2016年8月31日 第169回「今月の映画」
ジャングル・ブック
監督:ジョン・ファヴロー  日本語吹替・松本幸四郎  西田敏行  宮沢りえ  伊勢谷友介

●(1)この映画は、主人公の少年以外は、動物も自然も、全て、CGでつくられています。

ジャングルの美しさ、動物の細かな描写・・・これらが全てCGで、とても美しいだけでなく、自然に描かれているのには本当に驚きます。こんなに美しく、そしてCGとは思えないほど自然に描写されるほど技術がすすんでいるのですね。

本当に美しいです。美しいジャングル・ブックをお楽しみください。

○(2)<INTRODUCTION>

『ジャングル・ブック』・・・それは、ジャングルの動物たちに育てられた人間の少年モーグリと、彼をとりまく動物たちの愛や憎しみ、喜びや悲しみを謳いあげる生命の讃歌。そして同時に、さまざまな経験や出会いを通じて自身の生き方を模索し始めた主人公モーグリが、ジャングルを変える力となっていく様を、最先端の映像で描き出す壮大なる物語。

ジャングルの動物たちの愛に守られ、オオカミの子として育てられた人間の少年モーグリは、自分がジャングルの〝脅威”となりうる存在などとは微塵も思っていなかった。だが、たったひとりで大自然の脅威や動物たちのなかに身を投じることになった彼は、これまで知らなかった多くのことに目覚めていく。そして自分が自分らしく生きることの意味や本当の居場所とは何かということを少しずつ見出していく。モーグリは、命をかけて自分を守り愛してくれた者たちにとって、そして自分が愛する者たちにとって〝希望”となりうるのだろうか?

ツタがからまる鬱蒼としたジャングル、葉のあいだから射す光、湖に落ちる滝のしぶき、花々が咲き乱れる川辺・・・。モーグリの冒険の舞台となるのは、息を呑むほど美しく、しかし危険をはらんで多彩な顔を見せる大自然。そして観る者を驚嘆させるのは、そこで生きる感情豊かな動物たちの圧倒的な存在感だ。動物たちは、毛並みのディテールからそれぞれの習性まで、野生のリアリティに満ちている。だが同時に彼らは、現実世界には決して存在しえない〝人間味”にあふれる動物たちと、愛する彼らを守ろうとするモーグリとのあいだで結ばれる命をかけた強い絆は、観る者の魂を深く揺さぶることだろう。

実写もアニメーションも超えた最先端の映像テクノロジーによって、このモーグリ以外は、動物も大自然もすべてがCGで表現された。映像の新世紀の訪れを告げる、この現実以上にリアルな驚異の映像が、実際に大自然に身を投じて物語の世界を生きるような興奮を観る者にもたらす。

○(3)<STORY>

ジャングルにひとり取り残された人間の赤ん坊、モーグリ。死を待つだけの幼い命を救ったのは、黒ヒョウのバギーラだった。彼がモーグリを母オオカミのラクシャに託したとき、モーグリはジャングルの子になった。

モーグリはラクシャから惜しみない愛を注がれ、バギーラからはジャングルで生き抜くための知恵や自然の厳しさを教わりながら育つ。いつしかモーグリは、バギーラが手を焼くこともあるほどの元気な少年になっていた。オオカミの群れを率いるアキーラは、モーグリが立派なオオカミになることを願い、「仲間のために尽くす」というジャングルの掟を教え、モーグリが人間のように道具を使おうとすると厳しく諫める。モーグリもまた、身体能力では兄弟たちに勝てぬことを悔しがりながら、オオカミらしくあろうと懸命に努めていた。

見た目も匂いも皆と異なるモーグリだったが、仲間の愛に包まれて彼は幸せだった。だが人間への復讐心に燃える残忍なトラ、シア・カーンが現れたとき、すべてが変わる。人間が操る〝赤い花”(火)による深い傷をその顔に持つシア・カーンは、モーグリが成長すればジャングルの敵となるとみなして命を狙い、「人間の子を守りたければ守れ。それで仲間が犠牲になってもいいのなら」と、アキーラたちを脅す。

