2012年12月15日 第84回「トピックス」
「日本未来の党」についての一考察

●(1)「オリーブの木」構想が成功せず、第三極がグチャグチャになってきている感じです。

 既成政党にもう少しダメージを与えてほしかったと私(藤森)は思っていますが、民主党政権が続くよりは、自民党政権のほうがマシであると思う有権者が多いのではないでしょうか?私自身、一度経験した安倍晋三自民党総裁、そして、一度政権を離れた自民党の政治家たちが、民主党はおろか、かつての自民党よりもベターな政治をやってくれはしないかと淡い期待をいだいています。

 ただ単純に元の自民党政治に戻るとしたならば、安倍氏も自民党も救いようがない気がしてきますが、でも、しかし、どうやら日本のリーダーというのは、もともと、そういうものらしいですね。
 今月末に、太平洋戦争前夜の日本のリーダーにリーダーシップがいかに無かったか、それを紹介します。

 さて、ここのホームページは、基本的には、人間の「深層心理」を探索することを目的としています。今回も、「日本未来の党」の「比例代表名簿」提出遅れの問題を取り上げながら、深層心理の問題を取り上げてみたいと思います。

 その前にもう少し。
 それにしても、第三極の「日本未来の党」「日本維新の会」「みんなの党」が大同団結しないまでも、選挙協力ができなかったのはとても残念でした。おそらく、この3党が選挙協力をしたら、3党が中心になった「オリーブの木」が第1党になる可能性があったように思います。もっとも、その結果が良いのか悪いのかはわかりませんが。

●(2)いろいろ言いたいことがありますが、すぐに選挙結果がでますので、もうひとつだけ触れたいと思います。

 石原慎太郎代表は、一般に、タカ派で、強い政治家と思われているのではないでしょうか。

 「・・・・・政治の世界にもいる。上手い政治をやろうとする輩(やから)。彼らを、政治屋と呼ぶ。上手く立ち回って、生き延びようとする。人がどう言おうと、強い政治家を志しているのは、石原慎太郎都知事と橋下徹大阪市長の二人だけだとわたしはおもっている。彼らに追随している政治家たちは、わたしの目には、上手い政治屋としか映ってはいない。剛腕、と言われる小沢さん。ご本人を存じ上げないが、わたしの目にはやはり、上手い政治屋としか映らない」(夕刊フジ、平成24年5月20日、白川道氏・作家)。

 好き嫌いを別にすれば、多分、多くの方に、概ね、このように思われているのではないかと推測します。しかし、本当にそうでしょうか。

 私(藤森)は、白川氏の考えと逆です。
 確かに石原氏は、表面的には強気の発言を繰り返していますが、彼の深層心理は真逆のはずです。こういうのは「強気」ではなく、「虚勢」という言葉が妥当だと思います。それを推測できる幾つかのエピソードがあります。

 簡単に羅列しますと・・・・・
①尖閣諸島問題・・・・・対中国問題、寄付金の処理問題、さらには<<<尖閣諸島購入を都が買い上げることを発表した場所、アメリカの「ヘリテージ財団」の理事長は石原氏と懇意だとされる。しかし、同財団には「中国マネー」が流入している。石原氏はこの事実は知らなかったのではないか。財団の関係者の父親は、母校、上海交通大学では江沢民前国家主席と同級生だった。海運で財を成した富豪だ(11月2日、日刊ゲンダイ、春名幹男・国際情報を読む)>>>

②彼が力を入れた新銀行③五輪誘致の問題、さらには④築地移転の問題・・・・・移転先の地下に大変な毒物が埋設されています。いくらコンクリートを厚くしても、そしていろいろな化学的処理をしても、その真上に天下の魚市場を造るというのはどう考えてもおかしいと私は思います。大地震でコンクリートが割れることもあるし、何らかの変化、あるいは劣化で漏れ出すこともあるはずです。今回の笹子トンネルの事故を見てもわかります。

⑤さらに情けないことは、息子の石原宏高氏に対する身びいきな姿勢⑥長男・伸晃氏の自民党総裁選とご自身の新党立ち上げなどを絡めた姿勢⑦都知事時代の出張旅費の高額さや身内への費用の出し方など、どう考えても強い政治家のイメージが私にはありません。

 さらに、私の専門分野からの指摘をしてみたいと思います。

①上記の諸問題に対するケジメの発言を、私が知るかぎり、一切、していません。「ケジメ」の問題は重要で、精神分析では「トイレットのしつけ」の次期に「トラウマ」があることを意味し、つまり(汚い言葉で恐縮ですが)「自分の尻をふかない」人間であることを予感させます<今月の言葉、第106回「綸言糞の如し」の「謝らない・責任取らない・開き直る」ご参照><今月の言葉、第109回「同一観」と「脱同一観」ご参照><トピックス、第35回「菅総理大臣についての一考察②」の「フロイトの発達段階理論」ご参照>

