2013年2月15日 第88回「トピックス」
●(1)トピックス第85回「驚愕の真実・戦犯とは何か(前編)」で紹介した下記の「東条英機氏の娘さんだか、お孫さん・・・」は、本日(2月16日)の東京新聞「死亡欄」に写真付きで掲載されていました。
東条由布子さん・・・(とうじょう・ゆうこ、本名岩浪淑枝=いわなみ・よしえ、東条英機元首相の孫)13日、間質性肺炎のため死去、73歳。京城(現ソウル)生まれ。<略>喪主は夫岩浪弘康氏。 <<<●(1)何年か前にあるテレビ番組で、靖国神社の「分祀」が議論されていました。 いわゆる「戦犯」の魂が合祀されたために、中国などから批判される。だから戦犯者の魂を「分祀」をすれば、総理大臣が参拝しても問題が無くなる。「分祀」をするのはどうか・・・・・と言うような議論だったように記憶しています。 この時、故・東条英機氏の娘さんだか、お孫さんが中継で出演し、「分祀には絶対に応じられない」と発言されたことが、私(藤森)に妙に訴えかけるものがありました。 さて、次の(2)で本題に戻ります。 |
●(2)平成25年2月16日、夕刊フジ「大前研一のニュース時評」
<江副浩正氏死去> <最初の出会いは「この野郎」でも敬意を払える友人に・・・> リクルートの創業者で、1988年発覚した「リクルート事件」の主役だった江副浩正さんが8日、肺炎のため亡くなった。東大在学中に学生新聞で広告取りを始め、60年の卒業と同時に大学新聞広告社(後のリクルート)を設立。社長、会長として、同社を25年間指揮した。 値上がり確実なリクルートコスモスの未公開株を政財官界にバラまいたリクルート事件の問題点は、それを購入するカネまで関連のファイナンス会社に面倒をみさせたこと。未公開株を得た人たちは誰もカネを払っていなかったわけだ。 ただ、当時はこれを罰する法律はなかった。なのに、江副さんは東京地検特捜部に逮捕され、東京地裁で贈賄罪などで懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けた。これについて、私はまったく不当だと思っている。しかも、献金リストは別の2人の財界人が作ったものだ。そういう点でも、江副さんは犠牲者だ。 実は私は当初、江副さんとは仲が悪かった。80年代の中ごろ、NHKの番組で江副さんらと討論したとき、私が「東京の地価は10分の1でもおかしくない。そのうち地価は暴落する」と言ったら、江副さんは私に食ってかかった。私も「あんた、バカと違うか」と応酬し、大げんかになった。 その後、実際に地価が暴落したら、江副さんは手紙で「あのときは失礼しました。私には土地の価格が落ちるという概念はありませんでした」と非常に丁寧に謝ってきた。 江副さんの裁判は十数年に及んだ。その間、学友の古河久純さんや、昨年亡くなった森ビルの森稔会長らが、「江副浩正を励まそう」ということで、年1回、8月最後の土日に蓼科でゴルフ大会やバーベキュー、カラオケ大会を開催した。 蓼科の別荘の隣人ということもあって、私も毎年参加した。江副さんは歌が好きで、よくカンツォーネを歌った。江副さんはその後、「江副育英会」をつくって、若手芸術家を支援していた。 多くの経済人は「江副とは関わらないほうがいい」とクモの子を散らすようにいなくなってしまった。日本にはそういう風潮がある。私にはそんな気はなく、裁判を終えた江副さんが『かもめが翔んだ日』という本を出したときには、喜んで帯に推薦文を書いた。 その本の中には「大前さんが地価は下がると言ったとき、私は大量の土地を持っていたので、このままでは地獄に落ちると思い、自殺しようと思った」と書いてあった。そこまでショックを与えてしまったのか、と申し訳ないと同時にびっくりしたものだ。 最初の出会いだけは「この野郎」と思ったが、優れたDNAの会社を創ったこの人には敬意を払い、友人にもなった。楽しい思いでもいっぱいある。 |
●(3)2013年2月15日、日刊ゲンダイ「特集・著者インタビュー」
