2011年4月10日 第43回「トピックス」
●(1)菅総理大臣の無能ぶりは、日を追って酷さが露呈しています。しかし、史上、これほど悪運が強い人間も珍しいのではないでしょうか。参院決算委員会で、外国籍の人からの献金は違法ということで、前原誠司・前外務大臣についで厳しい追及をされていて、もはや沈没寸前というところまで追い込まれていました。
前原前大臣は5万円でしたが、それ以外に大変な問題を抱えていたからそちらに及ばないように、この段階で大臣を辞職したようですが、菅総理大臣は、前原氏の20倍の100万円です。それまでも、将棋でいえば、すでに「詰んでいる」と言われていて、地方選挙が終了するまでは「寸止め」、首の皮一枚残っているだけの状態でした。 その日の夕方、「原発問題」が発生しました。 <<<さて、何故、12日の早朝に現地の視察をしたのか?一般に言われていることと全然違うと、私(藤森)は推測しています。私が違うと推測させるのが、上記の中の下記の部分です。 <<<「菅首相は東工大の応用物理で『政治家でこの問題に一番詳しい』と自負があり、それで過激に動いた」>>> 私(藤森)は次のように推測します。 「あなたは天下の東工大で『応用物理』を学び、政治家でこの問題に一番詳しいのじゃあないの!!!」 というようなやり取りがあり、私利私欲のためのパフォーマンスだったはずです。それが追々証明されます。 <<<さらに、菅首相には心強い援軍もいる。伸子夫人だ。昨年、9月の代表選で、一時弱気になって小沢氏と手を組もうとした菅首相に対し、伸子夫人は「小沢さんに付いてはいけない」「ここは格好よく討ち死にしなさい!」とハッパをかけ、「反小沢」を貫かせた。>>> いかがでしょうか。この妻にこの夫あり。大災害をテレビで見て、「幼児性」の高い菅総理大臣は大打撃を受けて、意気消沈、うろたえていたはずです。伸子夫人が、その夫に強烈な一撃を与えても不思議ではありません。 ●(2)私は、上記のように書きましたが、その時の様子がある新聞に載っていました。しかし、その記事が見当たらないので、記憶で書きます、。 <<<菅総理大臣は、原発問題が発生した時、すぐに総理公邸にいる伸子夫人に電話して、東工大の「卒業名簿」を探すように指示し、原発問題に詳しい専門家を探したようです。>>> 恐ろしい話ですね。地球上、最大規模の事故が発生した時に、時の総理大臣が大学の「卒業名簿」から、原発に対応できる専門家をこれから探すとはもうメチャクチャな話です。 さて、何故、このようなことになるのでしょうか。 総理大臣ともなると、夜食は、斯界の第一人者と懇談する場に多く利用するそうですが、菅総理大臣は、取り巻き、おべんちゃら連中と夜な夜な会食していたそうです。そうでなくても、コネクションの少ない菅総理大臣ですから、日頃から頻繁に学者や財界の大物たちとコネ作りや情報の収集に邁進すべきです。ゴマスリや天下を背負っているという「認識や覚悟」のない取り巻き、福山副大臣や寺田前補佐官などと頻繁に豪華な会食をしたようです。 典型的な例を紹介します。 |
●(3)平成23年3月5日、日刊ゲンダイ「スッカラ菅のヒジョーシキ!」
<芸者を呼ぶ待合料亭にカミさんと行くか!?> 1日の首相動静が永田町関係者の話題だ。菅が伸子夫人と馬淵前国交大臣とともに赤坂の高級料亭「口悦」に行ったからである。 「有名なのは池田隼人首相。側近の進言に従い、首相になってからは、いわゆる待合料亭には行かないことにした。それなのに、菅さんは夫人同伴で行ってしまう。しかも、このご時世に。常識を疑うとはこのことですよ」(前出の自民党関係者) 口悦をよく知る客によると、これまで菅がここをひいきにしていたという話はないという。「となると、誰がセッティングしたのか」となってまたまた、憶測を呼んでいる。 <藤森注・・・・・麻生元総理大臣がホテルで会食することを「高級だ!」と猛烈に批判していたのが、菅総理大臣だったように記憶しています。金満自民党総理大臣が気を使って行かないという「超高級料亭」に、元市民活動家で、たとえ上っ面だけとはいえ、市川房枝氏を慕い、尊敬していると公言している菅総理大臣が・・・・・です。 ●(4)平成23年3月18日、日刊ゲンダイ「民主党・菊田真紀子外務政務官」 <ジャカルタでエステに買い物三昧> 菊田は15日に公務が終わると、16日はジャカルタに移動。デパートで化粧品コーナーを念入りに見て回った。夜は5つ星ホテルのスパで、お目当てのエステを思いっきり堪能したという。 危機に瀕する日本のことなどどこへやら。リラックスモード全開だ。 菊田の帰国は18日。きっとツヤツヤの肌に、大きな買い物袋を抱えてくるだろう。 <藤森注・・・・・気さくな性格!!??気さくでなく、ただのアホでしょう。被災地のあの悲惨な状況や、日本中が必死の思いでいる上に、世界中が義援金などで応援してくれている中で、このハチャメチャさは神経が壊れているという以外に表現のしようがありません。現地でも、多分、日本の大震災や原発の事故が報道されていて、日本人に対する同情や批判が渦巻いているであろう中、この脳天気な国会議員を見たら、どのように思うでしょうか。親(菅・仙谷)が親なら、子が子です> |
●(5)本題に入る前にもうひとつ。
有力な民主党国会議員の皆さん、今や「倒閣運動」などやる余地がありませんよ。「倒閣運動」なんてナンセンスです。そんな悠長なことをやっている暇もありません。 今の民主党議員の皆さんが参考にするのは・・・・・ 第一に・・・・・豊臣秀吉の墨俣一夜城・・・民主党に蜂須賀小六はいないのか? 第二に・・・・・「忠臣蔵」の赤穂浪士・・・民主党に大石内蔵助はいないのか? 東日本大震災復興の最大の障害、菅総理大臣を引きずり降ろさねば、真の復興はありません。全ては、私利私欲の「パフォーマンス」に利用されるだけです。利用されるだけならばまだしも、その上に「無能」ときていますから、対策が「後手後手」であり、「的外れ」になります。 それが12日早朝の福島原発の視察であり、アメリカなどの外国の応援に頼らず、事態をさらに悪化させたりしています。あるものは何でも利用するのではなく、オレがオレがの自己顕示欲丸出し。 ●(6)平成23年3月19日、日刊ゲンダイ「菅直人の能力では対応できないと識者が指摘」 言うまでもないが、総理大臣は日本国の指揮官だ。一番高いところにデンと陣取って、必要な情報を、冷静に分析し、各大臣や役所に的確な指示を出す。それが指揮官だ。しかし、兵隊のように自分で動き回り、会見では涙ぐんで感情をあらわにする菅の能力では、この未曾有の危機に対応できないのは明らかだ。 早朝に自ら東電に乗り込んで怒鳴り散らしたり、「僕はものすごく原子力に詳しいんだ」と専門家ぶってみせた、子どもじみた言動を聞かされると、国民の方が狼狽するのは当然だ。民主党事務局長だった政治アナリストの伊藤惇夫氏が言う。 「菅さんは何でも自分で処理しないと気が済まない。自分は知識があり有能だと思っているので、他人に任せるのはまどろっこしいとすら考えているのです。だから他人を怒鳴りつける。中小企業のワンマンオーナータイプで、大組織のリーダータイプではありません」 被災地に救援物資が届かないのも、菅が原発対応に追われ、被災者の対応にまで頭が回っていないからに他ならない。大地震、大津波、原発事故の三重苦がいっぺんに襲ってきて、菅の頭の中も機能マヒに陥っているのは間違いない。政治ジャーナリスト・角谷浩一氏もこう憤る。 「いまは『被災の全貌』『救援』『原発対応』を同時多発的に手をつけないといけない時です。情報を官邸で抱え込んでいる場合じゃない。昨夜、仙谷さんを官房副長官に任命しましたが、相変わらずの身内びいきで愕然です。今後、東日本全体を疎開させなければならない事態に発展する可能性があり、知事を束ねて、協力を求めなければならなくなるかもしれない。東日本の対応なら、小沢一郎氏を使うべきです。いまだに菅VS小沢という党内対立の構図から抜け切れていないのは異常です」 本当だ。もう菅の能力では対応は絶対に無理なのである。そんな男に生命を預けざるを得ない現実。日本国民の最大の不幸と悲劇はそこにある。 <藤森注・・・・・だからこそ菅直人総理大臣を引き摺り降ろさねばならないのです。岡田能天気幹事長は、「今、総理大臣を代えるべきではない」と言っているが、そうじゃない。代えなければ、復旧も復興もダメになる。後手後手になったり、的外れな対応のために、何兆円もの大損害を出している。 |
