2011年3月31日 第42回「トピックス」
買いだめの問題と菅無能政権

今回は、表題について書いていますが、その途中で、私(藤森)が一番言いたい記事が「夕刊フジ」に掲載されましたので、番外編として、まずそれを紹介します。

平成23年3月30日、夕刊フジ「無能菅に殺される」

 <原発処理 なぜ米軍に頼まないのか>

 菅直人首相率いる日本政府の国際的評価が暴落の一途だ。東京電力福島第1原発事故を2週間以上も収拾できず、放射線漏れの封じ込めができないからだ。米FEMA(連邦緊急事態管理庁)の外郭団体であるIAEM(国際危機管理者協会)の担当者は、夕刊フジのインタビューに応じ、「日本政府には事態収拾プランが感じられない。どうして、知識も能力もある米軍に依頼しないのか。非常時の基本的な対応ができていない」と、強い疑問を投げかけた。

 <ノウハウ段違い>

 先週25日の総理会見。菅首相は第1原発の事故について、「事故対策統合本部を中心に、官民一体で、さらには米軍などの支援もいただいて、事態収拾に全力を挙げている」と語った。
 しかし、IAEMの国際コーディネーターの1人で、震災後、日本戦略研究フォーラム復興支援・国際連携室室長に就任した唐川伸幸氏は「とても信じられない。米軍が早期段階で本格的な支援をしていれば、こんなひどい状況にはなっていない。日本の主権を尊重しすぎたのか・・・」といい、こう続ける。

 「原子炉や核燃料を冷却するのは理解できるが、なぜ同時に、放射線や放射性物質をブロックする対策を取らないのか。これが極めて重要で、原子力空母や潜水艦を持つ米国ならば、封じ込めの知識を所有している。常に『不測の事態』の対処を考え、シミュレーションを行なっている。方法は、原子炉の上から鉛を落としてコンクリートで囲ったり、鋼鉄製のカバーをかぶせるなど、いろいろある。米軍が関与すれば、状況に応じて、最善最短で処理を行なう。2週間という期間は長すぎる。原発は放射線を出し続けており、人体への蓄積、被曝量が気になる」

 <全面協力申し出を日本政府は無視>

 FEMAは、地震やハリケーン、原子力災害など、あらゆる天災や人災に即応する米政府機関。IAEMはその外郭団体であり、唐川氏は米ワシントンDC―東京間を頻繁に行き来している。
 米政府は、今回の原発事故を重く見て、駐米日本大使館などを通じて、「事実をすべて話してくれ」「事態収拾に全面協力する」と何度も伝えたが、日本政府はこれをほぼ無視したとされる。

 唐川氏も「事故直後、米軍は青森の三沢基地などに、放射能専門部隊75人を送り込み、米国内でも残留部隊が待機していたと聞く。これは、水蒸気放出前に封じ込めを行なうためのチームだった。しかし、今となっては、米専門部隊でも、正確な現状把握を行い、速やかな対処計画を立て直す必要がある。爆発による機材破損、防護壁破損などにより、ケタ違いに対処が難しくなってしまった」と語る。

 <日本だけの問題ではない>

 そもそも、日本政府の「20キロ圏内は避難者指示」という措置にも疑問が大きい。
 唐川氏は言う。
 「まず、放射性物質が外に漏れることは、あってはならない。東京で検出されるなど、異常なことだ。分かりやすくいうと、第1原発は現在、火事で火が燃えている状態。日本政府の『20キロ圏内~』という対応は、火事の隣のビルで人々を寝かせているようなもの。米国では、放射性物質が漏れた時点で50マイル(約80キロ)圏内から退避させる。放射能は見えないが、50マイル圏内というのは火事の熱が届いてヤケドする距離と思えばいい」

 事故発生後、東日本や東京から外国人が一気に消えたが、この理由についても解説する。
 「第1に、放射性物質を浴びる危険性があること。必要以上の量を浴びるべきではない。第2に、東京直下型地震の発生を恐れたこと。第3が、日本政府が原発事故をコントロールできていないと判断したこと。この第3番目が最大のリスクだ。世界各国は、日本政府の発表内容や対応能力に疑問を持っている。各国大使館はこれを肌身で感じ、『自国民を守る』という使命を遂行した」

 「放射性物質は物質は少量でも長期間浴びて限界を超えると、後々、甲状腺や筋肉、骨などに障害が出る。日本政府は、その瞬間の数値ではなく、事故発生以来、その地域に届いた総量を公表すべき。優秀な日本人を1人でも多く、救ってほしい」
 菅首相や側近らの隠蔽体質はこれまでも指摘されてきたが、、それが事態の悪化を放置しているのか。ともかく、もはや今回の事故が東電という一企業が対応できるレベルを超えているのは明らか。唐川氏は「日本政府が責任を持って対応すべきだ」といい、こうアドバイスする。

 「菅首相がホットラインで、オバマ大統領に『助けてほしい』と頼むこどだ。米軍には事態収拾の知識も能力もある。大気汚染、海洋汚染は、日本だけの問題ではない。これ以上、事態を悪化させると、日本は世界中から相手にされなくなってしまう。早期の判断を要望する」
 日本、いや世界の人々はいつまで不安を抱え続けることになるのか。

菅総理大臣は、上記の「助けてほしい」が最も言えない性格です。自分の弱さ、未熟さを理解して「助けてほしい」と言えることは、「成熟した自我」を持つ必要があります。「成熟した自我」があるからこそ、自分の未熟さを理解し、不足分は他者に助けてもらおうと判断できます。菅夫妻にはその判断力がありません!!!

 「幼児性」丸出しの空き菅総理大臣だから、自分は「東工大で応用物理を学び、政治家で一番詳しい」などと自負し、原発が大変なことになっても、責任を取る姿勢がまったくなく、大災害さえも「政権延命」に利用できるのです。謙虚さの欠片もありません。
 さらに、周囲や国民に呆れ返られているのもわからず、また、市川房枝氏に送った花束をゴミ箱に捨てられるような「醜悪至極」の亭主であることも分からず、ダメ亭主を必死に支える過干渉、過保護ママ・・・・・大変僭越ですが、救い難いアホ夫婦です。

 さて、代表選で菅直人氏は「クリーンでオープン」を連呼しました。
 私(藤森)の専門分野である「深層心理」の観点から推測すると、意識的に強調するものは、実は「深層心理」はその逆のものを持っている傾向が強いものです。ある意味、人間として「クリーンでオープン」は当たり前のことです。本来、これは強調するものではありません。何故ならば、私は「ダーティで閉鎖的な人間です」と言う人はいません。
 それを、まるで「俺は立派だ」とばかりに、連呼、絶叫したところに「胡散臭さ」がありましたが、見事に「胡散臭い」人間でした、菅直人氏は。
 これほど世界中からヒンシュクを買っている「隠蔽体質」があり、「私利私欲溢れるダーティさ」「愚図」「ヒステリックに怒鳴り散す女性性や、40年前に高だか大学で「応用物理」をやっただけで「政治家の中で一番原発に詳しい」と自負して、事故が起きている「原子力発電所」を視察する人間を、必死で支える伸子夫人は、一体全体、どんな人間なのでしょうか。

