2011年10月25日 第57回「トピックス」
小沢裁判と幕藩体制

●(1)<政界に「坂本龍馬」現る!>

 「~私が見た最も邪悪で最低な政治家~日本をダメにしたこの民主党議員たち」衆議院議員・松木謙公著、日本文芸社

 私(藤森)は以前、松木謙公氏を「サムライ」と書きました(どこで書いたか探したのですが、残念ながら見つかりませんが)。

 民主党員だった松木氏は6月の菅前総理大臣の不信任案採決に一人筋を通して賛成したために民主党を除籍されました。
 国会での採決当日、民主党の多くの仲間が、なんとかして松木氏に「賛成票」を投じさせず、欠席させようとしてもめていた場面をご記憶の方も多いのではないかと思います。

 筋を通して賛成票を投じた松木氏は無所属になりました。その松木氏が最近書いた本がこれです。私が購入するきっかけは、ある評論家がとても面白いと紹介していたので興味をもちました。
 まずは、とにもかくにも面白い。メチャクチャ面白いということと、今まで、マスコミ界と官界の「坂本龍馬」を紹介してきましたが、この本を読んで、松木氏は「政界の坂本龍馬」に相応しい人だと感じ、そういう意味からも紹介したいと思いました。
 さらに、私(藤森)のような微力(無力)な人間はなんの応援もできませんので、せめて著書を紹介することで気持ちだけでも応援の意志を表明したいと思いました。

 この本は「本音」「実名」で、最新の民主党の「実力者」「ズケズケ」と書いているので、とにかく面白いです。納得しなければ私が本代を弁償しますと自信を持って言えるほど面白いです。
 また、政界の「坂本龍馬」を是非応援していただきたく、推薦いたします。いまどき、これほど「筋」を通す人間がいたのかと驚いています。本日(10月21日)、ちょうど「一命」という映画を見てきたばかりですが、本当の「武士道精神」を見るような本であり、松木謙公氏です。

 今の日本の、特に政治家の寒々とした救い難い人間性が多い時代に、こういう「凛」とした政治家は是が非でも生き残ってくれることを切望しています。是が非でも生き残って欲しいと切望しながら、なんの実際的な応援ができない自分が残念ですが、責めて、できることの応援をしたいと思っています。
 皆さんも、応援するという意味でも、また、本を楽しむという意味でも、是非、この本を購入してください。心よりお願いいたします。

 また、松木謙公氏は故・藤波孝生衆院議員の秘書をされていました。藤波氏は中曽根元総理大臣の官房長官を務めた人で、実に清廉潔白な方でした。詳しくは本書に譲りますが、他人の罪を着て服役できる人です(政界では、多分、密かに有名な話でしょう)。そういう偉大な政治家の秘書を長く経験したのが松木謙公議員です。それを思えば、彼の原動力が理解できるような気がします。

 松木氏は「実直に筋」を通す政治家だと言って間違いないでしょう。日本の政治家の中から一筋の光明を見出す思いがします。
 その松木氏に、私(藤森)は次の歌を贈りたいです。

<<< かくすれば かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ 大和魂
(やまとだましい)

 松陰の大和魂を詠んだ歌としては辞世の「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」の方が有名だが、私は松陰らしさということで見るならば、この歌が最もふさわしいと思う。
 意味は訳するまでもないが「こうすれば、どんな結果が待っているか知らない私ではない。しかし、国のためにやるべきなのだ、それが大和魂というものだ。」であろうか。>>>(平成23年10月14日、週刊ポスト「逆説の日本史」井沢元彦著)

 松陰らしさ・・・・・は、松木氏らしさ!!!

いよいよ「明治維新」ならぬ「平成維新」が必要な時代になってきました。松木氏には、あらゆる「幕藩体制」を壊す原動力になってほしいものです。スッカラ菅前総理大臣などが「平成の開国」などと軽々しく言うけれど、「開国」の前に「旧体制」を壊さなければダメです。スッカラ菅氏を始めとする連中は「旧体制」を壊さずに「新体制」を築こうとしている。いかにアホで間抜けであるか。

 本の内容を一部紹介します。

●(2)~私が見た最も邪悪で最低な政治家~日本をダメにしたこの民主党議員たち」衆議院議員・松木謙公著、日本文芸社

 <はじめに>

 <民主党よ、なぜ変わってしまったのか>

 <略>

 思えば私が民主党を除籍となるきっかけとなった菅内閣に対する不信任決議案の採決でも、私は賛成票を投じ、マスコミなどの注目を集めることとなった。どうやら私は、集団の中からはみ出してしまう「変わり者」なのかもしれない。反省もいささかしている。

 でもただ単に、目立ちたいとか、存在感をアピールしたいといった理由でそうした行動をとってきたわけではない。菅氏だけは、その言動を見ていて、総理にはまったくふさわしくない人物であり、これは絶対辞めてもらわなければならないと考えたのだ。そして、その自分の思いに忠実に行動してきたら、このような結果になってしまったのだ。

 人にはさまざまな立場があり、組織の上に立つ人だったら私のような行動はできないだろう。まだまだ中途半端な位置にいる私だから、思いのまま突っ走ることができるのだと理解している。

 菅政権時代には、農林水産大臣政務官の職を辞し、ときの菅総理や民主党執行部を激しく批判してきた。思えば、菅政権誕生以来、総理と執行部を批判することこそが、私自身の政治活動といってもいいくらいの状況だった。結果、いまや党から除籍され、無所属議員の身分である。

 今回の野田代表を選んだ代表選の結果も、私は残念に思う。詳しくは本文で述べるが、政策ではなく、結局、人の気持ちの行き違いが結果を左右してしまったからである。

 2年前の民主党はどこに行ったのか。私は国民のみなさんの多くの支持を得て、政権交代が実現したときの感動をいまでも忘れていない。しかし、いまの民主党には、あの当時の面影は残念ながらない。

 あの当時、国民の支持をいただいたマニフェストを、次から次へと破棄しているのである。これは、国民に対する裏切り行為以外の何ものでもない。マニフェスト至上主義を言っているのではない。その方向性の問題である。2年前の主張と、ほとんど逆のことを言ってはいけないと思うのだ。もしこれまでのマニフェストを捨てるのであれば、解散総選挙で新たなマニフェストを掲げて、国民の信を問わなければならない。しかし、そのようなこともなく、平然と政権に居座るのである。

 なぜ、ここまで民主党は変わってしまったのだろうか。本書では、その問題点や原因を探ったものである。ここ数年、民主党の変質していくさまを垣間見、また、それに対して憤り、苦言を呈し続けてきた私の思いのたけをここにまとめた。

 秘書時代も含めて、30年以上、私は永田町を見てきた。その中でも、先の菅政権ほど、邪悪で最低な政権を見たことがなかった。そしてこの菅政権の失政について、果たして民主党は、検証や反省をしたのだろうか。

 <略>

 <目次>(一部を列挙)

◆代表選前夜、海江田陣営にかけられた、菅総理からの嫌がらせ電話!?

◆馬淵澄夫は、筋を通した「一匹ゴリラ」だ!

