2016年7月31日 第168回「今月の映画」
スポットライト・世紀のスクープ
③ー③

●(1)初回<4月30日、第165回、③ー①>の最後の部分を再録します。

<<< ●(7)さて、結論です。

神父は「パーソナリティー(人格)」に相当し、神父の児童への性的虐待の行為が「サブパーソナリティー(副人格)」に相当すると考えます。そして、司教とか大司教、もちろん、教皇などが「ハイヤー・セルフ」に相当すると考えます。

敢えて汚い言葉を使えば、ろくでもない存在を「ハイヤー・セルフ」に持ってくると、幾つもの教会が破産するほどの大問題になってしまいます。
最近の三菱自動車やフォルクスワーゲン、東芝、パイオニア、エアーバックのタカタ等々の不祥事で、トップ、つまり、ハイヤー・セルフに相当する存在(社長や会長など)の良し悪しが決定的な問題になりかねません。

さて、私たち個人に当て嵌めて考えてみますと、私たち個人が避けたい問題・・・人生の大きな課題や性格上の大きな課題、家庭内の気になる問題などに対して、目をつぶったり避けたりせず、いかに本気で立ち向かうか、これに尽きます。

大きな問題が背後に潜んでいるらしいことをうすうす分かっていながら(「パーソナリティー(人格)」)、私たちは、ついつい放置してしまう弱さ(「サブパーソナリティー(副人格)」)がありますが、放置して、気が付いたら「手遅れ」・・・となることが世の中に溢れています。

心理学では「倒れた後に止む」、つまり、手遅れを意味する言葉があります。
ローマ教皇さえもが手遅れにしてしまった(つまり、「サブパーソナリティー(副人格)」を優先させてしまった)のですから、キリスト教(「ハイヤー・セルフ」)も大したことがありませんね。キリスト教だけでなく、仏教などの宗教も哲学も、心理学も医学も文学も何もかも、学問という「知的理解」を深めているだけ・・・・・ということが多すぎます。

「自己成長」に関してはDoing(「サブパーソナリティー(副人格)」)に取り組まない限り、達成できません。

この段階で何度も何度も血の滲むような練習を繰り返し、そしてBeing(「ハイヤー・セルフ」)、自分が目指す人間性に少しでも近づけるように、自己の未熟性(「サブパーソナリティー(副人格)」)を自覚・反省ができる真摯な態度を維持・継続することがいかに重要であるか。
と同時に、それがいかに難しいことか、人間の意志がいかに弱いか・・・・・天下のローマ教皇でさえ隠蔽に加担していたという驚愕の、しかし、案外、普遍的な問題点が炙り出されました・・・・・。

ぶっちゃけた言い方をすると、天下第一級のローマ教皇でさえ、少々の訓練はしたかもしれませんが、しかし、「知的理解」を深めた人間性が中心だったことが証明されてしまいました。これだけの犠牲者がいるにもかかわらず、教皇自身の立場・・・地位や名誉、そしてカトリック教会という組織を守ることを優先させていたのですから、ローマ教皇という地位も大したことがないのですね。
三菱自動車や東芝や「欲望が溢れ、サブパーソナリティー(副人格)が中心の私(藤森)」と、実際は、大したことがないことが白日の下に曝け出されてしまいました。

こういう大問題に的確に対処できる、あるいは、大問題に真っ正面から立ち向かえる人間こそが「ローマ教皇」の名に相応しいはずです。

世の中の多くの物事・事件などが、「倒れて後に止む」ことの危険性を教えてくれています。
「癌」も同様です。日々の生活の中で、私たちは反省することが多いはずです。気が付いた時に、少しでもその問題に取り組んでいれば、「癌」にしても、「事件」や「不祥事」にしても、その他のいろいろなことを未然に防げた可能性があるのではないでしょうか。

つまり、一番辛い、苦しいことに取り組む勇気を持たないと、神とも思われているカトリック教会の神父や大司教、教皇でさえもがとんでもないことにしてしまう。ましてや、我々個人においては、命さえも失いかねないし、家族が悲惨な目に遭う可能性もあるという素晴らしい教訓に、この映画はなるのではないでしょうか。

