2016年3月31日 第164回「今月の映画」
スティーブ・ジョブズ
②ー②
<癌とは何か?対策編⑨>

監督:ダニー・ボイル  主演:マイケル・ファスベンダー  ケイト・ウィンスレット  セス・ローゲン  ジェフ・ダニエルズ

 

●(1)スティーブ・ジョブズ的人間性とは、多分、コンピューターやインターネット的な社会の典型的な人間性を教えてくれるように思えます。
今回は、思いつくままに、とても興味深くて関連があって面白いものをたくさんご紹介します。紹介されているものから、ご覧になる方々が感じたもの、それを真似しないようにすることが、癌対策になるはずです。どうすれば健康になるか、何をやれば癌対策になるか、などのハウツーものではなく、皆さんが何かを感じたり、学んだりしたもの、それを自分流に消化していくことが大事です。私たちは、あまりにも「実感」を抜きにした人生を生き過ぎてしまっています。例えば、ご飯を炊くことにしても、昔は、ご飯を炊く人の直感が重要でした。炊けた後の蒸らし方や焦がさない炊き方など、火の調整は結構難しいものがありました。私(藤森)は小学生の時代から、貧しい中でいろいろな苦労(豊富な体験)をしてきました。薪を使って、お釜でご飯を炊くことはかなり経験しましたので、電気炊飯器でご飯を炊く現在でも、水加減は手の加減で調整しています。かなりいい加減にやっていますが、炊飯されたご飯について、妻に苦情を言われたことがありません。
一つ一つ、何もかもが昔は、それをやる人の直感が、そのことの出来不出来に大きな影響を与えました。

しかし、今の時代は、自分の健康や命にかかわるようなものさえもがハウツーものや統計もの、つまり、専門家や専門家もどき人たちの「ああしたら、こうしたら」という無責任・・・テレビや雑誌や著書などを通じて、誰が、どういう状況の中でどのように利用しようとしているかを考慮せず、立派(?)な説を堂々と開陳できる無責任さには驚くべきものがあります。

例えば、「○○が癌に効く」などの統計的なものを考えてみましょう。
例えば、ある会場に1000人の参加者がいるとします。調べてみたら、参加者の平均年齢は50歳だったとします。私たちは、なんとなく分かったような気がしますが、50歳前後の参加者で、平均が50歳かもしれないし、0歳から100歳の人たちが参加して、平均が50歳かもしれません。
つまり、平均年齢が50歳という事実は正しいけれども、しかし、実態は何も分かっていないにもかかわらず、私たちは、何か重要なことが分かったような錯覚をしてしまうものです。

もう一つ、敢えて極端な例を出します。
あるものが癌に効くとします。「あるもの①」を100万人に試したら1人に有効だったとします。「あるもの②」を試したら100万人に10人に有効だったとします。共に「誤差」程度のものですが、研究者にしてみれば有効な研究だったと思いたいはずです。そういう「恣意的」な気持ちが働けば、「あるもの②」は、「あるもの①」よりも10倍癌に効くと喧伝できます。

ハウツーものや統計的な情報は、何かの参考程度にはなっても、自分個人に合致することは、偶然の一致以外にはありません。ということは、ハウツーものや統計的な情報から、如何にして、世界にたった一人の自分個人に「融合」させるか、それこそが「智慧」というものです。
この「智慧」が、現代は、病的・異常なほど衰え、退化してしまっているように思えます。

下記のもろもろの情報から何かを思い切り感じてみてください。どう考えても、エネルギーがバランスよく体内を流れているとは思えないはずです。ご覧になる方それぞれ、直感されたことを、「自己成長」や「健康問題」に配慮・工夫して、エネルギーのバランスを整えていくことこそが肝心要です。

前回の映画紹介の中のスティーブ・ジョブズらしい部分の一部を再録します。

<<<養子という複雑な家庭環境に育ったジョブズもまた、娘にどう接していいかわからない。別れ際にふいに抱き付いて「一緒に住みたい」と呟くリサを、不器用なジョブズは抱きしめ返すことさえできなかった>>>

<<<ジョブズは、話術の巧みさで知られるが、その実、不器用な人間でもあった。彼を表現する時に使われる言葉「現実歪曲フィールド」に象徴されるように、相手をパワーでねじ伏せ、自分の思い通りにしてしまうカリスマ性の裏に隠れていた人間性がこの映画では浮き彫りになる。>>>

<<<アップル製品は他社製品との互換性がないこと、ユーザーに改造させないこと(クローズド)で有名だったが、それはジョブズの「すべてをコントロールする」という執拗なまでのこだわりから来ている。その個性は、自分が養子だったことが関係していると言われる。本当の両親は若さと宗教の違いから結婚を認められず、ジョブズを養子に出した。シリア出身の父親はサンノゼでレストランを経営しており、互いにそれを知らないまま、店の常連だったジョブズは彼と顔を合わせていたことを後年知る。>>>

