2014年4月30日 141回「今月の映画」
●(1)「集団的自衛権」の問題にしても、「秘密保護法」の問題にしても、「原発」の問題にしても、そして、ありとあらゆる問題にしても、その問題の両面に注目して、判断のバランスを工夫することが重要です。
日ごろから、私(藤森)は、メディアの情報に触れながら、余りにも一方的な情報を発信することに驚いています。私たちが少し、賢くならないと、メディア・・・・・それも、官僚や政治家のコントロールされた情報に誘導されかねせん。 それは私の専門である深層心理の問題も同様です。 私たちは、うっかりすると、違う視点、違う価値観を、しっかりした根拠もなく批判したり、排除しがちです。そういう未熟さに少しでも気がつくための良い練習台になる映画(パンドラの約束)のように思えます。 この両方をお読みの上、原発についてジックリ考えるのもよろしいかとい思います。 パンフレットからご紹介する資料をジックリお読みいただければ幸いです。 その前に、同様の趣旨で、下記の素晴らしいエッセイをご紹介します。このエッセイの中には、私(藤森)が、心理の分野で最も強調したい内容が含まれています。併せて、ジックリ、熟読していただければ幸いです。 |
●(2)平成26年5月2日、日刊ゲンダイ「流されゆく日々」(五木寛之)
<常識と非常識の狭間で③> このところテレビで健康に関する番組が、やたらと多い。 現代人の食事から炭水化物を排除するというのは、大変な問題である。これまでの栄養学、医学の根本にかかわる話だから、じっくり時間をかけて討論する必要があるにもかかわらず、ほとんど興味本位の扱いしかされていないのは残念である。 雑誌や新聞でもそうだ。炭水化物抜きの食事について、話題としてとりあげながら、結局最後は、 私は何十年も前から、いわゆる栄養学の理論に疑問を呈してきた。千日回峰行の行者の一日の食事を確認すれば、だれしもそう思うだろう。あの過酷な修行において、インプットするカロリーと出すエネルギーとが、まったく合わないのである。 「陰でこっそりスキ焼きかなんか食べてるんだろう」 このところ、正反対の意見がやたらと多い。専門家といわれる人びとへの疑問は、これまでにないレベルに達している。にもかかわらず、結局、一般消費者である私たちとしては、 しかし、専門家が一枚岩であった時代は、すでに終わった。 |
○(3)(パンフレットより)監督:ロバート・ストーン・・・・・1958年、イギリス生まれ、ニューヨーク在住の映画監督。初監督作である反原子力映画「Radio BIKINI」(ラジオ・ビキニ)は1987年の米国アカデミー賞長編記録映画賞ノミネート作品候補となる。その後も世界の核戦争にまつわる映画「第三次世界大戦」、パティ・ハースト事件、ケネディ大統領暗殺事件に関する作品を制作。
2009年公開の「EARTH DAYS」(アースデイズ)ではアメリカの環境保護活動のパイオニアの証言を通して、地球環境保全の重要性を伝えている。監督は長年、原子力反対派として知られてきたが、09年の「アースデイズ」を制作する過程で自らの立場が変わったという。「貧困から逃れ、地球温暖化を避ける唯一の道を世界にもたらすのが原子力エネルギーだとしたら?」と。 原子力エネルギーに異を唱えながらも、主張を180度転換させた人々の声を集めた映画『Pandora’s Promise(パンドラの約束)』は、米国で開催されたサンダンス映画祭2013で上映。観客の75%が原子力反対者であったにもかかわらず、映画終了時にはその8割が原子力支持者に変わったという。映画は原子力エネルギーを完璧なものとしては描いていない。しかし統計を用いた現実的な姿勢によって「原子力発電所や火力発電所をなくし、エネルギー消費を減らしながら力強い経済成長を達成する」といった、環境保護運動家が主張する考えを見直すべきだと訴えている。 |
○(4)<INTRODUCTION>
