2010年7月31日 第29回「トピックス」

小沢事件に思う

●(1)小沢前幹事長は、多くの国会議員や国民によほど嫌われているようですね。

 好き嫌いは本人の自由ですから、当然、それは全く問題ありません。ただし、私が何故、ここで、政治的問題である「検察審査会」や「小沢事件」を取り上げるかと言いますと、あまりにも偏向報道がすぎるからです。心理学で言う「認知の歪み」があまりにもひどいからです。

 心理学でいう「認知の歪み」というと、何か特殊な問題のように思えますが、「認知の歪み」を学んでから日常生活を見渡してみますと、「認知の歪み」は、一般的にいうならば「思い込み」や「誤解」とほぼ同義語で、その「認知の歪み(誤解)」が満ち溢れているのに驚いています。

 しかし、「認知の歪み(誤解)」を的確に説明するのに、多くの方が共通して分かっている問題を取り上げるほうが理解しやすいために、小沢氏の問題を取り上げています。メディアで報道されている情報をもとにして、「認知の歪み(誤解)」がいかにひどいかを証明するために、私(藤森)自身が誤解を受けるかもしれませんが、敢えて、小沢氏問題を紹介しています。

 私たちは、「人物」や「物事」の良し悪しを判断するとき、「冷静客観的」「理性的」に判断せず、多くの場合、「好き嫌い」で判断しているようです。多分、特に日本人にその傾向が強いように思えます。好きだと思うと、良いところばかりが見えて(良いところばかりを見て)、嫌いだと思うと、悪いところばかりを見てしまう傾向が強くあります。

 小沢氏は、良くも悪くも、多分、国会議員として、突出しているのだと思います。それゆえ、袋叩きの対象になりやすいのだと思います。日本人は「目立つ人間」は叩かれる傾向にあります。帰国子女がイジメにあうのも、多分、それが原因だと思います。

 さて、下記の報道をご覧ください。
 小沢氏を悪く言えば、なんでもオーケーと言わんばかりのメディアでさえ、そうではないことを巧みに報道しています。小沢氏は、とにかく、言い訳をしないのですね。私(藤森)にはとても真似のできない凄い資質だと思います。言い訳をしないので、誤解も受けやすいし、怖さもあるのでしょうが、国会議員としては、抜群の資質だと思いますが、いかがでしょうか?

 むしろ、今の国会議員は、ツィッターとかなんとかも含めて、ベラベラ喋りすぎではないでしょうか?その典型例が「菅首相」です。なんの計画も無く、鬼門だと言われている「消費税」をアップする、それも、自民党の10%を参考にすると言えば、近いうちに10%をアップすると思われるのは当然のことです。

 しかも、アップする代わりに、生活困窮者には、消費税分を還付するという。それも「200万円」だとか、「300万円」「400万円」などと、演説するたびに、コロコロ変わる。こんな重要なことは、ジックリ検討して、揺ぎ無い信念で表明してくれなければ困ります。「400万円以下」が対象だと、半分近くの人が還付を受けることになってしまうそうで、それでは、何のための消費税アップかということになってしまいます。

 政治家の言葉があまりにも軽すぎます。

 下記の(2)は、鳩山前首相が、辞めたくない小沢氏を道ずれにしたと、一般に報道されていますが、読売新聞が、実はその逆であることを示唆する報道をしています。
 下記の(3)も同様です。一般に昨年の末、予算を組む大事な時期に、小沢前幹事長が部下を引き連れて、政府にごり押ししたかのように報じられていますが、前財務大臣の藤井裕久氏が、貴重な証言をしています。

 そして、下記の(4)は、聞いてビックリの大ニュースです。中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席訪日で、小沢氏が天皇陛下との会見をごり押ししたように受け止められていますが、それは全くの「誤解(認知の歪み)」でした。
 当時、小沢氏は、140人の国会議員たちを引き連れて中国を訪れ、しかも、ごり押しの会見をセットしたと非難ゴウゴウでしたが、それが全くの誤解だったとは、ビックリ仰天です。