●(2)平成28年2月23日、日刊ゲンダイ「もぎたて海外仰天ニュース」

<天才ハッカーがFBIに申し出

容疑者のiPhoneをハックしてやるよ>

「オレがタダで容疑者のiPhoneをハックしてやるよ」
米ITセキュリティーの最大手マカフィーの創立者で自身が天才ハッカーであるジョン・マカフィー氏(70)がFBIにこんな申し出をして注目を集めている。

昨年12月に米カリフォルニア州で起きた銃乱射テロを巡り、FBIが容疑者のiPhoneから関連情報を取り出そうとしたが、ロックを解除できなかった。連邦裁判所はアップルにロック解除のソフトを作成してFBIに協力するよう命じたが、アップルのティム・クックCEOは個人情報保護を理由に拒否していた。マカフィー氏の申し出は、この流れを受けたもの。

それにしてもFBIに集まった秀才IT専門家が束になっても不可能だったロック解除ができるのか?同氏は「コンピューターサイエンスには生まれながらの天才が必要なんだ。ジュリーアート音楽院からモーツァルトが生まれないように、スタンフォード大出の専門家が束になっても、高校中退の天才ハッカーにかなわないんだよ」と自信たっぷりだ。

●(3)平成28年3月22日、東京新聞

<アップル協力なしで解除も>

<FBI テロ容疑者スマホ>

死亡したテロ容疑者のスマートフォンのロック機能解除をめぐり米連邦捜査局(FBI)とIT大手アップルが対立している問題で、FBIがアップルの協力を得なくてもロック機能を解除できる可能性が出てきたとみていることが21日、分かった。

当局の代理人が裁判所に提出した資料によると、外部協力者が20日、FBIに解除方法を提示した。FBIは実際に解除できるかどうかを検証する。
解除できれば、FBIはアップルへの協力要請を撤回し、協力を拒むアップルとの対立は解消する公算が大きくなる。

裁判所はFBI側の申し出を受け、アップルの代理人らを呼んで開く予定だった22日の審理を取りやめることを決めた。

●(4)平成28年2月25日、夕刊フジ「天下の暴論」(花田紀凱・月刊『WiLL』編集長)

<アップル商法にブチ切れた!!>

アップル商法は頭が固いとか、殿様商売だとかは聞いていた。
だが、実際に体験してみて、怒り心頭、こんなに怒ったのは久しぶりだ。

数年前からiPadを愛用している。毎年のように新しい型を発表するのは気に食わないが(機能はたいして違わないのに)、何度か買い替え、2週間ばかり前にiPadミニ4を近くの家電量販店で購入した。
その充電器の先端がいきなり抜けて壊れてしまった。まだ2週間、乱暴に扱ったわけでもない。だいたい充電器なんて乱暴に扱いようもない。

量販店に持っていくとアップルの場合、直接、電話してもらうしかないと「iPod、iPhone、iPadの初期不良、修理などのお問い合わせ、製品サポートは全て『アップル』が行います」と書いた紙を渡された。
早速電話する。

事情を説明すると、「困りましたね」とまるで人ごとだ。
「どういう対応するか決まってないので検討します」
どういう対応もへったくれもない。買ったものが2週間もたたずに壊れたら、まずおわび。で、新しいものと交換というのが当たり前だろう。
そういっても蛙の面に小便、「今のところ検討しますとしか言えない」の一点張りだ。

「修理するか、交換するか検討するので壊れた充電器をまず送ってくれ」という。
検討にどのくらいの時間がかかるのかと聞いても、「見ないとわからない」

このへんからだんだん、腹が立ってきた。
「あなた名前なんというの?」
「○○です」
「フルネーム教えてくれ」
押し問答のあげく、
「個人情報で教えられません」

しつこい客だと思ったのだろう。
「私より上席の者が対応します」
そうしてくれと答えると、
「ハーイ、かしこまりましたー。お待ちくださーいね」
バカにしてんのか!

さすがに「上席の者」(女性だった)は少しはましな対応だった。ちゃんとフルネームも教えてくれたが、○○のフルネームは「知らない」。
「基本的にはマニュアル通り対応したと思います」
「そのマニュアルがおかしいと言ってるの!」
で、充電器はどうなるの?
「有償の可能性が高いです。1年以内で外傷がなければ交換ということも」
「だから、さっきから、買って2週間だと言ってるでしょ!」

「工場に送って、金属部分に外傷がないかを検討し、物理的損傷じゃないかハッキリしないと」
「検討するまでもないでしょ!充電器なんて手荒く扱うわけもないし。で、どのくらい時間かかるんですか」
「私、工場に関係してないので、なんとも」

これで完全にキレました。
この間、45分。おかげで約束の時間に遅れてしまったが、結論は、
「新しい充電器をすぐに宅配便で送ります。壊れた充電器は送ってくれなくてもいい」

