2010年8月31日 第30回「トピックス」
ゆうパックの遅配と民族病について

●(1)私(藤森)は、毎日、日刊ゲンダイを愛読しています。しかし、時折、夕刊フジを購入します。ゲンダイとフジは対照的な書き方をするので、見出しに釣られてフジを買ったり、両方を購入することが、1ヶ月に数回あります。

 例えば、8月15日付の日刊ゲンダイの一面には「代表選 小沢出馬強まる」ですが、夕刊フジは「代表選風雲急 小沢不出馬」です。それで両紙を購入しました。さて、たまたま夕刊フジを購入したある日に、下記の「ザ・トップ あの深層は・・・」という面白い記事を発見しました。その記事に注目してみると、面白いことに、次から次へと、それに関する情報が集まってきました。今回はその記事を中心に、世の中の誰もが言っていないであろう私(藤森)の「学説」を「表題」に沿って、本音で述べてみたいと思います。

 世の中の誰もが言っていない「説」は、それを直接述べても、なかなか、世の人に理解されない上に、私のように「権威」とか、社会的な「立場」がない人間は、いくら正しい「研究成果」を述べても、全く見向きもされないものです。
 昔、日本の心身医学の創始者、故・池身酉次郎先生は、「日本でいくら発表しても、誰も見向きもしないが、外国の学会などで発表し、注目されると、途端に、日本でも注目される」と、日本人のおかしさをしきりにおっしゃっていました。正論か否かではなく、誰が注目しているか否か、つまり、外国で評価されたということが、最大の価値観になってるようです。

 さらには、「深層心理」というのものは、そこまでの体験をした人間でないと、見たことも聞いたこともないものですから、短時間で「証明」することは事実上、不可能です。ですから、パッチワークのように、関連する記事や情報をうまく組み合わせて、私の「学説」を間接的に証明することがベストな方法であると思っています。

<<<チョットわき道にそれてみます。アメリカ大使館にCIA要員はたくさんいるそうですが、大半の彼らがやっていることは、一般の新聞や雑誌、週刊誌など(つまり、誰でも集められる情報)から情報を集めて、意味のある情報に加工することが主な仕事だということを何かの本で読んだことがあります。
 今は、パソコンがあれば、情報はいくらでも集まります。それをいかに意味のある情報に加工できるか否かではないでしょうか。意味のある情報に加工できたとき、それは「知識」になり、加工できない時は、単なる「情報」です。ほとんどの人が、単なる「情報」を「知識」と勘違いしています。

 大学へ行って、たくさん勉強して、優秀な成績だったというだけならば、それは「知識」ではなく、単なる「情報」です。この単なる「情報」を「知識」と認識していることが、様々な「誤解」に繋がっています。「知識」は、本来は仏教用語で、「知恵」と「見識」を意味します。単に「情報」が豊富であるということが、「知恵」と「見識」の意味である「知識」だと誤解されていることが、今の日本の病根をみせてくれているように思えます。>>>

 さて、本題に戻ります。私(藤森)は、世の中のいかなる学者も気がついていない(多分、世界で唯一)、私独自の非常に有効な「発見」がいくつかあります。例えば、<第97回「今月の言葉」「脚本分析・補足③」の中の(2)>でミシェル夫人の豪遊を紹介しました。そのとき、ミシェル夫人は次女の「サーシャ」と旅行しました。長女の「マリア」を連れて行かず、何故、次女のサーシャを連れて行ったのか?
これは、私が独自に「発見」した理論で読み解くことができるのです。日本人の場合は、私ひとりでも解明できるのですが、アメリカ人(つまり、英語)では歯が立たないので、私が尊敬する牧野恭仁雄先生(漢字や名前の研究では、日本の第一人者)に尋ねたところ、牧野先生は、先生が持っている驚くべき資料を提供してくださり、ものの見事に「私の理論の正しさが立証」されました。

 日本人に適用できることは、私(藤森)自身の中ですでに証明済みですが、まさかアメリカ人にまで通用するとは夢にも思っていませんでした。これについては、来月の「今月の言葉」で紹介したいと思います。「オバマ家」は、私が推測していた通り、内情はしっくりいっていないことが、ほぼ証明されました。

 さて、そういうことで、今回も、私が独自に「理論化」している日本人の「民族病」を、パッチワークのように、新聞の記事やエッセイなどを通して、十分にご理解いただけるように紹介したいと思います。心理学の理論や「ウツ」の説明を受けるよりもはるかに理解しやすいものと思います。
 多角的にご紹介します。少々長いですが、私(藤森)が、日本人の「民族病」であるとする「ウツ」とは何か、そしてその「メカニズム」は何か?を理解する上で、最高レベル(?)の内容であると(密かに自負?!)しています。

 そのままじっくりと読めば、結構面白いと思います。日本や日本人の性格傾向がよくわかり、その性格傾向が「ウツ」を発症させることもよくわかると思います。なまじ専門家の解釈よりも、遥かにわかりやすいく面白いと自負しています。

 物事は、裏や表、そしていろいろな角度からの意見を聞いてみないと、なかなか「本質」はわからないものです。比較しながら、時間をかけて、じっくりとご覧ください。
 政治や小沢氏の問題などにも触れていますが、これらのおかしな対応も、全て、ウツを発症させる「日本人の性格傾向」を証明していますので、無関係なものとして読まず、全てが関係しているものとしてご覧ください。

●(2)平成22年7月24日、夕刊フジ「ザ・トップ あの深層は・・・」(針木康雄)

 <失態招いた「官僚社長」>

 <亀井の私憤人事>

 「災難は忘れたころにやってくる」という。ゆうパック(日本郵政)が吸収したペリカン便(日本通運)との合併事業がやってしまった大規模な「配達遅れ」は、やっぱり、高級官僚を日本郵政の社長に任命したことから始まった。
 元大蔵官僚の斎藤次郎氏が日本郵政の社長に就任したのは昨年10月28日のこと。それまでは、小泉純一郎元首相による郵政民営化の執念の権化だった西川善文氏(前三井住友銀行頭取)が社長として日本郵政がスタートしている。

 西川氏は旧住友時代から、希代の名頭取として評価された男だ。さくら銀行と合併して三井住友銀行の初代頭取になった西川氏は、みずほ銀行(興銀、富士、一勧)やUFJ銀行(三和、東海)らが統合という名の寄り合い所帯になったのを尻目に、がっちりとした合併方式を取ったことから、三菱東京と並んでメガバンクのなかでしっかりと橋頭堡を構築して存在感を示している。

 小泉元首相は郵政民営化の大任をその西川氏に託して肩の荷を下ろしたのだが、麻生内閣時代、総務相だった鳩山邦夫氏に資産売却について難癖をつけられ、昨年の夏に民主党内閣になって、国民新党の党首で郵政改革担当相を兼務した亀井静香氏によって西川氏は退任を余儀なくされた。
 これは民間人登用人事の危うさを証明している。権力者が変わると、支持基盤が崩れ、民間出身者はあらぬ罪を着せられ捨てられてしまうのだ。

 亀井氏は民主党政権下で脱官僚政策の真っ只中だったのに、日本郵政の社長に斎藤氏を起用した。亀井氏は小泉時代、民営化に反対して自らの選挙区にホリエモン(堀江貴文氏)を刺客として差し向けられた。斎藤氏の日本郵政社長への起用は、郵政民営化をつぶそうとする亀井氏の私憤と言ってもいい人事だった。
 社長就任以来9ヶ月、斎藤氏は官僚出身社長らしいノー天気なミスジャッジで、ゆうパックの信用を一日にしてつぶしてしまった。

