2015年6月30日 第155回「今月の映画」
グローリー・・明日への行進・・
監督:エヴァ・デュヴァネイ  第87回アカデミー賞 主題歌賞受賞「Glory」コモン&ジョン・レジェンド
主演:マーティン・ルーサー・キング・Jr=デヴィッド・オイェロウォ  リンドン・ジョンソン大統領=トム・ウィルキンソン  アラバマ州知事=ティム・ロス

●(1)私たちには好き嫌いがあります。食べ物にしても、趣味にしても、職業にしても、スポーツにしても・・・・・。

ですから、黒人を好まない人がいても仕方がないことです。しかし、しかし、です。人種隔離政策とか、暴力を振るったり、殺人まで実行する神経が、私には分かりません。いや、分からない育ちであることが幸運なのだと思います。

この映画のハイライトのひとつである・・・・・
<<<セルマからモンゴメリーへの最初の行進の試みがなされるが、エドモンド・ペタス橋で保安官ジム・クラークら州警察や民兵隊によって阻止される。525人の行進者たちが催涙ガスで追い返され、多くが容赦なく鞭で打たれた。この日は、後に「血の日曜日」と呼ばれ、世界中に永く知られることとなる>>>

こういうことができる神経が、幸運にも、私には理解できません。こういう事件があり、しかも、50年も経っているにもかかわらず、いまだにこういう事件が起こる異常性は凄いものだと驚きます。

    ~彼の夢が世界を動かす~

○(2)<INTRODUCTION>

マーティン・ルーサー・キング・Jr.
父として人間として、悩み、闘い、
そして愛した男の物語

 長い人類の歴史の中に、“世界が変わる瞬間”というものがいくつかあるが、これは紛れもなくそのひとつ・・・。それは1965年のアメリカでの出来事。
黒人がまだ同じ人間として認められていなかった南部で、正当な権利を手にするために立ち上がった男がいた。誰もがその名を知る、マーティン・ルーサー・キング・Jr.=キング牧師だ。

だが、世界を変えたのは決して彼一人の力ではない。彼の呼びかけで全国から集まった、年齢も肌の色も様々な男女約2万5千人が心をひとつにし、アラバマ州セルマから州都モンゴメリーまでの約80キロに及ぶ、未来への希望を賭けた抗議の大行進を成し遂げたのだ。

この実話が50年間、一度も劇映画になっていないことに怒りと使命を感じたプロデューサーが集結、大人気TVショーの司会者で“世界で最も有力な女性”と称えられるオブラ・ウィンフリーや、『それでも夜は明ける』「今月の映画」第140回「それでも夜は明ける」ご参照>を製作したブラッド・ピットらの情熱のもと、遂に映画化が動き出した。

キング牧師を演じるのは、『大統領の執事の涙』のデヴィッド・オイェロウォ。最初に脚本を読んでから撮影までの7年間、ひたすらにキング牧師を研究し役づくりを続けたというだけあり、聴衆の心を鷲掴みにしたカリスマ性溢れるキング牧師のスピーチを完璧にマスターし、憎しみではなく愛で歴史を覆そうとした男の魅力を圧倒的迫力で体現。
本作で、第72回ゴールデン・グローブ賞主演男優賞ノミネートのほか数多くの映画賞を受賞している。また、トム・ウィルキンソンがジョンソン大統領、ティム・ロスがアラバマ州知事に扮し、スクリーンをリアルな緊迫感で引き締める。

さらに、公民権運動で活躍した弁護士フレッド・グレイをキューバ・グッディング・Jr.が演じ、人種隔離政策撤廃主義者ジェームズ・べヴェルを本作の主題歌「グローリー」を歌う、ラッパーで俳優のコモンが演じているほか、劇中では当時キング牧師を支え、共に闘った公民権運動のリーダーたちの姿も描かれる。

