2014年2月15日 第108回「トピックス」
私説・曽野綾子・論
(補足)

●(1)「私説・曽野綾子・論」<第99回(④ー①)を2013年9月30日> <第100回(④ー②)を10月15日> <第101回(④ー③)を10月31日> <第102回(④ー④)を12月15日>4回書きました。
「補足」をすぐに書く予定でいましたが、2014年に入って「癌とは何か?」の資料作りを始めて、ほぼ1年がかり、私(藤森)のライフワークになりました。ほぼ1年ぶりになりましたが、「完結編」を書きたいと思います。

 「補足」として、「完結編」を書きたい理由は、実は、曽野先生のある著書の中で、大変気になるところがありました。私としては、私の専門の分野に関わるその周辺をどうしても書きたいというのが理由です。まずその前に、私は面識の無い曽野綾子先生を尊敬していることを、このHPでしばしば述べています。しかし、どのように尊敬していると言うのか、私自身、適切な表現がありませんでしたが、「癌とは何か?」を書きながら、適切な表現が見つかりましたので、まず、それを紹介したいと思います。
●(2)「癌とは何か?」(藤森)より。

 <知行一如とは何か?>

 「知行一如」は、「ちこう・いちにょ」と読みます。
陽明学の祖・王陽明は「知行合一(ちこう・ごういつ)」・・・「知識があっても行動が伴わなくては意味が無い」、つまり、「知識と行動は、もともと一つである」と主張しました(「江戸しぐさ事典」越川禮子・監修、桐山勝・編著、三五館)。

 これを、私(藤森)流に言い換えたもので、意味はほぼ同じです。
 「知識があっても行動が伴わなくては意味が無い」
 これは私の人生で一番大事にしているものの一つですが、本来、これは当たり前のことだと私は思っています。現代は、あまりにも「知性偏重」に傾き過ぎているというのが私の考えで、それをドンピシャリと言っているのが王陽明です。

 しかし、同じ東洋人である王陽明に言うのは妙ですが、東洋には「一如」という優れた言葉がありあます。
例えば「心身一如」などが典型例です。私たちは「肉体」を持っています。と同時に「心」も持っています。「肉体」と「心」は同じものではありませんが、しかし、単独で働くのかと言いますと、どうも単独で働くのではないようです。

 「心」と「体」という明らかに違うもの、別個のものがありますが、しかし、それぞれが独立しては存在しません。
 「心」と「体」は、別々に存在しながら、それぞれが別々に独立して作用しません。こういうのを「相互否定媒介的」というらしいです。私(藤森)自身、若いとき、これを理解するのに大変苦労しました。

 コインを考えてみると分かりやすいです。コインには「表」と「裏」があります。「表」という独立したものがあり、「裏」という独立したものがあります。しかし、「表」だけ、あるいは、「裏」だけを取り出すことはできません。あくまでも「裏」があっての「表」です。
 こういう関係を東洋では「一如」・・・「二」ではないが「一」でもない。「一の如く」です。

 例えば、「危機」です。
「危機」は「危険」ばかりが強調されますが、「危機」とは、まさに「危機一如」、「危険」と「機会(チャンス)」の合成語です。
これと同じで、「知識があっても行動が伴わなくては意味が無い」という意味で王陽明氏が言うのであれば、「知行合一」はおかしいではないかと、僭越ながら、私は思います。
「知識と行動は、もともと一つである」と言い切るのはどうも納得できません。「心身一如」や「表裏一如」「危機一如」のように、「知行一如」に軍配を上げたくなります。

 私が思うに、「知的」に分かったことを、如何にして「行動」に結びつけるか、「知識(分かる)」と「行動(分かったことができる)」は別物であることをしっかり認識できることが重要だと思っています。
「知識」はあくまでも「知識」だけであって、「知識」がある人が、まるでそのことを出来る人間であるように思ったり、思われたりすることの間違いをしっかり認識することが重要です。

 しかし、「心理・精神世界」は、見えないものですから、言いたい放題、やりたい放題の分野になってしまっている気がします。
 古今東西、多分、昔からそうだったのでしょう。だから、それを戒める言葉が多数あり、王陽明氏もその観点から戒めたのではないかと思われます。

