2014年7月31日 第144回「今月の映画」
●(1)今回の映画は、私が専門とする心理の分野に関する面白い部分がいくつかありました。それを中心に述べたいと思います。
①山で遭難・・・・・遭難まではいきませんが、風雨の中で遭難しそうな登山客がいるという連絡が山小屋に入ります。 山小屋で働く愛(蒼井優)に助けられた女性。休憩所でホッとしながら、そこで働くベテランたちに向かって、こう言います。「山岳ガイドを記憶するくらい読んだ」と。 このフレーズは、私が心理の問題に対応しながら、頻繁に感じることです。ゴロさんのように「山岳ガイドを記憶するくらい・・・ふっふっふ」と笑い飛ばしたいことが沢山あります。 聖書を何回読もうと、仏典にどれだけ精通しようが、心理学をどれだけ勉強しようが、すべては机上の空論です。それをいかに実生活に生かせるようになるか、それは実践につぐ実践を繰り返した後に初めて体得できることであって、「知的理解」が「実践的なマスター」と同じことだと理解(誤解)するところが心理や精神世界という見えない分野の怖さです。 こういう誤解は、一般の方だけでなく、心理の専門家さえもが誤解しています。心理学者は、ご自分が説いていることが実践することができる専門家だと誤解している節があります。 8月15日に「今月の言葉」で「知行合一」を取りあげますが、「分かる」ことと「なる」ことには巨大な距離があります。 ②パンフレットより。 やがて「雪の八甲田で・・・・・」と一言いった瞬間、あとは涙でセリフにならなかったという。そのまま約10分のフィルム1リールを撮りきった。脚本と照らし合わせれば勿論NGなのだが、監督の森谷司郎もキャメラマンの木村大作もそれにOKを出した。それは高倉健の芝居が脚本を凌駕する情感をもたらした結果で、加えて言うならこの芝居は二度とできない。本番の瞬間に生まれる芝居を、俳優が最もいい精神状態の中で撮る。そのためには多重キャメラによる一発撮りこそ有効だと、木村大作は確信したのである。>>> 「それは高倉健の芝居が脚本を凌駕する情感をもたらした結果で、加えて言うならこの芝居は二度とできない。」とあります。 佐世保の女子高生殺害事件を見るまでもなく、また、毎日、顔を合わせている夫婦や親子が、いつ、二度と会えなくなるかわかりませんし、昨日の妻でなく、昨日の息子ではありません。どれほど、昨日の妻でなく、息子でない相手と向き合えるか・・・・・とても大事なことですが、そういう場面に遭遇するまで、私たちは気がつきません。 人生は、聖書にも、仏典にも、育児書にもありません。それを、いつ、本当に気がつくか・・・・・それとも、最後の場面まで気がつかないかの違いです。少しでも早く気がつくためにも「実践」を重んじることです。 ③3000メートル級の山は、映画を見ていても、本当に凄いところですね。建設資材などの重量級のもの以外は、実際に背負って運びます。何十キロあるのでしょうか。20キロ?30キロ?もっとあるのでしょうか? ところが3000メートル級の山となると、想像を絶する困難な道を、全ての必要品を背負って運ぶ!!!!もったいなくて、ビールを飲むなんてことができるでしょうか?その上、場合によっては、登山者は命懸け。だから日の出が素晴らしいのでしょうが、私ならば「日野橋!?」から見る日の出で十分ですし、わざわざ、早く起きて日の出なんか見なくてもいい、というのは野暮なんでしょうね。 さて、そういう所で働く人たち・・・・・「共通する欠落感を持った彼らは、菫小屋を中心とする大自然の中に居場所を見つけ、互いを必要とすることで絆で結ばれていく」 |
○(2)(パンフレットより)<Story>
