2017年10月31日 第183回「今月の映画」
ドリーム
監督:セオドア・メルフィ  主演:タラジ・P・ヘンソン  オクタヴィア・スペンサー  ジャネール・モネイ  ケビン・コスナー

●(1)数学って凄いのですね。

<<<2010年に金星の周回軌道投入に失敗した「あかつき」は2015年に再挑戦することが決まった。しかし、一度軌道投入に失敗した探査機が再挑戦で成功した例は過去になく、「あかつき」も成功するはずがないと世界の誰もが思っていた。

しかし、軌道計算を担当したJAXAの女性研究員、廣瀬史子さんは2年半もの間、数万通りのケースを計算、ついに最適な軌道と投入方法を導き出したのである。最適解を見つけたのは廣瀬さんが産休に入る直前だった。そして、彼女の計算通りに「あかつき」は見事に金星軌道再投入に成功、「あかつきの奇跡」と世界が驚いた。廣瀬さんは日本のキャサリンと言えるだろう。>>>

この女性研究員の廣瀬さんがテレビに出ていらっしゃるのを、当時、見ましたが、<<<数万通りのケースを計算>>>したノートが画面に映っていました。<<<2年半もの間、数万通りのケース>>>の計算式・・・・・ズラズラッと計算式が並んでいるノートには驚きました。あの数式が<<<最適な軌道と投入方法>>>・・・・・遥かかなたの金星・・・地球から4千万キロメートル!!!への投入方法を計算したものとは驚きでした。数学って不思議なものですね。

<<<フレンドシップ7は地球を3周し、4時間56分飛行したあと、ケープカナベラル沖の海上に着水し、グレンは無事生還した。作中のキャサリンと同じように、実在のキャサリン・ジョンソンも、ジョン・グレンに新型コンピュータの計算を個人的に検算するよう依頼されている。>>>

今の時代を考えると笑ってしまいますね。新型コンピュータが計算したものを、人間の手で検算・・・それも想像を絶する膨大な量の計算を「検算!!!」するのですから。
私(藤森)も経験があります。約半世紀前、電卓が使われるようになった頃のことです。電卓が出した掛け算の答えが本当に正しいのか気になって、ソロバンで検算したことがあります。あの頃は、ワンフロアに50人以上いる事務所に、40センチ、厚さ10センチくらいの電卓がわずか数台あっただけの時代でした。今なら、全員がポケットサイズの電卓・・・もうスマホですか、を持っているのですから、いつの時代も振り返ってみると不思議なものです。

<<<NASAの前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)が運営するヴァージニア州ハンプトンのラングレー研究所が必要としたのは、“人間コンピュータ”、つまり、矢継ぎ早に高度な計算ができる頭脳を持った異例の才能の持ち主だった。これは、スーパーコンピュータが生まれる前の話だ。>>>

<<<「男女の差は感じないけど、しいて言えば女性の方がマルチタスク、複数の仕事を同時にこなす能力にたけている」という声はよく聞く。仕事と育児、友達との語らい。そのどれも諦めない。固定観念に縛られず、欲張りでタフな女性が不可能を可能にする。>>>

これは確かに言えます。洗濯物を干すのでも、夏と冬では日当たりがかなり違います。太陽の当たる場所を探しながら洗濯物の干し方を工夫する必要があります。特に冬場は、厚手の物は乾きにくいので、さらに干し方を工夫する必要があります。
料理がそうですね。冷蔵庫の中にある物でいかに美味しい物を作るかというのはかなり多彩な技量が求められます。私ならば、面倒で、インスタントラーメンで済ましてしまうところを、何か、それなりに食べらる物を作るということは、確かに「多彩な技量」です。

<<<数学は複雑であり、内部的で、映像では簡単に表せないものだ。同時に、他の人には立ち入れない数学の世界>>>

とありますが、これはほぼ「心理」の世界と同じです。カウンセリングでは、クライアントの方の深い「心理」、その方も知らなかった深層の心理を掘り起こす…掘り返す必要があります。その掘り返された「心理」をクライアントの方が受け入れていくことが、「自己成長」であり、「自己回復」そのものです。

<<<2016年に国際宇宙ステーションに約4カ月滞在した大西卓哉宇宙飛行士は、こう言っている。「宇宙飛行士は『現場作業員』以外の何物でもない」。>>>

心理カウンセラーも同様ですね。

〇(2)<INTRODUCTION>

NASAによる宇宙開発の偉業を支えた知られざる黒人の女性数学者たち
新たな時代を切り開いたその爽快なる奮闘を描く感動作!