◆親小沢・反小沢報道で、マスコミが民主党をつぶした

◆人望など微塵もない、相手をみてキレる「イラ菅」

◆政務官辞任時、菅総理との電話にみた人間性

◆理解不能、無機質な能面男、岡田克也

◆エレベーターで一緒になった岡田幹事長のあきれた一言

◆菅総理の無能さは想像を超えたものだった

◆原理主義者などでは決してない岡田克也の素顔

◆政治主導を拒否した仙谷元官房長官

◆最も邪悪で最低な総理大臣

◆ウソつき総理と幹事長の罪は非常に重い

◆責任を取らない指導者には誰もついていかない

●(3)さて、表題の「小沢裁判」ですが、私(藤森)はこの2、3年、メディアを通してずっと裁判の成り行きを見てきましたが、多くの方々はどのように受け止めているのだろうか。

 実は、旧体制側からの総攻撃を受けているのが「小沢裁判」であり小沢一郎氏なのです。特に東京地検特捜部や国税庁に睨まれると、国家権力を使って、ありとあらゆることが可能になります。
 極端な話、一切何もなくても、国税庁が査察を入れることが可能になります。結果的に何も犯罪性がなくても、査察されたほうは大変でしょう。同様に、検察、特に「特捜部」がこれだけ大騒ぎをしたら、政治家であれば「政治生命」を抹殺されます。

 その極端な例が厚労省の「村木厚子事件」であり、福島県の佐藤元知事の事件です。村木氏は官僚であったことと、あまりにもデタラメ過ぎて早期に決着したために、幸運にも復職できたのでまだ救われますが、佐藤元知事の場合は悲惨以外の何物でもありません。
 佐藤元知事の事件については、<第27回「トピックス」>の一部を再録します。

◆◆◆◆◆
◆◆
 <特捜部長の出世と引き換えに私は政治生命を絶たれ、4人が自殺を図った>

 佐藤氏の事件については、「当時の大鶴基成特捜部長が、『これができるかどうかで自分の出世が決まる』と息巻き、乗り気でない現場を怒鳴りつけていた」と報じられたものだ。

 「特捜部長の出世と引き換えに、私の政治生命は絶たれ、弟の会社は廃業し、100人以上の社員が路頭に迷うハメになったのか。今後、私の無実が証明できても自殺した人々は戻りません。検察と一体化したマスコミも共犯です。『知事は日本にとってよろしくない、抹殺する』。弟の取り調べ中に検事が吐き捨てた言葉です。事件の犠牲となった人を思うと、その発言のあまりの軽さに驚かされます。強大な捜査権力は実に気まぐれで、特捜検事にとっての“おもちゃ”に過ぎないのです」

 佐藤氏の裁判は現在上告中だが、検察の強引な筋立てと捜査が、いかに多くの悲劇を招くか。小沢事件を指揮する大鶴最高検検事と佐久間特捜部長は、肝に銘じておいた方がいい。
◆◆
◆◆◆◆◆

 こういう巨大な権力に狙い撃ちされているのが「小沢一郎氏」です。
 日本では「記者クラブ制度」によって情報が統制されているために・・・・・しかも、発行部数が巨大な新聞であり、影響力が巨大なテレビが「統制された情報」をバンバン流すために、多くの国民はほぼ洗脳されているように思えてなりません。

 私(藤森)はこの旧体制を「幕藩体制」と呼んでいますが、いわゆる幕末と言われる時代の初期のころは、弱ったといえども、幕藩体制は強力で、多くの浪士が犬死同然の犠牲になったことと思います。

 そういう多くの犠牲の上に、やがて時代が動き始めます。今はちょうどそのあたりの時代のように思えてなりません。「幕藩体制」に潰されてしまうのか、明治維新へ続く大きなウネリの導火線になるのか。
 後日、「TPP」についても書きたいと思っていますが、恐らくアメリカとの「片務的な協定」になるはずです(全体の70%がアメリカ、20%が日本、5%がオーストラリアです。ほとんど日米交渉みたいなものです)。

 表向きは片務的ではないでしょうが、結果的にそのようになると推測します。アメリカの現状、オバマの再選の困難さ、年次教書でアメリカの要求を呑んできたという実績等々。幕末にも同様のことがあり、維新政府が不平等条約を改正するのにかなりの苦労をしたようです。今の政治家の根性では、アメリカに不利な要求ができるわけがありません。

 「TPP」の大問題は、「TPP」を通じて、本来の改革、「幕藩体制」を壊して新生日本・・・・・平成維新的な方向に進むのか、それとも「茹で蛙」になってしまうのか。

 どうも日本という国は「茹で蛙」になるように思えてなりません。もう何年、何十年も前から、アメリカの「年次教書」に沿って日本の政治が行なわれてきたことは有名な話です。
 アメリカの意向を汲み取り、財務省の応援を得ながら政治を行なうのが日本の文化になっていないでしょうか。仮にそうであるならば、野田総理大臣は日本の正統的な・・・・・典型的な総理大臣のような気がします。そうであるならば、彼に「国家観」などあるわけがありません。

 今の日本には(いつの時代でも同じですが、特に今の日本には)、出世とか、総理大臣を少しでも長くやりたいという了見の狭い政治家ではなく、天下国家を考える、あるいは天下国家を「憂える」政治家が現れてほしいと切望します。

 若手では「松木謙公」氏だと確信しています。少なくても「藤波孝生」氏の秘書をし、現在でも「藤波氏」を信頼している姿勢を見ても、私(藤森)は絶対間違いないと自信を持って言えます。人間の資質というものは不思議なもので、誰を「師匠」にしているかということは非常に重要で、一生を左右する重大事です。

 さて、本題に戻ります。

■下記の(4)「日本全体を考えていた慶喜」の「勝海舟」・・・・・私は、小沢一郎氏を勝海舟に投影して見たくなります。

■下記の(5)「これでいいのか暗黒ニッポン」・・・・・「小沢裁判」について、紹介したいものが沢山ありますが、これが一番まとまっているように思えます。是非、熟読してみてください。

 私(藤森)の偏見で申し上げていますが、この二つでかなり小沢氏の実像(私の偏見)が見えてくるのではないでしょうか。

(4)平成22年2月20日、夕刊フジ「井沢元彦の再発掘・人物日本史」

 <幕末動乱編・坂本龍馬>

 <日本全体を考えていた慶喜>

 勝海舟と小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)の違いは、「日本」が大切か「幕府」が大切か、ということだ。
 勝はあくまで日本全体を見ていた。だから神戸海軍操練所は見込みのある若者なら出身を問わずに入学させた。いや、それどころか、各藩の士を優先させた。

 小栗は幕府の忠実な家臣である。だから、自らが計画し推薦した横須賀製鉄所(造船所)はあくまで幕府の施設であった。海軍も幕府海軍の創設が優先する。

 つまり龍馬の視点から見れば、勝の弟子にはなれるが小栗の弟子にはなれない、ということだ。
 龍馬の死後のことだが、実はこの2人、薩長連合軍が江戸に向かって攻めて来た時、将軍徳川慶喜に対して、共に「必勝の作戦」を提言しているが、その内容はほぼ同じである。

 強力な幕府海軍を駿河湾に展開し、江戸に向かって来る薩長軍を艦砲射撃で分断する。そして個別に撃破するということだ。後で、この作戦を耳にした、官軍きっての軍略家大村益次郎は「もしそれをやられていたら、われわれの首は今頃無かったろう」と蒼ざめたという。

 <「日本が大切」勝の言葉に耳を傾け、「幕府が大切」小栗の言葉はしりぞけた>

 この提言は、勝と小栗のそれぞれの口から将軍慶喜の耳に届いている。しかし、慶喜はこれを採用しなかった。何故か?これなら勝てるのに?
 慶喜も日本全体を考えていたからだ。

 それゆえに勝の「これで一時的な勝利は収められるでしょうが、その後は内戦となり泥沼化します。江戸も焦土となって多くの民が苦しむでしょう」という言葉に耳を傾け、小栗の「こうすればまだ戦えます。フランスの援助をあおぐ手もありましょう」という言葉をしりぞけた。興奮した小栗が慶喜に袴のすそを掴んで再考を促し、「無礼者」と将軍から直々にクビにされた(徳川300年で唯一の例)ことはあまりにも有名だ。

 また、幕府海軍の司令官であった榎本武揚(たけあき)が、何故、海軍ごと脱走し北海道へ向かったかも、これでおわかりだろう。「勝てるのに!」ということだ。
 徳川慶喜といえば、戦わずして大坂(大阪)から逃げたり様々な批判もあるが、そもそも龍馬の提言した大政奉還を受け入れたのも、充分に戦えたのに民衆に苦しみや外国の介入を避けるために降伏したのも、すべて慶喜の英断である。この点は高く評価すべきだろう。

