2022年5月15日第235回「今月の言葉」「般若心経の『無』『空』とは?」

(1「般若心経」「無」「空」がしっかり理解できる「今月の言葉」になるはずだと、少し自信を持っています。実例をもって分かりやすく説明できているつもりですので、ジックリと時間をかけてご覧になることを祈っています。

 最初の(1)では、まず「般若心経」「現代語訳」を紹介します。「般若心経」が言っている内容の素晴らしさを、まず、「現代語訳」で堪能してください。そして、次の(2)以降で、分かりやすい実例を使いながら説明をします。

「般若心経入門」(松原泰道先生、祥伝社の「現代語訳」を紹介します)

 <摩訶般若波羅密多心経(まかはんにゃ・はらみた・しんぎょう)

 <全知者であるさとった人に礼したてまつる。>

 求道者にして聖なる観音は、深遠な知恵の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。

 ≪≪藤森注・・・拙著の<「交流分析」の「人生脚本」と「照見五蘊皆空」>の「五蘊(ごうん)とは、上記の「五つの構成要素」のことです。≫≫

 シャーリプトラよ、この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意志知識も、すべて実体がないのである。

 ≪≪藤森注・・・「表象」とは、〔哲・心〕知覚に基いて意識に現われる外的対象の像。対象が現前している場合(知覚表象)、記憶によって再生される場合は(記憶表象)、想像による場合(想像表象)がある。感覚的・具体的な点で概念や理念と区別される。(広辞苑)≫≫

 シャーリプトラよ、この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということも、増すということもない。

 それゆえにシャーリプトラよ、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。

 (さとりもなければ)迷いもなく(さとりがなくなることもなければ)、迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得ることもない。それゆえに、得るということがないから、諸々の求道者の知恵の完成に安んじて、人は心を覆われることもなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、転倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。

 過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。それゆえに人は知るべきである。知恵の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、知恵の完成において次のように説かれた。

 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。

 ここに、知恵の完成の心を終わる。

(2)さて、これから「般若心経」の「無」「空」が「しっかり理解」できる素晴らしい「実例」を紹介しますので、一緒に学んでいきましょう。

**私・藤森は、≪≪2022年2月15日第232回「今月の言葉」「(前編)目指すものは『上』にあるのか?!『下』にあるのか!?③ー①」≫≫で、次のように述べました。

≪≪私・藤森の負け惜しみで申し上げると、私は、社会的な種々様々のことで「恵まれなかった」ことが本当に良かったと思っています。もちろん、負け惜しみですが、何もかも、恵まれなかったことで、私自身の内面に「本気」で取り組まざるを得ない・・・という「幸運」に恵まれました。≫≫

**≪≪私は、「学歴(明治大学夜間部中退)は低いし、「資格」はゼロ、「社会的業績」もゼロ、「経済力」もゼロで、≪≪上≫≫を目指す「要素=人間性」の全てがゼロの人間です。

 そういう意味で、私は「存在価値が低い人間」です。

 その「存在価値が低い」私が、何とか人生をより良くしたいとジタバタした結果、唯一の「取り組むべき価値」を見いだしたのが、≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫でした。≫≫

 このように、私自身のことを書きましたが、超一流の○○様は、次のように「反応」されました。

**≪≪私が常に上からの目線と書かれ、貴兄には下からの目線で、自身の生い立ちや家庭環境等を述べられ、しがらみがトラウマとなり、引きずって歩かれている気がしてなりません。もっとリラックスされたらと感じます。≫≫

 私に対して、このように素晴らしいことをおっしゃる「素晴らしい方」がいらっしゃいます。そして、この方は、ご自分の素晴らしいご体験「坐禅の呼吸法」では、さらに素晴らしい次のような「完璧」なことをおっしゃっています。ジックリとご覧ください。

