2012年5月31日 第71回「トピックス」
小沢裁判についての一考察(3)

●(1)「小沢裁判」に関する非常に優れた連載記事を発見しました。

 私(藤森)が「トピックス」で繰り返し紹介している内容に沿っている部分も多数ありますので、ジャーナリスト・青木理氏の記事に便乗し、過去の「トピックス」で紹介した内容を引用しながら、青木氏の卓越したレポートをお楽しみいただければ幸いです。

 ●(2)平成24年5月4~11日号、週刊ポスト「狂った牙」<短期集中連載第1回>(ジャーナリスト・青木理)

 <最強権力・特捜検察の盛衰>

 秋の冷たい霜。夏の烈しい日差し。「秋霜烈日」とは、刑罰や権威がきびしく厳かであることを表し、日本の検察官記章の呼称でもあった。
だが一昨年9月の大阪地検FD改ざん事件に端を発する
冤罪捜査の連鎖は、「検察=正義」幻想を霧消させ、記章の輝きは瞬く間に失われた。
54年の造船疑獄、76年のロッキード事件、88年のリクルート事件。戦後検察の存在感は、特捜部によって高められていったといっていい。
時の宰相まで律しようとした彼らは、長らく検察権力の
“牙”だった。だが4月26日の小沢裁判で国民に裁かれるのは巨悪政治家ではなく、正義の象徴とされていたその牙だ。
ジャーナリスト・青木理氏が、特捜検察の
“源流”から“落日”までの半世紀を烈しく抉り取る。

 <何でもできちゃう組織だよ>

 ある検察関係者が私に言った。
 「病巣は、あんたが思っているよりずっと深いんだよ」。そう言いながら示されたのは幾通かの文書。いずれも東京地検特捜部の内部で作成された捜査関係資料だった。
 資料作成日は2010年(平成22年)の4月末から5月19日にかけて。このうちの一通こそ、特捜部検事が供述を捏造し、虚偽をデッチ上げたと指弾されている曰く付きの文書である。

 宛先は当時の東京地検特捜部長・佐久間達哉。作成者は特捜部の検事だった田代政弘。<捜査報告書>と題された文書は、いかにも厳めしげな調子で次のように書き起こされていた。

 <捜査報告書
 (罪名)政治資金規正法違反
 (被疑者)小沢一郎
 上記被疑事件につき、平成22年5月17日、石川知裕を取り調べた状況は下記の通りであるので報告する・・・・・(以下略)

 本来なら検察を再び奈落の底に突き落とすべき虚偽塗れの捜査報告書。作成者とされる検事・田代は既に法務総合研究所付とされ、検察組織の頂点に立つ検事総長・笠間治雄は「きっちり検証する」と宣言、検察自身による内部調査が進行中と伝えられる一方、最終的には真相をうやむやにしたまま頬被りするだろう、との見方が強い。

 <藤森注・・・・・政治家の政治生命を平気で抹殺しながら、自分達の「虚偽塗れの捜査報告書」には、「真相をうやむやにしたまま頬被り」では、あまりにも酷すぎます。

「トピックス」第20回「検察審査会についての一考察(2)」を引用しますと、元福島県知事・佐藤栄佐久氏は・・・・・

 「2審開始の直前、水谷元会長は脱税事件で実刑判決を受け、服役することが決まった。すると、私の弁護士に『実刑を回避するため、検察の言われるままに証言した』『土地取引は自分が儲けようとしてやった』と連絡してきたのです。正義の検察は一度立てた“正義のストーリー”のためならどんな証拠や証言もデッチ上げます。その結果、私の事件では多くの命が犠牲となりました」

 さらには・・・・・
 佐藤氏の事件については、「当時の大鶴基成特捜部長が、『これができるかどうかで自分の出世が決まる』と息巻き、乗り気でない現場を怒鳴りつけていた」と報じられたものだ。

 「特捜部長の出世と引き換えに、私の政治生命は絶たれ、弟の会社は廃業し、100人以上の社員が路頭に迷うハメになったのか。今後、私の無実が証明できても自殺した人々は戻りません。検察と一体化したマスコミも共犯です。『知事は日本にとってよろしくない、抹殺する』。弟の取り調べ中に検事が吐き捨てた言葉です。事件の犠牲となった人を思うと、その発言のあまりの軽さに驚かされます。強大な捜査権力は実に気まぐれで、特捜検事にとっての“おもちゃ”に過ぎないのです」

