2016年11月30日 第172回「今月の映画」
ハドソン川の奇跡
③ー③

●(1)③ー①の下記の部分を転載します。

<<<学問の「学」というのは、「統計」なんです。これが多くの方に理解されていません。統計的・学問的な理解を、いかにして実際の現場に応用できるようにするかという職人的訓練が、「心理・精神世界」では(狭い一分野を除いて)ほとんど全くなされていませんし、そういうことさえも、ほとんど全く理解されていません。>>>

まさに、「これぞ統計!」という資料をご紹介しながら、私(藤森)の考えを述べたいと思います。

●(2)平成28年11月11日、週刊ポスト「ジタバタしない」(鎌田實)

<ゴールデンタイムを使って効率よく健康になろう>

食欲の秋。肥満になりやすい季節の到来である。と同時に、スポーツの秋、運動習慣を身に付けるチャンスである。そこで、今回は運動、食、睡眠のカマタ流ゴールデンタイムという観点から、今すぐできる健康づくりのコツを紹介しよう。

オーストラリアのシドニー大学の研究チームが、45歳以上の中高年約23万人のライフスタイルと死亡率の調査をした。いちばんよくない生活習慣は、「喫煙」と「運動不足」だが、「座りっぱなし」や「睡眠の過不足」「食生活の乱れ」もよくないことがわかった。興味深いのは、これらのいくつかの要素が重なったとき、死亡リスクがさらに高まることだ。次の2つの最悪パターンは、そうでない人に比べて、死亡リスクが4倍も高まる。

その1つが、「運動不足」と「座りっぱなし」「寝すぎ」という動かない系の組み合わせである。
運動不足とは、運動時間が週150分未満とされている。1日に換算すると、20分以上の運動が必要ということになるが、この20分の運動ができない人が多い。

座りっぱなしがよくないというのは、アメリカの調査でも明らかになっている。男女12万人を対象に、1日6時間座る生活の人は、3時間座る人を比べると、15年以内に死ぬ確率が40%高いという。オドロキの数字だ。
デスクワーク中心の仕事をしている人は、立ち仕事の人に比べて、心臓病になる確率が2倍になるというデータもある。

座りっぱなし予防のポイントは「1時間に2分」である。1時間に2分だけでも、体を動かす。これなら仕事中毒のサラリーマンでもできる。違う階のトイレに行ったり、コピーのついでにラジオ体操の半分くらいをやったりするだけでもいい。これはアメリカの国民健康栄養調査の膨大なデータから分析された。なんとこれで死亡リスクが33%も低下する。運動の2分間はゴールデンタイムだ。1日の仕事中に5回やると10分。

簡単なミーティングは立ってやるのもはやってきた。5~10分足踏みしながらの会議はお勧め。座りっぱなし予防なのだ。
昼食後2分は歩く。これが大事。血糖値スパイクは心筋梗塞や脳梗塞やがんになりやすくする。たった2分の歩行が血糖の急激な上昇を防いでくれる。糖尿病の予防にもなる。昔は食後は休めと言われたが、食後は運動のゴールデンタイム。夫婦の軽い運動でいい。2分の積み重ねで1日20分の運動を確保できる。

休日に日頃の運動不足を解消するには、「3分間のオソ走り」をお勧めする。軽い「速歩」に近い時速5キロぐらいのジョギングだ。頑張らない主義のカマタ流だ。
次の3分間はゆっくり歩いて呼吸を整えたり、周囲の風景を楽しんだりする。これを交互に繰り返し、合計時間が20分以上になれば、立派な運動になる。

ぼくは最近、ホテルを利用する時、ジムで運動するようになった。心肺機能が高まり、足の筋力もついてきたので、時速5キロくらいのゆっくりジョギングと、時速3・5キロくらいのゆっくり歩きを交互に行なっている。駅への移動も、駅の構内でも、急に小走りになったり、ゆっくり歩きをしたりしている。キラーストレスで心筋梗塞や脳卒中で死なないために、一番の処方箋は運動だ。

筋肉を鍛えることは、ロコモティブシンドロームや筋肉のフレイル・虚弱を防ぐためにも重要だ。これらは日本人の寝たきりの主な原因となっている。また、運動習慣は、がんや認知症、生活習慣病の予防にも有効であることが知られている。まずは「3分間のオソ走り」からはじめてもらいたい。

睡眠の話をしよう。はじめのシドニー大学のデータどおりに1日9時間以上の睡眠は寝すぎ。こんな日本人は少ないと思うが、秋の寝すぎに要注意。
もう一つの悪いパターンは、「喫煙」「多量の飲酒」「寝不足」。日本のサラリーマンの代表的なパターンだ。
お酒をやめられない人は、せめてタバコをやめるか、睡眠不足にならないようにして、3つが重ならないようにしたい。