 経営統合の日を7月1日としたのは官僚らしい判断ミスである。現場のことが何も分かっていないこの元官僚は、お中元が始まって、荷物が一番多く集まる日を統合日のスタートとしたため、新会社は機能不全に陥り、サクランボはじめ多くの生鮮食品を腐らせてしまった。つまり今度の事件は「亀井氏の私憤人事と高級官僚の現場を知らない判断ミス」から起こったもの。これでゆうパックは一挙に信頼を失った。

 しょせん、高級官僚は頭と机の上でビジネスを考えるから、商人にはむかない。現場の空気を読めない元大蔵次官らしい失敗の一幕であり、巨大な郵政の崩落の始まりである。2009年度の宅配便のシェアは、ヤマト40.7%、佐川36.2%、ゆうパックとペリカン便合わせてわずか14.7%だった。この配達遅れはゆうパックにとっては致命的。下手をすると宅配便市場から消滅することになりかねない。
 (月刊『BOSS』代表)

●(3)私(藤森)は、亀井静香氏の政治家らしい大らかさが大好きでした。現在のチマチマした政治家、いかにも誠実そうな顔をした素人政治家が多い中で、亀井氏の大らかさ、大胆さ、政治家らしい腹芸を見せる政治スタイルが好きでした。

<<<また、少し、横道に逸れます。
今、民主党の大変立派な政治家(特に、松下政経塾出身者)たちは、「クリーンな政治」を連呼しています。私(藤森)からみると、単なる「バカ」ですね。我々は「クリーンな政治」を望んでいるのではありません。100億円や1000億円くらい汚くてもかまいません。「事務所費」などどうでも良いのです。900兆円もの大借金をしている日本国を立て直すことができる「大胆な政治」を望んでいます。「政治の世界」は「修羅場」です。

 私が尊敬する「曽野綾子」先生は、【【その意味で私はこのごろ、政治家の世襲に次第に賛成と言いたい気持ちに傾いて来た。こんな恐ろしい仕事を自ら望んでやりたいと言ってくれるような人たちはなかなかいるものではないだろうから、そういう種族は大切に保存すべきだとういう思いである。】】【「今月の言葉」第93回「脚本分析③」の中の(9)】>>>

 その亀井氏が、いかにも見てくれの良くない官僚起用を「私憤」でやるほどバカではないと思っていました。ましてや、亀井氏と斎藤社長の二人が、私が尊敬する曽野綾子先生を社外重役に依頼したので、日本郵政の経営に対して大いに期待していました。それだけに、彼らがこんな初歩的かつ重大なミスをやってしまったことに、非常にガッカリしていました。

 ところが面白いものです。オバマ大統領の場合もそうでしたが、このことに問題意識を持つと、面白いことに、非常に重要な情報がいくつも集まりました。そこで問題意識を持って、このことに言及してみたいと思います。

 私は、日ごろ、カウンセリング(自己成長のお手伝い)などで、クライエントの方に「仮説力」をつけることを、しばしば、アドバイスします。
 世の中、わからないことが多いものです。「夫婦関係」「親子関係」「会社などの人間関係」などで、分からないことや嫌なことがあった場合、「仮説」を考えることが大事です。ただし、大事なことは、「仮説」を裏づけるものが最低2つ必要です。1つの場合は、よほどの慎重さが重要です。ひとまず2つの裏づけがある場合には、かなりの確率で正しいと言えますが、1つだけの場合には、ただの仮説であることを覚えておくことです。

 さて、そうやって新聞や雑誌などの記事を読んでいくと、どうも1つだけの裏づけで「仮説」を立てて、その「仮説」が裏付けられたと確信して、断定した記事を書いているように思えます。
 裏づけが1つだけの場合は、かなりクエッションマーク付きの記事にすべきで、さらに言えば、ニュースのような急ぐものでない場合には、マスコミ人は、最低、2つの裏づけをもって記事にすべきです。

 上記の針木康雄氏は、この分野の大御所的存在の方です。ですから、顔は利くし、一般に知らない情報も多く持っていることでしょう。そういう立場に立つと、往々にして、現場から離れ、自信タップリになって、独断と偏見・・・・・つまり、1つの裏づけで記事を書いてしまう(?)傾向にあるように思えます。

 オバマ大統領のことを書く場合にも、これほど重要なことを大胆に判断することを、当初はかなり躊躇しました。針木氏の内容は、多分、正しいものなのかもしれませんが、しかし、どうも、自分の価値観から眺めた一面的な見方のように思えてなりません。もっともっと多角的に眺めて、もっと建設的な問題提起をしてほしいと思います。
 ただ揚げ足を取るような角度からばかりでなく、どうであるべきなのか、どこがまずかったのか、もっといろいろ具体的な問題提起をして、日本のために建設的な提言をしてほしいものです。

 あるいは、もっと大胆に、亀井氏に突撃インタビューをして、上記の記事の内容をぶつけて、その反応を確かめるぐらいの姿勢がほしい。もしかしたら、通り一遍の情報、当たり前の情報・・・例えば、官僚の天下りがいけないといわれているのに、天下りをさせたのだから、今回のトラブルも悪いに決まっている。ホリエモンという刺客をぶつけられたし・・・・・という「思い込み」「決め付け」が根底にあるように思えてなりません(「認知療法」における「認知の歪み」)。

 そこで裏づけです。少し広い分野から関係のありそうな記事を、多角的に紹介します。

●(4)平成22年7月23日号、週刊ポスト「脳のトリセツ」(茂木健一郎)

 <「ストックホルム症候群」からの脱却>

 受験、就職を経て企業戦士へ・・・・・過剰適応する日本人は自ら進んで不条理な社会システムの「人質」になっていないか?

 日本人は、本当に我慢強い国民だと思う。
 子どもの頃から、受験勉強に駆り立てられる。大学の勉強が真っ盛りのうちに、就職活動が始まり、会社説明会や面接に追われる。卒業しても、休めるのは、せいぜい2週間くらい。4月1日からは、新入社員として、企業戦士となる。

 満員電車に乗って、毎日「痛勤」する。休みもなかなかとらない。長期バカンスなど、とんでもない。残業も当たり前。家には、眠りに帰るだけ。そうやって一生懸命働いても、なかなか生活が楽にならない。
 日本経済の失速が長期化して、さすがに、多くの人が今までのやり方ではマズイのではないかと感じ始めている。それでも、日本人はあくまでも従順。矛盾だらけの社会システムに、黙々と従っている。一体、どういうことだろう。

 大学の授業で、「君たち、三年生の十月から就職活動が始まる日本のシステムは、異常だと思わないか?これだけライフスタイルが多様化しているのに、新卒じゃないと、なかなか就職のチャンスがないのは馬鹿げていると思わないか?」と問いかけても、多くの学生はポカンとしている。どうやら、現在の日本のシステムが、太陽が東から昇って西に沈むように動かしがたい、宇宙の法則だとでも思っているかのようだ。

 日本人は、どうも、「過剰適応」なのではないかと思う。人間の脳の眼窩前頭皮質は、周囲の状況に応じて自分の働きを調整する機能を持つ。それはそれで良いことだが、行きすぎると問題だ。
 適応しすぎるがゆえに、膠着状態にはまり込む。なかなか変革が進まない日本の現状を見ていると、日本人は、一種の「ストックホルム症候群」に陥っているのではないかとさえ思えてくる。