●(2)平成22年7月18日、読売新聞「政・まつりなび」(政治部次長・伊藤俊行)

 <もう首相でないけれど>  <略>事実を正しく記録する営みは大事だ。辞任して1ヶ月余の鳩山前首相が、まだ生々しい在任中の出来事をあちこちで語っているのも、そうした動機であるなら歓迎だ。
でも何か引っかかる。
 例えば、民主党幹事長だった小沢一郎氏を道連れに辞めたという「物語」には、「主客が転倒している」といった異見を聞く。小沢氏もこの点、多くを語っていない。

 <略>

●(3)平成22年6月25日、夕刊フジ「鈴木棟一の風雲永田町」4009

 <藤井裕久氏、血色よく復帰>  1月初めに財務省を辞任し、高血圧のため入院・自宅療養を繰り返していた民主党の藤井裕久代議士が、国会の議員会館に姿を見せた。20日にはテレビ番組にも登場し、選挙応援も予定している。
 「血色がいいではないですか」
 と水を向けると、洒脱な答え。
 「顔色いいだろう。酒も飲んでいるし」では、どうして年初、予算委員会の前に辞めたのか。
 「血圧が乱高下した。医者から『心臓と脳にくる可能性あり』と言われた。それに去年の9月に就任したときから『予算だけつくればよい』と思っていた」
 それはどうして。
 「16年前に大蔵大臣をやった。つらい仕事だと分かっていた。予算を年内編成して辞めるつもりだった。予算委の審議に入ってからでは辞められない」

 まず、誰に言ったのか。
 「12月25日に編成できるメドがついたので、23日に平野官房長官『辞めたい』と言った。しかし『それは困ります。総理に、このことは言えません』とのことだった」
 次の場面は。
 「1月初め、医師の診断書をつけて辞表を首相のところへ持っていかせた。1月5日の閣議のあと、鳩山、平野と話した」

 どう言ったのか。
 「私がお世話になった鳩山威一郎さんは75歳で亡くなった。一郎元首相は76歳だった。ボクはいま77歳なんだよ、と」
 相手の2人の反応は。
 「平野は『辞められたら内閣はつぶれます』と強い反対だった。鳩山が逆に『これは病気だからしょうがないじゃないか』と認めた」

 <小鳩辞任は適切だった>

 小沢氏とのトラブル説があった。
 「暫定税率で幹事長が官邸に乗り込んだ。実はあの落としどころは、菅国家戦略相と2人で合意していた。情報が漏れ、同じことを幹事長がドラマティックに言った。あのあと、私は『天の助けだよ』と言った」

 小鳩2人が辞めた。
 「私は3月に『2人とも5月には辞める』と言っていた。2人の辞任は党にとって適切な判断だった」
 菅首相になった。
 「自然の流れだと思う。これ以外の人になることはありえなかった」(政治評論家)

●(4)<中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席訪日と天皇会見問題の真相>

 <羽毛田(はけた)信吾宮内庁長官の発言のほうが天皇の政治利用>

 佐藤優(作家、元外務省主任分析官)氏の発言・・・・・去年(2009年)12月12日に、羽毛田信吾宮内庁長官が「習近平(シー・チンピン)国家副主席訪日と天皇会見」に関する問題発言をしました。これはいくつかの重要なポイントを含んでいます。

 中国政府は、1998年に訪日した胡錦濤(フー・チンタオ)国家副主席(現国家主席)が天皇と会見したことから、昨年、2009年12月16日の習近平(シー・チンピン)国家副主席の訪日でも、同様の天皇会見を要求していました。中国政府は、もっと早く会見申請をするべきでしたが、ほんの1ヶ月前に申請してきた。

 そこで羽毛田長官は、習近平国家副主席と天皇との会見申請を一度は断りました。「陛下の外国との親善は、純粋なものとして成り立ってきた。そのなさりようを守るのが自分の立場。物を言うのは当然のこと」というのが羽毛田長官の弁明です。