今、あなたが抱えている人生の大きな課題に取り組む勇気を持ちませんか・・・悲惨な結末になるかもしれない事柄を「未然に防ぐ」ために!!!「わかっちゃいるけど」ではなく、「止められない」ことに真剣に取り組む勇気を持ちませんか。

その最大の問題は、自分の「劣等感コンプレックス」を認める勇気です。
実は、劣等感コンプレックスというものは、認めてしまえばどうってことがないものなんです。しかし、劣等感コンプレックスを他のもの・・・主として、学問(知性)や経済力や名誉や地位などに代替させたり、意地・頑固やプライドなどで、深層心理に抱えている劣等感コンプレックスを無いことにしたがる「心の弱さ」が問題を大きくしたり、手遅れにしています。

ローマ教皇や大司教、三菱自動車、東芝、シャープ等々の経営者たちが、気が付いたときに率直に認める勇気・・・の問題だったのです。その真摯さ、謙虚さが自律神経の働きを正常にし、「癌」を防いでくれます。つまり、免疫力を高めてくれるのです。
<「今月の映画」第164回「スティーブ・ジョブズ②ー②」をご参照ください>>>>

●(2)ここからが今月の話題です。

平成28年7月15日、週刊ポスト「フランシスコ教皇を動かした『直訴』」(高山文彦・作家)

<ハンセン病差別の撤廃に向けたシンポジウムがバチカンで開催

<発端は教皇の「差別発言」>

 カトリックの総本山、バチカンのサン・ピエトロ広場の遠近で、順繰りに拍手と歓声があがる。いくらか時間が過ぎて、陽射しがうっすらと見えてきた頃、大聖堂前の私のまわりでも、2日間を一緒に過ごしてきたハンセン病回復者の皆さんが総立ちになり、歓喜の表情で握手やハグをくり返した。

6月12日午前、バチカンで一般ミサが開かれた。世界中からつめかけた人びとの前で、フランシスコ教皇がこのように述べたのである。
「9日、10日の両日、ハンセン病をめぐって、ローマ教皇庁で初めて国際シンポジウムが開催された。私は成功を祈りつづけていました。この病に対する闘いに、実り多い取り組みがなされることを期待します」

シンポジウムのタイトルは「ハンセン病患者・回復者の尊厳の尊重とホリスティックケアに向けて」。日本財団と教皇庁保健従事者評議会の共催で行われた。仕掛けたのは、いま目の前で回復者たちと握手を交わす日本財団会長の笹川陽平

アジア、アメリカ、南米、アフリカから集まった回復者たち。それに医療・福祉・人権問題従事者のほか、ローマ・カトリック、イスラム、ヒンズー、ユダヤ、仏教の宗教指導者たち計230名が45ヵ国から参加したこのシンポジウムでは、「ハンセン病差別の撤廃」「病者とその家族への支援」「回復者の社会復帰」の3つをテーマに意見が交わされ、世界に向けて画期的な「結論と勧告」が採択されたのだ。

①ハンセン病に対する偏見と差別の闘いにおいては、回復者が主役となるようサポートする。
②レパー(leper)という差別用語を使わない。また、ハンセン病を悪い譬えに使わない。
③宗教は教育や行動につながる活動に取り組み、重要な役割を果たす。
④各国政府は2010年に国連総会で採択された差別撤廃決議を実行しなければならない。
⑤差別的法律は廃止しなければならない。
⑥新たな患者を生まないためにも、新しい診断等、科学的な研究を進める。

②の「レパー」とはハンセン病患者を指す言葉で、英語の聖書にも出てくる。黒人を「ニガー」などと蔑む目的で言うのに等しい。
④の「国連総会の差別撤廃決議」は、笹川陽平が年月をかけて実現にこぎつけたもの。
⑤の「差別的法律」というのは、たとえば公共交通機関やホテル、レストランの利用を禁止する条例が今も生きている国があるということ。世界は日本ほど穏やかではない。