ロバート・ストーン監督による、この映画はまさに“パンドラの箱”を開けてしまった時のように、エネルギーを考えるあらゆる立場の人々にとって、衝撃的な内容を持っている。 ・・・・・しかし、原発という高度なテクノロジーこそが、地球を気候変動から守ってくれる、さらに途上国に住む何十億人もの人々を貧困から救おうということを、この映画で目撃することになるかもしれない。 ストーン監督は、環境保護派であるマーク・ライナース氏とともに、福島の立ち入り規制区域にも足を踏み入れて撮影を行なった。その後、あのスリーマイル島やチェルノブイリにも赴いた。 これまでの反原発論者が示してきた、広島への原爆投下や、東西冷戦時代に暗い影を落とした核実験の数々が、原発と核兵器の混同につながってきたと指摘する。 作品中では、増え続ける原発賛成論への転換者たちの話に驚かされるが、とくに5人にスポットを当てている。環境保護運動の“巨頭”といわれるスチュアート・ブランド氏、ピューリッツァー賞作家のリチャード・ローズ氏、ベストセラー作家・ジャーナリストのグイネス・クレイヴンズ氏、気候変動に関する専門家であるマーク・ライナース氏、そして、環境活動家のマイケル・シェレンバーガー氏だ。彼らがなぜ、どうして転換したかを映画では克明に描いている。 さらに、レン・コッホ氏、チャールズ・ティル氏という、原子力技術に携わるパイオニア的人物の、さらに安全な最新原子炉への挑戦も追い続けた。 有名な神話である「パンドラの箱」では、開けたとたん全ての災厄なものが霧散してしまう。 |
○(5)<DIRECTOR STATEMENT> <なぜ、原子力発電支持に転換したのか>(Robert Stone)福島事故によって原発の「安全神話」は崩壊したと多くの人が主張する。しかし、もしもその認識が誤っていたらどうでしょう。原子力技術こそが、深刻化する地球温暖化から地球を守り、発展途上国で生活する何十億人もの人々を貧困から救う現実的な手段だとしたら、あなたなら受け入れることができますか。私の製作した『パンドラの約束』は、福島の立ち入り規制区域に足を運び、かつて原発事故のあった米国・スリーマイル島、旧ソ連のチェルノブイリにも出かけて撮影を行なうとともに、かつては原発に反対していたものの、世界の実態を知って原発支持に転換した有力な環境保護活動家への率直なインタビューを通じて、地球温暖化をもたらしている化石燃料に代わる唯一のエネルギーが原発であることを、様々なデータや科学技術の実情を紹介しながら描いたドキュメンタリー映画。
<いま、人類が抱える最大の脅威は地球温暖化>
<再エネ推進の環境保護派は目的を見失っている> 原発を停止させることになっており、差し迫った気候変動に対処する方法に考えが十分に及んでいない。最善の手段として掲げる再生可能エネルギーの有効性については、ドイツを見れば明らかでしょう。ドイツは国策として、20年も前から再エネ導入を進めてきました。でも、現在、太陽光で賄われているエネルギーは全体の5%、風力も7%に過ぎないのが現実が。さらに、太陽光発電だけでも、すでに1300億ユーロ(約18兆円)もの費用をかけています。果たして、これを成功といえるでしょうか。再エネはバックアップのために、幾種類もの発電手段を組み合わせる必要があり、供給力が不十分であるために、化石燃料にも依存せざるを得ない。環境保護主義の人々はこうした現実に考えが十分に及んでいないとしか思えない。私たちの目指すのは化石燃料利用を減らすこと。そして、残された時間はない。もし、いま持っているツールで化石燃料を使わずに活用できるのであれば、それを使うべきだと思う。私たちの地球を守り、存続させるために。
<優れた次世代原子炉開発に目を向けよう> 廃棄物も再利用できる画期的なシステムだ。 <日本の原発技術高度化への大きな期待> 日本である。 <正確な情報に基づいて、正しい判断を> |
○(6)<環境問題の“不都合な真実”を明らかにした最も重要な映画>(シカゴ・トリビューン紙)