今年1月、アメリカで拡大公開された1本の映画が拍手喝采を浴び、あらゆる業界関係者も驚くほどの快進撃を見せた。それまで3週連続ナンバーワン・ヒットを飛ばしていた『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を退け、全米廣州チャート1位を奪取。その勢いに乗って11週連続トップテン入りのロングラン・ヒットを達成し、アカデミー賞では作品賞、脚色賞、助演女優賞の3部門ノミネートを果たした。東西冷戦まっただなかの時代における歴史の“知られざる真実”を今に伝え、幅広い観客層の熱い共感を誘うとともに、ポジティブな夢や勇気を与えた実録ヒューマン・ドラマ、それが『ドリーム』である。

1960年代初頭、アメリカが超大国の威信をかけて推進していた有人宇宙飛行計画を背景にした本作は、その“マーキュリー計画”において黒人の女性数学者たちが多大な貢献を成し遂げた史実を描き出す。彼女たちは、当時まだ色濃く残っていた人種差別に直面し、職場でさまざまな苦難に見舞われるが、卓越した知性、たゆまぬ努力、不屈のガッツで次々とハードルを突破。そんな彼女たちの驚くべき道のりを軽妙なユーモアにくるんで親しみやすく伝え、なおかつ心揺さぶるカタルシスをもたらすサクセスストーリーに仕上がった。

バイタリティーあふれる演技で作品を牽引したタラジ・P・ヘンソン、オクタヴィア・スペンサー、ジャネール・モネイの主演トリオは全米俳優協会賞の最優秀アンサンブル賞に輝き、スペンサーがアカデミー賞助演女優賞にノミネート。さらに、言わずと知れた大物スター、ケビン・コスナーや『ムーンライト』でアカデミー賞助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリががっちりと脇を固め、『ヴィンセントが教えてくれたこと』の新鋭監督セオドア・メルフィが軽やかな語り口を披露する。

〇(3)<STORY>

東西冷戦下、アメリカとソ連が熾烈な宇宙開発競争を繰り広げている1961年。ヴァージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所では、優秀な頭脳を持つ黒人女性たちが“西計算グループ”に集い、計算手として働いていた。リーダー格のドロシーは管理職への昇進を希望しているが、上司ミッチェルに「黒人グループには管理職を置かない」とすげなく却下されてしまう。技術部への転属が決まったメアリーはエンジニアを志しているが、黒人である自分には叶わぬ夢だと半ば諦めている。

幼い頃から数学の天才少女と見なされてきたキャサリンは、黒人女性として初めてハリソン(ケビン・コスナー)率いる宇宙特別研究本部に配属されるが、オール白人である職場の雰囲気はとげとげしく、そのビルには有色人種用のトイレすらない。それでも、それぞれ家庭を持つ3人は公私共に毎日をひたむきに生き、国家の威信をかけたNASAのマーキュリー計画に貢献しようと奮闘していた。

1961年4月12日、ユーり・ガガーリンを乗せたソ連のボストーク1号が、史上初めて有人で地球を一周する宇宙飛行を成功させた。ソ連に先を越されたNASAへの猛烈なプレッシャーが高まるなか、劣悪なオフィス環境にじっと耐え、ロケットの打ち上げに欠かせない複雑な計算や解析に取り組んでいたキャサリンは、その類い稀な実力をハリソンに認められ、宇宙特別研究本部で中心的な役割を担うようになる。

ドロシーは新たに導入されたIBMのコンピューターによるデータ処理の担当に指名された。メアリーも裁判所への請願が実り、これまで白人専用だった学校で技術者養成プログラムを受けるチャンスを掴む。さらに夫に先立たれ、女手ひとつで3人の子を育ててきたキャサリンは、教会で出会ったジム・ジョンソン中佐からの誠実なプロポーズを受け入れるのだった。

そして1962年2月20日、宇宙飛行士ジョン・グレンがアメリカ初の地球周回軌道飛行に挑む日がやってきた。ところがその歴史的偉業に全米の注目が集まるなか、打ち上げ直前に想定外のトラブルが発生。コンピューターには任せられないある重大な“計算”を託されたのは、すでに職務を終えて宇宙特別研究本部を離れていたキャサリンだった・・・・・。