■空海先生は・・・・・
 「言って行ぜざれば信修(しんしゅ・信心修行)とするに足らず」「道を聞いて動かずんば、千里いづくんか見ん」と千年以上も前に言っていることを考えますと、いつの時代、どこの国でもこの違いが誤解されていることが分かります。

■私が尊敬する作家の曽野綾子先生は、この点において抜群に素晴らしい方です。
私が知る限り、「知行一如」が理想的に出来ていらっしゃる方だと理解しています。
週刊ポスト(平成26年9月5日)に「エボラ出血熱の世界」と題して、素晴らしいエッセイを書いていらっしゃいます。いつか私のホームページに全文をご紹介しますが、ここでは一部を転載させていただきます。<後略>

●(3)さて、曽野綾子先生が「宿命の子 笹川一族の神話と真実」(高山文彦著、週刊ポスト)に紹介されたことは、以前、書きました。その「宿命の子」の中で、曽野先生が素晴らしい活躍をされたことが書かれていますので、まず、それを紹介します。

 <「宿命の子 笹川一族の神話と真実」(高山文彦著、週刊ポスト平成25年8月30日号、第60回)

 <略>

 曽野は週3回のペースで振興会にやって来た。陽平が言う。
 「曽野さんは、つねに自分のいる会長室のドアを開け放って、だれでもはいって来やすいように気を配られていましたよ。職員もよく会長室を訪ねるようになりました。200ページにわたる申請書の隅から隅まで目を通して、たいへんな努力をなさったんです。そのために、ごく短期間で組織について把握された。私は曽野会長時代、1回も先に判子をついたことがありませんでした」

 そして彼女は莫大な予算の存在に驚き、その使われかたにも驚いて、大鉈を振るうのだった。(文中敬称略、つづく)

 <「宿命の子」平成25年9月6日号、第61回

 新会長に就任した曽野綾子は、運輸省記者クラブで記者会見をおこなっている。そこで彼女は、ボートレースから振興会に集まるお金がいかに巨額なもので、それをどう使っているかということで論議があるようだが、たとえ泥棒のお金でもヤクザのお金でも、いかにそれをきれいに使うかということが問題なのであって、こんなときは自分のような「マンガチックな女」がつとめるのがいいのではないかと思い会長を引きうけることにした、と述べた。

 「博打のお金」「競艇のお金は不浄のお金」という言葉をつかったので、ボートレースの現場にいる人びとはがっかりしたらしいが、しかし曽野は記者のひとりに「クリスチャンであるのに、なぜ博打の金をつかう仕事に就いたのか」と問われて、聖書の「ルカによる福音書」第16章第9節に「不正にまみれた富で友達を作りなさい」の一節があり、「友人というのは天国の友人のことで、現世でワイロを使って誰かと仲よくなれ、ということではありません」と、ことわったうえで、このように述べた。

 「お札にはそれまでの歴史は書かれていないけれど、歴史をたどればカミサンに隠して愛人に握らせた金もあるだろうし、闇献金に使われたこともあるかもしれない。泥棒が懐に入れていた場合もある。一般的に言って、金は不正な富である場合が多い、と聖書は言うんです。しかし、その金が自分のところに来た時から、正しく慈悲の心で使って神に喜んでもらいなさい、ということなんです。

 つまり、どんな金であろうと過去のことはどうでもいいんですね。ただ今から誠実に使いなさい、ということ」(曽野綾子『日本財団9年半の日々』)

 これまでジャーナリズムがさかんに流布してきた言説・・・・・「右手で汚れたテラ銭を集め左手で浄財として配る」(加賀孝英「最後のドン・笹川一族の暗闘」『文藝春秋』1993年8月号)・・・・・にたいして、ストレートな正論をあびせたのだった。

 <略>

 <全雑誌に「短冊広告」を入れた>
曽野綾子が会長に就任した平成7年度のモーターボートレースの総売上げは1兆8400億円と減少傾向にあったが、それでも莫大な額であることには違いない。当時はそこから3.3パーセントが振興会の事業予算として流れ込んできていたので、平成7年度の年間予算は800億円をこえていた。

 そこでまず彼女が驚いたのは、1年間で47億5000万円という広報費の額だった。そのうちのおよそ8億円は競艇支援に使うことが決められているので、実質は40億円を割っていることになるが、それでもやはり巨額ではある。これが狩野広報室長時代には、60億円から70億円もあったのだった。

