2016年6月30日 第167回「今月の映画」
スポットライト・世紀のスクープ
③ー②

●(1)前回(4月30日、第165回、③ー①)の最後の部分を再録します。

<<<(6)さて、サブタイトルである<癌とは何か?対策編⑩>として、私(藤森)が一番言いたいことをこれから解説します。

今回の映画全体を一人の人間に置き換えてみたいと思います。全体を一人の人間に置き換えるために、「サイコシンセシス(精神統合)」の理論を活用して説明します。
サイコシンセシスの理論を簡単に説明しますと、私たちの一般的な人間性・・・性格と言われるものは「サブパーソナリティー(副人格)」と言います。そして、その「サブパーソナリティー(副人格)」を統合しているものを「パーソナリティー(人格)」と言います。そして、さらにその「パーソナリティー(人格)」を高度ならしめる存在として「ハイヤー・セルフ」を置きます。

私たちは、ついつい、カッとなったり、やけ食いしたり、飲みすぎたり、夫婦喧嘩をしたり、子どもに口うるさかったり、仕事をサボったり、ナマケたり、駐車違反やスピード違反をしたり、身体障害者やお年寄りに席を譲らなかったり・・・・・等々、わかっちゃいるけどやめられないと言うか、その場に相応しくない言動を、ついつい、「道徳的知性」よりも優先してしまう傾向があります。

この場合の「わかっちゃいるけどやめられない」の「分かっている」部分が「パーソナリティー(人格)」に相当します。そして「わかっちゃいるけどやめられない」の「やめられない」部分が「サブパーソナリティー(副人格)」だと考えてください。
そして、より高次な存在を「ハイヤー・セルフ」と言います。より高次な存在はキリスト教的に言いますと、「神」のような存在でほぼよろしいかと思います。

「神」のような存在というと、我々一個の人間にとっては超越的な存在になりますが、仏教的に言いますと、「悟り」を開いた僧侶と考えてよろしいのではないでしょうか。この場合、学問に秀でた人間(知性人間)ではなく、深い心境を体得(悟り、智慧)している方です。具体的に言えば、お釈迦さまであったり、聖徳太子であったり、空海や法然や白隠禅師などをイメージしていただいたらよろしいかと思われます(この辺りは、ほぼ、大体・・・このようにお考えいただければ結構です)。

私たちにとっては、一般的に不可能と言ってほぼ間違いないレベルですので、より人間的に素晴らしい方を「心の師」として、いつも、己をチェックできるだけの「人間性(パーソナリティー)」を備えたいものです。

不謹慎な譬えかもしれませんが、地震対策が分かりやすいかもしれません。
地震が起きてから、ああすれば良かった、こうすれば良かったというのが「サブパーソナリティー」で、地震対策を十分に行っていたというのが「パーソナリティー」と言えるかもしれません。しかし、いくら対策をとっても、万全にはできません。家が傾いたり、津波で被害を受けたり、食料の備蓄も、せいぜい1週間分がいいところです。

道路や橋が壊れたり、電機やガス、水道などがストップしたりすれば、一個の人間では如何ともしがたいものです。この場合は、電力会社なり、県や国のバックアップに頼ります。これが「ハイヤー・セルフ」に譬えられるのではないかと考えます。

(7)さて、結論です。

神父は「パーソナリティー(人格)」に相当し、神父の児童への性的虐待の行為が「サブパーソナリティー(副人格)」に相当すると考えます。そして、司教とか大司教、もちろん、教皇などが「ハイヤー・セルフ」に相当すると考えます。

敢えて汚い言葉を使えば、ろくでもない存在を「ハイヤー・セルフ」に持ってくると、幾つもの教会が破産するほどの大問題になってしまいます。
最近の三菱自動車やフォルクスワーゲン、東芝、パイオニア、エアーバックのタカタ等々の不祥事で、トップ、つまり、ハイヤー・セルフに相当する存在(社長や会長など)の良し悪しが決定的な問題になりかねません。

さて、私たち個人に当て嵌めて考えてみますと、私たち個人が避けたい問題・・・人生の大きな課題や性格上の大きな課題、家庭内の気になる問題などに対して、目をつぶったり避けたりせず、いかに本気で立ち向かうか、これに尽きます。

