2010年5月27日 第23回「トピックス」
検察審査会についての一考察(5)

●(1)政治が乱れていようが、警察や検察がどんなに腐敗していようが、メディアが健全であれば、それほど心配することはないのではないかと、私(藤森)は思っています。逆に、メディアが腐敗している場合は、致命的になるような気がします。
 何故ならば、我々はメディアを通してしか、多くの情報を得ることができないために、メディアに情報を操作されては、我々、国民は正しい判断ができなくなり、太平洋戦争のように、とんでもないことになりかねません。 大マスコミの偏向報道がひどいということを耳にしていましたが、どうやらその決定的な問題が、最近、バクロされました。腐敗(?)している「大新聞やテレビ」が報じない重大な問題が週刊誌に載りました。
 最近にない重大問題です。官房機密費の悪用により、大マスコミの報道姿勢が偏向し、それらの偏向報道により、「検察審査会」の判断もミスリードされている可能性があります。例えば、小沢幹事長に対する大量の偏向報道が垂れ流されて、それらの情報により、委員の人たちの先入観が出来上がっている可能性があります。
 しかも・・・・・

<<「検察審査会の午後」の著者で、検審に詳しい作家の佐野洋氏もこう言った。
「検審では審査員らがいろいろと意見を言っているようなイメージがあるが、選ばれた人に取材すると、事務局側の説明資料に沿って淡々と審査が進んでいくようです」
事務局の“意向”や、世論のムードに流されかねない危険性があるのだ。>><トピックス、第20回、「検察審査会についての一考察(2)」の中の(2)と(3)ご参照>

 さて、いずれにしましても、野中広務氏のバクロは、最近にない決定的な暴露で、これも「政権交代」の果実でしょう。鳩山内閣は迷走につぐ迷走ですが、でもやはり「政権交代」しなければ暴露されない様々な問題がバクロされることの重要性にもっと注目すべきだと思います。

 ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、「週刊ポスト」に掲載された「官房機密費悪用」についての全文をご紹介しますので、じっくりとご覧ください。

●(2)平成22年5月28日号、週刊ポスト「怒りの告発スクープ PART1」

 「“世論誘導工作に巨費投入”の全容を白日のもとに曝し出せ」

 <なぜ大新聞・テレビは野中広務氏が暴露した「官房機密費」を追及できないのか>

 いつから大新聞・テレビは“世論調査屋”になったのだろう。全国紙の一面やニュースのトップを“今週の世論調査”が飾るなど、少なくとも先進国では異常な報道である。各紙・各局が徒党を組んで「政局」を動かそうと躍起になる一方で、肝心の「政治の闇」に斬り込む取材は皆無だ。
なぜ「社会の木鐸」は沈黙するのか。そこには長い歳月をかけて築き上げられた、政治と巨大メディアの「癒着の構造」がある・・・・・。

<マスコミ対策費で餌付けされ飼い慣らされた政治記者が偏向報道をタレ流している>(ジャーナリスト・上杉隆氏)

 <黙殺された「野中発言」>

 大新聞とテレビの《内閣支持率引き下げ競争》が過熱している。
 日本テレビが4月上旬に鳩山内閣の支持率「30%割れ」を報じると、4月末には共同通信が「20・7%」を発表。5月に入るとTBSも「20・9%」と追いかけ、テレビ朝日は「自民党が民主党を上回った」と政党支持率逆転を伝えた。さらに読売新聞は、普天間問題が5月末までに決着しない場合、首相は「退陣すべきだ」との答えが51%にのぼったと報じた。
 「いまや関心事は、どの社が最初に支持率10%台突入を打つかです」(大手紙の編集局幹部)

 政権を「支持するか」と「退陣すべきか」しか質問しないのでは、世論調査を政権批判の道具に利用しているといわれても仕方ない。
 メディアが自らの取材で権力を監視・批判をするのは当然である。しかし、「世論」という「他人の口」を利用して政権批判を展開するのは、批判材料を調べる取材能力がないということを自ら認めるようなものだ。