 佐藤氏の裁判は現在上告中だが、検察の強引な筋立てと捜査が、いかに多くの悲劇を招くか。小沢事件を指揮する大鶴最高検検事佐久間特捜部長は、肝に銘じておいた方がいい。>

 だが、この虚偽報告書をめぐっては確かに、いまだほとんど語られていない深刻な病巣が潜んでいる。その中身へと分け入っていく前に、虚偽報告書が作成されるに至った経過について、ごく簡単におさらいしておく。

 民主党代表だった小沢一郎を標的とする東京地検特捜部の捜査は、いまからふり返ってみても、あまりに異様な彩りに満ち満ちていた。小沢の公設第一秘書だった大久保隆規を特捜部が電撃逮捕したのは09年3月。特捜部は以後、衆院議員となっていた元秘書の石川知裕らも次々逮捕し、本丸=小沢に狙いを定めた捜査を1年以上にわたって執拗に繰り広げた。

 特捜部が当初描いた筋書きはこうである。小沢は中堅ゼネコンの水谷建設などから違法な裏献金を受け取っており、それはダム建設受注に便宜を図る見返りだった疑いが濃い・・・・・。

 <藤森注・・・・・「トピックス」第56回「驚愕!の陸山会裁判」を引用しますと・・・・・

 裁判に詳しい多くの(在野の)専門家はほぼ「無罪」を予想していました。それがなんという理不尽な判決がくだされたことか。まったく素人の私(藤森)でも、裁判官が絶対に間違っていると言える事があります。

 以前、私が「トピックス」「陸山会事件に思う(2)」で紹介した内容を下記に再録しますが、超ワンマン・オーナー経営者である水谷建設の水谷元会長が、たとえば「私には考えられない行動」だというやり方で、当時の川村社長が裏金5千万円もの大金を初対面の石川議員(当時の事務担当者)に渡すわけがありません。これは私(藤森)の種々の体験や人生経験、さらには専門とする「深層心理」の観点から考えても絶対にあり得ないことです。

 逆の観点から考えてみると、それでは一体何故、川村元社長は、超ワンマン・オーナー経営者である水谷元会長が、「私には考えられない行動」・・・・・という行動を取ったのか?しかも運転手は、その日に川村社長を現場のホテルに「社長を送った記憶ない」と発言しています。

最大のキーパーソンである「超ワンマン・オーナー経営者・・・・・つまり絶対権力者である水谷元会長」と「絶対に必要な車の運転手」の2人が川村元社長と反対の発言をしています。

しかし・・・・・ここが肝心です・・・・・しかし、5千万円は会社から消えている。領収書も無い!!!立会人もいない!!!会ったこともない初対面の石川議員(当時は事務担当者)に渡したと主張する人間の発言を信じて「有罪」にする裁判官は「異常人格者」と断言して間違いない。

 しかし、多くの元検事の弁護士連中は、いかにも不正があったと「推認!?!?」し、それをクラブ記者連中が喜んで報道する。敢えて名前を挙げないが、彼らには「正義感」というものが無いのか。

 以上がどれほど間違っていることか、少々長いですが、(2)(3)(4)(5)を下記に再録しますので、じっくりとご覧ください。ワンマン・オーナー経営者が絶対に許すわけがないことです。
 絶対にあり得ないことであると思いつつご覧ください。キチンと整理して確認してみれば、いかにおかしいか、いかに間違っているか、いかに国家権力が歪んだ捜査をしているかがわかります。この点に関しては、小沢氏の悔しさが実感としてわかります。>

 しかし、特捜部がいくら足掻いても、そうした事実の裏付けは取れない。最終的に小沢にかけられたのは政治資金収支報告書への虚偽記載容疑。しかも、カネの出入りに関する期日ズレという、あまりにショボい形式犯的な内容に過ぎなかった。

 <藤森注・・・・・「トピックス」第70回「小沢裁判についての一考察(2)」を引用しますと・・・・・

 <「期ズレ」はまったく問題なし>

 陸山会は04年10月に約4億円で土地を購入し、05年1月に所有権移転の本登記を行った。本登記に合わせて土地の取得や支出を05年分の収支報告書に記載。この「期ズレ」の問題で、小沢は元秘書3人との「虚偽記載」の共謀罪に問われ、裁判に縛られてしまった。

