2015年1月16日 第110回「トピックス」

「癌とは何か?」①

●(1)正しい情報に触れることがいかに大事かをこれから証明したいと思います。

 私(藤森)は、福島原発事故の「その後の問題」は、当初からかなり誤解があるように思っています。しかし、現在進行形の福島原発を、素人である私が取り上げることは問題があると思い、周囲には説明していても、このHPでは触れませんでした。
 しかし、やはり、チェルノブイリのその後を見ると、私が想像したとおり、誤解が多く、風評被害が巨大のようです。

 チェルノブイリを訪れている他の方も取り上げていましたし、映画「パンドラの約束」<2014年4月30日「今月の映画」第141回ご参照>でも取り上げていましたが、私たちが一般に認識していることとかなり違うようです。次の新聞記事をご覧ください。

◆平成27年1月14日、夕刊フジ「チェルノブイリから学ぶ福島への教訓①」石井孝明著

 <敵は放射能よりも恐怖による精神的悪影響>

 1986年に旧ソ連のウクライナで発生し、世界を震撼させたチェルノブイリ原発事故。筆者は昨年11月、作家の東浩紀氏が経営する出版社「ゲンロン」が主催したツアーを利用して現場を取材した。残念ながら、福島第1原発事故を起こした日本で、チェルノブイリでの失敗が似たような形で繰り返されていた。
 インターネットで「チェルノブイリ」という単語を検索してみよう。「生命が死に絶えた」「子供に障害が増えた」「5万人以上が死亡した」など、恐ろしい情報があふれる。
 ところが、現地に行くと拍子抜けした。危険は誇張されていたのだ。

 原発から10キロ近くまでの放射線量は毎時0・1マイクロシーベルト前後と、日本よりは高いが、パリや北京、ロサンゼルスなど、世界の主要都市と同じ程度だ。さすがに、事故を起こした原子炉4号機から壁を隔てた場所では毎時30~40マイクロシーベルトと高いものの、即座に健康被害の出る状況ではなかった。事故は拡大を押さえ込まれていた。

 周辺地域は避難指示の出たまま放置された。住民の帰還作業が大変だったためのようだ。しかし、勝手に帰った人々がいる。ウクライナでその数は約1000人。大半が高齢者で亡くなったり、再移住しており、現在では100人程度に減っていた。
 帰還者の77歳の男性に話を聞いた。
 「村にいた同世代の人の多くは亡くなった。移住先でのストレスのせいだろう。私は故郷で暮らせて幸せで元気だ」
 この人は兵役で放射線防護部隊にいたために知識があり、自分の村は汚染されていないことが分かって、安心して暮らしているという。

 国連の調査(2011年公表)では、原発事故直後に、作業員や消防士138人が急性放射線障害になり、28人が亡くなり、2000年までに19人が死亡した。また、放射性物質をかぶった牧草を食べた乳牛のミルクが流通し、約4000人が甲状腺がんになり10人が亡くなった。だが、それ以外に健康被害は確認されていない。

 筆者はチェルノブイリ事故の被害を矮小化する意図はないが、世界に広がったイメージとは異なり、現地の状況は破滅的なものではなかった。
 現地を調査したロンドン王立大学のジェラルディン・アン・トーマス教授(分子病理学)に、福島で取材したことがある。彼女は「チェルノブイリでは、低線量被ばくによる健康被害は確認できない。それよりも恐怖や誤った情報による精神面の悪影響が大きかった。福島でも心の問題が起こることを懸念している」と語っていた。

 チェルノブイリ近郊は森と湖に囲まれた、美しい場所だった。前出の帰還男性は「使わないのはもったいない」と語った。美しい福島が原発事故後の復興が進まないことに、筆者も同じような悲しみを抱いている。
 科学的な検証によって不必要な恐怖をなくし、原発事故の悪いイメージを福島でなくす必要がある。このままではチェルノブイリの失敗が繰り返されてしまう。