 <トピックス、第19回「検察審査会についての一考察」の中の(5)(6)(7)ご参照。この中で、日下公人氏が「今の新聞があてにならない理由を4段階に分けて・・・・・
①取材不足のまま報道する。
②報道に迫力がないので解説に逃げる。
③解説も勉強不足だから道徳論に逃げる。
④道徳論も結論を言うのは勇気がいるから単に一般的な願望を言う。
」>

 いや、大マスコミが今のような異常なやり方を押し通そうとするのは、あるいは、政治を正面から批判することに、ある種の「後ろめたさ」を抱えているからかもしれない。
 そう感じさせるのが、小渕内閣の官房長官を務めた野中広務氏の官房機密費証言をめぐる報道ぶりだ。

 野中氏は4月19日、TBSの報道番組『NEWS23X』で、首相官邸が持つ年間約14億6000万円にのぼる機密費の使途について重大な証言を行った。
<2010年5月20日、第21回「トピックス」
の中の(2)(3)ご参照>

 その確信部分は、機密費は歴代内閣からの「引き継ぎ帳」にあるリストをもとに、政権維持に有益と思われる様々な人物に“つかみ金”として配られ、その中には国会対策や歴代の首相経験者などに加えて、
 「(政治)評論家をしておられる方々に、盆暮れにお届けするというのは額までみんな書いてありました」
 「テレビで正義の先頭を切るようなことをいっている人が、こんな金を平気で受け取るのかと思いました」
 ・・・・・と、国民の誰もが知るようなマスコミ界の大物たちにもカネを渡してきたことを暴露したのである。
 だが、大マスコミはこの野中証言を「黙殺」した。

 スクープした当のTBSでさえ、他の時間帯のニュースでは触れなかった。
 「上層部の判断で繰り返し流すことも可能だが、今回はそうした判断は出なかった。野中氏の機密費証言はこれ以上扱わないでしょう」(TBS報道局関係者)
 野中氏はその後もこの問題を提起したが、他のメディアもベタ記事扱いで伝えただけで、自分たちの関わる疑惑については口をつぐんだのである。

 税金でありながら、事実上、時の権力者の“お小遣い”として闇から闇へ消えてきた官房機密費は、歴代政権がついに手をつけなかった未解決の重大疑惑である。昨年9月の政権交代のドサクサの中で、当時の河村建夫・官房長官が2億5000万円の機密費を引き出していたことも発覚している。この件は大阪市の市民団体「公金の違法な使用をただす会」が河村氏を詐欺罪や背任罪などで東京地検特捜部に告発した。

 しかし、新聞・テレビはやはりこの疑惑をほとんど報道せず、特捜部が捜査に動いている形跡もない。小沢一郎・民主党幹事長の政治資金事件では各メディアがこぞって市民団体の告発を大きく報じたのと比べれば、落差はあまりに大きい。

 <「竹下機関・三宝会」の目的>

 大メディアが「機密費」問題をタブー視しているのは、そこを掘り返すと大新聞・テレビの癒着という、「国民に知られてはならない報道の裏側」に行きつくからだ。
 どんな時代でも、政治権力と“近すぎる関係”になるメディア関係者はいた。しかし、大マスコミが徒党を組んで政権そのものと癒着するような異常な関係になるきっかけは、今から10数年前に生まれた。竹下登・元首相が97年に結成し、「竹下機関」の異名をとった「三宝会」という組織は極めて重大な意味を持つ。

 「三宝会」のメンバーには財界人、各省の事務次官経験者など錚々たる顔ぶれが加わっていたが、最も重視されたのはマスコミ人脈だった。朝日、読売、毎日、日経、産経、共同通信、時事通信をはじめ、民放キー局4社などのベテラン記者10数人が参加し、設立趣意書には、<新聞、テレビ、雑誌、など、マスコミの第一線で活躍しているジャーナリストを中心に、政、財界の関係者らが定期的に集まり、情報交換を行い>・・・・・とある。

 当時は、93年に自民党が分裂してから続いてきた小沢VS竹下戦争の真っ最中で、自民党は村山、橋本政権で政権に復帰したものの、政権基盤は不安定で、新進党などを巻き込んだ政界再編の動きが渦巻いていた。
 竹下氏の目的は、簡単にいえば《小沢批判》の情報宣伝機関づくりにあった。

