2012年6月15日 第73回「トピックス」
●(1)小沢一郎氏の嫌われようはハンパではありません。何故、小沢氏はこれほど嫌われるのだろうか?それが今回のテーマです。
もちろん、<第72回「トピックス」「小沢裁判についての一考察(3)」>の青木理氏の下記のようにしっかり根拠を述べる人もいます。 <<<余計な話であることを承知の上で、断っておくが、私自身は小沢という政治家を好まない。ひどく強権的に見える振る舞いや政治手法にせよ、かつて自自公体制下の与党トップとして数々の治安法導入の旗ふり役となった経歴にせよ、はっきりいえば嫌悪の対象であり、小沢に過大な期待を寄せているらしき人々の気持ちが理解できない。>>> しかし、私(藤森)がみるところ、どうも「情緒的」に小沢氏を嫌う傾向があるように思えてなりません。 その根拠の一つは、人間誰しも抱えている「影」を排除したいのと同様、小沢氏を「悪の権化(影)」のようにみて、小沢氏を排除することによって、自分が楽になりたがっているように思えてなりません。 小沢氏を排除しようとすることは、自分の「影」が排除できているような「(擬似)安心感」があるのではないか。小沢氏を排除しようとすることで、自分は善人であるという安心感が得られるために、猛烈なバッシングが行なわれているように思えてなりません。 もう一つの理由は、「日本人の特性」だと思われます。日本民族・・・・・という表現が妥当かどうかわかりませんが・・・・・日本人全体の「深層心理」を形成している「ある思い」が小沢氏的な人間を嫌っているように思われます。 下記の(2)と(3)(4)は、このあたりを見事に喝破した抜群に優れたものだと思います。日本人の「深層心理」を理解する上で、ほぼ完璧なものだと思います。 (2)は、映画「スーパー・チューズデー」を紹介したときの一部です。これほどピッタリくるものは他にはありません。 (3)(4)は、私(藤森)が歴史の天才と呼ぶ井沢元彦氏が週刊ポストに長期に連載している「逆説の日本史」の幕末編です。高杉晋作が初めて外国・・・上海を訪れたときの感想をもとに、井沢元彦氏の卓越した解説が、これまた抜群に素晴しい。まさに「認知療法」における「認知の歪み」の解説を読むようです。私(藤森)の下手な解説よりも遥かに優れています。 下記の(2)と(3)(4)を読むと、小沢氏が嫌われる根本原因がほぼ完全に理解されることと思います。それは「性善説」と「神道の『ケガレ』思想」です。是非、ジックリとご覧ください。 【【【小沢氏の時限爆弾が炸裂しました!!! 平成24年6月15日、夕刊フジ「小沢和子夫人の手紙(抜粋)」 <小沢の行動は岩手、国に害> まだ強い地震がある中、お変わりございませんか。 私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの! 天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、(小沢は)千葉に風評被害の視察と称して釣りに出かけました。 かつてない国難の中で放射能が恐いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。】】】 以前から、小沢氏が岩手県に入らないことが一部から問題視されていましたが、こういうことだったのでしょうか?夫婦の仲もとやかく言われていました。 |
●(2)<第117回「今月の映画」「スーパー・チューズデー」>の中の下記の一節を再録します。
「チャーチル、チャーチル!」 さて、この映画『スーパー・チューズデー』を、「政治は汚い」と忌避するシニシズムを描いたと勘違いしないでいただきたい。ここに描かれたのは、民主主義の具体的な手順であり、それはほぼつねに権謀術数の過程として進行する。肝心なのは、民主主義の根幹で、それは「性悪説」が基本だ。「人間が天使であれば政治は要らない」(第4代合衆国大統領ジェームズ・マディスン)。マディスンは、国民投票での大統領その他の代表選出を民主主義の根幹とする合衆国憲法の草案担当者にして、憲法制定会議の実質的進行担当者でもあった。アメリカ民主主義の特異性は、「人間性悪説」をしっかりと踏まえ、その上に可能なかぎりの理念を構築した点にこそ見いだされるべきだ。 この映画で真先に思い浮かべていただきたい言葉は、マディスンの上述の言葉の他に、チャーチルの発言がある。