2017年3月31日 第176回「今月の映画」
監督:ケン・ローチ 主演:デイヴ・ジョーンズ ヘイリー・スクワイア―ズ
●(1)私(藤森)が若い頃は、イギリスは理想的な国でした。揺り籠から墓場まで、と。しかし、なんでも制度は疲労するんですね。
この映画は、上映スタートの時点はほとんどお笑い映画でした。私は思わず笑ってしまいました。余りにも馬鹿馬鹿しいやり取りに。 <<<「腕は上げられますか?」と聞かれて、「カルテを読めよ」と憮然と答えるダニエル。心臓発作を起こして医者から大工の仕事を止められた59歳のダニエルは、国から雇用支援手当を受けている。今日はその継続の審査なのだが、悪いのは心臓だけなのに、まるでブラックジョークのような不条理な質問の連続にウンザリしていた。>>> <<<その時、若い女性の悲痛な声が響く。彼女の名前はケイティ。約束の時間に遅刻したせいで、給付金を受け取れないばかりか、減額処分となる違反審査にかけると宣告されていた。>>> どうやら世界的に、トランプ大統領の何もかもぶち壊すような政治家を必要とする時代に突入しているようです。日本を始めとするいわゆる先進工業国は、第二次世界大戦後、豊かで平和な時代を生きて来られました。 今の時代は「兵器」が余りにも強力になり過ぎて、いわゆる先進工業国は戦争は簡単に起こせないけれども、第二次世界大戦以前は、こういう流れの中で戦争が頻繁に起こったのかも知れないと思えるほど、世界的に「激動」の時代に突入しているように思えてなりません。 仮にそうだとするならば、森友学園問題にいつまでもダラダラ取り組むのは・・・・・世界的な大激動の潮流を見誤ってしまうのかも知れません。しかし、この問題を軽視しているのではありません。相対的な「問題意識」の問題を考えるべきタイミングになりつつあるのではないかと言いたいのです。 世界がどれほど激動しているかの一つの典型例として、自由主義世界のリーダー、アメリカのトランプ大統領が「アメリカファースト、保護主義」を主張し、スイスのダボス会議で中国の習近平国家主席が「グローバル化を支持するメッセージを発し、保護主義に反対する姿勢を明らかにする」という極端なねじれ現象が起きています。 |
〇(2)<Introduction>
明日のことすら考えられない厳しい現実の中、 第69回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞! イギリスの名匠に、いったい何があったのか?2016年のカンヌ国際映画祭は、そんな疑問と高まる期待に包まれていた。前作の『ジミー、野を駆ける伝説』で映画監督からの引退を表明していたケン・ローチが、その宣言を撤回してまで、どうしても伝えたい物語があると制作した作品が正式出品を果たしたのだ。 まもなく80歳を迎える映像作家の最後になるかもしれない作品に、慰労の拍手を贈ろうと待ち構えていた観客はしかし、権力に立ち向かう圧倒的なパワーに吹き飛ばされ、人と人が助け合う物語にむせび泣いた。そして見事に居並ぶ新しい才能たちを迎えて、16回目となる正式出品で『麦の穂をゆらす風』に続く2度目のパルムドールを獲得した。 その後も、ヨーロッパからカナダのトロント、アメリカへと世界各国の映画祭を熱い涙で震わせ、ロカルノ国際映画祭、サン・セバスティアン国際映画祭では観客賞に輝いた。さらに、本国イギリスでは、ケン・ローチ監督作品の中で最高のオープニング成績を飾った。 長編映画監督デビューから50年、労働者階級や移民の人々など、社会的弱者の人生にそっと寄り添い、明日のことすら考えられない厳しい現実と、それでも目の前の今を懸命に生きようとする人々の姿を描き続けてきたケン・ローチ。人間ドラマの名手の集大成にして最高傑作と絶賛される作品が、遂に日本公開を迎えた。 <ダニエルが教えてくれたこと・・・隣の誰かを助けるだけで、人生は変えられる> ダニエルには、コメディアンとして知られ、映画出演はこれが初めてのディヴ・ジョーンズ。オーディションで演技を気に入られたのはもちろん、父親が建具工で労働者階級の出身だったことから、何よりもリアリティを追求するケン・ローチ監督に大抜擢された。前半の役人とのユーモア溢れるやり取りは彼の独壇場だったが、感情がほとばしるシーンでは、ケン・ローチ独自の演技指導を受けてダニエルを“生き抜いた”。ケイティには、デイヴと同じくオーディションで選ばれた、『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』のヘイリー・スクワイアーズ。どんな運命に飲み込まれても、人としての尊厳を守ろうとする二人の姿が、観る者の心に深く染みわたる。 日本でも「下流老人」「若者の貧困」など厳しい社会情勢を表すキーワードがメディアやネットで飛び交う今、これは遠い国の見知らぬ男女の話ではない。ダニエルのまっすぐな瞳を通して、ケン・ローチが教えてくれるのは、どんなに大きな危機を迎えても、忘れてはいけない大切なこと。今、未来を照らすメッセージをあなたに・・・・。 |
