2020年2月15日第208回「今月の言葉」「ウィーケスト・リンクとは何か?⑨(夏目漱石③ー②)」(weakest link)

(1)私(藤森)は、一応、「深層心理」を専門にしています。グレタさんの場合にしても、カルロス・ゴーン氏の場合にしても、「あれ?何か変だぞ???」と直感することがよくあります。

 私たちは、多くの場合、本当に不思議(当然)なことですが、「平凡な存在」です。

 野生動物を見てみると、(動物の専門家ではありませんが)多分、多くの動物は「天才」ではなく、ほとんどが「平凡な存在」なのではないでしょうか。ただ、生まれて、与えられている「素質」を使いながら、ただ一生を、淡々と、餌を獲得し、子孫を残すために、精一杯生きているだけだと推測します。

 しかし、人間は、驚くほど(想像を絶するほど)、人生を、無理に無理を重ねて、何らかの「上昇欲求」を満たそうとします。ですから、一部のごく稀に最高級の目的が達成されても、「心身」に強度の無理を押しつけたり、家庭環境にしわ寄せをしてしまうものです。

 さらには、十分な上昇欲求が満たされない万倍、億倍の私達は、さらに悲劇的になりかねません。あるいは、あっさり諦めて、爽やかな人生を送ることができる可能性もあります。

 そういう実体験をしてきた私自身や、そういう多くの実例を沢山見たり、聞いたりしてきた私にとっては、そういう状況の背後に潜んでいる「不自然さ」を直感的に感じられるようになりました。「不自然さ」が私に訴えてきます。

 禅語に、「照顧脚下(しょうこ・きゃっか)=看脚下(かんきゃっか)」と言います。「足元を見よ」です。「放下著(ほうげじゃく・捨ててしまえ)」とも言います。「喫茶去(きっさこ)」「柳は緑、花は紅」なども言われています。

 「禅宗」では、こういう言葉が教訓となるのです。私達が、多くの場合に「欲求」する色々なことを「放下著」とアドバイスしてくれます。

 では、夏目漱石ほどの「大天才」に一体全体、何があるのでしょうか?いや、大天才だからこそ、「何か?」があるのが当然なのです。それが今回のテーマです。

 その直感を大事にしていると、不思議なことに、いつか、その不思議さを証明できる「何か!?」を発見することがよくあります。それがグレタさんであり、カルロス・ゴーン氏です。

 では、夏目漱石には、一体全体、何があるでしょうか。それを証明できる驚くべき事実があるのです。それを証明したいと思います。

 その前に、夏目漱石がどれほど異常な人格であったかを、まず紹介します。

(2)<夏目漱石>・・・慶応3(1867)年~大正5(1916)年。本名、夏目金之助。江戸の牛込馬場下横町で生まれる。父は高田馬場一帯を治める名主。帝国大学(東京帝国大学)英文科入学。俳人・正岡子規と同窓。卒業後、松山の愛媛県尋常中学校教師などを務めた後、イギリスへ留学。雑誌「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を発表して評判になり、その後『坊っちゃん』他を執筆、朝日新聞に『虞美人草』を連載。その他の代表作に、『夢十夜』『三四郎』『それから』『門』『こころ』『道草』『明暗』など。
(3)<妄想を伴う精神病性うつ病>

 夏目漱石が、わが国の生んだ最大の文豪であることに異論を唱える人は少ないであろう。漱石が活躍した時代からすでに100年以上の時がたっているにもかかわらず、彼の残した小説は今でも幅広く読まれているし、教科書などへの採録も数多い。

 それにもかかわらず、夏目漱石という人物について、あるいは彼のとった行動には、謎が多いのも事実である。なぜ漱石は、神田の眼科医院で偶然出会った女性が自分と結婚すると確信したのだろうか?なぜ慣れない留学先のロンドンで、ひんぱんに引っ越しを繰り返したあげく、自室に引きこもって過ごしていたのか?さらにはなぜ幼い自分の子供たちに対し、些細なことで激しい怒りを繰り返しぶつけたのか?

 こうした疑問に対する答えの1つとして考えられるのは、漱石は精神疾患を患っていたという事実である。(「文豪はみんな、うつ」岩波明先生著、幻冬舎新書)

 前回の2019年11月15日第205回「今月の言葉」「ウィーケスト・リンクとは何か?⑥(夏目漱石③ー①)」(weakest link)の一部を採録します。

<<<夏目漱石は、「うつ病」と言われたり、「統合失調症(精神分裂病)」という説も唱えられたり、「幻聴」「被害妄想」が見られたり、また、周期性の悪化を示し、精神的に安定している時期と病期がはっきりと分かれていた。

 精神科医の岩波明先生によれば、「精神病性うつ病」であると考えられるとのことです。これは、幻覚や妄想を伴ううつ病のことで、「妄想性うつ病」と呼ばれることもあるそうです。

 精神科医で、漱石の研究者である高橋正雄先生の報告によれば、漱石の小説17編の中で13編において幻聴や被害妄想などの症状が描かれており、さらに漱石の病状悪化時に執筆された11編においては10作品の主人公に精神病の症状がみられるとのことです。(「文豪はみんな、うつ」岩波明先生著、幻冬舎新書) 

 これをみると、「文豪」って一体何でしょうか。

 さて、仏教で大事なものは「因・果」、「結果」があるものは、必ず、「原因」があるということです。

 上記のような夏目漱石の症状にも、必ず、原因があるということです。

 次回、それを解明したいと思っています。>>>

(4)「夏目漱石の異常性を紹介します①」(「文豪はみんな、うつ」岩波明先生著、幻冬舎新書より)

