2016年9月30日 第170回「今月の映画」
③ー①
監督:クリント・イーストウッド 主演:トム・ハンクス アーロン・エッカート ローラ・リニー
●(1)この映画「ハドソン川の奇跡」を観て、私は、ある場面で、生まれて初めて、映画を観ながら拍手をしたくなりました。もう少しでスタンディングオベーションをするくらい感動した瞬間がありました。そして、その場面こそがこの映画のハイライトでもあり、日頃、私が最も力説したいことに通じることです。
<<<国家運輸安全委員会(NTSB)の委員たちは全員コンピューターのシミュレーションを基準に物事を決めます。複数のプログラムで同じデータを入力すると必ず同じ結果が出るので、これは疑いの余地もなく正しい、と。 結局、事故が起きることを予知できるはずがない人間が状況に反応する時間、管制塔と対話する時間、どの行動をとるか決断する時間(それでも驚異的に短い35秒)を計算に入れていなかったというサレンバーガー機長の指摘でシミュレーションのやり直しをして、彼の判断が正しかったことが確認されますが、重大な責任を与えられている国家運輸安全委員会のメンバーが簡単にデータの力を信じ込んでしまうのは恐ろしいことだとぼくは感じました。 サレンバーガー機長は40年以上の経験を持つヴェテランのパイロットで、当然コンピューターが一般に普及していなかった時代の記憶があるので、「人間的」要素が抜けていることにすぐ気づきます。でも、社会人になった頃から毎日オフィスでコンピューターをこなすことが当たり前の世代の人はそういう反応はしないでしょう。>>> 昔、松下幸之助氏が言った言葉を思い出しました。会議で、全員が賛成する案は採用しないと。何故でしょうか?<<<複数のプログラムで同じデータを入力すると必ず同じ結果が出るので、これは疑いの余地もなく正しい、と。>>> 実は、「心理・精神世界」も、全く同様のミスを日々行っています。 私(藤森)は「心理学」という学問からこの世界に入ったのではなく、若いころ、人生に行き詰って、自分の人生をなんとかしたいという切実な問題に取り組むという過程の中で「心理学」「自己成長」の分野に足を踏み入れました。ですから、私自身の問題に取り組むことが、常に、第一の課題で、「自分自身の未熟な人間性をどうしたら良いか」ということを常に念頭に置きながら心理学を学んで来ました。 そういう私自身の「未熟な人間性」に取り組むことが最大のテーマだった私にとっては、心理・精神世界のおかしさを、常に感じています。 多分、心理・精神世界の多くの受講者・学習者(心理学者や指導者も)は、最初は密かに、自分自身や家庭の「問題」や人生の「生きにくさ」などを感じているから参加するのだと思われます。また、大学で、心理学を本格的に学ぶことも、同様に、「自分自身の人生の生きづらさ」を感じているからだと思われます<「今月の映画」第159回「パパが遺した物語」ご参照>。 事実、ある著名な心理学者は、あるセミナーで私と同様の趣旨のことをおっしゃっていました。 自分自身の問題を(うすうすとは感じていても)明確に自覚していない方は、猛烈に学問をして、やがて専門家になる・・・・・こういう方々を、何十年もの間にたくさん見てきました。しかし、私は未熟すぎて誤魔化しがきかなかったことが良かったのですね。とにもかくにも、可能な限り、自分自身の問題と取り組んできたお蔭で、心理学の理論ではなく、心理学を「職人」的に体得することができました。 学問の「学」というのは、「統計」なんです。これが多くの方に理解されていません。統計的・学問的な理解を、いかにして実際の現場に応用できるようにするかという職人的訓練が、「心理・精神世界」では(狭い一分野を除いて)ほとんど全くなされていませんし、そういうことさえも、ほとんど全く理解されていません。 その結果として、Learning → Understanding → Doing → Being のうちの Understanding → Doing を中心に長年取り組むという幸運に恵まれました。学問はあくまでも「Learning」が中心であるということを念頭に置いておくことが重要です。その中の一部に「Understanding」が含まれるのであって、「Understanding」を中心にすれば、必然的に「Doing」が多くなるものです。 