いい睡眠を得るには、朝起きて太陽の光を浴びることがお勧め。前の晩、早く寝ることができなくても、朝はいつもと同じ時間に起きて、太陽の光の下で、軽く体を動かすのがいい。
太陽の光を浴びると、脳の神経伝達物質であるセロトニンが分泌される。この時間がゴールデンタイムだ。別名、幸せホルモンである。これが夜になるとメラトニンという睡眠を誘導するホルモンに変わっていく。
いい睡眠は、記憶を整理したり、定着させたりする作用がある。この頃、記憶力が落ちてきたと思う人はいい睡眠がとれているか見直してみよう。精神を安定させ、ストレス解消にもつながる。うつ病の人は、不眠になったり、嗜眠傾向になったりして、いい眠りの状態にない人が多い。ビジネスマンとして、バリバリ仕事に打ち込むためにも、質のいい睡眠をとるようにしたい。そのためのキモが、朝起きぬけの日光。

食生活で、改めてお勧めいたいのは、朝食をとらないで、カロリーを減らそうと考える。だが、実はこれがよくない。
朝食を抜く男性は、食べる男性に比べ、循環器疾患で死亡した人が1・42倍多い。全死亡リスクも1・43倍高くなる。女性も全死亡リスクが1・34倍高い。これは鳥取大学の横山弥枝氏の研究だ。

朝食を食べた人のほうが血糖値が上がりにくく、肥満や糖尿病にもなりにくい。最近注目されている血糖値スパイクも起こりにくくなる。だから、極力、朝食は食べることが大事だ。
朝食のもう一つの効果は、体内時計のリセットである。ぼくたちの体に組み込まれている体内時計は、1日25時間周期といわれる。毎日1時間のずれを調整しないと、1週間で7時間もずれる。午後3時なのに夜の10時の脳パターンになって頭が閃かなくなってしまう。

体内時計には中枢時計と抹消時計がある。中枢時計は、朝起きて、太陽に当たることでリセットされる。一方、抹消時計のリセットには、朝食が実に大事。朝のゴールデンタイムに太陽を浴びて、朝ご飯を食べよう。

食事関連でいえば、「筋トレ後の30分」は、筋肉のゴールデンタイムといわれている。このタイミングでプロテイン飲料や牛乳などでタンパク質をとると、効率的に筋肉を修復、発達させることができるといわれている。レスリングの選手や甲子園球児など、アスリートの多くが運動後30分以内に食事をしている。

健康づくりは、毎日続けることに意味がある。しかも、一生続ける必要がある。だが、ずっと健康のことばかり考えて生活するのは窮屈だし、不可能だ。
でも、1日のうちのゴールデンタイムに注目して、効率よく行動変容を起こしてみてはどうか。

<かまた・みのる氏・・・1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『「イスラム国」よ』『死を受けとめる練習』>

●(3)平成27年3月31日、夕刊フジ「自殺は急傾斜地域で高率」

<山間部「孤立」影響・和歌山県立医大>

住宅が立つ場所が斜面と平坦なところを比較すると、斜面の方が自殺率が高く、傾斜が急になるほど高率になるとの研究成果を和歌山県立医大のチームがまとめた。地理的環境と自殺率の関係が明らかになるのはまれで、自殺の予防につながる成果。

傾斜が厳しい山間部では、住民の行き来が少なく医療施設や商店なども少ないため孤立しやすい環境が影響し、精神的に追い込まれている可能性があるとみられる。急傾斜地域でも都市部の神戸市や長崎市などで自殺率は低かった。