◆平成27年1月15日、夕刊フジ「チェルノブイリから学ぶ福島への教訓②」石井孝明著

 <資源エネルギーを外交カードに「持つ国」の侵略恐怖>

 チェルノブイリ原発を訪問すると、強く印象に残ることがある。
 ここは廃墟ではなく、現在も送配電の拠点であり、廃炉作業が続くため、数千人もの人々が働く生きた施設なのだ。そして、原発事故後も14年間、別の原子炉は稼動していたのである。

 <後略>

◆平成27年1月15日、夕刊フジ「チェルノブイリから学ぶ福島への教訓③」石井孝明著

 <事実の隠蔽で不安とパニック広がり・・・社会を崩壊させたデマ>

 <略>

 2011年のロシア政府の事故25年の報告書では「放射能という要因と比較した場合、精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限など社会的・経済的影響の方が、はるかに大きな被害をもたらした。社会混乱やストレスの影響は膨大なものになった」と総括した。

 そして、チェルノブイリには悪いイメージが定着してしまった。
 「気持ちの悪い場所。普通の人はいかない」。ウクライナの25歳の日本文学専攻の大学院生が語っていた。

 福島第1原発事故では、事故直後から4年近く経過した今でも健康について、過度に危険を強調する間違った情報が流通している。旧ソ連と違って自由に情報が流通しているのに、内外の専門家がそろって「福島で健康被害の可能性はない」と繰り返しているのに、不安は消えない。

 その理由はさまざまなものが重なっているが、主因の1つは、デマが大量に流れ、正確な情報が見えづらくなっていることにある。
 善意であっても無知ゆえにデマを拡げてしまう人も多い。健康をめぐるデマは人を傷つけ、社会を壊す。情報は細心の注意で、扱わなければならない。その危険を日本人はチェルノブイリから学ぶべきだ。

 <石井孝明氏・・・・・ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。慶応大学経済学部卒業。時事通信記者、経済誌記者を経て、フリーに。エネルギーや環境問題、安全保障、戦史の研究や取材・執筆活動を行なう。アゴラ研究所運営のエネルギー情報サイト「GEPR」の編集を担当。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞)など。>

●(2)下記の(4)の①~⑨すべては、私(藤森)が作成した「癌とは何か?」の資料(冊子)の一部です。

(4)<心理療法の奥義part③<「ムラ」社会から学ぶ>

①警鐘レポート・測量学の権威・村井東大名誉教授が緊急予測

 <2014年後半「大地震の予兆」マップ>

 <略>

 村井氏がいう。

 「これほど緻密なGPS網が国土をカバーしているのは世界でも日本だけです。私はこのデータを地震予測に活かせないかと考えた。そこで00年から07年に起きたマグニチュード6以上の地震162件すべてのGPSデータの追跡調査を行なった。結果、基準点では地震の前に明らかな前兆現象があるということに気づいたのです」

 前兆現象とは「土地の微小な変動」を指す。

 具体的には、1週間単位の短い期間の間に、電子基準点にどれだけの上下動があったかを調査する。4センチ以上の変動があった場合を「警戒ライン」とし、過去の地震前に起きていた変動パターンと比較したうえで、地震発生の可能性を指摘する。

 この予測法は、これまで何度も人々を驚かせてきた。

 本誌は5月23日・30号で、村井氏が5月5日に首都圏を直撃した地震(東京・千代田区で震度5弱)を直前に予測していたことを紹介したが、それだけではない。

 驚くべきことに、5月5日以降、計4回発生した震度5以上の地震をすべて的中していたのだ。

 <略>

 村井氏はその後も顧問を務める民間会社JESEA(地震科学探査機構)のメールマガジン『週刊MEGA地震予測』の中で「函館周辺は要注意」「青森県北部は要注意」と繰り返し呼びかけた。