工場に送って検討しなくていいのか!「外傷」はどうした!文句を言えば交換するのか!
まだ言いたいことは山ほどあったが疲れた。
これがアップル商法か。

●(5)平成28年3月24日、時事通信<サン電子子会社が協力か=アイフォーンのロック解除―報道 >

【シリコンバレー時事】イスラエルの有力紙イディオト・アハロノトは23日、米カリフォルニア州の銃乱射事件で死亡した容疑者のiPhone(アイフォーン)のロック機能解除をめぐり、米司法省に解除方法を提案したのは、サン電子(愛知県)傘下のイスラエル企業セレブライトだと報じた。複数の米メディアが伝えた。

セレブライトは各国の捜査機関に携帯電話内のデータを抽出する機器などを納入。サン電子が2007年に買収した。セレブライトは報道についてコメントを拒否しているという。

●(6)平成27年11月27日、12月4日、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曽野綾子)

<病気の予約>

11月に入って2度目の週末を、私は完全に病人の生活をして過ごした。インフルエンザではなかったのだが、手足がばらばらになりそうなほどだるい風邪を引いたのである。
もっともこれは私にとって、なかなかいい休みの過ごし方だったのかもしれない。私は元々健康なので、年をとるまでは休みというものをうまく取れなかった。遊びにせよ家事にせよ、すぐ体を動かしたくなる。

しかし夫も私も、実に長い間働いてきてしまっていたのだ。60年以上である。夫は戦争中の10代に勤労動員で、まず職工になった。「僕はコンプレッサーの前でも溶鉱炉の前でも働いたよ。兵隊は工兵部隊だったから・・・・・」と過ぎし戦を語りだす。私は気がついたら60年以上書いていた。自慢にもならない。丈夫だっただけである。

喉は痛いし微熱もあるという状態になって改めて考えてみると、私にはホーム・ドクターというものがない。もちろん近くに総合病院もあるし、別に個人のドクターがやっているクリニックもあるのだから、医療難民ではない。しかしひさしぶりにそういうクリニックを訪れると、私は現実問題として診察をしてもらうのが困難な状態であるのを発見した。

午前10時頃行ってみると、待合室は人でいっぱいである。これは多分、2、3時間待ちだ。早くも診察を諦めかけていると、受付で、
「予約はおありですか」
と聞かれた。そこで私の悪いへりくつをこねるという性癖が出たのである。

「病気は予定で罹りませんから、予約はありません。昨夜から急に悪くなったのです。でもこれから予約をお願いします。今日の夕方なら取って頂けますか」
出直してくるつもりだった。
「夕方6時からなら、まだ空いています」
受付の女性はコンピューターの端末を見ながらそう言った。私はほっとした。

「それでは6時でお願いします」
「ここではお受け付けできないんですよ。電話でお願いします」
「え?私が今このクリニックにうかがっていて、ここで予約ができないんですか」
「ここに電話番号がありますから、予約は電話でお申し込みください」

ではこの待合室から携帯で掛けろということなのだな、と思ったが、それは何だか滑稽というか茶番みたいな気がして、外の車に戻ってから、秘書にかけてもらうことにした。私は咳と熱で、すべてのことが煩わしくなっていたのである。ところが私より馴れているはずの秘書が、携帯を持ったまま、長いこと操作している。
「どうしたの?」
と聞くと、
「かなり大変なんです」
と言う。

まず電話がなかなか繋がらない。やっと出ると、それから延々と質問事項が続く。初診か再診か。それに答えるのに、♯だか♭だかを混ぜた記号的答えをしなければならない。再診なら、診察券のナンバーを入れなさい。途中で押し間違えたから、また最初からやりなおさなくてはならない。

そしてやっと午後6時からの予約を登録するという段に辿り着くと、(受付の女性が、たった今、6時過ぎなら空いていますと言ったにもかかわらず)吹き込まれた電話の答えは、「予約は6時までです」と断ったという。つまり、6時過ぎからの分は予約できないというのだという。
「もういいわ」
と私は言った。秘書が気の毒でならなかったし、こういうクリニックには今後もかかろうという気をなくしていた。

<藤森注・・・電話をし、相談の内容によって番号を押すのは、私(藤森)にとっては結構大変です。ドンピシャリの番号がある時は良いのですが、内容とピッタリのものが無いとき、内容によって番号を選択することが結構大変です。ましてや、シャープを押せと言われると、一瞬、東芝かシャープかと混乱し、またシャープというのはどんな記号だったか、急に指示されて混乱の極み。携帯の画面を見ながらウロウロしているうちに、電話を掛け直さなければならなくなることもあります。>

よく患者の顔を全く見ず、記録用のコンピューターの画面だけ見ている医者の話が出るが、ここではすでに対面前に患者と医者との間の人間性を切り離して、記号化する作業が始まっている。