 自民党は93年の総選挙で負けたのは不利な報道を行われたからだとしてテレビ朝日の椿貞良・報道局長を証人喚問するなど、メディア操縦に躍起になっていたが、“ムチ”の一方で「シンパ記者」の組織化を図ったところが、情報戦に長けた竹下氏ならではの着眼点だった。
 竹下氏の狙い通りというべきか、三宝会のメンバーは今や「民主党に批判的」な立場で世論形成に強い影響力を持つ人物が多い。現在の新聞・テレビの支持率報道の背後には、そうした人脈が見え隠れしている。

 この組織の存在をいち早く指摘したのは本誌だった。本誌97年10月31日号は、「三宝会」が竹下直系の情報機関として設立され、事務次官経験者や現職の内閣情報調査室長も加わっていることを報じた。このスクープは当時の衆院予算委員会で、「マスコミを利用した政治支配」と政府追及の材料となったが、大メディアは一切報道しなかった。それはメディアを横断的に組織化すれば、不都合な国会審議さえ隠せることを図らずも示したといえる。

 時系列でいえば、その半年後に橋本首相は参院選に惨敗して退陣し、98年に小渕内閣が発足。野中氏が官房長官に就任し、機密費の配り先を記した「引き継ぎ帳」を受け取ったのは、ちょうどその頃のことだ。
 官房機密費は、そうしてメディアと自民党政権との“潤滑油”に使われてきた。

 ある大手紙のベテラン自民党担当記者は、「官房長官や副長官などと懇談した後、お土産の菓子折りに“奥さんに靴でもプレゼントしてください”と大手靴店の商品券が入っていた」と語る。中には、時の官房長官から、「あんたらも大変だね。ご同業の方が、官邸に無心にきたよ」と打ち明けられた番記者もいる。
 官房機密費の甘い汁を吸い、政権の「道具」になることを受け入れたマスコミ人が、河村前官房長官の「機密費“持ち逃げ”問題」を追及できないのは当然だ。その「癒着構造」こそ、この国の政治を歪めている病巣なのだ。

 次稿のリポートでは、その人名に斬り込む。

●(3)平成22年5月28日号、週刊ポスト「怒りの告発スクープ PART2」

 <あなたは受け取ったのか><機密費は国家の必要経費なのか> 

 <「実名リスト」で名指しされた言論人を連続直撃!>(上杉隆・ジャーナリストと本誌取材班)「毒まんじゅう」を食らったのは誰なのか・・・・・。「官房長官時代に機密費を評論家に配った」という野中広務氏(小渕恵三内閣。在任98年~99年)の発言は、政府とメディアの隠れた「共犯関係」を暴いた。メディアが自浄能力を問われる中、上杉隆氏がついに配布先を記入した「実名リスト」を入手。沈黙する新聞・テレビに代わって、徹底追及した。

 

 野中広務氏は、沖縄での講演で「田原総一朗氏だけは受け取りを拒んだ」といったが、受け取った評論家の名は明かしていない。私は野中氏に取材を申し込み、名を明かすよう迫ったが、拒否された。 野中氏が証言したように、カネを渡すべき評論家のリストは、歴代官房長官が引き継いできたものである。ところが、宇野宗佑内閣の官房長官だった塩川正十郎氏(在任89年)も本誌の取材に「中身については墓場まで持っていく」、細川護煕内閣の官房長官の武村正義氏(在任93~94年)も、「何も喋らない。週刊誌は嫌いだ」と一様に口をつぐみ、名を明かそうとはしない。

 一方、野中氏の講演内容について報じた4月28日付の琉球新報を受け、各全国紙は簡単な後追い記事を書いたが、やはりカネを受け取った評論家の名については追及していない。
 歴代官房長官と大メディアが歩調を合わせたような、この奇妙な沈黙は何を意味するのか。
 「官房機密費」とは正式には「内閣官房報償費」という。使途を明らかにしない内閣の予算のことで、機密外交、国会対策などに広く使われてきた。外交ジャーナリストの手嶋龍一氏はNHKの官邸担当記者時代、「官房長官室にある金庫の中を見せてもらったことがある。現金の札束が入っていた」と証言する。