②父親が息子を心配して、いろいろ応援することはよくわかりますが、石原慎太郎氏は、都知事という公職を利用しています。強い人間ならば、そういうことは潔しとしないはずです。経済力も、名声も、社会的に一流の立場もある人間が、誰が見てもおかしいくらい公職を利用するような人間が強い人間だろうか。

③そういう中で、私(藤森)が一番言いたいことは、「太陽の党」を立ち上げた時の発言です。石原氏は「小沢とは絶対に組まない」と呼び捨てで言い切りました。

 一寸待っていただきたい。石原氏は「小異を捨てて、大同につく」といい、原発消費税も小異だとノタマワった。それならば、(通説では)自民党時代の小沢氏に対する恨み、憎しみこそ「小異(私怨)」のはずです。既成の大政党である自民党や民主党を壊すため、あるいは、中央の官僚制度を改革するためならば、大嫌いな小沢氏という小異を捨てて大同団結できたはずです。
 そして、小沢氏は、そのために石原氏やみんなの党の渡辺喜美氏を総理大臣におし立てる覚悟があったようです。

 しかし、石原氏は堂々と、「小沢とは・・・・・」と言い切りました。単なる上から目線、必死で「虚勢」を張っているだけの姿です。

 もし、(良し悪しは別にして)小沢氏と組めば、日本維新と日本未来の党、みんなの党が団結できたのではないかと推測できます。そうすれば、他の小党も勝ち馬に乗り、一気に総理大臣を出せるほどの勢力になったはずです。そうして一番やりたい大改革をやったらどうですか?
 つまり、「大同」を捨てて、「小異(私怨)」にこだわった・・・・・言っていることと、やっていることがまるっきり違う姿ではないでしょうか。それをメディアは全く指摘しないし、ご本人も気がつかない??!!

④さらに、前回の都知事選で、自らが後継者として指名した神奈川県知事だった松沢成文氏を、東国春氏に負けそうという理由で、引退する予定を変えて四選に出馬し、松沢氏の立場を無くしただけでなく、わずか1年半後の今回は、松沢氏に一切の声掛けもしない非情さ。

<<<昨年の都知事選に際しては神奈川県の松沢成分前知事をスカウトした。松沢氏も知事を途中で辞職してその準備をしていたが、東国原氏が突然立候補して形勢不利となったので、「オレはあと2年だけやる。だから、あんた悪いけど今回は引っ込んで、その後にやってくれないか」という密約で松沢氏にあきらめさせた、と聞いている。
 しかし今回、松沢さんには声をかけていないようだ。一方、「猪瀬直樹副知事は優秀な人とも語っている。マスコミはこれを「後継指名」と捉えているようだが、自民党の中には「自民党総裁選に惨敗して総理の目がなくなった長男伸晃前幹事長を都知事にさせるため、今回、このタイミングで都知事を辞任した」と思っている議員も少なからずいる。>>>(11月3日、夕刊フジ、大前研一のニュース時評)

 つまり、公職を利用して息子達を応援する姿勢、高額の出張費、政策に対する反省の無さ、言葉だけの過激さ・・・・・<<<石原慎太郎東京都知事はさる8月に野田佳彦首相と会談した際、尖閣諸島の購入問題について「(中国との)戦争も辞さない」と述べていたという。前原誠司国家戦略相が12日のBS朝日の番組収録で、「同席者から聞いた話」として明らかにした。(10月17日、日刊ゲンダイ、斎藤貴男氏)>>>・・・・・、単なる私怨という「小異」である小沢氏問題を捨てられないコダワリや執着心の強さ、松沢氏に対する非情さ・・・・・それに加えて、彼の目の強いシバタキ

 これらを総合すると、かなり(率直な表現をすると)「ケツの穴が小さい」人間性が読み取れます。おそらく、劣等感コンプレックスの強いパーソナリティーだと推測できます。こういう器が小さい人間は、頭を下げるとか、謝ることが極端に苦手です。頭を下げたり、謝ったりすることは、自我が「崩壊」するほどの衝撃を感じるはずです。

 芥川賞を受賞した石原氏の出世作「太陽の季節」は、精神分析でいうところの「去勢不安」を投影させた内容があったと私は記憶しています。「去勢不安」が強いと「虚勢」を張るというのが私(藤森)の考えです。少なくても私は、若いころ「去勢不安」が強くて「虚勢」を張ることに命をかけていました。

 彼が政治を語るとき、教養の高さ、学の広さを自慢するような、まるで知識をひけらかすような弁舌が、しばしば、みられます。さらに、先日の日曜日のテレビ討論番組で、社民党党首・福島瑞穂氏に対して、上から目線で「バカ」だか、「黙れ」のような発言があり、一瞬、スタジオが固まりました。傲慢さとか、上から目線が目立ちます。