 すると7月8日に北海道南部の石狩地方で震度5弱を記録する地震が発生。8月10日には青森県東方沖を震源とする震度5弱(青森県三八上北)の地震が起きたのである。

 7月5日には岩手県沖地震(震度5)が発生。これについても、村井氏は毎週のようにメルマガで<東北・関東の太平洋岸では隆起が非常に貯まっており、いつ地震が起きてもおかしくない>と警告していた。

 圧巻は9月3日午後4時に配信されたメルマガの予測だ。栃木県を今年初めて「要警戒」と指摘したうえでこう解説した。

 <長野県、群馬県、栃木県、岐阜県の山脈地帯にまとまって異常変動が見られました。上記4県に5センチ超の異常変動があります。要警戒です>

 その直後の午後4時24分頃、栃木県北部で最大震度5弱(日光市)の地震が発生したのだ。

 村井氏は決して成果を誇らず、「私の予測法は、まだ場所や規模、日時を正確に提示できるような段階にはありません」と今後の課題を語る。

 しかし多くの地震学者たちが長年提示してきた予知がほとんど空振りだったことを考えれば、もっと注目されていい。日本の地震学の最高峰とされる東大地震研究所さえ、12年1月に「M7級の首都直下型地震が4年以内に70%の確率で起こる」と発表した後に「50%以下」と撤回し、世間を混乱させた程度の精度と自信度なのだ。

 権威や過去の学会ヒエラルキーにとらわれず、専門の学者たちも村井氏の研究に手を貸す度量を持つべきではないか。

 <平成26年9月19・26号、週刊ポスト>

②「井沢元彦(作家)VS梅原猛(哲学者)」

 <日本人の心に生き続ける“怨霊史観”を読み解け!>

 <略>

井沢氏・・・40代の頃から、ずっと「通説」を否定し続けてこられたのですね。

梅原氏・・・ええ。私は生来の“反逆児”なのかもしれませんね(笑い)。

井沢氏・・・デカルトは「学問とは疑うことだ」と言っていますが、日本では「師匠の説を継承することが正しい」とされる、儒教的師弟関係になってしまっていますね。

梅原氏・・・そうそう。真理には耳を貸さずにボスの言うことを聞く。

井沢氏・・・自然科学系の学問は世界的な研究テーマがありますから間違っていれば海外で否定されることがありますが、日本史のような人文科学系ですと、それも期待できませんね。

梅原氏・・・ボスの説に反対を唱えたら、学界で職を失ってしまう。だから、ボスの説を継承するのがいちばんいいわけです。そういう考え方の学者たちは、私が提唱した説に対して反論しないのだけれども、肯定もしない。それでいて、こっそりと私の説を部分的に引用していたりする。

井沢氏・・・卑怯な態度ですね。

梅原氏・・・マスコミには私の説に賛同してくれる人も多いのですが、学界では密かに部分的に採用されているという感じですね。

 まだ私が生きているうちは、公に認められることはないでしょう。私は専門が哲学ですから、国文学や歴史学の人たちからすれば専門外の人間が真理を発見するというのは、彼らのメンツが立たないのでしょう。だから、私の説は私が死んでから認められるのではないかと思っていますよ(笑い)。

井沢氏・・・梅原先生のように、学界の垣根を越えて全体を見渡してらっしゃる方が少ないのが残念です。

梅原氏・・・それが問題なのです。以前、考古学者と一緒に出雲の遺跡に調査に行ったことがありました。その学者はたしかに考古学については詳しいのだけれど、神道や仏教のことについてはまったくといっていいほど知らないのです。

 逆に、宗教についてよく知っている学者は考古学のことをまったく知らない。古代史をやるからには両方を知っていなければならないと思うのですが、そういった総合的な視野が現代の日本の学問には欠けているのではないでしょうか。