立山連峰で山小屋“菫小屋”を営む厳格な父に育てられた長嶺亨(松山ケンイチ)。社会人になった彼はそんな父・勇夫(小林薫)から遠ざかるように東京に出て、金融の世界では会社の歯車として働いていた。 そんなある日、突然勇夫の訃報が届く。亨の携帯電話には死の少し前、息子の体を気遣う父のメッセージが遺されていた。複雑な想いを抱えながら通夜にやってきた亨を、気丈に振る舞う母・菫(檀ふみ)や勇夫の山の仲間たちが出迎える。その中には勇夫と菫小屋で働いていた高澤愛(蒼井優)の姿もあった。 葬儀を終えた亨と菫は、愛も連れて主を亡くした菫小屋を訪れる。改めて父の山小屋に対する想いに触れ、都会での仕事にも虚しさを感じていた亨は、菫と愛の前で、菫小屋を継ぐことを宣言。小屋を手放すつもりだった菫は素人にはできないと反対したが、勇夫が手をかけてきた菫小屋を守りたい愛は賛成する。亨の決意は固く、ここに菫小屋は父から息子へ受け継がれることになった。 愛と共に菫小屋の経営を始めた亨だが、慣れない仕事に悪戦苦闘の日々が続く。そんな時、勇夫の友人と名乗る“ゴロさん”こと多田悟郎(豊川悦司)が菫小屋に現れる。 しばらくしたある日、菫小屋を訪れた学生・須永幸一が悪天候の中、単独で登山に出たことから遭難。須永は大ケガを負う。亨は自分が強く止めていれば遭難事故は起こらなかったと落胆するが、ゴロさんは、「同じ失敗を繰り返さなければいいんだ」と励ました。 亨が山の厳しさも分かってきたころ、愛は亨とゴロさんに自分の過去を語り始める、彼女はかつて心に深い傷を負い、山で遭難しかかったときに勇夫に命を助けられ、それがきっかけで菫小屋の住人になったという。2人は愛の、勇夫と菫小屋に対する特別な想いに触れた気がした。 お互いを欠かせない“家族”と感じ始めた3人が、初めてシーズンを終えようとした小屋閉めの前日。ゴロさんが突然倒れて意識を失う。救助隊を待っていたら手遅れになるかもしれないと思った亨は、自分がゴロさんを背負って山を下りる決意をする。大事な人を救うため、亨の決死の下山が始まった・・・・・。 |
○(3)<映画をよくするための“こだわり”>(金澤誠・映画ライター)
今年で映画人生56年になる木村大作は、その大半をキャメラマンとして過ごした。キャメラマン・木村大作は影像にこだわることで知られるが、それは非の打ちどころがない構図を作り上げるとか、光と影と色彩の調和によって絵画のような影像を作り上げるといったこだわりとは、少し違っている。 18歳で東宝撮影所の撮影助手になった彼の初仕事は、黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』(58年)だった。この時彼は、イメージ通りの天気になるまで何か月でも待つ黒澤監督の、自然条件に対するこだわりを体感している。その後キャメラマンとして一本立ちした木村大作は、当初すべて手持ちキャメラで撮影を行い、躍動感溢れる影像によって注目を浴びた。 今に至る彼の撮影スタイルを確立したのは『八甲田山』(77年)で、2年以上にわたるこの作品の撮影では、雪中行軍訓練中の遭難を描くために、雪の八甲田連峰で悪天候を待つ日々が続いた。木村監督は“日数をかけるほど、いいものが撮れる”というが、自然の中にイメージする影像を求める時には、自らは動かず待ち続けることが重要だとこの時実感したのである。 ここから手持ち時代のようにキャメラは動くことをやめ、撮りたいものを自分からそこへ赴いてジッと待ちながら撮るという、現在のスタイルになった。『駅 STATION』(81年)では荒れ狂う増毛港の高波を撮るために、中国ロケの間毎晩赤い月が出るのを待った。『春を背負って』でも菫小屋から見える絶景を撮るために、彼は13回大汝山の山頂へ登っている。 黒澤監督のマインドを受け継ぎ、『八甲田山』で確立した、自然と向き合う撮影法。そのこだわりの核心は、“情緒”であろう。いろんな映画に自然の実景描写が登場するが、それは場所を説明するためや、観客の視点を変える“画変わり”の効果を狙ったものが多い。だが木村監督の場合は、実景自体が作品に欠くことのできない情緒として必要なのだ。