2010年5月23日 第22回「トピックス」
検察審査会についての一考察(4)

 ●(1)平成22年2月9日、日刊ゲンダイ「小沢捜査を斬る!」

 <ニューヨーク・タイムズ東京支局長 マーティン・ファクラー氏>

 米紙ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏(43)。先月「指導者たちが守旧派の攻勢を受け、停滞する日本」と題する同紙の記事で、小沢事件における検察と大マスコミの癒着ぶりに疑問を投げかけた。米有力紙の支局長も首をかしげるのが今回の小沢報道である。あらためてファクラー氏に聞いた。

 <どうして日本の大新聞は巨大な権力を持つ検察に、疑問と問題意識を抱かないのか>

 小沢さんの事件だけじゃなく、去年の西松事件や鳩山首相の偽装献金の時もそうでしたが、9割以上の(大新聞の)記事が検察の言うことをうのみにしている。小沢さんは、逮捕も起訴もされていないのに、新聞を読むと「有罪」です。日本を含めた民主主義国家では、裁判で判決が出るまでは「無罪」。記者として基本的な出発点を無視して、検察の言うなりになってしまっています。

 もちろん独自の取材はしているとは思いますが、方向性は検察に任せているように見えます。西松事件では、(自民党の)二階さんや森さんの名前も挙がったのに、なぜ彼らは追及されなかったのか?もっと報道に主体性があっていい。

 欧米の検察には、日本ほど大きな裁量権はありません。日本の検察は捜査権、逮捕権、公訴権があるだけでなく、何週間にもわたって容疑者を拘束できる。そして、拘束している間に毎日のようにリークの爆弾を落とす。容疑者本人は拘束されているから自分の弁護ができない。これでは読者が「有罪」だと思ってしまっても仕方がない。

 なぜ、どうして、何の目的で検察がこういう捜査をしているのか・・・・・。
そういう記事をほとんど見かけません。検察を完全に信じて、情報源としているだけ。検察という非常に大きな権力を持っている機関が、その権力を乱用しているのではないか、そういった問題提起が全くありませんね。
 問題意識を提示するのがマスコミの役割のひとつ。ためにそういう記事を見ると、ほとんどが記者が書いたのではなく、外部の識者のコメントです。自分たちで検察を批判することはない。無責任です。

 <当局の一部分として国民を見下ろしている>

 マスコミには、読者の側に立って、当局を批判的に見る役割もあります。しかし、日本の大新聞は、残念ながら検察の側に立って、当局の一部分として国民を見下ろしているように感じます。

 検察報道が最も極端ですが、行政報道全般において同じことが言える。それは記者クラブ制度があるからでしょう。記者クラブで情報を独占して伝えることが、日本の大新聞のビジネスモデル。検察を批判したら特ダネがもらえなくなる。インターネットなど新しい競争相手が増え、読者離れなど変化の時代が来ているから、必死で自分たちの既得権益を守ろうとしている。

 若い記者たちと話すと、みんな記者クラブがダメだというのはわかっている。しかし、会社が既得権益を守ろうとしているから、記者は何も言えない。この矛盾は不思議です。若い記者にもっとチャンスを与えれば、もっといい報道ができるのに。米国でも既得権益が強かったが、インターネットの参入で新聞社が倒産して、古い仕組みでは生き残れなくなった。日本もそうなれば流動化するのかもしれませんが、まだそこまで切羽詰まってないのですね。

●(2)平成22年1月29日、日刊ゲンダイ「小沢捜査を斬る!」

 <在日50年の米国人ジャーナリスト サム・ジェームソン氏>

 政治とカネをめぐる「小沢VS.検察」の攻防は、在日50年の知日派米国人ジャーナリストの目にも異様に映っている。大マスコミが小沢幹事長を犯人のように扱う現状や日本の取り調べ手法を、元ロサンゼルス・タイムス東京支局長で現在はフリーのジャーナリスト、サム・ジェームソン氏(73)が、バッサリ斬り捨てた。

 <弁護士が同席しない日本の取り調べは信用できない>

 <だから「地位協定」も改定できないのです>

 戦争の時や昭和30年代は、日本には全く民主主義がなかった。人が逮捕されても国民に知らされない。そんな時代があった国なのに、検察の言い分を全部信用するなんて、とうてい理解できません。日本国憲法には、有罪判決が出るまでは有罪ではないという法律の基本がある。それがなかったら裁判がいらなくなってしまう。

 日本では、逮捕された後22日間、朝から晩まで寝る時間もほとんど与えず取り調べる。そのうえ弁護士が同席しない。これは大問題ですし、日米関係にも影響しています。個人的な意見ですが、最近も、沖縄で米兵のひき逃げ事件がありました。米軍側が「起訴までは身柄を渡せない」というのは、取り調べに弁護士が同席しないなら、容疑者の段階では引き渡せないということです。つまり、日本の取り調べのやり方は信用できないということ。だから「地位協定」は改定できないのです。

 検察は、裏でリークするのではなく、自分の名前を語ってテレビカメラの前で小沢さんの容疑を明確にすればいい。無責任極まりない状況です。責任ある発言は記者会見なんです。それ以外はウワサの域を出ない。新聞の政治記事に、「腹が固まったようである」という言い方がありますが、それを見た瞬間に、「この記事は読む価値がない」と判断しています。

 <小沢さんは理屈に合う質問には答える人です>

 小沢さんとは、細川政権の時、外国人記者のグループで毎月懇談していました。非常に論理的で、どんな質問にも答え尽くそうとしていたのが印象的でした。日本のプレスは「いつ説明責任を果たすのか」と、表面的なことばかり何度も何度も繰り返し質問するので、我慢強くない小沢さんが怒るシーンが(記者会見などで)撮影されていますが、本来、理屈に合う質問をする人には理屈に合う返事をする人です。

 (マリナーズの)イチローも同じじゃないですか。シアトルに渡った最初の頃、日本の記者は「けさ、何を食べましたか」といった質問をした。イチローは職人的な野球人なので練習したいし、そんな邪魔な質問には耐えられない。小沢さんも同じタイプですよ。

 小沢さんは自分なりの政策や考え方を持っているいる。その意味では、日本では新しい政治家です。昔の派閥の領袖はムードと触れ合いだけだった。日本人は強い指導者が欲しい、と言いながら、本音では強い指導者が嫌いなんです。矛盾していますよ。

<文責:藤森弘司>

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