 しかし、これは羽毛田長官の発言が間違っていると私は考えます。本当に、国のための大きな外交というものは、1ヶ月以内の、結構、直近になって起きるものです。そういうときに、国益の観点から、天皇陛下と会見させるということは、やはり外交で大きな意味があります。それをやらないというルールをいったい誰がつくったのでしょうか?宮内庁の官僚がつくったルールです。

 この羽毛田長官が「1ヶ月ルール」を破って、天皇を習近平国家副主席に会わせるのはおかしいと、もし本当に職業的良心に照らして思うのでしたら、中国側からの会見の要請を天皇陛下に伝えなければよかったのです。

 「官房長官、外務大臣に、私は伝えません。これは1ヶ月以内の話でしたので。それが国益にかなおうとかなうまいと、私は陛下をお守りする立場から、伝えません」と言えば済んだのです。そして内閣の方針に従うのが嫌ならば、黙って退任すればよいのです。

 副島隆彦(評論家、副島国家戦略研究所主宰)氏の発言・・・・・習近平国家副主席(57歳)は2年後の2012年秋に、次の国家主席(大統領)になることがもう確定しています。かつ共産党総書記にもなります。私は、習近平自身は悪賢くて愚かな人物だと判定しています。もう一人のナンバー2である、北京大学のエリートの李克強(リー・コーチャン)国務院常務副総理のほうが優れている。

 しかし習近平でないと中国体制は治まらないのでしょう。そのことは胡錦濤国家主席もオバマ大統領もわかっています。そのため中国の次の国家主席になる人なのだから日本の天皇と面会しなければならないのです。だからあの羽毛田という男の「天皇の体を自分が自由に動かせる」という思い上がった態度は許せないと、私も思います。

 佐藤優氏の発言・・・・・そのとおりです。天皇陛下との関係について考えた場合、楠正成や北畠親房とか、南朝で天皇の周辺にいた忠臣がどういうふうにして天皇を守ったかというのと比較してみると羽毛田長官の問題がよくわかります。

 彼ら南朝の忠臣は、自分を盾にして天皇を守りました。国体論においては天皇に国体が体現されています。現行憲法ですと、天皇は「日本国と国民統合の象徴」という形で表現されています。
 記者会見で、経緯説明という形で行なうことによって天皇陛下を政治に巻き込んだのは、実は、羽毛田長官のほうでした。

 では、なぜ、今このようなことが起きたかということが問題です。第1章でも述べましたが、「国家の主人は誰か」という闘いが起きたのです。要するに、天皇陛下の日程という事項を決定する者が、国民によって選ばれた国会議員なのか・・・つまり鳩山由紀夫首相や小沢一郎幹事長か、それとも国家試験によって採用された官僚なのかという闘いです。

 <羽毛田発言は意図的な「共謀理論」に近い>

 佐藤優氏の発言・・・・・これは、小沢一郎幹事長の政治資金問題をめぐって検察との関係で起きているのと同じ闘いが、宮内庁版で起きているということです。いわば「最後の玉(ぎょく)」を誰が握るかというところで、政治家が行なうことをわれわれ官僚が止めることができるのだ、という権威を羽毛田長官が示そうとしている。その動きが、この羽毛田発言の中に感じられました。

 これは意図的にやっているどころか、まさに「共謀理論(コンスピラシー、Conspiracy)」です。この態度は集合的無意識としての官僚の自己保全と言ってもよいでしょう。「天皇陛下の日程に影響を与えることができるのは、自分たちなのである」という、官僚の自己保全意識が感じられるのです。

 そもそも、天皇陛下との会見要請に「1ヶ月ルール」を適用させようとか、「大きな国も小さな国も平等に扱う」という発言自体が、きわめて政治的な話です。ところがこれに関して、ほとんどのマスコミが「小沢叩き」のほうに走ったのは情けないことです。

 小沢幹事長が言いたかったことは、「こういうふうにすると決めた政府の方針に関して、しかも陛下もそれで了承している話に対して、内閣の一部局である一官僚が云々するというのは、とんでもない話だ」ということでした。
 これに対していわゆる保守派の連中が、「より悪いのは、羽毛田長官のほうだ」ということに気づかないこと自体が非常に深刻な問題ですね。