 しかし、弥永教授(商事法と制度会計のエキスパート。商法や会社法に関する数々の著書は司法試験志願者のバイブル)は「企業財務と収支報告書の会計基準には違いがある」と主張。上場企業なら、経営実態に即した迅速な会計処理が求められるが、政治団体には株主や投資家もいないし、収支報告書の会計基準は「主婦の家計簿レベルに近い」と証言した。

 不動産取得の計上時期も「土地の引渡し時期を外部から確認できる登記時を基準とすべき」と語り、本登記前に代金を支払っても「『前払い』にあたる。記載義務はない」と明言した。

 さらに政治資金収支報告書が国民への情報公開を目的にしていることを強調し、「支出だけを記録してもそれに見合う資産計上がなければ、国民の誤解を招く。数年分をまとめて見て、初めてひとつの取引が判明するような作りでなく、資産取得と支出の記載時期が同一年分であることが望ましい」と指摘したのだ。

 検察官役の指定弁護士は「もっぱら報告書の記載を1年遅らせるために所有権移転の登記を翌年にずらした場合も、(こうした手法が)認められるのか」と問い詰めていたが、弥永教授は「動機は関係ない」と断言した。
 ますます、裁判は無意味となり、マンガの様相を呈してきた。>

 余計な話であることを承知の上で、断っておくが、私自身は小沢という政治家を好まない。ひどく強権的に見える振る舞いや政治手法にせよ、かつて自自公体制下の与党トップとして数々の治安法導入の旗ふり役となった経歴にせよ、はっきりいえば嫌悪の対象であり、小沢に過大な期待を寄せているらしき人々の気持ちが理解できない

 <藤森注・・・・・私は、こういう表現をする方が大好きです。「禅」では、「是々非々」と言いますが、特に「小沢氏の問題」では、多くの専門家・コメンテーターが「好きか嫌いか」だけが判断基準になっているようにさえ思われます。
相手が誰であろうとも、また、過去に何をしてきた人間であろうとも、今、対象となっている問題はどうなのかという
「自我が成熟」した判断をする人間が日本には非常に少ないのが残念です。

 大阪の村木厚子事件にしても、また、小沢裁判にしても、「強大な権力」を持っている「検察」が「暴走」している大問題は、政敵か否かを超越して、国会議員が一致団結して「検察と対峙」すべき問題だと思います。「政局」に利用するのは「卑劣」極まりないと、私(藤森)は、「蟷螂の斧」を振り上げたいと思います>

 ただ、特捜部による小沢捜査は、戦後初の本格的政権交代を目前に控えた時期、政権奪取を窺う野党トップを狙い撃ちするかのように繰り広げられた。いつもながら検察ベッタリの姿勢に終始した新聞やテレビメディアはともかく、戦後政治の分岐点を左右しかねない特捜の強引捜査に疑念と不審の声が渦巻いたのは当然だったろう。

 結局のところ特捜部は、小沢立件を断念した。だが、今度は検察審査会(検審)が暴走を始めた。市民団体からの申し立てを受けた東京第五検審は小沢について、収支報告書の虚偽記載で石川との共謀があったと断じ、二度にわたって「起訴相当」と議決し、強制起訴されることとなったのである。

 検審とは本来、検察による恣意的な不起訴を監視するため設置された機関である。有権者からくじで選ばれた11人の審査員で構成され、被害者らの申し立てを受けて不起訴処分の妥当性を判断する。従来はその議決に法的拘束力がなかったものの、09年に制度が改められ、2度の起訴議決があれば裁判所指定の弁護士が検察官役となって強制起訴されることとなった。

 つまり検審は、検察が何らかの政治的理由や組織的思惑などに基づいて起訴すべきを起訴しないようなケースを想定し、市民目線でこれをチェックすることを本旨としている。この大原則に従うなら、小沢を強制起訴した第五検審の議決は、検審制度の目的とは明らかに相反するものだった。特捜部は恣意的に小沢を不起訴としたのではなく、むしろ小沢を捕らえるべく執拗な捜査を続けたのに、ショボすぎる“疑惑”しか掴み出せず、失敗捜査の果てに起訴断念に追い込まれたのが実態だったからである。

 だが、ここで検審議決を批判するだけでは問題の本質を見誤る。検審の暴走の背後には、検察にベッタリ寄り添って特捜部の提灯持ちに終始したメディア報道があったし、さらに言うなら、東京地検特捜部が検審の暴発を誘発する仕掛けを巧みに施していた疑いが強いのである。