〇(3)<STORY>
<愛する妻に先立たれ、一人暮らしのダニエル> 数日後、“就労可能、手当は中止”という通知書を受け取ったダニエルは、憤慨して窓口に電話をするが、“サッカーの試合より長く”待たされた上に、さらに認定人からの連絡を待てと言い放たれる。 <二人の子供を抱えた、シングルマザーのケイティ> <仕事もお金もない二人に芽生えた温かな友情> それからというもの、ダニエルは部屋のあちこちを修理したり、娘のデイジーに木彫りのモビールを作ってやったりと、何かとケイティを手助けするようになる。アルバイトも見つからず、切羽詰まったケイティは、食料と日用品が支給されるフードバンクを利用する。ダニエルに付き添われ、長蛇の列の順番がようやく回って来た時、極度の空腹のあまり自分を見失い、渡された缶詰をその場で開けて食べてしまうケイティ。我に返って「ミジメだわ」と涙をこぼす彼女を、ダニエルは「君は何も悪くない」と優しく励ますのだった。 <矛盾した制度と容赦ない現実に追い詰められていく二人> 同じく収入を断たれたケイティは、スーパーで買い物をした際に、生理用品をこっそりバッグに入れ、警備員に見つかってしまう。しかし、哀れに思った支配人が見逃してくれ、警備員からは力になると電話番号を書いた紙を渡される。 <引き裂かれた友情、打ち砕かれた希望> 職業安定所で、求職者手当をやめると宣言するダニエル。止める係員に「尊厳を失ったら終わりだ」と毅然と告げると、静かな怒りをはらんで表に出たダニエルは、強い決意のもとある行動に出る。 <再び友と手をつなぎ、踏み出した一歩の行方は・・・・・?> ケイティの助けを借りて、再審査要請の手続きを進めたダニエルを待っていたものとは・・・・・? |
〇(4)<Essay>
<「忘れられた人々」の名前を呼ぶのは誰か、それが問題だ。>(湯浅誠・社会活動家・法政大学教授) 行政はムダばかりで非効率きわまりないとされてきた。だから私たちはムダの削減と効率化を求めた。あるいはそう言う政治家を支持した。ずっとそう聞き続けて、それはもう説明のいらない常識となった。公務員の数は減り、非正規も増え、外注もされ、民営化も進んだ。しかし、バラ色の未来は生まれていない。効率化が足りない?本当にそうなのか?効率化で生み出されたはずの時間と富はどこへ行ったのか。 少なくともダニエルは幸せじゃなかった。心臓病を抱えているのにストレスの連続だ。サクサクいってストレスが解消されるはずじゃなかったのか。安い物を求めた結果が延々に続くコールセンターのBGM?私たちはそんなものを求めたつもりはないのに、でもそれはダニエルだけじゃなく、私たちを苦しめてもいる。もう「24時間電話受付で安心」という謳い文句を聞いても、全然安心なんかできない。どうせつながらないとわかっているからだ。 どうしてケイティは体を売るはめになったのか。スペシャルじゃない男をスペシャルと思い込んだ罰か?万引きしたむくいか?まともに育てられもしないのに、2人も子どもを作った計画性のなさか?すぐに剥がれる安物の接着剤で靴を直すような、そんな接着剤しか娘に買ってやれず、あげくの果てに娘がいじめられるに至った甲斐性なしだから、体を売るはめになったのか。 なぜアンは、ダニエルのオンライン申請を手伝っただけで呼び出さなくちゃならないのか?「前例になるから」と上司は言った。下手な前例を作って、それが当然となれば、失業者たちの甘えを誘発する。人件費とコストがかさみ、どうしてこんなに金がかかっているのかと議会で叩かれるだろう。これだから役所はムダばかりで、お役所仕事だと叩かれるからだろう。いや、私たちはダニエルをいじめることなんて求めていませんよ。ただ、ムダは削減すべきだと言っただけですよ。その結果、さらにお役所仕事化するなんて想定外なので、これは私たちの罪じゃありません。