●(7)さて、本題に入ります。
「東日本大震災」から発生したいろいろなこと、例えば、「保安院」や「東電」の体たらくや、日本中からの義援金やボランティアの活動などのいろいろ・・・・・大震災発生から今日までのいろいろな「世相」は、私が尊敬する曽野綾子先生が、常日頃からおっしゃっていらっしゃった通りになっています。 さて、本題ですが、民主党の第1回の「事業仕分け」は大変興味深いものがありましたが、所詮は素人政治家のパフォーマンスでしかなかったことがバレてしまいました。 「東日本大地震」が不幸にも発生してしまいました。非常に悲惨で不幸な震災ですが、発生してしまった今となってみると、日本中のいわゆる「エリート」といわれる各界のトップリーダーがいかに情けないものかが、天災という「強制力」で暴露されました。 これから、「政治家」も「経営者」も「学者」も、保安院を代表とする「官僚」も・・・・・種々の天下り先の問題も、何もかもが強制的に「事業仕分け」されるのではないでしょうか。大変残念なことに、大震災の大きな不幸が起きてしまいました。起きてしまった結果から考えてみますと、これこそが「大震災の啓示」であり、そしてこれこそが「大復興」に必要な「強制力」なのかもわかりません。 世田谷の一家惨殺事件、交通事故で一家が亡くなった方、親殺し、子殺し、北方四島を奪われた北海道の漁民、沖縄の基地問題、孤独死、家が全焼した家族、山や海の遭難、施設で過ごす子どもたちなど・・・・・のことは毎日報道されています。 それらの痛ましい事件や事故が一挙かつ巨大に発生したということで強烈なショックを感じていますが、実は、こういう悲惨な事件、事故は、日々、私たちは情報として得ていました。それが我がことのように巨大なショック(実感)が感じられた・・・・・わが身に直接響いたということであって、村全体が焼き討ちに遭ったか、一家全体か、一人の人間か・・・・・数が多いことは猛烈なショックに襲われるが、実は、全く同様のことが、日々、発生している・・・・・そして、そういうことが日々発生することは残念ながら「人生」そのものであることを、さらに実感として認識する必要があるのだと思います。 毎年、毎年、自殺する人は3万人を超えていますが、もし、一度に3万人が自殺したならば、巨大なショックとして、私たちの人生に甚大な影響を及ぼすでしょう。ところが一人一人の合計として3万人だと、ほとんど無関心、無感覚になっています。 大変不謹慎なことを言わせていただきます。万一、今、被災している方々が、日本中に散らばっていて、一つの市町村に一人とか一家が存在するならば、ほとんど全く私たちは関心がないように思えます。 そういう私たち「太ったブタ」人間に、今回の大震災は多くの「道理を啓示」してくれているように思えてならない・・・・・というと言い過ぎになるでしょうか?今回の大震災で感じた「感性」を日頃の人生でも持続させることこそが、犠牲者への「供養」になるように思えてなりません。 さて、また本題に戻ります。例えば、「保安院」(「不安院」などど言われています)などの天下り先がいかに腐敗しているかは、私たちは情報で十分知っていました。原発が危険なことも十分に分かっていました。ただ、安全神話や、日々、それなりに恵まれている自分自身の生活に甘えていて、目をつぶっていただけのことではないかと思います。 エステに行く国会議員は論外ですが、「口先番長」のような、「松下政経塾」出身者に特徴的に見られる「現場」を知らず、議論大好き、パフォーマンスだけの国会議員は強制的に退場させられるべきです。半分の250人で十分でしょう。 そういう「強制仕分け」されるにふさわしい象徴的な事例を代表して紹介します。 |
●(8)平成23年3月19日、夕刊フジ「針木康雄 ザ・トップ あの深層は・・・」
