2015年12月31日 第116回「トピックス」
②
●(1)前回の①で、私(藤森)は下記のように書きました。
<<<私(藤森)は、率直な気持ちとして、集団的自衛権も特定秘密保護法も好きではありません。しかし、世界情勢として、両者ともに必要性が高いものであるのかもしれません。つまり、やむを得ない法律である可能性が高いように思われます。 ですから、考え方そのものとしては、成立は仕方がないものだと言わざるを得ないのでしょう。 しかし、例えばです。 集団的自衛権も特定秘密保護法も、さらにはTPPも、必要妥当なものであるならば、正々堂々と対応してほしいと思っています。下記の「公文書残さず」のようなことは大変残念です。やはり成立させることは、重大な問題があるのではないかと思いたくなります。>>> いろいろな情報に接すると、前回も書きましたが、二つの法案はかなり、やむを得ないものかもしれません。 しかし、どうも、胡散臭い対応をしているように思えます。別の言い方をしますと、幼稚な対応をしているように思えてなりません。その典型例が、沖縄県辺野古の埋め立て問題です。 どうも、戦争体験をした20年以上前の首相や大臣・政治家と違って、最近の政治家は「情」の部分が極端に少なくなり、大問題を「理」で通そうとし過ぎています。その結果、グチャグチャになり、今度は予算を増額するなど「金の力」で捻じ伏せようとするいやらしい人間性を見せつけてきます。 前回は<<平成27年11月30日、東京新聞「公文書残さず衝撃」英NGO上級法律顧問・デイビッド・バニサー氏>>を取り上げましたが、さらに、法案のいかがかと思われるものをご紹介する予定でしたが、インターネットで気になる記事を2つ見つけましたので、今回はそれを転載させていただきます。 自分の好み(好き嫌い)を優先させることは止むを得ませんが、と同時に、その判断を裏付ける資料や情報を探したり、また、真逆の情報に触れたならば、自分の好き嫌いを可能な限り排除して、冷静・客観的に考える(思考する)ようにしたいと、私は思っています。 つまり、好き嫌いの「情」の判断と、「理」による冷静な判断とをできるだけ噛み合わせながら結論を導き出して行きたいと思っています。 |
●(2)<焦点:消えゆく日本の「8つのノー」、湾岸戦争が安保政策の転機に>ロイター 27年12月21日
米国の著名な日本研究者ケネス・パイル氏は、集団的自衛権の行使や武器輸出などを認めない日本の安全保障政策を、かつて「8つのノー」と表現した。指摘のほとんどは、もはや過去のものになりつつある。 <砂漠で戦う米軍、雪像を造る自衛隊> 湾岸戦争さなかの1991年2月、陸上自衛隊の吉富望3佐は都内で米軍との図上演習に参加していた。室内にはテレビモニターが並び、米側の将校はCNNが映し出す砂漠の戦闘に気を取られているようだった。その傍らで、別のテレビが札幌雪祭りで雪像を造る自衛隊の様子を伝えていた。 「本当に同盟国なのか、なぜ砂漠の米軍の隣に自衛隊はいないんだ。そう言われた」──。今年4月に陸将補で退役し、現在は日本大学で教鞭を取る吉富教授は振り返る。中東に原油の9割を依存しながら、憲法の制約で自衛隊を派遣できない日本は、代わりに戦費130億ドルを負担した。 それから四半世紀、日本は自国の領域外でも自衛隊の武力行使を可能にする法制を整備し、長らく堅持してきた武器の禁輸政策も転換した。大きく様変わりした安全保障政策は、強い日本の復活を目指す安倍晋三首相の主導によると思われがちだ。 しかし、振り返ると転機は湾岸戦争だった。あのとき安全保障政策に携わっていた関係者が感じた屈辱が、日本に平和主義からの決別を決意させた。「今起きている変化のルーツはそこ(湾岸戦争)にある」と、吉富教授は話す。 <机を叩いて後方支援を迫った米軍> 西元徹也氏も、湾岸戦争時の「小切手外交」で苦い思いをした1人だ。「砂漠の嵐作戦」が始まった91年1月17日朝、陸上幕僚監部の副長だった西元氏は、東京南青山の官舎でテレビを見ていた。巡航ミサイルがイラク領内に向けて発射された瞬間、西元氏は迎えの車を待てず、21段変速の自転車に飛び乗った。 当時は六本木にあった防衛庁に向かってペダルをこぎながら「日本は何もできないまま終わるのだろうか」と考え続けたという。「カネは出すが人的な貢献をしないと、国際社会に評価されないことがみんな分かった」と、西元氏は言う。 日本は翌92年、PKO(国連平和維持活動)協力法を成立させ、国際貢献のあり方にひとつの答えを出す。