群れへの責任を背負うアキーラは葛藤した。モーグリの処遇をめぐるオオカミたちの話し合いが紛糾するなか、モーグリは愛する者たちの苦悩に心を痛め、自らジャングルを去ることを宣言する。ラクシャは必死に行かせまいとするが、モーグリを人間の村に返すことが、彼を守るための最善の道だとバギーラから諭され、ついに別れを受け入れるのだった。モーグリは深く悲しむラクシャの首を抱き、額を合わせて別れを告げると、バギーラに伴われ、故郷をあとにする。

だが美しい滝を越え、草地を進み行くふたりは、ほどなくシア・カーンの急襲に遭い、モーグリは身を挺して守ってくれたバギーラと離れ離れになってしまう。バッファローの大群に巻き込まれ、急流に呑まれ、霧深いジャングルの奥をひとりさまようモーグリを、巨大なニシキヘビ、カーが狙う。彼女の声と視線に魅せられて催眠状態になったモーグリは、自身の過去を見る。そして赤ん坊の自分を連れた旅人の父をシア・カーンに殺されたこと、そしてシア・カーンの傷は父の松明によるものであることを知るのだった。危うくカーの餌食になるところの彼を救ったのは、クマのバルーだった。

花が咲き乱れる川辺に棲むバルーは、陽気な怠け者で食べることが大好き。最初は断崖のハチミツ採取の手段として人間の子を利用しようとしただけのバルーだったが、しだいに賢くて勇敢なモーグリに惹かれ、同時に〝故郷”を追われた彼を不憫に感じ、大切に思っていく。モーグリもまた、規則に縛られずに己のルールで自由に生きるバルーに新鮮な驚きを覚え、友情の絆を結んでいく。バルーは言う。「オオカミらしくなくていい。モーグリのやり方で、ここで生きていけるさ」。その言葉は、師であるバギーラの教えを守って人間の村に行くしか道はないと信じるモーグリの心の奥を揺さぶった。

だがそのころ、故郷では驚くべきことが起きていた。モーグリが旅立ったのちも彼を守るべくシア・カーンに対峙していた誇り高きアキーラが殺されてしまったのだ。故郷は、シア・カーンの支配下に置かれた。やっと再会がかなったバギーラは故郷の悲劇を隠し、モーグリを一刻も早く人間の村へ旅立たせようと強いるのだった。そのうえモーグリの背後には、人間の操る赤い花を手に入れて人間のような支配力を得ようと考える存在、廃墟の寺院でサルたちのコロニーを統治する巨大類人猿キング・ルーイの影が忍び寄っていた。

愛する者たちの悲劇を、そしてジャングルの危機を知ったとき、モーグリの体を熱く激しいものが貫く。悲しみ、怒り、そして・・・・・。
果たして、自分らしく生きることの意味を見出そうとする人間の子モーグリは、ジャングルにとって脅威なのか?それとも光をもたらす希望なのか?

○(4)<密林の少年の成長を見る喜び>(渡辺祥子・映画評論家)

『ジャングル・ブック』の主人公、モーグリ少年は木々が鬱蒼と茂るジャングルの中、物心ついたときから黒ヒョウの知恵に守られ、オオカミの母ラクシャの豊かな愛に包まれて元気に育ってきた。

英国の作家で詩人でもあるラドヤード・キプリングが書き、1894年に出版されて1895年に続編が出版された短編小説をもとに生まれたのが『ジャングル・ブック』。何も知らなかったときの私は『ターザン』のよう、と思ったのだが、実際には『ジャングル・ブック』が先に生まれていて、キプリングは『ターザン』を知ったとき、あれは私の真似、と怒った、という文書が残っているそうだ。