●(4)鎌田實先生は、極めて素晴らしい医師です。1歳で養子、東京医科歯科大を卒業後、つぶれかけた長野県の諏訪病院でのご活躍や、チェルノブイリやイラクの医療支援、東日本大震災の時は何度も被災地を訪れるなど、多彩なご活躍は驚異的でいらっしゃいます。
また、「風に立つライオン基金」<http://lion.or.jp/>(さだまさし氏、鎌田實氏)の支援もされていらっしゃいます。
週刊ポストに隔週で長期に連載の「ジタバタしない」を、私(藤森)は、長年、愛読し、先生のお人柄を尊敬しています。その上で、敢えて触れさせていただきたいと思います。
一般に「医者」(そして多くの日本人)は上記(2)のような考え方をしがちですが、私が得意の独断と偏見で述べるならば、上記で述べられていることをしっかり、誠実に対応すると、多分、多くの人は病気になる可能性が高いように思われます。空海にこういう言葉があります。「物に定まれる性(しょう)無し」。
私たちは、物事には決まった価値があるように錯覚していますが、物事はあくまでも、それを使う人の「使い方次第」であるということを忘れがちです。包丁は、料理に不可欠の素晴らしい道具ですが、同時に、凶器にもなります。特に医者全般に、「医学には定まれる性有り」という見方、固定した価値観が強すぎるように思っています。
そういう医療に疑問を持って半世紀も前に、九州大学医学の池見酉次郎先生が日本の「心身医学」を立ち上げましたが、むしろ、池見先生が開拓した心身医学は、当時よりも後退しているようにさえ思えますし、大部分の医者はほとんど全く考慮もされていない(情報ゼロ状態の)ように思われます。先端医療・・・遺伝子治療とか、精子や卵子の保存だとか、「iPS細胞」だとか・・・(私にとっては)身の毛もよだつ非人間的治療が「最先端医療」だとか言われるようになっています。精子や卵子に百万分の1ミリの傷がついたらどうなるのだろうかと不安を感じます。上記の鎌田先生の運動の仕方は、かなり深い部分の「意識」「思い」・・・「潜在意識」が納得するのでなければ、かえってストレスが溜まる可能性が高いです。通常言われる「理性」や「知性」が、これはいい、やってみようと思う程度の納得では、逆効果になる可能性が高いはずです。その良い例が「ダイエット」です。ダイエットで効果を上げる人は少ないのではないでしょうか?
あるいは、ダイエットの効果を上げたとしても、多分、リバウンドを体験する人が多いように思えます。以前、あるダイエットの著者自身がリバウンドに悩まされていました。だからダイエット本は「永遠のベストセラー」になるのです。

●(5)さらに、こういう研究です。
<<<朝食を抜く男性は、食べる男性に比べ、循環器疾患で死亡した人が1・42倍多い。全死亡リスクも1・43倍高くなる。女性も全死亡リスクが1・34倍高い。これは鳥取大学の横山弥枝氏の研究だ。>>>

こういうデータは、研究者が無駄だったと思われたくないから、無理やり、こういう数字を出します(私・藤森の独断と偏見です)が、ナンセンスな場合が少なくありません。例えば(敢えて、極端な例で説明します)、朝食を抜いた100万人の中で、循環器疾患で死亡した人が142人いたとします。一方、朝食を食べた100万人の中で、循環器疾患で死亡した人が100人いたとします。1・42倍ですが、99・9%の人は、大した影響を受けていないのです。
分母と分子を出す統計はある程度は信頼できますが、分子同士の確率の比較は、私の経験では、そのほとんどが、信頼するに足りません。

昔、癌になる食べ物がよく紹介されていました。たとえば、おこげを食べると〇〇パーセントの確立で癌になる・・・などです。しかし、何人調べて、何人が癌になるかというしっかりした根拠は、少なくともメディアの報道では一切ありませんし、5年、10年経過後にも、そういう警告をする専門家を、寡聞にして、私は知りません。

今回も同様です。こんなに素晴らしい研究ならば、例えば、23万人を調べた結果、何人が循環器疾患で死亡したか、何人が循環器疾患にならなかったのかという数字を明示すべきですが、メディアの報道を見る限り、私は見たことがありません。
恐らく、しっかりしたデータを出したならば、膨大な時間と費用をかけた研究としての価値が失せてしまうために出せない(出さない)のではないかと、私は邪推しています。

<<<男女12万人を対象に、1日6時間座る生活の人は、3時間座る人を比べると、15年以内に死ぬ確率が40%高いという。オドロキの数字だ。>>>

1日6時間座る生活をする人と3時間座る人を12万人も、しかも、15年以内に死ぬ確率(!!!)を、どうやって調べられるだろうか?もしかしたら、12万人のうちに、(敢えて、極端な言い方をします)6時間座る生活の人が10人、3時間座る生活の人が10人いるとします。その10人を比較したら、40%高いということかもしれません。良心的な研究者やメディアの報道、さらには良心的専門家ならば、さらに詳しい・・・しっかりした裏付けのある資料を開示すべきです。

こんな程度の研究は、10年後にも大事に扱う専門家は、多分、いないのではないでしょうか?また、こんなバカバカしい研究をしなくても、人間にとっては「運動」「栄養」「休養」が大事だと、私の妻でさえ言っています。12万人もの人を、15年も研究しなければ分からないということは、研究者はバカだと言っているようなものです。

さらにバカバカしい研究は<<<住宅が立つ場所が斜面と平坦なところを比較すると、斜面の方が自殺率が高く、傾斜が急になるほど高率になるとの研究成果を和歌山県立医大のチームがまとめた。地理的環境と自殺率の関係が明らかになるのはまれで、自殺の予防につながる成果。>>>余ほど暇か、それとも・・・。

こういうデータは、どういう調査をしても、必ず、違いが出るはずです。
仮に、日本人全員の全てのデータがあるとします。東京と北海道、あるいは大阪、九州、沖縄と比較しても、あるいは標高0メートル、100メートル、200メートル、300メートル・・・に住む人たちの病気や死亡率を比較しても、必ず、違うはずです。むしろ、同じになったら、それこそおかしいです。