 <略><平成26年9月19・26号、週刊ポスト>

③「製薬会社と医学部『500億円利権』の暗部」

 <すべて暴く!国立大学現役教授が覚悟の実名告発!>

 日本の医薬業界が、製薬大手「ノバルティスファーマ」の薬に関わるデータ改竄事件で揺れている。背景には、製薬会社が大学医学部の教授を“籠絡”すれば、いとも簡単に現場の医師と患者を騙せ、巨額の利益を得られるという構図がある。今回、現役の国立大学教授が実名で、あまりに生々しい「製薬会社と医学部」の癒着の現場を告発した・・・。

 <ノバルティス事件は氷山の一角>

 「大学の研究者が製薬会社にとって都合がいいように研究データを改竄し、それを根拠に執筆された不正論文は、この大学にもヤマのようにあります」

 不正の証拠となる写真や論文を示しながら、岡山大学の森山芳則・薬学部長はこう言い切った。

 資料を見れば、医学や薬学の知識がない素人目にも不正は明らかだ。まったく同じ細胞を写した写真なのに、シャッターの露光時間を変えて撮影することで、別の細胞のように見せて研究サンプル数を水増ししたもの。2つの写真を貼り合わせて“加工”したと見られる実験結果・・・。そうしたデータの改竄の積み重ねによって、製薬会社の望む“薬効”が演出され、「よく効く薬」だと、アピールされることになる。

 <略>
 ・・・つまり、データ改竄によって、地位が上がり、カネに恵まれるわけで、科学者の良心を売り渡す人がいてもおかしくない構図があるのです」

 <スポンサー名を論文に明示しない>

 製薬会社からの奨学寄附金は、指定された研究者が自由に使える。たとえば、製薬大手A社は、慢性腎臓病対策のために、2013年の1年間に2250万円の寄付金を岡山大学に出している。どのような研究に使われたのか。その使途を見ると、最も高いのは人件費で1800万円だった。

 このカネで医局のスタッフを充実させることができる。他の使途は、備品消耗品・論文掲載費用が350万円、国内外の旅費が100万円だった。

 製薬会社からカネを引っ張れるのがいい教授で、それが個人の懐と研究室の懐の双方を温かくしてくれる構図だ。

 実際、製薬会社から医師・医療機関に流れる資金総額は、日本全体で年間で約5000億円にも達する。国の医療分野の研究開発予算1700億円と比べてみても、なんと約3倍の規模である。

 だが、そうした製薬会社のカネは、有効活用されているとは言い難い。森山氏がいう。

 「医薬品開発には、約1000億円かかるといわれますが、新薬の種を見つけるまでの研究費は、実際はそこまでかからない。問題なのは、薬の主たる効果にほとんど差がないにもかかわらず、ライバル社の薬よりも少しでも優れている点を“探し出す”臨床研究に、莫大な研究開発費が注がれていることです」

 新薬の開発よりも、後付の「売るための宣伝材料」の研究に、巨額のカネが投じられているというのだ。

 <略>

 「科学者は、そんなことをしないと思い込んでいました。私の30年以上の研究生活では、データに即し、実験結果を踏まえた研究をやるのが当たり前。都合のいい結果を得るために改竄するなんて、考えてもみなかった。だから驚き呆れ、何があっても改善しなければ、岡山大学はたいへんなことになると立ち上がった」

 この実態を、隠蔽しようとした学長ら執行部と、薬学部幹部が、正面衝突するのも当然だ。激化する争いのなか、執行部サイドは論文不正の追及も含め、森山氏らに「ハラスメントの疑いがある」と追い込もうとし、それに森山氏らは反発。

 「地位確認」や「公務員の職権濫用」で、学長ら主だった大学執行部を訴えるとともに、攻撃を先鋭化させた。

 それが結果的に大学医学部の病理を暴き、製薬会社と大学(研究者)の癒着にメスを入れることになった。<略>

 <平成26年2月21日、週刊ポスト>

④「医者が抗がん剤を『いい薬』と言うのは、比較試験の欠陥・インチキを見抜けないからだ」

 <がん治療最終抗議>(近藤誠)