・・・

監督は本作でLA映画批評家協会賞に輝き、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされたエヴァ・デュヴァネイ。大統領との張りつめた駆け引き、FBIの不気味な関与、知恵と知識を駆使した政治的戦略、メディアと世論の紙一重の操作、家族との亀裂と絆、さらに正義に命を捧げる名もなき人々の想いまでを克明に描き、大行進に至るまで本当は何があったのか、歴史の闇を厳しくかつ温かな光で照らし出した。

作品賞にもノミネートされた今年のアカデミー賞では、コモンとジョン・レジェンドが歌い上げる「グローリー」が主題歌賞を受賞、熱い涙を誘った授賞式のパフォーマンスも話題を集めた。

人は一人では、闘うことも愛することもできない。人とつながることの素晴らしさを目と耳と心で感じさせてくれる、稀有なる感動作が誕生した。

○(3)<STORY>

 ただ「歩く」ことで
世界を変えた男の、
感動の実話

 「真の平等が生まれ育つことを信じましょう」
1964年、マーティン・ルーサー・キング・Jrは、ノーベル平和賞の受賞スピーチでそう語った。彼の貢献で制定された公民権法によって、アメリカの人種差別は“廃止”されたが、それはあくまで法の上でのこと。命を守る権利は全て選挙権から始まるが、黒人が有権者登録をしようとすると、あの手この手で却下される。4人の少女が殺された1年前のバーミングハムでの教会爆破事件の頃と何も変わっていなかった。

1965年、リンドン・B・ジョンソン大統領に黒人の選挙権を保障する法律を求めて拒絶されたキング牧師は、アラバマ州のセルマを次の闘いの地に決めて下見に向かう。そんな彼の動きをFBIは逐一監視していた。

セルマに発つ前夜、お前の子どもを殺すという脅迫電話を受けても気丈に振る舞うキング牧師と妻のコレッタ。だが、本当は不安に震えるキング牧師は、真夜中、電話口で友人のゴスペル歌手マヘリア・ジャクソンの歌に救いを求める。

セルマに到着したキング牧師は一転、パワフルなスピーチで何百人もの聴衆を魅了。彼の作戦は非暴力、デモ行進、そして交渉だ。ただし真の狙いは、白人たちが法を踏み外すこと。そうすればニュースになり、世論を掴めればホワイトハウスも動かせる。

セルマからモンゴメリーまで約80キロの行進を発表したキング牧師は、大統領に新法を通すなら行進を中止すると交渉するが拒否される。人種隔離政策を堂々と宣言するアラバマ州知事が“絶対阻止”を謳う中、525人の黒人が教会を出てエドモンド・ペタス橋へと向かう。しかし、橋の向こうで待ち構えていた州警察と民兵隊が鞭や棒で襲い、催涙ガスの煙に巻かれながら逃げ惑う黒人たちのニュース映像にアメリカ中の人々が息を呑んだ。

「肌の色など関係ない。人は皆平等だと信じるならば共に行進しよう」
キング牧師の呼びかけに応じ、アメリカ全土から続々と人々が集まる。翌日、黒人と白人、男と女、大人と子どもが腕を組み、彼らは再び歩き始める。

○(4)<Review>

 <素顔は控えめで慎ましい不屈の男、マーティン>(折田千鶴子・映画ライター)

こんなにも若く、繊細な男性だったのか・・・・・。イメージとは怖いもので、“牧師”という肩書きや、脳裏に残ったこぶしを握る姿から、いつの間にか“老成した鋼鉄の聖人君子”的な思い込みが刷り込まれていた人は、何も私だけではないだろう。その思い込みが鮮やかに覆され、新たな発見に驚嘆するとともに、思わず母性本能がくすぐられることに、我ながら驚く。

恐れ多くも、かのキング牧師を可愛いと思ってしまった!?人間的な素晴らしさは今さら言うまでもないが、このチャーミングな描かれ方は、やはり監督エヴァ・デュヴァネイや、企画段階から支えてきたオプラ・ウィンフリーら、女性陣の感性に拠るところが大きいだろう。もちろん、女性観客への訴求という“”狙いもあるだろう。