 ともあれ、これで幕府が勝の海軍操練所の資金をケチった理由がおわかりだろう。そもそも関西の神戸に造るということ自体、幕臣は入りにくい施設だということだ。そんなものより、お膝元の横須賀製鉄所の方にカネを出すべきだという意見が強かったのだろう。そして、こうした守旧派は、「幕府のためにならぬ施設」として白い目で見ていたということだ。

●(5)平成23年10月14日、週刊ポスト「これでいいのか暗黒ニッポン」

 第56回(前回)の「トピックス」で冒頭部分を紹介しましたので、そこの部分を再録し、その後に続けます。

◆◆◆◆◆
◆◆
 <秘書3人の「とんでもない有罪判決」に誰もが口をつぐんだ>

 <小沢抹殺裁判」>

ならば、小沢一郎を贈収賄で逮捕したらどうか。秘書3人に対する東京地裁判決によれば、小沢はゼネコン談合の元締めで、見返りに1億円の闇献金を受け取った重罪人だ。しかし、判事も検察も、「アイツは大悪人」と吠え立てる新聞・テレビや野党さえも、そうはいわない。「法と証拠」に基づく公正な裁判だと誰も信じていないからだ。目的は「小沢の政界退場」のみ。日本は恐ろしい国になった。

 <裁判長は「検事の身内」>

 小沢一郎・民主党元代表の元秘書3人の判決内容は1週間も前からリークされていた。

「全員有罪で禁固刑が出される。判決文は相当長いものになる」

 という内容で、もちろん政界にも広く伝えられていた。日本の司法が、いかに政治権力、行政権力、報道権力と癒着し、最初から出来レースで進められているかを示す“証拠”だ。
 情報通り、9月26日、登石郁朗・裁判長は3時間以上にわたって判決文を読み上げ、石川知裕・被告以下3人全員に執行猶予付きの禁固刑を下した(3人はただちに控訴)。

 「異例の法廷」だった。検察が提出した証拠のうち、石川被告らの調書11通を「不正な取り調べが行われた」と認定して不採用にしており、一時は「無罪判決確実」とみられた。なにしろ、もともと物証のほとんどない裁判で、検察の頼りは、脅しや不正によって作り上げた調書ばかりだったのだから当然である。
 村木事件で証拠のフロッピーディスクを改竄して冤罪事件を起こした前田恒彦・元検事が取り調べを担当し、石川被告は別の検事が不正な取り調べを行なった模様を録音していた。

 この奇怪な判決文を書いた裁判長の経歴に、ヒントがあるかもしれない。
 登石裁判長は93年から3年間、法務省刑事局付検事として勤務した経歴を持つ。裁判所と法務・検察の人事交流(判検交流)は毎年、数十人規模で行なわれており、かねてから「99・9%有罪」という日本の「検察負け知らず裁判」の温床だと批判されてきた。

 そうした声も意識したのだろう。裁判官が法務省に出向する場合、ほとんどが民事局で、刑事局は少ない。法廷で顔を合わす検事と隣の席で仕事をするのは、いかにも癒着に見える。が、登石氏はその数少ない1人だった。その“貴重な人材”が検察の威信をかけた裁判を担当し、現場の検事からは「これで勝った」と喝采が出たのは偶然なのか。

 結果を見て思えば、登石氏は最初から判決を決めていたのではないか。だからこそ証拠不採用で「検察に対しても厳しい姿勢」を演出し、癒着との批判をかわそうと考えたなら筋は通る。
 判決のおかしさは、「小沢は大悪人」と叫ぶマスコミや野党、そして検察にもよくわかっている。だから、はっきりと「談合の見返りに裏献金を受け取った」と認定されているにもかかわらず、これを「贈収賄事件だ」という者が出てこない。

 新聞の論調も判決直後は威勢がよかったが、その後は「野党が証人喚問を要求」「求心力に陰り」などと、ずいぶん及び腰である。
 「さすがに判決文を読んで、社内やクラブ内でも、これはヤバイんじゃないかという声が多かった。報道も慎重にしている」

 民放司法クラブ記者は声を潜めて語る。そう思うなら、「慎重に小沢批判」ではなく、「堂々と裁判所批判」をすればいいが、そんな度胸はどこにもない。

 <以下、10月25日・今回の「トピックス」に続きます>

 <藤森注・・・・・あまりにもデタラメすぎて、却って「裁判所と法務・検察の人事交流(判検交流)」など、「裁判所や検察庁」の改革の大きなきっかけになるのではないかとさえ思えます。その程度の良心が日本に残っていることを祈りたい。>
◆◆
◆◆◆◆◆

 <以下は、「週刊ポスト」の「これでいいのか暗黒ニッポン」の続きです>

 <「同じ罪状」は枚挙に暇なし>

 裁判とは、「法と証拠」に基づいて進められるべきものだ、それをしないのは独裁政権か、民主主義以前の社会である。日本はどちらだったのだろうか。
 「法」の観点から、専門家は判決に強い疑義を提起している。

 小林節・慶応大学法学部教授(憲法)は刑事裁判の原則に反すると指摘する。
 「判決は憲法31条に基づく『推定無罪』の原則を蔑(ないがし)ろにしている。今回は逆に、『疑わしい』ことを理由に有罪判決が出ている」
 判決文には「推認される」「~と見るのが自然」など、裁判官の心証だけで重要な争点が事実と認定されている箇所が非常に多い。

 落合洋司・弁護士は、その推定のずさんさに、元検察官らしい視点で大きな危険を見出す。
 「裁判官が石川、池田両被告の調書11通を不採用にしたことで、3被告の共謀を示す証拠と証言がなにもなくなった。ところが、判決は『会計責任者だから知っていたはず』『強い関心を持っていたはず』といった程度の推論を重ねて共謀を認定している。『合理的で疑い得ない立証』は不十分です。こういった手法が採用されれば、冤罪が生み出される危険が懸念されます」

 次々と発覚する冤罪事件の共通する原因は、検察の「自白調書主義」と裁判官の「検察絶対ドグマ」だった。それが全く改められなかったのだから、検察関係者たちが「画期的判決」と膝を打ったのも道理だ。
 法律論でいうなら、もうひとつ完全に無視されたのが「法の下の平等」だ。
公判では、陸山会の土地購入が正しく報告されていたかという容疑(これ自体が形式犯罪でしかないが)とともに、西松建設からのダミー献金事件も併せて審理された。

 ここでも検察側の立証は完全に腰砕けになり、検察自身が証人に立てた西松建設元部長が、「政治団体はダミーではなく実体があった」と証言した。ところが判決は、「政治団体としての実体はなかった」とし、違法献金だったと認定した。
 では、百歩譲ってそれが正しいとしよう。

 問題の西松建設の政治団体からは、小沢氏以外にも自民党の森喜朗・元首相、二階俊博・元経済産業相、尾身幸次・元財務相、民主党の山岡賢次・国家公安委員長、国民新党の自見庄三郎・金融相をはじめ多くの政治家が献金やパーティ券購入を受けている。当然、彼らも小沢氏と並んで違法献金を立件されなければならないはずだ。ところが検察は、森氏や尾身氏ら自民党実力者には捜査さえ行なわず、二階氏については会計責任者を事情聴取しただけで不起訴にした。

 それに、このケースのような企業や業界が作る政治団体は、どこも同じような運営をしている。これがダミーというなら、恐らく政治家の9割以上が違法献金を受けていることになる。

 また、陸山会が違法だと断じられた政治団体による不動産取得についても、町村信孝・元官房長官は政治資金で不動産を購入し、堂々と政治資金収支報告書に記載していた。しかも町村氏の場合、買った不動産は後に自宅として格安で買い取ったのである。さらに、みんなの党の江田憲司・幹事長はじめ、素知らぬ顔で小沢批判を繰り返す政治家のなかに、20人以上の「不動産購入者」がいる。

 今回、大問題のように論じられている収支報告書への「期ずれ記載」や「不記載」に至っては、まさに枚挙に暇がない。11年の政治資金
 収支報告書の修正は現在までに約500件にも達している。すべて会計責任者を禁固刑にすべきだ。
 そもそも、小沢氏が問われた個人的な運転資金の貸付など、どの政治家も報告書に記載していない。小沢氏だけが正直に書き、それが「書き方が違う」と断罪されているのである。

