2010年6月15日 第26回「トピックス」
検察審査会についての一考察(8)

●(1)平成22年2月11日、日刊ゲンダイ「大阪地検特捜部」

 <ズサン捜査 ボロボロ発覚>

<「郵便不正事件」公判で大揺れ>

 大阪地検に激震が走っている。元厚労省局長の村木厚子被告(54)が特捜部に逮捕、起訴された「郵便不正事件」の公判で、捜査のデタラメが次々と明らかになっているのだ。
 8日の公判では、検事が関係者を聴取した際、ウソの“証拠”をチラつかせ、供述をムリやり引き出していたことが発覚。もはや公判維持さえ危うい状況である。
 この事件をめぐっては、村木被告が完全否認している上、「(村木に)指示された」と供述した部下の上村勉被告(40)も証言を覆す方針。

 <幹部のクビが飛ぶ!?>

 頼みの供述調書もウソの証拠を突き付けて作成していたとなれば、信憑性が疑われる。「デッチ上げ不当逮捕」との声が高まるのは必至で、地検幹部のクビも吹っ飛びかねない。
 驚きの証言は8日の第5回公判で飛び出した。
 民主党の石井一参院議員から口利き電話を受け、村木に便宜を図るよう指示したとされる塩田幸雄・元厚労省障害保健福祉部長(58)が証人出廷し「(聴取した)検事から『あなたから石井議員に電話した交信記録がある』と言われて(村木への指示を)証言したが、後に『実は記録はない』と言われた。大変な供述をして(村木を)無実の罪に陥れてしまった。事件自体が壮大な虚構ではないのか」とブチまけたのだ。

 「特捜部の狙いは石井議員だったのでしょう。彼らは巨悪を挙げるのに『犠牲もある』と考える傾向にあり、周辺の関係者を“捨て石”と呼んで引っ張るケースがある。村木や上村がまさにそれです。ただ今回はかなり悪質です。地検は開示対象とされる捜査メモも勝手に廃棄している。ここまでズサンな捜査だと、検面調書に対する裁判所のイメージは最悪になる。無罪になれば、担当検事や幹部の人事にも響くでしょう」(元東京地検検事)

 小沢捜査では、東京地検特捜部が逮捕、起訴した石川知裕衆院議員の女性秘書を恫喝し、取り調べしたことが報じられている。もはや取り調べの全面可視化は待ったなしだ。

●(2)平成22年3月11日、日刊ゲンダイ

 <村木元厚労省局長裁判>

<「よく調べなさいよ」石井一議員に法廷で怒鳴られた大阪地検の赤っ恥>

 「検察の捜査能力が極端に低下した」・・・・・。8日の外国特派員協会は熱気ムンムンだった。会見した元検事で名城大教授の郷原信郎氏と、ジャーナリストの魚住昭氏がそろって検察の捜査手法をメッタ斬りしたのだ。郷原氏は「2000年以降の特捜案件でマトモなものはひとつもない」と断罪していたが、その言葉を裏付ける公判が今も進んでいる。厚労省の元女性局長が大阪地検特捜部に逮捕、起訴された「郵便不正事件」だ。

 この事件は、公判で証人が捜査段階の供述を相次いで覆す異例の展開で話題になっている。とうとう検察は取り調べを担当した検事を証人尋問し、捜査段階の供述調書の信用性を立証する方針だが、村木厚子元局長への「無罪判決」は時間の問題。そんな検察の「捜査能力の低下」は4日の公判でも見られた。

 この日は村木被告の上司に“口利き”したとされる民主党の石井一議員(75)が弁護側の証人として出廷。検察は石井議員が04年2月25日に上司と面会したと主張。これに対し、石井議員は自身の手帳の記録から「その日はゴルフに行った。絶対あり得ない」と反論した。
 
 「そこで反対尋問した検事は、ゴルフに同行した議員の名前が国会の委員会の議事録に載っているとして“アリバイ”を崩そうとしました。ところが石井議員は呆れ顔で『いいところに目をつけたが、議事録には出席してもしなくても全員の名前が載る。よく調べなさい』と逆に検事をしかりつけました。驚くのは、石井議員は昨年9月の事情聴取の際に検事に手帳を見せていたのに、石井議員に法廷で指摘されるまで、検察はこの慣習に気付いていなかったようなのです」(司法記者)

