2016年10月31日 第171回「今月の映画」
ハドソン川の奇跡
③ー②

●(1)前回、③ー①の下記の部分<<< >>>を再録します。

<<<国家運輸安全委員会(NTSB)の委員たちは全員コンピューターのシミュレーションを基準に物事を決めます。複数のプログラムで同じデータを入力すると必ず同じ結果が出るので、これは疑いの余地もなく正しい、と。>>>

<<<建築家(設計者)が大工さんのように、実際に家を建てられるなどというバカなこと・・・・・目に見える分野ではこういうバカなことを言う人はいませんが、目に見えない心理・精神世界では、このようなことが普通に思われています。>>>

<<<学問の「学」というのは、「統計」なんです。これが多くの方に理解されていません。統計的・学問的な理解を、いかにして実際の現場に応用できるようにするかという職人的訓練が、「心理・精神世界」では(狭い一分野を除いて)ほとんど全くなされていませんし、そういうことさえも、ほとんど全く理解されていません。>>>

つまり、で考えることと、実際にそれをすることとは大きな違いがあります。例えば、消火訓練をしたとします。それが実際に、そのまま活用できないことは、多分、多くの方が理解していることと思います。もちろん、だから訓練が無効だというのではありません。訓練をした方が良いに決まっていますが、しかし、偶然を除いて、そのままうまく活用できるものではありません<<<国家運輸安全委員会(NTSB)の委員たちは全員コンピューターのシミュレーションを基準に物事を決めます>>>。

「般若心経」にも、最初に<観自在菩薩 深般若波羅蜜多(ぎょうじん・はんにゃ・はらみた)>とあります。「深遠な知恵の完成を行ずるとき」、つまり、いかなる物事も、そして「般若心経」のように抜群に素晴らしい教えさえも、結局は「行ずる」ことが不可欠です。しかし、この「般若心経」さえもが、学べばオーケーという「知性」はどこからくるのでしょうか?

向こう岸にとても素晴らしいご馳走金銀財宝が溢れていても、向こう岸に渡るための「手段」、つまり、「行じる」ことをせずにどうやって向こう岸に渡るのでしょうか?まさにそれが「彼岸(ひがん)」と「此岸(しがん)」だと思います。「此岸」から「二河白道」を渡るという「行じる」ことを通じて、ご馳走(?)がある「彼岸」に渡ります。ご馳走を眺めるだけで腹が満たされるでしょうか?

「文学論」に長けた人や、「評論家」が素晴らしい小説を書けると思う方は、多分、ほとんどいないでしょう。私(藤森)の記憶では、短歌に天才的な才能を発揮した石川啄木が小説を書こうとしたが、うまい小説が書けなかったようです。逆に、文芸評論家が、素晴らしい小説を書いたということも、私は、寡聞にして知りません。

大工さんや塗装屋さんが、うまく作業ができる方法を指導することは、多分、できないでしょう。芸術にしても、寿司職人にしても、目に見える分野の方々は、理論に優れている人(評論家)と、それを実際にできる人(職人)とは違うことは、多分、ほとんどの方が理解しているのではないでしょうか。

<<<サレンバーガー機長は40年以上の経験を持つヴェテランのパイロットで、当然コンピューターが一般に普及していなかった時代の記憶があるので、「人間的」要素が抜けていることにすぐ気づきます。でも、社会人になった頃から毎日オフィスでコンピューターをこなすことが当たり前の世代の人はそういう反応はしないでしょう。>>>

電化製品(洗濯機や炊飯器など)にしても、スマホやパソコンなどにしても、個人の能力に関係なく、素晴らしい能力が発揮できる「便利な製品」が氾濫している時代は、ますます、「頭」で考える能力が「重視」され、「行じる」ことが軽視されてしまうのでしょう。

多くの物事は確かに便利な製品が優先されますが、「人生(育児などが典型的です)だけは全くの反対で、「行じる」以外にはうまくいきません。そこが理解されないために、ますます「難病(ややこしい病気)」がふえるのでしょう(育児の下手さ加減や少子化、精子や卵子のコントロール、高齢化など)(残念ながら、育児の下手さ加減は、私・藤森自身の深い反省があります)。

しっかり分かれば良いならば、何故、舛添要一氏(前・東京都知事)などのエリート(国会議員や官僚・・・)が晩節を汚すようなばかばかしい事件を起こすのでしょうか?舛添氏は東大の法学部を優秀な成績で卒業されています。「分かる」ことならば、私(藤森)の千倍も知性・教養が高くて深いはずです。

(ただし、私が尊敬する方が、「深く分かれば変われる」とおっしゃり、私も賛成です。しかし、これは大きな誤解に繋がりかねませんので、今、ここでは詳しく述べませんが、一言だけ触れます。
「インナーチャイルド(深層心理)」が納得する、「インナーチャイルド」が影響を受けるほどの深さで「分かれば変われます」。例えば、大病を患ったり、生き死にの体験をしたり・・・を通じて「深く納得」した場合などに、大いなる変換が起きることは、稀にあり得ます)。