 <「4億円の原資」真相証言>

 「証拠」の面では、判決はもっとデタラメだ。
 登石裁判長は、水谷建設から小沢氏側への1億円闇献金を認定した。
 ダム建設工事に参入するため、当時の社長が04年10月5日、石川被告にホテルの喫茶店で5000万円を渡し、さらに05年4月19日に大久保被告に5000万円を渡したという。

 そう推定された根拠は、当時の社長が「渡した」と証言したことと、当日の喫茶店の領収書があっただけ。一方で、元社長の運転手の業務日誌にはホテルに行った記録はなく、社長から報告を受けていた同社の元会長も、、「会社から裏金がでたことは事実だが、渡されたとは確認していない」と証言し、元社長による横領の疑いを強く匂わせた。

 例によって裁判長は、元社長の証言と領収書を「信用できる」、受け取りを否定する被告らの証言は「信用できない」として、あっさり裏金を認定した。
 よく考えてもらいたい。表沙汰にできない違法な献金を、社長が1人で紙袋に入れて持っていき、政治家本人もいない、しかも衆人環視の喫茶店で、秘書に「はい、どうぞ」と渡すことなど考えられるだろうか。

 「裏献金を渡す場合、渡すほうも受け取るほうも、カネが行方不明になることを一番恐れる。あとから“そんなカネは知らん”となっても、誰も真相解明できないからだ。だから受け渡しの際には双方とも複数の幹部が同席して秘密を共有し、相互監視する。密室でやることはいうまでもない」

 自民党のベテラン秘書はそう解説する。この通りの場面がバレた珍しいケースが、自民党を揺るがした日歯連事件(※2)だった。
 ところで、そもそも検察は、土地購入に充てられたとされる「4億円」の原資に闇献金が含まれていたかどうか立証していない。それなのに地裁が無理に闇献金を認定した理由は、この4億円を「原資を明快に説明することが困難」(判決文)としないと、なぜ収支報告書に嘘を記載しなければならいか、という動機が説明できなくなるからだ。

 それにしても、不掲載とされたのは「4億円」を借り直したり、返済したりした一部のやり取りだけで、現に報告書には「小澤一郎借入金 4億円」と記載されている。検察や裁判所の見解によれば、小沢氏の事務所では、表に出せないカネを報告書に堂々と記載するのだという。どう繕っても無理筋の解釈なのだ。
 本誌は検察もマスコミも明らかにできなかった4億円の原資について10年2月12日号で明らかにした。

 <藤森注・・・・・私もどこかで紹介したはずですが、場所が分かりません>

 小沢氏に父・佐重喜氏の代から取引していた旧安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)神田支店の当時の担当者への直接取材に成功し、小沢氏が父から相続した個人資金を「ビッグ」という貸付信託で運用し、解約時には元利合わせて少なくとも3億6000円の払い戻しを受けていたという証言を得た。しかも、当時の貸付信託では利息分の記録が残らず、検察が「4億円の原資が足りない」と考えたのは、利息を利息を見落としていたからだろう、というプロならではの指摘もあった。

 <小沢の罪状は国家反逆罪か>

 今回の事件が小沢事務所ぐるみの贈収賄であるなら、ただちに小沢本人を含めて容疑者を逮捕すべきだ。それこそが政治浄化につながる。が、第1章でも触れたように、新聞・テレビもこれが本当に贈収賄だとは思っていない。

 「ゼネコン裏金 認定」(朝日)などと報じながら、なぜか政治資金規正法違反より重大な公共事業をめぐる贈収賄事件を独自に検証しようとしないのがその証拠だ。

 わかりやすいのがTBSである。同局は検察が小沢氏への事情聴取に乗り出した昨年1月、「ウラ金献金疑惑、居合わせた人物が核心証言」と銘打って、水谷建設元社長が石川被告に5000万円を手渡した場に同席したという人物の証言を“スクープ”した。ところがその後、この証言は二度と放映されていない。以前、本誌が「放映しないのか」と問い質した際も、「何ともいえない」と尻込みした。つまり、ガセネタだという自覚があるのだろう。

 今回、思いがけず裁判所がそれを追認してくれたのだから、今こそTBSは封印した“スクープ”をまた出せばいい。今度はお墨付きがあるのだから、「これが真相だ」と押し切れるかもしれない。が、そうはしようとしない。
 ここに、この事件の最もドス黒い裏がある。

 つまり、マスコミ、政界、そしていまやそれらを完全に掌握してコントロールする霞ヶ関の巨大権力の目的は、政治浄化でもなければ犯罪の立件でもない。「小沢の政界退場」さえ実現できれば、あとはどうでもいいのである。

 新聞や野党の言葉をよく見ればわかる。「小沢は議員辞職せよ」とはいっても、「贈収賄で逮捕せよ」とは決していわない。小沢氏が、それら既存権力に20年にわたって嫌われ続けてきた経緯と理由は、ここで述べる紙数はない。が、小沢氏を支持する国民も、そうでない国民も、同氏がマスコミ、既存政党、官僚から恐れられ、嫌われていることは否定しないだろう。

 かのロッキード事件での「コーチャン証言」をご記憶だろうか。検察は、田中角栄・元首相に賄賂を渡したとされたロッキード社元副会長のコーチャン氏に、免責と引き換えに調書を取る「嘱託尋問調書」という超法規的手段を用い、田中氏を有罪に導いた。さすがに最高裁は同調書には証拠能力がないとしたが、田中氏は公判の長期化で復権の機会がないまま死去し、控訴棄却された。

 一方、後に発覚したグラマン事件では、米国証券取引委員会が岸信介・元首相、福田赳夫・元首相らに賄賂が渡されたことを告発したが、日本の検察は政界捜査を断念した。

 官僚出身で親米派だった岸、福田らは当時の「国家権力」にとって重要な人物であり、一方で「叩き上げ」「列島改造」の田中氏は時のエスタブリッシュメントにとっては目ざわりで、アメリカからも脅威とみられて警戒されていた。

 裁判は「法と証拠」に基づくものだとすでに述べたが、その根拠にあるべき最も重要なものは「正義」である。国家権力が法を曲げて個人に牙をむくことは、あってはならないが起こり得ることだ。しかし、先進国家では誰かが「正義」を奉じてそれを暴き、止めようとするものである。

 この国が恐ろしいのは、すべての権力が同じ方向を向いて走り、正義より自分たちの足元ばかり気にしている点だ。これは、一政治家に対する好悪、一事件の真偽を超えた問題である。

 恐らく、このような裁判がまかり通り、誰も「おかしい」と口を開かなくなれば、小沢氏自身も「有罪確定」とみて間違いない。その罪状はなんだろう。「国家反逆罪」だといわれればわかりやすいが、そんな気の利いた言葉は、荒涼とした今の権力からは出てこない。
 その法廷で裁かれるのは、この国の「正義」なのかもしれない。

●(6)さて、読後感はいかがでしょうか。

 次に申し上げたいのは、(過去官僚になりますが)「官界の坂本龍馬」、古賀茂明氏が再三おっしゃっているように、大臣が官僚を使いこなすには、特に政権交代した場合には、高級官僚を総理大臣や各大臣が交代させ、自分たちの政策を忠実に遂行してくれる官僚を任命する必要があります。

 それを一切やらなかった(やれなかった)民主党は、官僚を使いこなせるわけがありません。政策に関する詳しさ、立案能力、根回しの能力、何をどうすれば良いか・・・・のすべてに関して、官僚のほうが数倍、数十倍優れています。そうであるならば、官僚の言いなりに政策を立案し、お膳立てされた上で、単にええ恰好をさせてもらうだけに成り下がるはずです。

 彼ら、官僚がいかにして大臣を操るか、有名な話の幾つかを紹介します。逆にいえば、どんなに民主党に期待してもダメであり、それがとてもよくわかるのが、次の(7)です。大臣なんて惨めなものですね。
 日本の政治システムが驚くほどよくわかる下記の(7)もじっくりご覧ください。官僚、特に「財務省」の官僚にとって、政治家、特に民主党の大臣や総理大臣をコントロールするのは、赤子の手をひねるようなもののようです。