なぜこのようなシンポが開催されたのかというと、教皇フランシスコが差別的発言をしたことが発端なのである。
2013年6月、「出世主義はハンセン病だ。出世主義はやめましょう」。バチカンの聖職者にはびこる出世第一主義を、改革者たらんとする教皇は戒めたわけだが、ハンセン病を悪い譬えに使ってしまった。半世紀近く同病の制圧活動と差別撤廃のための活動を続けてきた笹川陽平は、すぐさま教皇庁に抗議書を送り、同病の現状と深刻な差別の問題をめぐってシンポを開かせてほしいと申し入れたのだ。

でも、その後も教皇からは同病差別発言が続き、そのたびに笹川陽平は同様の抗議をしたが、なんの返答も来なかった。

<炎天下で2時間半待った>

 ところが今年1月下旬になって、教皇庁からシンポ開催の要請が届いた。教皇は昨年冬の初めから今年晩秋にかけての期間を、数十年に一度の「慈しみの特別聖年」としている。罪を犯した者は懺悔して特別に許しを得られるのだという。

私などには、「許し」を得たいのは教皇自身ではないかと思われて、なんだか急に親しみがわいてきた。
聖書には、ハンセン病差別を煽る記述が数多く出てくる。病者たちはそのために、2000年以上にわたって呪われた者と見做され、人間扱いされてこなかった。キリスト教のみならずこの日本でも、ひとたび同病に罹れば戸籍から抜かれ、強制隔離の悲しみに沈まねばならなかった。

シンポでもっとも熱い拍手で迎えられたのは、日本から招待された石田雅男さん(79歳、長島愛生園自治会副会長)であったかもしれない。「人間らしく生きたい」と石田さんは言い、ミサ終了後、感想を尋ねてみると、次のよう答えが返ってきた。

「私はプロテスタントですが、キリスト教徒として、このような場所に立ちあえて本当にうれしいです。ハンセン病に関する国際的な会合に参加するのは初めてでしたが、海外の若い世代の回復者と交流ができてよかった。まだまだ私もやらなければならないことがあると、勇気がわきました」

ミサより4日前の8日午前、笹川陽平は謁見ミサに参列し、炎天下で待つこと2時間半、やっと面前にやって来た教皇に〝直訴”している(写真は割愛させていただきます)。若い頃、ヨハネ・パウロ2世に謁見したさいの写真を手にして、自己紹介しながら、日本人通訳にイタリア語にしてもらった1通の文書を見せたのだ。

「ハンセン病をどうか悪い喩に使わないでください。世界に伝えてください」
この人の情熱は、どこから来るのだろうか。

善意や善行から正しい世の中が生まれるとは限らない。なにかの間違いが、このようにビッグバンをを起こす場合があるのだ。12億人のカトリック世界に、「結論と勧告」が早急に伝えられる。
他の宗教も無視できまい。聖書の記述や解釈にも大転換が起こるかもしれない。

●(3)驚きです。

日本では「らい予防法」が20年前に廃止されているにもかかわらず、天下のカトリック教会が堂々(?)と差別用語として使っている。しかも、カトリックの総本山、バチカンの聖職者にはびこる出世第一主義を戒めるために使われている。こんな二重にバカバカしいことがあるのでしょうか。さらに三重にバカバカしいことは、差別用語が「聖書」に載っているとは驚きを超えて呆れるばかりで、これでは「神」も「仏」もありません。

世界の心あるカトリック教信者が、何故、こういうことを問題にしないのだろうかと不思議に思います。聖書をたくさん、熱心に勉強しているはずの信者が、何故、問題にしないのか、私(藤森)には、ただ、ただ、不思議に思えます。

聖書にこういう差別用語が載っているだけでなく、バチカンの聖職者に出世第一主義がはびこっているというのですから、ほとんどお笑いの世界ですね。多分、この出世主義が、この映画のテーマだった<神父の児童への性的虐待問題>を隠蔽させたのではないでしょうか?