<パンドラの箱に残った希望>(毎日新聞、2013年11月21日、田中伸男・前国際エネルギー機関事務局長) ロバート・ストーン監督の映画『パンドラの約束』が最近、米CNNで全米に流された。地球温暖化を防ぎつつ途上国の成長を実現するための希望として、原子力が環境派の人にも受け入れられるというお話だが、そこで切り札として登場するのが、統合型高速炉(IFR)である。確かにこの炉が東京電力福島第一原発に導入されていたら、あの事故は防げたはずだ。 福島事故では、地震直後にスクラムが起動したが、その後の津波による全電源喪失に対応できずメルトダウンが起こった。アルゴンヌの実験で電源喪失後、急速に炉内温度が急上昇したがすぐに下がり始め、炉は自動停止した。人の手は何も借りずに。核反応が暴走して加熱すると自動的に運転が止まる受動的安全装置を備えているためだ。 さらにこの炉には再処理施設が統合されている。使用済み核燃料を再処理のために炉外に持ち出したり、貯蔵したりする必要がない。最後に高レベル廃棄物が出るが、この放射能が天然ウラン並みに下がるのは軽水炉の数十万年より短い300年。廃棄物処理ははるかに簡単だ。 原子力はトイレのないマンションで廃棄物を捨てる場所がないからやめるべきだという人がいるが、それはこの技術への無知からくる発言だ。パンドラの箱には希望をもたらす技術が残っている。 |
○(7)<原発はいまだに温暖化防止の切り札なのか>(朝日新聞WEBRONZA、2013年12月31日、石井徹) 果たして地球温暖化を防止するために原発は必要なのか。原発がなくては温暖化による破滅的な影響を避けることはできないのか。この問題を考えるために、『パンドラの約束』を撮ったロバート・ストーン監督へのインタビューをお届けする。 ・・・・・なぜ原発をサポートする映画を撮ったのか? エネルギーに関する多くの基本的な仮説は間違っています。再生可能エネルギーは化石燃料を代替できると考えられていますが、化石燃料の使用はむしろ増えています。化石燃料が枯渇するという考えも、エネルギー効率の向上は需要削減になるという考えもそうです。気候変動に関する国際条約はうまくいっていない。世界のエネルギー需要は、毎年、ブラジル一国分が新たに加わるペースで増えている。原子力には大きな可能性がある。気候変動問題の脅威を解決する手段になり得ると知り、すごい映画になると考えました。私は元々反原発だったのですが、映画の登場人物と同じように考えを変えました。 ・・・・・ドイツやデンマークでは温暖化と闘いながら、脱原発の道を進んでいます。 ・・・・・さらに再生可能エネルギーを進めれば、CO2の大幅削減につながるのではないか。 脱原発派に変ったのはご存じですか。 ・・・・・核燃料サイクルはうまく行っておらず、日本以外の先進国は手を引いています。 日本では、温暖化防止は原発推進の方便に使われてきた。だから電力会社や日本経団連などは、温暖化の危機を訴える一方で、原発事故前から石炭火力の割合を高め、排出量取引制度や炭素税の導入には反対するという矛盾する態度をとってきた。半面、反原発派の一部には、いまだに温暖化脅威論は原発推進派の 陰謀だという人たちがいる。福島原発事故を経験した日本できちんとした議論ができないのは不幸なことだ。その原因の一端は、国民の声を聞こうとせず、 なし崩し的に原発の再稼動を進める現政権にあると感じている。 |
○(8)<COLUMN>
<無責任な反原発論への痛打~日本が拓いた原子力の未来像~>(澤田哲生・東京工業大学 原子炉工学研究所 助教) この結果は、環境派で知られるケネディ家を巻き込んだ騒動になった。ロバート・ストーン監督とロバート・ケネディJr.との間で激しい議論となった。口論といってもよい。それほどこの映画は、環境派にとっては衝撃だったのだろう。衝撃というより脅威に感じたに違いない。 この映画には、かつては有名な環境保護活動家だった人物が何人も登場する。いずれも反原子力から原子力の容認に心を変えた。元環境保護主義者は「みんな全体を見ようとせず、原子力の危険な面ばかりを見ている」という。