大きな問題が背後に潜んでいるらしいことをうすうす分かっていながら(「パーソナリティー(人格)」)、私たちは、ついつい放置してしまう弱さ(「サブパーソナリティー(副人格)」)がありますが、放置して、気が付いたら「手遅れ」・・・となることが世の中に溢れています。

心理学では「倒れた後に止む」、つまり、手遅れを意味する言葉があります。
ローマ教皇さえもが手遅れにしてしまった(つまり、「サブパーソナリティー(副人格)」を優先させてしまった)のですから、キリスト教(「ハイヤー・セルフ」)も大したことがありませんね。キリスト教だけでなく、仏教などの宗教も哲学も、心理学も医学も文学も何もかも、学問という「知的理解」を深めているだけ・・・・・ということが多すぎます。

「自己成長」に関してはDoing(「サブパーソナリティー(副人格)」)に取り組まない限り、達成できません。

この段階で何度も何度も血の滲むような練習を繰り返し、そしてBeing(「ハイヤー・セルフ」)、自分が目指す人間性に少しでも近づけるように、自己の未熟性(「サブパーソナリティー(副人格)」)を自覚・反省ができる真摯な態度を維持・継続することがいかに重要であるか。
と同時に、それがいかに難しいことか、人間の意志がいかに弱いか・・・・・天下のローマ教皇でさえ隠蔽に加担していたという驚愕の、しかし、案外、普遍的な問題点が炙り出されました・・・・・。

ぶっちゃけた言い方をすると、天下第一級のローマ教皇でさえ、少々の訓練はしたかもしれませんが、しかし、「知的理解」を深めた人間性が中心だったことが証明されてしまいました。これだけの犠牲者がいるにもかかわらず、教皇自身の立場・・・地位や名誉、そしてカトリック教会という組織を守ることを優先させていたのですから、ローマ教皇という地位も大したことがないのですね。
三菱自動車や東芝や「欲望が溢れ、サブパーソナリティー(副人格)が中心の私(藤森)」と、実際は、大したことがないことが白日の下に曝け出されてしまいました。

こういう大問題に的確に対処できる、あるいは、大問題に真っ正面から立ち向かえる人間こそが「ローマ教皇」の名に相応しいはずです。

世の中の多くの物事・事件などが、「倒れて後に止む」ことの危険性を教えてくれています。
「癌」も同様です。日々の生活の中で、私たちは反省することが多いはずです。気が付いた時に、少しでもその問題に取り組んでいれば、「癌」にしても、「事件」や「不祥事」にしても、その他のいろいろなことを未然に防げた可能性があるのではないでしょうか。

つまり、一番辛い、苦しいことに取り組む勇気を持たないと、神とも思われているカトリック教会の神父や大司教、教皇でさえもがとんでもないことにしてしまう。ましてや、我々個人においては、命さえも失いかねないし、家族が悲惨な目に遭う可能性もあるという素晴らしい教訓に、この映画はなるのではないでしょうか。

今、あなたが抱えている人生の大きな課題に取り組む勇気を持ちませんか・・・悲惨な結末になるかもしれない事柄を「未然に防ぐ」ために!!!「わかっちゃいるけど」ではなく、「止められない」ことに真剣に取り組む勇気を持ちませんか。

その最大の問題は、自分の「劣等感コンプレックス」を認める勇気です。
実は、劣等感コンプレックスというものは、認めてしまえばどうってことがないものなんです。しかし、劣等感コンプレックスを他のもの・・・主として、学問(知性)や経済力や名誉や地位などに代替させたり、意地・頑固やプライドなどで、深層心理に抱えている劣等感コンプレックスを無いことにしたがる「心の弱さ」が問題を大きくしたり、手遅れにしています。

ローマ教皇や大司教、三菱自動車、東芝、シャープ等々の経営者たちが、気が付いたときに率直に認める勇気・・・の問題だったのです。その真摯さ、謙虚さが自律神経の働きを正常にし、「癌」を防いでくれます。つまり、免疫力を高めてくれるのです。
<「今月の映画」第164回「スティーブ・ジョブズ②ー②」をご参照ください>>>>

●(2)「スポットライト」のパート②をかなり早めに打ち込んでいたのですが、それがパソコンの不調で消えてしまいました。残念。
そのために迫力不足ですが、探した別の資料から打ち直します。
平成26年2月7日、夕刊フジ「性的虐待でバチカン非難 国連」 

