2011年1月1日 第33回「トピックス」
「世界一強い」のは?

●(1)平成22年11月25日、夕刊フジ

 <「世界一強い」のは一体だれなのか?>(石井館長の魁人生塾)

 格闘技ビジネスの世界にいる私は、よくこうした質問を受けます。
 「世界一強いのは誰ですか?」。こういう場合、マジメに答えると、ムキになって反論してくるオタクファンも多いので、まあ適当に答えるようにしている。
 オタクを敵に回したときの怖さをよく知っている私は、先に「君はどう思うの?」と優しく質問してあげるのです。
 すると、やれヒョードルだの、はたまたヒクソン・グレイシーだの。悦に入って思い入れをとうとうと語り出す。こういう相手は聞き上手になるに限る。相手の話がひと段落したころ、「でもね、大山倍達もヒクソンも、一番怖かったのは奥様らしいよ!だから母親が世界一強いのかも」などというと大体笑い話でまとまるものです。

 逆に、武道を志し、空手や拳法を修行するファンは、私の話を素直によく聞いてくれる。こうした若者から同じ質問をされたら、真剣に対応するようにしています。
 「いいかい!『天下無敵』とは、どんな敵でも打ち破れる強さではない。敵がないぐらい強いということは、この世に戦う敵がいないようにすること。つまり、敵を作らないことなんだよ」
 一瞬、相手はけげんな表情を見せるが、続けてこう話す。
 「修行の目的は、人格が形成され、誰からも愛され、親しまれる人間になること。そうなると、戦う必要がない!文字通り、『天下無敵』になれるというわけ」

 武とは、2つの戈(ほこ)を止めると書きます。この話をすると、人と人との争いを止め、和平の道を切り開くために己を鍛錬するのが武道の本質であることを、みな納得してくれます。
 そして、その後に「無敵」になるために必要不可欠な基本について話をすることにしています。
 そう、「礼儀」「礼節」であります。「礼」とは相手を敬う心。しかし、いくら心中で敬っていても、態度に表さないと相手に伝わらない。そこで、必要になるのが儀式作法です。
 しかし、礼も過ぎると卑屈になる。ペコペコ頭を下げ過ぎるのはみっともない。節度も大切。だから、「礼節」を知ることが大事なのです。

 何か学校の先生、宗教家のような話になってしまい申し訳ないのですが、要するに、「礼儀」「礼節」を身につけている人間には、敵がいないということです。戦う必要もなく、正々堂々と人生を生きていける。つまり、そんな人が「無敵」ということになります。
 昔の日本にはこうした「天下無敵」がごろごろいました。しかし、いまでは、そんな人を見つけることは難しくなってしまいました。国民の代表である政治家センセイを見ても、「そんなモノは道徳のミイラだ」と思っているフシがあります。
 国会答弁でも、キチッとあいさつもできず、礼も忘れている人がなんと多いことか。代表質問をする野党でも、受ける与党のセンセイも同じ。
 しっかりしたポリシーを持って、堂々と大きな声で挨拶し、礼儀作法を踏まえた国会答弁を行なえば、男前も上がると思うのですが、いかがでしょうか!押忍!

 <石井和義(いしい・かずよし)・・・・・空手団体「正道会館」宗師で、格闘技イベント「K-1」創始者。著書に「空手超バカ一代」(文藝春秋刊)がある。>

<文責:藤森弘司>

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