病院の医師が患者さんを前にして、パソコンをずっと見ているとよく言われます。こういうタイプの医学や医師は、時代が変われば「人工知能(AI)」に簡単に置き換えられてしまうでしょう。病院に行ったら、案内や受付、会計だけでなく、多くのセクション(内科、精神科等々)がAIに置き換わっていて、外科医や看護師さんが中心の病院なんてことになりかねません。

摩訶不思議なことですが・・・心理・精神世界では、「訓練」以前の「理論」が現場でそのまま活用できると思われています。いや、高度な理論こそが(優先される)素晴らしい技術だと思われています。
つまり、高級マニュアルがあればオーケーになります。将棋の名人にさえ「AI」が勝てる時代に突入しました。目に見えない心理・精神世界も、世界的な権威者と言われる超一流の学者が作り上げたマニュアルが組み込まれたタブレットを脇に置きながら対応するカウンセラーが一流のカウンセラーということになりかねません。電子百科事典を活用するが如く。

で考えること(想像すること)」と「現実」はいかに違うかということの実例をいくつか下記にご紹介します。

●(2)平成28年3月25日、東京新聞証言者 元ドイツ軍兵士」

<戦争考 誰が敵で、味方か分からなく>

29日施行の安全保障関連法は、適用対象が日本国内に限定されないことから、自衛隊が海外で他国の戦闘に巻き込まれる事態も想定される。戦場に行くとはどういうことなのか。外国の生の声を聞きながら考えたい。一人目は、ドイツ軍の一員としてアフガニスタンに派遣された元歩兵、ヨハネ・クレアさん(30)。想像を超える戦争の現実に打ちのめされた経験を語った。(ベルリン・垣見洋樹)

<アフガン派遣 砕かれた正義感 心病む>

 アフガニスタンに行ったのは2010年6月から7カ月間。現地で治安維持を支援する国際治安支援部隊(ISAF)の活動だ。
現在は除隊し、戦場体験を講演しながら、週に一度精神科に通っている。平穏な日常の中で、花火の破裂音などを聞くと突然戦場の光景がよみがえる。自分がこれほど恐怖心にさいなまれるとは想像していなかった。

ドイツでは第二次世界大戦の苦い経験から、兵士の仕事を批判的にみる人が多い。でも、僕は子どものころから兵士になりたかった。小学5年のとき、通知表に「君は正義感が強い」と書かれたこともある。

16歳だった02年、ドイツ軍が初めてアフガンに派遣された。現地で何が起きているのかを、自分の目で確かめたいと思った。
高校を出て軍隊に入り、エリート集団のパラシュート部隊に配属された。アフガンが一番厳しい現場と聞いて、派遣を志願した。「僕が助けに行く。派遣期間に治安を回復して、帰って来る。大丈夫だ」と理想的なイメージだけしかなく、自分が被害を受けるなんて考えもしなかった。

現地で最初の2ヵ月はやる気を維持していた。銃撃戦が始まるとアドレナリンが出て、何時間も精神が高揚することを体験した。
しかし、ある日を境に状況が一変した。8月の夜、10人ほどで地雷除去に向かったとき、待ち伏せしていた敵に囲まれ、10メートルほどの至近から銃撃を浴びた。小さい村の中の真っ暗なところ。初めて恐怖を感じ、その日から、戦いのたびに恐怖が強くなっていった。

夜間は敵が攻撃してこないと思い込んでいた。われわれのように暗視カメラを持っていないからだ。しかし、彼らは民間の偵察員を使ってわれわれの行動を監視し、見つけると連絡し合って村の兵士をかき集めていた。

われわれが一人も傷を負わなかったのは奇跡だと後で隊長に言われた。しかし、心には傷が残った。以後、僕は正常に任務を果たせなくなった。
もうひとつの悩みは、現地住民の誰がで、誰が味方分からないことだった。さまざまな部族や組織が入り乱れ、対立や同盟を繰り返している。いつどこで誰が敵になるか分からないから、いつも気を張っていなければならなかった。

こうした現実を、僕も、ドイツ国民も全く分かっていなかった。政治家は派兵を大した問題ではないように見せようとしていた。アフガンを「戦場」と認識したのは、最初から7年ほどたってから。何人もの兵士を亡くし、やっと気付いたんだと思う。