例えば、A大学・B大学・C大学卒業者全員の平均寿命や病気の種類などを調べたり、離婚率(くだらないことではありますが)などを調べたとします。必ず、こういう違いが出るはずです。
そうすると、A大学は癌になりやすいとか、B大学は循環器疾患にかかりやすいとか、C大学は離婚率が高いとか・・・バカバカしいことですが、上記に示された程度の数字は出てくる、つまり、有意と思わせるような数字は必ず、出るはず・・・だと私は確信(空想)しています。

タバコも同様です。タバコの銘柄別に統計を取れば、必ず、何かの面白い違いを発見することができるはずです。ウイスキーを呑む人と焼酎を飲む人、ビールを呑む人、ワインを飲む人・・・魚でも、イワシをよく食べる人、サンマ、サバ、イカ、タコ、タイ、カレイ、ヒラメ・・・。これらの好きな人のデータをとっても、サバはサンマの〇〇パーセント、死亡率が高いとか低いとか、循環器疾患で死亡する率がどうであるとかの数字が出るはずです。そして、後付けでいくらでも理屈をつけられます。
しかし、そこには、「意思」とか「意識」とか、「好み」だとか、「生い立ち」だとか、「ストレス」がどうであるとかの総合としての「人間性」が決定的に欠けている「非人間的研究」だと言わざるを得ません。

「医学」それも「西洋医学」が牛耳る現代日本(いわゆる先進国の医学)は、人間を犬や牛や豚の育て方や品種改良的になっているにもかかわらず、品種改良的「医学」「医療」に医学者も国民も洗脳されてしまって、それが最高の医療だと崇め奉っています。

日本では昭和30年前後から、徐々に、従来の西洋医学では無力になってきている(だから池見先生が「心身医学」を提唱)にもかかわらず、無力の医学を有力にしたいという善意の発想から、ドンドン、神(?)の領域に踏み込んでしまったり、家畜・・・養鶏場や養豚場の対応みたいになっていることにもっと気づくべきです。家畜の場合、例えば、ある豚にとって良いエサは、全ての豚にとって良いエサになるはずですが、人間の場合はそうならないところが、まさに「人間性」なのです。

素晴らしい活躍をされていらっしゃる鎌田實先生には大変恐縮ですが・・・長野県の諏訪病院で活躍された状況と、上記の内容はかなり違ってきている(間違っていたらごめんなさい)ように推測しますがどうでしょうか。偉大な経営者でも、次の時代にはふさわしくなくなるのも同様であろうとかと思われます。

西洋医学は、発展途上国的病気(栄養失調的病気や細菌性の病気)や外科手術などには抜群の功績がありますが、先進国の病気は「飽食の時代」・・・衣食住などの物質的なものが恵まれている、恵まれすぎている時代に何が欠けているのか、家畜の病気と人間の病気とは「根本的」に何が違うのかという視点があまりにもお粗末過ぎます。

つまり、決定的に違うのは、先進国型の病気は「慢性病」・・・「人間性」を中心にした病気が中心であるということです。それは、ストレスの問題であり、ストレスがもたらす「自律神経の失調」・・・先進国の生活は「交感神経」を過剰に働かせる社会・・・便利さやスピードを求める社会で、その、結果、「副交感神経(リラックス系)」が適切に働かなくなっていることからくる「慢性病」が中心なのです。

医学会の一流の学者・・・「知性」を猛烈に鍛えたであろうアンバランスな人間性は、「神の領域(?)」に踏み込むことに躊躇しないほど「知性偏重」に偏り過ぎてしまっています。
最近は、「グローバリゼーション・ファティーグ(疲労)」と言われるようですが、私ならば「西洋医学ファティーグ」だと、僭越ながら申し上げたいです。

少し面白い視点からさらに考察してみたいと思います。

●(6)平成18年6月3日、週刊ポスト「池上彰のBird’s-eye Worm’s-eye」

<『ダ・ヴィンチ・コード』を上回る衝撃が走った『ユダの福音書』発見の真実>

<もう読みましたか?>

小説『ダ・ヴィンチ・コード』は全世界で4000万部も売れ、映画も先週から封切られました。読んでから見るか、見てから読むか。ミステリーですから内容の説明は控えますが、話はパリのルーブル美術館の館長殺人事件で幕が開きます。事件を調べていくうちに、カトリック教会が長年隠してきた恐るべき事実が明らかになるというものです。
著者のダン・ブラウンは、キリスト教の史実を巧みにストーリーに組み込んでいるため、どこまでが事実でどこからがフィクションなのか判然としません。そこが魅力でもあります。

<カトリック教会は危機感>

しかし、この小説や映画のヒットに危機感を募らせているのがカトリック教会の雑誌『カトリック ダイジェスト』は今年3月、信者を対象にアンケート調査を行い、「信者の73%が『ダ・ヴィンチ・コード』は信仰に何の影響も与えていないと答えている」という結果を発表しています(『USA TODAY』4月26日号)。

