2013年6月15日 第94回「トピックス」
6・23沖縄戦終結

●(1)前回、偶然にも、「NHKスペシャル」を見て、8年前の資料に気づき「ガジュマルの大木」を転載しましたが、これは読売新聞の「戦後60年 沖縄戦終結」の「連載②」でした。

 今回は、下記の「沖縄戦終結④」を紹介します。そして、偶然のもう一つは、私の転載は、「沖縄戦終結」の6月23日に最も近い日となりました。

 さて、歴史的に重要な出来事に対して、私たちが「能天気」になるとき、その歴史的意義は薄れるのではないでしょうか。
私(藤森)自身、歴史に疎い人間ですし、世の中の種々様々な出来事に鈍い人間です。ですから、「沖縄戦」でどれだけ沖縄の方々が犠牲になったのか十分に分からない人間です。

 しかし、です。
 しかし、そういう鈍い私でさえ、下記の新聞に掲載されている現状は許しがたくもあり、あまりにも情けなくなります。日本人は、いろいろな場面で「質」の低下を思わせられますが、しかし、下記の内容はあまりにもひど過ぎます。日本人はここまで「劣化」してしまったのでしょうか。そして、ここまで「能天気」になって良いものでしょうか!?

 よく、中国の様々な問題、パクリだとか、毒入りの食品だとか、尖閣諸島の問題などが批判的に言われますが、日本人全体の防波堤として多大の犠牲を強いられた沖縄の人々に対する、いわゆる「本土人」である私たちの沖縄の人々に対する下記の酷さを考えると、果たして、我々、日本人は中国人を批判する資格があるのでしょうか。

 良し悪しは別にしまして、中国が尖閣諸島や沖縄までを奪いに来る口実になるような情けないことを、我々、日本人がやらないことが、まず、重要です。「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、中国のいろいろなみっともないことを笑う前に、まず、私たちの「みっともない姿」を直すべきではないでしょうか。

 尖閣諸島や沖縄は「日本固有の領土」だと言うならば、「固有の領土」だと言う前に、固有の領土だという「誇り」を持てるような対応をすべきです。

●(2)平成17年6月23日、読売新聞「戦後60年 6・23沖縄戦終結④」

 <風化させないために>

 今年4月、宮良ルリさん(78)は、講堂のマイクの前で、一呼吸置いて語り始めた。
「皆さん、ここに来てくれたことを厚くお礼申し上げます」
 「ひめゆり学徒隊」の生き残りの一人だ。沖縄戦で、沖縄陸軍病院に動員された沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・学徒136人が犠牲となった悲劇を語り継ぐため、「ひめゆり平和祈念資料館」(沖縄県糸満市)で、証言員として修学旅行生らを相手に声をふりしぼる。

 現在、「ひめゆりの塔」が立っている付近にあった陸軍の「伊原第三外科壕」。1945年6月19日、米軍がガス弾を投下し、看護要員の女学生ら約50人のうち、宮良さんら5人だけが生き残った。

 ガスで白く煙る壕内。「お母さん、お父さん、助けて」という絶叫が響く。苦しむ女学生が「先生、殺してください。殺して・・・・・」と哀願する。「海ゆかば」を歌い終わった男性教師が、拳銃で自決する音が聞こえた。

 気を失った宮良さんは3日後に、腐敗して膨れあがった遺体の下で息を吹き返した。壕の中で、6月23日を迎えた。その後、かろうじて壕を脱出したものの、米軍に囲まれ、手榴弾で自決をはかろうとしたが不発。再び命をつなぐことができた。

 「人間が人間でなくなるのが戦場なの。私は、あの地獄を伝えるために、生かされているんです」
 声は裏返り、かすれるが、なおもマイクに向かう。だが、会場を埋めた百数十人の中学生の間では私語が聞こえる。引率の女性教師があくびをする姿も見える。