「Learning」はいくら学んでも・・・・・たとえ百万冊の本を読もうとも、心理学の本をすべて読破し暗記したとしても、それだけでは知性・教養が素晴らしくなるだけで、現場には、残念ながら、ほとんど全く役に立ちませんし、それではコンピューターとか、ロボット(AI)には、もはや勝てません。 何故か?それは「事件は現場」で起きている(映画「踊る大捜査線」)からです。 <空ずるということは、どこにもとどまらないといってもいいのです。すべて、とどまると機能は停止してしまいます。高速道路でも車両が渋滞すると、その機能はぐっと低下します。・・・・・もともと、すべては移り変わってゆくのです。それを「諸行無常」といいます(「般若心経入門」松原泰道著、祥伝社)> <ゆく川のながれは絶えずして、しかも、元の水にあらず(鴨長明)> 「諸行は無常」です。河のながれは「元の水にあらず」です。しかし、「学問」は、物事を固定して考えます。だから試験をして、成績が良いとか悪いとか判断できるのです。しかし、現実はすべて移り変わっています。「諸行無常」の問題を「暗記する学問(Learning)」では、絶対に対応できません。 スポーツがそうです。監督やコーチがいくら指導しても、受け取る側は千差万別です。監督やコーチが指導をして、同じタイプの選手が育ったならば不気味でしょうね。しかし、「心理・精神世界」は、理論を、相手に関係なく同じように指導して事足りるとするのですから、「諸行無常」の世界に対応できるわけがありません。何故、こういうおかしなことが起こるのか。それは唯一「見えない世界」が対象だからです。 それともう一つ重要なことは、心理学が分かれば分かるほど、自分の「未熟さ」が見えてきます。その「未熟さ」よりもさらに奥に潜む、より本格的に「未熟な自分」が予感されることに耐えられずに指導の側に回ってしまう、と、先ほどの著名な心理学者もおっしゃっていました。 「建築家」の設計能力は卓越していますが、実際に施工することはできないはずです。つまり、「建築学」と大工さんや塗装屋さんたちの職人的技術とは違うことは、皆、分かっていますが、心理・精神世界は、見えないために、この区別がほとんど全く理解されていません。心理学に詳しくなり、それをクライアントの方に適用すれば事足りると信じている「感性」には、ただ、ただ、驚きます。 建築家(設計者)が大工さんのように、実際に家を建てられるなどというバカなこと・・・・・目に見える分野ではこういうバカなことを言う人はいませんが、目に見えない心理・精神世界では、このようなことが普通に思われています。 <ゆく川のながれは絶えずして、しかも、元の水にあらず(鴨長明)> まさに、今回の映画はそれを分からせてくれます。万一、機長が卓越した人間性と技量を有していなかったならば、「奇跡的に素晴らしい対応」をした英雄が、わずか35秒の重大性を理解されないことで、危うく「犯罪者」にされるところでした。35秒なんて誤差の範囲の小さな問題ですが、時と場合によっては、それが巨大な問題になります。 <<<国家運輸安全委員会(NTSB)の委員たちは全員コンピューターのシミュレーションを基準に物事を決めます。複数のプログラムで同じデータを入力すると必ず同じ結果が出るので、これは疑いの余地もなく正しい、と。>>> 心理・精神世界も、国家運輸安全委員会(NTSB)の委員たちとほとんど全く同じだと考えて、ほぼ間違いありません。問題が固定していて、多くの人間を調べた結果としての「統計(理論)」としては、全く正しいのです。そして権威と学問は卓越しています。施工能力ではなく、設計能力として。 上記の「ハドソン川着水」問題も、入力するデータが間違っていたのであって、コンピューターは、完全に正しいのです。心理・精神世界の理論も、多分、皆、正しいのでしょう、理論としては。 |
○(2)<STORY>
155人の命を救い、 誰が“奇跡”を裁くのか。世界を震わせる真実のドラマが幕を開ける。 2009年1月15日、USエアウェイズ1549便は、ニューヨーク・ラガーディア空港を離陸した直後、カナダガンの群れに衝突。高度わずか約2800フィート(約850メートル)で両エンジンの推力を失い、70トンの鉄の塊と化した同機は、急速に高度を下げてゆく。眼前に迫る人口160万の大都市マンハッタン・・・・・。 機長は、ハドソン川への不時着を決断。航空史上誰も予測しえない絶望的な状況のなか、技術的に難易度の高い水面への不時着を見事に成功させ、乗員乗客155名全員生還の偉業を成し遂げる。