陸上自衛隊トップの幕僚長になっていた西元氏は、内戦が終結したカンボジアの復興支援に600人の隊員を送り出した。「あれが出発点だった」と、同氏は振り返る。 しかし、93年に朝鮮半島危機が起きると、新たな難問に直面した。核開発疑惑が持ち上がった北朝鮮に対し、米国は武力行使を真剣に検討。在日米軍司令官のマイヤーズ中将は、自衛隊トップの統合幕僚議長に就いた西元氏に、部隊の詳細な展開計画を提示した。 輸送や整備、補給、衛生、こうした後方業務を自衛隊が引き受けてくれるなら、米軍はその分の戦力を前線に回せると、日本側に後方支援を迫った。 ところが、当時の日本には、米軍の武力行使を後方で支援する法律がなかった。「民間の輸送業者、整備業者、物品業者と契約してくださいと言わざるを得なかった。本当に情けない思いをした」と、西元氏は振り返る。 米側は西元氏の幕僚に対し「これは日本の防衛そのものだろう。なぜこんな後方支援すらしてくれないのか」と、机を叩いて迫ったという。 このときのやりとりが、97年の日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定につながる。19年ぶりに見直されたガイドラインには、朝鮮半島や台湾海峡の有事を念頭に、米軍に対する自衛隊の後方支援の任務が追加された。99年には、こうした新たな活動を法的に担保する周辺事態法が成立した。 <残るは核武装> 2000年に入ると、自衛隊はインド洋に補給艦を派遣し、アフガニスタンのタリバン政権を攻撃する多国籍軍に給油活動を行った。イラク戦争後には復興支援に部隊を送り、ソマリア沖の海賊対処にも加わった。 自衛隊の海外活動は常態化していった。「これまで20年間、PKOや周辺事態法、有事法制を作る中で積み上げていった」と、昨年9月まで防衛相を務めた小野寺五典衆院議員は、日本の安全保障政策の変遷を振り返る。 そして、今年9月。中国が南シナ海や東シナ海への進出を強める中、日本は集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制を成立させた。自国の領域外でも自衛隊の武力行使が可能になり、日本が防衛力の軸足を移す東シナ海を中心に、日米が共同で活動するための条件が整う。 「(湾岸戦争から)背負ってきた荷物をようやく下ろすことができた」と、外務省副報道官を経て、現在は内閣官房参与の谷口智彦氏は話す。 焦点:消えゆく日本の「8つのノー」、湾岸戦争が安保政策の転機にc REUTERS 日本研究者のパイル氏が指摘した「8つのノー」とは、海外派兵はしない・集団的自衛権の行使は認めない・戦力投射能力は持たない・宇宙の軍事利用はしない・武器輸出はしない・軍事技術を他国と共有しない・防衛予算は国内総生産(GDP)の1%を超えない・核兵器は持たない──だった。 「『8つのノー』はすっかり過去のものとなった。核武装を除けば」と、パイル氏はロイターに語った。 (久保信博、ティム・ケリー 取材協力:リンダ・シーグ 編集:田巻一彦) |
●(3)平成27年12月、ある方のインターネットだったか、配信されたものだったか・・・・なんと表現してよいのやら分かりませんが、インターネットに紹介されていた作品の中の下記の部分を紹介します(しっかり記録していなかったため、正確な作者を紹介ができないことは大変申し訳ないことだと反省しています)。
北野様AJCN代表の山岡です。 州政府は、商業上の契約に過ぎないとうそぶいていますが、当該企業は中国共産党はもちろん、人民解放軍とも深い繋がりがあることが軍事専門家から指摘されています。 それもなぜか、たまたま停泊していた米軍の巡洋艦の艦長の視点で描かれるとか。そして、バーチャルリアリティーの技術を提供するのがあのサムソンなのです。多くの人が亡くなった空爆の疑似体験をツーリストアトラクションにするとは、何という不謹慎でしょう。 日米を離反させたい中国共産党の意図、そして、韓国の利用があからさまだと感じるのは私だけでしょうか?北部準州政府は中国に乗っ取られてしまったのでしょうか? まさに、2つの動きが同時に進行しているのです。 PS こんな状態で、潜水艦の技術供与をしていいのでしょうか?中国の「反日統一共同戦略」は、依然として「継続中」であることがはっきりわかります。中国を挑発する必要はもちろんありませんし、すべきではありません。 |
<文責:藤森弘司>
最近のコメント