 テレビのコメンテーターの三反園訓(みたぞの・さとし)氏(長い政治記者経験あり)はテレビ番組の中で、東日本大震災の前、「菅首相を降ろせるのは神頼みならぬ『カミさん頼り』」だけだと言いました。つまり、幼児性が強く、今や世界中からヒンシュクを買っている「菅直人氏」を退陣させられる人間が、伸子夫人だけとは情けない日本になったものです。

 チョット拾い上げても、いかに菅総理大臣が無能・無策で汚らしい人間かがわかります。

①「諫早湾の開門」を政治判断したが、その処理は鹿野農水大臣たちにやらせる(尻拭いさせる)。

②衆院議運委員長の解任決議案への賛成討論では、時間をオーバーしても演説を続ける菅氏を衛視が抱えて降壇させたが、菅氏は最後まで「演壇にしがみついて抵抗」した。

③菅氏は、尊敬しているはずの故・市川房枝氏に、お祝いで送った花束をゴミ箱に投げ捨てられた。

④官僚は「大バカ」だと言いながら、今や官僚に丸投げ、オンブにダッコ状態。

⑤小沢氏が代表選の演説で、菅総理大臣の予算の組み方を、「予算の一律10%カット、この手法はまさに自民党時代から続いてきた官僚主導のやり方です」と批判しているのに、続いて登壇した菅氏は、「霞ヶ関の役所の壁は根本から変えるのが、私の第2の薬です」・・・・・これほど言っていることと、やっていることに隔たりがあるのは、一種の病気といって良いでしょう。病人を必死で看病する伸子夫人???

⑥本日(3月29日)のスーパーモーニングという番組で、鳥越俊太郎氏が次のように発言されました。
 「菅総理大臣に会うことがあり、質問したら、『私はできないことは言わない主義だ』とのことだった」・・・・・チョット待ってください。「クリーンでオープン」だと絶叫した人間が、今や、アメリカからも「菅首相や側近らの隠蔽体質はこれまでも指摘されてきたが、、それが事態の悪化を放置しているのか」と言われています。言っていることと、やっていることがメチャクチャです。これでは日本は破壊されかねません。

⑥「日本を菅と心中させてはいけない」(平成23年3月30日、夕刊フジ「舛添要一の改革は俺だ!!」)

⑦「無能菅内閣総辞職と救国内閣が必要」<地震を延命に利用するハレンチ首相の視察パフォーマンス><何から何まで後手後手、右往左往の無能ぶり><平時でも統治能力ない首相では千年に一度の危機ではムリ>(平成23年3月15日、日刊ゲンダイ)

⑧「原発処理遅れ・菅視察が元凶」「官邸内で孤立化」(平成23年3月29日、夕刊フジ)

⑨「菅無知ぶり全開<有識者に『臨界って何だ?』>」・・・・・「臨界」は原子力を少しでもかじったことのある人なら誰もが知る言葉だけに、あきれることを通り越して不安をかき立てられるようなエピソードだ。こんな人に原発対策や震災後の復興を任せていいのか(平成23年3月27日、夕刊フジ)

⑩「菅直人首相は自民党の谷垣禎一総裁に突然電話で入閣を要請し拒絶された。周囲は『独善ぶりに呆れた』と明かす。こういう時に、困っている人を思いやれないインフラ業者(東電)やリーダーは、使命を果たせない」(平成23年3月31日、夕刊フジ・町田徹)

⑪<「・・・それだけの辛い出来事であり、多くの人が悲しい思いをしたにもかかわらず、得をした人間もいる。それは菅直人首相です。・・・泥舟もすっかり立ち直ったかのように振る舞う彼を見ていると、はらわたが煮え返る思いです。・・・世界最大級の大地震という悲劇で一番得をしたのが内閣総理大臣というのは悲しすぎます。・・・」評論家・塩田丸男>(これが私・藤森の一番言いたいことです。平成23年4月1日号、週刊ポスト)

 書いても書いてもキリがないほど、悪評、不評のオンパレードです。最悪は、これほどの大災害をも政権延命に利用しようとする根性でしょう。「正義」を標榜する人間の怪しさを絵に描いたような人間です。

 東日本大震災復興の最大の障害は「菅直人」氏です。心があれば早急に退陣を!!!

 いつかまとめて紹介したいと思います。

●(1)さて、本題に戻ります。

 水や食糧、オムツなどが買いだめされて、被災地が大変な迷惑を被っているという猛烈な非難の記事が目に入ります。しかし、この非難は的外れだと私(藤森)は思っています。

 私は「強毒性鳥インフルエンザ」が流行しそうだということで、2年前にすでに、あらゆる備蓄は十分になされていましたので、今回、慌てることはほとんどありませんでした。
 とはいえ、スーパーの一部の棚がほとんど空っぽになっている様をみると、やはり穏やかではありませんでした。少々、買いだめをした人間からすると、下記に紹介するような「猛烈な買い占め批判」を読むと、心中穏やかではありません。

 「買い占め批判」を批判する視点から、今回は述べてみたいと思っています。
 まず、「買い占め批判」の短い記事を3つ紹介してから、批判がいかに間違っているかを述べたいと思います。

●(2)平成23年3月26日、日刊ゲンダイ「経済ニュース 先読み・深読み」(作家・相場英雄)

 <震災後の“買占め”が街と人を殺した>

 東日本大震災の発生から2週間が経過した。被災地は復興に向けて懸命な、そして必死の努力を続けている。筆者は小説の取材を通して、東北の皆様にお世話になった身だ。本稿執筆時点で冷静かつ客観的な判断ができない状態にあることをあらかじめお断りしておく。
 主要メディアで報じられることはほとんどなかったが、震災後被災地では急激に治安が悪化した。殺人事件が複数発生し、強盗は日常的に発生した。原因は飢えだ。被災地に救援物資が届くのが遅れたことが主因であることは明白だ。

 なぜ遅れたのか。その理由のひとつにガソリン不足がある。首都圏をたつ支援車両が燃料調達に苦慮し、その分だけ現地に物資が届くのが遅れたのだ。氷点下の寒さの中、被災地の避難所では食べ物がなく、人心がすさんだ。一枚のせんべいをめぐって大人同士の殴り合いが発生した。被災者が被災者から物と命を奪う鬼の行状につながったと筆者はみる。