そういう意味で木村作品にとっては、自然もまた重要なキャストの一人だと言える。 また木村監督はキャメラマン時代から、多重キャメラによる撮影を多用してきた。多重キャメラとは一つのシーンを複数のキャメラによって同時に撮る手法で、これもまた黒澤監督が好んで使った撮り方である。例としてあるシーンの出演者が2人で、キャメラを3台使うとする。それで1台はそのシーンの空間全体を抑える引きのポジション、あとの2台はそれぞれの出演者のアップを狙い、カットを割ることなく一気にシーン全体を撮りきる。これによって俳優たちは、一連の芝居を感情が途切れることなく演じられるのである。 木村監督がその撮り方に目覚めたのは、やはり『八甲田山』であった。ラスト近く、二隊に分かれて八甲田山の雪中行軍を行なった一方の隊長神田(北大路欣也)が遭難して死亡。もう一つの隊を指揮していた徳島(高倉健)は、棺に納められた神田と辛い対面をする。この場面で高倉健のセリフは1ページ程あったというが、撮影が始まって5分間、彼は一言もしゃべらなかった。 やがて「雪の八甲田で・・・・・」と一言いった瞬間、あとは涙でセリフにならなかったという。そのまま約10分のフィルム1リールを撮りきった。脚本と照らし合わせれば勿論NGなのだが、監督の森谷司郎もキャメラマンの木村大作もそれにOKを出した。それは高倉健の芝居が脚本を凌駕する情感をもたらした結果で、加えて言うならこの芝居は二度とできない。本番の瞬間に生まれる芝居を、俳優が最もいい精神状態の中で撮る。そのためには多重キャメラによる一発撮りこそ有効だと、木村大作は確信したのである。 以降『駅 STATION』に始まる、降旗康男監督&高倉健主演の7本の映画でその多重キャメラによる撮影法はさらに磨かれていった。今度の『春を背負って』でも多重キャメラが随所で使われたが、その白眉は高澤愛が亨やゴロさんに、自分の過去を菫小屋で語る場面だろう。このシーンでは実に6台のキャメラを使い、7分半のシーンを一発撮りしている。加えて言うなら多重キャメラで撮るのが基本だが、ここでは対抗するポジションにもキャメラを置き、極端に言えば360度から俳優の芝居を狙っている。これだと実際の影像では反対側から狙っているキャメラ自体も映ってしまうが、それはCGで消して全く違和感のないシーンを作り上げた。 全方向からの多重キャメラ撮影というのは木村監督にとっても初の試みで、これが成功したことで多重キャメラの撮影はさらに活用法が広がるだろう。“多重キャメラの弱点は、照明をすべてのアングルに合わすことができないこと。それでも俺は芝居がいい方を取る”と木村監督はいう。影像にこだわると思われがちな彼だが、芝居を見せる時には影像の完成度よりも芝居を優先する。その姿勢を思うと木村大作とは、“撮影にこだわる”という以上に、“映画をよくするためにこだわる”キャメラマンなのだ。そういうこだわりが、この『春を背負って』の中には詰め込まれているのである。 『春を背負って』でもう一つ気に留めていただきたいのは、監督・木村大作の想いである“標高3000メートルの場所で、ホームドラマを描きたい”というのが、木村監督の最初からの狙いだった。この場合のホームドラマとは血縁関係者だけのドラマを指すのではなく、ホームもまた単なる家ではない。撮影前から作品のキーワードは居場所だと語っていた監督は、多忙な都会の生活で居場所を見失いつつあった亨と、かつて居場所をなくした愛、居場所を求めて放浪しているゴロさんを登場させた。 共通する欠落感を持った彼らは、菫小屋を中心とする大自然の中に居場所を見つけ、互いを必要とすることで絆で結ばれていく。『剱岳 点の記』が仕事として山を訪れ、役目が終われば各々の家へと帰っていく者たちのドラマだったとすれば、これは自然をホームと受け止めて、その中で生きていく者たちの物語だ。同じ自然と人間を描いても、この二つの作品にはそこに違いがある。半世紀以上にわたって映画を作ってきた木村監督が、今描こうとしたホームドラマ。それは自然の中で自分の身の丈を知った人間たちが、それを受け入れることで自分だけのホームを見つけるドラマだろう。そこに監督のシンプルだが強い、生きることへの想いが表れているのである。 |