〇(4)<アメリカの宇宙開発の威信を蘇らせたマーキュリー計画>(村沢譲・ライター、宇宙作家クラブ会員)

 <アメリカを襲った「スプートニク・ショック」

第二次世界大戦後の冷戦を背景に、アメリカとソ連(現在のロシア)による宇宙開発競争は1950年代後半から激化していった。きっかけは、1957年10月4日にソ連が打ち上げた人類初の人工衛星スプートニク1号の成功だった。

戦後、ソ連は核爆弾とそれを打ち上げるロケットの開発を最優先し、極秘裏に大陸間弾道弾(ICBM)の実験を開始していた。ソ連のスプートニク1号の成功を知ったアメリカ国民は、どちらが先に人工衛星を打ち上げるかという競争にアメリカが敗れ、共産国家であるソ連製の物体が何ものにも遮られることなくアメリカ上空を通過し、スパイ行為を行っているかもしれないという事実に不安と恐怖を抱いていた。これが「スプートニク・ショック」である。本作の冒頭でキャサリン・G・ジョンソンたちを先導した警官がつぶやいた「ロシア人に監視されてる」という言葉は、当時アメリカを覆っていた重苦しい雰囲気そのものだと言える。

ソ連は1ヵ月後の1957年11月3日、今度は小型のライカという犬を乗せたスプートニク2号を打ち上げ、近い将来、人間が宇宙空間に行くことが可能であることを証明した。スプートニク2号の全重量は500キログラムを超えていたが、これはソ連が水爆をロケットに搭載し、アメリカを攻撃するのに十分な技術力を持っていることを意味していた。

アメリカは、急きょソ連への対抗措置として人工衛星を打ち上げることにしたが、1957年12月の海軍によるヴァンガード衛星の打ち上げは失敗に終わった。1958年1月、初めて人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功するが、重量は14キログラムにすぎず、ソ連との差はまだ大きかった。

<宇宙飛行士第1期生「マーキュリー・セブン」

米ソ宇宙開発競争の次の目標は、人類史上初の有人宇宙飛行となった。アメリカ政府は宇宙開発を強化し、1958年10月にNASA(アメリカ航空宇宙局)が発足した。
アメリカの有人宇宙飛行計画は、旅の神であるマーキュリーにちなんで「マーキュリー計画」と名づけられた。宇宙飛行士が選抜されることになり、1959年4月にアラン・シェパード、ジョン・グレンたち7人(マーキュリー・セブン)が第1期生として発表された。

マーキュリー計画の宇宙船の名前にはフリーダム7、フレンドシップ7などすべて「7」がついているが、これはNASAの宇宙飛行士第1期生が7人だったことによるものだ。
マーキュリー計画では、弾道飛行と地球周回飛行の2種類の宇宙飛行が計画された。弾道飛行とは、大砲の弾丸のように弧を描く飛行のことで、宇宙空間には到達するが、地球を周回せずに戻ってくる。地球周回飛行とは、文字どおり地球の周りを回る飛行のことで、技術的にはより困難になる。

宇宙船を打ち上げる際、弾道飛行にはレッドストーン・ロケット、地球周回飛行にはより強力なアトラス・ロケットが使われた。当時アメリカのロケット開発をリードしていたのは、のちにアポロ計画を成功に導き「アメリカ宇宙開発の父」と呼ばれるフォン・ブラウンである。第二次世界大戦中、ドイツのV2ロケットを開発していたフォン・ブラウンは、戦後アメリカに移住しロケット開発に従事していた。彼が最初に開発したのが射程800キロメートルの弾道ミサイル「レッドストーン」である。エクスプローラー1号を打ち上げたロケット「ジュノー1」もレッドストーンを元に開発されたものだった。アトラスはアメリカ空軍のICBMとして開発されたものだ。本作でキャサリンたちが行っていたのが、このレッドストーンとアトラスの軌道計算である。

ロケットで打ち上げられた1人乗りのマーキュリー宇宙船は宇宙空間に到達し、その後、大気圏に再突入してパラシュートを開いて海上に着水する。メアリー・ジャクソンが開発に携わっていたのが、このマーキュリー宇宙船のカプセルである。

