2010年5月31日 第24回「トピックス」
●(1)平成22年6月4日号、週刊ポスト「怒りの告発キャンペーン第2弾」
<“民意”はこうして捏造される> <「世論誘導」と「人民裁判」の国ニッポン> <本誌スクープに反響轟々!>(上杉隆・ジャーナリストと本誌取材班) <「官房機密費実名リスト」に血相を変えた> <テレビ局大幹部と“元”官邸秘書官> ・・・・・「この問題は君が損するだけだ。メディア全体が悪なんだから」(元秘書官)・・・・・ <リストを見せてくれ> 本誌前号が発売された5月17日の朝、私の携帯電話が鳴った。発信元は、テレビ局の大幹部だった。何事かと身構えて電話に出ると、用件は意外なことだった。 実は私の手元には、前号で紹介した3枚のメモ以外にも、機密費の配布先リストを記した多くのメモがある。そして、現在も鋭意、取材中だ。 私は当然、見せることを拒んだが、彼はなおも食い下がった。 受け取る側が大慌てなら、渡した側も大騒ぎだ。元官邸秘書官もまた、発売当日に電話を寄越してきた。 私に怯えるテレビ局幹部と、私を心配する元官邸秘書官の言葉は、実は表裏一体にある。ともに、記者クラブメディアと、官房機密費の深い関係を知った上での発言だからだ。 <官邸に売られた記者メモ> 懇談記者メモというものがある。官邸などで開かれる表向きの会見とは別に、内閣関係者らが夜回りの記者たちに、主にオフレコを条件に語った内容を記したメモのことだ。 さらに、国民にはわからないところで、このメモはもうひとつ別の使われ方をしている。 「官邸は、機密費で各新聞社の幹部からメモを買っていました。新聞社側からのメモを集約するのは、毎日の日課です。カネを支払うペースははっきり決まっていませんが、1ヶ月に1回ぐらいでしょうか。食事をしながら、情報の対価として機密費から100万円程度を渡していました」 かわいそうなのは現場の記者たちだ。官房長官も副長官も、記者がこっそり作った(と思っている)メモをそのまま見ている。「オフ懇」(オフレコ懇談会)といいながら、実際には録音されることを見越して、観測気球を上げたりもするのである。 また、これらのメモは官邸にとって与党の各派閥や他党の動向を知るうえで格好の材料となる。たとえば、与党内の反主流派が語る「政権批判」の言葉が一言の漏れもなく記されている。たとえば、官邸内でしか知り得ない情報を野党の幹部が自慢げに語る様子がつぶさに綴られている。 官邸側はこうした情報を把握しておくことで、反主流派の動きに機先を制することができる。また、複数の人物のメモを見ることで、重要情報が漏れたルートをあぶり出すこともできるのだ。 <「Nシステム」という仕組み> この恐ろしくよくできた仕組みは、誰よりも徹底して情報収集を行なった官房長官の名字を冠して「Nシステム」と呼ばれている。ちなみに、かつては「Gシステム」と呼ばれていた。 各記者クラブメディアからひとりずつ、総勢10人ほどが参加する、編集委員懇談会が、不定期で開かれている。官房長官を囲んだ、各社幹部を集めたクローズの食事会だ。この帰り、官房長官の地元の名菓などが、お土産で各社に手渡される。中には、お車代が入っている。これもかつてはひとり100万円が相場だったと、ある秘書官は証言する。 しかも、この毒に冒された者たちは同調者を求めていく。機密費を受け取った人間が、ある日、社内の後輩記者と食事しながら、囁く。「大変だろうから、お小遣いとっといて」。上司のポケットマネーかと思って受け取ると、後輩記者もその日から「毒まんじゅう」を食らった仲間入りだ。あるいは、上司が新任の部下や見込みのある若手記者を官房長官らに引き合わせる。それぞれのお土産には、またもや菓子とともに現金が入っている。上司が「大丈夫だから」と率先してもらうことで、部下たちも受け取らざるを得なくなる。 その点では、官邸側も余念がない。若手の記者時代から、まずは食事をおごり、ゴルフに連れていき、野球の観戦チケットをあげるといった簡単なところから始め、何かの機会に1万円でも現金を受け取るように仕向け(この場合の名目は、お車代でも情報提供でも何でもいい)、あとは順々とステップを踏んでいく。 前号でも述べたように、官邸側は転勤や結婚、出産、新築などさまざまな折に5万円や10万円といった現金を渡す。総理外遊の際には、随行した官房副長官などから番記者へお土産代として現金を配る。なかには断る記者もいるが、社によってはこの悪習に染まらなければ、上司に疎まれて出世できないとまでいわれていた。 これだけでは終わらない。主に自民党の経世会周辺で、「就職陳情」と呼ばれるものがあった。後援会の支援者らから、息子・娘を何とか就職させてくれと頼まれた政治家たちが、新聞・テレビへの就職の口利きをしていたのだ。私は秘書時代にそうした事例をいくらでも見聞きしてきた。