<藤森注・・・大分前のことです。妻が体調を崩し、病院に通ったことがあります。私は医学にも興味があり、何回目かに妻に付き添って病院に行きました。妻が呼ばれて、仕切りだけの診察室が並んでいる一室に入りながら、私が付き添って来たことを小声ではありますが告げ、横に座りました。しかし、40歳くらいのその女医さんは、まさにコンピューターの画面だけをジッと見たまま、最後まで、私が一緒にいることを知らない感じで、挨拶も、顔を合わせることもなく診察が終わりました。なんとも不思議な気持ちがしました。
その後は、妻に対する私の心理対応の工夫なども含めて、ほとんど薬に頼らず、体調を回復させることができました。>

年寄りが何かというと、すぐに無料の救急車をタクシー代わりに呼びつけて使う、という批判はよく聞くが、それにも理由があるのである。普通の形で病院まで辿り着いた人がいる。受付で、症状がひどいから早く何とかしてもらえませんか、と言ってもなしのつぶてで、うんと待たされた。

その間高熱や痛みに耐えることになるから、「自分で行けても、救急車を呼ばなきゃだめなのよ」と、それ以後、その人は言うようになったという。
総合受付のような所に、どの程度症状がひどいかを見極めて人間的な配慮をしてくれる人がいないと、こういう狡さがまかり通ることになる。

<藤森注・・・私は、昔から、総合受付には院長がいるべきだと考えています。個人の運営は院長の立場の方が全てを受け付けています。院長が相談を受けつて、パパ~ンと適切・的確に対処するべきだと思っています。一番状況が分かり、一番権力があり、そして一番収入が多い院長が一番働くべきです。少なくとも、午前中の1時間くらいは、総合受付の椅子に座るべきだと思っています。
「患者様」などと最大限の敬語を使うよりも、患者様はお客様です。ビジネスの最大の収入源であり、かつ、最も弱っている方です。デパートではありませんが、お客様の対応そのものに最大限配慮すべきです。後ろでふんぞり返っている院長は、患者様に対する何様ですか?>

私は60歳の半ばから、健康診断を受けるのを止めた。何が何でも長生きしたいという情熱を持たなくなったのである。しかし自殺はどうも自然でないし、後に残された人に、いやな記憶を残すだろうから、一応健康にいいという生き方はして、後は運命が私に与える寿命の分だけ生きることに決めたのである。

「そんなことをすると、案外長く生きて申しわけないかもしれませんけどね」と時々思い出したように言い訳している。と言うのも、知人の医師の中には、「レントゲンなどの検査を一切受けないのが健康の元だから長生きしますよ」と、皮肉たっぷりに厭味を言う人もいるのだ。
しかし秘書は、高齢者をほんとうに気の毒がっている。

「お年寄りが、携帯電話であんなに長い質問にボタンを押して答えるなんてできやしませんよ。最近のお医者って、いったい何を考えてるんでしょうね」
この電話予約の話をすると、かなり多くの高齢者は、
「そういう医者にはかからない」
という。それで、高齢老人世代が早く一掃されれば、それも一種の政治的解決策かもしれないが。

病院の予約というものも、慢性病か、治療が継続するもの以外おかしなものだが、少なくとも電話なら、声で人間的状況が伝わる余地があった。顔色も姿も見えない患者が、何を一番辛がっているか、言葉や声の調子で伝わることもあるからである。しかし電気的な分類ではそんな機能もない。

こうした社会状況は、根源を辿れば、すべて日本語の衰退という社会状況から発生しているのだろう。つまり何語も本当には駆使できない種族が発生しているということだ。何十年もの間、日本の学校の国語教師はいったい何をしていたのだ。私は「マイナンバー」制度も反対ではないのだが、それは多数の人間が使う一般的機能を、簡単に処理するためである。しかし病気は、個性的なものなのだ。

国語教育、ことに作文教育に力を入れないと、「表現はすべてボタン」という奇形的社会がどんどん拡張するだろう。

●(7)平成28年3月17日、日刊ゲンダイ「東大医学部」

<やっぱり使えない変人が多いのか>

<18年から入試の面接を復活>

「東大理科3類」といえば、日本で一番難しい医学部。その理3が2018年2月の入学試験から面接を復活させる。
東大入試課によると、理3では1999年から医学教育を受けるにふさわしい意欲と適性を備えているかを見極めるため面接をおこなっていたが、07年に中止。中止の理由は志願者が型にはまった応答をするようになったからだという。復活を決めたのは「コミュニケーション能力」「プロフェッショナリズム」「社会的視点」があるかをみるのが目的で、面接の結果で不合格になることもある。

東大理3は偏差値79で日本の最高峰。それだけに昔から学生が「他人としゃべれない」「患者の気持ちを理解できない」などとウワサされてきた。つまり、今回の面接復活は「コミュニケーション能力」のない学生が多いことの裏返しだろう。
「当たらずとも遠からずです」とは、医療ジャーナリスト。