 <再びアメリカを襲った「ガガーリン・ショック」

1961年4月12日、さらなるショックがアメリカを襲った。ソ連が打ち上げた有人宇宙船ボストーク1号が地球を1周し、人類史上初の有人宇宙飛行に成功したのである。搭乗していたユーり・ガガーリンの「地球はかった」という言葉は、驚きをもって世界中に配信された。スプートニクに続き、アメリカはまたしてもソ連の後塵を拝したのだった。

1961年1月、宇宙開発競争に消極的だったアイゼンハワーにかわってジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任すると、ケネディは宇宙開発を積極的に世界戦略に取り入れた。ケネディは同年5月25日、上下両院合同会議で「1960年代が終わる前に人間を月に着陸させ、無事に帰還させる」という演説を行い、アメリカの宇宙開発の目標は「ソ連より少しでも長く宇宙空間に滞在し、月に人間を送り込むこと」に変わっていった。

当時、ソ連は月探査機「ルナ」を月に送り込み、本格的な月探査を開始していた。ケネディの演説の背景には、「このままでは月がソ連の領土になってしまうのではないか」という危機感があったとされている。ガガーリン・ショックはアメリカの宇宙開発がより強化される契機となり、本作ではキャサリンたちがNASAに雇い入れられるきっかけになっている。

アメリカは1961年5月5日、アラン・シェパードが乗り込んだ宇宙船「フリーダム7(マーキュリー・レッドストーン3号)」をケープカナベラル基地から打ち上げ、初の有人弾道飛行を成功させた。フリーダム7は、高度187キロメートルに達したあと大気圏に再突入し、バハマ沖に着水した。飛行時間は15分22秒だった。

続く7月21日、ガス・グリソムを乗せた「リバティベル7(マーキュリー・レッドストーン4号)」が、アメリカで2番目の弾道飛行に成功した。しかし着水した際、ハッチが開くのが早すぎて海水が宇宙船内に入り込み、グリソムが溺れかけるというトラブルに見舞われている。

<トラブルを乗り越えた「フレンドシップ7」

1962年2月20日、アメリカ初の有人地球周回飛行として、ジョン・グレンが乗り込んだ「フレンドシップ7(マーキュリー・アトラス6号)」がケープカナベラル基地から打ち上げられた。順調に見えた飛行ではあったが、宇宙船が地球を1周したところで、地上管制センターはトラブルに気づいた。宇宙船の耐熱カバーを留めているコネクターが緩んでいたんである。そのままだとグレンは、大気圏突入の際に数千度の熱にさらされて、生きてはいられない。グレンは宇宙船の操縦を一部手動で行い、大気圏に突入した。この時管制センターにいたアラン・シェパードは、通信が途絶えたグレンに対し絶叫しつづけていたという。

フレンドシップ7は地球を3周し、4時間56分飛行したあと、ケープカナベラル沖の海上に着水し、グレンは無事生還した。作中のキャサリンと同じように、実在のキャサリン・ジョンソンも、ジョン・グレンに新型コンピュータの計算を個人的に検算するよう依頼されている。

ガガーリン・ショックから10ヵ月、アメリカは初の有人地球周回飛行に成功し、宇宙開発への自信を取り戻すことになったのである。
マーキュリー計画の成果はその後、2人乗りの宇宙船を使ってランデヴーやドッキングの実験を行う「ジェミニ計画(1961-1966)」、1969年7月20日に人類史上初の有人月面着陸を成功させた「アポロ計画(1961ー1972)」へと受け継がれていった。

アラン・シェパードは1971年、アポロ14号の船長として月面に着陸し、月に降り立った5人目の人類となった。ガス・グリソムは1967年、アポロ1号の訓練中に火災事故で亡くなっている。ジョン・グレンは1998年、77歳の時にスペースシャトル・ディスカバリーに乗り、日本の宇宙飛行・向井千秋さんたちとともに再び宇宙に飛び立った。

のちのアポロ計画、スペースシャトル計画の礎となったのが、マーキュリー計画だったと言える。

〇(5)<あらゆる垣根を越えてともに難関に挑む宇宙開発(林公代・フリーライター)