 筆者の友人のひとりに三陸出身者がいる。被災地向けに支援物資をかき集めたものの、調達は困難を極めた。特に紙オムツ。都内で巻き起こった買い占めが原因だ。友人は親友夫妻を津波で一瞬のうちに亡くした。幸いにも、ふたりの忘れ形見が病院で生き残った。この子供のために、紙オムツを都内で調達することさえ困難を極めたのだ。現在、この乳児は友人たちが交代で育てている。
 「この子を死なせるわけにはいかない」という強い信念のもとで。

 我先に買い占めをした首都圏の人々に告ぐ。あなた方の行動が街と人を殺した。軽はずみな行動に猛省を促す。

 <あいば・ひでお・・・・・67年生まれ。元時事通信社記者。「デフォルト」(角川文庫)でデビュー。最新作は「偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎」(双葉社)>

●(3)平成23年4月3日号、サンデー毎日「今週のブーイング」(劇作家・松崎菊也)

 <買い占めも民度だ!>

 首都圏のスーパーからトイレットペーパーなどの生活物資が跡形もなく消えた。どのスーパーにも「売り切れました。再入荷は未定です」と紙が貼ってある。
 若い連中が我儘勝手やっているのかと思ったら、我れ先にトイレットペーパーをふんだくってレジに並んだ石油ショック世代がそれをやっている。バカが同じことを繰り返しているのだ。

 製紙工場すべてが津波に流されたという話は聞かぬ。物流が滞っているのは被災地に物資を届ける必要に迫られているからであって、生活必需品が首都圏から未来永劫消えてしまうわけではない。冷静に考えれば分かることだろう。
 ましてや、ミネラルウオーターを買い占める不逞の輩。現在ただいま、水やトイレットペーパーを最も必要としているのは被災地ではないか。

 「何か欲しいものはありますか?」
 と尋ねて、
 「トイレットペーパーと水」
 と悲痛に訴えられて、
 「あ、それはダメ、うちで使うから」
 と答えるつもりか、首都圏のやつらは!恥を知れかし。
 情緒過多で食傷気味だが、民放のワイドショーのコメンテーターが、被災者の忍耐度を諸外国が絶賛していると自慢げに語った。

 「日本が戦後世界に冠たる経済大国となったのは、あの謙虚さ、冷静さの賜物だろう。被災者がミネラルウオーターの配給にきちんと並んで順番を待ち、1本ずつしか受け取らない。こういう国は必ずまた復活するだろう」
 激賞されて、どこかで誇らしく思ったもんだ。

 今回分かったこと。民度が高いのは被災者であって、それをテレビで見ている傍観者ではない、ということを(自虐的ではあるが)海外メディアは世界に発信すべきだ。な~にが一列に並んで1本のミネラルウオーターを受け取る謙虚さだ。
 漠然とした不安に駆られて、自分だけ助かろうと、我れ先にトイレットペーパーやミネラルウオーターをふんだくって行くやつらに、被災者は取り囲まれているのだ。民度の高さが聞いて呆れる。

●(4)平成23年3月29日、夕刊フジ「伊集院静さん体験・被災者への思い」

 <東京人は買い占め必要か>

 直木賞作家、伊集院静さん(61)が、妻で女優の篠ひろ子さん(63)と住む宮城県仙台市での震災体験と被災者への思いを綴った。

 <略>

 寒さと余震に震えた。東北の救援が大事なのに、東京からのニュースは原発ばかりで、怒りが込み上げた。人々を生きて救い出してほしいと願った。
 被災した側だから言う。東京人は本当に買い占めをする必要があるのか。自らに問い返すべきだ。道徳規律がなければ“街”ではない。東京人はコミュニティーのない「仮住まい」にいるのだろうか。不道徳の連鎖は卑しい。未来のあるものを優先しなければならない。
 被災者には、必ず再生すると言いたい。前よりもっと良くなる。信じあおう。諦めるな。(作家)

 <いじゅういん・しずか・・・・・1950年山口県生まれ。著書に「機関車先生」「乳房」など>

●(5)さて、作家・相場英雄氏も劇作家・松崎菊也氏も、そして作家・伊集院静氏も、いずれも正論です。ちょっぴり買いだめをした私(藤森)としては、心が痛い。

 トイレットペーパーもティシュペーパーも売るほど備蓄しているので、今回は買いだめしませんでした。食糧も、缶詰類はやはり小さなお店を開けるほど備蓄しています。ビニールの手袋もマスクも電池も沢山備蓄しています。しかし、少々、買いだめをしました。一つはパスタ・パスタソース類と魚の缶詰などです。スーパーの棚は、ほぼ空っぽ状態を見ると、子供のころの空腹を思い出して、思わず買ってしまいました。空腹を満たさなければという強迫観念に襲われるのですね。よく妻に笑われるのですが、スーパーなどで「半額!!!」という文字が目に付くと、とにかく「買わなければ!!!」という強迫観念に襲われます。スーパーでも、最初は、一番買いやすいところに「いかにも非常食ですよ!」とパスタ類を並べてありました。しかも、私が買い物中に入場制限になり、お店の外に買い物客が並んでいるのを見ると、とにかく確保しなければと思い、すぐ目の前にあるパスタ類を買ってしまいました。

 もう一点は「ミネラルウオーター」です。千葉にいる姪っ子が、私に似ず、非常に良心的で、姪の母(私の姉)に、少しでも余分に買うと、買いだめはダメだと叱るそうです。
 姪っ子の言うことは正しいし、三人の作家がおっしゃることもその通りです。しかし、乳飲み子がいるのに、バカ正直になるのはどうかと思い、千葉では手に入りにくいというミネラルウオーターを日野市のスーパーに買いに行くと、やはり、品切れでした。そこで、知恵を使って、缶コーヒーなどの自動販売機にあるのではないかと思い、いくつか探してみました。
 どれも売り切れでしたが、少々、不便なところに行ってみると、ありました。これは穴場だと思い、小銭を使って何本か購入している内に、「あ!買いだめはまずいな」と思って、数本でやめました。

 翌日、開店早々、スーパーに行くと、2リットル入りのペットボトル1本がオーケーなので購入しました。そうやって若干の備蓄をして、姪っ子に送りました。
 我が家の分は、以前に2リットル入りのペットボトルを備蓄してあったので、今回は、姪っ子に送るための500ミリリットルのペットボトルを中心に購入したました。

●(6)さて、ここでまず問題にしたいのは、「買いだめ」、あるいは「買い占め」というのはどの程度のことを言うのだろうかということです。

 「買いだめ」と「買い占め」ではニュアンスがかなり違います。多分、事実は「買いだめ」ではないかと思っています。インターネットで高値で販売するやからはともかく、実態は「買いだめ」だと思います。例えばオムツを、通常ならば1パック買うところを2~3つ買うのを指しているのではないかと思います。我々庶民に「買い占め」る経済的な余裕があるわけがありませんので。