<<<都庁内では、「最近の石原さんは“老人性躁鬱”じゃないか」といわれています。尖閣問題では「シナとの戦争も辞さない」とか威勢がいいが、欝の時には「俺は、もう辞める!」「辞めてやる」と人前で吐いたりするのです。「どの医者も体調不良の原因が分からない」と嘆くこともありました。(略)
 ストレスケア日比谷クリニックの酒井和夫院長(精神科医)「石原知事のように常に軽い躁状態にある人は、年をとって思うようにいかなくなると欝を発症し、自暴自棄になることもあります」>>>(10月20日、日刊ゲンダイ)

 私(藤森)が若い時は(もちろん、今でもそうですが)、学才文才も無いのに傲慢さだけは一流だったことを考えれば、学才も文才も一流の石原氏は、私よりも百倍素晴しい人間ではありますが、劣等感コンプレックスは、案外、私と同等かも知れません。
 私(藤森)は薄情な人間ですが、石原氏からは「人情」とか、「肌の温もり」などが私には全く感じられません。ただ、知性と教養の塊という感じです(「交流分析」でいう「A(知性)」中心で、「C(チャイルド、感情)」のエネルギー不足、というよりも「排除」に近そう)。

 石原氏は、常に、陽のあたる場所に居たいだけで、作家の白川道氏がいう「強い政治家」が二人も揃った「日本維新の会」は、いまやボロボロのようです。東京の本部では石原氏が、大阪の本部では橋下氏が、それぞれ別々の主張を述べていて、今後、どうなるのでしょうか。

 橋下氏側は、選挙後は、「太陽の党」と協議離婚し、「みんなの党」とヨリを戻しそうな雲行きらしいです。恐らく、強いお二人は、少数政党になった場合、小党の代表に甘んじた政治ができるタイプだとはとても思えません。プライドが許さないでしょう。

 第三極がガタガタで、得票率が低い自民党の一人勝ち状態、選挙後はどうなるのでしょうか。

●(3)私(藤森)が現在、最も尊敬している曽野先生(残念ながら、面識は一切ありません)の貴重なエッセイ、全文を紹介したいのですが、下記の部分だけを転載させていただきます。

 その後に、大須賀発蔵先生のお考えを(4)で紹介します。表面的には違うことをおっしゃっているように見えますが、当然、奥に潜んでいる意味は全く同じです。曽野先生は、一般人向けに「表面」を、大須賀先生は「深層」を強調していらっしゃいます・・・・・そう考えて間違いないはずで、この二つを重ねて読まれることに意味があるように思います(私・藤森の独断と偏見です)。

 平成24年12月14日、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曽野綾子)

 <指揮官型と参謀型>

 <略>

 しかし総じて、人は自分の特性はわからないものだ。今度の東京都知事選に立候補した猪瀬直樹副知事は全く参謀型の人で、指揮官型ではないように見える。それを見抜いていなかったのなら、石原慎太郎前東京都知事は眼がない人だし、知りながら後釜に推薦したのなら無責任な人である。そのどちらでもなければ、人材がそれほどいなかったのだろう。

 人はそれぞれの人生において、指揮官型であろうと参謀型であろうと、その幸福の絶対量とは関係ない。指揮官の快感と参謀の楽しみは、全く質の違うものであって比べようがない。ただ、そこに違いがあることを忘れてはいけない。人間は決して、「皆平等」でもなければ、「為せば成る」でもないことを、皆忘れすぎている。

 <略>

●(4)私が尊敬している故・大須賀発蔵先生にご指導いただいていたある日、大須賀先生が「差別相即平等性」(しゃべつそう・そく・びょうどうしょう)とおっしゃり、衝撃を受けたことを今でも覚えています。

 この意味は・・・・・

 <平等性智・・・違いがそのまま平等>

 今度は左に回って2のほうへ上がるわけでありますが、「平等性智(びょうどうしょうち)」と書いてあります。これは、丸い鏡にたとえれば、そこへ写った諸々の現象はどれ一つとして同じものはありません。

 しかし、それは全部「法界体性智」としての仏さまの命を分かち持ったものであって、本来平等です。姿が違うことがそのまま平等であります。「差別即平等」と仏教ではいいます。二番目には、そのことを感じとる心の働きが私たちの心にも組み込まれているというふうにとらえていいのではないでしょうか。
 しかし、なかなかこれが働かないですね。どうしても姿で差別をつけることだけになってしまって、生命本来の平等性を感じられないのです<平成24年12月15日「今月の言葉」第125回「カウンセリングとは何か(平等性)」ご参照>