 副島隆彦氏の発言・・・・・本当にそうですね。「もし、内閣の方針に反対するのなら官僚は、宮内庁長官といえども、辞表を持って主張せよ」と、佐藤さんがおっしゃったとおりのことを、小沢一郎も言っていました。

 佐藤優氏の発言・・・・・この問題が起きた当日、私は「眼光紙背(がんこうしはい)」(「ライブドアニュース」の連載コラム)という欄にこの考えを書いたところ、私の意見に賛成するという読者からのコメントが書き込まれましたが、賛否が拮抗していました。だから、マスコミの小沢叩きは、必ずしも、一般の国民の感覚を反映していなかったと思います。

 この問題は、今起きている「小沢政治資金問題」における検察の態度と一緒です。もう一つ「核の密約」問題も同じです。外務省がどうして今さらこの核の密約問題をリークしたがるのか。それは、先述したようにこの問題を、官僚が主導で下ろしていきたいからという無意識からです。
 このように、「官僚が権力を握るのか」、あるいは「選挙によって選ばれた政治家が権力を握るのか」という権力闘争が、日本の国家のあらゆる場面で出てきている感じがします。

 <どこまで進む?「天皇の官吏」化>

 <今の宮内庁の官僚は「天皇機関説」論者に匹敵する>

 佐藤優氏・・・・・ここのところが見える人と見えない人、この基本線が見える人と見えない人で、今、世の中が違って見えてくると思うのです。村上春樹さんの『1Q84(いちきゅうはちよん)』(新潮社刊)を読むと問題の本質をとらえることができます。ある特殊な人たち、ある特定の経験を遂げた人たちには、月が2つ見えるというのです。

 『1Q84』というのは、「1984」と「クエッション(Q)」の84を含意しています。別の世界ではなくて、同じ世界がある人にはこう見えて、別の人にはこう見える、と。仏教で言うところの、「地獄の血の池」と、「天上の蓮の池」が同じというのと一緒です。

 だから2009年12月の羽毛田長官の不当な会見に対しても、どこに自分の視座を置くかによって、全然異なる事件に見えるはずです。天皇を政治利用しているのは小沢幹事長か、羽毛田長官のどちらかといえば、これは明らかに羽毛田宮内庁長官の側だったのです。ところがそのようには見えない人たちが少なからずいる。

 副島隆彦氏・・・・・そうですね。あの習近平(シー・チンピン)国家副主席を天皇と会見させよと要請したのは誰だったのか。このことをはっきりさせなければならない。中国人を無理やり天皇に会見させたとして、右翼たちが騒ぎました。小沢一郎の世田谷の家の周辺に押しかけ、警備の機動隊と騒乱を起こしました。それほどまでに中国寄り小沢に対する蔑視が激しかった。事実、小沢一郎は140人の民主党新人議員たちを引き連れて中国を訪問して帰ってきたばかりでした。

 小沢幹事長は記者会見で、「そんな(1ヶ月)ルールなんて官僚が勝手につくったルールである」とはっきり言っていました。
 つまりこの「天皇に会いたければ1ヶ月前までに宮内庁に申請書を出せ」というのは法律ではないということです。(国民の)代表である国会で決議された法律ではない。官僚が勝手につくったルールである。そんなルールに内閣官房長官までが従わなければならないと、羽毛田は当然のこととして言い放ったのです。

 事実はどうやら、まず、羽毛田長官のほうが平野博文官房長官に対して、天皇会見の要請を拒絶した。そのあと、再び、今度はアメリカ国務省が日本外務省に「習近平を天皇に会わせろ」と要求してきた。それを外務省は鳩山首相に直接連絡したところ、平野官房長官が再度羽毛田に「なんとかならないか」とお願いした。それでも羽毛田が首を縦に振らなかった。

 そうしたら、なんと今度はヘンリー・キッシンジャー(ニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官)を通して、子分の中曽根康弘・元首相に直接電話が行き、「習近平を天皇に会わせろ」となった。
 そこで中曽根は平野官房長官に電話して「習近平を天皇に会わせろ」と圧力をかけた。困った平野官房長官が再々度、羽毛田に会見を要請したら羽毛田が起こりだして、それで12日の宮内庁長官としての暴走会見をしました。

