2019年2月15日第196回「今月の言葉」「皇統についての一考察⑥ー③」

(1)・・・・・それから、『日本書紀』は、応神天皇の次の仁徳天皇が、百姓の窮乏を知り、みずから倹約し、課税を免じて百姓を富ましめたことを記述しています。そして、三年後、仁徳天皇は高台から民の炊煙の盛んなのを見て喜び、

<<今百姓(おおみたから)貧しきは、朕(わ)が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは>>

 と言った、と述べています。

(「仏教と儒教~どう違うか50のQ&A~」ひろさちや著、新潮選書)

(2)・・・・・つまり文字通り「徳のある仁」であった天皇ということだ。

 実は戦前の教育の中ではもっとも有名な天皇の一人だった。なぜならこの天皇には有名なエピソードがあるからである。

 あるとき仁徳は高い山にのぼり都の地を見おろした。そして言った。「食事時だというのに炊事の煙がほとんど上がっていない。民は困窮し飢えているのだろう。これから3年、民に課す税と労役をすべて免除せよ」。

 命令は実行された。国家の収入が無くなったので補修費が捻出できず宮殿はいたるところで雨漏りするようになったが、仁徳は意に介さず免税を続けた。そして3年後再び山に登ってみると、あちこちから炊事の煙が上がっていた。

 仁徳は喜び「民のかまどはにぎはひけり」と言ったというのだ。今の永田町や霞が関に聞かせたい話である。

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 そういえば、こういうことを言う人がいる。「仁徳なんて大うそだ。あんな大きな天皇陵を造るには多くの人民を酷使し搾取したはずだ」と。この意見は正しいのだろうか?

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 そもそも「国家権力が作らせた巨大建築物は、人民の奴隷労働によるものである」というのは、マルクス主義あたりに由来する誤った史観なのである。

 たとえば、東京の原型である江戸を都市として完成させた徳川家康を思えばいい。家康は神田山を削り築地という埋め立て地を作り、江戸城を拡大し寺院や神社や武家屋敷や町人町をつくった。それが奴隷労働によるものだ、という人は一人もいない。手当てを払ったからだ。

 家康の「先輩」にあたる織田信長、豊臣秀吉も大規模な土木工事を何度もやっているが、それに対する恨みの声はない。なぜならそれは現代風に言うなら、「雇用の創出」であり「景気浮揚策」であったからだ。庶民はむしろ歓迎したのである。

 「都市の拡充ならインフラ整備を伴うから意義があるが墓など作っても意味はない」というのも間違っている。団塊の世代の方々は昔「ピラミッドはファラオ(王)が人民を奴隷労働で働かせ作らせたものだ」と習ったと思う。

 実は現代の考古学ではこの考え方は完全に否定されている。むしろ農閑期で仕事の無くなった農民の雇用を創出するための公共事業ではなかったか、といわれているのだ。となれば、日本の天皇陵築造もそうした公共工事であった可能性もある。もしそうだとすれば、民衆は潤ったはずである。当然それは君主への人気につながる。

 <「続 天皇の日本史」井沢元彦著、「仁徳天皇①・②・③」、夕刊フジ、2018年11月30日、12月1日、4日>

(3)私(藤森)の考えに近いものがありましたので紹介したいと思います。

 <やっぱりOUTだぜ!!>(大鶴義丹、夕刊フジ、2月5日)

 「小室家金銭トラブル報道への違和感」

 秋篠宮家の長女、眞子さまと婚約が内定している小室圭さんの家族金銭トラブルについて、一部メディアが解決に向かっていると報じている。

 先月、こうした金銭トラブルについて、小室家側が「ほぼ解決済み」と主張したことに対し、小室家に金銭的支援をしたとされる男性は「トラブルは解決していない」と反論していた。それが何とか好転しそうな雲行きのようだ。

 しかし、一連の「醜聞報道」に、心底うんざりしている方も多いのではないだろうか。

 最初に定義しておくが、この一連の報道は芸能人や政治家のスキャンダルとは、根幹的に次元が違う。だからワイドショーなどで中途半端に軽々しく扱われてしまうことに、とても違和感を覚えてしまう。

 小室家側は、皇室というものの意味を、本当に理解しているのであろうか。世俗的セレブか何かと心配になる。

 英国王室のロマンスなどが華々しく話題になるが、それと日本の皇室とはシステムや成り立ちそのものが違う。

 まず「最初の最初」の話として、皇室とは何なのであろうかということを、ほとんどの方が意図してか、または無意識なのか、一切を忘れたかのように話を進めていることが大問題だ。

