2019年3月15日第197回「今月の言葉」「皇統についての一考察⑥ー④」

(1)日本という国は世界で一番恵まれていると言ったら良いのでしょうか?世界で一番幸せな国と言ったら良いのでしょうか?

 私(藤森)は年を取ったせいでしょうか、最近、このように感じられるようになったのですが、皆さんはいかがでしょうか。

 私は現在、日本の平均的なレベルで言えば、「上中下」の「下」レベルの生活をしています。また、私の人生を振り返っても、「上中下」の「下」の中の「下」の人生を生き抜いてきました。

 物質的に恵まれたことは一度もありません。それでも「日本は、世界で一番恵まれている(幸せな)国」だと、最近、私は強く思うようになりました。

 一つ一つを詳しくみれば、世界最悪の部分があるかもしれません。例えば、東北大震災に遭遇したり、原発事故に遭遇したり、広島や長崎の原爆被害に遭った方々。

 さらには、東京大空襲で「戦争孤児」になり・・・戦争孤児らであふれる上野駅の地下道で生活した方々(東京新聞、3月10日)。そして、終戦直後に生まれた私自身も人生の悲惨な体験をたくさん味わってきました。

 それでも、最近、つくづくと思います。世界の種々様々な状況を知れば知るほど、日本は世界のどの国と比較しても、比較的に生活のし易い、生き易い国だと痛感しています。

 私の人生(上・中・下の「下」)で、今、一番衣類が豊富にあります。バザーに行けば、1000円~2000円出せば、いくらでも欲しい物が買えます(八王子のイチョウ並木のバザーは豊富です。毎年11月)。リサイクルショップに行けば、欲しい物がいくらでも手ごろな価格で買えます。

 インスタント・ラーメンに「具」をたくさん入れれば、栄養たっぷりの豪華な食事ができます。「衣・食・住」の「衣・食」に困ることが無いほどの十分な生活ができています。

 「住」は、今、一番心配しています。特に東京大地震があればひとたまりもなさそうです。しかし、とにもかくにも、今現在、雨露をしのげる生活ができていますので、「住」も最低限、満たされた生活ができています。

(2)では、何故、世界的に見てこれだけ恵まれている国、私のように「最下層」の人間でも豊かな生活ができるのだろうかと考えたところ、一つは、私が「足るを知る」ことができるようになったことです。

 こういう言葉があるのですね。「足るを知る者は富む」と。だからは私は、現在、「上・中・下」の「下」の生活レベルでも富んだ気持ちになれているのかもしれません。

 こんな言葉もあります。
①「足るを知るの足るは常に足る」。
②さらには、孔子が晩年に自己の生涯を振り返って述べた言葉の最後。
「70歳にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
 この「矩を踰えず」は、「足るを知る」の意味ではないかと思っています。

お釈迦様の最後の教え「八大人覚(はちだい・にんかく)
<1.少欲><2.寂静(じゃくじょう)><3.精進><4.不忘念><5.禅定>
<6.修智慧><7.認識><8.知足(足るを知る)

 もう一つは、「皇統」にあると思いつきました。人それぞれ、いろいろな考えがあって当然ですが、そして、多種多様な条件もあることは当然のことですが、私はふとこのように思いました。

 特に、平成天皇の時代に生きることができたことは、人類とか地球上とかを考えた場合、これほど有り難いことはないのではないかと私は感じています。

 では何故、皇統がこれほど優れているのかは、1回増やして、次回にご紹介します。

 今回は、驚くべき下記の三人の天皇をご紹介します。

(3)「続 天皇の日本史・後奈良天皇①」(井沢元彦著、夕刊フジ、3月5日)

 <世界に広まった「日本の帝王は貧乏」>

 前回までの長慶天皇が「史上最も影が薄い」天皇なら、今回取り上げる第105代後奈良天皇は「史上最も貧乏だった」天皇だろう。1526(大永6)年、先帝である第104代後柏原天皇の崩御を受けて践祚(せんそ)した。今でも混同している人がいるが践祚はとりあえず天皇の座を受け継ぐことであっても、正式な即位ではない。即位の礼という儀式を経て初めて正式なものとなるのである。ところが後奈良はなんと10年の長きにわたって正式に即位することができなかった。

