マケイン氏が議会で圧倒的人気を誇ったワケ ハグするために議員たちが行列を作っていた
アメリカ国民からその存在を最も愛された政治家のひとり、アリゾナ州代表の上院議員、ジョン・マケイン氏が8月25日、脳腫瘍により81年の生涯を閉じた。同じ共和党でありながら、現在のドナルド・トランプ大統領の政治姿勢を痛烈に批判するなど、マケイン氏はつい最近まで最前線で影響力を持った大物政治家だった。
しかし、そうした記事は数多くある追悼記事を参考にしてほしい。本稿では筆者がワシントンのアメリカ議会を取材する中で生で見た2005年から2008年にかけてのマケイン氏の素顔について書き記し、哀悼の意を表したい。
「あ、ほら、マーヴェリックが来たよ!」
時は2005年のワシントンDC。アメリカ議会上院のフロアが見渡せる記者席で、隣にいた記者が、議場を指さすとそう言った。その指の先を見ると、すでに20人ほどの人だかりができていた。
「マーヴェリック」と言えば、映画『トップガン』でトム・クルーズ演じる海軍のパイロットが、仲間からそう呼ばれていたあだ名だ。「一匹狼」または「異端者」という意味だ。
その同じ呼び名で知られるアリゾナ州のベテラン上院議員、ジョン・マケイン氏が、自身が立案した法律の投票のために、採決のフロアに登場したのだった。だが肝心のマケイン氏の姿は、その白髪頭のてっぺんしか見えなかった。すでに数十人の大柄な男性議員たちがマケイン氏を取り囲み、彼の小柄な身体を我先にハグしていたからだ。
圧倒的な人気
まるで人気プロフットボール選手のように、次から次へと男性議員たちからハグされ、もみくちゃになっているマケイン氏。さらにその人だかりの横には十数人の議員たちが列をつくって彼とハグをする順番を今か今かと待っていた。
そして、その光景のすべてがC−SPANというケーブル局を通じて、全米に報道されていた。
何なんだ、この圧倒的な人気は……。それが筆者が初めてマケイン氏を見た時の驚きだった。
当時、筆者はシカゴにある大学院に学生として籍を置きつつ、ワシントンで、中西部ミズーリ州の新聞社のワシントン特派員として、アメリカ議会を取材して記事を書いていた。
初めて議会の記者証をもらい、「キャピタル」と呼ばれる白いソフトクリームのような形をした議事堂の建物の中に入ると、まず頭に叩き込んだのは、議事堂内の詳しい地図だった。
迷路のように複雑に入り組んだ議事堂の建物の構造を把握し、上院と下院をいかに早く往復できるかが、締め切りのある記者にとっては死活問題だからだ。アメリカ議会の建物の地下にはなんと独自の地下鉄も走っており、そのおもちゃの電車のような地下鉄を上手く使うと、効率的に回れることも知った。
議員たちを取材するには2通りのやり方がある。議員のオフィスに取材申し込みをし、広報のフィルターを通した正式なコメントを待つか、政治家から直接談話を取る「ぶら下がり取材」をするかだ。
議員を追いかける記者たち
もちろん後者の方が、広報のフィルターを通さない分、議員の生の声を直接聞ける。そのため、何十人もの記者が上院議員たちを一斉に追いかける。「chasing the senators」(いま上院議員を追いかけてます!)」と記者たちがエディターに携帯電話で伝えながらダッシュする。
走りやすい靴を履いて議員たちを追いかけるのは基本中の基本だが、知り合いのAP通信社の男性記者は、男性上院議員をトイレの中まで追いかける猛追ぶりで有名だった。だが、最大の関所はエレベーターだ。議員用のエレベーターと一般用のエレベーターが別々に隣り合って設置されているのだ。
議員専用のエレベーターにさっと乗り込まれてしまっては、記者はそれ以上追いかけることができない。警備員の目が光っている。「ああ、またエレベーターで逃げられちゃったよ」。そんな仲間の記者の嘆きを聞くこともしばしばだった。
ある日のこと、共和党のマケイン氏と、民主党の有力者であるマサチューセッツ州代表のテッド・ケネディ上院議員が共同で立案した移民法改案が発表になった。
共和党と民主党という日頃対立する党の有力議員同士が手を組み、移民法改正に乗り出したわけで、大ニュースだった。
特にマケイン議員が代表するアリゾナ州には、国境を接しているメキシコから、違法移民が流入し続けていた。その対策に税金が注入されていたが、移民の流入は止まらない。「マケインはどうして国境に壁を作らないんだ。何やってるんだ」という州民の不満も爆発寸前で、州代表であるマケイン氏の対応が注目されていた。