 <それにしても、とんでもない金額でした。感覚的に言って、予算の5パーセントも広報に使っていいわけがない。また、お金をかけさえすれば、いい広報ができるものではありません。誰に言われたわけでもありませんが、広報は私の管轄だと思って、広報部員に「どんどん予算を削ります。無駄を減らして、今の半分の費用で効果を倍に上げることをめざしてください」と言いました>

 と、曽野は前掲書で語っている。

 <略>
 「これ(写真も多く、高級紙を使用の会報誌)何部つくってるの?」
 「23,000部つくっています」
 「年間これにいくらかかってるんですか」
 「2億2500万円ほどですが」
 「だれも読まないわよ、こんなもの。私の所にもいろんなところから似たようなダイレクトメールが送られてきますけど、こういうことをやりました、ああいうことをやりましたと、そればっかり書かれたものなんてねえ・・・、滑った転んだもないお話なんてだれも読みませんから、これはやめましょう」
「やめるとおっしゃるので?」
「そうです」
「えーっ」
広報部長の広渡は大げさに驚きの声をあげてみせた。
まえからずっと引き継いできたものをそう簡単にやめろと言われても・・・、と思っていると、
「いいの、やめなさい」
と、曽野はけんもほろろに言って、
「あなたも、いろんな雑誌を読むでしょう。職員のみなさんにも、どんな雑誌を読むのか聞いてみてください。私はね、こんな誰も読まない会報誌に2億2500万円もかけるくらいなら、そのぶんを雑誌の広告に使うべきだと思います」
「どういうことでしょうか」
「全雑誌に広告を出すということです」
「えーっ」
と、また広渡は声をあげて、
「それだと予算が足りませんよ」
「あなた、全雑誌に1ページ広告を、それもカラーページでなんて、そんなこと考えてるの?」
「ええ、まあ・・・」
「馬鹿なこと言わないでよ。短冊広告っていうのがあるのね。1ページの3分の1のスペースを使うのが。もちろんカラーじゃなくて、全部モノクロですよ。これなら安価でできるんです」
さすがによく知っているなあ、と広渡は舌を巻いた。

 <略>
 広渡広報部長は広告代理店各社が出してきたさまざまな広告案をテーブルの上にならべて、これはどこどこの代理店のものです、などと言おうとすると、「そんな会社の名前なんていただかなくてけっこうです」と、曽野に怒られた。それで広渡は短冊案をならべて見せただけで、なるほどこの先生は代理店の大きさや小ささを判断材料に加えたりせずに、純粋にいいものを選ぼうとしているのだなと、作家の独特な態度にサラリーマンとして生きてきた自分の考えの容量というものをはじめて重ねあわせてみていると、
「これ、いいわね。・・・あ、これもいいわね」
と、曽野はいくつかの案を手速く選んでならべ直していった。
「あ、ちょっとこれ、おもしろいんじゃないの?」
華やかな声をあげて曽野が引き抜いたひとつを見て、広渡も「へえ」と声をあげた。
 「日本財団とは何者だ」と、大きくそれだけが書かれてあったのだ。

 広渡が言う。
 「これはたいへんインパクトがありました。曽野会長もこれで行きましょうと即断されて、40数誌の月刊誌に月1回のわりで載せることになったのですが、さすがに活字の世界で生きてこられた方だけに、こちらが考えもしなかった指示をなさるんです。左側のページにかならず載せるようにしなさい、と」
 どういうことかというと、日本の雑誌は右からページをめくっていくので、ひらいたとき最初に目にはいるが左側のページ。<後略>

●(4)とにもかくにも、曽野先生の剛速球に周囲は面食らっていますが、私(藤森)が説明するまでもなく、抜群に素晴らしい成果を上げていらっしゃいます。
官僚が天下りをする時、まず求めるのが個室らしいです。威厳を保つには、そして大した仕事をしない人間には個室が必要でしょう。しかし、曽野先生はドアを開け放っていたとのことです。また、広報誌に多額の費用をかけていたものを、上記のように大幅に削ると同時に、効果的な使い方をしています。
<<<「お札にはそれまでの歴史は書かれていないけれど、歴史をたどればカミサンに隠して愛人に握らせた金もあるだろうし、闇献金に使われたこともあるかもしれない。泥棒が懐に入れていた場合もある。一般的に言って、金は不正な富である場合が多い、と聖書は言うんです。しかし、その金が自分のところに来た時から、正しく慈悲の心で使って神に喜んでもらいなさい、ということなんです。つまり、どんな金であろうと過去のことはどうでもいいんですね。ただ今から誠実に使いなさい、ということ」>>