 さて、確かに、被災者の「悲惨」な状況を目の当たりにすれば、1パックどころか半分にもすべきでしょう。しかし、です。今、そこで自分が買い控えれば、その分が確実に被災者の手に渡るという状況があれば、これほどの「買いだめ」は起こらないのではないかと思います。いや、被災者に優先的に回す「愛」は、首都圏に住む荒んだ私(藤森)たちでも十分にあります。

 むしろ、これは「菅無能政権」が招いている品不足です。この問題を解決するのは、非常に簡単なことです。
 まず第一は、スーパー業界が一致結束して、毎日の店頭販売を半分にして、被災地に送ったり、オムツやミルクが必要な人に優先的に配布できる量を確保しておけば済むことです。店頭にはその旨張り紙をすれば、消費者は品不足を理解するはずです。店頭に並んであれば、買いだめに走るのは、むしろ当然です。「菅無能政権」が発表するいろいろなことを誰が信じられるか。

 次に、業界でコントロールすることが難しい場合は、政府がスーパー業界に指示を出せば簡単に確保できます。「被災地に必要な物品は、半分は確保し、店頭に並べるのは半分にせよ。半分は被災地に送れ」と指示を出せば簡単にできることです。犬の「お預け」みたいに、店頭に並べておくが、必要以上に買うなと言っても、それは無理というものです。

 何故、こんな簡単なことが、マスコミ作家も、そして政府も頭が働かず、右往左往するのかサッパリわかりません。日本中が「空き菅状態」になってしまっているようです。これから機会を見ていろいろ書きたいと思っていますが、いかに日本中が「平時対応人間」ばかりになっているかということです。私が尊敬する「曽野綾子先生」のように、「平時」において、「戦時・非常事態」に備える「現場主義者」がいかに存在しなくなり、「腑抜け人間」ばかりになっているかということです。

 ペットボトルを2~3本多く買う気持ちは当然だと思っています。これが被災地に品不足になるというのは、全くのお門違いだと思っています。簡単なことができない「空き菅政権」や業界に批判を向けることこそ、文章で生計を立てている人間のやることだと私(藤森)は思っています。こんなに整然とコントロールされている国民ならば、何故、スーパー業界がこの程度のことをコントロールできないのか。

 例えば、スーパーでは毎日100パックのオムツをお店に出すとします。これを半分にして、残りの半分を被災地に回せば良いことです。店頭に並べば買いたくなるのは消費者の心理として当然のことです。毎日が不安で不安でどうしようもない状態ですから。

 何故、スーパー業界が話し合って、お店に並べる商品を半分にしないのか?あるいは、政府がそのように指示を出さないのか。

 劇作家の松崎菊也氏は
<<<「何か欲しいものはありますか?」
 と尋ねて、
 「トイレットペーパーと水」
 と悲痛に訴えられて、
 「あ、それはダメ、うちで使うから」
 と答えるつもりか、首都圏のやつらは!恥を知れかし。>>>

 こんなことを言う人間は特殊です。今、被災地の人が、それを必要だと言えば渡しますよ。今、自分が買わないからといって、それが被災地に渡りますか?その保証があれば渡します。今、自分がその商品を買うか買わないかが被災地に直結している実感がないから買うのです。極論を言い過ぎます。

 現政権のあまりにお粗末な政権運営を見ていれば、彼らが言っていることがいかに信用できないか、それは「原発」の処理がいまだに終了しないことをみれば十分にわかるのではないでしょうか。毎日、毎日、ウンザリの毎日です。
 かなり信頼できる情報によれば、福島の原発はかなり状況がよろしくないらしい。現場で懸命に作業している人たちは「国民栄誉賞」に匹敵する偉大な精神です。それだけに、菅総理大臣の私利私欲におぼれた「政権の延命策」や「パフォーマンス」に走る姿があまりにも醜い。

 ガソリンにしても、160日分の備蓄がありながら、何故、ガソリン不足になるのか。ドンドン放出したら良いのではありませんか。
 アメリカのヒラリー国務長官さえもが、「日本は信用できない」と激怒したとの報道もあります。そして、今や続々と大使館が関西や九州に引っ越しているとも言われています。
 また、道路が寸断されていれば、空輸もできるし、海上輸送もできます。飛行機からパラシュートで落とせば良いという意見もあります。
 石破自民党政調会長は、「もっとヘリコプターを大量に使えたのに」とテレビで残念がっていました。

 私(藤森)は、ドラえもんの竹コプターではありませんが、写真家などが最近使っている一人乗りのもの(大きな扇風機みたいなものを回して、一人で自由に飛びまわれる飛行機?)を全国に呼びかければ、多くの人たちから協力が得られただろうにと残念に思っています。これならば、バラバラに存在する被災地を克明にチェックして回れただろうと思います。

 とにかく、菅政権は「知恵」が無さ過ぎます。原発の冷却の問題もそうです。後から後から、追加でいろいろな放水車を投入していますが、最初に、全国にアイデアを求めれば、消防庁や警視庁、ゼネコン業界などから、優れた放水車が集まったであろうし、IT産業やロボット産業などに応援を頼めば、いろいろな機材や機器が集まったであろうに・・・・・と思います。
 ただ、ワーワー怒鳴り、喚き、パフォーマンスいっぱいの「幼稚園総理大臣」が指揮を取るのでは、すべてはドンドン悪化するだけです。

 政治家の中で一番詳しいと自負していた原発に関しても、有識者に向かって「臨界って何だ?」と菅総理大臣は聞いたというのですから、呆れてものも言えません。

 そんな連中の言うことを鵜呑みにして対応するわけにはいきません。数え上げれば切りがないほど、メチャクチャな政権運営をしている菅政権の酷い対応を見せつけられれば、自己防衛に走るのも止むを得ません(と自己弁護させていただきます)。

 菅政権のあまりのひどさに、ウンザリ、うんざりですので、ここで卓越した特別寄稿を紹介します。

 私の専門とは分野が違うために、私(藤森)のホームページに取り上げることがありませんでしたが、次に紹介する大前研一氏は「天才」だと思っています。
 週刊ポストに連載している内容からは判断できないのですが、コンサルタントと呼べば良いのでしょうか。間違ったら失礼しますが、大前氏は典型的な天才、天才中の天才だと思っています。これほど分野が広く、深く、そして、独創的な考えを持つ能力は凄いと思っています。

 ひとつ、私(藤森)の唯一の自慢をさせてください。
 私は「天才を見分ける天才」なのです。私自身、少々、このことに自信を持っていましたが、ある日、私が尊敬するある天才の方に、「藤森さんは、天才を見抜く天才だね」と言われました。「あ、あ!やはりそうなんだ!」と思いました。この方以外には誰にも言われたことはありませんが、今では、自称「天才を見抜く天才」と自負しています(あ!?菅直人さんと同じですね)。

 週刊ポストが凄いのは、歴史の天才・井沢元彦氏、(コンサルタントの)天才・大前研一氏、そして私が尊敬する「名僧・高僧」レベルの曽野綾子先生が連載していることです。これほどの大家が揃っているのは、ほとんど奇跡的だと思っています。