 だからこそ「剛腕」が必要であり、だからこそ、彼らにとって「剛腕」が邪魔なのです。

 次の(7)に行く前にもうひとつ紹介したいものがあります。

<第28回「トピックス」「検察審査会についての一考察(10)」>の中の曽野綾子先生の下記の部分を再録します。

◆◆◆◆◆
◆◆
 「三秒の感謝」(海竜社刊)の中で、次のようにおっしゃっています。

 いや、それより、どこの国でも、どの社会でも、生きることは生易しくはない。という言葉の方が誰にとっても実感があるのであろう。そして私はむしろいつのまにか、「これ見よがしに振り回される正義は腐臭する」と感じるようになってしまっていたのである。

 曽野綾子先生は次のようにも書いています。

 「星の国の賄賂」

 個人はどれほどに堕落しても、国家や公的なものは、一応の公正を失わないものだ、という甘い信念は、若い頃の私にもあったのだから、多くの日本人にあっても当然だと思う。それは日本の総理だった人を巻き込んだロッキード事件の時の反応にもよく現れている。

 ロッキード事件がよいことだというわけでは決してないけれど、たかだか数億円のお金が誰かの(それも恐らく複数の人の)懐に入ったかもしれないという事件である。しかも、その選択の結果のロッキードという飛行機は、決して機種の機能においてでたらめなものだったわけではない。そのことに、あれほど道徳的にいきりたった国民というのは、かなり異色ではあろう。
◆◆
◆◆◆◆◆

●(7)平成23年10月7日、週刊ポスト「この国を完全に支配している権力装置」<徹底解剖・財務省の研究>


<内幕・3代の総理を“手籠め”にして政権交代を骨抜き>
<財務省の「民主マニフェスト解体」全ドキュメント>

 確かに戦後復興の立役者のひとつは優秀な官僚だったと認めてもよい。主権を戦勝国に奪われ、民間は疲弊して立ち上がる力を失っていた。だから優れた人材が霞が関に集い、青雲の志を抱いて国の立て直しに力を振るったのである。が、時が流れて時代が変わり、官僚機構は国家に仇なす存在になった。その中心に在り続ける財務省は、政治を操り、国民を欺き、国家を誤らせている。希代の“財務省パペット政権”が生まれた今、その専横を見逃すことはできない。

<政治家を狙う“ショック療法”>

 復興増税に突き進む野田佳彦・首相には、忘れられない苦い経験がある。
 大震災直後の今年3月、菅政権当時の官邸では、10兆円を超える復興財源を「日銀の国債引き受け」で賄うことが検討された。復興を口実に増税路線を敷こうとする財務官僚には絶対に受け入れられない手法であり、その意向を受けた野田財務相(当時)は、会見で、「日銀の国債引き受けは財政法で禁止されている。検討していない」と否定した。ところが、3月25日の衆院財務金融委員会で飛び出した質問に、野田氏は凍り付いた。
 「日銀が毎年、相当の国債を直接引き受けていることをご存じか」
 質問したのは山本幸三・自民党代議士。大蔵官僚OBである。

 「直接? あのー、まぁ、日銀のやってることは金融政策の、その……」
 しどろもどろになった野田氏は、さらに「知ってるのか、知らないのか」と畳みかけられると、
 「いや、その、知りません」
 と認めざるを得なかったのである。」

 財政法第5条は国債の日銀引き受けを禁じているが、同条文は「特別の事由がある場合」は国会の議決を受けた金額の範囲で引き受けを認めており、実際に毎年、10兆円以上を日銀に引き受けさせている。財政当局者には周知の事実だ。続けて答弁に立った五十嵐文彦・財務副大臣もそのことを当然のように知っていて、流暢に答弁した。
 野田氏は委員会後、珍しく激高した。
 「悔しい。なぜ、教えてくれなかったんだ!」

 ――これが財務官僚が大臣操縦に使う常套手段の“ショック療法”である。
 「野田さんは副大臣時代から一切反論しないで我々のレクを聞いてくれる“優等生”だが、あれ以来、ますます“優秀”になった。復興財源の日銀引き受けを目の敵にして官邸案にも強く反対に回ってくれた」(同省幹部)
 財務官僚のいいなりといわれる野田氏は、これでさらにしっかりムチをあてられ、役所のサポートがなければいかに惨めな思いをさせられるか骨身にしみたというわけだ。

 財務官僚はそれを「大臣の通過儀礼でしょう」(同前)といってのける。
 前任の菅直人氏も同じやり方で財務官僚の洗礼を受けている。以前に本誌で報じた「乗数効果」事件だ。
 「官僚はバカ」と公言していた菅氏は副総理兼財務相に就任した直後の国会質問で、経済の基礎知識である「乗数効果」の意味を問われてトンチンカンな答弁を重ね、国会が紛糾。ついには官僚の助けを求めたことで大恥をかかされた。この時の質問者は林芳正・元経済財政相で、官僚OBではないものの、財務官僚との勉強会を重ねる党内きっての財務族議員である。

 この質問も、「菅さんが乗数効果の意味を勘違いしていることに気づいた財務官僚が、それを林氏に伝えて仕組まれたもの」(当時の官邸スタッフ)とされている。
 鼻っ柱を折られた菅氏は財務官僚の「怖さ」を思い知り、逆に手を組んで増税路線に舵を切った。

 <「普天間には関わるな」の助言>

 財務省の権力の源泉は、予算編成権を持っていることと、外局である国税庁を握って政治家のカネの流れに睨みを利かせていることだといわれる。だが、それはほんの一側面にすぎない。むしろ、この役所の情報収集力と組織の結束の強さこそ、官僚主導政治を根付かせてきた秘密だろう。「政治主導」を掲げて政権交代を果たした民主党政権の3人の総理大臣が、次々に財務官僚に籠絡されていった軌跡はそのことを浮かび上がらせる。

 同省の政界工作の基本は、政治家を囲む勉強会だ。小沢一郎氏には竹下内閣の官房副長官時代から財務(旧大蔵)官僚との勉強会があり、そのメンバーの1人が香川俊介・官房長だった。そして鳩山氏が自民党の若手議員の頃から続いていた勉強会のメンバーには勝栄二郎・事務次官がいた。09年の総選挙で鳩山政権が誕生したことで、長年の布石が生きた形である。

 「大蔵省の時代から、財務省は組織的に政治家の先物買いをしてきた。自民党で将来、出世しそうだと判断した議員には、若手の頃から勉強会を開いて情報を与えてきた。他省庁はそんな種まき(強調)をしてこなかったから、鳩山政権中枢へのパイプづくりに苦労したが、財務省だけは発足直後から鳩山政権が何をやろうとしているかの情報がどんどん入る。とてもかなわなかった」(経産省キャリア)

 鳩山政権は発足後、菅副総理に国家戦略担当相を兼務させ、「国家戦略局」を新設して国の長期計画やマニフェスト実行に必要な予算組み替えの基本方針を策定させる方針だった。当時は増税反対派だった菅氏も「総予算を組み替える」と張り切り、「予算編成権は財務省にある」と反論する藤井裕久・財務相と対立していた。財務官僚が真っ先にやったのが、国家戦略局つぶしだった。

 当時、内閣府でその舞台裏を見ていた官僚が語る。
 「政権交代から最初の臨時国会は与党が参院でも過半数を持っていたので、国家戦略局を設置する政治主導確立法案を成立させることは十分可能だった。そこで財務官僚は、鳩山首相やその側近に“国家戦略局の権限が強まれば菅副総理の力が強まる”と吹き込んで警戒させ、うまく法案を後回しにさせた。国家戦略局が予算の大枠を決める仕組みができていたらその後のマニフェスト実現への展開は違っていただろう」