アメリカ商工会議所の重鎮たちを味方につけて根回しを開始したマケイン氏は、アメリカのビジネス界のまとめ役たちを前にこう演説した。
「国境警備の予算を3倍に増やし、国境警備隊の数を2倍にしても、違法移民の流入数は2倍になってしまった。つまり現行のシステムが機能していないということだ」
そこでマケイン氏が提案したのは違法移民たちが2000ドルの罰金を払えば、一時的な労働ビザを与えるというアイデアだった。「罰金を払い、さらに今後6年間真面目に働いて納税をした者には、米国永住権の道も開く」。
商工会議所の重鎮たちは拍手で賛成したが、多くの共和党保守派議員たちは大反対した。「それは違法移民への恩赦だ!冗談じゃないぞ!」という怒号が聞こえた。
会場を出てテレビカメラの前で握手するマケイン氏とケネディ氏。多数の記者たちがどっと群がる。背が高く大柄なケネディ氏は、歩く速度も動作もゆっくりで、口調もゆるやか、かつ饒舌だ。つまり、かなりコメントが取りやすいタイプの議員なのだ。
一般用エレベーターに乗り込み取材に対応
その横で取材に答えるマケイン氏は、早口で饒舌なのだが、身体の動きも圧倒的に機敏だった。質問に答えながら、エレベーターの方向にずんずん歩いて行く。
あ、議員エレベーターに乗り込まれてたら終わりだ、と思った瞬間、閉じかけた議員用エレベーターの扉が目の前で閉まった。するとマケイン氏は「あ、こっち開いているな」とつぶやき、隣の一般用エレベーターに飛び乗ったのだ。
私たち記者全員が「ええっ!」と声を出して驚いた。記者に囲まれてしまう一般用エレベーターに自ら乗る議員など、これまで見たことがなかったからだ。
マケイン氏に続き、当然記者も次々と乗り込む。満員電車並に四方八方をマイクやレコーダーやノートやペンでぎゅうぎゅうに囲まれたマケイン氏は、記者たちを見上げるようにして質問に次々と答えた。
その日、記事を書き上げてミズーリ州のエディターに送ると「マケイン、国境政策の改革を呼びかける」という見出しがつけられて新聞に載った。
ケネディ氏やカンザス州のサム・ブラウンバック氏など、マケイン氏以外の有力議員も多数取材して記事に盛り込んだのだが、ワシントンから遠い中西部のミズーリ州の州民に一発でインパクトがあるのは、やはり「マケイン」の見出しだった。
ベトナム戦争時に海軍軍人だったマケイン氏は、ベトナム現地でパラシュート降下した際に水面に落ち、捉えられて捕虜となった。
当時受けた拷問で、腕が一定以上の高さに上がらないという逸話も、アメリカ議会のカフェテリアで他のベテラン記者たちから何度か聞いた。またマケイン氏が自分と肌の色が違う子どもを養子にして育てており、7人の子どもがいる大きな家族を大切にしていることも知った。
そんなマケイン氏がアメリカ議会で所属していたのは「アームド・サービス(軍関連)」や「商業」などの主要な委員会だ。
共和党の保守派の主流からは「異端」と見られていても、彼の発言力は圧倒的だった。特に軍関係の議題では、元軍人で実戦と捕虜経験のあるマケイン氏が発言すると、その場がシーンとして誰もが聞き入った。
オバマ氏は「家具」と揶揄されていた
そんな頃、イリノイ州の上院議員として当選し、アメリカ議会で初めての任期を経験していたのが、バラク・オバマ氏だった。当時シカゴの大学の学生だった筆者は、シカゴの連邦裁判所前や州議会や街角でオバマ氏が多くの記者に囲まれて、取材を受けるのを何度か見てきた。政治界に登場した若きロックスターとして、彼の圧倒的なスピーチ力とカリスマ性は地元だけでなく、民主党党大会でも注目されていた。
だが、数多くの法案を通してきた古参の議員が力を持つアメリカ議会内では、自前の法案を通したことがない当時のオバマ氏は「ファーニチャー(家具)」と呼ばれていた。いてもいなくても同じような存在、という意味だ。
ある日、退役軍人向けのサービスについて議論する「ベテランズ委員会」を取材していると、その委員会のメンバーであるオバマ氏が遅れて入ってきた。
「法案の投票があったので、遅れてすみません」と言いながら入ってきたオバマ氏は、彼用に用意された空席に座り、さっと長い足を組んで、議題の書かれた紙をパラパラと指でめくりはじめた。
その委員会の議員たちの中で、頭髪が白髪混じりでないのは、オバマ氏ただひとりだった。
その日の議題は、戦場で負傷したりPTSDを抱えて後遺症に苦しむ元軍人たちへの医療サービスをいかに向上させ、その財源をどこから回すか、という点だった。