 理由は簡単で費用がなかったからなのである。ただし、それだけを言うなら、父親の後柏原の方が貧乏だったといえるかもしれない。というのは後柏原も22年の長きにわたって費用がないため即位式が行えなかったのである。

 さらに、その父第103代後土御門天皇にいたっては葬式の費用が賄えず、その棺は御所内に放置されて腐敗してしまった、という話すらある。

 そして息子の後柏原の時、最近話題になった即位の礼の後に行われる大嘗祭までできなくなってしまった。大嘗祭は即位した天皇が、その年、新しく取れた稲を神前に供え新米を自らも食し豊作を祈る最も重要な儀式の一つなのだが、これをついに催すことができず、それまでの伝統がここで絶えてしまった。孫の後奈良も復活することはできず。

 江戸時代にようやく一部復活するまで、200年以上伝統的な儀式が絶えてしまったのである。

 なぜそんなことになったのか?武家政権とはいえ、曲がりなりにも天皇家を立てていた室町幕府が応仁の乱などの内乱でほとんど有名無実の状態になり、資金援助がまったくできなかったからである。

 こうした状況を見るに見かねて、大内氏とか今川氏とか地方の有力大名が献金してくれたので、何とか即位の礼だけは行うことができたのだが、この後土御門、後柏原、後奈良が天皇家の歴史の中で最も貧乏な「トリオ」であったことは間違いない。

 ちなみに後奈良の息子で第106代正親町天皇の時代になると、織田信長の協力もあって皇室の経済は復活する。逆に言えばここが「どん底」なのである。

 「トリオ」のうちでだれが一番だったのか、葬式の費用すらままならなかった後土御門か、いや父の葬儀の費用を出すのは息子だから後柏原が一番貧乏だったのか、10年待てばよかった息子の後奈良に比べて22年も待たされたのだから。

 しかし、後奈良はほかの二人と比べて「日本の帝王は貧乏だ」という評判を世界に広めてしまったのである。マスコミどころかまともな通信手段すらないこの時代に、なぜそんな評判が広まってしまったのか。

 当時、ほとんど唯一と言っていい世界ネットワークを持っていた組織の人物が、日本にやってきて後奈良を訪ねたからである。その組織の名はローマカトリック教会、人物の名はフランシスコ・ザビエルという。

(4)国の次年度予算案は例年「天皇誕生日」(12月23日)前後に決定される。来年に迫った今上天皇の退位と、新天皇の即位に伴う重要な予算編成作業が大詰めを迎えた平成最後の年の瀬、その中心の役割を担うべき宮内庁の存在意義が問われる事態が出来した。

 発端は、秋篠宮の誕生日会見での発言だ。

 「言ってみれば(宮内庁長官が)話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」

 秋篠宮は来年11月14日に執り行われる「大嘗祭」の費用について、「宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を呈し、皇室の私的な費用である「内廷会計で行うべきだと思っています」と踏み込んだ発言をした。その考えに対する宮内庁側の反応を、先の言葉で表現したのだ。

 「御代がわり」の後、皇太子待遇の「皇嗣」となる皇族が、宮内庁長官を名指しで批判するのは異例中の異例と言っていい。(週刊ポスト、平成30年12月17日)

 私(藤森)が推測するには、直接的には「宮内庁」かもしれませんが、間接的には安倍首相の説明不足があるのではないかと思っています。

 安倍晋三首相は、「生育歴(脚本)」からくる人間性がとても目立ちます。両親からの愛情が、多分、極端に少なかったために、中学生になっても、乳母役の久保ウメさんの「添い寝」をせがんでいたと、評論家の野上忠興氏が書いています(日刊ゲンダイ、平成26年8月14日)

 そのために、辺野古の問題にしても、その他いろいろ、やむを得ない問題かもしれませんが、安倍首相は本質的に「説明」や「誠意」の点で不足する傾向が強くあるように思えてなりません。

 皇室では、<皇室の私的な費用である「内廷会計で行うべきだと思っています」>というお考えを、周囲はなかなか理解できない、理解していないために、十分な説明、誠意ある対応が不足しているのではないかと推測しています。

 安倍首相の政治力は素晴らしいのかもしれませんが、私の偏見かもしれませんが、<十分な説明、誠意ある対応が不足している方>のように思えてなりません。

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