 国連の「子どもの権利委員会」は5日、世界各地で発覚したカトリック聖職者による未成年者らへの性的虐待問題について「必要な対策を取っていない」としてローマ法王庁(バチカン)を非難、過去の全ての虐待事件を調査するよう求める勧告を発表した。同委は「聖職者が数万人の子どもの性的虐待に関与してきた」と指摘。「犯罪の程度を認識しておらず、必要な対策も取っていない」とした。
バチカンは同日、子どもの権利を擁護する姿勢を強調する一方、「カトリック教会の教義と宗教の自由の実践への

干渉であり遺憾だ」と反論した。平成28年6月28日、東京新聞

「同性愛者に謝罪を」<ローマ法王>

 

 フランシスコ・ローマ法王は26日、同性愛者に対しキリスト教徒とカトリック教会は謝罪すべきだと述べた。訪問先のアルメニアからローマに戻る際、記者団に語った。
法王は、これまでの同性愛者への扱いについて「そのことだけではなく、多くのことに対し、私たちキリスト教徒は謝らなければならないし、許しを請わなければならない」と強調した。

●(3)平成27年12月9日、日刊ゲンダイ「もぎたて海外仰天ニュース」

<親切な警官 万引きされた「誕生日ケーキ」の代金払う>

「花も実もある粋な計らい」ってこういうのを言うのかな。
先日、米ニューハンプシャー州ポーツマスのショッピングセンターからケーキの原料を混ぜたケーキミックスとケーキにかけるバニラの粉末が万引きされた。事件を捜査した同市警に19年間、勤務している警察官マイケル・コトソニスさんはすぐに容疑者の女を特定、自宅に行った。尋問を受け、女は万引きの事実を認め、「9歳の娘の誕生日ケーキを買う金がなかったから」と動機を告白。

これを聞いてコトソニスさんは、彼女を逮捕せず、万引きの被害金額9ドル(約1100円)を立て替えて店に支払った。「母親の間違いのせいで娘さんの誕生日を台無しにしたくなかった」からだ。

コトソニスさんはこのことを黙っていたが、店員が感動して地元の新聞社に話したことで公に。さらに大手メディアが報道したため全米で共感を呼んでいる。

●(4)平成26年11月6日、夕刊フジ「天下の暴論」(花田紀凱)

<気遣いも器も「世界一の王」

守備妨害という妙な形で日本シリーズもあっさり終わってしまった。
「福岡の地で3連勝できた。ファンの皆さんの前で日本一。うれしい。最高です。何もいうことないです」

今シーズン限りで監督の座を降りる秋山幸二監督は手放しの喜びよう。だがそれよりぼくが感動したのは王貞治会長の言葉だ。
「最高の締めくくりだったね。特別な思いで指揮を取っただろうし、選手もそれをしっかり受け止めてね。投げる方でも、打つ方でも、走る方でも、守る方でもね。ご苦労さんと言いたいね。一番ほっとしているのは本人だろう。人生に悔いはないだろうし、今はゆっくりしてほしい」

ふつうなら、「投げる方でも」「打つ方でも」で終わるだろうが、そこに「走る方でも」「守る方でも」と付け加えるところが、いかにも王さんらしいのだ。
リーダーとしては当然かもしれないが、この一言で王さんが選手全員に気を遣っていることがわかる。

そういえば、最近、『テレビブロス(TV Bros.)』の「ピピピクラブ」(読者がテレビ番組を見ていて面白かったシーンや紹介する投稿コラム)に王さんのこんなエピソードが紹介されていて、面白かったので、スクラップしておいた。

余談だが、『ピピピクラブ』は僕の愛読誌。テレビ番組紹介誌なのだがコラムの充実ぶりは今の雑誌界で、ちょっと他を圧倒している(『WiLL』に並ぶ?)。
松尾スズキ、清水ミチコ、天久聖一のエッセー、キャリーパミュパミュの日記、光浦靖子の人生相談、友沢ミミヨの漫画「まめおやじ」、それに最近は映画欄がいい。260円はお買い得。

話を「ピピピクラブ」の王さんに戻す。
8月28日放送の「プロ野球、巨人対阪神」(日本テレビ系)の副音声で、王理恵さんと長嶋三奈さんの夢の対談が。
そこで三奈さんが王監督時代のソフトバンクホークスの試合を取材中のこんなエピソードを紹介していたという。