その偉業は「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、機長は一躍英雄として称賛される・・・・・はずだった。 ところが、機長の“究極の決断”に思わぬ疑惑がかけられてしまう・・・・・。ラガーディア空港に引き返すのは不可能だったのか?ニュージャージー・テターボロ空港に緊急着陸できなかったのか?本当に両エンジンとも推力喪失していたのか?不時着水は乗員乗客を命の危険に晒す無謀な判断ではなかったか?国家運輸安全委員会(NTSB)の調査官による度重なる追及は、機長を極限まで追い詰める・・・・・。 155人を救った英雄は、容疑者になった。突然孤立した彼を支えるのは、副操縦士をはじめとする数少ない仲間と、心から愛する家族だけだった・・・・・。 |
○(3)<限界を知る男たち>(町山智浩・映画評論家)
2009年1月15日午後3時半頃、USエアウェイズ1549便のエンジンが火を噴いた時、筆者はそのすぐ近くにいた。 気温マイナス6度の寒空にヘリコプターの爆音が響いた。かなり低空だった。しかも、1機じゃない。何機ものヘリが次々に東から西へと飛んでいく。それだけじゃない。救急車や消防車がサイレンを鳴らして次々に駆け抜けていく。 火事だろうか?それにしてはヘリの数が多すぎる。道行く人は不安げな顔で「何があった?」と尋ね合っているが、誰も答えられない。 「先ほどハドソン川に不時着したUSエアウェイズ機の乗客乗員は全員無事と確認されました」 もし、彼が無理をして空港に引き返そうとしていたら、1549便はマンハッタンに墜落し、自分もその炎に焼かれていたかもしれない。まさにその惨劇の映像化で映画『ハドソン川の奇跡』は幕を開ける。 機長のサリーを演じるのはトム・ハンクス。物語は意外にも既に事故があった後から始まる。機長は乗員乗客全員を救ったが、悪夢と不眠に苦しんでいる。 「私のパイロットとしての42年間は、この瞬間のためにあったのだと思います」 イーストウッドも判断が速い。彼はハリウッドで最も早撮りの監督として知られている。現場ではセッティングに決して時間をかけない。撮影も一発ないし2回目でOK。『J・エドガー』(11)に主演したレオナルド・ディカプリオは何種類か違う演技を試させてほしいと要求したが、イーストウッド監督にその必要はないと拒否された。イーストウッドは45年もの監督経験で、できることとできないことを知り尽くしている。 「人は自分の限界を知るべきだ」 だから彼はケイティ・コリックのTVインタビューで「奇跡ではありません」「英雄と呼ばないでください」と強く固く拒否した。それは謙遜ではない。機長は「英雄とは辞書の定義によれば『危険を冒す』者です」と言う。そして奇跡とは必然や人の力の限界を超えた現象だ。そんなイチかバチかに乗客の命を賭けたりはしない。機長はプロのプライドから言っているのだ。 だが機長は誤解された。むやみに賛美され、糾弾された。イーストウッドもそうだ。『ダーティハリー』(71、監督:ドン・シーゲル)は、犯罪者に慈悲はいらないとする右派から絶賛され、左派からは犯罪者の人権を踏みにじるファシストと呼ばれた。『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』はレーガン政権のグレナダ侵攻を揶揄していると米軍から協力を拒否されたが、戦争賛美と批判する人もいた。92年の『許されざる者』でアカデミー賞を獲るまでアメリカではまともな監督として認められなかった。『ミリオンダラー・ベイビー』(04)は尊厳死を推奨していると保守派から叩かれ、『アメリカン・スナイパー』<「今月の映画」第152回ご参照>はイラク戦争を賛美しているとリベラルから叩かれた。マスコミやNTSBに好き勝手なことを言われて眉をひそめるトム・ハンクスに、いつものイーストウッドの仏頂面が重なって見えた。 |
○(4)<COLUMN>