宇宙飛行で脚光を浴びるのは、いつも宇宙飛行士だ。

だが2016年に国際宇宙ステーションに約4カ月滞在した大西卓哉宇宙飛行士は、こう言っている。「宇宙飛行士は『現場作業員』以外の何物でもない」。大西飛行士曰く、「宇宙飛行士は地上チームが作ってくれた手順をキッチリ守って、何かあったら地上の指示を仰いで、彼らの手となり足となり目となり耳となって、作業を代わりに行なう存在」だと。

もちろん、宇宙という死と隣り合わせの現場で、どんな緊急事態に遭遇しても冷静沈着に任務を遂行する宇宙飛行士がいなければ、宇宙ミッションは成立しない。しかし宇宙飛行士だけが存在しても、宇宙に行き地上に生還することはできないのも事実だ。

たとえば、月に向かう途中で絶体絶命のピンチに陥ったアポロ13号。地上のミッションコントロールチームの的確で迅速な対応が危機を救ったことで、宇宙飛行士がチームの一員であることが広く認知され、指揮をとったフライトディレクターは宇宙飛行士と同等かそれ以上にリスペクトされている。彼らだけではない。宇宙船を開発するエンジニア、酸素や水などの生命維持装置担当、宇宙飛行士の健康管理を担う医学担当など、巨大なチームの存在が宇宙ミッションの成功には不可欠だ。それは今も昔も変わらない。

この映画の舞台は人類が初めて宇宙に飛び出そうという1960年代。しかも、当時は「宇宙一番乗り」を賭けて米国と旧ソ連の間で熾烈な宇宙レースが繰り広げられていた。ライバルより先に宇宙に到達するため米国のあらゆる知と技術を結集し、強固なチームワークで立ち向かったはず…‥と思いきや、とんでもない。敵は外でなく、足もとにいたのである。

主人公たちは女性であること、そして有色人種であるという理由で、同僚から理不尽な差別を受ける。特にNASAで宇宙船の打ち上げや帰還時の軌道(=通り道)計算に抜擢された黒人女性、キャサリン・G・ジョンソンのおかれた状況は「うそでしょ?」というぐらい厳しかった。

まず服装。女性はひざ下のスカートにパンプス、パールのネックレスが必須アイテム。60年代の素敵ファッションではあるけれど、梯子に登り黒板に計算式を書くには適していない。また、当時は多くの州でバスの座席も図書館もホワイト(白人)とカラード(有色人種)用に分けられた時代。極め付けはトイレだった。

キャサリンが働く宇宙特別研究本部のビルにはカラード用トイレがなく、別のビルのトイレに15分もかけて、時に雨に濡れながら駆け込まなければならなかった。宇宙飛行の計算式を早く出せとボスに催促されながら、トイレ往復でやむなく席をあけ叱責された彼女が、ついに爆発する場面には胸が熱くなる。彼女の訴えでトイレ問題を初めて知ったボスが放った一言「NASAでは小便の色はみんな同じ」は宇宙開発史に残る名言だ!と思わず膝を打った。

数字は正直です>

だがどんな理不尽な扱いを受けても、キャサリンが屈しなかったのは、数学においてずば抜けた能力を持っていたからに他ならない。「数字は正直です」と言う通り、彼女が導き出す数式や数字は、その突出した能力を無言で周囲に見せつけていく。女性が入った前例のない国防総省の会議に「口を開くな」という条件で入れてもらうと、地球帰還時に宇宙船が着水する予定海域を幹部たちの目の前ですらすらと導き出して見せる。こうして米国初の周回軌道を成し遂げた英雄、ジョン・グレン宇宙飛行士らの圧倒的信頼を実力で勝ち得ていくのだ。

チャンスを得るために訴え続け、チャンスを得たら絶対に逃がさない。実力を身につけているからこそ、扉を開くことができるのだとキャサリンは教えてくれる。

米国人初の地球周回飛行と日本の金星探査機「あかつき」の奇跡>

映画では1962年のジョン・グレン宇宙飛行士による米国人初の地球周回飛行のための軌道計算が鍵になっているので、少し解説を。地球周回飛行の最難関の一つが地球に帰る時だ。宇宙を高速で飛行する宇宙船のエンジンを逆噴射して減速し、地球上空の大気圏に再突入する。逆噴射をいつ、どこで、どのくらい行なうか。チャンスは一瞬で速すぎても遅すぎてもダメ。誤れば大惨事につながりかねず、今でも極めて難しく緊張を強いられる重要イベントだが、この数式が打ち上げ直前までなかなか見つからない。解明したのがキャサリンである。