 「退屈に感じる人がいるのは仕方がないんです。子どもたちの中で、たった一人の心の中にだけでも、私の話が響いてくれれば、大成功。私はね、その一人のために、声が続く限り、語り継ぎますよ」。講演の後、宮良さんは静かに語った。

 <「使命」継ぐ 20代語り部>

 高齢化する語り部たち。那覇市の中村文子さん(91)は、「沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会」事務局長として、映像フィルムを買い取る運動を続けている。
33年から8年間、尋常高等小学校の教員を務めた。教師として、生徒たちを戦場に向かわせたことを悔やみ、戦争の悲惨さを訴え続ける。

 「今では、気力も体力も刻一刻と失われていくことを実感します。語らなければならないことは山ほどあるのに、時間がない」
 中村さんは、悔しそうに、目を潤ませるが、60年前の悲劇は、どんどん遠い昔の出来事になっていく。

 東京の私立高校は今年2月、入試の英語問題で、「元ひめゆり学徒の証言を聞いた生徒が『退屈で飽きてしまった』との感想を持った」という内容の文章を出題し、問題化した。あの日々を風化させずに、どう後世に残せばいいのか。

 *

 今年4月、ひめゆり平和祈念資料館に、新しい職員が仲間入りした。仲田晃子さん(28)。琉球大の大学院で沖縄戦を研究した。同資料館として4年ぶりの新人だが、単なる職員としての採用ではない。「語り部候補生」の役割を担っている。

 資料館の学芸員普天間朝佳(ちょうけい)さん(45)は、「いつの日か、沖縄戦を実体験した人々がいなくなる時が来る。後継者が必要なのです」と力を込める。
「沖縄戦には、すごく悲惨というイメージは持っていますが、具体的には何も知らなかった」と、仲田さんは話す。先輩の学芸員らについて回り、勉強の日々を過ごしている。

 「私自身、戦争を体験していないのだから、体験したように話しても意味がない。どうやって伝えるか、じっくりと考えます」と語り、仲田さんはこう続けた。
「沖縄戦終結60年という区切りが過ぎると、再び人々の記憶から忘れられるかもしれない。私たちが頑張らなければならないのは、これからだと思います」

●(3)<「トピックス」第92回「『主権回復の日』についての一考察」>の中の下記の部分を採録します。

<<<●(1)「リテラシー」という言葉があるようです。

 早速、辞書を引くと「literacy・・・読み書き能力」とあり、「literature・・・リタラチャー・文学」に関係した言葉のようです(電子辞書・リーダーズ英和辞典)。

 私は学問をあまりやらないし、本もあまり読みません。そのために職人的な分野を大切にしています。職人的な分野を大切にするのは、どうやら「リアリズム(realism・・・現実主義、実学主義、実体主義)」らしいです。広辞苑には哲学の解釈が載っていますが、哲学的な解釈はよくわかりません。

 さて、「リテラシー」は「読み書き能力」ですが、書く能力は、これだけホームページを作成していても、成長しませんね。
 しかし、他の方の作品に「仮託(便乗)」して自分の意見を添えていると、「リテラシー」の中の「読む能力」は、多少は備わってきているようです。

 新聞や雑誌を読んでいて、私(藤森)のアンテナに引っ掛かることがよくあります。それを、あたかも、自分の意見かのように紹介するのが得意になりました。「虎の威を借る狐」よろしく、今回も、佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)のコラムを紹介します。

 そこから浮かび上がる「恐ろしい問題」を少しでも感じていただければ幸いです。

 中国が尖閣諸島だけでなく、沖縄までも狙っています。そこに下記の(2)(3)(4)(5)ような問題が潜在していると、沖縄や尖閣諸島はどうなってしまうのでしょうか?沖縄には中国のスパイが沢山入っていて、デモ隊の中に紛れて扇動しているとも言われています。