**≪≪坐禅の呼吸法で全ての考え方や知識を一度、ハキ捨て心をカラにする。それをすれば心や頭が悩みやくだらないゴミや知識が一掃され、新しい知恵がカラの心を満たしてくれる。その知恵で行動すれば、自分にとって最適な行動となる。要は過去問など知識をツメ込む偏差値教育で学歴が決められ、偏差値が高い人程未知なる未来に対して新しい発想が出てこない、大切なのは左脳より右脳、感性(感受性を鍛える、音楽、芸能、スポーツ)であり、新たに発想法や想像力、知識ではなく知恵やチャレンジ精神の要素・トレーニングが求められている。≫≫

 この「完璧」の素晴らしさ、私には永久に不可能な最高級の素晴らしさです。

 ≪≪上≫≫が最高の方は、おっしゃること、おっしゃる理論が「完璧」に素晴らしいです。「般若心経」の「無」「空」も、(1)にあるような「現代語訳」を引き出して、下記のように簡単、かつ「完璧」に言える可能性が高い(?)です。

≪≪それゆえにシャーリプトラよ、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。≫≫

(3)さて、「般若心経」の「無」「空」を理解するために、極めて「重要」なところですので、再度、繰り返しになることをご容赦ください・・・私は次のように言いました。

**≪≪私・藤森の負け惜しみで申し上げると、私は、社会的な種々様々のことで「恵まれなかった」ことが本当に良かったと思っています。もちろん、負け惜しみですが、何もかも、恵まれなかったことで、私自身の内面に「本気」で取り組まざるを得ない・・・という「幸運」に恵まれました。≫≫

**≪≪私は、「学歴(明治大学夜間部中退)は低いし、「資格」はゼロ、「社会的業績」もゼロ、「経済力」もゼロで、≪≪上≫≫を目指す「要素=人間性」の全てがゼロの人間です。

 そういう意味で、私は「存在価値が低い人間」です。

 その「存在価値が低い」私が、何とか人生をより良くしたいとジタバタした結果、唯一の「取り組むべき価値」を見いだしたのが、≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫でした。≫≫

**さてさて、これからが本題です。私は≪≪本当に良かった≫≫ ≪≪という「幸運」に恵まれました。≫≫ ≪≪唯一の「取り組むべき価値」を見いだしたのが、≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫でした。≫≫

 ≪≪本当に良かった≫≫ ≪≪という「幸運」に恵まれました。≫≫という意味を、皆さんならばどのように受け止めますか?こういう所の受け止め方に、かなりの個人差が出るのです。

 私は「本当に良かった」「幸運」に恵まれたと言っています。さらには、≪≪唯一の「取り組むべき価値」を見いだしたのが、≪≪下≫≫≪≪深層心理≫≫でした。≫≫「本当に良かった」り、「幸運」に恵まれたり、「唯一」の取り組むべき「価値」を見出したのです。

 このことと、≪≪・・・自身の生い立ちや家庭環境等を述べられ、しがらみがトラウマとなり、引きずって歩かれている気がしてなりません。もっとリラックスされたらと感じます。≫≫これを比較してみると、極端に言えば、「右」と「左」、「上」と「下」、まるで「真逆」の理解ではないでしょうか?

 

(4)「般若心経」「無」「空」を理解する上で、これからが最も重要なポイントです。

 上記の(3)を読んで、例えば・・・、
***(イ)「藤森はこういうことをあっさりとホームページに公表できるとは『大胆な男だな』と感じる人がいるかもしれません。」

***(ロ)さらには、「藤森は、こういう凄いところを乗り越えて、『平然としている』、平然とできるほど『努力』して成長してきたんだ。だから、こういうことにこだわらず、『あっけらかん』とし、『平然」としていられるのだなあ、凄いなあ』などと思う方がいても不思議ではありません。」

***(ハ)さらには、「藤森は、心理相談の仕事をしているのに、こんなみっともない話をクライエントの方に見られて平気なのかなあ?平気ならば凄いなあ!泰然自若としている!!平気!!です。「今月の言葉」が完成すると、一番みっともないところを、クライエントの方に、まず最初に見ていただいています。>