雑誌としては、「信者の信仰に揺るぎはない」とアピールしたいのでしょうが、私などは、23%の信者には打撃を与えたのかなと思ってしまいます。
それほどまでにキリスト教世界で論議を呼んでいるのです。
この本の主張のひとつは、「正史」は時の権力者がつくるものであり、それは『新約聖書』も例外ではないということなのです。

かつてソ連ではスターリンが、自分に都合のいいように歴史を捏造しました。中国でも、中国共産党によって、事実とは異なる「正史」が書かれています。

<『聖書』には異本がある>

『新約聖書』といえば、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの「福音書」を中心に成り立っていることはご存知だと思います。
ところが、もともとは、この4つ以外にも多くの福音書が存在していたのです。イエスの言行録である福音書は実は多数あったのですが、西暦200年頃までに、4つの福音書のみが正統派の『聖書』として確立しました。残りの福音書は、異端の書として処分されてしまったのです。

しかし、処分を逃れた福音書が、エジプトの砂漠から次々に見つかっています。『ダ・ヴィンチ・コード』の著者のダン・ブラウンは、1945年にエジプトのナグ・ハマディという町の近郊で見つかった『ピリポの福音書』などの内容を参考にして、小説の構想を練り上げています。

<『ユダの福音書』が!>

そのダン・ブラウンですらびっくりするのではないかと思えるのが、『ユダの福音書』の発見でした。
ユダといえば、イエスを裏切った男として知られていますね。イエスの弟子だったのに、イエスを敵視するローマ帝国側に売り渡したとされ、裏切りの代名詞になっています。キリスト教社会では忌み嫌われ、ドイツでは生まれてきた我が子に「ユダ」と名づけることを法律で禁止しているほどです。

また、「イエスを裏切ったユダヤ人」というイメージがつきまとい、反ユダヤ主義のシンボルになっているという指摘もあります。
ところが、そのユダとイエスの対話を記録したという文書がエジプトで見つかったのです。『ユダの福音書』と書かれてありました。

発掘されたのは1970年代のこと。ミニヤー県の砂漠の中の地下墓地で村人が発見しました。これを骨董品業者が買い上げ、研究者に高く売りつけようとしたのですが、成功せず、銀行の金庫で眠っていました。
2000年になってギリシャ人の古美術商が30万ドルで買い取り、2001年、アメリカの専門家に見せたことで、この文書の価値が判明しました。
専門家が解読した結果、ユダこそがイエスの真の弟子であり、イエスを「売り渡した」のはイエス本人の指示だったことが書かれてあったのです。

<イエスの指示だった?>

この『ユダの福音書』は、ギリシャ語で書かれた原本をコプト語に訳した写本と見られています。
文書は植物繊維からつくったパピルスに書かれていて、すっかりボロボロになっていますが、年代測定の結果、西暦220年から340年頃につくられたものであることがわかりました。
アメリカのナショナル・ジオグラフィック協会(アメリカ地理協会)が今年4月、この結果を発表したことで、キリスト教社会に衝撃が走りました。

『ユダの福音書』に関しては、西暦180年頃、正統派教会の司教が批判した本を書いていることから、その存在は知られていたのですが、原本は見つかっていませんでした。今回初めて、写本が出てきたのです。
この写本によると、イエスは、自分を包んでいる肉体から真の自分を解放するために(地上から天国に行くために)、ユダに対して、自分をローマ側に売るように指示したというのです。イエスは、ユダにその指示を出した上で、「お前は非難の的になるだろう」と予言しています。

つまり、ユダがイエスを裏切ったように見えるのは、実はイエスの指示に従っただけだったという驚くべき内容なのです。
これは、果たして本当のことなのか。それとも、ユダの自己弁護を誰かがまとめた書なのか。
伝統的なキリスト教社会からは、内容を否定する厳しい批判も上がっています。

ただ、ユダがイエスを「裏切った」ことによってイエスは十字架にかけられました。その結果、イエスは復活し、「救世主」(キリスト)だとして多くの人々の信仰を集めるようになります。その教えはキリスト教として発展していきました。キリスト教の発展にとって、ユダが結果として重要な役割を果たしたことは間違いないのです。
この本に描かれているイエスは、よく笑います。従来の『聖書』を通じて形作られたイエスの印象とは、まったく異なる存在として描かれているのです。

『ユダの福音書』は、私たちが抱いていたユダやキリスト教へのイメージを根底から覆すもの。これこそユダが私たちの「常識」を裏切ったことになるのです。

<いけがみ・あきら・・・1950年長野県生まれ。慶應大学卒業後、73年にNHK入局。報道局社会部記者などを経て、94年から「週刊こどもニュース」のキャスターに。わかりやすく丁寧な解説が人気を集める。05年よりフリージャーナリスト。著書に『そうだったのか! 現代史』『そうだったのか! アメリカ』など多数>