このシーンを見て私は2015年、「奇跡の金星軌道再突入」に成功した日本の金星探査機を思い出した。2010年に金星の周回軌道投入に失敗した「あかつき」は2015年に再挑戦することが決まった。しかし、一度軌道投入に失敗した探査機が再挑戦で成功した例は過去になく、「あかつき」も成功するはずがないと世界の誰もが思っていた。しかし、軌道計算を担当したJAXAの女性研究員、廣瀬史子さんは2年半もの間、数万通りのケースを計算、ついに最適な軌道と投入方法を導き出したのである。最適解を見つけたのは廣瀬さんが産休に入る直前だった。そして、彼女の計算通りに「あかつき」は見事に金星軌道再投入に成功、「あかつきの奇跡」と世界が驚いた。廣瀬さんは日本のキャサリンと言えるだろう。

今、たくさんの女性たちが宇宙分野で輝いている。初の黒人女性飛行士メイ・ジェミソンは1992年に宇宙に飛び立った。現在、米国人で宇宙最長滞在記録保持者は女性飛行士のペギー・ウイットソンだ。地上のミッションコントロールセンターを束ねるフライトディレクターも女性が多く活躍する。「男女の差は感じないけど、しいて言えば女性の方がマルチタスク、複数の仕事を同時にこなす能力にたけている」という声はよく聞く。仕事と育児、友達との語らい。そのどれも諦めない。固定観念に縛られず、欲張りでタフな女性が不可能を可能にする。

莫大な税金を使う宇宙開発に対して費用対効果が求められる傾向は根強い。だが宇宙開発の恩恵でコストに換算できないけれど、もっとも価値があるのは、垣根をなくすことではないだろうか。男女の垣根、肌の色の違い、宗教の垣根、あらゆる垣根を越えてともに共通の難関に挑み、新たな地平を切り拓く。その時「地球人」という別次元の連帯が生まれる。

ふたたび地球上のあちこちで大きな垣根が作られようとしている現代こそ、宇宙というフロンティアをともに切り拓くことが必要だと、映画を見て改めて強く感じている。

〇(6)<PRODUCTION NOTES>

実在したNASAの女性数学者たち>

第二次世界大戦によって、国の社会構造が変化した時、本作のモデルとなった実在のキャサリン・G・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン、メアリー・ジャクソンには、自分たちの知識や情熱を使うチャンスが訪れた。工場の最前線では、女性は突然、“リベット打ちのロージー”(第二次大戦中、軍需産業で働いた銃後の女性を指す言葉)になることが鼓舞された。科学と数学の分野でも同じことが起きた。男性の科学者や数学者が圧倒的に少ない事態に直面し、しかも人種による差別を禁止する新しい法律が生まれたことで、防衛関係業者や連邦政府関係機関は重要な研究を前進させるために、技能を持った女性やアフリカ系アメリカ人を求め始めた。

NASAの前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)が運営するヴァージニア州ハンプトンのラングレー研究所が必要としたのは、“人間コンピュータ”、つまり、矢継ぎ早に高度な計算ができる頭脳を持った異例の才能の持ち主だった。これは、スーパーコンピュータが生まれる前の話だ。

アメリカ人は皆、危険が迫っていると感じていた。1957年、ソ連は先駆してスプートニク衛星を華々しく打ち上げ、2国間の激しい冷戦で優位を手にしたと主張した。これにより、宇宙開発競争はアメリカにとって最優先事項となり、最大の関心事となった。核戦争の恐怖が色濃かった時代に、宇宙開発競争はソ連とアメリカが制限なしに競争する代替の道となった。

キャサリン・G・ジョンソンが、スプートニクについて語る。「エンジニアたちは皆、他の人に先を越されて腹を立てていたわ。でも、ほとんどの人が知らないことだけど、私たちはロシアのすぐ後ろに迫っていたし、準備はできていたの」。NACAがNASAとなり、その科学者や数学者が全員、高速で宇宙計画へ移行したのはこの文脈によるものだった。