 犯人に監禁された人質が、時間が経つにつれて、次第に犯人に同情したり、共感するようになる現象。もともと、1973年にスウェーデンのストックホルムで起きた銀行強盗の際に、人質たちの間にそのような傾向が見られたので注目されるようになった。
 人質になるということは、本来不条理なことである。犯人が自由を奪い、時には生命さえ危うくなる。強いられた条件に合わせる道理はないはず。それでも、その状況の中で何とか生き延びようとする中で、次第に犯人が「母親」のような存在に見えてくる。

 その要求がいかに理不尽であっても、それに自分の内面を合わせることが、生存する上で合理的である。そう思えば、人間は、いくらでも自分を偽ることができる。
 日本人一人ひとりのDNAの中に、社会のシステムに従順になるべしという情報が書かれているわけではない。その証拠に、アメリカで育った日系人は、アメリカ人のような振る舞いをする。私たち一人ひとりが、日本の社会に生まれ落ちると同時に、その「人質」になる。そして、もともとは必ずしも合理性のない考え方やシステムに、知らず知らずのうちに同化していくのである。

 自分たちの住んでいる社会の文化が、世界の大勢から見たら、いかに「奇妙」なものか、その中にいるとなかなかわからない。旅行、留学、仕事で外国に滞在して初めて、「人質」状態から解放される。その時になってようやく、自分が今まで一生懸命合わせてきたやり方が、決して唯一の方法ではないということを悟る。
 もちろん、日本社会の親たちは、人質事件の犯人たちのように悪意を持っているわけではない。無限の愛情を持って、一生懸命子どもたちを育もうとしている。それが結果としてかえって徒となり、不自由を強いているとしたら、悲劇的ではないか。

 なぜか履歴書に「穴」が開くことを異様に恐れる。日本人独特のメンタリティー。一方、イギリスでは、高校から大学、大学卒業後から就職までの間に、一年くらいボランティアをしたり、旅行をしたりして過ごす「ギャップ・イヤー」が一般的である。
 そのような話を聞いても、「ああ、それはいいですね」と言うだけ。企業の人たちは、相変わらず大学三年から学生たちに就職活動を強いて平気でいる。定められた窮屈なルートからいったん外れてしまった人には、チャンスを与えない。これでは、日本人全体が、自ら進んで人間の多様な可能性を摘む不条理な社会システムの「人質」になっていると思われても仕方がないだろう。

 もちろん、日本の社会にも良い点はたくさんある。日本人の生真面目さは、すぐれた「ものづくり」の基礎を築き上げてきた。しかし、それだけでは世界に張り巡らされた情報ネットワークの時代に対応できないことは、もう誰の目にも明らかだろう。
 私たちは、社会の仕組みを大きく変えるべき時を迎えている。「ストックホルム症候群」から脱却しなければならない。誰にも遠慮などする必要はない。私たちを人質にとっているのは、結局は私たち自身なのだから。

 <もぎけんいちろう・・・・・1962年生まれ。脳科学者。理学博士。ソニーコンピューターサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院連携教授。近著『脳をやる気にさせるたった1つの習慣』ほか著書多数>

●(5)心理学者は、「大脳のメカニズム」をもっと知る必要があり、脳科学者が「心理学(深層心理)」を学んで両者を「統合」できると、さらに日本人論が深まるのではないかと思います。昔、「学際」とよく言われましたが、この分野における「学際」はどうなっているのでしょうか?
自分の分野だけでは、穴倉に陥るクセがあります。
●(6)平成22年7月30日号、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曽野綾子)

 <鉄火丼の作り方>

 昔、私のうちに「うちの奥さん」と私が呼んでいたお手伝いさんがいた。私より少し年上で美人で上品でお料理がうまくて、どうしてうちのような粗雑な家に来てくれたのか、その経緯は今もよくわからない。この人は24、5年もうちにいて、ずっと仕事に追われていた私の家で主導権を握る、名実共に「うちの奥さん」であった。

 その人について忘れられない思い出がある。ある日、私は友達を昼御飯に呼んで、鉄火丼を出すことにした。三崎港に仲のいいお魚屋さんがいて、鉄火丼用のまぐろを送ってくださいと電話をかければ、確実に届けてくれるからであった。

 「うちの奥さん」はご飯を炊いただけで魚の到着を待っていた。しかし午前11時を過ぎてもマグロは着かない。私は不安を覚え出し、何なら急遽、親子丼に変えようかとうろうろしだしたが、彼女は「もうまいりますでしょう」と酢飯を作り始めてしまった。白いご飯にしておけば、5分で親子丼に切り変えられるのに、と私はいらいらしていた。

 すると11時半を少し過ぎた頃、マグロの宅急便は着いた。トロの柵は切ればすぐ丼ができる。
 私は「うちの奥さん」の宅急便に対する信頼の強さに打ちのめされた。私は中年から、東南アジアやアフリカと関わり始めたので、もうこの頃には、ものが時間までに確実に届くということをあまり信じなくなっていた。多分着くだろうけれど、もしかすると着かないこともあるのが人生だというふうに考えるようになっていたのだ。

 今から50年前のインドでは、郵便も着いたり着かなかったりだった。何という理由もなく着かない郵便もあるのだ。集配の局員がポストから本局の間に切手を盗む目的で手紙を取ってしまうこともある、という人もいた。だから郵便も着くとは限らない、と知ったのは既に24歳のときである。

 列車やバスが時間通り来るなどと信じる人も世界には非常に少ない。ブラジルには自国を賢く笑い物にするピアーダと呼ばれる小話があるが、こんな粋な話もできているのである。
 或る日、時間通りに駅に到着したブラジルの列車に感動した日本人が駅長に「いやあ、ブラジルの列車も最近は進歩したね。時間通りに来たじゃないか」と言うと、駅長はにこりともせず、「この列車は昨日来るはずの列車です」と言ったというピアーダもあるのだ。

 私はそのような世界に馴れ、日本のような比類ない正確さと誠実さを当然とする心情からは、日々刻々遠ざかっていたのである。
 こうした背景を長々と述べたのも、郵便事業株式会社が、7月1日付をもってペリカン便を継承し、ゆうパックとしてサービスを開始しようとしたところ、数日間、発送便の円滑な配達ができなかったことが大ニュースになったからだ。郵便事業側の発表によれば、半日から2日程度の遅れが出たのである。7月5日の段階で配送予定55万個のうち、約6万個が配達されなかった。親会社の日本郵政に対しては徹底してアクイを持ち続けた記事を載せている産経新聞が、私にとっては貴重な資料なのでよく切り抜いているのだが、7月1日のゆうパック営業開始から6日までの遅配は累計34万個を超えたという。「5日の引き受け分で新たに約2万4千個の配達が遅れたもようだ」とも書いていた。

 この問題は、私にはなかなか示唆的であった。何しろ日本の宅配便というのは、世界に冠たるもっとも先鋭的な事業なのだ。こんなに正確な配達システムを持つ国なんて世界になかなかないだろう。必ず魚が着くと信じて、酢飯を作って待っている国なんて、私は日本以外に聞いたことがない。