 <略>

 図1は、進行した非小細胞肺がん患者を2群に分けて、タルセバ(商品名)とプラセボ(偽薬)を与えた比較試験の結果です。タルセバ投与群の生存率が向上しているので、「いい薬」といえなくもない。

 ところが、この試験結果は信用しがたいのです。というのも、試験結果を報じた論文の著者欄に、製薬会社の社員が2人も名をつらねているからです。

 最近日本で、降圧剤の比較試験に製薬会社の社員が関与していたことが発覚した事件がありました。調査班が組織され、試験の臨床データを点検したら、社員が改変したデータが次々見つかり、論文は撤回され、世界中の専門家から、日本で行なわれた臨床試験は信用できないとの声があがっています。

 図2は、別の研究グループが行なったタルセバ(商品名)の比較試験の結果です。タルセバを投与しても、プラセボを服用する患者と生存期間は同じです。

 似たような比較試験が幾つかあって、結論が異なるときは、延命効果を示した試験には欠陥ないしインチキがあったとみなすのが自然科学上の原則です。

 つまりタルセバには延命効果はありません。それでいて副作用はしっかりあるのですから、タルセバは「とんでもない薬」としか評価できないわけです。<平成26年2月11日、日刊ゲンダイ>

⑤平成26年6月28日、夕刊フジ「大前研一のニュース時評」

 <原子力規制委・“現場”を知る人材の登用を>

 (略)規制委には原子炉の専門家がほとんどいない。田中委員長も放射線の専門家で3・11の後は除染で活躍していたが、原子炉本体に関しては素人だ。今回任命された田中知氏がそこを補ってくれることに期待したいが、私はもう少し設計現場に近い人をメンバーに入れるべきだと思う。

 現場とはつまりメーカーの人たちだ。そうすると、また「メーカー寄りだ」「原子力ムラの人間だ」という批判が出てくるだろう。しかし、知識のない学者をメンバーに持ってきて多数決で決めるよりはマシではないか。

 原子力専門学者といっても従来は電力会社の提供したデータを読んでいるだけのお飾りが多かった。だからこそ、3・11の後、福島第一原発で何が起こっているのか説明できる人が1人もいなかった。

 テレビを見ただけで炉心のメルトスルーが起こっている、と主張した私に対して、批判することも肯定することもできなかった。その後、私がボランティアでやった「一人事故調」の報告文を今となっては東京電力もすべて認めている。つまり当事者は事故の分析も対策も自分たちではできなかったのだ。

 現在の電力・原子力業界の悪しき習慣を乗り越えようと思うなら、メーカー側からの人材も入れなくてはならない。

 原子炉の設計をしていた私のような経験を持った人は業界にはたくさんいる。

 要は退路を断って国民のために残る人生をささげよう、という決意のある人を選んでくるだけだ。

 原子炉は学者や研究者が見かけだけの議論ばかりをしていても安全性は高まらない。規制委はいまだに福島第一の自己分析を自分でやっていない。すべてはそこから始まる、と私は考えている。

⑥平成26年8月22日、日刊ゲンダイ「語り部の経営者たち」

 「城南信用金庫・吉原毅理事長59歳⑧」

 <原子力ムラはお金の魔力で結ばれている>

 <略>

 電力会社やその連合体の電事連、政府、原発推進派の国会議員、関連企業、経産省などの官僚、大学の研究者、そして大手マスコミ。

 原発推進で利益を得る「原子力ムラ」の面々を吉原氏は、「お金の魔力で結ばれ、『自分さえよければ』という個人主義を増幅させている」と批判する。

 <略>

⑦「衝撃の告白・薬剤師は薬を飲まない」

 <火事でない家にも放水>

 <略>

 昨年12月に発売され、医学界で話題を呼んでいる『薬剤師は薬を飲まない』(廣済堂出版刊)の著者で薬剤師、そして栄養学博士でもある宇多川久美子氏は次のようにいう。

 「私自身、35歳から40歳過ぎまで頭痛や肩こりに悩まされ、毎日10数種類の薬を飲んでいました。しかし、あるとき、すべての薬を手放して生活習慣を改善したところ、薬を飲まなくとも症状が軽減されていったのです」