端的にいえば、二酸化炭素を主な原因とする地球温暖化のホールアース(全地球)的な危機と原子力の危険性を天秤にかけて見ているかという問いかけである。 そんな元環境保護運動家のひとりにかつての巨頭スチュアート・ブランドがいる。すでに原発推進派に鞍替えしたグリーンピースの創始者パトリック・ムーアなどと比肩され、とりわけ米国では有名な人物だ。1960年代末に『ホールアース・カタログ』を世に出した元祖カタログ屋である。ホールアース・カタログは、その名前の通り地球上の全ての出来事を、出版された書籍を通じて、網の目(Web)のように網羅し俯瞰しようという壮大な試み。その精神とセンスは、今のウィキペディアに通じるものがる。 1960年代には、当時NASAの大気学者であったジェームズ・ラブロックがガイア仮説を唱えている。そのラブロックは、2004年に「原子力のみが地球温暖化を停めることができる」と宣言し、当時の仲間であった環境保護活動家とは別の道を歩み始めた。 さて、iPhoneで世界を一変させたスティーブ・ジョブズは、ホールアース・カタログの熱狂的な読者であり、ブランドから多くの影響を受けた。なかでも、ブランドの名言「Stay hungry. Stay foolish.」(ハングリーであれ、愚かであれ)は、スティーブ・ジョブズを心酔させたことでも有名である。 そのブランドは、米国の直接処分候補地・ユッカマウンテンに貯蔵されている膨大な量の使用済み燃料を見て、これは巨大な“custody・・・カスタディ”だと嘆息したという。custodyには保管管理という意味の他に監禁や拘留の意味がある。囚われの身ということだ。囚われているのは、すぐにでも使えるウランやプルトニウムのみならず、将来利用可能な稀少金属である。 使用済み燃料中には、天然にはほとんど存在しないテクネチウム、セレン、テルルの他に、白金族元素であるルテニウム、ロジウム、パラジウム等が含まれている。これらは放射性さえ充分に低くなれば利用出来る。その時間はものによって違い、数百年以上かかる場合もあるが、確実に有用な資源になる。原発が生み出すのはエネルギーだけでなく、稀少な物質も産み出すのである。 ブランドは、風力や太陽光などの再生可能エネルギーが化石燃料や原子力の代替エネルギーになり得ないという。再生可能エネルギーを増やした分、そのバックアップ電源が要る。バックアップ電源は必然的に化石燃料火力発電になると指摘する。地球温暖化対策が打ち出せていないなかで、原子力を否定することは無責任きわまりないのである。また、化石燃料は世界中で奪い合いになるので、工業国のみならず発展途上国が電気を求めていくこれからの世界情勢のなかでは、需要に追いつけない。つまり、原発をやめて再生可能エネルギーで代替せよというのは、二重の意味で無責任といえる。 この映画のなかで、科学的な視点からフォーカスされているのが、高速炉である。第4世代の原子炉の基礎をなすものとして、この映画では高速炉に焦点があてられている。ハイライトは、米国の実験高速増殖炉(Experimental Breeder Reactor:EBR)における、高速炉の高い安全性を実証する実験の模様が映し出される。自己条件のもとで、運転員が何もしなくても、自然の力で事故が収束していくのである。これを固有の安全性という。高速炉を開発した科学者・技術者の自信と矜持が結晶する場面である。 高速炉は、このような高い安全性の他に、軽水炉に比べて燃焼度が2、3倍のエネルギーつまり電気を創り出せる。さらに、高レベル放射性廃棄物を高速炉の炉心では燃やすこともできる。つまり、廃棄物を減らせる。これは軽水炉では叶わない。すなわち、安全性に優れ、高効率で、新たな燃料が創れて、環境にやさしいのである。このような利点を同時に達成できるのが高速炉の最大の特長である。 実は、このような多機能性の同時達成という原子炉の未来像を明確に体系化したのは、1990年代の日本の研究者らであった。その概念を自己整合性という。1990年代当時、米国の原子力研究は大変に落ち込んでいた。そんななか、日本の研究者らが主導して、1997年から米国で開催された会議がある。開催場所の地名にちなんでサンタフェ会議と呼称された。このサンタフェ会議によって、“第4世代の原子炉”の礎が拓かれたのである。 われわれ日本人は、その事実をもっと誇りに思ってよいのではないだろうか。 |