 こういう直球勝負も素晴らしいですね。本音をズバッ!ズバッ!と投げ込むボールに戸惑う周囲の反応が手に取るように分かります。嘘ハッタリのない、そのものズバリを言えるのは、自信があることは当然ですが、

 誠心誠意のお気持ちがあるから、本音の直球が投げられるものと思われます。以上、曽野先生の素晴らしさは<④ー①>~<④ー④>、そして今回の<補足>で十分にご理解いただけたことと思います。

 今回、「補足」として特に紹介したいことは、下記の少々不思議なお話です。

●(5)本をあまり読まない私ですが、ある日、偶然、書店で曽野先生の「人間の基本」(新潮新書)を目にし、購入しました。

 この本を読んでいて、あるページが引っかかってしまって、先に進めないのです。下記の部分を読んで次のページに進むのですが、何故か、その先が読めないのです。数回、くり返しましたが、先に進めず、残念ですが、読むのを止めました。

 しかし、やがて理由が分かりました。
 まず、この本の引っかかった部分を紹介します。

<<< 「人間の基本」(曽野綾子著、新潮新書)

 <大宅壮一の実験>P49

 かつて大宅壮一さんは、こんな実験をしたことがあるそうです。朝、孫に新聞を自分の所に持って来させて「ありがとう、と言いなさい」と教えると、初めのうちは孫はその通りにした。かわいいですね。しかしだんだんと孫の方が変だと思い始める。この場合は、おじいちゃんの方が礼を言うべきじゃないのかな・・・・・。そうやって、一つ一つの人間関係をはっきりさせていくという方法です。

 人間は、どんな教えられ方をしても、それに反発する強力な免疫力を生まれながらに備えているものです。(後略)>>>

 先ほども述べましたが、私(藤森)はこの部分を読んだ後、その先が読めなくなりました。
 数ページ進むと、気持ちが散ってしまって、いつの間にか文字が読めなくなってしまうのです。気を取り直して<大宅壮一の実験>に戻って読み直すのですが、また、いつの間にか文字が読めなくなってしまいます。
 数回やりましたが、何度やってもダメなので、とうとう、この本を読むのを諦めました。

 やがて、その理由が分かりました。
 少しずつ、その謎を解いて行きます。

 さて、上記の<大宅壮一の実験>の中で、曽野先生は「孫」とありますが、私の記憶では「子」であったと思います。万一、私の記憶が間違っていたら申し訳ありませんが、私(藤森)は「子」である「大宅歩(あゆむ)」氏の著作「詩と反逆と死」を40年以上前に読みました。私自身の人生が、こういうタイトルに惹かれるものを内面に抱えていたからだと思います。

 この本の中に出てきた上記のエピソードは、とても印象深かったのでよく覚えています。私なりの記憶で述べさせていただきますと、大宅氏が近くの友人宅(?)で将棋をしている時に、赤ちゃんが生まれたという連絡が入りました。
 大宅壮一氏は将棋を指している場でしたので、将棋の「歩」にしましたが、「ふ」ではなんだから「あゆむ」にしたということでした。その数年後に、上記の曽野先生のお話のようなことがあったようです。

 ここで、私がいろいろ述べたいのですが、記憶があいまいであり、個人的な見解になりますので控えますが、私の専門の立場からこのことを重視する理由は、歩氏はその後「自殺」しています(記憶では)。詳しくは、下記のウィキペディアをご参照いただくとして、私の専門的な立場から推測しますと、上記の出来事は、その後の歩氏の人生に大きな(悪)影響を与えたと思っています。だからこそ、本の題名が意味深長なのです。

 もし、ウィキペディアにあるように、中学、高校とラグビーをし、しばしば負傷したことなどから、高校の頃から脳に障害を抱いて発作を起こすようになった・・・・・だけの理由ならば、「詩と反逆と死」というタイトルは、あまりにも不自然です。上記のエピソードとタイトルは意味があり、そして、私の記憶通りの「自殺」だと仮定するならば、曽野先生が書いていらっしゃる出来事は、極め付きに重要な(悪い)意味を含んでいます。