●(3)平成8(1996)年2月29日、読売新聞「まり千代(ちよ)さん=本名・佐野キミエ・・・新橋芸者、東をどり会主・1月31日死去。87歳」

<体で覚えなくては本物の芸にはならない「遺された言葉」>
   「だいぶ握力のほうもよくなりまして」
1月末、新橋演舞場の岡副昭吾社長(65)に元気な声で電話をかけた。年末に血管こうそくで右腕に激痛を覚えて入院したが、経過は順調。手の握力を回復させるリハビリも進み、若手に春恒例の花街舞踊「東をどり」のけいこをつけるのを楽しみにしていた。それが、電話の翌朝急逝した。
ぴんと伸びた背筋。年齢が信じられないほどのあでやかさ。「死の予感は本人にも周囲にもなく、新橋の人間には驚天動地の大ショック」と岡副社長は嘆く。
12歳で置き屋に奉公に出、東をどりには第1回の1925年(大正14)から毎年、舞台に立った。戦争のブランクを経て、48年に東をどりが復活した後は、大スターに。容ぼうに技量が伴った魅力で、楽屋裏に女子学生がサイン帳を持って押し寄せたほど。

文化勲章受賞者の故・橋本明治画伯の代表作「まり千代像」には四十代半ばのきりっとした美ぼうが活写された。モデルとなった1週間ほど毎日、右手で持った

扇子の位置をピタリと決め、「どうしてそんなにうまくいくの」と橋本画伯をいたく感心させた。が、本人は「芸は達者なたち

ではない」と言っていた。何より、「頭で覚えず、体で覚えなくては本物の芸にはならない」というのが持論だった。どんな役も立ち上がって形を作ってみないと納得せず、若い人の指導の際も自分が立って一緒に体で覚えた。東をどりを今日まで定着させた功績などで、昨秋、芸者として初めて文化庁長官表彰を受けた。1月に予定されていたその祝賀会が「しのぶ会」に名を変え、近く新橋の人たちの手で催されるという。

●(4)平成26年1月8日、東京新聞

<稀勢 歯が立たず 白鵬のげき飛ぶ>

大相撲初場所で綱取りに挑む大関稀勢の里が7日、松ケ根部屋(千葉県船橋市)で行われた二所ノ関一門の連合稽古に参加した。出稽古に訪れた横綱白鵬に胸を借りて10番取り、1勝9敗と歯が立たなかった。

稀勢の里は得意の左四つに組み、右上手を引いて抵抗する場面もあったが、九州場所で破った白鵬に対して終始劣勢。ぶつかり稽古でも横綱に胸を借りたが「腰が高い!」「足に力が入っていない。ちゃんと四股ふんでるか?」などとげきを飛ばされた。稽古を終え、稀勢の里は「貴重な稽古だったが、体にはこたえた。力不足については悔しさがある」。

白鵬は「これをきっかけに、気持ちが新たになってくれれば」と横綱昇進をかけて初場所に臨む大関にエールを送った。

●(5)平成19年6月23日、夕刊フジ円楽師匠 ヤンキースに“怒”」

今春にテレビ引退した落語家の三遊亭円楽氏が、幼少時から大好きだったメジャーリーグについて本紙に熱い思いを語ってから約2カ月。マスコミから遠ざかった芸能界きってのメジャー通が「これだけは言わせていただきたい」と再び口を開き、低迷するヤンキースに怒りをブチまけた。

だらしがねえ。ヤンキースですよ。20世紀末の強さもなければ、かつてのジョー・ディマジオが活躍したころの風格もない。だいたいAロッドを獲得してしまったのが悲劇の始まりだ。整えるべき投手陣をおろそかにして、どうでもいいところにカネを使ってしまった。それにAロッドは大声を出して守備を妨害したり、まあ品がないねぇ。選手の手本となるクレメンスを3年以上も外に放っておいて、逆にAロッドが悪影響を及ぼしたのですから、この体たらくも当然でしょう。

<かつての品格がなくなった>

 松井君も「3割打てば上々」、井川君も「剛速球がないのだからあの程度」と思わせてしまうところが寂しい。だいたいヤンキースでは選手にも、チームにも「了見」がない。
了見というのは落語家の世界でいう、話し手の哲学のこと。高座に上る僕らは、まず噺を覚え、登場人物の性格を細かく描写します。そこまでは努力すれば行けるのです。ただそこから問われるの了見です。その人独自の了見を噺にかぶせないと、芸の最高峰なんてとても極められません。

例えば3代目の古今亭志ん朝。大変な勉強家でした。了見があるから一挙手一投足がたまらなくいいんだよ。ポツン、ポツンと言うすべてがたまらなく面白いんだね。言葉の一つ一つが座右の銘にできるほど輝いていたものです。

<ファンが気の毒>

 かつて立川談志が「金を払う価値があるのは志ん朝だけ」なんて言いましたがね、では今のヤンキースはどうですか?ただ打って、ただ投げて、それだけでしょう。了見なんてどこにもない。これでは金を払ってスタジアムに行ったファンが気の毒ですし、テレビ桟敷の僕らだって腹も立ちますよ。松井君も常にベストを尽くすのは結構ですが、もっと考え抜いて、チーム全体にいい影響を及ぼすような了見を持たないといけませんね。さて、そろそろテレビ中継が始まるようですから今日はこの辺で。

<文責:藤森弘司>

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