 今、私の手元に3枚のメモ書き(写真は省略)がある。1枚は下に「内閣」と印字され、政治評論家を主とする言論人約20人の名と、万単位の金額と思しき「200」「100」といった数字が手書きで記されている。ここには一部政治家の名も混じっていた。また別のメモには、業界紙などの媒体名と担当者名に加え、その横には「○月○日 済」といった支払い日を記したと思われる書き込みがあった。メモが作成された当時の官邸関係者が証言する。

 「これは官房機密費の配布先リストです。盆暮れの年2回、リストの相手に配っていた。メモは89年頃に作成されたもので、歴代の官房長官秘書官たちが前任者のメモを書き写し、またその時々で書き換えながら受け継いできたものです」

 <料亭の女将が紙袋を持ってきた>

 この種のメモは注意深く扱わなければならない。全てが評論家に渡ったとは限らず、途中で誰かに“抜かれる”こともあり得る。また、特定の評論家を貶めるために、配るつもりはないのにわざとリストに名を加える可能性もあるからだ。

 そこで、リストに掲載された評論家のうち、存命の人物に真偽を直撃取材した。
 まずは三宅久之氏。5月7日に収録された『たかじんのそこまで言って委員会』(讀賣テレビ系、5月16日放送)がメディア特集を組み、私も出演した。そこで収録中、出演していた三宅氏にこの件を質問すると、「デタラメだ」と一蹴されたが、後日、改めて取材を申し入れると、三宅氏はこう答えた。

 「第2次中曽根内閣で官房長官になった藤波孝生(在任83年~85年)は早大の後輩で、『急に忙しくなって、約束していた2つの講演ができないので、代わりにやってくれませんか』と頼んできた。引き受けることにしたら秘書が100万円を持ってきた。藤波のポケットマネーだと思って受け取りました。領収書も書いてない。
 しかし、内閣からカネをもらったことは一切ないし、野中さんからは菓子折りひとつもらっていない。今回の発言には大変憤慨している。ああいうことをいうなら、誰がもらったのかはっきりいってほしい。痛くもない腹を探られ、ネットで『三宅を殺せ』とまで書かれ、迷惑千万です」

 野中氏が唯一、名を挙げた田原総一郎氏も「これまで一度ももらったことはない」と話す。
 「野中さんの使いだという料亭の女将らしき女性が『反物』の入った紙袋を届けに来たことがありました。受け取ってもらわないと困ると懇願されたので、あとで返すつもりで受け取ったところ、開けてみたら現金。後日、野中さんの事務所を訪ね、丁寧な手紙を付けて返しました」

 中村慶一郎氏も受け取りを否定する。
 「私は75年から76年にかけて三木武夫内閣の首相秘書官を務め、00年から01年には森良喜朗内閣の官房参与でした。政治評論家に官房機密費を配っていたのは事実です。リストのメモは秘書を辞める直前に見ました。自民党政権時代の悪習であり、恥部ですよ。森内閣を離れてから、内閣の職員から連絡があった。機密費を渡したいのだなとピンときて、受け取るつもりはないので放っておいたら、その後、何の連絡もありませんでした」

 田原氏は取材に、「受け取るのが永田町の常識で、拒否するのは非常識」と語った。一方、「リストは怪文書のたぐい」と牽制した上で、「永田町の常識」に従ったことを認めたのは俵孝太郎氏である。
 「私はこの四半世紀、政府の様々な審議会委員を務めてきました。日当は1万3800円で、往復のタクシー代にもならない。政府としては私に苦労をかけたと思っていただろうから、半年に一度ぐらいずつ官房長官などが数十万円を持って挨拶に来ることはありました。こういうお金をもらっていたのは私だけではない。それを否定するなら嘘だと思う。ただし、野中さんがいうような『盆暮れに500万円ずつ』というのは(野中氏が所属していた)経世会の“マナー”だと思う。私は野中さんから何も頼まれたことはないし、お金をもらったこともない」
 同じくリストにあった2名の評論家からは、期限内に回答を得られなかった。