 <ウィキペディアより>・・・・・大宅 歩(おおや あゆむ、男性、1932年 – 1966年)は、日本の詩人。評論家、大宅壮一の長男。 日比谷高等学校、東京大学卒。中学、高校とラグビーをしており、しばしば負傷したことなどから、高校の頃から脳に障害を抱いて発作を起こすようになった。ノートに詩文などを書き残していたが、33歳で死去した。その遺稿は『詩と反逆と死』として刊行され、高野悦子『二十歳の原点』などとともに、夭折した若者の手記として広く読まれた。1978年には、大宅をモデルとし、その手記を素材として、映画『残照』(河崎義祐監督、三浦友和主演)が制作された[2]。

 著書[編集]
詩と反逆と死 文藝春秋 1966 のち文春文庫
ある永遠の序奏 遺された詩文集 南北社 1967 のち文春文庫、角川文庫(新版刊)
ある永遠の序奏 青春の反逆と死 沖積舎 1983.4 (叢書-詩と人生と夭折)、新版

●(6)また、大宅壮一氏は、マスコミ界の大御所と言われていました。その弟子で有名な草柳大蔵(くさやなぎ・だいぞう)氏は、 インターネットのデジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説.によれば、・・・1924-2002 昭和後期-平成時代の評論家。
大正13年7月18日生まれ。大宅壮一に師事。「週刊新潮」「女性自身」の創刊にくわわり,集団執筆によるトップ記事をつくる。雑誌連載の「山河に芸術ありて」「現代王国論」以降,評論家として人物論,組織論,女性論を手がけた。平成14年7月22日死去。78歳。神奈川県出身。東大卒。著作に「官僚王国論」「実録 満鉄調査部」など。
とあります。

 ところが、誠に不思議ながら、昨年、驚くべき発見がありました。下記のエッセイをじっくりご覧ください。一見、無関係のように思われますが、大いに関係があります。平成25年5月3~10日、週刊ポスト

 「やむを得ず早起き」(関川夏央著)

 <真部八段が指さなかった最後の一手>

<略>長髪の、すっきりした和風ハンサムで知られた真部一男は、10歳の頃、20歳の米長邦雄四段に飛車角二枚落ちの指導対局をしてもらった。
 「これはプロ棋士になる小学生だなと直感で判った。まずはこっぴどく負かしておくのが本人のためであるから私は真剣に戦った。しかし、上手(うわて)が負けた」(米長邦雄「将棋界のモーツァルト」)
 1965年、13歳のとき、真部はプロをめざす奨励会に六級で入会した。だがプロ予備軍の三段リーグでは「天才」のわりに苦労した。巣鴨高校を卒業直前に退学したのは、プロになるのに役立たないことはすべて切り捨てるという意志の表明だった。

 71年、プロ棋士を相手に山口瞳が角落ちで戦う『血涙十番勝負』の記録係になり、山口瞳に愛された。しかし、19歳でディレッタントにひいきにされるのはむしろ不運だろう。もっとも私は真部一男の名前を、この連載で知った。
 73年、21歳で四段、C2リーグ入りしてプロの列に加わった。その鋭い指し筋と美貌に注目したNHKが、75年、中原誠名人との「お好み対局」を企画した。「いずれ名人に挑戦するからその前哨戦」とうそぶいた真部は、言葉どおりに中原に勝った。この年、十戦全勝でC1に昇級。

 78年、26歳でB2昇級して六段、結婚もした。相手は

 草柳文恵、高名な評論家・草柳大蔵の娘である。青山学院大学在学中にミス東京に選ばれた人で、明るい印象の美人だった。
80年B1昇級、七段となった。しかし三十代になると、なぜか思うように勝てない。その佶屈(きっくつ)のせいか碁に熱中して、朝から夕方まで碁会所ですごし、碁も実力は将棋界一といわれた。そうして、夜は酒を浴びるように飲んだ。異常な記憶力とともに、

 病的なほど凝り性の彼は、将棋の先手後手を決めるための5枚の駒を投げる振り駒の公平性を疑い、表の「歩」と裏の「と」どちらが多く出たか、千五百余局を調べたりした。結果は「歩」がわずかに多かったが、有意な差ではなかった。この頃から首が回らなくなる奇病にかかり、85年に離婚した。<略>

 真部には将棋連盟から九段が追贈され、この4二角の一手に、新手を顕彰する升田幸三賞が贈られた。実際に指しはしなかったものの、状況と周囲の証言から指したと同然とみなされたのだった。

 真部の死の1年後、

 前妻草柳文恵が亡くなった。中央区の自宅マンションの高層階ベランダに結んだ紐を首に巻き付け、そのまま飛び降りるという壮絶な自殺で、享年54だった。

●(7)以上の内容をどのように解釈したら良いのでしょうか?