 さまざまな国で、日本式宅配サービスをやれば、まず何だか理由なくものが消える。誰に聞いても肩を竦めて「知らないよ」「私の責任じゃない」と言うばかり。強盗に取られる。途中で中身の一部が抜かれる。隣家に間違って届けると隣家が黙って使ってしまうような誤配。配達人が途中で品物をそっくり谷底に捨てる。全く違う地方になぜか一ヶ月も二ヶ月も品物がさまよう。問題の形はいくらでもあらるが、とにかく日本のように「安全に必ず届く。」の3条件を満たす国など、そうそうあるものではない、ということを日本人はもっと明確に知る必要はあるだろう。外国を理解するということは、こういうことをも認識することなのだから。

 私に言わせれば、半日や2日遅れたって文句を言うなという感じである。中を抜かれずに届いただけ、大したものだ。生ものは弁償します、というだけで良心的だと言いそうになるのである。
 日本は今、いろいろな国で宅配事業を手がけようとしているらしいが、進出した会社は、今後あらゆる困難に出会うだろう。

 新幹線が30秒遅れただけで、遅れを1回と計算するという話を外国人にすると、どうしてそういう正確さが必要なんだ、と笑う。人生は少しくらい狂って当たり前じゃないか。誕生日にプレゼントは届く方がいいに決まっているが、品物が当日に届かなくても、愛する人の心は届く。遅配で逆上するような人間の性格の方がむしろ困ったものだ。我々はどんな変化や困難に耐えるように、やや杜撰な環境を想定して心を鍛え続けていた方がいいというのが、私が世界の120数カ国から教えられた教訓だったのである。
 というと、私が最近日本郵政の社外取締役として働くことになったので、会社を庇っているという人もいそうだが、私はそんなひいきをする気持ちは毛頭ない。

 問題のすべてが近々収束すればいいのだが、このままずるずると「正確で早い」宅配が実現されないとなると「勤勉・正確・正直」を売り物にしのぎを削る日本独特の先端技術の一部の足を、ゆうパックが引き下げたと言われても仕方がない。この日本人の特技を崩すことは、日本の産業全般の根幹に予想外の大きな悪影響を及ぼすのである。反対にうまく収束すれば、この事件は利用者と会社と双方に実にいい教訓を与えたと言える。

 ゆうパックは前体制の赤字体質から抜け出すためにお中元の貨物が増える時期を狙って急遽出発した。私はかつて新しく建設されたダムに、いつから湛水(藤森注・「たんすい・ダムや水田に水をためること」広辞苑・電子辞書)を開始するのか聞いたことがある。「夏の台風などで一挙に水量が増える時ですか?」と聞くと、多くは早春からだという。つまり山から雪解けの水がじわじわと流れ始める時期を見計らって湛水を始める。すると新しく生まれたダムに、いきなり大きな水圧の負担をかけることにならず、むしろしなやかで強靭な安定を与えるのだという。その手の地味な知恵と配慮が、多分ゆうパックスタートの時期決定に際して足りなかったのである。

●(7)「小沢革命政権で日本を救え・国家の主人は官僚ではない」<副島隆彦X佐藤優>(日本文芸社)

 <「小沢潰しの突撃隊、決死隊」となった「産経新聞」(P105~106)

 佐藤優氏の発言・・・・・民主党政権はいつまで保つかということで、これまでこれほどマスコミと、国民の実態感覚が乖離したことはないと思います。マスコミはいったい誰の代表なのだ、ほんとうにずれてしまっているということが、今明らかになってきました。

 副島隆彦氏の発言・・・・・産経新聞の記者が言っていましたが、「産経新聞は論説委員のクラスに、小沢潰しの突撃隊、決死隊を抱えている」そうです。産経新聞の中に「小沢憎し」で記事を書いている人たちがたくさんいます。小沢を潰さなければ自分たちが潰されるという限界まで来ているのでしょう。発行部数の激減で、産経新聞が潰れる危機がついそこまで迫っています。

 「産経新聞」もそうですが、「朝日新聞」がもっとも性質(たち)が悪いと思います。「読売新聞」もヒドイものでした。「毎日新聞」は創価学会に依存しています。「朝日新聞」の船橋洋一主筆も悪質です。
 恐らく「朝日新聞」と「読売新聞」は、近年中に合併あるいは経営統合するでしょう。これに「日本経済新聞」までが加わる可能性があります。まさに恐ろしい言論統制体制への道です。船橋洋一主筆の師匠は山本正・日本国際交流センター理事長という人です。
 山本正氏が先ほどの『外交フォーラム』の発行人の粕谷一希氏たちの棟梁です。彼がデヴィッド・ロックフェラーの日本総代理人です。
 山本氏は「日米賢人会議」や「下田会議」を主宰してきた人です。デヴィッド・ロックフェラーの「日米欧三極委員会」(TC)の主要メンバーでもあり、ジャパン・ハンドラーズとしての彼らの意思はどうしようもなく強力です。

 佐藤優氏の発言・・・・・船橋さんや山本さんは確かに実力者ですね。外交のプレイヤーです。

<<藤森注・・・・・副島隆彦氏は、同書の中で、しばしば「マスコミ」を「マスゴミ」と呼んでいます。また、どう考えても「官房機密費」を受け取っていたであろうと推測されるマスコミの上層部(これだけ騒がれても調査しない姿勢)が、小沢問題を番組で取り上げる時、必ず、「検察審査会」が強制起訴するかもしれないことを取り上げさせているのではないかと推測されます(週刊ポストがこれだけ大キャンペーンをやっても、後追いしないマスコミは毒饅頭を食べているからであると判断するのが妥当だと思います。完全無視状態で、完全無視することそのものが、いかに蔓延しているかを証明しているように思えます)

 私は、声を大にして叫びたい。小沢問題が事実であるか否かではなく、もし、「検察審査会」の判断をそれほど重要視するならば、何故、検察の捜査の未熟さを言わないのか、そして、不正を探り出せないマスコミは、何故、反省しないのでしょうか?マスコミも検察庁も、捜査したりチェックすることに関しては、専門家集団、つまり「プロ」です。

 天下国家の重大事に、専門家集団が1年かけて強制捜査したが、立証できなかったし、匂いを嗅ぎ分けることに関しては「警察犬」並みの専門家であるマスコミが立証できないことを、抽選で選ばれた、全くの素人集団の「審査会メンバー」が、10回程度の審査で「強制起訴」するか否かということを大騒ぎするのは、「異常」以外の何物でもありません。私には「クレイジー」に思えます。

 むしろ、「強制起訴」になったら、検察庁不要論が起きるべきです。1年もかけて、50人とか100人レベルの専門家が必死に捜査したのに立証できないことを、何故、マスコミは大騒ぎをするかという「本質」を読むべきだと思います。検察というプロが強制捜査しても立証できなかった問題を、マスコミというセミプロ集団や、政治家集団や国民が、抽選で選ばれたわずか11名の素人が出す結論に、これだけ固唾を呑んで見守る姿は、ただ驚くばかりです。毒饅頭がからんでいると言わざるをえません。少なくても、公平な姿勢ではありません。

 小沢氏は、検察の捜査で(仮に真っ黒であっても)「無罪」になりました。さらには、「検察審査会」の審査で再捜査しても「無罪」になりました。もう2回も「無罪」になっているのに、素人の判断で3回目の捜査をされる可能性があるというだけで、何故、これほど疑いの目を向けて、世論を誘導しかねない報道を続けるのか?ここをじっくり考えるべきです。
 「強制起訴されたら」「強制起訴されたら」と連呼するマスコミの異常さを国民は見抜くべきです。「民意」「民意」というけれど、単に抽選で選ばれた素人が、膨大な資料を前にして、わずか10回程度の議論をして、何故、「起訴」すべきだなどと判断できるのでしょうか。単なる感情論で、まさに、「ウツ」になる国民性を如実に示しています。
状況を適切に判断せず、大マスコミの誘導にコロッとひっかかる人間性、これはつまり、
「自我の成熟性」が低く、物事を感情や、「お代官様」の命令に唯々諾々と従う国民性、ある部分、「ストックホルム症候群」に似ているものがあります。