○(9)<Column・・・講談社WEBサイト「現代ビジネス」より>
<「地球温暖化を食い止めるためには、原発を無くしてはいけない」映画『パンドラの約束』の真摯な警告>(川口マーン惠実・作家、ドイツ、シュトゥットガルト在住) <脱原発を決めて2年半、CO2排出量は増える一方> 再生可能エネルギー法は、自然エネルギーに由来する電気に対し、20年間にわたる全量固定価格買い取りを保証している。昨今、電気代が高騰しているのは、この買い取り金の激増が原因なのだが、国民はこれが気候変動の防止に役立つと言われ、大きな負担をのんできたのだった。 しかし、EFIは、それが間違いだと言っている。それどころか、「再生可能エネルギー法の継続を正当であるとする理由は見つけることができない」とまで断言しているのだ 地球は確かに温暖化しているようだ。近年、毎年のように地球のどこかで殺人的な嵐や豪雨や台風が起こっているのも、それと関係があるのだろう。しかし、これから発展途上国の人々の生活が向上し、もっと多くの電気が消費されるようになり、それを火力発電で賄っていくとすれば、温暖化がさらに進むのは避けられないことだ。 だったら、それを防ぐため、CO2を出さない自然由来のエネルギーを使えばいいという説があったはずだが、それがどうも間違っていたらしい。現実としては、太陽光や風力の発電施設をいくら増設しようとも、火力発電所をなくすことはできない。 なぜかというと、太陽光と風力はどちらもお天気任せなので、電力需要のピーク期に安定的な供給を保証することができないからだ。 そうでなくても、太陽光や風力は、季節間、あるいは昼夜間で大きな変動がある。一日の間でも日の照り具合、風の吹き具合は変わる。だから、生産される電力はたえず変動する。太陽や風では、電力の安定供給は保証されない。 電力の安定供給が保証されないということは、産業国にとっては致命的なことだ。だから、太陽光や風力の発電には、必ずバックアップを行なう発電設備が必要になる。それは太陽光や風力の発電施設がどれだけたくさんあっても、変わらない。そして、原発がない限り、そのバックアップの発電はガス、石油、あるいは、石炭、褐炭でやるしかない。こういうものを燃やすと、もちろん空気が汚れる。 ドイツは今、その道を歩んでいる。現在、17基のうち9基の原発が稼動しているが、止まっている8基分を補うため、火力発電が必要なのに加え、風力と太陽光の発電容量が増えたため、そのバックアップとして、さらに火力が増えている。 つまり、脱原発を決めて2年半が過ぎたが、それ以来、安価な石炭と褐炭の使用が増え、CO2の排出量が増えた。しかも、これからさらに原発が止まり、さらに風力と太陽光発電が増えるため、今、慌てて火力発電所を作っている。CO2の排出量は、もちろんさらに増えるだろう。 ドイツは元々石炭と褐炭の国だ。脱原発をする前も、電力のうちの4割強が石炭、褐炭で作られていた。今はそれが45%を超えている。同じ量の電気を作るために排出しているCO2の量は、フランスと比べて10倍となっている。フランスは原子力発電が75%で、水力もあり、石炭は6%にすぎない。 <原発論議の多くが情緒的に行なわれる理由> おかしいと感じたのは、脱原発に賛成していた環境運動家たちも同じで、彼らが反原発の立場から、実は地球のために一番よいのは原発であるという意見に転じるまでのドラマがこの映画の中身だ。監督のロバート・ストーン氏も、原子力反対派としてした人物で、初めて監督した作品は、反原子力映画『ラジオ・ビキニ』である。 