 そもそも“薬が効く”ということ自体がとても怖いことだと宇多川氏はいう。

 「たとえば、火事が起きたら消防車を呼びますが、消防車は火事の家だけに放水します。

 しかし、薬は体の不調なところだけピンポイントで作用するわけではありません。飲み下された薬は胃で消化され、全身を駆け巡ります。

 言うなれば、住宅街をくまなく回り、火事でない家にも放水して屋根や壁を痛めつけているようなものです。そうした薬の本当のメカニズムを知っているからこそ、私は薬を飲まないのです」

 宇多川氏が「飲んではいけない」と唱える理由を以下、挙げてもらった。

 <生活習慣病は薬では治せない>

 心臓病や脳卒中の要因ともなる高血圧や高脂血症は、日々の生活で薬を飲みながら治療を続ける人が多い。そうした人にとって、薬は手放せない存在だ。

 「血圧が基準値を大きく上回っているため、降圧剤は朝夕ごとに欠かせない。出先で持ってくるのを忘れたことに気づくと、家に取りに帰るほどです。急に倒れたりするのが怖いから」(70代男性)

 しかし、宇多川氏は生活習慣病にこそ薬は不要だと断言する。

 「たしかに降圧剤を飲めば、血圧は下がります。ですが、薬局の窓口で『薬を飲んで体がだるくなった』と相談してくる方がたくさんいるのです。

 高齢の人がなぜ血圧が高くなるかというと、加齢によって血管の弾力がなくなり血液が流れにくくなってしまうので、圧力を上げて全身まで血液を行き渡らせる必要があるからです。

 それなのに、急激に血圧を下げてしまったら体に血液が行き渡らずだるさを感じてしまう。180だった血圧をいきなり130に下げるのですから、体に無理を強いているのです」

 薬の副作用と思って我慢する人もいるようだが、あまりにも不調を感じるのは危険サインだ。

 「薬は一時の症状を緩和するだけで、病気そのものを完治させることはできません。薬に頼るよりも、生活習慣を改善することがなによりも大切です」(宇多川氏)

 <略><平成26年2月21日、週刊ポスト>

⑧「井沢元彦・激闘の日本史~アヘン戦争から戊辰戦争まで~」

 <人間を身分だけで判断する悪癖>

 松平定信が林子平を処罰した理由。

 それは子平の著書である「海国兵談」の内容が誤りだと思ったからではない。

 地方の藩の医者の弟という分際で、こともあろうに天下の御政道を批判した事、それ自体が許せぬという理由なのである。

 これも実は朱子学の影響だ。朱子学では士農工商以外の身分、たとえば医者や重要では無い分野の職人を巫医百工(ふいひゃっこう)などと呼んで侮蔑する。子平はその医者ですらない、今で言えばフリーターだ。

 そしてここが一番肝心なことだが、朱子学の影響で日本人は、人間を身分だけで判断するという悪癖に染まってしまったのである。

 江戸時代よりも前の安土桃山時代、たとえば織田信長は木下藤吉郎という身分の低い士の意見を「あの者は身分が低いから、意見を出す資格すらない」と退けたか?

 事実はまったく逆で藤吉郎がまだ足軽以下の小者であった時代から、その意見が正しいと思えばどしどし採用したではないか。

 確かに同じ戦国大名とはいえ、今川義元はそういう事はしなかっただろう。しかし信長は人間の身分あるいは外見で人物を判断するなどということは、決してしなかった。

 醜いサルのような男が言う意見でも、それが正しいと確信すれば、当たり前のように採用した。

 そして信長の薫陶を受け天下を取った藤吉郎いや豊臣秀吉も、桶作りの職人修行をしていた福島正則を堂々たる武将に育て上げ、寺の小坊主だった石田三成を天下の財政担当に抜擢した。