 第一回の「検察審査会」の結論が、「11-0」で「起訴相当」になったことで、担当の弁護士が「法曹界」からかなり批判されたようです。本来は、第二回目の「審査会」の委員たちにも、第一回の補助弁護士が担当するそうですが、周囲から批判されて、担当を降りてしまったようです。11人の委員も全員交代し、補助弁護士も降りて、第5検察審査会はグチャグチャになっているようです(平成22年9月1日、日刊ゲンダイ)。

 一旦中止になりましたが、ジャーナリストの上杉隆氏に頑張ってもらって、今後もさらに「官房機密費」の追求をして、マスコミこそ「政権交代(?)」してほしいものです。
因みに、今回、初めて、上杉隆氏が、ニューヨーク・タイムズの取材記者をしていたことがわかりました。だからです、「官房機密費」のようなテーマに切り込め、そして、バランスのある取材ができるのは。日本を外から眺めたことのある人間でないと、日本のおかしさが見えないものです。上杉氏のバランスのある勇気のあるジャーナリストが、日本の大改革の礎になってほしいものです。

 結局、「『ストックホルム症候群』からの脱却」でも述べられているように、日本は、壊れる(自壊)まで変えることができないのかもしれません。完全に「ガラパゴス化」しています。これこそが「民族病」の源です。

 小沢氏が好きな言葉は【We must change to remain the same.変わらず残るためには、変わらなければならない。】小沢氏は本当に変わろうとしているのか、また、首相は、自分が生き残るために、官僚を取り込んで、変わらない道を選んでいるのかどうか、天下国家を本気で考えて、大胆な行動を取れるのは誰かという視点で論じてほしい。カネの問題はもうウンザリだ。国会議員を何十年もやっていれば、10億円くらいのカネは当然の範囲ではないのではないだろうか。マスコミ界の名が売れている人たちがこの視点で論ずる話を余り聞きません。
また、「官僚」とか「大マスコミ」のいうことにまともな疑問をもたない国民は、「ウツ」的民族だからだというのが私(藤森)の考えです。
次の記事をご覧ください。>

<<週刊ポスト、平成22年9月10日号、「官房機密費マスコミ汚染疑惑」も白日の下へ、大炎上!小沢官邸vs記者クラブ「最後の大決戦」の中で、ジャーナリストの上杉隆氏は「・・・ただし今回、小沢氏が対峙する相手は、菅首相ら現政権だけではない。むしろ本当の敵は、新聞・テレビの記者クラブが作る、日本の権力構造“官報複合体”なのだ。
 意外かもしれないが、それまで記者クラブメディアに独占されていた政党の記者会見を最初にオープンにした政治家は小沢氏だった。私がニューヨーク・タイムズ取材記者時代に参加した自由党の党首会見はオープンだったし、その前の新生党、新進党時代も原則としてオープンだった。
 しかし、既得権益を奪われた恰好の記者クラブには、これが気に食わない。新聞・テレビの小沢嫌いは、この頃からすでに始まっていた。
 そうして両者の因縁が顕在化したのが、09年の西松建設不正献金事件だった。ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏は、当時の報道をこう振り返った。
 『記者クラブによるほとんどの報道が検察のリーク情報に乗るだけで、検察の立場とは明確に一線を画し、なぜこの時期に検察は民主党代表の小沢氏をターゲットにしているのか、自民党の政治家は法律上問題のある献金を受けていないのか、といった視点から独自の取材、分析を行なうメディアはなかったように思います』(拙著【藤森注・上杉隆氏】「記者クラブ崩壊」)」>>

●(8)平成7年(1995年)10月30日、読売新聞「異見卓見」(轉法輪 奏・てんぽうりん すすむ・大阪商船三井船舶会長・・・1929年三重県生まれ。52年東大経済学部卒業、大阪商船入社。三井船舶と合併後、81年取締役。常務、専務、副社長を経て、89年社長。94年6月から会長。経済同友会副代表幹事)

 <21世紀型産業への転換>

 <日本式教育では後れを取る>

 <独創性・孤独思考・英語力・・・課題多い>

 所得水準が世界有数となった日本は、これまで得意としてきた「物造り」産業から、情報通信、バイオケミカル、環境、省資源などの21世紀型ハイテク産業への転換の必要が認識されている。これらの世界では、日本の得意だった集団的コンセンサスに基づく「漸進」「改善」方式でなく、むしろ個人の優れた個性と自由な発想、思考の許容度を大きくすることが成功の土壌になると言われている。

 これに対して日本の教育は画一的、記憶優位型で、対極的なアメリカの「パーミッシブ(自由裁量余地の多い、許容度の大きい)教育」が個人才能の自由な開花を追求するのに比べるとそん色が明らかである。
 さらに、社内での情報交換が、これまでの会議から電子メール、ファックスなどによるものに変わりつつある今日、経営方針や戦略思想の従業員への浸透をどうやって可能とさせるか?従業員が自己完結型行動でフライパン上のいりゴマのように動きまわる中では、今後、集団行動を前提とする「改善」「漸進」方式は難しくもなる。

 心配はもっとある。インターネットの時代になると、付加価値のついた有用な情報は世界中、英語によるコミュニケーションになるが、日本はスムーズに参画できるか?英語を日常的にこなす東南アジアにも後れを取る恐れすらある。
 今年1月、ダボス(スイス)の「世界経済フォーラム」に出て、東南アジア、台湾、韓国の青年までもが欧米人と共に分科会のパネリストとしてかっ達に活動している姿を多く目にして、これからの日本企業がアジアの中でも後塵を拝するやも知れぬ可能性におびえた。

 これらの国では自国の有名大学の受験倍率が20~30倍であり、このほかには日本のように数多くの大学がないから、多くの子女は中学・高校の時から外に出て、欧米の大学に進む。中・高生で海外に出れば英語が格段に上達するばかりか、思考回路までが欧米通用型に育つ。
 ダボスから戻って会社の役員会で「来年から外国の大学を卒業したのを採用してくれ」と要求した。上からの画一的教育のもとでプロトタイプに育った一般的な日本の学卒者ばかりでは21世紀への企業の変革はおぼつかない。平均的日本人と思考回路の違う人間、孤独思考タイプの人間、そして英語を日本語と同様にこなす人間を採ってまぜないと、明日の企業は伸びないと危惧したからである。

 最後に、あるコンサルタントからお聞きした話を無断転載させていただく。その人の中学在学のご子息が自分で発意してアメリカに渡り、向こうの学校に入られた。最初、英語の習得から始めたが、3ヶ月で3枚の論文を書きあげるまでになったことに驚かれ、その教育方法をきいてみたら、英語の誤りを全然正さない、文法などお構いなしにただ思考をどんどん展開させることを教え続ける教育の結果とわかった由である。

 さらに、ご子息は神経が太く、日本語で言うズボラの典型と親が自認していたが、その子へのアメリカ人教師の評価は「この子は何でもマジメに完全を期してやりすぎる。これでは疲れるばかりでなく大きな物事が見えなくなる」と言われた由。