 小沢を狙った捜査の“踏み台”として逮捕・起訴された石川知裕は、特捜部の取り調べを受けた際、担当検事から次のような台詞を言われたと私に教えてくれた。
 「石川さん、ここ(検察)は恐ろしい組織だ。何でもできちゃう組織だよ」
 そして、こうも告げられたという。
 「たとえ今回、(小沢が)不起訴になっても、検察審査会で間違いなく起訴議決になるよ」

 <藤森注・・・・・「トピックス」第19回「検察審査会についての一考察(1)」第20回「(2)」第21回「(3)」第22回「(4)」第23回「(5)」第24回「(6)」第25回「(7)」第26回「(8)」第27回「(9)」第28回「(10)」をご参照>

 結果は、取り調べ検事の言う通りになった。そのカラクリを知るため、冒頭に紹介した虚偽報告書に話を戻す。

 <単なる“コピペ”ではないか>

 問題の虚偽報告書が作成されたのは10年5月17日。この暫く前、第五検審が小沢について一度目の「起訴相当」議決を出し、東京地検特捜部は再び石川から事情聴取した。これを受けて報告書は作成されたのだが、そこには例えば、石川自身の供述としてこんな一節が刻まれている。

 <私が、「収支報告書の記載や定期預金担保貸付については、私自身の判断と責任で行なったことで、小沢先生は一切関係ありません。」などと言い張っていたら、検事から、「貴方は11万人以上の選挙民に支持されて国会議員になったんでしょ。そのほとんどは、貴方が小沢一郎の秘書だったという理由で投票したのではなく、石川知裕という候補者個人に期待して国政に送り出したはずですよ。それなのに、ヤクザの手下が親分を守るために嘘をつくのと同じようなことをしていたら、貴方を支持した選挙民を裏切ることになりますよ。」と言われちゃったんですよね。これは結構効いたんですよ。それで堪えきれなくなって、小沢先生に報告しました、了承も得ましたって話したんですよね>

 いかにも臨場感に溢れ、小沢の共謀を裏支えする供述と思えるが、実際の取り調べでこのようなやり取りはなかった。石川がこの聴取を密かに録音していたため、後の小沢公判で報告書の供述捏造が証明されたのである。

 だが、田代の上司だった当時の特捜部副部長・齋藤隆博は、この虚偽報告書を大量に引用して<捜査報告書・・・再捜査の結果を踏まえた証拠の評価等について>と題する文書を作成し、田代の虚偽報告書とともに第五検審へ提出していた。そして第五検審は同年9月に2度目の「起訴相当」を議決した。

 驚くべきは、ここからである。特捜部副部長の齋藤が虚偽供述を大量引用して作成した<捜査報告書>と、第五検審が「起訴相当」と判断した議決書の両者を比較すると、まったく同じ文章が散見されるのである。例えば、小沢と石川が政治資金収支報告書に虚偽記載したとされる4億円の出所について、齋藤の<捜査報告書>はこう書いている。

 <小沢が本件4億円の出所について明らかにしようとしないことは、小沢に本件不記載・虚偽記入に係わる動機があったことを示している>

 一方、第五検審の議決書はこうだ。

 <被疑者が本件4億円の出所について明らかにしようとしないことは、被疑者に収支報告書の不記載、虚偽記入に係わる動機があったことを示している>

 「小沢」を「被疑者」と置き換えた程度の差異しかなく、まったく同一の文章といってもよいだろう。同じような部分はほかにもある。

 x x x

 <年間約450万円もの金利負担を伴う4億円もの債務負担行為の趣旨・目的を理解しないまま、その融資申込書や約束手形に署名したとの点については、極めて不合理・不自然である>(齋藤の捜査報告書)

 <年間約450万円もの金利負担を伴う4億円もの債務負担行為の趣旨・目的を理解しないまま、その融資申込書や約束手形に署名・押印したとの点については、極めて不合理・不自然である>(第五検審の議決書)

 x x x

 <このような銀行借入を行なうことを了承して自ら融資申込書等に署名している以上、当然に不記載についても了承したものと認められる>(捜査報告書)

 <このような銀行借入を行なうことを了承して自ら融資申込書等に署名・押印している以上、当然に不記載・虚偽記入についても了承していたものと認められる>(議決書)

 x x x

 もう十分だろう。どうみても、捜査報告書の丸写しである。一部にごく微細な差異があっても、単なる“コピペ”ではないかと疑いたくもなる。
 一般市民で構成される検審には通常、審査補助員としてベテラン弁護士がつく。議決書を起案したのがこの弁護士かどうか判然としないが、「起訴議決」の根底には、特捜部副部長が作成した<捜査報告書>の誤導が埋め込まれている。それも、捏造供述がちりばめられた虚偽報告を土台とする極めて重大な誤導、である。