 そんな時、安倍首相は「主権回復の日」などと浮かれていて良いのでしょうか?安倍首相は「沖縄」をうっかりしていたとの説もありますが、これほど重要な記念日に天皇陛下のお言葉が無かったのも、かなり意味深長ではないでしょうか。>>>

<<<●(5)平成25年1月18日、東京新聞「本音のコラム」(佐藤優)

 <沖縄独自外交>

 外務官僚と防衛官僚は、米海兵隊普天間飛行場の辺野古(沖縄県名護市)への移設を強行しようとしている。これに対して、沖縄県が独自の対米外交を展開している。11日、ワシントンの米国務省で沖縄県の又吉進知事公室長が国務省のナッパー日本部長、国防総省のジョンストン北東アジア部長らと会談した。

 <又吉氏によると、ナッパー、ジョンストン両氏は自民党政権が復活したことについて触れ、「普天間移設問題をめぐる沖縄の状況に変化はあるのか」と質問。又吉氏は「それほど簡単に状況は変わらない」と強調。普天間の県外移設を求める仲井真弘多知事の姿勢について「反米や反基地で感情的に反発しているのではない」と前置きした上で、名護市が辺野古移設に反対 県議会が全会一致で県内移設に反対・・・などの具体的根拠を示して「客観的に見ても辺野古移設は事実上不可能だ」と強調した。>(13日「琉球新報」)

 沖縄県は、沖縄の民意を無視する東京の中央政府の誠意と能力に疑念を抱いているので、米政府との直接交渉に踏み切った。当事者がどれだけ自覚しているかは別にして、客観的に見た場合、沖縄は国際法の主体としての地位を確立しつつある。又吉氏は、事実上の「沖縄外務大臣」しての機能を果たしている。>>>

●(4)平成25年6月14日、日刊ゲンダイ「国際情報を読む」(春名幹男)

 <「沖縄独立」を後押しする中国の高等戦術>

 中国は政治・外交・軍事で「3戦」、つまり「世論戦」「心理戦」「法律戦」をうまく使い分ける。特に伝統的に心理戦が得意だといわれる。
先月、中国共産党機関紙「人民日報」は沖縄の帰属が「歴史上未解決」だとする論文を掲載。

 これに対して、菅義偉官房長官は「わが国の領土であることは紛れもない。筋違いだ」といつもの通りの非難。他方、読売新聞は「尖閣で焦り日米に圧力」と的外れの論評。中国側が心理戦を仕掛けたのが分からないのだ。

 沖縄をよく知る人ならピンと来たに違いない。中国は、今沖縄県内で少しずつ盛り上がりを見せる「沖縄独立論」を後押ししようとしたのだ。
沖縄が日本に復帰して41年となった5月15日、沖縄の独立を目指して研究する「琉球民族独立総合研究学会」が設立された。安全性が問題になった米軍の新型輸送機MV22オスプレイの配備も含めて、日本政府の押し付け政策で沖縄が犠牲にされている、というのが彼らの主張だ。

 この学会について、人民日報系の環球時報は「中国の民衆は支持すべきだ」とする社説を掲載した。社説は「琉球国は日本に滅ぼされた」として、沖縄独立の「正当性」を認めている。

 確かに江戸時代に薩摩藩が武力侵攻、明治政府が琉球処分(併合)という歴史は消せない。現在は沖縄に在日米軍基地の4分の3が集中、基地負担は一向に軽減されない。そこで沖縄の主張を支持すれば、反基地闘争が盛り上がる、と中国は計算しているのだ。

 戦時中の1943年に行われたカイロ会談。ルーズベルト米大統領は蒋介石総統に「琉球がほしいか」と2度以上尋ねた。だが総統は「米中共同管理なら同意するが」と断った。戦後、サンフランシスコ平和条約でも日華平和条約でも、沖縄・尖閣は問題にならなかった。

 中国は沖縄も尖閣も法律戦では勝てないと分かっているはずだ。「沖縄も中国の領土」と主張しているわけではないのだ。だから、心理戦で沖縄の分断を図ろうと揺さぶりをかけている。