漱石の家には、寺田寅彦や鈴木三重吉をはじめとして多くの弟子や学生たちが出入りをし、彼らからの敬愛を受けている。

 しかし、家庭では理由なく不機嫌にとなり、手当たり次第にものを投げたり、自分ひとりで怒りだしたりする。当時は千駄木に居住していたが、隣近所に対して被害妄想を持ち、近所に住む大学生を、「学生の姿をしているが自分を探っている探偵に違いない」などということもあった。

明治40年には、東京帝国大学を辞職して朝日新聞に入社し、その後連載小説の執筆を次々に行うなど旺盛な創作活動を行った。

 45歳ごろより、漱石は再び以前と同様のうつ状態となり、49歳で亡くなるまで断続的に遷延した。家族や女中などにたいする被害妄想がみられるとともに、幻聴もひんぱんにあり、女中が自分の悪口を言っていると文句を言い、電話のベルを気にするあまり、受話器を外しっ放しにすることもあった。睡眠障害のため早朝覚醒がみられ、家人を起こして回る奇行もあった。

(5)「夏目漱石の異常性を紹介します②」(「文豪はみんな、うつ」岩波明先生著、幻冬舎新書より)

「だれかに監視されている」「盗聴器をしかけられている」などの妄想が出現することもあるが、漱石の妄想は、主にこのような「被害妄想」であった。漱石は作品の中でしばしば「探偵」について言及しており、これも被害妄想によるものである。

 彼の小説の主人公は、不特定多数の人物から跡をつけられていると確信していることが多い。漱石の作品の中には、漱石自身が体験した幻聴や被害妄想と関連する表現がひんぱんに見受けられる。その例をいくつか示してみよう。

★<吾輩は猫である>・・・「珍野苦沙弥(ちんの・くしゃみ)」は、偏屈で胃が悪くノイローゼ気味とされているが、漱石自身がモデルである。次に示すように、「猫」の主である苦沙弥が家にいると、どこからか彼の悪口が聞こえてくる描写がある。これは、おそらく幻聴である。

 <<すると又垣根のそばで三、四人が「ワハハハハハ」と云う声がする。一人が「高慢ちきな唐変木だ」と云うと一人が「もっと大きな家へ這入りてえだろう」と云う。(中略)主人は大いに逆鱗の体で突然起ってステッキを持って、往来へ飛び出す。(中略)吾輩は主人のあとを付けて垣の崩れから往来へ出て見たら、真中に主人が手持ち無沙汰にステッキを突いて立っている。人通りは一人もない、一寸狐につままれた体である。>>

★<坊っちゃん>・・・この小説は明るい青春小説とみられることが多く、国民的な人気も高い。ところが驚くことに、『坊っちゃん』の中においても、幻聴や被害妄想を示す表現が述べられている。・・・生徒が自分を「探偵」しているのではないかと怪しむ。さらに次のように幻聴と思われる部分がある。

 <<突然おれの頭の上で、数で云ったら三、四十人もあろうか、二階が落っこちる程どん、どん、どんと表紙を取って床板を踏みならす音がした。(中略)気違いじみた真似も大抵にするがいい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、階子段を三股半に二階まで躍り上がった。すると不思議な事に、今まで頭の上で、たしかにどたばた暴れていたのが、急に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。>>

★<こころ>・・・明治時代の末期を背景として、人間の「罪」と「エゴイズム」をテーマに、苦悩する知識人の姿を描いた。次の一節は主人公である「先生」の言葉であるが、幻聴とそれに対する本人の独語がみられる。

 <<その力が私にお前は何をする資格もない男だとおさえつけるように言って聞かせます。(中略)私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴りつけます。不可思議な力は冷ややかな声で笑います。自分でよく知っているくせにと言います。>>

漱石はロンドン留学中に精神状態が悪化し、「神経衰弱」が再燃した。下宿先の家主に対する被害妄想、幻聴などもみられ、下宿先を短期間で転々とした。このころの漱石の様子は、師範学校時代とよく似ている。漱石夫人の手記には次のようにある。

 夏目がロンドンの気候の悪いせいか、なんだか妙にあたまが悪くて、この分だと一生このあたまが使えないようになるのじゃないかなどとたいへん悲観したことをいってきたのは、たしか帰る年の春ではなかったかと思っております。

 漱石は悲観的で自閉的な状態となり、漱石が発狂したという情報が日本の文部省に届いた。「夏目狂セリ」という国際電報が送られてきたという話が伝えられているが、差出人など詳細については不明である。当時の下宿先の女主人は漱石について、「毎日毎日幾日でも部屋に閉じこもったなりで、真っ暗闇の中で、悲観して泣いている」と述べている。

次に述べるのは、この第五の下宿にいたのでときのエピソードである。街で乞食が金をねだるので、漱石は銅貨を一枚手渡した。ところが下宿先に帰り便所に入ると、同じ硬貨が一枚便所の窓にのっていた。漱石は下宿の主人が探偵のように自分をつけて自分の行動を細大漏らさず見ているのだと確信し、憤慨したという。これは明らかに、漱石の被害妄想であろう。

 この話には後日談がある。漱石は日本郵船の博多丸によって、明治36年1月に神戸に帰国した。帰国して数日後、漱石は自宅で火鉢のふちの上に五厘銭玉がのせてあるのを見て、突然幼い娘をぴしゃりと叩いた。妻が理由を聞くと、ロンドンでのエピソードを語り、子供が同じことをして自分をばかにしていると思ったのだというのである。漱石には、ただの五厘銭が妄想を伴って知覚されたのだった。

【以上の驚くほどの「症状」を、これをご覧になっている皆さんはどのように思われますか。<<わが国の生んだ最大の文豪>>が、です。

 実は、漱石の、これらの異常性の原因=ウィーケストリンクを簡単に、そして誰でも納得できることを、簡単に証明できるのです。少し長くなりましたので、結論は次回に紹介させていただきます。】