<東電・清水社長と「四耐四不訣」> 東日本大震災で東京電力の福島原子力発電所で爆発事故などが起こり、周辺住民が放射能被曝から逃れようと騒動が起こっているが、東京電力側からいわせると「想定外」の被害ということで、修復に大わらわである。 東京電力といえば、日本の大企業のなかの代表格で、他の東北電力や九州電力などとともに全国9社の発電体制を取っている。東京電力の歴代社長はすべて真摯な人柄で、特に4年前になくなった平岩外四氏(1914~2007)は「財界の哲人」といわれた有徳な社長だった。 日頃から哲学者の安岡正篤に私淑し、東洋学の教えを受け、平岩氏以後の社長も常に平岩氏の心を心として真摯な経営を続けている。 ここで書いておきたいのは、東京電力という会社は、心から信頼できる社風を持った「真面目会社」であることだ。 平岩氏は電力会社の第一の使命は「どんなことがあっても電力の供給を行なうこと」と言った。 つまり「いい人、いい会社」である前に「たくましく健全な財政を保つこと」の必要性を問うたのである。 つまり今回の東日本大震災の時に、この四耐四不訣を心がけて事にあたることが必要だということである。 「これほど社長業にぴったりの文句はないんですよ」と平岩氏。まさに現社長、清水氏にこの欄を借りて、伝えておきたいと思い、この稿を書いたつもりである。 <藤森注・・・・・恐らく、「冷に耐え苦に耐え煩に耐え閑に耐え、激せず躁がず競わず随(したが)わず、もって大事は『逃げる』べし」が東電のモットーではなかろうかと邪推してしまいます。こういうことを念仏の如く唱えるということは、そうじゃないという意味です。例えば、「当社は整理整頓をモットーにしています」と言うことは、いかに「整理整頓」ができていない会社であるかと天下に知らしめていることに他なりません。同じ日に発行された下記の日刊ゲンダイが対照的になっています> |
●(9)平成23年3月19日、日刊ゲンダイ「政官財ウオッチング」
<大震災で露呈> <「トヨタ生産方式」の弱点と東電の「罪深さ」> (丸)そうだ。ハイテクを駆使した「ものづくり」では、マイクロメートル単位のゴミの排除や微妙な温度管理、化学反応などが複雑にからみ合っている。その動力は大半が電気で、停電したらすべてがダメになってしまう。いつ停電があるか前夜までわからないとなれば、操業停止にせざるを得ない。 (霞)「3時間くらいの停電なら、どうにかなるだろう」という東電の判断は、「ものづくり」がわかっていない証拠だ。 (丸)東電の清水正孝社長は明るくていい経営者だが、事前に、もっと産業界の意見を聞くべきだった。経済同友会が15日に「計画停電」の見直しを求めた緊急提言を出したのは、当然だ。 (永)相当「罪深い」お役所仕事だったな。 <藤森注・・・・・今の日本では、こういう社長でも「明るくていい経営者」だと言われるのですか?!!それならば、私(藤森)なんか最高に「いい経営者」になれますよ。酒を飲めば底抜けに明るく能天気になりますから? |
●(10)平成23年3月28日、日刊ゲンダイ「被曝する弱者」
<下っ端が危険にさらされ幹部は安全> だが事態は一向に好転しない。それどころか、24日には20代と30代の作業員3人が被曝する事故も起きた。3人とも東電の社員ではなく、2人は関電工の社員。もう1人は同社の下請け企業の社員だ。 そうした中、気になるのが東電の幹部の動きだ。原発施設では社員などが命がけで働いているのに、会長や社長、副社長といった幹部は現地に足を踏み入れていない。 <東電は太平洋戦争末期の旧日本軍だ> 幹部が安全なところでふんぞり返り、下っ端が最前線で命を張る姿を見ると昔の出来事を思い出してしまう。太平洋戦争である。 牟田口廉也(陸軍中将)などは成算のないインパール作戦を指揮し、9万人ともいわれる犠牲者を出した。兵士が飢えとマラリアで苦しんでいるとき、牟田口は安全な場所から指令を出していた。これらの将校は全員、戦後も生き延びている。社会学者の岳真也氏が言う。 「権力者は安全地帯にいて、弱者は死と隣り合わせというのは東電=原発によく似ています。東電の幹部はこれまで“原発は絶対に安全”と言ってきたのに、その反省もなく、いまだに保身に走っている。まさに醜態です。原発問題が解決したとき、東電の幹部がどんな責任の取り方をするかを国民は監視しなければなりません」 <藤森注・・・・・権力者は「菅総理大臣」に似ているのですね。「菅総理大臣」が彼らに似ているのでしょうか。「権力者」というのは得体の知れない人間なのですね。「特攻隊員が400人」とありますが、偶然にも、原発処理にあたっている現場の作業員も400人です。