。勉強よりも肉体の鍛錬に励む生活を送りながらも、二浪の末、東大に合格するほど頭脳明晰だった。

 <筋トレでマシンで破壊><東大より筋肉>

 ボディービルとの出会いは東大入学直後。近所の体育館で出会ったボディービルダーに「大会に出てごらん」と勧められた。当時の体重は55キロ。ビルダーのような肉体ではないが、鍛錬を続けてきた自負心か出場を決意した。 

 だが、本番の会場ににいたのは大きな筋肉の選手ばかり。自分がガリガリに思え、残ったのは悔しさだけ。この敗北を機に翌日から大学に通わず、トレーニング漬けの日々を送った。

 食事も変えた。全卵20~30個、牛乳2~3リットルなどをノルマとし、睡眠時間を削って食べ続けた。あの「ささみシェイク」は、「あごが疲れて、量がたべられない」ことから誕生した。

 2年後には体重は90キロに増え、かつて完敗した大会で見事、優勝。結局、東大は最初の2週間ほど授業に出席しただけで、やめた。その後は国内外の大会で活躍。3日で15キロも減量するなど常識を覆す手法と巨大な肉体でボディービル界で誰もが知る存在になる。

 そして2000年5月、世界戦に向けて、減量を開始。2ヶ月後に群馬県であったイベントで披露した肉体は見る者を圧倒した。丸太のような腕、脇からせり出す広背筋(藤森注・新聞に想像を絶する驚異的な写真あり)。大学時代から北村さんを知るパーソナルトレーナーで、自身も米国の大国で活躍した渡辺実さん(58)は「まさに超人。次元が違った」と評する。

 <死を招いた過酷な減量>

 過去最高の仕上がりになりつつあった北村さん。だが4日後、過酷な減量による低血糖症で倒れ、帰らぬ人となった。群馬のステージで「限界に挑戦して素晴らしい肉体を築きたい」と話していたが、本当に限界を超えてしまった。

 妹さんは「その生き方に後悔はないと思う」としのび、「目標に突き進む追求力が兄の魅力」と話す。渡辺さんも「彼の生き方、哲学は後輩たちにとって大きな財産になったはずだ」と早すぎる死を惜しむ。

 そんな北村さんが中学生向けの講演のために書いた原稿にはこう記されている。「限界だと思い知らされた時から本当の戦いが始まる。『もう一歩だけ頑張ってみよう』という心の叫びに正直に生きようと努力するほど、最後に笑って死ねる人生があると信じています」

(3)池江璃花子選手が白血病から生還して、9月末、50メートル自由形で4位になりました。素晴らしい活躍には驚きましたが、白血病という≪≪ウイーケスト・リンク≫≫も是非、大切にしていただきたいと祈っています。
(4)「いまでも残る“角界最強説”(日刊ゲンダイ、平成31年4月1日)

 <元横綱・双羽黒 北尾光司さん 死去55歳

 第60代横綱双羽黒こと北尾光司氏が慢性腎不全により2月10日に死去していたことが、きのう(29日)分かった。55歳だった。

 199センチ、151キロの巨体を生かし、新入幕から2年足らずで大関に昇進。一度も優勝がないまま、1986年9月場所から横綱に昇進した。しかし、その後も稽古嫌いがたたったのか賜杯に縁がなく、所属していた立浪部屋の女将に手を上げるなどして87年12月に廃業。横綱在位わずか8場所だった。その後は、プロレスラーに転身。こちらも長続きせず、スターにはなれなかった。

 それでも恵まれた体格とずばぬけた身体能力から、いまだに角界では「北尾最強説」が根強く残っている。285キロの小錦の右ヒザをサバ折りで破壊した取組は、いまだに語り草だ。

 古株の角界OBが言う。

 「稽古嫌いとワガママな性格さえなければ、さまざまな記録を作ったでしょうね。身体能力が高く、何をやらせてもうまかった。特筆すべきは上腕のパワー。まわしを取って、相手を引きつけながら前に出る。これだけでほとんどの力士は抵抗できなかった。

 強すぎるあまり、立浪部屋の先輩からは<あんなのと稽古したら、こっちが壊される>と敬遠されていたほどです。本人は当時、<オレは三役でいい。横綱、大関になったら、後は辞めるだけでしょ>なんて話していたが、その通りになってしまった」

 近年は角界やプロレス界の関係者とも疎遠になっていたという。

(5)「横綱・双羽黒」(ニッポン ドクター和の臨終図巻、長尾和宏先生、夕刊フジ、2019年4月13日?)

 <体格と才能に恵まれた天才が腎臓病を患う>

 <略>

 2月10日に、千葉県内の病院で死去しました。享年55。死因は慢性心不全。詳細は報道されていませんが、腎臓病を患い、2013年から闘病生活を送っていたようです。

 腎臓は、血液の老廃物を濾過して尿とする臓器。人体の排水処理工場と言えます。さまざまな原因で徐々に腎機能が低下していくのが慢性腎不全で、糖尿病や高血圧の合併症として知られています。

 腎機能が健康な人の15%以下になると体内の老廃物や余分な水分を排出できず、尿毒症になるため人工透析が検討されます。腎移植という方法もありますが、臓器の供給が思うように進んでいないのが現状です。北尾さんもおそらく、透析治療を受けられていたものと想像します。

 <略>