 こういう色々な受け止め方があっても良い訳です。さらには、超一流の○○様のようなご意見があっても良い訳です。

***(ニ)≪≪・・・自身の生い立ちや家庭環境等を述べられ、しがらみがトラウマとなり、引きずって歩かれている気がしてなりません。もっとリラックスされたらと感じます。」≫≫このように感じたり、受け止めたりすることも、その人の自由です。

 さて、「般若心経」「無」「空」を理解する上で、これからが最高級、最大級のキーポイントです。さらにジックリとご覧ください。

 何故、人は、このように色々な「受け止め方」「感じ方」があるのでしょうか?それが「般若心経」の極意「無」「空」に潜んでいる極めて重要なポイントです。

 人間は誰でもそうでしょうが、特に、日本人は「日本的朱子学」(拙著のp247~307ご参照)の影響が巨大なために、私流の表現で言うところの≪≪上≫≫が凄い人程、イエスマンに囲まれている可能性が高いので、自分の価値観や考え方は「絶対的」に正しいと錯覚している可能性が極めて高いのです。

 完璧なほどの素晴らしいことをおっしゃる下記のご意見もそうだと言わざるを得ません。再度、ご覧ください。

***≪≪坐禅の呼吸法で全ての考え方や知識を一度、ハキ捨て心をカラにする。それをすれば心や頭が悩みやくだらないゴミや知識が一掃され、新しい知恵がカラの心を満たしてくれる。その知恵で行動すれば、自分にとって最適な行動となる。要は過去問など知識をツメ込む偏差値教育で学歴が決められ、偏差値が高い人程未知なる未来に対して新しい発想が出てこない、大切なのは左脳より右脳、感性(感受性を鍛える、音楽、芸能、スポーツ)であり、新たに発想法や想像力、知識ではなく知恵やチャレンジ精神の要素・トレーニングが求められている。≫≫

 これほど学問や「坐禅の呼吸法」を「完璧」に説明できる凄さは、間違いなく、「東京タワー」のテッペンにいらっしゃる≪≪上≫≫が完璧な天才、超一流の大活躍をされていらっしゃる方だと思われます。いや、実際に大活躍をされていらっしゃる方です。そして、それほど完璧な方が、私・藤森にこのようにハートフルにお書きくださいます。

***「私が常に上からの目線と書かれ、貴兄には下からの目線で、自身の生い立ちや家庭環境等を述べられ、しがらみがトラウマとなり、引きずって歩かれている気がしてなりません。もっとリラックスされたらと感じます。

 さあ、いよいよ、「般若心経」「無」「空」の説明がスタートです。何故、人には、これほどの違い<上記の(イ)(ロ)(ハ)(二)>が発生するのでしょうか?これが分かると、「無」「空」は簡単に理解できます。

 

(5)さあ、やっと最大級のポイントに辿り着きました。なかなか理解されにくい「無」「空」ですので、繰り返し、繰り返し、くどいほど申し上げてきましたが、分かれば簡単なこと・・・それは「投影(とうえい)の問題なのです。「心理学」特に「深層心理学」の「投影」をよく分からない方もいらっしゃると思いますので、まず、次の実例をご覧ください。

 「社会時評」(ロバート・キャンベル先生、東京新聞・夕刊、2022年5月12日)

 「またお鍋がやかんを黒いと言っているわね」

 小学生の頃、学校から帰ってくると、祖母が台所に立っている。夕食の下ごしらえを一心にしてくれている最中、お昼に使ったお皿が一枚でも流し台に残っていれば鬼の首を取ったように「これ、汚れていますよ」という孫に古い慣用句が返ってきた。「片付けが苦手なのはあなたでしょう」という意味で、要するに相手の≪≪非をあげつらう本人≫≫こそ、その罪の常習犯だという意味である。心理学では、≪≪投影≫≫の事例として紹介されている。

 思い出したきっかけは、ロシアのプーチン大統領が繰り返す言葉の数々である。記者会見ではウクライナ東部のドンバス地域でウクライナ政府によるロシア語話者に対するジェノサイドが起きている、という主張が一例である。<後略><東京新聞>

 つまり、私たちの「人生」全般が「投影」で成り立っていて、自分自身の<深層心理・無意識・脚本>を「投影」した結果の価値判断をしているのです。自分が見たり、聞いたり、感じたりした物事の価値観・価値判断は、自分自身の「深層心理」を「投影」した結果の≪≪「価値観や価値判断」≫≫なのです(十人十色、見えるものは 見えないもののあらわれ!!!)