 2010年米国勢調査で、アジア系人口の順位を見ると、1位は中国系の400万人で日系人は6位130万人。最下位20位は何と「沖縄人」だった。日系人ではなく、沖縄人と名乗る米市民が1万人以上いるのだ。

 <春名幹男・・・・・早大客員教授。1946年、京都市生まれ。大阪外大卒。共同通信ワシントン支局長、特別編集委員を経て現職。95年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。「秘密のファイルーCIAの対日工作」など著書多数>

 <藤森注・・・・・ある資料によると、2012年11月20日に開催された第7回東アジアサミットでの米中高官会談。
中国側が米国側を挑発し「ハワイの領有権も主張することができる」と、信じがたい言動を放った際、ヒラリー氏は毅然とした態度でこう返したという・・・「やってみて下さい」

 この文章の前に・・・演説上手で内政向きと言われるオバマ大統領は外交が下手だと言われる・・・とあります。オバマ大統領については分析をしていますが、分析通りの人間性を見せています。ヒラリー氏の人気が高いのも頷けます。
オバマ大統領は、もしかしたら「失脚」する可能性が数パーセント出てきたように思えます。後日、オバマ大統領の続きを書きたいと思っています>

●(5)平成25年6月5日、日刊ゲンダイ

 <国連委員会で逆ギレ、暴言 世界を呆れさせた
「人権人道大使の正体」>

 <略>

 5月21、22日に開かれた国連の拷問禁止委員会の対日本政府報告書審査でのこと。会議の終了間際に、モーリシャスの委員が「日本の刑事司法は拷問に近い」と、こう指摘した。
「取り調べに弁護人の立ち合いがないと、誤った自白が行われるのではないか。自白に頼りすぎる取り調べは中世の名残だ。日本の刑事手続きを国際水準に合わせる必要がある」

 <藤森注・・・・・まさに「陸山会裁判」がこの問題でした。石川前議員が隠し録音していたために、小沢一郎氏は無罪になりましたが、危うく、犯人にされるところでした。しかも、この事件は、私がウオッチしていましたので詳しく憶えていますが、専門家が「単なる“期ズレ”だけのことで、修正すれば済む問題だ」と言われていたことです。それだけのこと(小沢氏の他のことは知りません)で、政治生命をほとんど失わされました。まさに「中世」の名残です>

 ごもっともな意見だが、日本政府を代表して出席していた上田秀明人権人道大使は、日本語で反論。「『中世だ』と言うが、日本は世界一の人権先進国だ」と言い放った。これに会場から苦笑・失笑が漏れると、なんと上田人権人道大使は逆ギレし、「笑うな。シャラップ!」と叫んだのである。会場はドン引き。水を打ったように静まり返ったという。国の代表が逆ギレしたうえ、「黙れ!」と暴言を吐いたのだから、会場が凍りつくのも当然だ。

 <略>

 元外交官で評論家の天木直人氏が言う。
 「わざわざポストをつくって、無能なOBを天下りさせている外務省の問題でもある。英語が話せず、唯一発した英語が『シャラップ』とは言語道断です。外交官が使う英語としてあり得ないし、国際会議の場で委員に向かって言う言葉でもない。アフリカよりも日本の方が文明大国だという驕りがあったのではないか。<略>」

 国連の委員会で、日本は世界一の人道後進国だと証明したようなものだ。

●(6)<2012年9月15日、第122回「外交とは何か?」>の続きを書きたかったのですが、他のものを優先していました。しかし、まさに、今回は、「外交とは何か?」の続きみたいな内容になりました。

 「外交とは何か?」の最初の(1)を採録します。

<<<(1)私(藤森)は、個人の「深層心理」を専門にしていますので、当然、「外交」はド素人です。が、もし、「外交」、特に2国間の「外交」は「夫婦」間の問題と同じ、少なくてもとても似ているはずであると言うとどんな受け止め方をされるのでしょうか?