 <特捜にあらずんば人にあらず>

 当然の話ではあるが、田代報告書の虚偽が発覚したことを受け、小沢公判では検察官調書が軒並み却下された。注目の判決は4月26日に言い渡されるが、こうした実態を踏まえれば、無罪を言い渡すよりもむしろ強制起訴自体が誤っていた・・・つまり「公訴棄却」の判断を下すのが理に適っているというべきだろう。

 <藤森注・・・・・「トピックス」第70回「小沢裁判についての一考察(2)」を引用しますと・・・・・

 (1)小沢裁判での「検察官役の指定弁護士」の「控訴」はムチャクチャです。

 私(藤森)は、もちろん、専門家ではありませんので、私がゴチャゴチャ述べるよりも、専門家の意見を整理して紹介するほうが説得力があります。

 いかに今回の「控訴」がデタラメであるか、私たちは十分に理解する必要があります。疑わしきは罰せずと言います。「疑わしき」どころではありません。検察は「調書を捏造」してさえも「有罪」を立証できなかったケースです。
そうであるならば、「調書を捏造」した事実が発覚した時点で、「調書の捏造」を最大限重く見て、第五検審の強制起訴を取り下げるべき「ケース」だったはずです。

 百歩譲ってやるところまでやったとして、「調書を捏造」した事件の「無罪」が確定したのです。しかも、大問題になっている「期ズレ」の問題も専門家が問題ない範囲だと証言しています。また、問題あるケースだとしても、多くの国会議員は訂正して済ましています。ただそれだけのことなんです。

 本職の検事ならばいざ知らず、本来は「被告人」を擁護すべき立場の「弁護士」です。検事が調書を捏造したことが発覚し、その上「無罪判決」が出たのですから、職業的にも、裁判の経緯からも、被告人を擁護すべきです。その弁護士であるはずの「検事」が「控訴」するのですからいかにハチャメチャなことか。

 恐らく、いや、事実は、小沢氏を失脚させたいたがめに、大問題にしているだけのはずです。ただ、単に大騒ぎをしていさえすれば、政治的活動を抑制できる、それが狙いだと思えば、すべてが合理的に納得できるケースです。
 すべての国会議員は、小沢氏の問題は、まったく問題にならないケース、どころか自分たちが日頃から「修正申告」しているだけの問題であることがわかっているはずです。

 シリーズで紹介する内容をじっくりご覧いただければ、今回の「控訴」がいかにおかしいかがご理解いただけるものと思います。
 メディアがいかに「根拠のない批判」を猛烈に続けているか、いかに「恥ずかしい批判」を猛烈に続けているのか、それらが良く分かる資料です。

 何故、大新聞やテレビは下記の事実を報道しないのか!!!>

 しかし、なぜ特捜部は虚偽供述を弄してまで検審の暴走を誘発しようと謀ったのだろうか。冒頭の検察関係者は、こんなふうに語っている。

 「おそらくは小沢捜査を主導した(東京)地検幹部の歪んだプライドだろう。日本の検察は基本的に『有罪判決が得られる高度な見込みがある場合』に限って起訴するという原則を維持してきた。これに従えば、小沢案件はとても起訴できる代物じゃない。しかし、それでは小沢捜査を執拗に繰り広げてきた地検幹部の面子が潰れる。ただ、検審が強制起訴してくれれば、世論や社会は特捜の側に立っているじゃないかという強烈なアピールになる。虚偽報告書の作成は、田代の一存でやったことじゃないはずだ・・・・・」

 真相は分からない。だが、次々と発覚する特捜検察の出鱈目かつ乱暴極まりない所業に背筋が薄ら寒くなるのは私だけではないだろう。大阪地検特捜部では証拠の改竄という絶対禁忌を平気で突き破り、その直後には東京地検特捜部が虚偽報告書で検審の強制起訴を誘発する・・・しかもそれは、検察をチェックするため存在する検審制度の根幹すら蔑ろにするものだった。

 それにしても、いったいどうして特捜検察はここまで根腐れたのか。この疑問をぶつけるため、私は幾人もの大物検察OB=ヤメ検のもとを訪ねた。最初に会ったのは宗像紀夫。今年で70歳となる宗像は、68年から04年まで約36年間の検察在任中、その3分の1にあたる12年以上もの時を東京地検特捜部で過ごし、主任検事としてリクルート事件などを、特捜部長としてはゼネコン汚職や下水道事業団談合事件などを指揮している。いわば、近年における「ミスター特捜」の代表的人物と言っても差し支えないだろう。