「子供のころから勉強ばかりしてきたので『東大医学部』と持ち上げられて、自分は偉いんだと思い込む人が多い。患者に接するときは常に上から目線でものを言う。他人に同情できず、軽い口調で“あなたは長く生きられない”などと宣言する医師もいると聞いています。東大卒の開業医が少ないのはコミュニケーション能力が低いからとの説もあります」

生まれつきの頭の良さのせいで、医学からドロップアウトするケースもある。医学博士の米山公啓氏が言う。
「東大の教授に聞いた話ですが、理3の学生の2割はどんな試験問題でも簡単に解いてしまう。医学の勉強も簡単すぎてすぐに飽き、大学を辞めて他の業種に進んだり起業したりする人も多いそうです。自分が並はずれて頭がいいことを理解できないため、患者に治療法などを分かりやすく説明できないのも特徴だといいます」

米山氏によれば、米国では大学を4年間で卒業してからあらためて医学部に進む仕組みになっている。人間性を磨いてから医師を目指すため、患者との摩擦も少ないという。日本とは大違いだ。

●(8)平成22年3月27日、日刊ゲンダイ「名門『中高一貫校』男 なぜ使えないのか」

<プライドだけ高いスカ>

人材紹介のエージェントいわく<中高一貫の名門校出身で、有名国立大卒という転職希望者には警戒する>らしい。理由は簡単。<使えないスカが多い>からだ。
ある情報関連会社の調査部長Aさんが、新人を連れ、会計士と打ち合わせに行った時のこと。
その条件にピッタリ当てはまる新人が、おもむろに口を開いた。

<会計士と税理士って、何が違うんですか?>
間抜けな質問にイラッときたのか、会計士は、<それぐらい自分で調べなさい>とピシャリ。
あろうことか、新人クン、<意地悪だなあ>と半泣きで口答えした。
会計士は<はあ?>と口をアングリ。A部長が<教育不足で、すいません!>と平謝りし、その場は収まったが・・・・・。

帰り際、A部長が<オマエ、よく大学を卒業できたなあ>と皮肉交じりに聞いたら、<中高時代の仲間に助けてもらえたんです>と、反省するそぶりもなかったとか。
「高いのは学歴とプライドだけ。この間なんて、ソイツから<バブル時代は、部長みたいな日東駒専クラスでも入社できたんですよね>と言われました」と、A部長は苦笑する。と、まあ、使えないスカが多い。

●(9)平成25年5月28日、夕刊フジ「激闘の日本史(114)」(井沢元彦著)

<アヘン戦争から戊辰戦争まで>

<朱子学が自由競争の実力主義を失わせた>

結果的に見て朱子学は、中国でも朝鮮でも日本でも国家の進歩を止め国民の自由な精神を失わせた。亡国の哲学であった。
儒教の開祖である孔子は結構いいことを言っているのになあ、と疑問に思っている人も大勢いるだろう。

孔子は、人間には優れた人とそうでない人がいる事は認めた。だからこそ人間は努力することが必要だとも言ったが、朱子のように学問を偏重し、教養のない人間はクズだと思わせるような方向に人々を導いたりはしなかった。これが社会的なシステムとなれば、儒教的教養をどれぐらい身に付けているかで官僚登用試験を行い、不合格の人間あるいは受検しない人間には、政治の参加資格を全く与えないという形になる。これが科挙であり、科挙によって権力構造が決まる朱子学体制である。

欧米の学者は朱子以降の儒教を新儒教として、孔子以来の儒教と区別している。極めて正しいやり方である。これは世界史ではないので(興味のある方は現在小学館Webで連載中の「逆説の世界史」=購読無料=をご覧いただきたい)。ここでは孔子以来の儒教と朱子学の大きな違いを一つだけ述べておこう。

それは激しい排他性と独善性である。朱子学の基本コンセプトは、「外国には文化など存在せず、中国人も試験に合格した官僚以外はクズ」ということだ。孔子はそんな事は言っていない。

日本はもともと儒教国ではなかった。だからこそ足軽の木下藤吉郎は関白豊臣秀吉になることができたのである。そしてもうお気づきだろうが、だからこそ中国も朝鮮も、日本を徹底的にバカにした。あの国は「何の(儒教的)教養がなくてもトップになれる」ということだ。朱子学の視点から見れば日本は、「野蛮国」なのである。その分西洋的であるとも言える。身分にとらわれない実力主義を採用していたからだ。<後略>

●(10)平成25年2月19日、夕刊フジ「激闘の日本史(49)」(井沢元彦著)

<アヘン戦争から戊辰戦争まで>

<人間を身分だけで判断する悪癖>

松平定信が林子平を処罰した理由。
それは子平の著書である「開国兵談」の内容が誤りだと思ったからではない。
地方の藩の医者の弟という分際で、こともあろうに天下のご政道を批判した事、それ自体が許せぬという理由なのである。