相手チームの若いピッチャーがバッターの頭近くにボールを投げた。
王監督、すぐにベンチを飛び出し、審判に一言、二言話をしてベンチに引き上げた。
三奈さんも記者たちも、王監督はきっと危険球への抗議をしたものと思っていた。

ところが試合後に確認すると、何と王監督「今のはすっぽぬけだから、危険球として扱わないように」と審判に助言。さらには「相手のピッチャーはまだまだ若手なので、萎縮しないように」と伝えたという。
単にソフトバンクホークスの監督という立場だけではなく野球界全体を見渡す王監督の器の大きさに、気遣いに三奈さん、改めて感心したそうだ。

その後の三奈さんの言葉が良かった。
うちの親はそういうこと(気を遣うこと)ができない親だから」
へたな解説、結果論ばっかりの解説よりよっぽど面白い。

中学校の同級生、斎藤敏博クンが早実野球部に入り、キャッチャーとして、一度だけ甲子園に出場した。結局、プロには行かず、普通のサラリーマンになった。彼に聞いた王さんの話。
OB会にいくとその頃、もう巨人を背負って立つ大選手だった王さんは先輩、後輩の別なく、自らビールをついで回っていたという。
王さんの言葉から、久しぶりに斎藤クンのことを思い出した。元気でいるだろうか。
<月刊『WiLL』編集長>

●(5)平成28年6月29日、日刊ゲンダイ「失敗と成功の日本史」

<舛添知事は辞任>

 舛添要一都知事が辞任しました。政治資金を使って、ホテルに私用で泊まったとか、私的に中国服を買ったなど数々の〝流用”疑惑が発覚。「せこい」という言葉が、世界に紹介される機会ともなり、日本人としては、恥ずかしい気がします。
流用といえば、明治期にも国家予算を本来の用途と違う目的に使った例があります。西郷隆盛の弟・従道と山本権兵衛による軍艦の調達です。

<「戦艦三笠」のために予算を「流用」した西郷従道&山本権兵衛>

西郷従道は大隈重信に「天成の大将にして、将の将たるの器を有するものなり」「無邪気にして野心なきにあり」と称賛されるほど、政治的野心を持たない逸材でした。
彼は薩摩閥の代表として、内閣総理大臣になれたのに多くを望まず、明治18(1885)年から7代、2度にわたり海軍大臣を務めました。日本の近代海軍を整備した最大の功労者は、この従道だと考えていいでしょう。

一方の山本権兵衛も薩摩閥で、明治24年にドイツから帰朝し、海軍大臣官房主事(大佐)に就任。軍制改革、老朽将校の淘汰を断行して「権兵衛大臣」と称されるなど、海軍の巨巌ぶりを発揮したことで知られています。こうした大英断を後押ししたのが、9歳上の従道だったのです。

明治28(1895)年に日清戦争が終わり、海軍はロシアとの対決に向けて準備を進めます。戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を造る「六六艦隊構想」に着手したのです。
計画は29年から38年までの10年間継続しました。

権兵衛は日清戦争の前に予算が通った1万2000トン級の「富士」や「八島」に加え、日露戦争をにらんで1万5000トン級の「敷島」「朝日」「初瀬」「三笠」の建造を主張。予算を獲得しました。
これらの軍艦の中でとくに重要だったのが戦艦三笠でした。現在、神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されている船です。

海軍大臣の権兵衛はこの計画を推し進めますが、問題が発生しました。
途中で予算不足に陥り、最終戦艦である三笠の調達が困難になったのです。同艦は英国の会社に発注する予定でした。国会の決議を待っていたのでは建造が遅れ、万一ロシアと開戦となった場合、海軍は不利となってしまう。そうした情勢の中、従道は決断します。他の予算を流用して、独断で英国に手付金を払おうと、彼は権兵衛に言ったのです。

「山本さん、それは買わねばあり申はんなぁ。他の予算を流用すればよか、もちろん違憲じゃ。じゃっどん、議会に追及されたなら、潔く2人そろって二重橋の前でを切ればよか。自分たち2人が死んで、最新鋭艦が手に入れば、そいはけっこうなことではごわはんか」

この従道の大英断によって「三笠」は、日本海軍の戦列に加わり、日露戦争(1904~05年)の日本海海戦に旗艦として出撃。日本を勝利に導きました。
日本のために死を賭して他の予算を流用した従道と権兵衛。舛添さんの流用とは大きく異なるものでした。
<歴史作家・加来耕三>

<文責:藤森弘司>

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