 ゴルフに行った議員にアリバイを確認すればいい話だし、委員会への出欠確認なら電話一本で済む。それすらしていないとは、捜査能力の低下以前の問題だ。それにしても、特捜検事が証人出廷する前代未聞の裁判は、一体、何のために続けているのか。

●(3)平成22年2月27日、日刊ゲンダイ「郵便不正事件」

 <冤罪こうして始まる>

 <厚労局長の元部下のノート公開>

 郵便不正事件で虚偽有印公文書作成などの罪に問われた厚労省元局長・村木厚子被告(54)の公判(大阪地裁、25日)で、部下だった元係長・上村勉被告(40)が記録した検察を痛烈批判した被疑者ノートが公開された。
 
 逮捕直後の昨年5月28日に弁護士が差し入れたノートには「冤罪はこうして始まるのか」と題し、上司の村木被告の関与を全面的に否定する内容がつづられている。
 「どうしても私と村木被告をつなげたいらしい」「私の記憶がないのをいいことに検察が作文している」などと記述。さらに「私の供述さえ得られれば検察のピースは完成するか」と心情も吐露している。

 その後、供述調書の訂正を申し入れても検察側から相手にされず「あなただけ違うことを言っていると検事に言われた。多数決に乗ってもいいかと思う」と供述を変遷させた経緯や、6月5日には「もう完全にあきらめた。何も言えない」と精神的に疲れた様子をつづっている。

 この日、弁護側はノートの記述をスクリーンに映しながら尋問。上村被告は「検事は都合のいいことしか聞いてくれず、もう好きにしてくれという気になった」と証言。弁護側はこのノートを証拠請求する方針だ。

●(4)平成22年2月24日、日刊ゲンダイ「暴走検察」

<冤罪事件が全国で頻発>

 日本中を引っかき回した小沢捜査で、目に余る「暴走」が問題視された検察権力。厚労省元局長の村木厚子被告の裁判でも、検察の“証拠隠滅”疑惑が浮上した。証人も「村木さんは冤罪」と断言していて、国民の検察批判は強まる一方だ。
 さすがの検察上層部も「これ以上の失態はまずい」と焦りまくっているらしいが、ピンチは重なるもの。司法関係者の間では「あのヤマもヤバい」と言われている事件がゾロゾロあるのだ。

 <小沢幹事長、村木元局長だけじゃない>

 「検察が大打撃を受けそうなのが、茨城で43年前に起きた強盗殺人事件で、近所に住む男性2人が逮捕された『布川事件』です。最高裁が昨年12月に検察の特別抗告を棄却し、再審開始が確定。弁護側と検察側の第1回協議が来月19日に行なわれる。要するに、足利事件と同じ構図です。裁判の過程で、検察が無罪の証拠を隠していたことや、強引な取り調べをしていたことも明るみに出ている。再びクローズアップされると、検察批判が吹き荒れるのは間違いありません」(司法関係者)

 広島で01年に母娘3人が犠牲になった放火殺人事件も、逮捕された男性の無実が濃厚だ。
 「検察は死刑を求刑しているが、1審に続いて昨年12月の2審判決も無罪になった。取り調べ段階の自白しか証拠がなく、信用性が否定されたのです。検察は異例の上告に踏み切ったが、最高裁で判決が覆るかは疑問です」(別の関係者)

 そこに加えて、村木厚労相元局長の一件も恣意的捜査のにおいがプンプン。今後、検察主導の冤罪事件が次々とはじけそうな雰囲気になっている。
 足利事件の菅家さんは講演で「全面可視化された取り調べを」と訴えた。民主党はさっさと可視化法案を提出し、検察の暴走を止めるべきだ。

●(5)さて皆さん、ちょっと考えてみてください。

 私たち一般の「善良」かつ「気の弱い人間」が拘置されて、外部との関係を遮断された上に、毎日、心身が疲労困憊になるほどの強烈な取り調べを受け、かつ、検察にストーリーがあり、その線に沿ってほぼ強制的に供述させられるかのような態度で迫られたとき、私たちはどれほど、自分の主張を通しきることが可能でしょうか!!!