どこかで話を捻じ曲げた誰かが悪いんです。で、それは誰なのか? 私は思い出す。政府のアドバイザーをやっているとき、霞が関から埼玉に電車で行くのに、最安値ルートを求められた。最安値ルートを検索し、10円の違いのために20分余計にかけて、プリペイドカードを券売機に通してルート記載をしろと言うのだった。滑稽で、茶番だった。その場にいる全員がそのバカらしさをわかっていた。同時に、もう一つの茶番も痛いほどわかっていた。最安値じゃなければムダと追及される。何を言ってもどうせ言い訳するなと火に油を注いで終わりだ。誰から?「国民の皆様から」。 おかしい。おかしいことだらけだ。でもそれを指摘すると、検討と修正でもみくちゃになった結果、よりおかしな現実が生まれてくる。いったいどうなっているのか。ただ書類を出したいだけなのに、ただふつうに暮らしたいだけなのに、ただ人間らしく生きたいだけなのに。誰が悪いのか。どいつのせいなのか・・・・・。誰が悪いのかよくわからない。みんな言うことが違う。 ダニエルを称えた通りすがりのおじさんはダンカン厚生年金大臣だと言ったが、本当にそうなのか。このシステム、この世の中全体がどうかしちゃってるんじゃないのか。いや、難しいことはわからない。でもはっきり言えるのはおかしいということ。誰がどう考えたっておかしい。だったらNOと言おう。よくなるか?そんなことはわからない。たぶん良くならないだろう。期待してがっかりするのはまっぴらだ。でもNOとは言えるし、言いたい。だからNOと言うやつに入れる。それはYESじゃない。でもNOと言わなければやってられない・・・・・。 ・・・・・ケン・ローチがトランプの排外主義や差別主義を容認するとは思えない。トランプ以後には、ケン・ローチはまた異なる形で市民の尊厳を描くだろう。『ブレッド&ローズ』のような『カルラの歌』のような映画だ。その不屈さがケン・ローチをケン・ローチたらしめてきたことには、誰も異論はないだろう。 だが、トランプ以前に作られたこの映画をトランプ以後に見るという時代の偶然に立ち会っている私たちは「ダニエルはトランプを支持しただろう」と思って見るべきだ、と私は思う。イギリスをEUから離脱させ、トランプを大統領に押し上げたのは、ダニエルのような、ケイティのような、不器用だが愛すべき、良い人たちなのだ。 その人たちが「忘れられていた」とズバリ言い当てたトランプは、「もう二度と忘れさせない。私を信じろ」と言うトランプは、ダニエルに「あなたは、ダニエル・ブレイク」と呼びかけたのだ。失意のダニエルがそう聞き取ったとして、それを聞き間違いだよなどと、私は言えない。やるべきことは、トランプのおかしさをあげつらうことじゃない。「私は忘れていなかったか」と胸に手を当てて考えることだ。そして、できることに着手することだ。 私は、この作品がそんなふうに見られることを望む。 |
〇(5)<「わたしは、ダニエル・ブレイク」は究極の反緊縮映画だ>(ブレイディみかこ・保育士・ライター)
2016年11月2日、英国下院議会のPMQ(首相質疑応答)で、労働党首ジェレミー・コービンは、現在、英国の生活保護・失業保険受給者で福祉当局からサンクション(制裁)措置を受けた人々の5人に1人がホームレスになっており、その多くが子供を抱えた人々であるという調査結果に言及し、「メイ首相は、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した『わたしは、ダニエル・ブレイク』を鑑賞すべきです」と言った。 保守党が政権を握り、緊縮財政政策に舵を切ったのは2010年のことだった。保守党政権は財政健全化を最優先課題とし、福祉、医療、教育といった庶民の生活にダイレクトに響く分野への財政投資の大幅削減を実行した。以降、英国のあちらこちらにフードバンクが現れ、地方の街には目に見えてホームレスが増え、例えばわたしが住むブライトンの街には、亡くなった野宿生活者を追悼する祭壇ができている。 「経済政策で人が亡くなるというのは大袈裟だ」と保守党議員たちは言う。労働年金大臣のダミアン・グリーンは、『わたしは、ダニエル・ブレイク』は現実味を欠く映画」「単なるフィクション」と言った。彼らは、ブライトンにホームレスを追悼する祭壇に掲げられた「緊縮の犠牲者たち」というバナーを見たことがないのだろう。 今世紀初頭、英国は「ブロークン・ブリテン」と呼ばれるようになった。