私は、笹川陽平氏は「ノーベル平和賞」に相当する方だと思っています。特にハンセン病に対する活動は驚異的です。笹川氏がこれだけの活動をしなければ分からない「宗教」って、一体全体なんなんだろうかと疑問を感じます。

作家の高山文彦氏が・・・

<<<ところが今年1月下旬になって、教皇庁からシンポ開催の要請が届いた。教皇は昨年冬の初めから今年晩秋にかけての期間を、数十年に一度の「慈しみの特別聖年」としている。罪を犯した者は懺悔して特別に許しを得られるのだという。
私などには、「許し」を得たいのは教皇自身ではないかと思われて、なんだか急に親しみがわいてきた。>>>

 とありますが、バチカンでは「出世主義」がはびこっている上に、20年も前に日本では廃止され、21世紀になった現在まで、ハンセン病を差別用語として多数回使ってきた不見識さは、頭を丸めて土下座して退位すべきほどの大失態のように思えるのですが・・・「権力は腐敗する」「絶対的権力は、やはり絶対に腐敗する」のでしょうか?


下記の2つは、前回(第67回)、紹介したものです。

<<<平成26年2月7日、夕刊フジ「性的虐待でバチカン非難 国連」

 国連の「子どもの権利委員会」は5日、世界各地で発覚したカトリック聖職者による未成年者らへの性的虐待問題について「必要な対策を取っていない」としてローマ法王庁(バチカン)を非難、過去の全ての虐待事件を調査するよう求める勧告を発表した。

同委は「聖職者が数万人の子どもの性的虐待に関与してきた」と指摘。「犯罪の程度を認識しておらず、必要な対策も取っていない」とした。
バチカンは同日、子どもの権利を擁護する姿勢を強調する一方、「カトリック教会の教義と宗教の自由の実践への干渉であり遺憾だ」と反論した。

平成28年6月28日、東京新聞「同性愛者に謝罪を」

<ローマ法王>

 フランシスコ・ローマ法王は26日、同性愛者に対しキリスト教徒とカトリック教会は謝罪すべきだと述べた。訪問先のアルメニアからローマに戻る際、記者団に語った。
法王は、これまでの同性愛者への扱いについて「そのことだけではなく、多くのことに対し、私たちキリスト教徒は謝らなければならないし、許しを請わなければならない」と強調した。>>>

●(4)平成28年7月14日、夕刊フジ「善光寺セクハラ騒動」

小松貫主「事実無根だ」>

「生き仏」とも呼ばれる長野市の善光寺トップを直撃したセクハラ・パワハラ問題に新展開だ。渦中の「大勧進」住職、小松玄澄貫主(82)が12日、一連の疑惑を「全くの事実無根」などと完全否定したのだ。

差別発言も>

関係者によると、小松貫主は大勧進の60代女性職員について「やくざの女で入れ墨があった」などと差別的な発言を周囲にしたほか、別の女性職員にも「1人でいて、さみしくないか?」などとセクハラまがいの言動も行ったという。女性に対しての不当な人事異動も行われたとしている。

善光寺は、天台宗の「大勧進」と浄土宗の「大本願」の2寺院が運営。今年6月には、大勧進の傘下にある天台宗25院でつくる団体「一山」や傘下の信徒団体が小松貫主のこうした行状を問題視し、辞任を求める書面を提出していた。

小松貫主は傘下の寺院の住職らに経緯を説明後、取材に応じ、疑惑は「全くの事実無根で、辞任の意思はない」と明らかにし、「(女性との面識は)ない。身の潔白を示していきたい」と述べた。日本屈指の古刹を舞台にした泥仕合の結末は・・・・・。