 しかも、孤立無援状況の中で、何年にもわたって「お前が犯人ではないか」と攻めまくられたならば、「もうどうにでもなれ!」「犯人でも何でもいいから楽になりたい!」という心境になるはずです。
 当初は、自分が犯人ではないという強い思いがありますが、拘束されて何日も何日も、何週間も何週間も責められ(攻められ)、そして、外部との関係が遮断された「孤立無援」状態の中では、正常な神経を保てるわけがありません。

 ですから、「深層心理」の専門家としての私(藤森)の立場から考えてみますと、「死刑囚」が長年、「無実」を訴えている場合、ほとんどの場合、その、いわゆる「死刑囚は無実」であると思っています。本当に無実でなければ、根性が枯れてしまいます。根性が枯れていないということそのものが、「無実」を証明しているというのが、私の考えです。

 もし、それに反論したい方は、ご自分が「外部から遮断され、長年拘束されて、しかも、鬼のような検察に攻(責)めまくられること」を想像してみてください。とても耐えられるものではありません。
 このホームページの趣旨に沿って説明するならば、私たちは、両親の(残念ながら)どうしようもない「身勝手な対応」に、屈辱的な敗北を喫して、自我を抹殺し、両親の意向に沿って育ってきています。これが「交流分析」の「脚本」の意味(多少、極端ですが)、考え方です。
 そういう弱さが、私たちにはあります。それと同等の、いや、両親は、なんだかんだと言っても、私たちを学校にも行かせてくれ、食べさせてもくれ、いろいろ楽しいこともやらせてくれています。当然、(質は良くないが)愛情がいっぱいあります。

 しかし、検察は、それよりも遥かに強烈な強制を、一方的に強いるだけの存在、ほとんど「虐待」に近い存在です。いいことは何もしてもらっていません。とても耐えられるわけがありません。そういう中で、無実の罪を着せられる屈辱感は、私の想像を遥かに超えます。それがエネルギーになって、絶望的な環境の中でも「無実」を訴え続けることができるのだと思われます(「救う会」などの存在も大きいでしょう)。

 厚労省の局長を辞めてしまった村木厚子さんの人生は、これから一体どうなるのでしょうか。何の罪もない一人の人間の人生をメチャクチャにした「検察」に良心があるのでしょうか!!!
 百歩譲って、検察が一生懸命に捜査をして、結果として「冤罪」が発生してしまったのならば、人間である以上、止むを得ない部分はあるでしょう。しかし、証拠を隠したり、検察のストーリーがあって、敢えてそれに沿わせた供述を強制(?)させたりするような「非人間的・虐待的」な手法で、一人の人間を「死刑」にしたり、何年もの「懲役刑」にするようなことがどうしてできるのでしょうか!!!

 自分が出世してぬくぬくとしている間に、一人の人間が無実の罪で「懲役刑」に服していることを考えてみて、どんな神経があれば平気でいられるのでしょうか!!!
 そして、そんなズサンな「調書」を基に、同罪を犯しかねない「検察審査会」のメンバーや「裁判員」たちは、どんな「正義感」を持っていると、「検察の結論」に異論を唱えたり、「懲役何年」だのと決断できるのでしょうか!!!
 以前にも書きましたが、例えば「小沢前幹事長」の事件もそうです。「恣意的(?)」捜査・・・大勢の専門家が、1年もかけ、強制的に全ての資料を調べたにもかかわらず立証できませんでした。どんなに疑わしかったかどうかはともかく、法律で立証できませんでした。それを、抽選で選ばれた「ど素人の11人」が、膨大な資料を、わずか8回の審議で、何故、検察の結論をおかしいと言えるのでしょうか???
 一体全体、どういう神経があれば、専門家集団が捜査に捜査を重ねた判断を「間違いだ!!」と言えるのでしょうか。何を根拠に言えるのだろうか???

 私が尊敬する曽野綾子先生は、「裁判員」にはなりたくないと、エッセイで書いていました。私(藤森)も同様、「裁判員」も「検察審査会の委員」にも絶対(!)なりたくありません。素人の「感性」を検察官や裁判官に伝えて、その感性を参考にしてもらう制度ならば賛成ですが、知識も経験も無い「ど素人」がどういう神経があれば、1人の人間を処罰できるのでしょうか!!!