これも実は朱子学の影響だ。朱子学では士農工商以外の身分、たとえば医者や重要では無い分野の職人を巫医百工(ふいひゃくこう)などと呼んで侮辱する。子平はその医者ですらない、今で言えばフリーターだ。そしてここが一番肝心なことだが、朱子学の影響で日本人は、人間を身分だけで判断するという悪癖に染まってしまったのである。

江戸時代よりも前の安土桃山時代、たとえば織田信長は木下藤吉郎という身分の低い士の意見を「あの者は身分が低いから、意見を出す資格すらない」と退けたか?
事実はまったく逆で藤吉郎がまだ足軽以下の小者であった時代から、その意見が正しいと思えばどしどし採用したではないか。

確かに同じ戦国大名とはいえ、今川義元はそういう事はしなかっただろう。しかし信長は人間の身分あるいは外見で人物を判断するなどということは、決してしなかった。醜いサルのような男が言う意見でも、それが正しいと確信すれば、当たり前のように採用した。そして信長の薫陶を受け天下を取った藤吉郎いや豊臣秀吉も、桶作りの職人修行をしていた福島正則を堂々たる武将に育て上げ、寺の小坊主だった石田三成を天下の財政担当に抜擢した。

だが幕府の政策によって朱子学の毒が日本中に広まった結果、日本人はこういう能力を失ってしまった。特に定信のようなガチガチの朱子学徒はまず「こいつの身分は?」という目で人間を見る。そして身分が低いと判断すれば、どんな優れた意見であっても決して受け付けない。

いや正確に言えば、「身分の低い人間が優れた意見など言うはずがないと決めつけてしまう」ということなのである。これが朱子学の生み出す最大の偏見の一つだ。
「昔の人はバカだなぁ」なんて思ってないでしょうね?

東大卒だから当たり前のように他の大学卒より優れていると考えるのも、実は朱子学のもたらした偏見が今も尾を引いているのである。朱子学体制というのは試験によって人間を選別する。合格した人間は利口で落第した人間はバカだ。

最初からそのように決め付けるから、本当の意味で人の意見を判断する能力を失ってしまう。確かにハーバード大学を卒業するのは大変なことかもしれない。しかしアメリカにはハーバード大卒だからといって無条件にその人間を優秀だと思い込む人は、少なくともまともなビジネスマンにはいない。そして木下藤吉郎のような人間がトップに登りつめる余地は、ちゃんと残されている。

しかし戦前の帝国陸軍では木下藤吉郎は大将になれない。理由は簡単で、藤吉郎は陸大を出ていないからだ。おわかりだろう。これも朱子学の悪影響なのである。
老中松平定信にとって、幕府に貿易という商売をさせようとした田沼意次は極悪人であった。その極悪人が派遣した蝦夷地探検隊が意次の失脚後、江戸に帰ってきた。当然彼等は役人の義務として報告書をまとめて提出した。

それは幕府にとっても貴重な資料のはずである。しかし定信はそんなものは必要ないと破棄してしまったのである。いかにメンバーが気に食わないとは言え、調査は公的費用で行われた公務である。そしてそれは老中だからといって、ドブに捨てさせていいものでもない。貴重な公的財産ではないか。それを定信はやったのである。

再び言う。どうしてこんな男が名君と言えるのか!
そしてそんな定信をあざ笑うように、ロシアの使節が通商を求めて蝦夷地の箱館(函館)に現れた。

<藤森注・・・日本のありとあらゆる「権威」があると錯覚されている組織のほとんどすべてが「科挙」的な排他性と独善性に汚染されているはずです。また、「心理」的に見て、「権威」は「幼児性」です。幼児的人間性が強い人が、「権威」にしがみついています。幼児が、大事なオモチャにしがみつくように。

その場、その場でどちらが良いか、どちらが正しいかという常識的、理性的な判断ができないほど自我が未成熟で中身がないから、排他性と独善性で「権威」という「砂上の楼閣」を頑固なまでに守ろうとします。つまり、「権威」とは「怯え」のことで、過去はともかく、今現在は、実力が無いことは本人たちが一番分かっているはすです。

だから、決して、まともに議論しようとしません。「権威」というオブラート(鎧)に包まれた場、つまり、安全が確保された場、例えば、権威を尊重してくれるマスコミとか政府の諮問委員会などの場でしかディスカッションはしないし、できません。それが「権威」の実態です。

歴史の分野で言えば、井沢元彦氏や梅原猛氏(哲学者)などとディスカッションすれば化けの皮が剥がれてしまうから、「権威」を嵩にして、相手にしない・・・つまり、逃げるはずです(「癌とは何か?」のp55ご参照)。>

●(11)平成26年3月2日、夕刊フジ「高級ワイン 8割が偽物」

<ロマネ・コンティ、シャトー・ペトリュシス・・・・・>

ロマネ・コンティやシャトー・ペトリュシスなど1本数百万円で売買されることもある超高級ワインの偽物被害が拡大している。フランス・ブルゴーニュ地方のワイン醸造家、ローラン・ポンソ氏(59)は独自調査を基に「競売に出ている超高級ワインの8割は偽物」と断言。生産者側はさまざまな対策を凝らしている。