 とすれば、偏差値記憶教育の外に出ることを許されずに育った一般の日本の学生はどういうことになるのか?今までのモノ造りに有用だった教育と21世紀型産業に必要な教育の違いがこれほど鮮明に描かれた話も少ないと思う。
 来世紀の産業国家にむけて日本が転換を遂げるためには、教育から企業活動まで、根本的に考え直すことが求められる時代が来ているように見える。

●(9)感想はいかがでしょうか?もう立証されましたね。「ウツ」が日本の民族病だということが。
 上記の(7)・・・・・「小沢革命政権で日本を救え・国家の主人は官僚ではない」は、このことと無関係のように思われますが、このようなマスコミの存在を許すだけでなく、このようなマスコミに「誘導」される国民性こそが、「ウツ」を育んでいると言っても過言ではないでしょう。
昔の「お代官様」に唯々諾々と従っているような国民性だからこそ、「ウツ」になるのです。私(藤森)が「民族病」だと言う理由がそこにあります。
そして、だからこそ、
壊れる(自壊)まで「変革」が期待できにくい国民性なのです。今までは、それは、日本が強くなる資質でしたが、世はまさに「グローバリゼーション」が言われています。そういう中で、このような姿勢を保っていて、天下の大企業の経営者や、大政治家(エリート)、大官僚、大学者、大マスコミ等々が「変革」できないのですから、日本は「ガラパゴス化」が顕著になってきています。せめて、<<<決して、小沢シンパではない東大名誉教授の西尾勝氏が「強い信念を持って政治改革を断行する意思を持つ政治家は小沢氏ぐらいしか見当たらない」(日刊ゲンダイ、平成22年8月20日)【「今月の言葉」第97回「脚本分析補足③」の中の(12)】>>>

 「壊し屋」こそ、今、必要です。壊れないから「変革」が出来ないのです。同じ壊れるならば、早く壊れたほうが、「再生」の可能性が高いはずです。この鬱々とした「閉塞感」、何とかして欲しいものです。「10億円」や「検察審査会」の正義感ブルのももういい加減にして欲しい。「天下国家」を論じてほしい。
 松下幸之助さんは、授業料を「ただ」にしただけでなく、十分な給料まで支払い、天下の「春秋に富む」人材を集めて何年も指導した・・・・・大変クリーンでハンサムで学校秀才・・・・・松下政経塾出身者の器が小さく、命を懸けて天下国家を論ずる器量の無さは、大変無礼かつ僭越を伏してお詫びを申し上げますが、松下幸之助さんの「影」が「投影」されたのではないでしょうか???

 ある著名な専門家が、私(藤森)にそっとおっしゃいました。松下政経塾出身のある有力な政治家は「アスペルガー症候群」。私も同様に思えます。

 あるインターネットの書き込み(8月28日)にありました(あくまでも書き込みです)。大新聞の世論調査は、圧倒的に「菅総理」が優勢ですが、スポニチ公式サイト「スポニチ・アネックス」による緊急アンケート調査によると、
 菅氏よりも小沢氏が総理に・・・・・80%
 出馬したほうがいい・・・・・・・・・・・82%

●(10)平成22年7月27日、日刊ゲンダイ「流されゆく日々」(五木寛之)

 <下山時代の生きかた①>

 きょうは慈恵医大へいってきた。「日本外来精神医療学会」での公開講演のためである。
 事前に立派なパンフレットが手もとに届いていた。2日間にわたって、さまざまなプログラムが用意されている。
 精神医療の第一線で活躍されている医師、研究者の熱気が感じられる内容ばかりだ。
 そのなかに、こんな記述もあって、さまざまな感想をおぼえさせられた。その一部を紹介すると、次のような要約が見られた。

 <うつ病は、日本人にとって健康損失の最大の原因であり、死亡ならびに健康損失の2番目に大きな原因であり、さらに今後20年間その損失は増加傾向にあると推定されている。(WHO)>

 なるほどと納得いく言葉である。それに続いて、<うつ病は日本においてもっとも頻度の高い精神疾患であり、女性では12人に1人(8.5%)、男性では30人に1人(3.5%)が一度はうつ病に罹患すると推定されている。>と述べられている。これはランチョンセミナーでの報告の要旨なので、実際にはもっと細密な説明が行なわれたにちがいない。講師の古川先生のお話を伺うことはできなかったが、現在、精神医療が医学の中心的な分野となってきているのも当然のことだろう。

 そのパンフレットには、また、こんな記述もあった。
 <(前略)日本では、SSRIが登場する1999年までに抗うつ剤の市場規模150億円程度で推移していたが、SSRIの発売後に20%以上の伸び率で急成長した。2002年に500億円、2006年には1000億円を越え、10年間で約8倍に市場が拡大したことになる。患者数ベースでも、10年間で約3倍に伸びている(後略)>
 いまや、うつ病は国民病といっていいのかもしれない。

 しかし、気になるところもある。
 抗うつ剤の8倍の伸びに対して、患者数が3倍の伸びということは、患者あたりの投薬量がいちじるしく伸びたということだ。2006年までで約8倍の伸びなら、いま2010年では10倍になっているかもしれない。

 がんの死者は、以前にもまして多い。これだけ早期発見・早期治療が叫ばれ、検診がすすんでいる中でのがんの現状は、納得いかないところが、ままある。しかし、うつ病とその対策について、深く考えさせられるところの多い一日だった。
 (この項つづく)・・・・・協力・文芸企画

<<藤森注・・・・・作家の眼力は、さすがですね。曽野先生にしても、五木氏にしても、大家は、直観(感)力こそが命なのでしょうね。政治家も、日本丸をどちらの方向へ導いたら良いのか、政治生命をかけ、直感を働かせて、運転してほしいものです。

 しかし、「日本外来精神医療学会」が、いまだに「ウツ」のメカニズムがなんだかわからず、研究ばかりしていることに、ただ、驚くばかりです。
また、平成22年8月25日、夕刊フジによると、
「東大などの研究チームが偏頭痛の原因遺伝子を発見」とありますが、あまりにもアホらしく、ただ、驚くばかりの幼稚さです。せめて「作家」くらいの直感を働かせたらどうですか??!!今や、「偏頭痛」や「腰痛」は難病になっています!!!!!