既存の階級の下に存在するという意味で「アンダークラス」と呼ばれる邪悪な怠け者たちが、英国のモラルを崩壊させたのだという。働かずに国から金を引き出して生きる生活保護受給者たちがブロークン・ブリテンの諸悪の根源だという。しかし、ケン・ローチは、英国が壊れているのではなく、英国が庶民を壊しているのだと反論する作品を作った。「『わたしは、ダニエル・ブレイク』のケン・ローチは、80歳にして、これまでで最も怒っている」とガーディアン紙は評している。 同作は、50年前に彼が撮ったBBCドラマ「キャシー・カム・ホーム」の姉妹作だとよく言われている。1200万人(当時の英国の人口の4分の1)が見ていたというこのドラマは、1966年放送当時、空前の大ヒットとなり、国会でも取り上げられて、国中のあちこちにホームレス問題に取り組む団体が出来た。ある労働者階級の若い女性(キャシー)が、夫の失業をきっかけに、貧困、スクワッティング、ホームレスと、あれよあれよと言う間に落ちて行き、最終的には子供を福祉に取り上げられてたった一人で故郷に帰るというこのドラマは、どこかでセーフティーネットにひっかかるはずの福祉社会で、実際には社会も政治も下降して行く人を黙って見ているだけだという痛烈な風刺でもあった。 『わたしは、ダニエル・ブレイク』もそれに似ている。が、今度はセーフティーネットの穴を風刺しているのではない。落ちてくる人をキャッチしないように制度がいかに巧妙にセーフティネットを畳んでいるかということを告発する。実際、心臓発作で倒れ、働くことを禁止された初老の建具大工、ダニエルが、どんなカラクリで傷病手当がもらえないようになっているか(病気なのに)、どんなカラクリで仕事を探すように仕向けられるか(働けないのに)、どんなカラクリで福祉当局の決断に異議申し立てができないようにされているか(誰が見ても間違っているのに)、というあまりに吝嗇な制度の描写は、シュールすぎて壮大なブラックコメディのようだ。しかしホラーなことに、これは現実と乖離してない。 50年前のキャシーのストーリーが社会を変えるきっかけになったように、ダニエルも人々を動かすことができるだろうか。「キャシーがホームレスになった姿を見て、当時の人々はみな怒った。でも、現代社会にはそんな団結力はない。サッチャーとブレアの時代が、我々には互いを扶助する責任があるのだという意識を侵食してしまったからです」とケン・ローチは悲観的だ。 だが、その絶望的な状況の中でも、ケン・ローチの映画にはいつも主人公が「権威」に対して中指を突き立てるシーンが出てくる。本作では、ダニエルが職安の外で落書きする場面だ。「貧困者が哀れな弱者として登場するのは右派の芸術作品です」と彼は言う。「階級は固定されたもので、そこには貧困者が常に存在するのだから、助けてあげなければならない」というのが右派の表現なのだと。だが、右派の芸術作品は違うと彼は主張する。「右派は、貧困とは階級社会の副産物であり、人々はそれに抵抗すべきだということを表現する。この抵抗の姿こそが、我々の価値観であり、祝福すべきものだ。だからダニエルは懇願しない。彼は誇り高き尊厳の人なのです」。 この映画が、2016年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したことには意味がある。緊縮病にかかっている欧州には、無数のダニエルたちがいるからだ。EU離脱、極右の台頭、そしてスペインの新政党ポデモスの躍進や英国のコービン現象にいたるまで、右往左往する欧州政治の激動の震源地が知りたいという人はこの映画を見ればいい。 震源はここに描かれた地べたの光景の中にある。『わたしは、ダニエル・ブレイク』は究極の反緊縮映画だ。 <ブレイディみかこ・・・1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライターとして活躍。著書に「ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート」(岩波書店)、「THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本」(太田出版)、「アナキズム・イン・ザ・UK‐壊れた英国とパンク保育士奮闘記」、「ザ・レフト‐左翼セレブ列伝」(ともにPヴァイン)。The Brady Blogの筆者> |
<文責:藤森弘司>
最近のコメント