<疑いの余地もなく正しいこと、その疑わしさ>(ピーター・バラカン、ブロードキャスター) 2009年1月といえば、ぼくがまだTBSテレビで『CBSドキュメント』という番組の司会を務めていた頃です。毎週毎週アメリカのCBS放送から素材から送られてくる看板番組『60ミニッツ』のレポートに日本語解説を加えて紹介する内容の番組で、おもにアメリカの社会で起きていることに関するテーマが多かったものです。 その時期は前年11月の大統領選挙に勝利したオバマ新大統領の就任式が控えていました。今度こそアメリカの政治に意義のある変化が生まれるのでは、という期待を抱く人が世界中に大勢いたのです。ブッシュ前大統領が残した負の遺産、特にイラクやアフガニスタンでの戦争からいかにして撤退するか、また2008年秋に、リーマン・ブラザーズの破綻の結果として起きた世界規模の金融危機をどうやって乗り切るか、切実な問題が山積している中で、突然入ってきたニュースがこのUSエア1549便の不時着、という衝撃的な話題でした。 かなりの早さでCBSからレポートが届いたことを覚えています。当然機長の突出した判断力、そして一人も命にかかわるケガを負った乗客が出ないほど絶妙に水面に着陸した角度の話などが中心になったはずですが、なぜかよく覚えているのは客室乗務員の冷静で的確な指示の話でした。『ハドソン川の奇跡』を観終った後も、ずっと頭の中で響き続けた言葉があります。『Head down,stay down!Head down,stay down!(頭を下げて!姿勢を低くして!)』と、何度も大声で繰り返した客室乗務員の女性たちの姿は一生忘れないと思います。 映画を観た2日後に国内線の飛行機を使う出張をしました。いつものように離陸前に流れる安全確認のヴィデオを何気なく聞いていましたが、“もしも不時着した場合”のところまできて、英語訳でBrace for impact(衝撃に身構える)という言葉が出ると少しドキッとしたのです。この映画を機内放送で観る機会はさすがにないかも、と思いつつ、自分のように飛行機によく乗るけれど安全のしおりをついつい無視してしまう人間は、観ると潜在意識に変化が起こるだろうと思いました。 しかし、『ハドソン川の奇跡』のいちばんのテーマは飛行機事故のことではなく、その後の国家運輸安全委員会の公聴会でのやり取りだと思っています。最初は奇跡的に155人全員を救った英雄と叫ばれたサレンバーガー機長は今度、判断が誤っていたのではないか、空港に普通に戻れたのではないかと疑われてしまうわけです。事故の徹底した検証を行うのはもちろん、開かれた民主主義の国では当然のことです。むしろそれがないと、とんでもない無責任なことがまかり通る可能性もあります。ただ、委員たちは全員コンピューターのシミュレーションを基準に物事を決めます。複数のプログラムで同じデータを入力すると必ず同じ結果が出るので、これは疑いの余地もなく正しい、と。 結局、事故が起きることを予知できるはずがない人間が状況に反応する時間、管制塔と対話する時間、どの行動をとるか決断する時間(それでも驚異的に短い35秒)を計算に入れていなかったというサレンバーガー機長の指摘でシミュレーションのやり直しをして、彼の判断が正しかったことが確認されますが、重大な責任を与えられている国家運輸安全委員会のメンバーが簡単にデータの力を信じ込んでしまうのは恐ろしいことだとぼくは感じました。 サレンバーガー機長は40年以上の経験を持つヴェテランのパイロットで、当然コンピューターが一般に普及していなかった時代の記憶があるので、「人間的」要素が抜けていることにすぐ気づきます。でも、社会人になった頃から毎日オフィスでコンピューターをこなすことが当たり前の世代の人はそういう反応はしないでしょう。 ぼくも毎日コンピューターを使いますし、コンピューターがなければ仕事が成り立つかどうか、微妙なところです。しかし、そのコンピューターに的確な指示を与えなければこちらの期待に応えてくれないこともあるだけに、いつも一定の距離を保ちつつ付き合うものです。やはり最終的には長年の経験とそれに伴う「勘」が大事だと改めて感じたものです。もちろん人間も完璧ではないし、失敗することもありますが、融通が利くことが最大の救いだと思います。 久しぶりにこんなことを考えさせてくれたクリント・イーストウッドに感謝します。 <PROFILE・・・1951年生まれ、英ロンドン出身。73年、ロンドン大学日本語学科を卒業し、翌74年に来日。ブロードキャスターとしてテレビやラジオを中心に活動。現在、「Barakan Beat」(InterFM)、「ウイークエンドサンシャイン」(NHK-FM)、「The Lifestyle MUSEUM」(TOKYOU FM)などの司会を担当。近著に「ラジオのこちら側で」(岩波新書)、「ロックの英詞を読むー世界を変える歌」(集英社インターナショナル)がある> |
<文責:藤森弘司>
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