 <第20回「検察審査会についての一考察(2)」>の中で、福島県知事の事件を紹介しましたが、それを再録します。ジックリとじっくりとご覧ください。

<<<●(6)平成22年1月28日、日刊ゲンダイ「元福島県知事が語った、検察の暴走と恐怖(下)」

<知事は日本にとってよろしくない。抹殺する>
<取り調べ中の検事の言葉です>

「私の事件では、特捜部の過酷な取り調べによって、弟の会社の総務部長と私の支援者、そして東急建設の支店長2人が自殺を図りました。総務部長は一命を取り留めましたが、今も意識は戻らないまま。ベッドの上で男性の声を聞くと、検事の声を思い出すのか、険しい表情を浮かべ、顔を背けるのです。よほど取り調べがツラかったのでしょう・・・・・」

 東京地検に出頭した佐藤氏の後援会の幹部たちは「栄佐久の悪口を何でもいいから言ってくれ」「15分以内に言え」「想像でいいから言え」「もう図は完成していて、変えられないんだ」と執拗に迫られたという。

「いま、『取り調べ可視化』が取り沙汰されていますが、検察の恫喝には抜け道がある。弟は拘置所に向かう車中で『中学生の娘が卒業するまで出さない』と脅されました。相手は今から取り調べを受ける検事ですよ。あまりに卑劣です」

佐藤氏も約50日間に及んだ拘置中に精神的に追い込まれ、ほぼ全面的に供述してしまった。

「逮捕後2日間は検事と怒鳴りあっていましたが、次第に『私が自供すれば支持者は解放される』『早く“火の粉”を消さなければ』『検事に身を任せよう』と思うようになったのです。私は“ストレイシープ(迷える羊)”になっていました」

一方で検察は有利な証言をした人物を手厚くもてなすようだ。
「検察に『私から“天の声”を聞いた』と証言した元県幹部は、私の事件に絡み、競争入札妨害罪で特捜部に逮捕されましたが、起訴を免れました。公判の過程では、この人物の口座に約3000万円の出所不明な入金記録があることが発覚。特捜部はこのカネの流れを取引材料に県幹部を締め上げ、“天の声”をデッチ上げたのではないかと思っています」

東大法卒、参院議員を経て知事5期。「改革派知事」として霞ヶ関と戦ってきた佐藤氏には、今の検察の動きこそ、「霞が関官僚の行動原理の縮図」と映る。
「ダム建設や原子力行政と同じで、一度決めた方針を覆そうとしない。いかにムチャな方針だろうと、保身に走って突っ走ってしまう。完全に『経路依存症』に陥り、捜査そのものが自己目的化しています。検察の正義は国民にとっての正義であるべきなのに、国民不在の捜査が今も続いています。政権交代を選んだ国民の意思を踏みにじってまで、強引に小沢捜査を進める必要はあるのか。はなはだ疑問です」

<特捜部長の出世と引き換えに私は政治生命を絶たれ、4人が自殺を図った>

佐藤氏の事件については、「当時の大鶴基成特捜部長が、『これができるかどうかで自分の出世が決まる』と息巻き、乗り気でない現場を怒鳴りつけていた」と報じられたものだ。
「特捜部長の出世と引き換えに、私の政治生命は絶たれ、弟の会社は廃業し、100人以上の社員が路頭に迷うハメになったのか。今後、私の無実が証明できても自殺した人々は戻りません。検察と一体化したマスコミも共犯です。『知事は日本にとってよろしくない、抹殺する』。弟の取り調べ中に検事が吐き捨てた言葉です。事件の犠牲となった人を思うと、その発言のあまりの軽さに驚かされます。強大な捜査権力は実に気まぐれで、特捜検事にとっての“おもちゃ”に過ぎないのです」

佐藤氏の裁判は現在上告中だが、検察の強引な筋立てと捜査が、いかに多くの悲劇を招くか。小沢事件を指揮する大鶴最高検検事と佐久間特捜部長は、肝に銘じておいた方がいい。>>>

<文責:藤森弘司>

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