 ですから、上記(4)の(イ)(ロ)(ハ)(二)は、その人それぞれにとってそれは全て正しいのです。学校の試験のように、答えはこれだというものはありません。その人の「人生観」や、その人の「価値観」、そして、さらには「深層心理」に潜む「無意識の価値観や劣等感コンプレックス」などが「投影」された「価値観」であるにもかかわらず、それをまるで私・藤森がそういう人間だと、試験の結果のように決め付けたくなるのが、私たち一般のごく当たり前の「人間性」です。

 ましてや超一流の大活躍をしている方は、日頃のほとんど全ては「イエス」ばかりの世界に生きているために、「ノー」と言われることに「謙虚」に耳を傾けることが不得手になっているような「人格」が完成している可能性が高いのだと推測しています。

 そうすると、私・藤森のように、世間では全く知られていないし、存在感も価値観も低く、社会的業績もゼロの人間に対しては、無意識のうちに≪≪上≫≫から目線で「アドバイス」をしてあげようという「温かい人間性」のつもりでいても、それは、その人固有の「脚本(深層心理や劣等感コンプレックス)」が出てしまうのです。

 多分、(ここは藤森のいやらしい自慢で申し上げますが)今の平和な世の中(平成以後の約40年間)、本気で「修行」したり、「本気」で「脚本(深層心理)」に取り組んだりする「ド根性」≪≪下≫≫を本気で取り組む人間は、限りなくゼロなってしまっているように思われてなりません。

 昭和の時代は、戦争という凄まじい体験があったために、譬え、汚職をするようなことがあっても、日本を本気で立て直そうとする政治家(例えば、田中角栄氏・・・「災害など危機に強い政治家」・支援、補填で被災者の損害を最小限にとどめ、国民に安堵を与えることに神髄があった。<小林吉弥氏、夕刊フジ、5月17日発行)がいたように思われますが、今は、平和だけでなく、日本固有の「二世」「三世」議員が多くなって、ある政治評論家が「遺産相続」みたいだと批判したような政治家が幅をきかす時代になってしまっています。

 前回の「今月の言葉」で紹介した東大英文学教授殺害事件なども、今回の色々な説明にピッタリ当て嵌まる事件だと思っています。孫の必死の訴えに、全く耳を貸さずに、自分の超一流・超権威的な価値観を押しつけた結果の事件だと、私は推測しています(下記に再掲載します)。

20年くらい前に発生した事件・・・東大の英文学教授で、日本の最高権威者。そしてその最高権威者の子供も東大の英文学教授・権威になりましたが、その子供、つまり最高権威者の孫が最高権威者である祖父を殺害した事件・・・学問の最高権威者という素晴らしい人格であり、そして文学という「人間の心理」を扱う『上』の最高権威者の育児(孫)という『下』が劣悪であったことを証明しています。

(6)拙著のp261「夏目漱石」について、典型的な「投影」の実例があり、それを下記に記したホームページで解明してありますので、是非、ご覧ください。

 夏目漱石について、著者の岩波明先生が面白いことを書いていらっしゃいますので、下記をご覧ください(余談です。拙著の中で転用させていただいている専門家の皆様、29人の方々には、編集部などを通して、全ての方々にお許しをいただいています)

 「文豪はみんな、うつ」(岩波 明先生・精神科医、幻冬新書)

(夏目漱石、有島武郎、芥川龍之介、島田清次郎、宮沢賢治、中原中也、島崎藤村、太宰治、谷崎潤一郎、川端康成の中の最初の夏目漱石の最後の部分を紹介します。)

 漱石の病状の特徴として、次のような点があげられる。
病期において、憂うつ感、不安感などはみられたが、思考・行動の抑制、自責的傾向などははっきりせず、うつ状態としては典型的ではなかった。被害妄想は、毎回類似したものがみられ、比較的年配の女性が中心となり、複数の手下を使って自分の動静を探り、嫌がらせをしてくるという内容が多かった。また妄想の対象は、自己の周囲に限定していた。