 その宗像は、東京・新宿区内の繁華街近くにある自身の事務所でインタビューに応じ、こちらが驚くほど率直な話を聞かせてくれた。
 ・・・・・特捜の小沢捜査をどう見ますか。
 「あんなことをやっていいのか、って私なんかは思います。あの捜査はまあ、失敗捜査でしょう」

 ・・・・・やはり失敗捜査ですか。
 「政治資金規正法違反みたいなもので引っ掛けて、政治家をやるべきじゃないと私は思う。政治資金収支報告書への虚偽記載なんていうのは、形式犯だっていうのが私の見解です」

 ・・・・・では、最近の検察不祥事、たとえば証拠改竄や捜査報告書の捏造はどう見てますか。
 「驕りでしょうか。外から見ると分からないかもしれませんが、検察の中にいると、特捜にあらずんば人にあらずというようなところがありますから驕りのようなものが出てしまっているように思います。だって、検察の力の強さ、権力の強さは、すごいものですから。恐いものがないんですから」

 <藤森注・・・・・驕りで「政治生命」を抹殺されたり、「自殺」に追い込まれたり、会社を廃業させられ、100人以上の社員が路頭に迷うハメに追い込まれたのでは、私(藤森)ならば「自爆テロ」を決行したくなります。

 2年くらい前のことです。確か、「サンデープロジェクト」という番組内での「小沢裁判」に関してだったように記憶しています。

 郷原信郎氏(元検事、現在は弁護士・関西大特任教授)と宗像紀夫氏が番組で対決したことがあります。郷原氏はしきりに「特捜検事」の行き過ぎを批判しました。大先輩の宗像氏に向かって「ね、そうでしょう!」という感じで、いかにも念を押すような感じでしたが、その時の宗像氏の態度は煮え切らないものでした。

 私(藤森)の印象では、「ミスター特捜」の代表的人物・宗像氏は驕りの側にいる人間のように見えましたが、上記の率直な発言には、正直、驚いています・・・・・「権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する」>

 ・・・・・恐いものがない?
 「国税だって、警察だって、何だって(恐くない)。いいですか、すべての刑事事件は全部、検察を通って処理されるんです。刑事事件について起訴できるのは検察だけですから」
 宗像のこの発言については、若干の補足説明が必要だろう。

 <牙が消えれば「張り子の虎」>

 日本の刑事司法は、刑事事件に関して裁判所に審判を求める権限・・・すなわち「公訴権」を、原則的に検察が独占している。これを「起訴独占主義」と呼ぶが、つまりは警察だろうが国税だろうが、あるいは公正取引委員会や証券取引等監視委員会といった準捜査機関だろうが、検察にそっぽを向かれてしまえば被疑者を裁判にかけることができない。
 加えて検察は、刑事訴訟法が百九十一条で<検察官は、必要と認めるときは、自ら犯罪を捜査することができる>と定めるところにより、独自の捜査権限まで付与されている。これを踏まえた上で、再び宗像との対話に戻ろう。

 ・・・・・国税も警察も恐くない上、メディアも検察を批判できませんね。
 「特捜がいろいろな事件を(独自捜査で)やりますね。社会的に(影響の)大きな事件をやる。この情報っていうのは、(把握しているのが)特捜検事の一握りに限られるわけです。警察みたいに末端まで回って情報を集められるならいいけれど、(特捜事件の場合は)10人ぐらいの人しか情報を持っていない。だから、特捜は情報価値がものすごく高い。情報の価値がものすごく高いっていうことは、マスコミとの関係で優位に立てるんです」

 ・・・・・つまり、メディアも恐くない
 「恐くない」
 ・・・・・そして警察も、国税も、その他の機関も・・・。
 「恐くない」

 ・・・・・では、立法府はどうですか。つまり政治ですが。
 「政治なんて恐くないですよ。政治権力を持っている人は強そうに見えるけど、対検察との関係でいったら・・・」

 ・・・・・まったく恐くないと。
 「だって、こっち(検察)は一つの大きな事件をやれば、例えばリクルート事件のような捜査をやったら、どの党のどの政治家にどのくらいのカネが行ってるかって、全部分かってしまうんですよ、全部。ものすごいですよ、これは・・・。だから、権力の濫用に気をつけなければならない」