就職したその子供たちが、スタートからして「色が消えたスパイ」さながらに行動することはいうまでもない。 機密費を介した「共犯関係」は、自民党政権時代を通じて強固に構築されてきた。秘書官が私に告げた「メディア全体が悪」とは、この巨大な構造そのものを指す。元参院議員の平野貞夫氏が、「私は新聞記者を堕落させる仕事をしていた」と語った理由もおわかりだろう(朝日ニュースター「ニュースの深層」5月18日放送)。 官房機密費問題を新聞・テレビが報じられないのはもはや当然だが、気になるのは官邸側だ。平野博文官房長官は機密費の使途公開について、政権発足後、今に至るまで動き始める気配は全くない。私はかねてより、機密費の公開については、一定期間後に、安全保障にかかわる範囲を保全した上での公開の枠組み作りが必要だと主張してきた。 私は5月17日、小沢一郎民主党幹事長の定例会見の席で、野中広務氏の機密費発言についての見解と、機密費の是非について質問した。小沢幹事長は、「私は官房機密費を使う立場には今まで、立っておりません。従いまして、今のご質問については、まったく答えるだけの知識はありません」とした上で、「機密費という言葉がいかにも、怪しげに聞こえますけれども、私としてはそういった必要経費は内緒で予算を流用したりなんだりするんじゃなくて、おおっぴらに各省庁ともですね、官邸だけじゃなくて、きちんと計上するという形にした方がいいんじゃないかと個人的には思っています」と述べた。 以前から使途公開の枠組み作りを主張してきた鳩山由紀夫首相、岡田克也外相に続いて、党側のトップまでが、使途公開を政府へ要望したのだ。普段なら「小沢の政府介入」と騒ぐ新聞・テレビは、なぜこの発言について報じないのか。 考えてみれば、鳩山、岡田、小沢各氏は、記者クラブにしか参加が許されなかった記者会見を「オープン化」してきた。一方の平野官房長官は、徹底して記者会見オープン化に抵抗し、いまだに自らの会見も記者クラブ以外には開放していない。機密費問題への対応と奇妙な一致を示してはいないか。もしこの問題でも平野官房長官が記者クラブメディアに取り込まれているとすれば、「共犯関係」はいまも続いていることになる。この問題を私は引き続き追及してゆく。 ■先進国では日本だけ・・・・・世界各国で記者クラブ制度が残っているのは、日本以外ではガボンとジンバブエだけといわれる。韓国にも日本に似た記者クラブ制度があったが、2003年の盧武鉉政権誕生以降、記者室使用などの既得権益を奪われた。 |
●(2)この「官房機密費」の問題は、政治の暗部を切り開く巨大なテーマだと思っています。「記者クラブ制」は大きな問題がありましたが、記者クラブの開放は、いくら要求しても要求する側の「攻める手駒」が十分でなく、なかなか攻め切れない(開放させられない)もどかしさがあったように思われます。
しかし、「官房機密費」の不正利用という決定的な資料が白日のもとに曝け出されたことで、記者クラブ制の廃止というだけでなく、政治の世界や、政治をチェックするマスコミ人、特に記者クラブの特権に胡坐をかいてきた「共犯関係」の巨大新聞・テレビ界の大物たちに激震が走っていることと思います。上杉隆氏の生命の危険が及ばないか心配するほど、暗部を抉る巨大なスクープです。 上杉隆氏は、確か、元・自民党の鳩山邦夫氏の秘書をされた方で、ジャーナリストになってからは一貫して記者クラブの開放を訴えてきた方です。誠実な取材姿勢に私(藤森)は好意的に見ていました。 アメリカの「9.11テロ」は、かなり陰謀視されている事件(いつかこのホームページでも取り上げる予定です)で、その取材を続けている主としてアメリカのジャーナリストたちは身の危険を感じるほど、CIAの妨害を受けているようです。日本のこの問題も、かなりそれに近い、大変危険な取材ではないかと推測します。 「政権交代」したことで表に出るようになったのでしょうが、鳩山首相、小沢幹事長、岡田大臣という民主党のトップスリーともいえる錚々たるメンバーが記者クラブをすでに開放し、機密費の使途は公開すべしと言っているのに、胡散臭い平野官房長官はいまだに、記者クラブは開放せず、機密費の公開は拒否しています。これはどう考えても「共犯関係」にあるといわざるを得ません。このような抵抗勢力がまだ存在するので、いろいろな意味で危険な取材であることは間違いありません。 戦後政治を清算する一助となるためにも、上杉隆氏と週刊ポスト誌には、是非、頑張っていただきたいものです。そして早く、日本をまともな国、誇れる国に回復してほしいものです。 「検察審査会についての一考察」はまだ続きます。 |
<文責:藤森弘司>
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