○(4)<登山ルート~室堂平から大汝山へ~> 『春を背負って』監督補佐の宮村敏正さん、山岳監修の多賀谷治さんの解説を交えながら、劇中で“菫小屋”として登場する、大汝休憩所へ登るためのノウハウと、周りの見どころポイントをレポートしよう。大汝休憩所は立山連峰最高峰の大汝山(標高3015m)の頂上近くにある。冬場は雪で覆われて小屋自体が雪に埋まってしまう。非常に厳しい自然条件の中に建っている山小屋だ。そのため営業期間は7月上旬から9月下旬の3ヶ月のみ。ここでは夏場に登山するとして、この休憩所を目指すルートを考えよう。まずは立山高原バスで室堂ターミナルを目指す。ここから歩いての登山になるが、初心者は高地に体を慣らすため、ターミナル近くの室堂の山荘で一泊するのがお勧め。たとえば室堂山荘から大汝までには、一ノ越、雄山を通り抜けることになる。夏場で天候が穏やかだった場合、室堂から一ノ越までは1時間半、一ノ越から雄山までは2時間。雄山から大汝までが15~20分。トータル4時間を見て、おけば到達できる行程だ。 宮村・・・「それが普通の大汝までのルートなんですけれど、映画でゴロさんが初登場する場面、亨の後を追いかけて登っていくルートは、厳密に言うとそれとは違うんです。室堂から雄山をまいて富士ノ折立に出るコースを映画の中では設定しました。ゴロさんが途中で休憩してタバコを吸うのは、富士ノ折立の頂上ですね。ただ実際にはこの登山道はないので、一般の人は通常のルートから登ってください」 難易度で言うと室堂から一ノ越は石畳を敷いたような、整備された緩やかな登山道が続いている。きついのは一ノ越から雄山へ向かう間で、ここはガレ場で勾配も急である。 宮村・・・「ひたすら稜線を歩いて行くんですけれど、このあたりは日本海側から吹いてくる風の通り道になっていて、風が吹いている時に歩くと本当にきつい。11月に撮影に行った時にはあまりにも風が強くて木村監督がばててしまい、途中で引き返してきたことがあります」 多賀谷・・・「ガレ場では落石に気を付けてほしいです。何年かにいっぺんは落石事故がありますから。それと雪が残っている時期には、 雪庇(せっぴ)にも気を付けてほしい。雪庇はプロでも分かりづらいし、雪庇から落ちると10m以上簡単に落ちていきますから、大事故になることもあります」雄山から大汝までは山の稜線を歩くが、さほどきつさはないそうだ。 宮村・・・「雄山神社の横に大汝へ続く道があるんですけれど、5月中はまだ雪があってその先へは行けません。雪がある時には神社の鳥居が埋まって、祠の先がガツンと落ちた段差があって、氷の壁になっているんです。その氷の壁をクライミングして下りたんですが、蒼井優さんはこれを楽しんでいました。夏に行った時、“夏にはあれがないんだ”とがっかりしていました(笑い)」 装備は夏場であれば、登山靴やリュックなど常識的な登山の装備で十分。ただ風が強くなった時のためにゴアテックスなどの上着を1枚、それと雨具は必須である。飲食物では水と簡単に食べられるスナック菓子。 宮村・・・「リュックを下ろさないで取り出せる小袋のスナック菓子やチョコレートを持って行きました」 多賀谷・・・「6月に入れば雪が解けて道が露出してきますから、アイゼンも必要なく歩いて行けると思います」 大汝までの行程で楽しみなのが、高山植物の鑑賞だ。“菫小屋”の名前の由来にもなっているタカネスミレは、7月中旬から8月中旬にかけて咲くという。 宮村・・・「前年のロケハンの時に監督が、大汝休憩所の裏でタカネスミレが咲いているのを見たと言うんですが、僕らが撮影に行った年には肉眼で発見できませんでした。