清水正孝社長・・・・・これが現代のエリートの実像です。そして、「明るくていい人」と言われる人の正体です。針木康雄氏の言っていることの全部が反対になっていませんか。 これでは私(藤森)と同じく、単に明るくていい人(?)というだけの人間ではないですか。私は、社会的に責任のある立場にありませんから、明るくていい人というだけでも、まあそれだけでも多少は存在の価値がありますが、これだけの重大な事故の最高責任者が、私と同じ、単なる明るくていい人というだけでは、ほとんど「犯罪」です。日本は、これほどの超エリートが、この程度とは恐ろしく劣化したものですね。強制退去させるべき対象だと思います。> |
●(11)平成23年3月30日、日刊ゲンダイ「一番の修羅場で倒れた東電清水社長の“便利な体”」 <ホテルで休息に社員はカンカン>こんな男がトップでは、原発事故は収束しないのではないか。東電の清水正孝社長のことだ。16日から21日までの1週間、“過労”を理由に「対策本部」を離れ、ゆっくり“休息”していたことが明らかになった。原発事故の現場では作業員が決死の覚悟で働いている。東電本社の社員たちも、会社に泊まり込んでいる。彼らに言わせれば「なにが過労だ!」だろう。 政府と東電との合同「対策本部」は15日、東電本社の2階に設置された。清水社長は副本部長に就いたが、翌日から姿を現さず、社長室で休んでいた。 「疲れがたまり、医師から休むように言われた」(東電広報部)らしいが、点滴などの治療を受けたわけではない。夜は近くのホテルに泊まっていた。1週間も「対策本部」に顔を出さなかったため、一時は「自殺説」まで飛び交った。 初日にダウンとはヤワすぎるし、あまりに無責任だ。いったい、どんな人物なのか。 「そもそも清水社長は,“棚ぼた”でトップに就いた男です。東電は、東大卒の総務部出身がエリートコース。歴代社長はみな東大卒です。ところが、清水社長は慶大卒で、資材部出身。傍流なのです。そんな彼がトップに就いたのは、02年に原発の事故隠しが発覚し、社長経験者3人が引責辞任したことで人事が大きく狂ったからです。清水社長が評価されたのは、資材部時代、コストカットに成功したことくらい。問題は清水社長に当事者能力がないことです。資材部はノンビリした部署だけに、緊急事態に対処する訓練がされていないし、原子力の専門的な知識もないから判断が下せない。本人は明るくハキハキした性格ですが、原発事故に対応するのはムリです」(東電関係者) |
●(12)平成23年4月1日、日刊ゲンダイ「東電の清水社長は意地も誇りもないのか」
<病院に逃げ込むとは見苦しい> 東電の清水正孝社長が入院した。公の前に姿を現したのは、13日の会見時だけ。その後はすっかり姿を消し、会見にも出なくなった。暴走する原発をコントロールしようと一心不乱に取り組んでいるのか怪しむ声も聞かれ、一時は“自殺説”も流れたほどだ。 経済アナリストの森永卓郎氏が言う。 いまさら高血圧でダウンなんて冗談じゃない。 被災者の心労や過労、疲労を考えれば、最低でも収束のメドがつくまで奮闘し、ミスを取り返そうとするものである。それが責任ある経営者ではないのか。経団連副会長の肩書きまで持っているのだから、なおさらだ。 代わりに陣頭指揮することになった勝俣恒久会長(71)も頼りにならない。会見では、謝罪こそ口にしたものの、事故対応について「まずさは感じなかった」「電気や通信がないなかで意図しない遅れが出た」とシレッとして答えていた。事故当時は、マスコミOBを引き連れた中国旅行の最中だったというから、どこまで事態を把握できているのかも怪しいものだ。 「そもそもこれほどの混乱を招いた元凶は勝俣さんにある」と言うのは、東電をよく知る関係者。 <藤森注・・・・・ここでも「明るくハキハキした性格」だとあります。原発も扱う世界の巨大企業のトップの取り得が、単に私と同じ「明るくハキハキした性格」だけだとは驚愕です。また、曽野先生が日頃から厳しくおっしゃっていらっしゃる「東大法学部卒」が出てきました。> |
●(13)平成23年4月8日号、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曽野綾子)