 そうしたら小沢一郎が怒りだして、「内閣の一部局にすぎない宮内庁が内閣の指図にあれこれ反対するのは、許されないことだ。もう一度反対するのなら辞表を持ってすべきだ」という趣旨のことを言ったのです。佐藤さんの言う「羽毛田長官に、天皇をお守りする尊皇のまことの心はありや」と同じ態度です。
 さらに皆が驚いたのは、小沢一郎が「私が中国要人を天皇に会見させよと言ったことはない。自分はこの件に関係していない」と発言したことです。だから、本当は、圧力をかけたのは中曽根元首相だったのです。

 それなのに、右翼やマスゴミ(藤森注・副島氏は、マスコミをマスゴミと発言しています)や親米保守言論人(代表、中西輝政京都大学教授)たちは、事実関係も調べずに、猪突猛進で、「小沢憎し」の一念で大騒ぎをしました。
 小沢一郎が、天皇の生活日程に何か干渉したり、失礼なことをしたことは一切ない。ただ「天皇は喜んでお会いになるでしょう」と言っただけです。

 キッシンジャーこそは、世界基準では中国寄りの政治家であり、日本のことなど本当はちっとも大事にしていない人です。
 中曽根が圧力をかけた張本人だったのです。この情報はワシントンからの報道ですぐに露見しました。記者たちが、この件を中曽根に問い詰めたら、「ノーコメント」と答えた記事が証拠として残っています。

<<【特例会見は「ルールの枠内」中曽根元首相】

 中曽根康弘元首相は(12月)24日、都内の事務所で記者団と懇談し、天皇陛下と中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席との会見を実現させた政府の対応について「慎重に処理してきたと思う。あの程度の時間的ズレは(30日ルールの)原則の枠内のことなので、認めてもいい」と述べた。
 自らが首相サイドに会見の実現を要請した点に関しては「ノーコメント」とした。
 (産経新聞 2009年12月25日付)>>

 副島隆彦氏・・・・・日本の旧来保守の人たちの「中国嫌い、小沢嫌い」は病膏肓(やまいこうこう)に達していますから手に負えません。今でも居直って、私のこの事実解明を無視するでしょう。
民主党の幹部である山岡賢次・国会対策委員長が「官房長官と宮内庁長官が内的に話したことを勝手に公表するということは異例なことである」と、クギを刺しました。

 羽毛田長官は、自分が大きな世界政治の中に投げ込まれていることも自覚せずに、「玉体(天皇の体)を取っている自分が偉い」ととんでもな思い違いをしている男です。この男はなんと小泉純一郎・元首相が取り立てた男で、元は厚生労働省の事務次官だったそうです。

 佐藤優氏・・・・・出版の世界を例にして話すなら、著者と編集者が打ち合わせのときに話した秘密の話を、編集者が外に暴露するようなものです。そのようになった場合、出版というビジネスは成立するものでしょうか。

 だから、どちらがおかしな動きをしているかが、逆転しているのです。この羽毛田信吾という官僚は、自分が言っていることが極めて政治的な発言であるということを理解していなかった。日本と中国との関係においても、政治的であるばかりか、「大きな国も小さな国も、全部フラットに扱う」と言った。それはアメリカとサダム・フセインのイラクを一緒に扱うということになるわけです。それは、逆に極めて政治的な立場です。

 現実の政治というのは、力で動いています。それにもかかわらず、全部を平等に扱うのが原則だと言ったのです。それでは、小さなところに特に梃入れするという立場になってしまいます。また、天皇の健康状態について、平場で云々することは、尊皇の情のかけらもない証拠です。だから、彼らは「天皇機関説」論者なのです。

 <以上は、「小沢革命政権で日本を救え・・・国家の主人は官僚ではない」副島隆彦氏と佐藤優氏の対論、日本文芸社のP156~165より転載させていただきました>

<文責:藤森弘司>

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