 私は、両者は非常に似ていると思っています。勿論、スケールの大きさや、歴史的背景、言語の問題など、夫婦の問題とは桁外れに複雑かつ、解決が困難な問題でしょう。それでも私はド素人であるが故に、無責任(?)に述べれば、ほとんど同じであると思っています。

 ほとんど同じであるという意味は、たとえば、一辺が1メートルの正三角形と、一辺が1キロメートルの正三角形は大きさの違いはあっても、同じ角度を持っている同じ正三角形、つまり「相似形」であるのと同様、「外交」問題に取り組む困難さと、「夫婦」問題に取り組む困難さは基本的に同じであるという大胆な考えを私(藤森)は持っています。

 その両者に求められるものは「自我の成熟性」です。
それをこれから、「学才」も「文才」も無い私(藤森)の得意技である「メディアの情報」を駆使しながら、無謀にも証明(?)してみたいと思っています。>>>

 このように書きました。
 いかがでしょうか。上田秀明人権人道大使は、拗れた「夫婦」の問題とそっくりだと思いませんか?頭にくると「うるさい!」「黙れ!」「バカヤロー!」的な態度は、私(藤森)の若いときにソックリで、読んでいる私自身が恥ずかしくなります。

 しかも、私と違って、上田人権人道大使は超一流の方です。

 「東大教養学部卒で67年に外務省入省。ロシアンスクール出身で、英語はあまり得意ではない。08年から人権人道大使を務めています。このポストは拉致問題や、慰安婦問題で日本の国際的な立場を向上させることが目的で、第一次安倍政権で新設されました」(外務省関係者)
上田人権人道大使は00年ポーランド大使、04年に駐オーストラリア特命全権大使。経歴だけは立派だ
(先ほどの「日刊ゲンダイ」)。

 これでは国際的な立場を向上させるどころか、ぶち壊しではないでしょうか。
「自我」が未成熟な人間が「外交」をやると、まさにこういうことになるという典型例です。 「夫婦間」も、自我が未成熟な二人が話し合えば話し合うほど、事態は、拗れに拗れます。尖閣諸島や沖縄について、したたかな中国との「外交交渉」・・・・・大丈夫でしょうか?

 多分、日本のエリートの多くに見られることでしょうが、相手がアメリカであれば土下座外交をし、相手がアフリカの国だと傲慢な態度に出る。いつか、「今月の言葉」で取り上げたいと思っていますが、日本には「江戸しぐさ」という素晴らしい精神があります。その精神から見ても、上田人権人道大使は「人権蹂躙大使」、まさに日本の恥です。

 江戸しぐさの中の重要な一つで、相手により態度を変える人間のことを「井蛙(せいあ)っぺい」と言って、戒めています。
せいあっぺい・・・・・井戸の中の蛙は世間知らずで何でも自分が一番と思いがち。そういうことでは世間は渡れないよ、と戒めて呼んだ。今日では誤解をまねきやすく禁句の「いなかっぺい」はこの井の中の蛙がもとだという。つまり、学歴、職業、地位などで差をつけたがる根性の人を指している>(「江戸の繁盛しぐさ」越川禮子著、日経ビジネス文庫)

 今の日本は、世界的にみて、物質的、経済的に豊かになりすぎて、日本人の豊かな人間性を失ってしまったように思えてなりません(衣食足りて、さらに礼節を欠く時代)。
リアリズムに徹しようと覚悟を決めてみると、相手の方の学歴や職業や地位などの外面に影響される自分がいかに愚かであるかを痛感します。ボランティア活動などもそうです。ボランティアであるか否かに関係なく、やろうとすることは、どれだけ自らの「誠実な気持ち」を込めることができるか否かであって、ボランティアだから手抜きがあって当然という「井蛙(せいあ)っぺい」である私(藤森)自身を反省する毎日です。

<文責:藤森弘司>

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