ベテラン議員のひとりが、自らの兄弟の元軍人のPTSDの苦悩を涙ながらに語ったちょうどそのタイミングで、オバマ氏が入室してきたのだった。
オバマ氏が持論を発言すると、議員たちの顔が白けたのがはっきりわかった。「この若造、家族にPTSDの後遺症を抱える人間もいない、自ら軍経験もない、さらに議員としての経験も浅いのに、何、きれい事を言ってるんだ?」という空気がその場に蔓延した。
さらに、休憩時間になると、オバマ氏はそこにいた私たち記者や議会職員に向かってこう尋ねたのだ。「えーと、お手洗いはどこだっけ?」
「そこの角を曲がったところですよ、セネター」と職員が答えた。「あ、そうだったね。ありがとう」とオバマ氏が言って部屋を出ると、室内に衝撃が走った。「あの新人、自分が所属する委員会室のトイレの場所もまだ覚えていないのかよ」という声が室内からぼそぼそと聞こえた。
シカゴの街での彼の輝かしいスターぶりを見慣れてきた筆者にとって、ワシントンの議会内でのオバマ氏の存在感のなさを目撃するのは、かなり衝撃的な出来事だった。
圧倒的な存在感の違い
マケイン氏とオバマ氏のアメリカ議会での圧倒的な存在感の違いーー。それは上院に提出された重要な財政法案に、各議員がイエスかノーかを投票する時に最も露呈した。
マケイン氏がフロアに登場すると、拍手さえ起き、両党の議員たちが一斉に彼の周りを取りまくのだ。瞬く間に彼の前にハグの列ができ、マケイン氏はなかなか投票する場所までたどり着けない。
アメリカの上院議員たちは、その多くが「プロフェッショナル・フレンド」と呼ばれるほど、人との関係を作るのに長けている。全員が基本、人たらしであり、そうでなければ、スピーチ文化のアメリカで政治家になることはまずできない。
そんな彼らは、大きな法案の決議の場が多くのメディアに注目されていることを当然知っている。議員同士のハグは、パフォーマンスであり、縄張りの強化が目的だ。マケイン氏とハグすることで「こんな大物政治家と通じてるぞ。自分には法案を通せるパワーがあるぞ」と地元有権者たちに見せるショーでもあるのだ。
当時、テキサス州代表の共和党下院議員で、下院議長を務めていたトム・ディレイ氏が選挙法違反と汚職の疑いで逮捕された。ニコニコと満面の笑顔で撮影されたディレイ氏の異様な「マグショット」(逮捕写真)が出回ってからすぐ、彼は議会に戻ってきた。
「ハンマー(金槌)」とあだ名されるディレイ氏が向かった先は、マケイン氏がハグされまくっている上院だった。
同じ共和党の実力者で、国民からも愛されているマケイン氏と自分のハグの光景が、うまくメディアで流されれば、ある種の「みそぎ」になるという計算だったのだろう。
ちなみに、ディレイ氏はマケイン氏が後に大統領選に立候補すると「マケインが大統領では保守を貫いてきた共和党はダメになる」と攻撃している。
マケイン氏が議会フロアでハグの輪の中心にいる時、オバマ氏はひとりでポツンとしていることが多く、誰からもハグしてもらえていなかった。「利用価値なし」と判断されていたのだろう。当時、オバマ氏に近寄って話しかけていたのは、ごくわずかいる民主党の黒人議員たちと、ヒラリー・クリントン上院議員など、ほんの少数だけだった。
誰に話しかけ、誰と話さないか。誰とハグするか、しないか。すべての政治家は、その行為がカメラで全米に放映されていることを知り尽くしているプロたちだ。
オバマ氏のハグを受け入れた
ハグしたからと言って、親友とも限らないし、笑顔で抱き合いながらも敵対関係にあることもある。それがアメリカ議会というクラブのお約束であり、儀式なのだ。
その中で、生涯を過ごし、自らのハグの写真や映像が他者に利用されることを十分承知で「マーヴェリック」な自分なりの発言を通していたマケイン氏。そんな議会クラブで何十年も下積みして少しずつ上がっていく道を選ばず、国民からの票という手段で一気に国のトップに立つ道を選択したオバマ氏。まったく違う道、まったく違う政治信条、まったく違うジェネレーション。大統領選に出馬したそんなふたりが公にハグしたのは、2008年の8月。今から10年前のフォーラム会場での出来事だった。
オバマ氏から手を差し伸べてマケイン氏の身体を引き寄せる。すると、マケイン氏はハグを受け入れ、彼のトレードマークのサインである親指を立てるしぐさで観衆にアピールしたのが印象的だった。
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