 宗像の極めて率直な話に耳を傾けながら、私の頭の中にはぼんやりと一つの言葉が明滅していた。
 最強権力。そう、日本の検察組織とは、まさに最強権力ではなかったか。
 警察も国税も政治も、メディアも恐くない。裁判だって、検察が起訴すれば99%超が有罪だ。この現状を逆に捉えるなら、国家の権力装置である検察は外部からのチェック機能がほとんど存在しないことを意味する。

 その力を生み出す最大の源泉は、宗像も語る通り、特捜検察にある。特捜を擁しているからこそ、検察組織は文字通りの「最強権力」たり得てきた。日本の検察組織における特捜部の意味と役割について、天皇の認証官である高検検事長まで上り詰めた大物の検察OBの一人が、本連載のための取材を始めた私にこう明かしてくれたことがある。

 「検察組織において特捜部は、いわば『最強の武器』なんです。ちょっと文学的に言えば、特捜は検察にとっての“牙”といえば分かりやすいでしょうか。特捜という“牙”があるからこそ、検察は強大な権限を維持できるんです」

 <藤森注・・・・・これほどの「最強権力」を得てきた「特捜検察」が「絶対的に腐敗」したからこそ、検察による恣意的な不起訴を監視するために設置された「検察審査会(検審)」・・・・・つまり、「最強権力者」をチェックするための「検察審査会」さえも、「絶対的権力者」の「暴力装置・牙」にして、特捜検察はさらなる「暴走」を始めたのだと私(藤森)は理解しています・・・・・「権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する」>

 これと同じ比喩を使った男がもう一人いる。部下の証拠改竄を知りながら隠蔽したとして逮捕・起訴された大阪地検特捜部の元部長・大坪弘道である。大坪は最近、『サンデー毎日』のインタビューでこう述べている。
 「『特捜部は検察の牙』。これが私の持論です。(略)これが巨悪への抑止力になっていた。牙が消えれば、検察は『張り子の虎』になっていく」(12年4月15日号)

 <最強の捜査機関を作った2人の男>

 煎じ詰めてしまえば、いかに検察といっても、所詮は行政組織の一つにすぎない。ただし検察は、極めて特殊な準司法機関とも位置づけられ、他省庁とは異なる独自の組織形態を取り、国家の刑事訴追機能である公訴権を独占することで警察や国税といった権力機関よりも圧倒的な優位に立っている。しかも、特捜という「牙」を持つことで、本来はチェック役を果たすべき立法府=政治はもちろんのこと、ジャーナリズム=メディアまでをもひれ伏させることができる。

 結果、検察組織は誰一人として反旗を翻すことができない最強権力と化し、その状態が長く放置されてきた。だとするならば、イギリスの思想家・アクトンの名言・・・「権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する」を引き合いに出すまでもなく、最強権力たる検察が堕落し、腐敗臭を発するのは必然だろう。おそらくその腐敗は、相当に早い時期から内部に漂っていたはずである。

 私は心底から知りたいと思った。この最強権力はいつ、誰が、どのようにして築き上げてきたのか。そして最強権力と化した検察はいつから堕落し、堪え難い腐臭を放ち始めたのか。

 戦後検察の源流を辿りつつ幾人もの検察OBへの取材を積み重ねてみると、見えてきたのは2人の男の影だった。いや、もっと正確に記すなら、特捜検察を軸とする戦後検察の骨格を作り上げた一人の強烈な男と、その男の“牙”として暴れまわったもう一人の男の姿、というべきだろう。

 馬場義続河井信太郎。戦後間もない時期に「経済検察」の雄として急速に頭角を現した馬場は、任官以来一度も東京を離れることなく出世を重ね、検事総長にまで上り詰めるという異例の栄達を遂げた戦後検察の大立者である。総長在任は64年から67年まで。それ以前は東京地検や東京高検の幹部を長く務め、47年に「隠退蔵物資事件捜査部」として発足した現在の特捜部を“最強の捜査機関”へと育て上げるのに決定的役目を果たした。

