2010年4月15日 第11回「トピックス」
舛添を激怒させたあの一言

 ●(1)平成22年3月19日、日刊ゲンダイ「舛添を激怒させたあの一言」

 <邦夫とはぜったい組まん!>

 結局、舛添にも与謝野にも振られ、たったひとりで離党することになった鳩山邦夫。
とくに舛添要一は、邦夫のことを「政治家にとって基本は政策だ。新党をつくるとか、誰と組むとか先にやるからおかしくなる!」と、ケチョンケチョン、歯牙にもかけなかった。
 なぜ、舛添はここまで強く連携を拒否したのか。政界では「あの一言がいけなかった」と“珍解説”が飛び交っている。

 「与謝野、舛添に連携を呼びかけた鳩山邦夫は、『日本一、頭がいい政治家・与謝野馨、国民の期待度が高い舛添要一』と、語りかけた。舛添は、その一言が許せなかったのではないか、とみられているのです。邦夫と舛添が、東大法の同期生だということはよく知られている。2人は高校時代から、全国模試の上位に名を連ねるライバルだった。もっとも、東大を首席で卒業した邦夫の方が圧倒的に優秀だった。どうやら、負けず嫌いの舛添は、いまだにそのことを気にしているようなのです。そこに邦夫が、『日本一、頭がいい与謝野馨』と言ったものだから、舛添が『やっぱり邦夫は、オレより自分の方が賢いと思っているのか』とカチンときても不思議ではありません」(永田町事情通)

 <高校時代からの因縁>

 あまりにもバカらしい話だが、かつて鳩山邦夫は、「頭の良さ」をめぐって東大法の後輩である片山さつきの一言に激怒したことがあるという。
 「まだ財務省の役人だった片山さつきが『鳩山先生は高校時代、全国模試で1位、1位、3位、1位だったそうですね』と聞くと、邦夫は自慢そうに『そうだ』と答えた。すると片山さつきが『私は1位、1位、1位、1位でした』と勝ち誇ったように言ったというのです。さすがに邦夫は、あとから『あの女はなんだ!』とカンカンだったといいます」(霞ヶ関関係者)

 こんな連中ばかりでは、自民党が国民からノーを突き付けられるのも当たり前だ。

<文責:藤森弘司>

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