<鈴木宗男氏に聞く> 衆議院議員を務めていた平成14年、ムネオハウス事件、国後島ディーゼル発電機敷設事件など一連の疑惑に関与したとされて、ついには逮捕、収監。国会議員としての地位を奪われた鈴木宗男氏、いわゆる陸山会事件でいま東京高裁に控訴している石川知裕衆議院議員、かつて藤波孝生・元内閣官房長官の秘書としてリクルート事件の取り調べを受けた松木謙公氏の共著「検察に嵌められた政治家たち」(日本文芸社)が刊行された。 <鈴木宗男が何で収監されたか知っていますか?> ――今回の本を読むと、随所に検察に対する鈴木氏の憤りを感じますが、やはりそれが本書を書くきっかけになったのでしょうか? <宗男氏>事件に遭遇するまで、検察は正義の味方だと思っていた。ところがあの時、ムネオハウスで捕まるとマスコミが書き立てたけど、全く事件にはなっていないし、辻元清美さんが「あなたは疑惑の総合商社ですよ」と決めつけて、私を攻撃したアフリカのODAの問題も事件にはなっていないんですよ。今、国策捜査という言葉が定着していますが、実際に検察が私に対してやったことは世の中に「鈴木宗男は悪いことばかりやっているから早く捕まえてしまえ」という空気をつくっておいて、私を逮捕した。つまり権力を背景にしての狙い撃ちでした。怖いですよこれは。 <検察がデッチ上げて私を嵌めた> <当初マスコミに出た件が事件になっていない> ――当時あれだけの情報が流されると、国民としては、「鈴木宗男は本当に悪いことをやっているんじゃないか」とどうしても思ってしまいますよね? <宗男氏>そうでしょう、ある意味、それが検察の狙いでもありますから。 やまりんの事件は私が裏でお金を受け取ったといっていますが、あれは領収書を切ったお金です。領収書を切ったお金が贈収賄だというのなら、日本の政治家は全部捕まりますよ、公明正大なお金だから、何もやましいところのないお金だから、領収書を切っているわけじゃないですか? ――国家にとって邪魔な人間、排除したい人間がいると、狙ってくるというわけですね? <宗男氏>司法試験、あるいは国家公務員試験の上級職に受かった官僚の一部に、国家を支配するのはポピュリズムで国民に選ばれた国会議員ではない。われわれ官僚が支配するんだという思い上がった考えを持った連中がいるんですよ。とくに検察の中に、こういう青年将校化した人間がいて間違った考えをもたれると、もうどうにもならない。だから、最近は冤罪が多くて、例の遠隔操作ウィルス事件のように犯人じゃない人を犯人にしてしまったんじゃないですか? ――事件の中で、鈴木氏の周りでもいろいろとあったそうですね? <宗男氏>例えば、やまりん事件では私の周りの人間を逮捕した検察の人間が「こっちの狙いは鈴木なんだ。お前たちは何をいっても大丈夫だ。だから協力してくれ」といったそうですよ。その後、私の事務所の女性事務員が捕まったんですが、彼女はその時、子宮がんの手術をしたばかりで放射線の治療を受けていたんですよ。そんな女性を逮捕して拘束するなんてこれは殺人ですよ。この時だけはさすがの私も、検察はここまでやるのか、国策捜査を甘く見ちゃいかんなと弱気になりましたね。 ここまできたら、敵はさらにひどいことをやってくる。どこかで手を打たなきゃいかん。それで弁護士に相談して、女房の意向を聞いてもらったんです。そうしたら女房が「お父さん、悪いことをしたなら政治家を辞めなさい。でも、していないのなら闘いなさい。権力と絶対に妥協してはいけません」と、そういってくれたんですよ。それで、間違った妥協はいかん。負けてたまるかと、もう一度気持ちを奮い立たせたんですよ。 私は借金をしても検察と徹底的に闘いますよ。去年の11月29日に東京地裁で再審請求をしました。国策捜査で私以外にも何人もの政治家が捕まっていますが、誰も最後まで闘っていない。特捜事件で再審請求したのは、私が初めてです。 私は自分の主張ができる場があるからまだいいが、世の中には、私と同じような目に遭っていながら、何もできずにいる人がいる。そういう人のためにも誰かが闘わなければならない。それが、鈴木宗男の役目だと思っているんですよ。 逮捕されて一度レッテルを貼られたら、世間はなかなか公平な評価をしてくれなくなります。これを何とか払拭しなければならない。だからこそ、私はそのための先駆者としての役割を果たしたいと思っているんですよ。負けるわけにはいきません。 鈴木宗男氏・・・・・昭和23年、北海道足寄町生まれ。拓大在学中から中川一郎衆議院議員の秘書となり、58年の衆議院選挙で初当選。北海道・沖縄開発庁長官、内閣官房副長官を歴任。平成14年、外務省をめぐるスキャンダルに巻き込まれ、斡旋収賄などで逮捕。17年「新党大地」結成。その後、懲役2年の実験判決を受け服役。23年、仮釈放後「新党大地・真民主」を立ち上げ代表に就任。 |
<文責:藤森弘司>
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