 私は、大前研一氏を、例えば「首相主席補佐官」などの立場で思いっきり活用できる総理大臣が現れてほしいと願っています。
 目の覚めるような大前氏の「特別寄稿」をご覧ください。

 今の日本を大復興させられるのは、大前氏のような大天才です。政治家諸氏!自分に能力が無いと思ったら、大前氏のような大物を活用して、この素晴らしい日本を復興させてください。心より祈ります。

 下記の特別寄稿を読むと、菅総理大臣がいかに醜悪かつ無能かがわかるでしょう。

●(7)平成23年4月8日号、週刊ポスト「街、港を再建し、全土に世界を呼び込む都市を造れ」<特別寄稿・大前研一>

 <縮み志向の日本よ、生まれ変われ>

 「最強国家ニッポン」を造り上げる設計図を提唱してきた大前研一氏が、「前を向いて新しい国を造ろう」と力強いメッセージを送る。

 まず、東北をいかに再建するか。これは、あえて厳しい話からさせてもらう。
 今回の教訓を一言でいうならば、「日本は強い」という安易な自信を捨てることだ。三陸の多くの町は、チリ地震の津波で反省し、対策を取り、これで大丈夫だと思ってきた。しかし、実は自然の脅威の前に無力だとわかってしまった。
 ならば、これを「元通りに復旧する」のではいけない。特に、経済的にも困窮するであろう被災者、民間に任せて知らん顔をするようでは、戦後復興で闇市が乱立し、今も東京に消防車さえ入れない街並みがたくさん残ってしまった失敗の二の舞になる。これは国が責任を持ってやる仕事だ。

 陸地と海の間に高い壁を築くという考えは捨て、低い土地には緑地、公園、運動場などを造り、その内側に高台を築いて、人はそこに住むという考え方に転換するべきだろう。近くに丘陵があれば住居はそちらに新たに造り出す。

 崩壊した港も、そのまま再建してはいけない。日本には2950もの漁港があるが、これは多すぎる。だから機能も防災も不十分になってしまうのだ。漁民には申し訳ないが、いくつかの漁港を廃止し、そのかわり再建する港は津波防止の開閉式の水門を含めてピカピカの高機能なものにする。現在、日本中の漁民は職住近接、通勤はなし、魚市場も町ごとにある。都市のサラリーマン同様、少しの通勤は我慢してもらうかわりに、高台に設けた安全な住居と最高の設備を持った魚市場と船着き場で働く環境を作る。

 悲しむべきことに、町ごと壊滅してしまった今だからこそ、ゼロから造り直すことができる。恐らく多くの被災者は再び津波が来るかもしれない危険なところに住みたくないと考えているはずで、今ならば賛同してくれる可能性が高い。

 復興資金は最低でも2兆円くらいかかるだろう。政府は国民に、1年間だけ消費税率を1%上げることをお願いする。必ず1年間の時限立法にすると約束すれば納得してもらえるだろう。これも今すぐにやるからこそ、国民が受け入れてくれる可能性があるし、逆に連帯感は高まる可能性もある。
その場に大事なことは、国民に対して、「この税金は東北を新しく造り直す資金です。皆さんがどんどんお金を使ってくれれば、その分、復興資金が増えます」と訴える。災害で萎縮した国民経済も、それで少しは回復する効果がある。
 災害を奇貨とする、といえば被災者には申し訳ない言い方かもしれないが、これを教訓として、もっと良い国土を造る意気込みこそが求められている。そして一番大切なのは、これを政治のリーダーシップで、少しでも早く打ち出すことである。

 <中央集権をやめる潮時だ>

 前向きなもう一つのプランは、東北の町を造り直すのと同時に、日本全土で新しい国土、新しい都市、新しい経済、そして新しい統治機構を造ることだ。
 私は早くから道州制を唱えてきた人間だが、ここは少し寄り道してもよいかもしれない。今、名古屋や大阪、新潟などに、「変人首長」が現れて大きな支持を得ている。このムーブメントを利用して、進み過ぎた中央集権を打破し、地方が競い合いながら発展する仕組みに転換するチャンスが訪れている。

 先日、九州の経済人たちとの会合で、道州制にかわる仕組みとして「福岡都」構想を提案した。福岡市と北九州市は隣同士で小さな争いをし、しかも両方、政令指定都市だから、福岡県の権限も及ばずに、二重、三重の権力構造で非効率なことを繰り返している。福岡と北九州が協力すれば、アジアに広がる世界の企業を集める絶好のロケーションと条件を持っている。「福岡都」ならば、その財産を活かすことができるはずだ。

 同じことは神奈川でもいえる。横浜市、川崎市は互いに世界中の海運会社に「ウチの港を使ってください」とセールスをかけ、無駄なエネルギーを使って発展を妨げている。ここも「神奈川都」になれば、新政令指定都市の相模原市も含めて全く違う経済戦略が組める。
 中国は、上海や大連など500万人以上の巨大都市が、それぞれ自治権を持ち、独自の政策で世界の人、金、企業を呼びこんで急成長した。日本を再び力強く発展させるには、同じように地域が独自のビジョンを持ち、自由な産業政策、都市開発をする必要がある。

 例えば、土地利用では国が山のように規制を作るから地方は何もできない。建物の容積率など自由に決めればよいし、遊休地ばかりの市街化調整区域という名の“ニセ農地”も、農水省の利権ゆえに残された馬鹿馬鹿しいもの。中央が利権を手放し、地方が好きに使えるようにするべきだ。それができれば、東京近郊だけでも膨大な土地が、新たに人が住む街になり、あるいは経済活動の拠点になり、外国企業を受け入れる舞台にもなる。

 「都」を作ったところには、国も大胆に権限を委譲し中央集権をやめていく決断が求められている。
 その過程では、「外力」を使うことも重要だ。開発とは、何も税金を使うばかりではない。魅力的な都市を造り、規制や税制を工夫してアピールすれば、世界から人や企業が集まってくるだろう。世界に溢れるホームレスマネーを呼び込めば、財政的負担をせずとも街造りはできる。

 今回、被災してしまったが、仙台でも同じようなことがあった。水没した仙台空港のすぐ近くにあるゴルフ場を韓国資本が買収した。すると、韓国旅行者たちが続々と仙台を訪れるようになり、空港の利用率が劇的に上がったのである。香港、マレーシア資本と中国人観光客で蘇った北海道のニセコも同じような例である。