つまり、『パンドラの約束』は、今まで原発の廃止のために尽力していた人たちが、なぜ原発擁護に転向したのかという経緯を、原発の環境にもたらす意味を論理的に説明することで示そうとしている。そういう意味では、脱原発を推進しようとしている人たちにも、見る価値がある映画だと思う。 “論理的に説明することで示そうとしている”と書いたが、実は原発論議の落とし穴はここにある。主張のやりかたに論理が抜けて、多くが情緒的に行なわれている。それにはもちろん理由がある。 原発のことなど、その構造も、仕組みも、放射能の影響も、危険性も、素人には専門的過ぎて理解できないから、意見の誘導には情緒に訴えるのが一番効果的なのだ。素人は、多くの数字を提示されて分かった気にはなるが、本当にそこから得るのは、漠然とした恐怖感であることが多い。 恐怖感が悪いと言っているのではない。しかし、恐怖感は科学に基づいていないことも多い。だから、恐怖感で何かを決めるのは、本来なら、私たちが避けたいと思っていることのはずだ。 しかし、素人にとって原発論議は、自分たちで判断できる範疇を越えてしまっているという致命的な問題があるので、科学的に対処することがとても難しい。そこで恐怖感がうまく利用される。 <恐怖心や不気味さを演出するテクニック> 10万年後の人たちに「ここが処分場であることをどのように伝えることができるか」を心配することがメインテーマだ。 ここらへんの地盤は、小さな空洞に5億年前に閉じ込められた海水がそのまま見つかるというほど安定した地盤だという。日本人は羨む他はない。その安定した地下500メートルの場所に廃棄物を貯蔵するなら、10万年後にはすべてウラン鉱山並の放射能レベルになり、それほどの心配はないというのが専門家の意見だ。だから、埋めたあとの地表は自然に戻しておけばよい。 しかし、映画のテーマは別だ。もし、何万年後かに、穴は掘れるが、放射能など知らない生物が、いつかそこを彫ったらどうしよう?その人たちに「ここを彫ってはいけません」ということをどのように伝えようかということだ。 つまり、これはもうすでに核廃棄物貯蔵の技術的な話ではなく、異質な文明を持った未来の人類(宇宙人?)が、万が一、偶然そこに500メートルの穴を掘ったことを仮定した遠大な話で、科学というよりもサイエンスフィクションに近い。 そして、これがいかにも怖く描かれる。暗い低音の音楽が陰鬱なムードを醸し出し、地下坑道へ入っていく人が暗闇でマッチを擦る場面が何度も出てくる。そこに実際に行った学者の話を聞いてみたら、坑道は通常電気照明が行なわれており、また入って行く人はヘッドランプを携行しているということだ。まったく照明のない空間でマッチを擦るというのは、「未知の暗闇」という不気味さを演出するためのテクニックなのだろう。 『パンドラの約束』の方も、もちろん演出は為されている。こちらは、反原発運動が情緒に流れ過ぎていることを強調したいらしく、冒頭にはデモのシーンが多く織り込まれている。それを見ると、デモのリーダーたちはマイクの前で感情的に怒鳴りたてているし、デモの参加者の頭も、とても非科学的に見える。 その後に登場するのが、冷静で論理的な人たちだ。デモ隊とはきれいな対照をなすその知的な人たちは、脱原発がもたらす大気汚染や気候変動の脅威を、論理的に、しかも人道的な見地から説明してくれるのだ。つまり、理性の勝利ということになる。 <原子力反対者の多くが支持者に転向> それによれば、世界のエネルギー消費が増え続ける中、化石燃料を原因とする気候変動を食い止めるためには、原子力発電の利用のみが唯一の道だという。 『パンドラの約束』は、米国のサンダンス映画祭で上映された。映画の上映前は、観客の75%が原子力反対者であったのに、映画が終わった時点では、その80%が原子力の支持者となったという触れ込みだ。日本では、4月19日から東京、神奈川、福岡を皮切りに、全国で上映が始まる。 |
<文責:藤森弘司>
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