●(7)<<<この本の主張のひとつは、「正史」は時の権力者がつくるものであり、それは『新約聖書』も例外ではないということなのです。>>>とあります。
私は、週刊ポストに長期連載していらっしゃる天才・井沢元彦氏の「逆説の日本史」を愛読していますので、<<<「正史」は時の権力者がつくるもの>>>であることはお陰様で熟知しています。一つの例をご紹介します。●(8)「明治維新という過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~」(原田伊織著、毎日ワンズ)<「官軍教育」が教える明治維新>p26<略>

・・・・・このまま推移すれば、これまでの誤った歴史知識や歴史認識が自ずと修正されていくべきところなのだが、こと日本に関してはこれまで過去に遡って時間軸を引き、それに沿って史実を検証するということを全く行っておらず、自分たちがどういう種類の歴史知識や歴史認識を身につけているか、そのこと自体が分からないのである。そのことを思うと、やはり最初に、長州、薩摩が俗にいう「明治維新」について、薩長政権成立以来この145年間、どういう解釈を社会に押しつけてきたかを、そのコンセプト部分だけでも整理しておく必要があるだろう。

そもそも「明治維新」という事件なり、事変というものは歴史上どこにも存在しない。今更ながら、この初歩的な一点を明確に意識しなければ、幕末動乱の史実というものはいつまで経ってもその実相が浮かび上がらないであろう。強いて簡略に定義づければ「江戸幕府とその社会体制の転覆を図り、天皇親政を企図して、これらを実現させた、長州・薩摩による一連の政治、軍事活動」とでも表現できるだろう。

「一連の~」というからには一定期間を対象とした言葉であって、いつからいつまでが「明治維新」なのかというテーマに対してはさまざまな学者、研究者が実にさまざまな解を主張している。開始時期についても、明治と改元された明治元年とする学者もいれば、黒船の来航からとする研究者に至るまでさまざまであり、終結時期に至っては廃藩置県(明治4年)までとする主張があれば、西南の役(明治10年)までとする説、立憲体制の確立までとする説などがあり、これに関しては定説というものは全く存在しない。

立憲体制の確立といっても、何を以て立憲体制の確立としているのかよく分からない説もあり、結局、時期については「諸説がある」としかいいようがないのだ。いや、定説があるといい切るのは、書斎だけで研究している学者だけだといっていいだろう。

いずれにしても、明治維新というものが特定の事件でも事変でもないとすれば、年号を暗記することが歴史の勉強だと思っている学生諸君には申し訳ないが、時期について幅があるのは当然であろう。<略>

<はらだ・いおり・・・作家。クリエイティブ・プロデューサー。JDMA設立に参画したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。昭和21年京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少年期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。著書に『官賊と幕臣たち』(毎日ワンズ)、『夏が逝く瞬間』(河出書房新社)、『原田伊織の晴耕雨読な日々』(毎日ワンズ)など>

●(9)さて、(6)の小説『ダ・ヴィンチ・コード』に戻ります。
私(藤森)は、少々、ひねくれているせいか、昔から、「聖書」に、万一、誤字脱字があったらどうするのだろうか?と思っていました。この『ダ・ヴィンチ・コード』は、まさに、ある種の誤字脱字みたいなものではないでしょうか?仏教ならば、まだ良いのです。お釈迦様は人間ですから間違いがあっても仕方がありません。しかも、お釈迦様が亡くなられた後、弟子たちが集まって、「如是我聞」(にょぜがもん)・・・私はこのように聞きましたと言ってまとめたのが膨大な「仏典」ですから、間違いがあっても、それは聞き間違えたと言うことができますし、仮に、お釈迦様が間違っていたとしても、人間ですから許されるのではないでしょうか。しかし、人間の存在を超えた「神」のおっしゃることが「聖書」に書いてあるのだとすると、間違いがあった場合は、どのように整合性をつけるのだろうかという疑問が、昔から私にはありました。まさにそれがこの『ダ・ヴィンチ・コード』です。
こういうことだけではなく、キリスト教の世界で起きた、起こした間違いはどのように整合性をつけるのでしょうか?その「非」を認めて詫びれば済むことなのだろうか?それでは、「何だ、神でも間違えるのか」ということになり、甚だ不都合になるのではないでしょうか。下記をご覧ください。キリスト教は、こういう無茶苦茶なことを、日本の戦国時代にもたくさんやっています。●(10)平成28年11月30日、夕刊フジ「英傑の日本史 西郷薩摩烈士編」(井沢元彦)