 中央集権の悪いところは、地方が何をやろうとしても、中央官僚の利害、面子に邪魔されることだ。世界中どこにでもあるのに日本にないものの一つに、ゴルフ場内の別荘がある。これは、ゴルフ場は農水省、住宅は国交省の管轄で、併存できないからだ。
 ゴルフ場でいえば、日本には「海越えのショートホール」が、静岡の川奈と沖縄のサザンリンクスなど数か所にしかない。これは農水省(あるいは近隣の漁師)が、「漁民の頭にボールが当たったらどうする」と文句をつけるから造れないのである。こんな馬鹿な仕組みはもうやめ、地方から自分たちの考えで開発できるようにする潮時だ。

 今回の震災と、その後の停電騒動で、私の元には「本社を東京から移したい」という相談がいくつも来た。私はそれもいいと思う。中央集権とともに、東京一極集中も、そろそろ終わりにする時だ。「震災の復興」ではなく「全く違う新しい国を造る」。変人首長が鬨(とき)の声をあげている今こそ、政治家がビジョンを示し、日本が生まれ変わって最強国家造りのスタートを切る絶好のタイミングなのだと思う。

●(8)平成23年4月8日、週刊ポスト「日本経済は復興とともに蘇る」

 震災は、3月11日金曜日の午後2時46分に起きた。その週の株式市場が終わる14分前だった。そのその数分間で株価は急落したが、本当のパニックは翌週の市場が開いてからだった。
月曜、火曜の2日間で日経平均株価は1649円も下げた。株式市場だけで、失われた国富はざっと50兆円以上に上ったのである。

 <阪神大震災の驚愕データを見よ!>

 ただし、この急落は「人災」だという指摘もある。「あのような大災害があれば、金儲けだけを考える海外のヘッジファンドは、まず一斉に空売りをかけて危機を煽り、十分に下げたところで買い戻して巨額の利益を得ようとする。事実、そうした動きがありました。それは予想されたのだから、市場を開けることは良いとしても、少なくとも空売りを禁止するとか、大口の空売り注文の発注者を公表するなど、“火事場泥棒は許さない”という日本市場のメッセージを示すべきだった」(金融ジャーナリスト・小泉深氏)

 具体的には、経済停滞や保険金支払い増大などを懸念した金融株の下げが目立った。原発事故や計画停電を引き起こした東京電力の株価が急落したのは当然としても、思惑ばかりが先行するマネーゲームの様相を示していた。
 「現実には、この地震で銀行の業績が落ちることなどあり得ない。むしろ復興事業で巨額の資金需要が生じるから、ビジネスチャンスを拡大する可能性も十分ある。手持ち株の価格下落は確かに痛いが、昔のように株を大量に保有しているわけではないので、その影響も限定的だ。株価下落は実態を反映していない」(メガバンク幹部)

 事実、阪神大震災直後の95年度には、全国の銀行の業務純益は6兆7435億円となり、直近のピークを示している。もちろん経済成長などの他の要因が大きいので一概にはいえないが、少なくとも大震災が銀行の業績を悪化させたデータはない
 実は、売りを浴びせた外国人投資家たちも、株価暴落のさなかに「日本経済は“買い”ではないか」と分析していたフシもある。
 立花証券執行役員、平野憲一氏が明かす。

 「株価が暴落した3月15日の取引を見ると、売り2に対して買い1が入っている。冷静に分析している投資家は、この下げは日本経済の現状を反映したものではないと見て、ここを絶好の買い時と判断していたことが推測される。

 被災地域の被害はもちろん深刻ですが、もともと日本は生産能力に余剰があったので、被災地域外の生産活動を活性化させれば、日本全体の生産能力が著しく落ちるということはない。中長期的には復興需要も起きるから、日本経済は成長する可能性が高いでしょう。
 まずは建設機械、橋梁、道路関連などに追い風が吹き、さらに陸運、海運など物流も業績を拡大する余地があります」
 もちろん、どんな見方をしようとも災害は朗報にはならないが、だからといって「これで日本経済はもうダメだ」というのは、全く間違った見方なのである。

 <震災後はロスのない街に>

 銀行業界の阪神大震災直後の業績を紹介したが、現地経済の復興、および国全体の景気への影響は、いずれも阪神のケースが大いに参考になる。
 地元経済は、さすがに震災直後には大きなダメージを受けた。事業所・企業統計調査(総務省)によれば、神戸市の事業所数は震災前が8万5737か所、震災直後が7万6042か所。約1万社が倒産したことを示している。この数はなかなか回復せず、06年でも7万2788か所。震災の傷が深かったことがわかる。

 ただし、製造業出荷額で見ると、震災前は3兆2292億円、震災直後が2兆7095億円で、08年には3兆991億円まで回復している。さらに、国内景気の影響が小さい神戸港の輸出額では、震災前が4兆6704億円、震災直後が2兆8895億円で、震災から2年後の97年には、早くも4兆7264億円と震災前を上回り、リーマンショック前の07年には6兆2223億円まで急伸した。
 全体的には国内景気の影響が大きいことがうかがわれるが、輸出額などを見ると、実際には震災から時間をおかずに急ピッチに回復したことが推測できる。

 復興とは、元に戻すことではない。防災でも経済でも、以前より強い街にしなければ進歩の針を戻すだけになってしまう。「阪神・淡路大震災の教訓情報分析・活用調査」委員会メンバー、関西学院大学災害復興制度研究所の室崎益輝・所長はこういう。

 「災害復興で注意すべきは、急ぐあまりに新しい街づくりの議論が置き去りにされることです。
神戸でも、一部は道路が広くなり、緑地を増やし、鉄筋コンクリートの建物が増えて都市全体が防災化しましたが、全体を見ると、元に戻ってしまった所も少なくない。東北のケースでいえば、今までの場所に街を再建するのかを含めて、地震や津波に対する安全性について、じっくりと議論を尽くす必要があります」

 在阪の経済ジャーナリスト・真島弘氏は、神戸ではある程度それができたことで復興に成功したとみる。
 「街が崩壊したことで、都市整備事業が進んだ。曲がりくねっていたガス管や電線も直線になって地下に埋設されるなど、ロスのない使いやすい街になった。
 大きな土地が確保されたことで企業誘致もでき、地元業界でも神戸製鋼がマンション業界に進出するなど、震災を契機に新しい事業が生まれました」
 では、周辺地域や日本全体の経済にはどのような影響を与えたのだろうか。「バンクオブアメリカ・メリルリンチのアナリスト調査レポート」が興味深い分析をしている。

 阪神大震災によって、兵庫県の生産活動が3.1%減少、近隣の大阪府、和歌山県で1~2%の減少がみられた。日本全体のGDPは、震災によって0.4~0.5%押し下げられた。
 しかし、現在と同じく、当時も日本は生産能力の余剰を抱えていたことから、神戸地区の生産減少の影響は限定的だった。地震の起きた95年1~3月期にも日本のGDPはプラス成長を記録し、さらに被害を受けた資産を再建するための支出はGDPの2~3%に及び、震災から2年間の成長率を大きく押し上げたというのである。