だが、素材として掘り下げていったとき、表からはなかなか見えなかった彼の奥ゆかしくソフトな魅力に、感嘆し、魅せられたのではないだろうか。“真の人類平等”という野望はあっても野心はからっきしない、人間マーティン・ルーサー・キング・Jrのナイーブで慎ましく繊細な、その人間性に、黒人に唾を吐きかけ、理不尽な暴力を振るう一部の白人たちの、粗野で野卑な姿と実に対照的!不屈の精神をスゴイと思うと同時に、その佇まいに親愛の情を覚えずにはいられない。

冒頭、ノーベル平和賞を受賞するシーン、妻の目を覗き込みながら「小さな町の牧師になるよ」とそっと囁く姿に、すべてが集約されている。そう、彼が求めるのは、家族の幸せ、静かで穏やかな暮らしなのだ。いつも心配や苦労をかける妻に、頭が上がらない風なのも微笑ましい。2歳年上の美しい妻コレッタとの関係性も、本作の大いなる魅力だ。同場面でも「こんな気取ったタイ、人に笑われる」と気にする姿、妻に励まされる姿が何とも可愛い。

映画では描かれていないが、学生結婚した当時、コレッタの方が履修科目が多かったため、マーティンが家事をできる限り引き受けたという。50年代のアメリカと言えば、完全なる男性社会。女性が外で働くなんてけしからん、家で男(夫)に仕えろ的な考えがまかり通っていた時代にあって、何事につけすべてをフラットに見て行動できる彼の資質、人間性・人間力には驚かされる。「小さな町の牧師に」という言葉は、終盤、これから行進せんとする彼の安全を気遣う大統領からの使者に、「私は平凡な人間だ。長寿と幸福を求めている」と語るシーンと対をなしている。常に死を覚悟し、時代を動かした男は、心から自分をそう評していたのだ。

ところが一方で、ひとたびマイクを握れば、万人の心を掴むカリスマがたちどころに現われる。静かに始まるスピーチは、次第に熱を帯び、力強く繰り出される言葉はまるでリズムのように心に響き、胸を打ち、聴く者を熱狂の渦に巻き込んでゆく。何度打ちのめされても耐え、抑えてきた怒りや絶望が、パワフルな言葉となってほとばしり出、小さな爆弾となって人々の心に打ち込まれる。他方、議論を交わす場面や人々が感情的になる場面では、常に多くを語らず、黙する姿も意外で目が釘付けになる。とりわけ成功を目前に行進を取りやめた彼が、その真意を問われた際、絞り出すように「人が傷つくくらいなら、悪役になることを選ぶ」とだけ苦しそうに口にした姿に、胸を突かれずにいられない。

あの橋を誰よりも渡りたかったのは、彼に違いないのに。だがもちろん、謙虚なだけではない。何度か登場するジョンソン大統領との駆け引きの場面でみせる、政治家の言葉のすり替えや先延ばしに誤魔化されない頭の良さ、ぶれのなさ、要求を突きつける押しの強さや粘り強さにも、感服させられる。大統領が困れば困るほど、つい笑ってしまうほどに。そんな彼だからこそ、例えばコレットがマルコムXと面会したと報告を受けた際、つい感情的に「奴に惚れたのか!」と啖呵を切ってしまい、すぐにハット目を伏せて妻に謝る姿など、いかにも人間的な部分が垣間見られる場面が、実によく効く。自分を痛烈に批判してきたマルコムXへの苦しい思いに加え、また別種のカリスマを持つハンサムで長身なマルコムXに対する複雑な思いが透けてみえ、人間として興味をさらに掻き立てられる。

最後に、そんなマーティンを全身全霊で演じた、デヴィッド・オイェロウォについても触れておこう。『大統領の執事の涙』(13)では、大統領=白人に仕える父に反抗し、家を飛び出して南部の公民権運動に参加するという役どころで、青二才な若者の無鉄砲さと情熱を体現していた。その同じ俳優とはにわかに信じられず、写真を二度見してしまったほどの演技力、役者魂で、本作では貫禄のある慎ましい英雄になり切った。