 この政治主導確立法案は参院選の敗北でいまなお成立の見通しが立っていない。
 一方で、財務省主導で演出されたのが行政刷新会議による事業仕分けだった。同会議の事務局には財務省から多くの官僚が派遣され、仕分け人を操っていた。マニフェスト実施のために予算の骨格を大きく組み替えるという民主党政権の理想が、重箱の隅をつつく事業仕分けへと換骨奪胎されたのである。

 「財務省が民主党政権で取り込みにかかったのは、一に仙谷氏、二に菅氏だった。権力志向が強い政治家ほど、財務省にすりよる旨味がわかるからだ」(同前)
 この頃、行政刷新相だった仙谷由人氏、仕分け人主査として脚光を浴びた枝野幸男氏らは、仕分けの成功で「財務省の力」を知り、裏で手を握る。

 公務員制度改革を担当していた改革派官僚の古賀茂明氏が、仙谷氏によって閑職に飛ばされたのもこの時期である。
 財務省はこの年の予算編成で「財源が足りない」と子ども手当の支給を半額に値切り、高速無料化も一部区間の「社会実験」に縮小させた。政権交代からわずか4か月で、改革の骨抜きがそこまで進んでいた。

 10年1月に菅副総理が財務大臣に横滑りすると、財務官僚は菅氏を取り込みにかかった。
 菅氏をあれほど嫌っていたはずの財務官僚たちが、その頃からすでに「次は菅政権」と吹聴し始めた。さらには菅氏に対し、鳩山政権を窮地に立たせていた普天間基地の県外移転問題についてアドバイスまで行なっていたという。

 菅氏側近が振り返る。
 「とにかく財務省の情報能力はすごい。『普天間問題は鳩山政権の命取りになるから、大臣は決して関わってはいけない。待っていれば海路の日和がある』と菅さんに忠告し、日米交渉はその通りになっていった。現実主義者の菅さんは、財務省を敵にするより頼りにした方がいいと判断した」

 実際には、普天間基地をめぐる日米交渉は、外務省や防衛省が裏に回って鳩山方針をつぶしにかかっていたわけだから、“霞が関の盟主”である財務省には鳩山政権の命運が手に取るように見えていたのは当然だった。

 「財務省を味方にすれば総理になれる」という神話が、すでに民主党には植え付けられている。仙石氏をはじめ、玄葉光一郎氏、枝野氏、安住淳氏らが財務省の“与党”となり、「マニフェスト撤回」に動いてきたのも、二匹目のドジョウ(強調)を狙っているからだ。
 財務官僚にとって、未熟な民主党の政治家を動かすのは簡単だ。近づいてくる政治家に増税は必要だといわせ、「あの大臣はすごい」「首相候補だ」とメディア工作で評判を上げれば、その気になって忠誠に励む

 <「呼びつけの勝」はOBに不評>

 財務省が「国会対策」という民主党政権の弱点をいち早く掴み、それを財務省本体で行うことで政権のコントロールを可能にしている面も見逃せない。
 「国会対策はスケジューリング・ポリティクスといわれ、様々な国の行事や天皇陛下のご日程などを事前に織り込まなければ、法案審議の時間がうまく取れなくなる。与党が長い自民党はそのノウハウがあったが、民主党にはまったくない。現在、国会日程を管理しているのは財務省大臣官房文書課だ。この仕事を押さえることで、どの法案を成立させるか、店ざらしにするかをコントロールできる」(自民党国対関係者)

 前述の政治主導確立法案、菅内閣が打ち出した公務員給与1割カット法案など、役人に都合の悪い政策が実行できないのは、「ねじれ国会のせい」ではなく、国会運営までも財務省に握られているからなのだ。
 財務省が国対委員長だった安住氏を財務相に望んだのも、増税国会を意識しているからだ。
安住氏は田中角栄以来、40代で就任した2人目の財務大臣だが、その政治手腕は角栄氏に遠く及ばない。だが、不思議なことに財務省内の評判はすこぶる上々なのだ。

 臨時国会の開幕をひかえた9月中旬、大臣室に安住氏、勝次官以下の幹部が集まっていた。
 「オレはさぁー、この臨時国会は早く閉じた方がいいと思うんだけどさ、勝さんどう思う?」
安住大臣の“タメ口”に勝次官は苦笑しながら頷いたが、この「政策通」ぶらないところが気に入られているという。

 「大臣室でやっているのは国会対策の作戦会議です。この政権はまずは復興増税、その次は消費税引き上げをどうやって国会で成立させるかという使命を持っている。だから国対委員長だった安住さんが初入閣で財務大臣に抜擢された。安住大臣は財政通になろうとか、政策通といわれたいという見栄がなく、『オレの専門は国会対策』と割り切っている。珍しく自分の役割を知っている大臣だと勝次官も評価している」(同省幹部)
 こんな褒め方もあるのか。

 今や財務省の事務方トップの勝次官は霞が関で「財務省の天皇」と畏怖され、誰でも呼びつけて命令することから「呼びつけの勝」の異名を持つ。野田新政権の本質は、財務省が支配する「勝増税政権」と呼ばれているが、かつて財務省がここまで表に出て政権を支配したことはなかった。

 「官僚は国民に選挙で選ばれていない。政治家に阿(おもね)らず、黒衣に徹して政権を支えるのが本来の財務官僚のやりかた。勝君は民主党への政権交代をうまく乗り切った功績は大きいが、権力に酔ってしまっては官僚の分を越えている。いずれ政策への批判が政治家ではなく、役所に向けられる危険がある。OBの多くがそう感じている」
 有力OBの1人は、「権力装置」の姿を国民に晒した財務省の政治支配のやり方をそう危惧する。民主党の無能が財務省の化けの皮をはがしたとすれば、国民にはうれしくない皮肉だ。

 <藤森注・・・・・幕末に井伊大老が調子に乗りすぎて(?)「安政の大獄(1958~59年)」を断行した結果、尊皇攘夷運動を狂熱化させたように、勝次官が調子に乗りすぎると、幕末と同様、幕藩体制の崩壊を早めさせてくれることになれば良いのですが。
現代の幕藩体制の末期(?)と、本当の幕末に、2人の「勝」が活躍している・・・・・末裔らしいとか、そうでないとか言われていますが。>

 <支配、その力の源泉は「予算配分権」にあらず、政・官・司・財・報を牛耳る「鉄の結束」

 財務官僚たちの影響下にあるのは民主党政権だけではない。彼らは政・官・司・財・報に幅広く支配の手を伸ばしている。

 財務省の権力がいかに強化されているかを物語る出来事がある。
 国会で野田氏が首相に指名された去る8月30日、財務省主計局から各省の会計課に、「来年度予算の概算要求の作業を急ぐように」という内々の指示が出されたのである。予算案は各省がどんな政策を行うかの基本だ。新首相が決まったばかりで、まだ各省の大臣も決まっていないにもかかわらず、“役人だけで予算案を作ってしまえ”という驚くべき越権行為だ。

 財務省は司法、立法、行政の三権をコントロールするシステムを長年にわたって構築してきた。財務官僚がキングメーカーとなって野田政権を誕生させたことで、それが完成したという驕りを感じさせる。
 霞が関(行政府)での力は、各省の予算を査定する「予算編成権」の実務に加え、全国家公務員の給与・年金を握っていることにある。

 国家公務員の給与の予算査定や年金(国家公務員共済)を担当するのは財務省の主計局給与共済課長、公務員の俸給別定員(課長、課長補佐、係長などの定員)を管理するのは人事院給与第二課長、そして役所の定員や独立法人など天下り先をチェックするのは総務省行政管理局管理官と役所が分かれている。ところが、この3ポストはすべて財務官僚の出向の指定席で、各省は定員も給与も天下り先の独法の経営審査まで財務省に首根っこを押さえられているのが現実だ。

 その一方で、財務官僚は、菅政権の公務員給与カットにストップをかけ、天下り規制の動きをあの手この手で骨抜きにして、霞が関に「別格の存在」としての力を見せつけた。
 野田内閣が初閣議で決定した『内閣の基本方針』には、「政務三役と官僚は、相互に緊密な情報共有と意思疎通を図り、一体となって政策運営に取り組む」という、菅前政権が「政治主導」の方針を大転換して霞が関と結んだ“手打ち”の文言がそっくり引き継がれている。