 <記者クラブにも機密費が>

 影響力のある政治評論家に官房機密費が配布され、受け取った人間がいたことは確かだ。そして、リストに載った評論家には共通点がある。かつて大新聞の政治部記者で、記者クラブに所属していた人物が多くを占めているのだ。
 実は、政治部記者に対しては、日常的に官房機密費が配られてきた歴史がある。たとえば官房長官と記者たちとのオフレコ会食の際、秘書が現金付きの手土産を記者に手渡す。あるいは、記者の転勤や出産、家の新築などの機会に、官邸から現金入りの祝いの品が届けられる。単位は5万円、10万円である。

 そうした記者が社の幹部となり、退職後は政治評論家となり、今度は政府の審議会委員などへの謝礼として機密費を受け取る。
 記者クラブメディアが、平野博文官房長官の機密費公開に関する「公約違反」を追及しないのも、今回の野中発言の中身を検証しようとしないのも、彼ら自身が、「毒まんじゅう」を食らってきたからではないか。

 官房機密費は総額で約14億6000万円(09年度)。過去には外務省機密費からの「上納金」(*)があり、実際にはもっと多かったが、日本の機密費は全体でも約80億円程度。先進各国と比べると、アメリカの約2.8兆円は別格にしても、イギリス約460億円、ドイツ約390億円(外務省の01年調査による)と、日本は機密費の予算自体は少ない。
 三宅氏が「誘拐された日本人の身代金を外務省の機密費から出すように、機密費は必要」、俵氏が「インテリジェンス(諜報)に使う機密費がなかったら国家とはいえない。野中発言は本来、墓場まで持っていく話」と語ったように、機密費は当然、必要であり、安全保障に深く関わる機密費の使途を全て公開することもないと私も考える。

 日本で問題なのは、メディア側の対応である。アメリカでも機密費を使った「スピン」(情報操作)が仕掛けられているが、メディアの側には警戒心が強く、「2ドルルール」「5ドルルール」などを設けている。政治権力からコーヒー代などを超える金品の提供を受けてはならない、という自主的なルールである。破ったジャーナリストは事実上、メディアから追放される。

 一方、日本では長年、政治部の記者たちは官邸に「餌付け」され、「飼い慣らされ」てきた。そして彼らは退職後、政治評論家やコメンテーターとして新聞、テレビで活躍する。もう一度繰り返す。新聞、テレビが「野中発言」を黙殺するのは、“自己保身”のためなのではないか。

 <(*)外務省の機密費の一部が、官房機密費に転用されていた問題。外務省機密費流用事件は97年に本誌がスクープし、官邸への上納金については、01年まで年間約20億円の機密費が上納されていた。岡田克也外相は今年2月、上納の事実を認めた上で、01年以降は行われていないと説明した>

●(4)平成22年5月28日号、週刊ポスト「平野貞夫(元参院議員)が爆弾告発」

 <私は機密費で政治部記者の「酒と女」を世話した>

 私が昭和40年から園田直衆院副議長の秘書をやっていた頃、園田さんの使いで官房副長官室に行くと、竹下登さん(当時官房副長官)が報償費(官房機密費)を月々300万円くれたから、新聞記者相手にもかなりの額を使った。
 番記者を集めて、都内の料亭で飲んでから銀座のクラブに連れて行く。クラブの料金には、「女」の値段も含まれていた。そのあと私は帰るが、記者連中は女とホテルに泊まる。A社の記者は行かなかったけどね。それで翌朝、副議長公邸に集まった記者たちと朝食を食べる。そんなことを月に1、2回やっていた。いまの新聞社の上の世代、政治部長や編集委員ぐらいまでは、そういうことをしてきた。

 それから、自民党を離党した後、羽田孜政権のとき、熊谷弘官房長官と私と、現在も活躍するある政治評論家、名前はいえないけど、3人で食事することになった。ところが、熊谷さんが行けなくなっちゃった。そこで、「これ渡しておいて」と預かった白い封筒を、その評論家に私が料理屋で渡した。彼は当然のように受け取ったよ。あれは間違いなく報償費だった。

<文責:藤森弘司>

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