 だが、幕府の政策によって朱子学の毒が日本中に広まった結果、日本人はこういう能力を失ってしまった。

 特に定信のようなガチガチの朱子学徒はまず「こいつの身分は?」という目で人間を見る。そして身分が低いと判断すれば、どんな優れた意見であっても決して受け付けない。

 いや正確に言えば、「身分の低い人間が優れた意見など言うはずがないと決めつけてしまう」ということなのである。これが朱子学の生み出す最大の偏見の一つだ。

 「昔の人はバカだなぁ」なんて思ってないでしょうね?

 東大卒だから当たり前のように他の大学卒より優れていると考えるのも、実は朱子学のもたらした偏見が今も尾を引いているのである。朱子学体制というのは試験によって人間を選別する。合格した人間は利口で落第した人間はバカだ。

 最初からそのように決め付けるから、本当の意味で人の意見を判断する能力を失ってしまう。確かにハーバード大学を卒業するのは大変なことかもしれない。

 しかしアメリカにはハーバード大卒だからといって無条件にその人間を優秀だと思い込む人は、少なくともまともなビジネスマンにはいない。そして木下藤吉郎のような人間がトップに登りつめる余地は、ちゃんと残されている。

 しかし戦前の帝国陸軍では木下藤吉郎は大将になれない。理由は簡単で、藤吉郎は陸大を出ていないからだ。おわかりだろう。これも朱子学の悪影響なのである。

 老中松平定信にとって、幕府に貿易という商売をさせようとした田沼意次は極悪人であった。その極悪人が派遣した蝦夷地探検隊が意次の失脚後、江戸に帰ってきた。当然彼等は役人の義務として報告書をまとめて提出した。

 それは幕府にとっても貴重な資料のはずである。しかし定信はそんなものは必要ないと破棄してしまったのである。いかにメンバーが気に食わないとは言え、調査は公的費用で行なわれた公務である。そしてそれは老中だからといって、ドブに捨てさせていいものでもない。貴重な公的財産ではないか。それを定信はやったのである。

 再び言う。どうしてこんな男が名君と言えるのか!

 そしてそんな定信をあざ笑うように、ロシアの使節が通商を求めて蝦夷地の箱館(函館)に現れた。

 <幕末維新編(49)、平成25年2月19日、夕刊フジ>

⑨平成26年9月8日、日刊ゲンダイ「大新聞の実情」

 <略>

 <御用機関同士の叩き合いに未来はない>

 もっとシニカルに言えば、日本の大メディアなんて、どこもかしこも目クソ鼻クソの類いなのである。

 戦時中は大本営発表を垂れ流し、国有地を安く払い下げてもらって、記者クラブでも便宜を受ける。そんな連中が権力をまともに批判できるわけがないし、だからこそ、矛先をライバルに向けて、潰し合っているのである。

 そんな構図は東京・銀座界隈を歩いてみれば、すぐわかる。巨大商業施設の「有楽町マリオン」と「プランタン銀座」は、それぞれ朝日と読売の旧東京本社跡地に立っている。いずれも両紙の関連会社が所有し、莫大な不動産収入を稼いでいる。

 それじゃあ、現在の朝日と読売の東京本社が立つ土地はといえば、どっちも「国有地の払い下げ」だ。両紙の本社ビルにも多くのテナントが入居し、不動産収入を得ている。こうした恩恵を受けているのは朝日と読売だけではない。

 他の新聞社や放送局の本社ビルも国有地の払い下げが多いし、だから彼らは腐った報道を続けても、不動産屋として生き残っていけるのである。

 立教大学教授の服部孝章氏(メディア論)はこう言った。

 「商業主義に傾いた日本のメディアは昔からコトの本質に迫ろうとしません。今度の内閣改造のリーク報道合戦もヒドかった。事前に人事情報が漏れれば、名前の出た議員や大臣待望組を抱える派閥のボスは政権批判を控えます。出なければ不安になって政権にスリ寄る。時の政権が『ためにする』情報操作の一環でしかないのに、今のメディアはそれを承知で連日、閣僚人事で紙面を埋めた。タカ派同士の愚劣な権力闘争を『安倍VS石破』とプロレス興行のような構図で伝えたりする。