 国会(立法府)との力関係については、前項で同省が有力政治家の養成システムを持ち、さらに民主党政権下では本来、与党の仕事である国会日程までこの役所が担っていることを指摘した。
 そればかりではなく、同省では100人規模の「政界工作部隊」を組織している。主に与党の有力政治家の下に「勉強会」などと称してキャリア官僚を送り込み、いつの間にか事務所に自由に出入りできる関係を築いているのである。

 司法も財務省の影響から逃れられない。最高裁判所の予算は国の一般会計から出され、財務省との事前折衝が必要だ。法務・検察も予算編成権を財務省に握られているうえ、「経済事件の捜査には国税当局のマルサの調査能力が欠かせない。財務省の協力がなければ、今後の捜査に支障をきたす」(検察OB)という事情がある。

 そうした司法・検察への強い影響力からか、他の省庁に比べ財務省キャリアには捜査の手が伸びにくいといわれる。まさに「検察捜査の聖域」というべき存在になっている。
 もちろん、財界もいいなりだ。ほとんどの業界では、財務省の“配慮”によって税制の優遇を受けている。逆らえば国税当局にどんな仕打ちを受けるかわからないのである。

 <パペット記者を使った「腹話術」>

 そのうえで、政権交代をはさんだこの数年、財務省が最も力を入れてきたのが「第4の権力」であるメディアへの工作だった。
 財務省が本格的に増税に向けたメディア工作をスタートさせたのは、「消費税増税なしで財政再建できるとは考えられないし、安心できる社会保障制度も成り立たない」と消費税増税路線を鮮明にした福田首相の頃とされ、世論工作の司令塔を長く務めてきたのが勝次官の直系とされる香川俊介・官房長だ。

 若手官僚を中心に組織された100人規模の政界工作部隊は、香川氏の司令ひとつでメディア工作部隊にも変身する。それをバックアップするメディア対策専門部隊もある。
 東京・竹橋の大手新聞社の本社に近いエスニック料理店は、財務官僚がベテラン記者や編集幹部、評論家などと勉強会を開く際によく使う店の一つだ。常連というベテラン記者の話である。

 「飲食費はワリカン。財務官僚の守備範囲は財政政策だけではない。バックグラウンド・ブリーフィングといって、例えば『エリート教育について取材したいと考えている』といえば、調査課などから関連資料データを一式取り寄せた上で、霞が関での議論や問題点を非常にわかりやすく説明してくれる。ブレーンストーミングですね」

 それを自分でやるのが記者の本来の仕事のはずで、昔は、資料一式役所が用意した記事は「もらい記事」と呼ばれて恥とされた。だが、政策が嫌いな政治部記者や、不勉強で専門知識がない経済部記者は、財務官僚のサービスを有り難がって役所に頼りきりになる。メディア工作部隊の幹部には、キャリア官僚ながら玄人はだしの「手品」を演じる課長クラスや「腹話術」を得意芸とする審議官クラスもいて、記者たちを絡め取る。そして会合のたびに記者たちに、「野田さんはああ見えて政策にはかなり詳しいね」とささやくことで、大メディアに「政策通の政治家」と報じさせる。これぞ正真正銘の腹話術だ。

 だが、大メディアが増税必要論を一斉に報じるようになったのは、個々の記者への工作だけが理由ではない。財務省の報道機関工作の有力な武器となったのが、国税の税務調査である。

 朝日新聞は09年2月に東京国税局の税務調査で京都総局のカラ出張による架空経費の計上など約5億1800万円の申告漏れを指摘され、東京、大阪、西部、名古屋の4本社編集局長と京都総局長を処分した。同年5月には、読売新聞東京本社も東京国税局の税務査察で推定2億7000万円の申告漏れを指摘されている。その前には日テレ、フジテレビ、NHKも申告漏れを指摘された。
 時系列でいえば、税務調査の後、読売新聞は丹呉泰健・前財務事務次官を社外監査役に迎え、朝日も「増税礼賛」の論調を強めていく。
 有力紙の論説委員は、「メディアは常に税務当局に狙われている。経営上も財務省に逆らえない
と本音を明かす。

 <省内派閥禁止の理由>

 政・官・司・報の4つの権力と財界を支配下に置くシステムは日本の官僚支配の中心軸であり、財務省にはそれを維持するための「鉄の掟」がある。
 「省内派閥の禁止」と「政治家に個人的に近づかない」というルールだ。

 次官経験のある大物OBが語る。
 「省内の出世レースはあっても、課長クラスになって同期の誰が出世頭で次官コースに乗っているかが見えてくると、同期はみんなでその1人を盛り立てていく。同期から次官を出せば、2番手以下に続く者も、局長から国税庁長官や財務官、他省庁の次官などのポストに行ける。トップはそのかわり同期にいい天下り先を世話するわけです。その結束力が財務省の力の源泉だと思う。他の役所は、出世争いで不利になると、有力政治家に個人的に近づき、逆転人事を工作する者が必ず出る。しかし、財務省でそれをやれば追放される。官僚は国家のために働くもので、政治家に個人の思惑で近づけば、必ず省内人事への政治介入を招く。それはタブーなのです」

 財務省の若手官僚が上の指示で一斉に政界やメディア工作に同じ情報を流すやり方も、かつての軍隊を思わせる。
 その財務省の伝統が揺らいだのが、細川連立内閣当時に事務次官だった斎藤次郎氏(現・日本郵政社長)の時代である。斎藤氏は小沢一郎氏の政治路線をバックアップし、自民党と非自民勢力の政治対立の中で、省内に「斎藤派」と呼ばれる官僚グループを組織した。

 だが、自社さ連立の村山内閣で自民党が政権に復帰すると、斎藤氏は失脚。連立与党内で金融・財政分離という財務省解体論が勢いを持ち、金融庁分離につながっていく。その後、斎藤氏の下に集まっていた次官候補たちは、次々と接待疑惑で姿を消していった。一部では、「政治を敵に回したツケ」ともいわれた。

 財務省にとっては苦い経験だ。それだけに、今回の政権交代では、勝次官の下、省内を分断されないように民主党の政治路線とマニフェストの徹底した骨抜きをはかり、事実上、政権をジャックした。
 が、裏を返せば彼ら自身が、すでに自分たちの権力装置にほころびが生じていることを知り、焦っている証左でもある。勇気ある政治家、正義感あるメディア、誇りある財界人が出てくればその支配は突き崩せる。

 <人事、「次官レース」を決めるキーポジション、天下りの指定席ほか、入省から墓場まで「財務官僚人事システム」大図解
 (図解は割愛させていただきます)

 財務省が「鉄の結束」を維持してこられたのは、22歳で入省してから、それこそ墓場まで、人生のすべてを役所と官僚ネットワークで面倒みるという堅固な人事システムを構築してきたからに他ならない。
 その仕組みは上の図(割愛)の通りだが、毎年20人程度しか採用されないキャリア官僚(本省採用の国家公務員I種試験合格者)の出世レースは熾烈である。

 「最近でこそ優秀な学生が民間に行ったり他省庁に取られたりする例も増えているが、かつては国Iを上位で合格→大蔵省入省というのは、東大や京大の最も優秀な学生たちが目指す最高の進路だった。やや大袈裟にいえば、全国の同級生数百万人のトップ20が大蔵省の同期としてひしめき合うようなものだった。

 そのいずれ劣らぬ秀才同士が出世を競い、最後に残った1人が事務次官のイスに座ることになる」(ジャーナリスト・小泉深氏)
 そのなかには、下記のように「3冠王」「4冠王」などと呼ばれる伝説的な秀才もいた。まあ、こういう言い方には、財務官僚に偏差値エリート、試験オタクという一面が色濃く残っていることを示している。