●(5)<ウイキペディアより> 映画「ベン・ハー」
 紀元26年のエルサレム。イエス・キリストが厩で生誕して20数年後、イスラエルの王族の血を引く貴族ジュダ=ベン・ハーは幼なじみのメッサラがローマ帝国司令官として任地エルサレムに戻ってきて、二人は再会を喜びあうが、やがて支配者側のメッサラと被支配者側のベン・ハーとで意見が分かれ、二人の間には亀裂が走る。 その頃新しい総督を迎えてローマ軍が行進しているさなかに、ベン・ハーの屋敷の瓦が崩落して新総督が重傷を負い、司令官メッサラはベン・ハーに総督暗殺を謀ったとして逮捕し、奴隷の身分に落として漕手刑(極めて重い刑罰)を言い渡す。ベン・ハ―の母ミリアム と妹ティルザ は牢に入れられて家族は離散する。そして囚人としてガレー船に送られる道中、ベン・ハーは乾きに苦しめられ倒れるが、その時一人の男に水を飲ませてもらい、不思議なことに力を得て窮地を脱する。

 ガレー船でベン・ハーは漕手として3年間を過ごすが、メッサラへの恨みが彼の全身を貫いていた。そしてたまたまマケドニア艦隊との海戦で沈没する旗艦から総司令官アリウスを救出するという殊勲を上げ、漕手刑を赦免されてアリウスの養子となり、ローマの市民権を得て二輪戦車競走の騎手として注目されるまでになる。しかしエルサレムの母と妹の安否が分からず、ベン・ハーはアリウスのもとを去ってエルサレムに向かう。この時に救世主が現れたとして探し歩く老人を知り、また途中で族長イルデリムと知り合い、彼の助力を得ながらエルサレムに実母と妹を探しに戻った。

 しかしもとの邸宅に戻ると家臣だったサイモニデスとその娘エスター(ハイヤ・ハラリート)がいたが、父サイモニデスはベン・ハーの逮捕の折りに投獄され拷問を受けて半身不随の身体にされていた。そしてエスターから母も妹も亡くなったと聞かされて復讐の鬼となった。だが実はエスターは母と妹が生きていることを知っていた。ベン・ハーがローマで貴族となった知らせを聞いたエルサレムの役人が牢の奥深くに閉じ込められた母と妹を突然出獄させたのだが、この時二人ともライ病に罹り、病人だけの隔離場所である洞穴に行くとエスターに伝えて息子には死んだと言うように嘆願されていた。エスターはその後も隔離場所に食事を運び二人を援助していた。この時エスターは心の拠り所を噂で聴いたイエスに委ねていた。

 そうとは知らないベン・ハーは、仇敵メッサラと二輪戦車競走で相まみえ、族長イルデリムが集めて入念に調教した優秀な4頭の馬を操って円形競争場で激しい争いをメッサラと繰り広げた。そしてメッサラとの死闘を制したベン・ハーだったが、その直後に瀕死で虫の息のメッサラから母と妹がライ病に侵されながらも生きていることを知る。そして密かにエスターの後を追って洞穴で生きながらえる母と妹に再会した。

ベン・ハーは家族や親友を不幸にしたローマを憎み、ローマの市民権を放棄する。悩むベン・ハーにエスターは救世主と言われるようになったイエスの話をするがいっこうに聞く耳を持たない。やがてイエスが裁判にかけられて磔にされるという話を聞いて、すがる思いで母と妹を連れて街に繰り出すが十字架を背負ったイエスを見て、あの時に水を恵み自分を救ってくれた人であったことにベン・ハーは愕然とする。母と妹を帰らせてベン・ハーは後を追いかけ、そして倒れたイエスに今度は自らを飲ませたが役人に蹴られ、やがてゴルゴダの丘でイエスは磔の刑に処せられた。その直後に俄かに天から雷雨と大風が舞い、イエスの流した血が大地を流れていった。

 絶望したベン・ハーは重い心で邸宅に戻った。しかしエスターは微笑みながら彼を迎えた。ふと上を見上げると母と妹が元の姿に戻っていた。あの雷雨の中で洞穴に退避した母と妹は急な激痛の後に病が癒えていたのだった。信じられないベン・ハーは母と妹を抱きしめながら喜びを分かち合った。

<文責:藤森弘司>

映画TOPへ