 その結果、集団的自衛権や原発再稼動、沖縄・辺野古周辺の政府の蛮行は後景に退けられてしまった。真相を国民に伝えない姿勢は戦前と同じで、内閣改造後に安倍政権の支持率が上昇したのが、その証拠でしょう。

 朝日批判を続けるメディアも商売敵を攻撃する前に、まず国民のために現政権の暴挙を追及すべきです」

⑩日本の心身医学の創始者・池見酉次郎先生は、生前、講演会でしばしば、おっしゃっていました。

 「日本の学界でいくら話をしても、誰も注目しないが、外国の学界で講演し、注目されると、日本の先生方は一斉に注目する」と。

 日本は完全に「ムラ」社会になっていて、「何を言ったか?」ではなく、「誰が言ったか?」が全ての社会になっています。

 大前研一氏ほど優れたキャリアがあり、社会的に大活躍している方が、「一人事故調」で素晴らしい提言をしても、ほとんど相手にされないという、全く信じられない社会です。

 明らかにおかしいと分かることでも、「ムラ」社会では、黙々と、バカバカしいことをやれる人間が出世するのでしょうね。

 そういう専門家が、やがて「事故調」の委員になっても、大前氏がおっしゃる<退路を断って国民のために残る人生をささげよう、という決意のある人>がいる訳が無いことになります。

 そういう決意のある人は、とっくの昔にヒエラルキーから外れている、あるいは外されているはずです。

 癌の専門家の近藤誠先生はその典型例ではないでしょうか。

 週刊ポストで、卓越した「逆説の日本史」を長期に連載されていらっしゃる井沢元彦氏や梅原猛氏なども、歴史学界から外れている方のはずです。

 村井俊治東大名誉教授でさえ、地震学界からは無視されている方です。

 とするならば、大事なことは、私たちは、「ムラ」社会の枠から外れている専門家の意見を拝聴できる人間性、「何を言っているか」に注目できる人間性を育てることです。

 「癌」についても、私(藤森)自身は素人ですが、「ムラ」社会のヒエラルキーから外れている専門家の意見に、真摯に耳を傾けられる常識的な「知性や感性」を育てることこそが、癌を始めとする種々様々な「慢性病(心身医学が対象とする病気や症状・一般にいわれる生活習慣病)」に対して、免疫力(自然治癒力)を高められる最良の方法ではないかとさえ思います。

 もちろん、「心身医学界」も「心理学界」も、ヒエラルキーが重要であることは言うまでもありません。

 日本の社会では、組織ができるところは、必ず、「ムラ」社会になる可能性が高いです。

 「ムラ」社会になれば、一番重要なことは「正しいか否か」ではなく、ムラ社会の一員か否か、一員ならば、ムラ社会の地位はどの程度か否か、です。

 正しくない方法であろうとも、ムラ社会のボスが言うことならば、それを大事にすることに「疑問」を持たないのですから、「ムラ」社会に生きる専門家がどうやって「癌」なり「病気」なり、「社会の歪み」を治せるのでしょうか?

●(3)「癌とは何か?」・・・・・お読みいただいた方からはご好評をいただいています。私(藤森)の独断と偏見で書いたものではありません。
 信頼できるいろいろな専門家の資料を集めながら、深層心理の専門家として、独自のアイデアを加味して書き上げたものです。多分、これだけ多角的な資料を活用した専門家はいないでしょう。
 少なくとも、一読するに値する「資料」だと自負しています。ご希望の方には差し上げます。メールやハガキなどでお知らせください。

<文責:藤森弘司>

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