 出世レースは入省時から始まってはいるが、当面、その結果は表に出ない。
 若きエリートたちは20代半ばに揃って海外留学を経験して“国際的見聞”を広め、帰国して30歳前後に各地の税務署長として初めて地方勤務を経験する。さらに30代半ばになると今度は地方財務局の理財部長などに2度目の出向を命じられ、こうした「ドサ回り」で金融機関や地方財界との人脈、交際ノウハウを身につける。もちろん接待の味も覚える。

 そして「次官になれる者」が一気に絞られるのが、次官レースの登竜門である「文書課長」「秘書課長」人事である。通常、入省から20年目くらいの次官候補が抜擢される重要ポストであり、ここに就けるか、同期より早いかが、その後の官僚人生を大きく左右するのである。
 その先は、次官候補の指定席である近畿財務局長、主計局長などを経て、ついにエリート集団の頂点である「財務事務次官」に就く。

 ちなみに「省の中の省」と自負する財務省の次官は、他省庁の次官より「1期先輩」という慣習もあった。それは、他省の次官が「東大の1年後輩」であることによって、自然と睨みを利かせられるからだと言い伝えられている。
 次官でも特に「中興の祖」として称えられるのが、増税に成功した人物だ。1987年の消費税法成立(88年施行)時の吉野良彦・元次官などが挙げられる。

 ちなみに、財務省にもノンキャリアや準キャリアがいる。国税庁や各地の財務局、税関などで採用された者たちもいる。が、彼らがキャリアの出世レースに参戦することは決してない。
 「ノンキャリアの最高ポストは北陸財務局長。これはキャリアの就く局次長ランクだが、数多いノンキャリアの頂点がそこだから、最初から登っている山にヒマラヤと日本アルプスくらいの差がある」(小泉氏)

 また、官僚としての最終ポストにより天下り先も細かく決まっている(図は割愛)。これが「墓場まで」の所以で、通常、キャリアは天下り先を2か所か3か所用意され(いわゆる「渡り鳥」)、80歳まで退職時と同じ年収を保障されることが暗黙のルールだ。
 このシステムは他省庁もほぼ同じだが、財務省は大物OBたちの「元老院」が天下り人事にも大きな力を持つことが特徴である。現在は日本たばこ産業会長の涌井洋治氏(元主計局長)らが元老として君臨しているとされる。
 最近では次官レースのルールや天下り先も様変わりしたとも指摘されるが、それでも、OBまで一体となった「財務省ムラ」の一元支配構造は健在だ。

 <「3冠王」「4冠王」も登場するスーパーエリート官僚列伝>

 「ピカ5」という財務省用語がある。

 「事務次官になれそうな優秀な同期が5人いる、という意味で、その中の1人が財務次官になり、残りの者が国税庁や、かつての国土庁、経済企画庁など“植民地”の次官になった」(『財務官僚の出世と人事』著者、岸宣仁氏)

 要するに、他省庁の次官まで奪うほど、財務省には「スーパー官僚」がひしめいていたという都市伝説のような言い方である。
 他にスーパー官僚を表す用語として有名なのが「3冠王」「4冠王」である。
 「東大首席」「国家公務員I種試験トップ」「司法試験トップ」が3冠王、これに「外交官試験トップ」を加えて4冠王と言い慣わす。ただし、本当かはよくわからない。そもそも「東大首席」などは「自称」も多い。

 「そのなかで、本当に4冠王だったといわれる唯一の人が、58年(昭和33年)入省の角谷正彦氏。ただし彼は証券局長から国税庁長官になって官僚人生を終えた。案外、国Iトップは次官になっていない」(岸氏)
 例えば、戦後最も「ピカ」が多かったといわれる「花の(昭和)41年組」は、国Iトップといわれた長野あつ士氏が、同期の「ピカ」だった中島義雄氏とともに大蔵接待汚職に巻き込まれて退官を余儀なくされ、一時は3番手ともいわれた武藤敏郎氏が次官に就いた。武藤氏は異例の2年半にわたり次官を務めた。

 「武藤氏は『逃げない』ことで信頼を得た。政治家と渡り合い、時には論破して省の主張を通した。宮沢喜一氏、亀井静香氏らと激論したエピソードはよく知られる。次官になるには成績だけでなく、センス、バランス、度胸が必要だ」(岸氏)
 ところで、多くの次官は任期1年、同期で1人就任するが、かつての大蔵省では10年に1度、次官のいない年次が存在した。

 「国Iトップは大蔵入りが当たり前の時代、10年に1人、トップが日銀に入る慣例があった。日銀総裁の任期は5年で大蔵からの天下りとプロパーが交互に就いた。つまり、日銀キャリアから10年に1人、総裁が生まれるわけで、その人材として大蔵の了解の下、国Iトップが送り込まれた」(ジャーナリスト・小泉深氏)
 入った時から総裁候補というわけだ。そのトップが抜けた大蔵の年次は「次官になれない」というのもまた、成績絶対主義の徹底ぶりを示している。

 <「ノーパンしゃぶしゃぶ」は序の口だった、「全裸のエリート」たちの隠微な世界>

 大蔵官僚といえば接待漬け、大蔵接待といえば銀行の「MOF担(モフ担)(Ministry of Finance=大蔵省の担当の意)」というのは、90年代公判に吹き荒れたハレンチ接待醜聞を覚えている国民の社会常識である。が、実は霞が関にもMOF担がいたことをご存知だろうか。「大蔵官僚を接待するのは2つのパターンがあった。監督下にある金融機関がする場合と、予算をほしがる他省庁がすることがよくあった。各省庁は予算査定をする主計官の大学同期をMOF担にし、料亭や高級クラブで夜な夜な大蔵官僚を接待した」(某省OB)

 その費用は各省傘下の業界にツケ回すのが常で、接待内容は銀行接待と同じ。国民の怒りを買った「ノーパンしゃぶしゃぶ」では、局部を丸出しにしたホステスたちが高級和牛を「しゃぶしゃぶ」して官僚に「アーン」する痴態が常態化していたが、本当に国民に見せられない現場はもっと別にあった。

 「何といっても大蔵官僚が好きだったのは向島。都心から離れて人目につかず、それを利してハレンチ接待する高級料亭がいくつもあった。お座敷バンドを呼び込んで20歳そこそこの芸者と抱き合い、もみ合いながら歌えや踊れやの乱痴気騒ぎを演じるのが官僚として“一人前”になる道だった。宴会が始まって10分もすれば、官僚も芸者もほとんど全裸でしたね」(元大手銀行MOF担)
2次会、3次会、さらに「ホテル」まで用意して、一晩に1000万円かけることもザラだったという。
 そんな接待漬け大蔵官僚が、逆に接待役に回ることもあった。大手新聞やテレビの番記者が集まる記者クラブ「財政研究会(財研)」を手なずける時だった。
 「高い店には行きませんが、庁舎内にあった洋食屋でよくメシをおごってもらいました。また、夕方5時以降に各課の部屋に行くと、ビールや水割りをごちそうしてもらえた」(元財研記者)
嘆かわしい限りである。今も基本的にその主従関係は変わっていない。
 別掲「隠語集」でもわかる通り、財務省は、どこまでも隠微な世界である。

 <財務官僚なら知っている「隠語集」

「霊安室」・・・忙しい予算編成時に泊まり込む仮眠室。別名「ホテル・オークラ(大蔵)」
「被告人席」・・・閣議の説明者席
「ざぶとん」・・・天下り先
「生活費」・・・天下り先につける予算や補助金のこと
「ピッタシパンツ」・・・予算の計算があうこと
「肩たたき」・・・左遷・降格。最初は大蔵省用語だったものが一般化した
「刷新送り」・・・新語。各省庁との予算折衝で「仕分け対象にするぞ」と脅す文句。「仕分け」が財務省の演出だったことがよくわかる
「シャビー」・・・みすぼらしい宴会や接待を評する言葉。若手官僚は「ダサイ」と使わない
「熱海の温泉旅館」・・・複雑な税制のこと。ヘンテコな改正で制度を“増改築”した結果

<文責:藤森弘司>

トピックスTOPへ