 さて、次の井沢元彦氏の「寄稿」をどのようにご覧になりすますか。今回のテーマには直接関係有りませんが、国家やマスコミは、次の「緊急寄稿」こそ、真剣に論ずるべきで、日本郵政が「ゆうパック」を遅配したとか、小沢氏の「10億円」問題が天下の大問題のように論ずるよりも、こういう問題を真剣に論ずるべきだと思いますが、重大問題として論じないところが、日本がいかに「ガラパゴス化」しているかを証明しています。何故、天下のマスコミ人はこういう問題を論じないのでしょうか?毒饅頭???>

●(11)平成22年7月2日号、週刊ポスト「井沢元彦(作家)が緊急寄稿」

 <拝啓 岡田外務大臣 なぜあなたは「海外初・建設費37億円の自衛隊基地」「活動拠点」と言い換えるのですか

 海外メディアでは盛んに報じられているのに、なぜか日本の新聞では一切報じられない不思議・・・いま、「日本が初の海外軍事基地を新設」との報道が、フランスのAFP通信を皮切りに、ロシア、シンガポール、カナダなど各国のメディアで取り上げられている。ところが、日本の新聞は何ごともなかったように無視しているのだ。いったい何故か。かねてより自衛隊をめぐる日本の言論状況に異議を唱えてきた作家・井沢元彦氏の緊急寄稿。

 <基地ではありません>

 「海上自衛隊がソマリア海賊対応のためジブチに『基地』を建設中」という報道が海外メディアで出されていることを知ったのは、知人からのメールによるものだった。
 それを見た時、私は実に目を疑った。そんなニュースはテレビでも新聞でも報じていなかったからだ。初めはそれを見落としたのかと思い、パソコンで様々な検索をかけてみたが、いわゆる大手マスコミはその時点(5月28日)で、どこも報道していなかった(その後6月17日時点までも報道なし)。海外メディア(AFP通信)のサイトではその1ヶ月近く前から大々的に報道しており、日本版にもそれが載せられているにもかかわらず、である。

 さらに調べてみると、岡田外務大臣が5月11日の会見で、フリーランスの岩上安身記者の「これは基地ではないか」という質問に対し、次のように答えていることを知った。
 「今、海賊対策で船だけではなくて、飛行機も出している訳です。その飛行機を整備するというか、そういうことが必要になります。そういうスペースを確保したということです。それを基地と言うかどうかは別にしてということです」「各国それぞれ飛行機を持っていますから、そういったスペースを確保しているということです。(中略)船を出している、それを上から海賊船を見るために出している飛行機ですので、お考えのような基地というものではありません」(外務大臣会見記録より抜粋)

 つまり、「基地」じゃなくて「スペース」だということらしい(笑い)。そして、当然この会見に同席していた大マスコミに所属する外務省記者クラブの面々も「ああスペースなんだ、基地じゃないや、じゃニュースにしなくてもいいな」と「判断」したということのようだ。
 「おい、おい、まだ、そんなことをやっているのか」と私は思った。
 岡田外相は民主党政権の中で記者会見を記者クラブ員以外にも開放している数少ない一人である。その点は高く評価したいのだが、この答弁はいただけない。

 <「全滅」を「玉砕」と美化>

  日本人の心の奥には「言霊(ことだま)」に対する信仰がある。これは私が本誌連載の「逆説の日本史」の中でも繰り返し指摘していることだが、要するに「言葉と実体を一致させてしまう」ということだ。逆に言えば「一致させたくない時は、言葉の方を換えればよい」ということにもなる。

 だから戦前の軍部は「日中戦争」と言うべきものを「支那事変」と呼び「戦争をしているわけではない」と主張した。挙句の果て、「全滅」を「玉砕」と美化し、「退却」は「転進」とごまかし、「敗戦」も「終戦」とした。ところが、こういう「言い換え」をして現実を直視しない「言霊信仰」が日本を滅ぼしたという反省は、戦後の日本にまったく生かされていない。

 現実に国民を侵略やテロや海賊行為から守るためには、国家に軍隊というものは不可欠だ。それは人類の常識といっていい。
 ところが戦後日本は日本国憲法第9条によって「軍隊は持たない」と規定してしまったものだから、「軍隊は必要、しかし憲法上は持てない」というジレンマを解決するために「言い換え」という最も安直な、そして戦前の歴史を考えれば危険な方向に走った。

 誰がどう見ても「軍隊」でしかないものを「自衛隊」と呼んだ。この公式英訳は「Japan Self-Defense Force」だが、それをもう一度日本語に戻せば「日本国防軍」となる。その「自衛隊」には創立当時「戦車は有ったが無かった」・・・・・何をバカなことを言っているのかと思うだろうが、「バカ」は私ではない。世界中どこの国でも「戦車」と呼んでいるものを、日本人の中に「戦争放棄したのに戦車を持つとは何事だ!」と叫ぶ人々がいたので、仕方なく「特車(特殊車両)」と呼んでいたのである。

 こういう人々は陸上自衛隊に化学防護部隊があるのを「日本は平和国家だ。毒ガス戦の研究をする部隊など必要ない。廃止しろ」と叫んでいた。これも人類の常識だが、普段からそういうことを研究し対処できるように訓練しておかねば、いざという時に国民を救えないのである。地下鉄サリン事件が起こった時、このことは(当たり前のことだが)実証された。すると、それまで声高に叫んでいた廃止論者は一斉に口をつぐんだ。「ごまかし」は今もある。

 誰が見ても「軍艦」と呼ぶべきものを「護衛艦」と言ったり、普通の国では「歩兵連隊」と呼ぶものを「普通科連隊」と呼んだり、挙句の果ては「基地」ではない「スペース」と来た。一体何をやっているのか。
 やるべきことは「言い換え」ではなくて、憲法の方をきちんと改正することのはずである。

 <護憲は「言霊」のせい>

 現行憲法では国民を守りソマリアなどで世界の平和に貢献することが難しいなら、憲法をその目的に沿うよう改正するのが法治国家として一番正しい道だろう。
 なぜ憲法9条が変えられないかといえば、実はこれも「言霊信仰」のせいである。「現実が言葉の霊力によってコントロールできる」というのが言霊信仰のもう一つの側面だからだ。たとえば憲法絶対擁護論者は「戦後の日本の平和は『平和憲法』によって守られてきた」と主張する。

 では、たとえば或る銀行の頭取が「戦後65年間、我が行はただの一度も強盗に入られず平和でした」と言い、その理由を「それは我が行には物事を絶対に暴力で解決しないという行内の規則があり、行員全員がそれを固く守っていたからです」と説明すれば、誰でもこの頭取は「頭がおかしい」と思うだろう。外からやってくる強盗には行内の規則を守る義務はないからだ。
同じことである。

 日本人がいかに「国際紛争を戦争で解決しない」と「決意」しても、その「決意」でたとえば金正日をしばることはできない。そんなの中学生にもわかる理屈ではないか。それを信じているから「言霊信仰」なのである。

 こうした言霊信仰には強烈な「副作用」がある。「憲法真理教信者」にとって最も困ることは、日本の脅威となりうる外国が存在すると認めることだ。認めれば当然憲法の欠陥があらわになるからである。だから、護憲勢力の筆頭である社民党は、拉致被害者の家族の「娘や息子を返して」という血の叫びを無視して、「拉致疑惑事件は韓国安企部(国家安全企画部=当時の名称)の脚本、産経の脚色によるデッチ上げ」という論文を、金正日が「犯行」を認めた後も党のホームページに載せ続けた(現在は削除)。「北朝鮮が良い国」でなければ困るからだ。

 また、85年3月17日、イラクの独裁者サダム・フセインが「イラン上空の飛行機をすべて撃墜する」と宣言した時、日本は憲法上軍用機を飛ばすことができなかったので、多くの日本人が現地に取り残された。この窮状を救ってくれたのはトルコであった。トルコは自国民の生命を危険にさらしてまで航空機を派遣し日本人を助けてくれた。それはトルコが、1890(明治23)年、日本人が日本近海で遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の乗員を命懸けで救助した恩義を感じていたからだ。

 ところが護憲派マスコミの筆頭である朝日新聞はこの行為を「経済協力関係」によるものだ、と書いた。要するに「金欲しさの行為」だとおとしめたのである。あまりのことに怒った当時のトルコ駐日大使ヌルベル・ヌレッシ氏は朝日新聞に投書し「深い悲しみを覚える」と抗議した。