ウォルト・ディズニーはキプリングの作品を原作に、長編アニメ映画を企画。1963年に製作がスタートしてウォルトは亡くなったが、映画は1967年に完成して10月に全米公開、1968年、8月には日本でも公開されている。そのリメイク作、といえそうなCGアニメとして生まれたのがこの映画。モーグリはただ一度のオーディションで発見された12歳のわんぱく坊主型少年ニール・セディが演じているが、動物たちはすべてCGで描かれているというのがすごい。

モーグリ以外の動物も大自然もCGで作られたこの映画は、孤児だった人間の子モーグリを守り育て、人間としての自覚を持たせて自立させる、という黒ヒョウのバギーラの決断によって彼の自立への旅が始まる。まるで遠い昔の武士の遺児が忠義の老武士に見守られて立派なサムライに仕立てられるように、モーグリもバギーラに見守られて向かう人間の住む場所への旅で、自分が、いままで育った環境にいた仲間たちとはちがう〝種”であることを自覚させられて成長していく。彼は人間だ。

そんな旅ではモーグリの命を狙うトラのシア・カーンが怖い。彼には人間への復讐心があり、かつて彼にひどい火傷を負わせた〝赤い花”(火)が操れる人間が彼らの生きる世界を支配することがわかっている。だからその前に人間であるモーグリを葬り、そのためにまずはオオカミたちを支配する。そうすれば、もはやモーグリはオオカミの仲間には戻れない。でも、憎悪と怒りしか知らないシア・カーンは、オオカミの母ラクシャがわが子以上に賢いモーグリを愛していることに気がつかなかった。母の愛はトラへの恐怖を超える強さをもっている。

そんな母の愛と黒ヒョウやちょっとずうずうしくもとぼけたハチミツ好きのクマのバルーの助けを得ることになるモーグリは、決して安全な場ではなくなっているジャングルを出て自分と同じ〝種”のいる場所に向かう旅に出るのだが行く手にはさまざまな敵が立ちはだかる。それらは広い世界を知らないモーグリには好奇心の対象でしかないというのが怖いところだ。樹に巻き付いてやさしく甘い声でモーグリを誘う大蛇のカー。見ているだけで、あぶない!と叫びたくなってしまうけれど、幼い少年は気づかない。やさしく抱かれてイイ感じ、なんて思っているととんでもないことに!声を演じるのが『アベンジャーズ』シリーズなどでも知られた当代ハリウッド映画きってのセクシー女優スカーレット・ヨハンソン、と知っていると、なんだか、にやにやしてしまうのだが。

象の一群に出会ったモーグリは、バギーラに教えられたようにきちんと挨拶した。やはり自分より大きく強い動物には礼をつくし、誠実な対応をする。ジャングルの中には象の群れだけでなく、ボスの号令の下に行動する無数のサルたちがいる。いまは廃墟になった広大な寺院に住んでサルたちを支配する巨大な類人猿、キング・ルーイは古だぬきのように狡猾で抜け目のないボスだ。さしずめジャングルのマフィアといったところだろうか。彼の狙いは人間の子供のモーグリなら操れるはずの赤い花、すなわち〝火”を手に入れること。火が手に入ればジャングルの生き物を支配することができる。

大きな野望を抱くキング・ルーイと無数のサルを相手に逃げて戦い、また逃げて、と、めげることを知らないモーグリを助けるバギーラとバルー。こうして不屈の闘魂を身に着け、未知のジャングルで生き延びる力を身に着けたモーグリは、はじめの頃よりずっとたくましくなった。自分を助けてくれるバギーラやバルー、そしてオオカミの母ラクシャの誠実なやさしさにも気づき、少しずつ大人になってひとつの決断をくだす。

<渡辺祥子・映画評論家・・・・・共立女子大学文芸学部卒業。映画誌編集者、PR誌編集を経て、フリーの映画ライターに。以後、雑誌、新聞に映画紹介・批評を書き、ラジオ、TVのコメンテーターをして今日に至る。現在日経新聞映画評、NHKラジオ第1放送NHKジャーナルなどを担当>

<文責:藤森弘司>

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