「民主主義は最悪の制度だ――ただし、これ以外のあらゆる制度を消去した場合の話だがね」。「最悪」の中には、この映画に描かれた選対同士が撃ち放すネガティヴ・キャンペーンその他の権謀術数も入る。 もうひとつ、「人間の、正義を実践する能力ゆえに、民主主義は可能となる。しかし、人間の不正を行う傾向ゆえに、民主主義は不可欠となる」(米のプロテスタント神学者ラインホルド・ニーバー)。後半は、<かりに君主制で君主が不正を行えば、暗殺以外に彼を排除できないが、民主制ならば落選か罷免で排除できる>という意味である。 ニーバーはつねに最悪の事態を想定、しかしシニシズムへの転落を断固拒否、逆に希望や理念の高みへと飛翔を図ろうとする。彼の神学の強靭さゆえに、ヒラリー・クリントンは彼の信条の帰依者である。ニーバーは、歴代大統領では前記のマディスンを高く評価した。 アメリカに続いて西欧はこの民主主義を東洋より先に採用した――有名な古代アテナイの民主主義は、マディスンらの憲法起草者らが懸命に参考にした。東洋が、中国の聖人皇帝たち、堯舜やわが国の天皇など有徳の名君を信仰する政治文化に遅くまで固執したのは、「性善説」による。従って、東洋人はこの映画の権謀術数に容易に嫌悪感を抱く。民主政治ですら、日本人は性善説に固執するため、小沢一郎を嫌悪する。 |
●(3)平成24年5月4日・11日号、週刊ポスト「逆説の日本史」(第934回、井沢元彦)
<高杉晋作を“大攘夷”に転向させた上海視察での「幻滅と軽侮」> <清国に買い叩かれ貿易は散々な失敗> <略> つまり、「中国皇帝こそ世界の中心で周辺は野蛮国」という中華思想を相変わらず保持し続けていたのである。 これに対するというべきか、高杉ら一行の清国に対する印象が興味深い。 高杉が「無雨国」と表現したくらい雨が降らず、ほとんど井戸もない。上海の人々は、糞尿を通路や広場に捨て、その容器を黄浦江で洗う。そして、その水を人々は直接飲料水としていたのだ。 「住民は犬や馬や羊の死体をすべて河へ投げ込むし、たまには人間の死体も流れて来る。コレラで死んだ病人を葬る余裕もないため河へ投げ込んでしまうのだ。河上に浮かぶ船もすべてタレ流しである。井戸は市内五ヵ所ぐらいしかないので、住民はこの河の水を飲んでいる――」 ではどうやって、こんな汚れた水を飲むのかといえば、ミョウバン(明礬)を洗浄剤として使うのだ。溜まった水に入れて、しばらくして上澄みの水が出て来たところを飲むのである。もちろん、沸騰させて茶にして飲む方が安全なのだが、今と違って昔はそう簡単に火は起こせないし、茶葉自体も高級品である。 「臭気に満ち、汚物にあふれ、水すらまともに飲めない国――」それが高杉の見た清国の現実であった。 |
●(4)平成24年5月18日、週刊ポスト「逆説の日本史」(第935回、井沢元彦)
<中国文化を受容する時にかけられる「不潔=ダメ」というフィルター> 日本人は、そのほとんどが、実際に中国の地を踏む前に、中国文化を何らかの形で受容する。 しかも江戸時代は武士の基本教養は儒学であり、それを表現しているには漢文であった。朱子学は嫌で陽明学の方がいいという者もいたが、それは朱熹(しゅき)ではなく王陽明を選ぶということで、両者とも「中国人」であることに変わりはない。 それが、高杉晋作ら「清国調査団」一行の感想に色濃く出ているので、それを詳しく説明したい。 ここで注意して頂きたいのは、「キタナイ」つまり「不潔」ということが、物事の評価(ダメ)の基準になっていることだ。 こう言えば、もうわかった人もいるかもしれない。それが日本文化だからである。 逆に政治家が自分のことをアピールする際、「私はクリーンです」などという。要するに「クリーン=善」なのである。 もちろん、それは「精神の高潔さ」を評価の基準にしているのであって、それがヨゴレているかどうかは二の次の問題のはずである。 そして肝心なことは、日本はどこでも清流があり(世界一豊富といっても間違いではない)、こうしたミソギが簡単に出来るということだ。また温泉にも恵まれている。これも世界一といっていいだろう。 では、実際にこういう民族が何を習慣にするか、おわかりだろう。温泉や風呂に入って身を浄めることだ。 糞尿にまみれた水を飲んでいようが、いまいが、それは本来人間の価値、民族の価値とは関係ないことだ。ところが「清潔」を物事をはかる尺度にする日本人は、「清国とか中国とか言うから、どんな立派な国かと思って来てみたら、糞まみれの水を飲んでいるじゃないか。