 <欠陥憲法は改正を>

 これも、「軍隊の有用性」に結びつくような「美事」は、全部おとしめるべきだという考え方があるからだ。つまりこれも言霊信仰の強烈な、そして不幸な副作用なのである。
 こういう人々は憲法改正を唱える人間をまるで「平和の敵」や「戦争屋」のように口汚くののしり、「ダメなものはダメ」と言う。また、軍隊の必要性を認めたくないあまりに「警察や海上保安庁で充分に対処できる」と言う。

 確かに、対処できるものもあるだろう。しかし、85年のイランで起こったような事態には本来は軍隊でなければ対応できない。
 「軍事基地」と認めた場合、中韓の反発を気にする向きもあろうが、ソマリア沖の軍事行動は国連が認めたものだ。大義名分はちゃんとある。

 国家とは何のためにあるか?国民の生命と財産を守るためにある。そして、そのための有力な手段の一つが軍隊の保持である。侵略は絶対に許さないと言うなら、そのことを明記した上で軍隊を持てばいい。いや、真に国民を守るためにはそれが必要だ。しかし、憲法がそれを否定しているなら、それは欠陥憲法である。憲法とはあくまで国民を守る「道具」であるべきだ。それを完全に守ったら国民の安全が脅かされるようではまさに本末転倒だ。
 とにかく「憲法改正論者=平和の敵」などという決め付けま間違っている。民主党は憲法改正についておよび腰のようだが、もう一度言う「欠陥憲法は改正すべきだ」。「裸の王様は誰が見ても裸なのである」・・・・・。

<<藤森注・・・・・政治家やマスコミは、こういう重大事こそ、さらに議論をすべきではないでしょうか?郵政のチマチマした問題を、さも天下の重大事のように騒ぎ立てる根性の小ささ。しかも、「トルコが、1890(明治23)年、日本人が日本近海で遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の乗員を命懸けで救助した恩義を感じて救助してくれたことを、エコノミックアニマルと言われた日本人の根性で外交を議論する情けなさ。他人の好意を無にする馬鹿げた話。

 検察の「垂れ流し報道」や「記者クラブ制度」に乗っかり、自らの足で稼いだ報道がなされていません。大マスコミが揃ってステレオタイプの報道を垂れ流すだけでは、他人の好意も、お金目当てにしか思えないのでしょう。これこそ「国辱もの」ではありませんか。こういうマスコミ報道に惑わされるアホらしさに、ソロソロ国民は気づくべきだと思いますがいかがでしょうか?

 「記者クラブ制度」は、アフリカのかの有名な「ジンバブエ」と「日本」だけだそうです。日本がいかに遅れている国か、その遅れている大マスコミの報道に左右されている国民!!!>

●(12)平成22年7月27日、夕刊フジ「チラシ代1億円、人件費4億円以上」

 <ゆうパック「おわび行脚」のKYぶり>

 34万個もの荷物の遅延で大混乱を招いた「ゆうパック」について、郵便事業会社の社員約6万人が今月22日から国内の全5000万世帯を対象に「おわび行脚」を行なったが、これに社内外から大きな批判が出ている。おわびに配るチラシ代は億単位で、社員たちの残業手当ても膨大。大量のチラシも、ただゴミになるだけとあって、批判はごもっとも。上層部の役人出身者たちは相変わらずKYな仕事ぶりのようだ。

<<この度のゆうパックの遅れにつきましては、お客さまに大変ご迷惑をおかけしました。今後ともお客さまの信頼回復に向け、社を挙げて取り組んでまいります>>
 配達員は、このようなおわびが記されたはがき大のチラシを、4日間以内に担当エリアの全戸に配っている。可能な限り直接手渡したうえで、あとはひたすら頭を下げ続けるが、本音はこうだ。
 「今回のような『全戸配達』は、通常配達の2倍近く時間がかかり、1日2時間の超過勤務でも、アルバイト時給で換算すれば最低4億円近い人件費が発生します。チラシ代も、1枚2円として1億円はかかっており、それらはほぼすべてゴミになる。もっと有効な謝罪方法を考えるべきですよ。現場の幹部もあきれています」(茨城県内の配達員)

 さらに現場の社員を冷ややかにさせているのは、今回のおわび行脚が総務省の意向で『地デジ対応』の声かけとの“セット”になったことだ。
 郵便事業会社を所管する総務省は今月20日、地上デジタル放送への対応に向けた声かけ運動の実施を発表。実務を同社に委託したため、結果として多くの配達員は謝罪チラシを渡して平身低頭おわびした後、今度は<<でんわ急げ!デジサポへ>>と書かれた名刺大のカードを手渡し、周知を行なうハメになったのだ。

 <ついでに地デジ周知する役人的発想>

 役人の考えでは「効率的」なのだろうが、「謝罪」のあとに「注意」するという方法が反発を招くのは必至。国際パフォーマンス学会の佐藤綾子代表も、「まさに時間と金のムダ」と切り捨てる。
佐藤さんによると、組織の失態のプロセスは①分離(失敗の現実)②危機(顧客の苦情)③繕い直し(謝罪)④再統合(顧客の再評価)・・・の順になるという。「その中で最も重要な繕い直しのプロセスで謝罪に徹せず、“ついで”の用件も済ますことなどあり得ない。顧客本位のがない役人ならではの考えで、『どうせ行くなら一度に済ませてこい』ということでしょう。しわ寄せはすべて郵便事業会社の社員が被ることになります」

 可能なら暑中見舞い用はがきの「かもめーる」も売り込むよう指示された社員も一部にいるというから手に負えない。現場の社員たちには同情の念を禁じ得ない。
 「現状のままでは、お中元以上に荷物が増える年末期に再び『ゆうパック』がパンクするのは確実です。局内では、年賀状ラックと荷物置き場のスペース配分の問題も懸念されている。チラシを配るよりシステムやターミナルを増強するほうが、よほど顧客のためですよ」(前出の配達員)
 これらの批判について、郵便事業会社は「回答を差し控えさせていただきます」(広報)とコメントするのにだった。

●(13)平成22年8月11日、読売新聞「現場の懸念伝わらず」

 <ゆうパック遅配 業務改善命令 情報伝達の改善課題

 ゆうパックの遅配問題で総務省から業務改善命令を受けた郵便事業会社は、現場の声が上層部に伝わっていなかったとして、情報伝達ルートの再検討が求められた。人員配置の計画見直しやターミナル支店の施設改善などに加え、十分な意思疎通を図れる体制を構築できるかどうかが大きな課題となる。

 郵便事業会社は、ペリカン便との業務統合に向けて、各支店に進捗状況などの報告を求め、その結果、鍋倉真一社長が6月、総務省に対して「(中元期の)7月1日の統合は問題ない」と報告していた。

 支店は「要員は予定の人数が集まったか」「予定の研修は行なったか」など120項目について、「◎○△X」の4段階で報告するよう求められていた。しかし、判断基準は示されず、すべて◎が付いた支店で大きな混乱を招いた例もあるなど、やり方に問題があった。
 また、一部の支店からは統合に向けて、荷物を仕分ける時間が短いことや、冷凍施設が狭いことなどを懸念する声もあったが、本社内で「大丈夫だろう」と判断し、経営陣まで報告が上がっていなかった。

 郵便事業会社は、支社の機能強化で各支店の状況をきめ細かく把握する体制を整備する方針だが、信頼回復と再発防止を図るためには、現場主義の徹底を急ぐ必要がある。
(川嶋路大)

<文責:藤森弘司>

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