 このような点は、「精神病性うつ病」としては必ずしも典型的なものとは言えない。いずれにしろ、精神疾患に苦しんだ漱石の作品が、長い間「健常」な人々に愛されている不思議さを改めて感じる(藤森注・我々自身が「健常者」でない、つまり、心身に漱石的な痛みを持っている。だから「投影」が多く、「般若心経」で「無」や「空」を説いているのだと推測します)

≪≪藤森注・・・2019年11月15日第205回「今月の言葉」「ウィーケスト・リンクとは何か?(夏目漱石③ー①)」、2020年2月15日第208回「(夏目漱石③ー②)」、第209回「(夏目漱石③ー③)」で、夏目漱石の「脚本」を分析してありますので、ご参照ください。

 全て「見えるものは 見えないもののあらわれ」で、自分の「脚本」や「深層心理」を「投影」していることを「悟る」ことが重要です。

 私は、夏目漱石の「脚本」を発見しましたので、夏目漱石の上記のおかしな「人間性」は完全に「分析(脚本)」できています。興味のある方は、上記のホームページ「今月の言葉」①~③をご覧ください。簡単に理解できます≫≫

 

<<追伸・・・適切に表現することが難しくて(下手で)、困難を極めました。寝ても覚めても、夜中にメモを取ることもありました。≪≪下≫≫を書くことの困難さを、今回ほど感じたことはありません。「不立文字」の事であり、自慢するほど「学問」に才能が無い私には、頭がフラフラになるほどでした。

 そしてアップする15日の前日、やっと完成したところに***「・・・自身の生い立ちや家庭環境等を述べられ、しがらみがトラウマとなり、引きずって歩かれている気がしてなりません。もっとリラックスされたらと感じます。」・・・この方からお手紙をいただきました。3歳でジフテリア、2階から落下、3日間人事不省・・・等々、その後も凄まじい体験をされたことが書かれてありました。

 「・・・しかし、全ての問題を自らの努力で名医を探し、完治させ、それが私の自信となり、このように難問を与えてくれた両親やまわりの人達、更には大宇宙の神にも感謝しております。その分をあらゆる悩んでいる人達、経営者、更には国家への貢献をすべく一生終わりのない修行を続けています。どうか藤森さんにも今迄の苦難苦労を乗り越え、一度空になって、明るい未来・本来の自己実現への今ここ(而今)を現成され、同じ仲間として高めていきたいと思っています・・・。」>>

 あまりにも素晴らし過ぎて、私とはケタ、いや、ケタ桁違いで、言葉になりません。ここまで立派になった「超一流」の方と、私のようなただの「凡人(アホ)」、日常生活を明るく、爽やかに生きること、それが全ての私とでは天地の違いです。

 ≪≪下≫≫の分野で、日々を穏やかに、心地良く生きていることに満足をしている私とでは違い過ぎて、議論の余地が全くありません。

 一つだけ、率直に言わせていただきます。私の価値観・私の考え方では、「自己実現」は間違いです。それは私のホームページに書いてありますので、ここでは述べませんが、私の目標は「自己回復」です。そして、少し生意気に言わせていただければ、私はほぼ「自己回復」しています。言葉というのは極めて重要です。「自己回復」と「自己実現」の違い(間違い)は、私のHPの表紙に解説してありますので、興味のある方は、ご覧ください。

 世の中は、意味も分からず「自己実現」などとムチャクチャなことを平気で言えるほど、≪≪上≫≫の権威ある人間の言うことを意味も無く、盲信する悪癖があります。少しでもまともな方は、私のホームページの表紙の<「自己回復」とは>をご覧ください。

<<最後に、私・藤森は、(イ)(ロ)(ハ)のように、あっけらかんとした人生を楽しみたい、少しでも「皆空」の心境、あるがままの人生を楽しみながら、「雲水」のような余生を送りたいと思っています。感謝・合掌>>