 <藤森注・・・・・「トピックス」第27回「検察審査会についての一考察(9)」を引用しますと・・・・・

(2)<「狙われた日華の金塊・・・ドル崩壊という罠」原田武夫著、小学館>

 ・・・・・・・・・・・<略>

 ・・・・・第二次世界大戦終了後より、アメリカ勢が熱心に繰り広げたのが日本国内における貴金属の捜索・接収であったことはれっきとした史実だ。
 戦時中、日本政府は国民より物資を徴用し、「本土決戦8ヵ年」を持ちこたえるだけの準備を整えつつあった。戦後、この備蓄の行方が問題となり、世耕弘一内務政務次官(当時)の発案により、経済安定本部内に「隠退蔵物資等処理委員会」が設置され、活動を開始した(1947年2月14日閣議決定)。

 こうした行政府の動きはあたかも日本勢による独自の展開のように見えるが、実際にはGHQの指示を受けてのものであったことは間違いない。事実、これでは不十分とばかりに1947年10月、GHQは東京地方検察庁に対し、「敗戦のどさくさ紛れに隠された物資の摘発を本格化させ、地下組織の黒幕と闘え」と命じ、そのための手段として「隠退蔵事件捜査部」を続く11月10日に新設したのであった。

 これが後の「東京地検特別捜査部」となる(魚住昭『GHQ資料が明かす 東京地検特捜部の秘密』・「現代」講談社1997年5月号所収参照)。そして実際、莫大な量の金(ゴールド)とダイヤモンドが日本銀行地下室に眠っていることが明らかとなったのである(『回想 世耕弘一』同刊行会第261頁)

 日本の教科書にはおよそ書かれていない事実であるが、ここまで徹底して「宝探し」に奔走したアメリカ勢なのである。在外資産についても同じく目を皿のようにして捜索したことは想像に難くはないのだ。

 ・・・・・・・・・・・<略>

 <藤森注・・・・・まさに、東京地検特捜部の存在意義は、「地下組織の黒幕と闘え」と命じられたままに、今日に至っているのかもしれません???>

 その馬場の信任を一身に受け、特捜の現場で剛腕を振るったのが河井である。44年に検事任官した河井は、発足直後の特捜部に配属されて瞬く間に頭角を現し、昭電事件造船疑獄といった超大型事件の捜査を最前線で主導した。検察内部でもさまざまな評価はあるが、多くの特捜検事の間では「特捜の鬼」などという枕詞とともに今なお“神格化”されている。それはマスメディアも例外ではなく、検察絡みの不祥事案が起こるたび、新聞などには「特捜の鬼=河井」を懐かしみ、賛美する記事が登場する。

 たとえば大阪地検特捜部での証拠改竄事件が発覚した直後の一昨年秋、『朝日新聞』の名物コラム『天声人語』はこう書いた。
 <「指揮官の心構えによって、事件は生きもすれば、死にもする」。特捜の鬼、河井信太郎の言葉だ。戦後できたての東京地検特捜部に30代半ばで加わり、多くの疑獄や汚職事件を手がけた。巨悪をえぐる組織の土台を築いた、特捜部育ての親である/河井は「部下には十分に意見を述べさせよ」「無理な譲歩や妥協は求めるな」「信ずるより確かめよ」と、上司の心得も残している。あの世で太い眉をひそめているに違いない>(10年10月3日付、一部略)

 あるいは、刑事司法改革が叫ばれて裁判員裁判が導入された時期、『読売新聞』は夕刊一面のコラム『よみうり寸評』でこう書いている。
 <「人に聞くより物を見よ」・・・特捜の鬼といわれた河井信太郎検事の著書「検察読本」にある。捜査は自白を求めるのではなく証拠の収集と検討が第一という捜査官への戒めだ/「取調べは真剣勝負」「自白は取調官の人格の反映」「誠を相手の腹中におく」「相手に言いがかりをつけられる言葉を残すな」「先がけの功名心はさもしい」・・・・・が取調官の心得(検察読本)/だが「鬼面仏心」の取り調べは一朝一夕にはできない>(06年5月12日付夕刊、前同)

 馬場と河井。この二人が牽引し、すべての骨格が築き上げられた特捜検察。だが、その深層を源流にまで遡りつつ追っていくと、「巨悪をえぐる正義の組織」などという評価が虚像に過ぎず、ハリボテの神話ですらあったことが浮かび上がってくる。現在の特捜検察から噴出した腐臭の根は、すべて源流の中に潜んでいた。
 (文中敬称略、以下次号)

 あおき・おさむ・・・・・1966年、長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、共同通信に入社。東京社会部、ソウル特派員などを経て、06年からフリーに。近著に、ALS闘病中の徳洲会理事長・徳田虎雄氏と交わした究極の問答劇『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』

<文責:藤森弘司>

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