2013年6月30日 第95回「トピックス」
イニシエーション・通過儀礼とは何か(実例①)

●(1)実に素晴らしい実例がありましたので、<「今月の言葉」第105回「イニシエーション・通過儀礼とは何か?」>の補足をします。

 現代の日本人が軟弱・草食系になっている最大の理由は「イニシエーション・通過儀礼」が無いからであるというのが、私(藤森)の考えです。しかし、個人的に「通過儀礼」を行うことはとても困難が伴います。特に、日本のように「和」を重視する社会、よく言えば「調和」、悪く言えば「排他性」の強い社会では、「通過儀礼」を個人的に行うことはとても難しいものがあります。

 先日、息子の高校の保護者会がありました。
 参加した妻によると、あるお母さんが、皆に聞いたそうです。
 「子供にスマホを持たしている方は?」
ほぼ全員が手を上げたそうです。
我が家でもスマホを持たせています。

 私が小学生のころ、フラフープが大流行しましたが、我が家では「フラフープを買って」などと言える環境にはまったくありませんでした。そこで私は、樽のタガ(樽を止める竹)を外してほどよい大きさの輪を作り、それに布を巻き、下手ながらも自分で縫い付け、それをフラフープ代わりにして楽しみました。
私にはそういう体験がたくさんありますので、持ち物に関しては、最低限、周囲と同じくらいにはしてあげたいと思っています。

 しかし、心理の専門家としてスマホは、少々、行き過ぎているように思えますので、スマホを持たせないこのお母さんの気持ちは十分にわかります。と同時に、もしかして周囲に一人だけかもしれないお子さんのことを思うと、我が事のように切ない気持ちにもなります。

 私(藤森)から見れば、このお母さんの対応は当然のことと思っていますが、周囲とのバランスを考えると、とても辛いものがあります。このお母さんは、しっかりと育児ができているし、この方のお子さんも、仮に自分だけが持っていなくても、立派に育つことと思います。
 それでも、私の心は、なんとも言いようの無い痛みを感じてしまいます。

 私のように貧しい家庭に育ったのであれば、良いも悪いもありません。そうせざるを得ないだけですが、教育的観点から、たとえ一人だけであろうとも、スマホを持たせないという対応は、私にはとても困難を伴います。
 そして、多分、世の親御さんたちも、皆、悩むところだと思います。

 ですから「通過儀礼」も、個人的に体験させることがとても難しいものです。やはり「風習」として、あるいは、上記の「今月の言葉(第105回)」で紹介した「曽野綾子先生の」<満18歳の国民すべてに社会活動を義務づけるべき>などが存在することが、男が男らしくなるために、あるいは、一人の人間が大人になるため絶対に必要です。

 ところが、「通過儀礼」としては不十分ながらも、日本にまだあったのですね。涙が出るような、本当に素晴らしい実例を紹介します。

●(2)平成25年5月5日、東京新聞「心にふれる話」

 <夜の白浜 巣立ちの土俵>

 その小さな島には「父子相撲」と呼ばれる儀式がある。今は岐阜県内で暮らす大学三年生・上間寛さん(20)も5年前、土俵に立った。「『15年の春』で羽ばたくための相撲なんです」

 上間さんの故郷・北大東島は沖縄本島から東360キロに位置する。人口約700人の島内に高校はない。子どもたちは中学卒業後、進学のため島を離れる。巣立っていく男の子たちを送り出す儀式が「父子相撲」だ。

 父親が勝てば「まだまだ俺は元気だ。安心して島を出ろ」、息子が勝てば「お前は強くなった。自信を持って島を出ろ」。そんな励ましのメッセージが「父子相撲」に込められている。
土俵は、青い海が闇に覆われた夜の白浜だ。上間さんは思い起こす。

 「島の人たち200人ほどが見守る中でぼくは父に勝った。波音にかき消されるような声で父が『負けたよ』とつぶやいたのが印象的でした」

 大学を卒業したら、首都圏で就職したいと考えている。故郷からさらに遠ざかるが、「父だけでなく島の人たちが見守ってくれている」。そんな思いを相撲が心に刻んでくれた。(林啓太)

<文責:藤森弘司>

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