 マスコミ界の大御所・大宅壮一氏の長男で秀才の大宅歩氏は自殺。そして、恐らく、大宅壮一氏の秘蔵子のような存在で、今でいうイケメン風の秀才・草柳大蔵氏の娘・草柳文恵氏も壮絶な自殺。

 この事実をどのように理解したら良いのだろうか?

 大宅氏や草柳氏の個人生活は全く分かりませんので、一切、解説できる材料はありませんが、唯一のエピソード・・・・・。

<<<かつて大宅壮一さんは、こんな実験をしたことがあるそうです。朝、孫に新聞を自分の所に持って来させて「ありがとう、と言いなさい」と教えると、初めのうちは孫はその通りにした。かわいいですね。しかしだんだんと孫の方が変だと思い始める。この場合は、おじいちゃんの方が礼を言うべきじゃないのかな・・・・・。そうやって、一つ一つの人間関係をはっきりさせていくという方法です。

 人間は、どんな教えられ方をしても、それに反発する強力な免疫力を生まれながらに備えているものです。(後略)>>>

 これは、私の専門の立場から見て、恐ろしいほど最低の父親像です。吐き気がするほどの・・・絶対にやってはいけないことを、能天気にやる大宅壮一氏の人間性・・・そのフテブテシイ人間性だからこそ、大物になれたであろうし、政治家を相手に毒舌も吐けたことと思います。

 しかし、育児は繊細さも必要で、恐らく、繊細さのかけらも育児に発揮できない人間性であったであろうことは想像に難くありません。だから、「詩と反逆と死」というタイトルが相応しいのです。
その大御所の大宅壮一氏と秘蔵子(?)草柳大蔵氏という超大物二人の子供が揃って自殺をしている。しかも、一人は「詩と反逆と死」という強烈なタイトルの本を書き、もう一人は、関川氏によれば、壮絶な自殺を遂げているということは、僭越ながら、私(藤森)の仮説の正しさを証明してくれている・・・・・「交流分析」でいうところの「脚本」の問題であると考えるのは行きすぎだろうか、いや、脚本の問題であるはずです(「今月の言葉」第1回「脚本」をご参照ください)。

 そして、世の中のこういう理不尽というか、バカバカしさを数多く見ている私(藤森)には、全く、驚くには足りません。
 例えば、今年の大事件、長崎県佐世保市の女高生殺害事件は、お父さんは県下最大手の弁護士事務所を経営、お母さんは東大卒で、一家4人が活動する冬季競技の連盟会長にして市の教育委員でした。
 本来、これほど社会的に大活躍をしている超エリートであれば、より良い育児ができるはずであるにもかかわらず、真逆になっているということは、社会的な活躍と育児は相容れない強い傾向があると言わざるを得ません。

 むしろ、当然と思われるほど普遍的な出来事です。
 「癌とは何か?」でも書きましたが、大成功している人、大業績を上げている人、例えば、ノーベル賞受賞者などによく見られる現象ですので、むしろ、十分に納得できるほど当然に思える出来事です。

 しかし、こういう馬鹿げた大宅氏のやり方を賞賛している曽野綾子先生にびっくり仰天しました。
 曽野先生はお父様のことで大変ご苦労をされたようですので、このような馬鹿げた対応もスキンシップ、親子の触れ合いとして悪くないと思えてしまうのだろうかと不思議な気持ちになりました。

 やはり育児というのは、世の中の多くの価値観とは相容れない特殊な分野なのでしょう。
 考えて見ますと、(知性も教養も無い)野生動物がうまい育児をしているわけですから、世の中が進歩すればするほど、そして親の業績が上がれば上がるほど育児環境は劣悪になっていく強い傾向があるのではないでしょうか?ましてや育児書片手の育児は驚くべき状態になっています。

 これらがワッと頭をよぎり、本の先が読めなくなったことが判明した次第です。<完>

<文責:藤森弘司>

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