●(5)さて、やっと本題ですが、本題に到着したときは疲れてしまいました。

 「てにおは」をちょっと変えるだけでも、その後の文章がガラッと変わることがありますし、一つ一つの言葉が正しいかどうかを調べ始めるとキリがなくなったりもします(キリがなくなったりもしますという表現は正しいのかなと思い始めると、ここだけで、ウンウン唸ります)。

 途中で、何か一つ言葉を追加しても、全体が大幅に違ってくることもあり、最近は、作家は人間の姿をした「異星人」ではないかと思われるほど、文章を作ることで四苦八苦しています。

 もう一つ、よく悩むことは「ご紹介する」とか、「ご説明する」とか、テレショップでは「ご提供します」とか・・・・・NHKでも言います。でも、私(藤森)の素人考えでは、「紹介する」のは私・藤森です。自分のことに丁寧語を使うのはどうかと思いますが、あまりにも頻繁にメディアで使われるので、「ご紹介します」と言わないと尊大な表現みたいな気持ちになってとても居心地が悪いです。「ご紹介します」でいいのかな?

 私の友人がNHKに、「~たち」の使い方がおかしいと手紙を出したが、NHKは変えないそうです。「~たち」とは、例えば、「私たち」などに使われるはずなのに、「雲たち」など、英語でいう複数形にするための「S」のように、何にでも使っているようです。

 などといろいろ悩みながら、本題に到着したときは、矢尽き刀折れてしまいました。結論を簡単に述べます。

 今回の「日本未来の党」の「比例代表名簿」提出遅れの問題は、実は、私たちの日常によく見られる現象だと申し上げたいのです。

中央選管に「飯田哲也代表代行から『名簿順位を変えたい』と電話があった」とのことで、担当者が持って行った書類を持ち帰らせられた。

前職優先とする小沢氏の方針通り、比例中国ブロック内の亀井静香氏ら前職2人が1位で、飯田氏は3位だったが、新人を含め平等に扱うべきだとする嘉田氏が反発。3人横並びの1位に修正された。

飯田氏は選管側に「小沢氏サイドが名簿を持って行っても嘉田代表は了解していないので、受理しないで」とくぎを刺したという。

各ブロックで3日夜までにほぼ固まっていた順位付け作業もやり直され、届け出の遅れにつながった。8ブロックは修正されたが、東北、北関東、九州の3ブロックは小沢氏サイドが「強行提出」し、前職優先が堅持された。

締め切りの午後5時に職員が扉を閉めようとした寸前、ブロック名簿を持参したと見られる党関係者2人が会場に滑り込んだ。
 <以上、12月6日、東京新聞>

 別のメディアによりますと、待たされてイライラしたある新聞記者が「電波時計」で計ったら、5秒過ぎていたと言ったとか、ドアが閉められかけた時に、まさに、電車に飛び乗るかのようにして、体をねじ込んで会場に入ったとか。

●(6)私(藤森)はここで、選挙のテクニックとか、前職を優先すべきか、あるいは、新人を含めて、全員が1位であるべきだとか、それを問題にしたいのではありません。

 何を言いたいのか・・・・・理想を追うことで、全てがゼロになりかねなかったことに注目しています。私たちの日常には、こういうことが沢山あります。私が若いころパチンコをやり、一番儲かっている時に止めようとして、気がついたらゼロになっていることがよくありました。

 例えば、学校の成績を優先させたために、子供が不登校になったり、自殺したり。

 こういう極端な例は少ないまでも、例えば、家族でレストランに行くとか、ハイキングに行くなどの時、着ている洋服がどうであるとか、早く支度をしろとか、あれだこれだとゴタゴタして、結局、外食やハイキングがメチャクチャになるということは、私自身も沢山体験しましたし、一般にも沢山あるようです。
 結局は、正論を説きながらも、本来の目的がゼロになるというようなことは、日常、頻繁に見られます。

 そして、人生、戦争や大地震、怪我や病気などの非日常的出来事を除いたほとんど全ての物事は、「ゴチャゴチャするようなことでは一切ない」ということに気がついてから、私(藤森)は生きるのがになりました。

 嘉田代表の理想は素晴しいし、選挙に勝つための小沢氏の戦略も凄い。
 しかし、今回の件の評判はとても悪いようです。選管が大人の対応をしたために、建前上は事なきを得ましたが、危うくゼロになるところでした。

●(7)11月の新党結成から数日しか経っていないのに、グーグルで「日本未来の党」が検索された件数が、あっという間に4000万件を突破したのだ。
 4000万件と聞いてもピンとこないかもしれないが、日本の人口は1億2000万人だから、3人に1人が「未来の党」に強い関心をもった計算である。「日本維新の会」の検索数2600万件と比べても、有権者の関心は圧倒的。
 <後略>
 <12月3日、日刊ゲンダイ>

<文責:藤森弘司>

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