<キリスト教との距離感>

<略>

特にこの時代(注・戦国時代)のキリスト教は極めて戦闘的な宗教で、ローマ法王の指揮のもと、ポルトガルとスペインがその尖兵となり、世界強制キリスト化計画を進めていた。長い伝統を誇るインカ帝国はスペイン人ピサロによって征服され、国王は殺され住民はキリスト教徒にさせられた。そのことは知らなくても貴久の目には、年下の宗麟など外国かぶれのお調子者に見えていたかもしれない。
この宗麟と貴久の長男、義久が全九州の派遣をかけて対決することになる。

●(11)何を言いたいのかと言いますと、恐らく、程度は違っていても、いかなる分野においても、大なり小なり、こういうことがいろいろあるであろう・・・ということを申し上げたいのです。
これほど権威があるものでもとんでもない間違えがあるのです。ましてや、人間を十把一絡げにした統計的なものは、さらにさらに慎重に向き合う必要があります。大いに参考にしながらも、一人一人の人間性(個性)をいかにして「大切」にするか、という当たり前のことを言いたいのです。Learning   ⇒  Understanding  ⇒  Doing   ⇒  Being恐らく、「グローバリゼーション・ファティーグ(疲労)」は、「グローバリゼーション」が行き過ぎてしまい、そこから来る弊害が巨大になり過ぎたことからの言葉ではないでしょうか。パナマ文書などが典型例です。
私(藤森)が言いたい「西洋医学ファティーグ」も、まさにそういうことです。「遺伝子治療」や「iPS細胞」など・・・。インターネットで発見した下記の資料は、日本の権威ある組織全体に言える象徴的な重大問題だと思いますがいかがでしょうか。「記者クラブ制」も「日本医師会」や「農協」も「連合」も「経団連」も「原発」関連組織も、「官僚組織」も「日教組」も・・・戦後の日本を支えてきた色々な組織は「〇〇・ファティーグ(疲労)」かもしれませんね。もしかしたら、世界はいろいろな「ファティーグ」で、トランプ時期大統領や、イギリス、イタリア、フランス等々、大激動期に突入しているのかもしれません。●(12)平成28年11月29日、「東洋経済オンライン(山下 一仁氏)」

<泣くな小泉進次郞!農業改革の分厚い岩盤 農業村の抵抗に挑む青年代議士の闘い>

若き政治家、小泉進次郎(35)が農業改革のため、全国を飛び回っている。農政については素人だった進次郎が、短い期日の中で農業についての知識や理解を深めている。その一応の成果が11月25日、政府・与党の「農業競争力強化プログラム」として、取りまとめられた。そこで今までの顛末と評価をしてみたい。

農業界が主張したのは、TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉によって関税が撤廃されると、農業が壊滅するのではないか、ということだった。安倍晋三政権が進次郎を自由民主党の農林部会長に起用したのは、その人気を利用してTPPに不満を持つ農業界をなだめようとしたのだろう。しかし進次郎は、任命者にとって想定外の活動をする。

<肥料や農業機械の価格に目を付けた>

進次郎が目を付けたのは、肥料や農業機械など、農業生産資材価格の高さだった。これらの資材が高いので農産物の生産コストが上昇し、外国農産物との競争力がなくなる結果、関税が必要となる。逆に言うと、資材価格が安くなれば、関税が削減されても農家に影響は生じない。TPPへの農家の不安も解消する。

10月17日の衆議院TPP特別委員会で、質問に立った議員の多くは、与野党ともに農林族議員だった。国会の農林水産委員会に集まる議員は、自民党から共産党に至るまで、ほとんど同じ主張を持つ。農家の所得を上げるべきだ、農産物価格が低下してはならない、特に多くの農家が作っているコメの価格は高ければ高いほうがいい、そのためにはコメの供給を減らす減反政策は必要だ、と――。国内の高い農産物価格維持のためには、高い関税を守ることが国益となる、という論法である。

TPP交渉で、「重要品目の関税撤廃阻止」という国会決議が守られたかどうかが大きな争点になっているが、これは農林水産委員会の合意であり、決議にすぎない。すべての議員が集まる本会議の決議ではない。

同様に国会質疑も農林族議員の立場からの質問が多く行われた。それに対して安倍首相以下、政府側も、関税を守るのが国益だとか、農は国の基いであるとか、”農本主義”的な答弁がなされたのである。

<その中で進次郎の質問は異彩を放っていた>

「私は農林部会長になって、農協の皆さんと向き合う中で、今でもわからない、根本的な疑問があります。それは農協(JA)の皆さんは(中略)協同組合だからこそ、独占禁止法から適用を除外されている。だったら、なぜ農協より、ホームセンターの方が安いものがあるのか。北海道の陸別町農協という、餌を安く提供する農協の組合長と会った。なぜほかの農協の組合員は、その安いところから買えないのか。農業の世界では当たり前かもしれないが、私にはその当たり前が理解できない。1円でも安く必要なものを、どこからも自由に買うことができ、経営感覚をもち、自由な経営が展開できる。まさにそれこそやらないといけない構造改革だと思いますが、総理から答弁をお願いします」