あきらめてそっくりな造花も作っていたんですが、ある時一ノ越から雄山へ行く間の二ノ越あたりに、登山道から少しそれた別道がありましてね。その道は昭和天皇の歌碑へと続いているんですけれど、この歌碑の周辺にタカネスミレが咲いていたんです。映画に出てくるのは、ここで撮ったものですね」 この歌碑の周辺は、高山植物が群生していて、あまり知られていないが鑑賞スポットになっているらしい。他にも映画には通常白い花をつけるバラ科の植物チングルマの一種で、ピンクの花が咲くタテヤマチングルマは室堂から一ノ越の間の、比較的低い場所で見られるとか。こちらも花の見ごろは7月下旬で、高山植物を鑑賞したいなら7月から8月の早い頃が狙い目だという。 多賀谷・・・「立山から 黒部ダムを臨む景色は、大汝休憩所ならではです」ここじゃ地元の登山ガイドの方が太鼓判を押す大汝からの景観。では映画に出てくるような素晴らしい朝日をここで見ようと思ったら、室堂を何時に出発すればいいのだろう。 宮村・・・「夏場は4時になると徐々に明るくなってきますから、室堂を 午前1時に出発すれば大汝で朝日が見られると思います。ただ出発する時は真っ暗ですから、ガイドの人か、土地勘のある人と一緒の方がいいですね。僕らが大汝休憩所に泊り込みで撮影をしていた時、一ノ越に泊まっていた方が2時に山荘を出発して、朝日をカメラで撮りに来たと言っていました。土曜、日曜は朝日狙いの登山客も結構いますから、そういう方について登るのもいいと思います」大汝休憩所での風景を楽しんだら室堂山荘へ引き返すか、登山の上級者であればその先の富士ノ折立、真砂岳を抜けてさらに1日かけて別山を目指すか。何よりも大事なのは、自然が相手なので 天候の変化や自分の体調を考慮して、無理をしないこと。一歩一歩自分のペースで歩いていけば楽しい登山ができるだろう。 |
○(5)<山小屋の経営とは>
「春を背負って」では、父親の跡を継いで菫小屋の経営者となった長嶺亨の奮闘が描かれる。その亨のように実際に菫小屋と同じ規模の山小屋を経営した場合、どんな生活をすることになるのだろうか。ここでは劇中に菫小屋として登場する大汝休憩所のオーナー・志鷹定義氏に協力してもらって、山小屋経営の実態を紹介しよう。 <MANAGEMENT OF A HUT> <経営編> つまり維持費と人件費だけで400万円が必要になる。また映画には山小屋の改装資材をヘリコプターで運搬してもらうには、大汝休憩所の場合1トンのものを運ぶとして1回につき料金は84,000円かかる。主な収入源は登山客の利用料だが、志鷹氏によれば、この山小屋を維持していくには年間2000万円の売り上げが必要とのことで、山小屋経営の厳しさがご理解いただけると思う。 建物・・・・・ 150,000,000円 <生活編> その生活は朝4時に起床、5時から朝食の準備、7時~9時に小屋の掃除、12時~13時に昼食、15時から夕食の準備、17時から18時半にお客の夕食(その後、片付けをして従業員の夕食)、その後21時半には就寝する。他にも物資を自分で下から運んだり、天気がよければ映画の愛のように布団を干したりとやるべきことは多い。 映画でも亨は最初、慣れない仕事に疲弊している場面があるが、大体3年やれば経営者として一通りのことができるようになるそうだ。ただどのような状況にも対応できる一人前の経営者になるためには、年月をかけて様々な経験をすることが必要だろう。気になるのは小屋を閉じている冬の間の生活。愛は亨の母親・菫の民宿で働いているが、実際の従業員たちはというとスキー場のロッジや食堂で働いたり、スキーの教師をしたりしているとか。 年間を通して、山の四季に合わせて自分の仕事も変えていく。それが自然の中で生きる秘訣といえるかもしれない。 |
<文責:藤森弘司>
最近のコメント