 そもそも、天皇の血統と始まり自体、日本神話の時代にまで遡り、「古事記」や「日本書紀」などに登場する神武天皇とは、神様である天照大神の子孫であるという話からすべては始まる。

 それを信じる信じないにかかわらず、神武天皇が天皇に即位して以来、現在まで天皇家が断絶せずに、万世一系として続いてきたことが、皇室の由来なのである。

 その聖なる血統を守り、脈々と受け継いできた天皇家の人々は、故に人として生まれながらも、日本民族の永世を象徴する特別な存在なのである。

 もちろん神武天皇の存在自体が神話的なものであるという歴史的見解や戦後にGHQが行った天皇陛下の人間宣言なども踏まえて、そういう社会的システムそのものを否定する方や、急進的な制度改革を提唱する方もいる。

 しかし多少リベラルな素養もある私でさえ、皇室とは、神様の末裔であり、一般国民とは違う高次の存在であるという「世界観」の上で話を進めないと、皇室に関する話そのものが成立しないと理解している。

 開かれた皇室という流れもあるが、私は皇室とは、逆にもっと「神々しい」ものであって、閉じられていてよいと思う。逆にそうでなければ、そもそも論に話が戻ってしまう。

 多くの方が神社などに行くと感じる、神秘的な気持ちや、人知を超えた荘厳さ。そういう「世界観」を皇室は強く持ってよいと思うし、それが大事な社会的機能であると思っている。

 そういう聖なる領域において、中古ベンツの売値程度の金銭トラブルなどの「醜聞」がウロウロするということ自体、タブーを通り越し、「バチ当たり」なのである。

 世の中というものは、ほとんどが、くだらなくて、卑猥で、下世話なことに満たされている。そういう世俗的な事象を超越した存在としての皇室だからこそ、その存在を多くの国民が求め、精神的な支柱となっているはずだ。

 いよいよ平成も終わるが、平成という時代の軽薄さを、どこか象徴するかのような話である。

<おおつる・ぎたん・・・1968年4月24日、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画「首都高速トライアル」で俳優デビュー。90年には「スプラッシュ」で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。主な出演番組は「アウトxデラックス」(フジテレビ系)など。2月21~24日に脚本と演出を担当する舞台「小鳥の水浴」を新宿シアター・ミラクルで上演。>

(4)秋篠宮家の長女、眞子様と婚約が内定している小室圭さんの問題は、今後、かなりこじれる可能性があるものと、私(藤森)は推測しています。

 何故でしょうか?

 ある番組のコメンテイターが「ニューヨークに駆け落ちするんじゃないか」と発言していましたが、これはかなり正鵠を得ている(射ている)ように思えます。何故でしょうか?

 実は、私が発見したある「理論」にピッタリなのです。つまり、お二人の「脚本」がドンピシャリだと私は推測しています。

 多分、周囲は「破談」にしようとしている(?)ために、眞子様とご両親の関係が最悪状態になっていることが推測できます(眞子様とご両親が会話できなくなっているようです)。

 では私の「ある理論」とは何でしょうか?

<<子どもが女の子二人、あるいは男の子二人の場合、必ず、どちらかが「異性の親の性質」を引き継ぐ>>という考えです。

 そして、小室圭さんは完全にマザコンですから、眞子様が姉妹の中で、仮に、男性性を引き受けて成長しているとしたならば(私の判断では2つの点で引き受けていると判断しています)、かなり深い部分(脚本・深層心理)で波長が合っている可能性が極めて高いです。

 今まで、私が詳しく分かった家族は、例外なく、この「理論」に適っていました。オバマ大統領の家族もこの理論にピッタリだったのには、私自身が驚いたほどドンピシャリでした。そこでこの理論を「(仮題)マリア&サーシャ理論」としました。

 眞子様のご兄弟の場合、三番目に男の子が誕生しましたが、脚本的に申し上げると、お二人が(脚本的・年齢的に)十分に成長してから男の子が誕生しましたので、私の理論には全く影響されません。

 この理論については、下記の「今月の言葉」で詳しく解説していますので、興味のある方はご参照ください。

2010年9月15日第98回「マリアとサーシャという名前について」

第103回「マリアとサーシャという名前について(補足)」

第118回「マリアとサーシャという名前について(具体例①)」

第119回「マリアとサーシャという名前について(具体例の解説)」

第120回「マリアとサーシャという名前について(具体例の解説:追加)」

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