昨年12月、米ニューヨークの裁判所で超高級ワインの偽物を製造、販売したとして米在住のインドネシア国籍の男(37)に有罪評決が下った。男は2000年代前半から1000本以上を製造し、数百万ドルを荒稼ぎした。

告発のきっかけはポン氏。08年4月、男がポン氏のワイナリーの銘柄約100本を計数十万ドルで売り出しているとの連絡を受け渡米。存在するはずのない年代のものがあり、偽物だと暴いた。
「大掛かりな不正」を感じ、世界の主要競売会社の過去20年間のワイン売買をすべてチェック、各国で試飲会や競売を訪れた。約2年の歳月と私費12万ユーロ(約1690万円)を投じ、男を捜査していた米連邦捜査局(FBI)にも協力した。

超高級ワインの偽物が増えたのはこの10年ほど。ポンソ氏は「新しいタイプの客の出現」が背景と説明する。「裕福で教養がある中国・アジア系や米国人。ワインを欧州文化と捉えて憧れ、金に糸目をつけない」
昨年10月にはフランスでロマネ・コンティの偽物約400本を計200万ユーロで売ったイタリア人2人が逮捕された。

<犯罪組織が転売目的に製造>
<特殊印刷ラベル、QRコードなど対策も>

ロマネ・コンティ醸造所のマリナ・クステ弁護士(61)は「かつては偽物と言えば高級バッグや時計などだったが、ここ数年は明らかに犯罪組織が偽ワインを製造している」と語る。
生産者側はラベルに特殊な印刷技術を使ったり、ボトル1本1本を識別できるようにしたりしている。ポンソ氏はQRコード付きの特殊シールを貼付、購入者がオンラインで真贋を確認できるシステムを導入した。

ロマネ・コンティは「転売でなく飲むことが目的の人」(担当者)に顧客を限定し、飲んだ後のボトル破砕も求める。転売が発覚した人物は顧客リストから抹消する。
効果は出ているというポンソ氏だが表情はさえない。「物事がおかしくなったのは1980年代に米国を中心に『ワイン批評家』という連中が出てきてから。それ以前はどんなに希少でもせいぜい数百ユーロだった」と収集や投機目的で取引される現状を嘆いた。

「私にとってワインは自分の娘。手元を離れるときは幸せに飲まれてくれよと願う。高く売れればいいというものではない」

<藤森注・・・多分、味は分からないのでしょうね。金額の高さ、つまり、高いものを飲んでいるという自己満足が満たされているのでしょう。私は味は全く分かりません。ですから、安い酒しか飲みません(飲めません)。

この手の話はよく聞きます。例えば、数年前、1週間先の予約がなかなか取れないという有名店を辞めた仲居さんが、週刊誌に語りました。高級焼酎の中身を詰め替えていた・・・等々を。また、40年くらい前、銀座のバーで、当時、高級ウイスキー(関税で、単に高かっただけのこと)であったジョニクロの中身を詰め替えていて警察の手入れを受けたとか。

ジョニクロと言えば、昔は、高級ウイスキーとして、デパートではガラス棚に恭しく陳列されていて、贈答用として珍重されていました。しかし、関税が下がり、全く同じウイスキーであるにもかかわらず、価格が下がっただけで、貴重品、高級品ではなくなり、陳列棚から降ろされてしまいました。

私が若いとき、いつか、ジョニクロを飲める身分になりたいと思ったほど高級品とされていましたが、それは単に、関税で高くなっていただけのことで、田中角栄元総理大臣が好んで飲んだといわれるオールドパーと同様、誰も高級品とは言わなくなりました。
つまり、高級品とは、品質が素晴らしいか否かとはあまり関係がなく、単に価格が高いか否かだけだったのですね???

ハウツーものや統計ものも、安直に飛びつくと、同様のことがあるのではないでしょうか?
ある有名なタレントさんが書いたダイエット本。そのタレントさんが、後日、リバウンドで、もっと太ってしまったということが5~6年くらい前にありました。

「吉兆」だったでしょうか、あれほどの高級店でさえ、使い回し。私は、最近、喫茶店でサンドイッチを頼んでも、パセリを食べません。なんとなく、これ、前の人の残り物ではないのだろうかと思うと、食べる気がしなくなりました。>

●(12)平成14年7月21日、読売新聞「WEEKLY コラム」(医師・作家(在ボストン)、李 啓充)

<名医と学位は無関係>

故岩田猛邦先生は私の研修医時代の恩師である。専門は呼吸器内科だったが、私の知る多くの医師の中でも、岩田先生ほど名医という名がふさわしい医師はいなかった。

呼吸器内科の医師に要求される最も基本的な技量が胸部エックス線写真を「読む」技量である。岩田先生の「読む」腕は、文字どおり名人技だった。同じエックス線写真を、他の何十人もの医師が見ているのに、先生にしか見えない所見があることはしょっちゅうだった。その後私は研究者の道を選んだが、データを「見ている」ことと「読む」ことの決定的な違いを岩田先生から学んだことが、実験データを「読む」際に大いに役立った。