ジム・クロウ法(白人と黒人の人種分離を合法化する法律)がまだヴァージニアでの平等や人権をむしばんでいたにもかかわらず、ラングレー研究所は、これら“人間コンピュータ”の全員女性のチームを雇ったが、彼女たちの多くはアフリカ系アメリカ人の数学教師だった。彼女たちは差別されたままで、別の場所で食事をし、西計算グループとして知られた遠く離れた場所で仕事をした。給料は白人の同業者よりも少なかった。それでも、彼女たちの優れた仕事ぶりは卓越していた。そして最後には、男たちを取り込み、かつてない大胆なミッションにとって欠かせない存在となった。それは、ジョン・グレンに地球周回軌道を飛行させることだった。

ジョンソンにとって、数学のスキルを持つことはごく自然だったようだ。非常に幼い時から自然に身についていたものだったからだ。NASAにいても、ジョンソンを真っ先に駆り立てたのは世界に対する好奇心だった。「問題を解いてほしいと頼まれたから解くという感じで、アプローチしていた」と彼女が冷静に言う。「でも自分たちがやっていることの重要性について、もっと知りたいといつも思っていたわ。計算をやっている時には、それが何のためか、なぜ重要なのかを知りたいと思っていた」

母として、差別を受けるアフリカ系アメリカ人女性として、それにNASA職員としての3つの役割をこなしながらも、ジョンソンはそれらにの役目を果たせないことはなかったと言う。「女性は同時に複数のことをこなすことはいつだって男性よりも上手だから、問題なかったわ」。彼女が笑って言う。「それにNASAでは、知っていたかどうかにかかわらず、私たちはみんな、同じ目標を目指していたの」

<真実を伝える原作>

本作の原作者で、製作総指揮も兼務したマーゴット・リー・シェンタリーは、父がNASAに勤めていたが、これらの女性のことがほとんど知られていないことに驚いた。シェンタリーは、インタビューや広範な調査を行い、本作の原作となる小説の「Hidden Figures」を執筆した。

彼女が特に感動したのは、これらの女性が、直面する問題を深刻には受け止めず、大好きな仕事を手がけるチャンスだと思っていたことだった。今こそ、こういう女性に注目する時だと、シェンタリーは信じている。「過去には、人々は技術分野の女性を見ていなかったわ。私たちは宇宙飛行士とか科学者に対して決まったイメージを持っている。そのため、これらの女性がそのイメージに当てはまらなかったせいで、歴史家たちは彼女たちを見過ごすことが多かったの」

シェンタリーは、著書で彼女たちを公平に扱おうとした。彼女が伝えたかったことの一つは、これらの女性が鉛筆と頭脳だけでどれほど多くを成し遂げたかであった。また、しっかりと絆を結んだことが、女性たちが力を見つける助けとなったとシェンタリーは言う。「彼女たちは姉妹の集まりだった。互いに支え合わなければならないと分かっていて、150%の力を出すために励まし合った」

<数学のブートキャンプ>

 数学者と映画は長い間、奇妙な仲間の関係でいる。数学は複雑であり、内部的で、映像では簡単に表せないものだ。同時に、他の人には立ち入れない数学の世界に深く入り込める優れた人たちは、ひどく魅力的にもなりうる。『ドリーム』は、彼女たちにとって大きな意味を持った数字を正しく描くことも重要だった。結局のところ、彼女たちの方程式のわずかな違いが、NASAにとって想像できない悲劇を意味しかねなかったからだ。

本作で数学の方程式を監修し、数学者の考え方をキャストに教えるため、コンサルタントとしてルディ・L・ホーン博士が起用された。彼は歴史的に黒人の多いモアハウス大学数学科の准教授だ。

タラジ・P・ヘンソンは長時間、ホーンと一緒に勉強し、難解な数学の概念に触れ、方程式を解くことさえやった。ヘンソンはエンジニアになりたいと思ったことはあったが、こういう勉強をしたことはなかった。彼女は数学に対する恐れに向き合い、そして乗り越えなければならなかった。「難しかったわ」と彼女が言う。「でも、本作を見る人たちの中には、数学を職業にしている人もいるはずだから、正しくやったほうがいいとも思ったの。本当に大変だった、何度も泣きたいと思ったほど。でも、自分が観客だったら、間違った数学を見て不満に思うはずだから、やるしかなかった」。ホーンが出す宿題に対してヘンソンが感じていた不安は、最後には熟達の喜びに変わった。「最後には、少なくともこういう数学や方程式をうまく記憶し、多少は理解することができたと、自分自身に対して力量を証明したの」

<文責:藤森弘司>

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