2020年2月15日第147回「トピックス」「プラスチック製品・真っ赤な嘘!パート⑥」
(1)私・藤森は、科学に全く教養がありません、が、判断する能力は、自画自賛するとかなりあります。
下記の武田邦彦先生のおっしゃることは、全く正しいように思っています。今はSNSとか、誰でも、あたかもマスメディアで発言するかのように、いろいろ言える時代になっています。 また、御用学者やメディアは大きな発言力があります。そういうことでますます、情報にたいする判断力が試される時代になっています。 「学問」よりも「実践」を大事にしてきた私には、体験的に、情報の「質」を「皮膚感覚」で直感的に分かる力が少しはあるようです。そういう意味で、武田邦彦先生のご意見はとても貴重だと思っています。 |
(2)<朝番組キャスターが武田教授を名指し批判。環境問題の深すぎる闇>2020.01.17 武田邦彦『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』
<どうなったゴミ問題。「あと8年で廃棄物貯蔵所が溢れる」に踊らされた人々> 1990年、バブルの崩壊とともに環境問題が日本社会の大きな話題になった。その原因は、不思議なことに環境が悪化していたのではなく、将来、悪化するだろうということだった。このまま進めば、ゴミは8年後にあふれ、ダイオキシンで多くの人が死に、環境ホルモンで男性が女性化し、石油が枯渇し、そして温暖化ガスで地球に住めなくなる…というものだった。 その頃、ちょうど筆者は大学に移った時で、リサイクルにしてもダイオキシンにしてもすべて科学的な課題だったので、一つ一つ、計算したり調査をしたりした。 リサイクルは有効なのか、ダイオキシンは毒物なのか、環境ホルモンというのは存在するのか、石油は枯渇するか、さらに温暖化するのか、などを科学的に研究した。その結果、リサイクルは天然資源を使うのに比較して最低でも3.5倍の資源を使う(リサイクルすればするほど資源の枯渇が早くなる)、ダイオキシンはほぼ毒性がない、環境ホルモンはでっち上げである。石油は約4,000年分ぐらいある、そして温暖化は今でも議論がなくならない。 しかし、日本社会の多くの人は環境問題が本当であり、取り組むべきと考え、政府は膨大な予算を投入し、大学の研究ですら環境問題が主力になった。ちょうど、タイミングが悪かったこともあった。1990年から「役に立つ研究」が叫ばれ、政府が気に入る研究しかできなくなった(見かけ上は東大の先生が研究テーマを選定したが、実際は官僚が決めていた)。御用学者が激増し、朝日新聞は途中で寝がえり、NHKは毎日のように放送し、時にはヤラセをやった。 日本の学者のモラル不足と学力不足が重なった。ゴミ問題では学者が「あと8年で廃棄物貯蔵所が溢れる」という計算結果を出し、マスコミはそのまま報道した。当時、筆者が同じ計算をしたら150年程度は持つという結果になった。これはモラル不足の例であった。 <<日本人は金になるのであれば誠実さや礼節を捨て去る民族に成り下がったのか>> リサイクルが資源の節約になるかを筆者が計算したら逆になった。でも多くの廃棄物の専門家はリサイクルは資源の節約になると発表した。これはエントロピー計算や資源の本質を知らない学者の学力不足だった。 ダイオキシンはデータがないのにあるようなウソをついた例であり、環境ホルモンは科学研究の経験のないアメリカの女性学者の妄想だった。石油の枯渇は石油価格を高く維持したい欧米の石油会社の推定をマスコミが取り上げ、資源はまだあると発言する学者を「モラルが足りない」と道徳的に批判した。 その頃、筆者は「環境問題は科学の問題である。もし問題があれば科学的に正しい方法で防ぐ必要がある。ケガをして血を流しているといっても、腕から血が出ているのに脚に包帯を巻いてもダメだ」と言い、懸命に本を書いて科学的結論を社会に訴えたが、1:300と言われ、反対勢力に押されて潰されてしまった。 当時、地上波の有名キャスターが、筆者が私立大学の教授だったこともあり、「私立の先生が売名のためにおかしなことを言っている」と朝の番組で名指しで批判した。学問的な反論が許されない社会の雰囲気だった。 筆者はと言えば、中心的に活動していた高分子学会で、「リサイクルをした方が資源を多く使う」という学術発表(発表名はもっと学術的だが)をしたら会場から「売国奴!」と罵倒され、学会の持続性社会特集号に「高分子では持続性社会は自動的に達成される」という趣旨の論文を提出したら、「持続性社会が破綻するという内容の論文しか受理しない」とされた。資源系の学会では筆者の「石油は枯渇しない」という発表に対し、座長が「この発表では質疑応答はしません。次の方」という方法をとって学会の議論を封殺した。 2001年、東大医学部の教授だった和田先生は学士会報に「ダイオキシンが猛毒という間違いは科学が社会に負けた例である」という趣旨の論文を書かれた。科学的には猛毒ではないダイオキシンを猛毒にし、それを御用学者とマスコミが支援して猛毒になり、さらに『ダイオキシンの夏』という映画が作られ、文部省推薦になって小学校などで放映された。 まるでナチスの時の民族論文(ユダヤ人排斥)やスターリン時代のソ連のようだ。それが30年間にわたり日本を席巻したのだから、社会の道徳が廃れ、科学は衰退し、会社では不祥事が連発するはずである。真面目で正直で努力する日本の学会は社会的な圧力で崩壊してしまった。 学問を尊敬し、世界でもまれに見る真面目さを持っていた日本社会はどうしてしまったのだろうか?お金になると思えば、学問も、誠実も、礼儀も、環境も、日本の将来もすべて捨て去る社会が平成の時代だった。日本人はこれを真正面から考え、不真面目な泥沼から立ち上がる必要がある。(メルマガより一部抜粋) <武田邦彦・・・中部大学教授の武田邦彦です。主に環境問題や資源に関して研究を行っております。 私のメルマガでは、テレビや雑誌新聞、ブログでは語ることが出来なかった原発やエネルギー問題に鋭く切り込みます。> |
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