<マニュアルなし> 東日本大震災の後、多くの土地で電気が止まった。民主主義が一時停止したのである。電気がないところには、正常な形での民主主義はないのだから、瞬時のうちに、あちこちに族長支配の形態のひな型のようなものが生まれた。 そのような時、しかしあちこちで小さな指揮官が現れる。病人を運ぶグループで命令をする人。あたり一面に散らかった廃材を燃料に、自分たちの食事だけは作ろうという女性たちのグループにも、自然におばさんの指揮官が生まれる。これも一種の族長支配の形だ。 現在地球上で、電気が全くなかったり、充分でなかったりする土地は、この手の族長型の政治形態を取っている。しかし日本人は、世界中が我々と同じ民主的基盤で動いているはずだと思い、そうでない社会はひどく野蛮で遅れたものだと思いかねない。しかし族長支配の体制はそれなりに長い間の歴史や必然の元に続いて来たことが、今度は少し理解できただろう。 民主主義しか体験していない世代は、外から見ていて、この異常事態にかなり無様で硬直した反応を見せた。彼らは戦後の新しい教育を受けて来た人たちで、この世には運の部分があることも理解できなかったのだ。津波に襲われた町では、一メートルだけ高みにいた人、一秒だけ早く走り出せた人が生きた。一メートルだけ偶然低地にいて波に攫われた人、高齢で一秒だけ早く走り出せなかった人は死んだ。これは運が左右したのである。生きた人の心がけがよかったのでもなく、死んだ人が悪いことをしていたのでもない。 もちろん運がすべてではなかった。私はかねがね人生は運半分、努力(学習)半分だと思っている。しかし運などというものの存在を、日教組的教育は教えなかったのだろう。何しろ皆がいい子で、平等と公平を何より大切だというような思考では、現実を正視する勇気も教えなかっただろうから。平等と公平は現世における我々の悲願ではあるが、決して現実ではないのである。 私たちはもちろん運よりも努力を信じて生きたい。しかし人間の生涯の成功は、決して努力だけで達成できるものでもない、という謙虚さも教えるべきなのだ。 前の戦争を知っていた私たちの世代は、今回の地震に遭ってもあまり慌てていない。戦争中は非常時だったから、今までの生活環境がすべて壊れる現実の経過を、目のあたりにして育ったからである。 非常時にはあらゆる体制が壊れる。というか制度が一時停止する。 テレビの画面には、医師も看護師も設備も薬も燃料も足りない医療機関が何度も映った。現実はわからないが、ああいう場合、看護師の資格がなくても、素人が何か医療行為を手伝わなくてはいけない場合が当然あるはずだし、私などはそれが当然と思っている。戦争中もそうだったし、今でも貧しいアフリカでは、誰でもが何でもいいから人命救助のために働かねばならない場合も多い。 しかし常にあらゆるものに規則があり、それを守ることが役所としても学校としても個人としても最も大切なことだと教えられて育った世代は、その規則が適応できない事態になるとパニックに陥るか、思考停止になる。心身のサバイバルに直結する臨機応変の判断が、秀才でもできないのである。 今回は死者を、とりあえずそのまま埋葬したと聞いている。遺体そのものが見つからない場合もあろうし、個人の識別もすぐには不可能なほどの損傷でもあったのだろう。しかも遺体を保存する方法も、焼く設備もなかったのだ。 テレビの画面から聞こえて来るマスコミの記者たちの質問は惨めなものも多かった。 ましてや明日の予定など、誰が決められるのか。明日にならなければ、水素爆発で建屋が吹っ飛んだ3号機内の温度一つわからないではないか。作戦とは、その場その場で、柔軟な判断をして、事態を切り抜けて行く柔軟な戦闘の技術だ。そうした現実は、戦後すべてのことにルールを作ってもらっ て、その通りに生きることに馴れた世代には全くついていけなかったのである。 現場の教師が戦後ずっとかかっても教えられなかったことを、地震と津波が教えたとは思いたくないが、賢い日本人はきっと不幸をプラスの方向に変えるだろう。 |
<文責:藤森弘司>
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