マーティン、39歳。本当に若く、可能性に満ちた優しく愛すべき偉人の喪失、歴史にあいた大きな穴・・・。私たち日本人も、本作でチャーミングな彼の姿を見て、ようやく実感として掴むことができるだろう。

○(5)<セルマ行進の経過>

1965年1月・・・マーティン・ルーサー・キング・JrとSCLC(南部キリスト教指導者会議)がアラバマ州セルマに目を向ける。セルマでは黒人市民のうち選挙人登録をされている者はわずか2%しかおらず、長きにわたり白人社会によって妨害されていた。

2月2日・・・キング牧師および数百人がセルマでの投票権抗議運動中に逮捕される。

2月5日・・・アラバマ州知事ジョージ・ウォレスがセルマおよびマリオンでの夜間デモを禁止。

2月18日・・・州警察がアラバマ州マリオンの行進者たちを攻撃。非武装のデモ参加者ジミー・リー・ジャクソン(当時26歳、キリスト教会助祭)が、母ビオラ・ジャクソンと祖父ケイガー・リーをかばって射殺される。

3月7日・・・SNCC(学生非暴力調整委員会)のジョン・ルイスとSCLCのホゼア・ウイリアムズの主導の下、セルマからモンゴメリーへの最初の行進の試みがなされるが、エドモンド・ペタス橋で保安官ジム・クラークら州警察や民兵隊によって阻止される。525人の行進者たちが催涙ガスで追い返され、多くが容赦なく鞭で打たれた。この日は、後に「血の日曜日」と呼ばれ、世界中に永く知られることとなる。

3月8日・・・キング牧師が各宗派の牧師や神父たちにセルマの行進に参加するよう要請。

3月9日・・・キング牧師自身が2度目の行進を率いるが、エドモンド・ペタス橋で引き返す。後に「反転の火曜日」と呼ばれる。

9日夜・・・・夕食を済ませたボストンの牧師ジェームズ・リーブが、棍棒を持った白人の人種差別主義者に襲われ激しく殴打される。リーブは頭部の負傷により死亡。

3月15日・・・リンドン・B・ジョンソン大統領が連邦議会と米国民に対し、「わが国において同じアメリカ国民の投票権を否定することは甚だ間違っている」と発言、直ちに投票権法の制定を行うと発表。後に最も力強い大統領演説のひとつと称される。

3月17日・・・連邦裁判所裁判官フランク・M・ジョンソンが不平等の是正を求めて行進する権利を認める判決を下し、セルマの行進者たちが勝訴。

3月18日・・・州知事ウォレスがアラバマ州議会で同判決を糾弾。

3月20日・・・ジョンソン大統領が、アラバマ州軍を連邦に加入させる大統領命令を発令。

3月21日・・・連邦軍に保護された約4000人の行進者が約80キロ離れたモンゴメリーを目指してセルマを出発。

3月25日・・・約2万5000人に増えた行進者たちがモンゴメリーに到達。キング牧師がアラバマ州議会議事堂の壇上で演説を行う。その夜、行進に参加したヴァイオラ・リュッツォがKKK(アメリカの白人至上主義団体)に銃撃され、死亡。

8月6日・・・ジョンソン大統領が「1965年投票権法」に署名。

○(6)<Martin Luther King、Jr. >(1929~1968)

1929年、アメリカ・ジョージア州アトランタで、バプティスト派の牧師の息子として生まれる。モアハウス大学、ペンシルヴァニア州の神学校を経て、ボストン大学で神学を学び、後に博士号を取得。ボストン大学在学中の53年、2歳年上のコレッタ・スコットと結婚する。

54年、アメリカ連邦最高裁判所が、公立学校での白人と黒人の人種分離教育を憲法違反とする「ブラウン判決」をくだした年、アラバマ州都・モンゴメリー市にある黒人教会で牧師としての生活を開始した。当時、アメリカ南部で黒人の投票権は事実上制限されたものであり、同時に「ジム・クロウ法」という黒人の公共施設利用の禁止や制限を合法とした州法が存在した。