腕が確かなだけでなく、患者にも優しく接する後姿を見ながら、「岩田先生のようになりたい」と、私を始め多くの研修医があこがれた。岩田先生も若い医師の指導にはとりわけ熱心で、門下に多くの優秀な呼吸器内科医を育てられた。

そこの病院の呼吸器内科部長のポストが空席になったとき、新部長には岩田先生が最適であることに異論を唱える人はいなかった。が、岩田先生が部長になるためには大きな障害があった。「医学博士の学位がないから」というのだった。先生は臨床の激務をこなすかたわら学位論文を書かなければならなかった。

私は、医局講座制が日本の医療を歪めている元凶だと何度も書いてきたが、実は医局講座制を主宰する教授の権力を支えているのがこの学位制度なのである。
日本の大病院のほとんどが学位を部長職の要件にするなど、学位がないと昇進できないという馬鹿げた制度になっている。このため医局員は学位をもらうために教授に逆らえない構造になっているのである。

多くの教授たちが、研究することが臨床の腕を磨くことにもつながると学位制度の効用を主張する。だが、岩田先生の例でも明らかなように、研究をすることが名医となるための必須要件であるという主張は根拠がないし、逆に、研究者としての私に一番大きな影響を与えたのは、岩田先生の臨床の腕だった。

私は、医学の基礎研究に意味がないということを言っているのではないし、研究が好きな人は研究に進めばいい。臨床の場で指導的立場に立つことに「研究歴=学位」を要件とするのは意味がないし、そのことが日本の医療を歪めていると言っているのだ。

<藤森注・・・心理・精神世界は見えないために、もっと酷いことが、日常的に行われています。物理的な技量は見えるためにまだ救われますが、心理・精神世界は見えないために、もっと極端なことが日常的・普遍的に行われています。

「それは間違っている」と言いたくとも証明ができません。また、こういうやり方が正しいと主張したくとも、それが証明できるのは、少なくとも、何か月も先になります。つまり、「悪貨は良貨を駆逐する」分野です。権威ある先生方が指導するほとんど全てのものは、ほとんどが単なる「理論」です。「理論(非現実)」だからこそ、立派に聞こえるのです。しかし、現実は、そんなに安直ではありません。最近、大流行している「アドラー心理学」も、全く同様です。

「アドラー心理学」が本当に素晴らしいとするならば、以後、アドラー心理学以外は衰退するはずです。しかし、そういうことは絶対にありません。何故ならば、アドラー心理学も、単に、その他大勢の一つにしか過ぎないからです。
ただし、もちろん、アドラー心理学も有効活用すれば、素晴らしいものであることは言うまでもないことです。すべてのものは、活用の仕方次第であって、「これは凄いものだ!!!」という定まったものはありません。

空海はこう言っています。「物に定まれる性(しょう)無し」。これこれは、こういうものだという定まった価値があるものではないと言います。続いて、こう言っています。「人何(いずくん)ぞ常に悪ならん」>

●(13)私(藤森)はコンビニで夕刊フジと日刊ゲンダイを購入して、喫茶店で読むことがよくあります。

2紙を揃えてレジに出すと、多くの場合、1紙だけだと思われて140円を請求されてしまいます。そのために、2紙があることが分かるように、敢えて、不揃いにしてレジに出します。すると、親切な店員さんは「袋に入れますか?」と尋ねてくれます。
袋に入れてもらうと、持つところをクルクルと巻いて、持ちやすくしてくれるというとても暖かい配慮をしてくれます。

ところが袋はいいですと言うと、レジの台の上にバラバラに置かれた2紙をそのままに放置され、まるで「勝手に持って行け」と言わんばかりの状態です。もう少し気の利く店員さんの場合は、2つに折ってくれるのですが、バラバラの2紙を不揃いのまま2つ折りにして渡されます。

これが、たまに気の利かない若い店員さんだけというならばまだ救われますが、ほとんどのコンビニのほとんどの店員さん(立川駅周辺のコンビニに限定)がバラバラのままです。袋をクルクルと巻いてくれる暖かい配慮との違いは、一体全体なんなんだという不快さをいつも体験しています。
そんな中、稀に、揃えて半分に折った新聞を手渡されると、やっと人類に出会ったようなほのぼのとした嬉しさを感じます。

人間が壊れかけています。
癌が増えるのもやむを得ないのではないでしょうか?彼らのエネルギーがどこかで渋滞していて、ストレッスフルな心理状態、心理的に強い感情の抑圧状態にあるはずです。
「癌」がストローク不足や、ストロークの大きな偏りから発病していることは間違いのないことです<「今月の言葉」第158回「ストロークとは何か?」ご参照>

<文責:藤森弘司>

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