こんなダメな国はない」という評価をなしがちだということなのである。 <高杉ら一行を通し形成した「中国観」> 極端に言えば、孔子も韓非子も孫子も「雑菌だらけの水をのんでいたのだ」という歴史の真実を見ずに、「今、目の前にいる中国人は実に不潔だからダメ民族なのだ」という見方を、われわれ日本人はついついやってしまうということで、それが江戸時代二百数十年ぶりに中国を訪れた高杉ら一行の印象及び評価にも、もう既にあらわれているということなのである。 室町文化のところでも述べたが、茶というものがなぜ中国で発達したかといえば、高杉たちも見たように「生水が飲めない」からなのである。ところが日本人は、川の水を飲める国に住んでいるから、茶も「浄水剤」であるという本来の役目が忘れられてしまう。茶は酒のような嗜好品(必須の食物ではなく、好みで選ぶもので、人によってはなくてもかまわないもの)ではなく、人間の生活にとって必需品なのである。ついでに言えば、紅茶もコーヒーもそうである。イギリス人がアヘン戦争を起こしてまで中国の茶を求めたのも、植民地としたインドで大々的に栽培させたのも、イギリスにはまともな水がないからだ。 そのイギリス商人に高い値段で茶を売りつけられた植民地のアメリカでは、人々が怒って茶箱を海に投棄し、茶を飲むのをやめてしまったが、代わりにコーヒーを飲まざるを得なかった。アメリカでもイギリスよりはマシだが、川の水は飲めないからである。 もし、彼がフランスに行っていたら「歩道がクソまみれ」なのは清国だけではなく、「花の都パリ」もそうだということを知っただろう。前にも述べたように、ハイヒールは道路上の汚物をできるだけ踏まずに済むように工夫された靴で、だからこそフランスで発達した。そうした現実を知れば、高杉も他の選ばれた藩士たちも、清国を徹底的に軽侮することはなかったかもしれない。 彼等の報告書では「中国」でも「清国」でもなく「支那」がたびたび出てくる。「支那」という言葉自体は決して差別語ではない。中国初めの王朝「秦(シン)」がヨーロッパで「China(シナ)」などと音で呼ばれたことに基づくもので、音訳であるから当て字であり侮蔑的な意味はない。だから今でも「東シナ海」などと呼ぶ。 なぜなら、明(ミン)であれ清(シン)であれ「中国」と呼ぶなら、それは「世界の中心である(中華)国家」と認めていることになるが、「支那」と呼ぶ場合はそうではないからだ。 だから、高杉にとっては尊敬すべき儒者が、いざ一緒に町を歩いてみると、外国人に対して卑屈にペコペコと頭を下げている。孔子廟があるというので行ってみたら、外国人の兵士が礼儀もわきまえず内陣でゴロ寝をしたりしているのに、皆恐れて誰も咎めない。 しかし、そういう何も出来ない政府に対し、高杉と一緒に来た幕府の代表が地元の役人を通して交易を申し込むと、清国側は一千年以上変わらぬ態度で「貢物(みつぎもの)を持ってきたのか」という「朝貢貿易」、つまり中華思想的対応しかしない。「われわれ日本人には中国中国と威張るくせに、外国人には奴隷のように卑屈であり、そもそも水すらまともに飲めない国」――それが高杉ら一行の、中国に対する印象、評価の最大公約数であった。 そして、これが彼等を通して、日本人全体の中国観を形成していた。高杉は若くして死んだが、その遺文(手記、論文等)は広く若者に読まれた。高杉とホテルで同室だった佐賀藩の中牟田倉之助は維新後も生き残って海軍将官となったし、他にも明治の社会で活躍した人は少なくない。例えば薩摩藩士五代友厚は大阪経済の基礎を築いた。そうした人々の感想が広く国民の常識となっていたのだ。 現在の日本人が中国を訪れても、その感想は高杉一行のものと、そんなには変わらないのである。 高杉は約二か月間の滞在の後、文久二年七月十四日(1862年8月9日)長崎に戻った。 いざわ・もとひこ・・・・・作家。1954年2月愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓いた。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊(コトダマ)の国」解体新書』『虚報の構造 オオカミ少年の系譜』など著書多数。ホームページアドレスはhttp://www.gyakusetsu-j.com/ |
<文責:藤森弘司>
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