 <東北被災地と兵庫県の類似性>

 では、今回の震災の影響はどうか。前述のように、生産能力に余剰を抱える経済状況は阪神大震災当時と同じである。同レポートはこう予測する。
 被害の大きかった宮城と福島の生産活動は日本全体の3.1%。岩手、茨城、栃木を含めるとGDPの7.8%を占める。生産活動の低下が阪神大震災と同程度と仮定すると、日本のGDPに与える影響はマイナス0.2%~0.3%になる。ただし、復興需要はGDPの1%か、それ以上になるとみられ、日本の経済成長が地震によって妨げられるとはいえないと結論づけているのである。

 バークレイズ・キャピタル証券のチーフエコノミスト、森田京平氏は、今回の被災地と阪神大震災の被災地の類似性に着目する。
 「今回の被害が甚大だった岩手県、宮城県、福島県、茨城県の産業構造を兵庫県と比較すると、例えば製造業の割合が24.7%24.6%、卸売・小売業が10%11.3%、サービス業が20.4%21.5%など、よく似ています。
 当時は、震災後に2度にわたって大規模な経済対策予算を組んで景気を支えた。今回もそのような政府の後押しがあれば、兵庫と同じように早期の経済復興が可能になると考えます」

 経済評論家の三橋貴明氏も、「これで日本は終わりだ、などという声もありますが、全く的外れです」と、今後に期待を失わない。
 「震災により、日本のストックはもちろん減りましたが、かわりにフローは増えるでしょう。阪神大震災やアメリカのハリケーン・カトリーナ被害の復興には、およそ15兆円の資金が投じられたとされます。今回は被害地域も広く、その倍くらいの資金が必要になるのではないか。そのお金は、復興に関わる企業や個人、さらにそこから日本全体に回るわけです。
 非常に悲惨な災害を受けたことは残念ですが、これは経済を成長させるきっかけにもなるのだと、前向きに考える必要もあります。

 通常、このような経済状況になればインフレが懸念されますが、日本は事情が違う。現在がデフレだからです。デフレの規模は、生産能力と需要の差によって決まるという考え方がありますが、今回の復興需要を織り込んでも、その差は小さくなるものの逆転はしないので、インフレは起きないと考えられます。国債発行もインフレ圧力となりますが、日本の場合はその心配は少ない。思い切った復興資金の投入が可能だし、そうすべきです」

 日本経済が低空飛行を続けてきた背景の一つとして、よく指摘されるのが「将来不安から、ストック(預貯金)は増えているのに、それを使おうとしない」という現象だ。支出を余儀なくされる被災者には、負担を国民全体で広く薄く引き受ける仕組みが必要になってくるが、少なくともこれまでの「カネはあるが使わない」という袋小路から抜け出すきっかけにはなる。
 このような災害が起きると、国民全体に自粛ムードが広がって経済活動が低調になることも知られている。究極的には、それは被災者のためにはならない。こんな時こそ経済活動を活発化させ、日本全体を成長させることで、復興の力を強めていきたい。

●(9)これほど重要なこと(復興)を、私利私欲に走る「空き菅総理大臣」にだけは任せたくないという強い思いが、私(藤森)にはあります。「能力」そのものも「幼児性」が高く、完全な能力不足ですが、さらに「私利私欲」に走り、「政権延命」の策を弄したり、「パフォーマンス」中心に行動する人間性に、もはや期待がゼロならぬ「マイナス」ですらあります。「支持率にマイナスはないでしょう」と言う伸子夫人に聞かせたい。送られた花束をゴミ箱に投げ捨てた市川房枝氏の気持ちがとてもよく分かります。

 さて、かように醜い菅総理大臣にウンザリのウンザリですが、日本の国民性は特筆すべき素晴らしさですね。今回の震災で、多くの方々の善意に、私は何度涙を流したかわかりません。菅総理大臣ほどではありませんが、醜い私(藤森)の心が何度洗われたかわかりません。
 キーを打ちながら涙が止まらないその集大成をご覧ください。

●(10)平成23年4月8日、週刊ポスト「私たちにはできる」

 <バイト中に地震があってほぼ満席の状態からお客さんに外に避難してもらいました。食い逃げ半端じゃないだろうな、と思っていたがほとんどのお客さんが戻ってきて会計してくれました。ほんの少しの戻られなかったお客さんは今日わざわざ店に足を運んでくださいました。日本ていい国>
震災時、都内の飲食店でアルバイトしていた女子大生が翌日、ツイッターに書き込んだエピソードである。
日本人はこの震災からどう立ち直るのか。その問いの答えは、すでに出ているのかもしれない。3月11日午後2時46分以降、日本人が見せた日本人らしさこそ、この国をもう一度押し上げる、何よりの原動力である。

 <日本人よ、今ここから歩み出そう>

 妊婦を家に泊めたカップル、車で人を送り届けたサラリーマンほか
苦難の中に芽生えた「人の絆」――

 地震発生時、埼玉県川越市に住む30代の主婦・Aさんは、外出先の原宿にいた。電車は完全にストップ。タクシーを探しても全くつかまらない。携帯電話も携帯メールもつながらず、駅前の公衆電話に30分間並んで、母親に幼稚園と学童保育にいる子供たちのお迎えを頼んだが、夫とは連絡がつかず家に帰るすべもない。彼女が唯一営業していたカフェに入ると、相席を求めてきた女の子たちのひとりが、Aさんのお腹が大きいことに気がついた。彼女は臨月の妊婦だったのである。

 「すごく心配してくれて、ひとりの子が“彼がこの近くに住んでいるんで、よかったら一緒に来ませんか?”といってくれたんです。その見ず知らずの心優しいカップル宅で一夜を過ごさせてもらい、お鍋をご馳走になり、ベッドまでお借りしました。本当に救われましたね。夫とも夜8時頃には無事の連絡がとれました」(Aさん)

 自宅を目指す“帰宅難民”の行列では、見知らぬ者同士が笑顔で談笑し合った。他愛もない雑談に勇気づけられながら真夜中の道を歩いていると、いたるところで「休憩できます」「トイレお貸しします」と声がかかる。会社や飲食店が、進んで場所を開放していたのだ。「あたたかいコーヒーをどうぞ」と、コーヒーを無料で配る人の姿もあった。

 駅前でタクシーを待つ人たちも整然とし、誰一人列を乱す者はいない。タクシーがなかなか来ないなか、マイカーを運転するサラリーマン風の中年男性が声をかけてきた。
 「方向一緒なんですか?大丈夫ですよ。困った時はみんな一緒ですから」
 感謝の言葉を伝えながら、おばあちゃんやサラリーマンが乗り込んでいく。その光景を見かけた男子大学生のBさんは、エピソードをツイッターにつぶやいた。
 「すると、すぐに“私も青葉台から町田まで乗せてもらって助かった”という反応がありました。自分の利害を考えずに、迷わず行動できる人が何人もいたんですね」(Bさん)