例えばモンゴメリー市のバスの座席は白人用と有色人種用に分けられ、混み合った際には座席は白人が優先されていた。55年12月、同市のバスに乗った黒人女性ローザ・パークスが白人に席を譲らず逮捕されたことから、現地の黒人たちが大規模な抗議運動を展開。当時弱冠26歳だったキング牧師がこのモンゴメリー・バス・ボイコット運動の指揮を執り、彼が公民権運動指導者となる契機となった。また、バスに乗らないというボイコット運動をはじめ、キング牧師がその後も貫いた、「非暴力・直接行動」(Nonviolent Direct Action)の運動をする最初のケースとなる。テレビや新聞など報道の影響もあり、2年後にはモンゴメリー市では人種分離を廃止したバスの運行が始まった。

57年、キング牧師は盟友ラルフ・アバナシー牧師と共に「南部キリスト教指導者会議」(SCLC)を結成、議長に就任する。60年、SCLCの本部がある故郷アトランタへ家族と共に戻る。63年、シット・イン(レストラン等での白人専用席に座る抗議運動)やデモ行進等を実施したアラバマ州バーミングハムでの運動が始まる。高圧放水と警察犬で対抗した“ブル”コナー率いるバーミングハム警察の暴力行為がマスコミによって世界中に伝えられ、ジョン・F・ケネディ政権による連邦政府の介入まで引き起こすこととなった。

リンドン・B・ジョンソン政権下の64年7月、公民権法が制定、公民権運動での貢献が評価されたキング牧師はノーベル平和賞を受賞する。65年にキング牧師は黒人の選挙権を求めるセルマ市民の運動を組織的に指導し、「血の日曜日」の惨劇を経験しながらも、3月21日から5日間をかけてセルマからモンゴメリーへの約80キロの行進を成功させる。8月、ジョンソン大統領は黒人の投票を保障する投票権法を成立する。

遊説中の68年4月、キング牧師はテネシー州メンフィスで“I have Been to the Mountaintop”(私は山頂に達した)の言葉で知られる演説をした後、暗殺される。39歳だった。数多くの著作、説教、演説の中でも、リンカーンの奴隷解放宣言から100年となる63年8月に行われた歴史的デモ・ワシントン大行進での「私には夢がある」(I Have a Dream)の演説は、今なお世界中の人々の記憶に残る演説である。

○(7)<絶対にたどりつけないと言われた>

力づくでも行かせないと言われた
州都へ行く価値がないと言われた
だが今日、アメリカ人としてここにいる
この力強い行進は、
抗議と進歩の偉大なるデモとして後世に伝わるだろう

座席を自由に選ぶ権利の闘いをした
学校を選ぶ権利の闘いも
今日は選挙権だけのための闘いではない

参加することが新たな行動を生み出す力となる
それは敵対心よりも力強いものだ
その力をしっかりつかみ、熱意を体で表わそう
それが光を放ち、暗闇を照らすのだから

社会は我々をねじ曲げてきた
白人の権力者たちが社会を支配し、
貧しい白人には黒人差別というウソを与えた
その白人たちは子どもが腹をすかせて泣き出すと
同じウソでなだめるのだ
「どんな境遇に生まれようと、“劣った黒人でなく白人であること”
・・・・・それだけでマシなのだ」と

真実は違う

真実と自由へ前進しよう
止まることなく前進しよう
市民としての正当な扱いを要求しよう
悪意と闇を正義の光が照らすまで前進しよう
作り話や不満を言われようとこの運動は止めてはならない

この闇が我々の長所と可能性を摘み取るのだ

ジミー・リー・ジャクソン、ジェームズ・リーブ、
罪なき4人の少女、若しくは殺された人たち

この闇からいつ解放されるのか
今、答えよう、兄弟姉妹よ
悲嘆の涙が流れても、自由はすぐそこに!
地に堕ちた真理がよみがえるのだ

主の真理は進みゆく、栄光あれ
主の真理 進撃せよ!

<文責:藤森弘司>

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