<これに対して安倍首相は次のように応じた>

「小泉委員が指摘した所が、極めて重要な点なんだろうと思います。農家の皆さんは、飼料や肥料を1円でも安く仕入れ、農産物を1円でも高く買ってもらう。そのための努力を共同組織であるJA全農(全国農業協同組合連合会)には行ってもらいたい。その気持ちが強い。この思い、時代の要請に応えて、全農も新たな組織に生まれ変わるつもりで、がんばっていただきたいと思います」
進次郎は生産資材が高いという問題を、その原因を作っている農協改革へ展開させたのである。

<利益を共有する産政官学の共同体>

従来はこのような質問自体がタブーだった。農家所得を上げると言いながら、資材価格の高さを正面切って指摘する政治家はいなかった。筆者が数年前、肥料や農薬、農業機械、飼料すべての農業資材が米国の倍もしているという指摘をするまで、資材価格が海外と比べてどの程度高いのかを調べた研究者は、ほとんどいなかった。農協の利益を損なうからだ。資材価格を高くすると、農協は高い販売手数料を稼ぐことができる。

農業政策は、ともに共通の利益を共有する、農林水産省、農協、農林族議員、農学研究者という、運命共同体によって作られてきた。これを”農業村”と呼んでよい。農協は選挙で農林族議員を当選させ、農林族議員は農水省の予算獲得を後押しし、農水省は高い米価や補助金という利益を農協に与え、農協から高い講演料を受け取る農学者(主に農業経済学者)は農業村に都合のよい主張を研究者という中立を装った立場で行ってきた。農業資材価格の水準だけではなく、コメの生産を減少させる減反がなければ米価はどのような水準になるのか、という研究した人はいなかった。農業村に都合の悪い研究はタブーだったのだ。

日本の農業は高い関税で米国などの農業から保護されてきた。それにもかかわらず、日本農業、特に最も保護されてきたはずのコメ農業が衰退するということは、その原因が海外にあるのではなく、日本の国内にあることを示している。それは、農協、農林族議員、農水省、農業経済学者という「産政官学」の関係者によって構成される農業村である。

農業村の中心にいるのは農協だ。農業、特にコメ農業が衰退する一方で、コメ農業に基礎を置く農協は大きく発展し、我が国第2位を争うメガバンクとなっている。日本のJAと呼ばれる農協は、世界の協同組合の中でも、日本の法人や協同組合の中でも、特異である。欧米の農協は、農産物の販売や資材購入、農業金融など、それぞれに特化している。日本でも銀行が他業を兼業することは禁じられている。しかし、JA農協は、銀行や生命保険、損害保険、農産物や農業資材の販売、生活物資・サービスの供給をはじめ、ありとあらゆる事業を行う万能の組織なのだ。

筆者はかつてあるジャーナリストから「欧米では農業保護のやり方を、高い価格ではなく財政からの直接支払いという方法に転換したのに、なぜ日本ではできないのですか?」という質問を受けたことがあった。考えてもみなかった質問なので、即答できなかった。が、一晩考えて、欧米にはなくて、日本にあるものがあると気づいた。農協である。

圧力団体として日本医師会は有名だし、欧米にも、農業の利益を代弁する政治団体は存在する。だがこれらの団体自体が経済活動を行っているのではない。日本の農協は、政治団体であり、かつ経済活動を行っている。このような組織に、政治活動を行わせれば、農家の利益と言うより、自らの経済活動の利益を実現しようとすることは、容易に想像がつく。その手段として使われたのが、高米価・減反政策だった。

<農業滅びて、農協栄える?>

戦後農家が闇市場に売ろうとするコメを政府に集荷させるため、戦前の統制団体を衣替えして作ったのが、農協である。農協はその生い立ちからコメ農家の維持にこだわった。この50年間で戸数が40万戸から2万戸へ大幅に減少した酪農のように、零細な兼業農家が農業から退出、少数の主業農家中心の水田農業となってしまえば、水田はもはや票田としての機能を果たせなくなるからだ。

高米価政策で、コストの高い零細な兼業農家が農業を継続したため、農協は組合員数を維持できた。それだけではない。多数のコメ農家は兼業収入や年金収入、農地を転用して得た年間数兆円にも及ぶ利益を、JA農協バンクに預金し、農協を日本第2位のメガバンクにした。

農業が衰退するのに、農協が発展したというよりも、農業を衰退させることによって、農協は発展したという方が正確だろう。高米価で兼業農家を維持したことが、銀行業務などありとあらゆる事業を行う権限を与えた特権的な農協制度と、うまくマッチしたのである。(敬称略)

<文責:藤森弘司>

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