 駅の構内は、電車が動くのを待つ人たちであふれていた。しかし、ロープが張られているわけでもないのに、通路スペースが自然にできる。以心伝心。誰もが全体を考え、相手のことを思いやって行動しているのだ。海外メディアが驚嘆するのも当然だろう。
 震災の日、日本人が見せたのは混乱ではなく、この上なく美しい“人の絆”だった。そして、そのように結束できたのは誰もが、自分たちとは比べられぬほど過酷な状況の中で苦しんでいる被災地の人たち、そしてなすすべなく命を奪われた被害者のことを思う“想像力”を持っていたからだ。

 <温かいコンビニおにぎり>

 東京ディズニーランドとディズニーシーでは、5万人以上が園内で待機を余儀なくされた。その間のキャスト(従業員)たちの姿に、ゲスト(客)からは多くの感動の声が寄せられた。
 「あんなに激しい揺れにもかかわらず、ショーに出ていたミッキーマウスやダンサーたちは、終始笑顔で手を振り続け、ゲストに不安を与えないようにしていました。別のアトラクションでは、中吊りになっていたアリエル(人魚のキャラクター)が、救出されるまでの間ずっと笑顔を絶やさなかったそうです」(30代・主婦)

 キャストは自らが建物の側に立ってゲストを誘導。ブランケットやタオル、カイロなど、できるかぎりのものを提供した。
 「キャストさんのせいじゃないのに『ご迷惑をおかけしております』と頭を下げ、トイレに行くときには『まだ安心できませんので、できるだけ早く戻ってきてくださいね』と心配してくれた。安心して泣けてしまいました」(女子大生)

 薄着のユニフォームのまま、不眠不休で頑張るキャストたち。彼らを励ましたのはゲストたちだった。
 「小さな女の子2人連れのお母さまが『お姉さんも大変ですね。半袖で寒いでしょうに、大丈夫ですか?』と声をかけてくださり、そのとき初めて自分が半袖のままだと気づきました。そして女の子たちが鳥肌のたった私の腕を、一生懸命小さな手でさすってくれました」(キャストのひとり)
 これはおそらく“プロ根性”などではない。日本人が根底に持っている責任感と思いやりなのだろう。困難のなかで、その強い思いは、仕事という枠を簡単に飛び越えてしまうのだ。

 3月15日。被災地へとつながる磐越自動車道の阿武隈高原SAには、震災から逃れてきた人たちや、救援隊が時折、立ち寄っていた。SA内のレストランは休業。しかし、店頭のテーブルの上には籠が置かれ、お菓子が並べられていた。チョコレートにういろう、生サブレ、煎餅……。
 お金を払おうとする人に、SAのスタッフがいう。
 「こんな時ですから、どうぞお持ちください」
 それは地震で困っている人のために少しでも役立ちたいと、スタッフたちが自主的に無料で配っているものだった。
 被災した福島市内は物不足が深刻で、コンビニの棚もほとんど空の状態が続いている。
 「そんななか最高に嬉しかったのは、久々にお米が食べられたことでした」
 というのはCさん(30代・会社員)である。市内のあるセブン‐イレブンで、ラップに包んだ手作りのおにぎりが1個100円で売られていたという。

 「あまりに商品がないことを申し訳なく思った店の奥さんが、自分でお米を炊いて自分の手で握ったものでした。それをご主人が“こんなものしか売れなくて申し訳ない”と、1回1回頭を下げていた。温かいおにぎりを食べることができたお客さんも“ありがとうございます”と丁寧にお辞儀をする。何も入っていない塩味だけのおにぎりでしたが、こんなにうまいおにぎりは食べたことがありませんでした」(Cさん)

 <災害球児は水を寄付>

 被災地の最前線で、まさに体を張って救助にあたっているのが、自衛隊員たちだ。政府は3月16日、制度発足後はじめて、予備自衛官らの招集を決定した。
 予備自衛官は、平時は民間で働き、招集があれば駐屯地警備などの後方支援を行う。退職した自衛官で構成され、有事の際には常備自衛官と同じ任務にあたる即応予備自衛官もいる。

 「私は普段は建設業をしています。会社員から農家まで、即応予備自衛官の職業はさまざま。訓練出頭もあり、正社員として採用してくれる事業者が少ないため、失業状態の者もいて、仲間うちでは『即応貧乏』などと軽口も叩きます。しかし、士気は高く、誇りもある
 こういって、30代の即応予備自衛官・Dさんは胸を張った。

 「中隊から所在確認と出頭の意思の確認があったので、“ぜひ出させてほしい”とお願いしました。自分たちは国の危機のために存在しているわけだし、日頃の訓練もそのために行ってきたわけです。仕事はクビになるかもしれませんが、覚悟はしています」(Dさん)
 彼を駆り立てるのは、1日3時間程度の休憩しか取らずに救出と復興作業に当たっている現場の自衛官たちの姿だ。岩手県・釜石市内で被災した主婦のEさん(50歳)は、そんな自衛官に救出されたひとり。
 「被災地であの迷彩服、ヘルメット姿を見たとき、“助かった”と感じました。被災者にとって、自衛隊の姿は頼もしいもの。統制がとれ、テキパキとした姿は本当に素晴らしいです」

 地元で救出活動を行うある隊員は、親族が行方不明にもかかわらず、避難所の掲示板を素通りしたという。被災者たちに不安を与えないようにするためだ。
 一方で、復興に向けた動きも広がり始めている。
 開催が決まらないまま組み合わせ抽選が行われた春のセンバツ(高校野球春季大会)。水城(茨城)と光星学院(青森)は被災地同士の対戦が決まった。
 水城高は校舎がひび割れ、グラウンドにも亀裂が入って一部が水没。自宅が被災した部員も多く、練習再開に集まれたのは55人中23人。瓦礫のなか、何時間もかけて歩いてきた部員もいた。

 「選手たちは下着などの着替えもなく、食事も満足にできず、シャワーも浴びられないなかで過ごしている。そんな状況においても、野球部は“被災者が一番”ということで、出場祝いでもらったミネラルウォーター25箱すべてを避難所に差し入れました」(地元記者)

 被災者の命をなんとか救い出そうとする人たち。救い出された彼らを支えようとする人たち。自らが被災者でありながら、他の被災者を思いやる人たち――。世代や立場を超えて、いま日本中がひとつになって、同じ方向に向かって動き出しているように見える。
 1000年に一度といわれる大震災。しかし、この苦難のなかから、私たちはしっかりと歩み出そうとしている。そう、きっと私たちにはできるはずだ。

 <藤森・・・・・それなのに「空き菅総理大臣」の醜さは救い難い。「醜悪至極」の菅総理大臣が「大復興」を担うのかと思うといたたまれない。心をひとつにして、国会議員が今こそ「起ちあがれ日本」

<文責:藤森弘司>

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